川沿いのラプソディ


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メモ帳

カテゴリ:演劇( 21 )

文楽「南都二月堂 良弁杉由来 (ろうべんすぎのゆらい)」、「増補忠臣蔵」 2018年 9月24日 国立劇場小劇場

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東京・国立劇場における今月の文楽公演は、午後の部で上演された「夏祭浪花鑑」の初日の公演を以前レポートした。そして、なんとか午前の部の演目にも行けないかとあれこれ思案・調整して、なんとか行くことができたのは、千秋楽の 9/24 (月・祝)。その日の夜は既にこのブログにて採り上げた、サイモン・ラトル指揮ロンドン交響楽団のコンサートがあったので、レポートの順番は逆になってしまったが、その午前の部について、ここで印象を記しておきたい。演目は、「南都二月堂 良弁杉由来」と、「増補忠臣蔵」。実はこの 2本は江戸時代の作品ではなく、明治に入ってから書かれたものである。今年は明治 150年記念ということで、明治期の作品を 2作上演する運びになったということらしい。

さて最初の「良弁杉由来」であるが、冒頭に「南都二月堂」とあることで明らかな通り、これは奈良の名刹、東大寺を舞台にした物語。その主人公は、奈良時代の高僧で、東大寺の開山である良弁 (ろうべん) 上人 (689 - 774)。これは東大寺開山堂にある国宝・良弁上人坐像。同時代の作ではなく、平安時代のものだとされているが、その凛とした佇まいは、さすが日本仏教史有数の名僧のひとりであり、第一級の彫刻である。これは秘仏で、毎年 12月16日の開扉。もちろん私は現地まで見に行ったことが何度かある。
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この文楽は、この良弁上人が幼少の頃、鷲にさらわれて杉の木にひっかかっているのを僧に助けられた、という伝説に基づくもの。以下の 4段からなる。
 志賀の里の段
 桜の宮物狂いの段
 東大寺の段
 二月堂の段

最初の段では、良弁の故郷志賀 (滋賀県のこと) で、30前にして夫を亡くした渚の方が、2歳の息子光丸とおつきの者たちを連れて茶摘みに興じていたところ、大鷲がやってきて光丸をとらえて去って行く。次の段はその 30年後。老いてすっかり正気を亡くしてしまった渚の方が、大阪の桜の宮を彷徨い歩き、水辺に映った我が身の老醜にはっとめざめ、東大寺の良弁僧正が幼少時に鷲にさらわれたと聞いて、奈良に向かう。次の段では、東大寺に辿り着いたはよいが、下々は御目通りすら叶わぬ高僧に、老婆が容易に接近できず、通りがかりの僧の知恵で、用件を書いた文を、良弁が子供の頃ひっかかっていたという杉の木 (二月堂の前にある) に貼っておくという手段に出る。そして最後の段では、感動的な親子の再会が描かれる。上演時間も手頃だし、登場人物も少ないので、文楽の演目の中ではかなり親しみやすいものだと思う。ところで、これはお寺好きでなくとも一般常識の部類だと思うが、東大寺二月堂は、早春に行われるお水取り (修二会) の舞台。この密やかな祭にはシルクロードの匂いがプンプンなのであるが、それはともかく、この文楽の最後の段は、その東大寺二月堂の前で行われる人間感情の炸裂である。実は今でも二月堂の前には、良弁が鷲にさらわれてひっかかったという杉の子孫と言われる木が存在している。その名も良弁杉。
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この「良弁杉由来」が明治の世に出てから、曲折を経て文楽のレパートリーに定着したにはいくつか理由があるらしいが、そのうちのひとつは、音楽の良さだという。例えば最初の段で使われる楽器に八雲琴というものがあるが、これは明治期の関西で流行した二弦の琴であるらしい。今回の上演でも、渚の方の踊りの伴奏で 2人の奏者が演奏したが、それはそれは見事なものであった。
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そしてここにはまたユーモラスな要素もある。シャボン玉を吹く行商人が面白く、彼が作った大きなシャボン玉には、「祝! 千穐楽!」と書いてあった。また、最後の段で感動的な親子の再会が起こる前に、良弁のおつきの者たちが、アクロバティックな芸を披露するのも大きな見せ場であろう。そのユーモラスさがあるゆえの、感動的な母子の出会いになるわけであろう。
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この良弁上人が鷲にさらわれた話は、ある種の貴種流浪譚であろうが、どこか日本人の感性に訴えるものがあるのであろう。幕末の土佐でおどろおどろしい芝居絵を描いた画家で、絵金 (絵師金蔵の略) という人がいて、私はこの画家に打ちのめされている人間なのであるが、その絵金の描く、良弁鷲にさらわれるの図はこれである。
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さて、もうひとつの演目である「増補忠臣蔵」であるが、これは読んで字のごとく、忠臣蔵のサイドストーリーである。後日譚ではなく、前日譚。つまり、浪士たちが高師直 (こうのもろなお。実在の人物だが、「逆賊」足利尊氏の執事であったことから、悪い奴というイメージが形成され、「忠臣蔵」においては吉良上野介の役名になっている) 邸に討ち入りをする前の話である。1時間ほどの演目だが、結構関係人物 (ここに出て来ない人も含めて) が多く、若干雑多な印象もある。明治期に書かれた文楽の前に、恐らくは先行して江戸時代に同じ演目の歌舞伎があったようだが、今回の公演のプログラム解説によると、「小さな世界で完結する創作ぶりは、明治以前の B 級の匂いがします」と、酷評されている (笑)。だがこの演目のテーマは分かりやすい。義を立てて主君に忠実に仕える者は、たとえ手段を選ばない行動によって誤解を受けたとしても、主君さえ諌言に耳を貸さない立派な武士であれば、その主君にはちゃんと真意が通じるということである。ここでの主人公、加古川本蔵は、このようにお縄になってしまい、主君である桃井若狭之介から手打ちにされることになる。絶体絶命のピンチ。
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ところがこの後、どんでん返しがあって、本蔵の命は救われる。面白いのは、この文楽に先立つ同じ内容の歌舞伎の演目では、「本蔵土壇」と呼ばれていたという。言うまでもなく、「土壇場」の「土壇」である。そう、自分が正しいことをしたと思ったら、潔く運を天に任せ、裁きを待てばよい。まぁ、現実世界ではなかなかそうも行きませんがね (笑)。だがしかし、これはこれで、B 級であろうとなんであろうと、人間の生き様を考え直すきっかけになる演目であろう。

この文楽の世界、それはそれは奥深いものであり、このブログをご覧の方々にも、クラシック音楽以外の舞台芸術で、このような素晴らしいものが日本にはあると、是非実感して頂きたい。

by yokohama7474 | 2018-09-28 00:14 | 演劇 | Comments(2)

文楽「夏祭浪花鑑 (なつまつりなにわかがみ)」2018年 9月 8日 国立劇場小劇場

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人形浄瑠璃、文楽に対する私の深い愛は、このブログで何度かご紹介して来ているが、9月の国立劇場での文楽公演の初日を見ることができて、本当に嬉しい。しかも演目はあの「夏祭浪花鑑」である。私はこの演目には思い入れがあって、それは何かというと、生まれて初めて本格的に文楽公演を見たときの演目であったのだ。それは今を去ること 25年前の 1993年、大阪の国立文楽劇場でのこと。8月の夏の盛りの大阪で、その大阪を舞台とする、そしてそのクライマックスでは忍耐の緒を切らせた偉丈夫が義理の父を泥田の中で殺めるという陰惨な作品を見たときには、大きな衝撃を受けたものだ。人形劇にしてこれだけの生々しい人間感情を表現する文楽の凄まじさへの驚嘆は、あの暑い大阪の夏の思い出とともに、今も私の中に生きている。その後歌舞伎でこの演目を見たことはあっても、文楽ではなかったので、今回、9月公演でこの演目に再会できたことは、私にとってはいわば原点回帰であり、改めて文楽の持つ表現力に浸ることのできるよい機会となった。

この演目は全 9段からなるが、今 25年前のプログラムを手元に持ってきて比べると、その時は 4段の上演であったものが、今回は 6段。上演時間は、16時開演、3回の休憩を挟んで、20時34分 (細かいのである。笑) 終演。実に 4時間半以上である。6段の内容は以下のようなもの (* が、1993年の大阪での上演には含まれていなかったもの)。
 住吉鳥居前の段
 内本町道具屋の段
 道行妹背の走書*
 釣船三婦内の段
 長町裏の段
 田島町団七内の段*

この演目の概要は以下のようなもの。荒くれ者だが義に忠実な主人公団七と、彼と義兄弟の契りを交わす徳兵衛、そして彼らの出身地である備中玉島家の御曹司、磯之丞、その愛人の傾城琴浦に、侠客 釣船三婦 (つりぶねさぶ) と、その女房たちが織りなす苛烈な人間悲劇。そのクライマックスでは、それまで忍耐に忍耐を重ねた団七が、妻お梶の父、三河屋義平次を殺害するというもの。これがその団七が走るところ。
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この文楽には、もとになった実際の事件があるという。それは 1744年、堺の魚売りが犯した殺人が発覚、処刑されたというもの。この演目の初演は 1745年だというから、当時の大坂の人たちにとっては、まさにほとんどリアルタイムでの上演であったろう。これは実にスキャンダラスなことだと思う。だがその一方で、歌舞伎の「宿無団七」という演目はそれより前、1698年に片岡仁左衛門主演で上演されているらしく、どうやらこの文楽は、先行する歌舞伎作品と実際の殺人事件を併せて作られたものであるようだ。その意味でこの演目は、今も昔も変わらない人々の物見高さによって世に出たと思うのだが、そこにはまた、義を重んじる人々の、のっぴきならない生き様が描かれていて、当時の観客はそこに溜飲を下げたものだろう。いや実際、この 6段には、人の情があちらこちらに満載だ。忠義を守って犯罪を犯す者、友を守るために一芝居打つ者、夫婦の間で言葉少なに信頼関係を保つ者、自分の立場を正当化するために姑息な論説を弄する者。そのいずれもに、人間存在の尊さと愚かさを見て取ることができる。これは全身入れ墨の団七。殺しのシーンでは、髷がほどけて実におどろおどろしい状態になる。
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その殺しの場面のおどろおどろしさは、今年の 6月、歌舞伎での上演において中村吉右衛門が演じた団七の映像から感じて頂こう。「親父どの~」のセリフが見る者にまつわりつくような不気味さである。
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私が前回この文楽を見たときの団七は、人間国宝であった初代吉田玉男 (2006年死去) が操っていた。今回は 3代目桐竹勘十郎がその大役を担当し、一方 2代目吉田玉男は、悪者である三河屋義平次を担当していた。このようにして、世界的に見ても最高水準の人形劇である文楽は引き継がれて行くのである。ただ、個々の演目の演出はどのように行うのであろうか。というのも、私が 25年前に見たこの演目では、義父殺しのあとに夏祭の山車が通る場面が、今回よりもさらに派手であったと記憶するからだ。個人間の悲劇と無関係に盛り上がる祭の光景に、人間世界の無常を見たという記憶に照らすと、今回はその点には少し課題が残ったような気がした。だがそれも、私の中で思い出が美化されているということかもしれない。いずれにせよ、文楽の世界は果てしなく深い。これからも是非、その深い世界を味わって行きたいものである。これは今回、幕間に関係者たちが北海道地震などの災害援助の募金を訴えかける様子。おかめのような人形を操っているのは人間国宝の吉田蓑助だろうか。その向かって左にいるのが、桐竹勘十郎だと思う。私もいくばくかの寄付をさせて頂きました。
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日本の伝統芸能の素晴らしさを、若い世代にもなんとかして伝えて行きたいものだと思う。

by yokohama7474 | 2018-09-09 23:14 | 演劇 | Comments(0)

セルリアンタワー能楽堂 定期能五月 宝生流 狂言「樋の酒」/ 能「景清」 2018年 5月27日 セルリアンタワー能楽堂

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このブログで能についての記事を書くのは、確かこれがわずかに 2度目であると思う。どうしてもオーケストラ音楽にかなりの時間を取られてしまっていて、演劇分野については、自分の気持ちとは裏腹に、なかなか時間を見つけることができずにいるのが現状だ。だが、通常の演劇も見たいが、やはり歌舞伎も文楽も能も、年に 1回や 2回は見たい。それゆえ、この日はたまたまめぼしいコンサートもなかったので、この能を見に行くことができて、大変に幸運であった。さて、鑑賞した場所はどこかというと、こんな建物だ。な、なんなんだこの高層タワーは!!
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このビルは、渋谷の東急本社跡に 2001年に建設された、セルリアンタワーである。レストラン、オフィス、ホテルなどが入る 40階建ての複合ビルであり、渋谷で最も高いビルだという。実はこのビルの地下 2階に能楽堂があることを、東京でどのくらいの人が知っているだろう。まさかと思う方もおられるかもしれないが、このように本格的で清潔感溢れる場所が、このビルに存在しているのである。
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・・・などと偉そうに言う資格は私にはなくて、つい 1年ほど前まで私も知らなかった。Bunkamura という複合文化施設を作り、意欲的な活動を続けている東急はまた、ミュージカル専用のシアターオーブも最近オープンさせたが、このセルリアン能楽堂の運営も、その文化活動の一環であるようだ。もともと故・五島昇の構想によるもので、世界に向けた伝統芸能の発信を担う施設であることを標榜しているとのこと。これは大変に意義深いことである。この能楽堂では、公演のない日には内部を見学できたり、公演そのものも、啓蒙的な内容のものもあるようなので、能に親しむには最適な空間になっているし、加えて、様々な流派がここで上演するのが面白い。例えば観世能楽堂 (最近渋谷の松濤から銀座に移転) は文字通り観世流しか公演しないと思うが、この能楽堂では、4月はその観世流、5月は今回私が見た宝生流、7月には喜多流が公演するのである。

さて、今回の演目は以下の通り。
 狂言 : 樋の酒 (ひのさけ)
 能 : 景清 (かげきよ)

今回有難かったのは、上演に先立って、金子直樹という能楽評論家 (という呼称が正しいのか否か分からないが、能に関する一般向け著作も多い方のようだ) が演目内容、とりわけメインの「景清」について解説をし、また、手元に「景清」の台本を A4表裏に印刷して配布してくれたことだ。「景清」についてはあとで述べるとして、まずは狂言の「樋の酒」である。「ひの酒」と言っても、当然ウォッカではない。この「樋」とは、訓読みでは「とい」とも言い、「雨どい」などというように、水を流す管や溝のこと。ではなぜそんな「樋」と酒が結びつくかというと、こういうわけだ。家の主が所用で出かけるにつき、以前自分の留守中に、酒が大好きな太郎冠者が酒を盗み飲みしたことを思い出して、一計を案じる。それは、その太郎冠者を、軽物 (かるもの) 蔵と呼ばれる絹布の蔵に閉じ込め、下戸である次郎冠者を酒蔵に閉じ込めるというもの。そうすれば、酒を飲まれる心配はないはず。ところが、次郎冠者は実は下戸でもなんでもなく、酒が大好きで、グイグイと飲み始める。それを隣の蔵で聞きつけた太郎冠者は、軽物蔵で見つけた「樋」を壁の上の空間から酒蔵に通し、次郎冠者はそこに酒をなみなみと注いで、まんまと太郎冠者も酒をしこたま頂くことになる。そして、へべれけになり、それぞれが陽気に歌い踊っているところに主人が帰ってきて、二人を追い回す、という話。二人の会話も可笑しいし、樋を傾けて酒を流す次郎冠者の仕草、それを扇で受けてゴクゴクとうまそうに飲む太郎冠者の仕草、いずれもなんともユーモラス。それから、3人が一度に喋るというシーンもあって、まるで、チャールズ・アイヴスの音楽かと思ってしまいました (笑)。今回太郎冠者を演じたのは、人間国宝の山本東次郎。1937年生まれというから、実に 81歳!! 狂言は能と違って仮面をつけないので、その姿は確かに老人のものだったが、達者な芸と身のこなしの軽さには、さすがのものがあって感服した。
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尚、次郎冠者を演じた山本則俊は、この東次郎の弟で、こちらも 1942年生まれの大ベテラン。加えて主人を演じた山本則秀は、1979年生まれで、則俊の次男である。能役者の家系にも長い歴史があることを思い知る。ご興味おありの方は、「大蔵流狂言 山本家」で検索されれば、天保年間からの家系図なども見ることができる。

さて、メインの「景清」も、様々な点で大変興味深かった。私はこの演目を、随分以前にどこかの薪能で見た記憶はあるのだが、その内容はあまり覚えていなかった。ストーリーは簡単で、源平の合戦の際に平氏方について戦った景清 (かげきよ。苗字は藤原で、あのムカデ退治で名高い藤原秀郷の子孫であるという) という武将が、日向の国、今の宮崎県で隠遁生活をしている。源氏が栄える世の中を見たくないということで、自ら両目をくり抜いて盲目となっている (なんと激しい!!) のだが、そこにはるばる鎌倉から娘の人丸が訪ねてくる。落ちぶれた自らの身を恥じて一度は自らの身分を明かすことを拒んだ景清だが、里人のとりなしで娘に再会し、親子の情にほだされながらも、屋島の合戦での自らの武勇譚を語り、自らの死後の回向を頼んで涙にくれる、という話。能においては、既にこの世にはいない人が切々と情を語ることが多いが、この景清は、生きている人物。だが、これはほとんど現世と来世の間に漂う人物であるかのように、鬼気迫る面をつけている。
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もちろん、面や仕草、それからこの演目において特徴的な小道具の使い方は、流派によって異なるようだが、宝生流ではこのように髭を生やしているらしい。またその「小道具」とは、実は開演時に後見人 2人が袖から動かして来る、何やら布で囲まれたテントのようなもの。この中に既に景清役の役者が潜んでいて、出番が来ると、その布の中から不気味な声だけが聞こえてくる (解説によると、この語りは、必ずしも観客に聞こえなくてもよいそうだ)。そして、腰かけた格好で姿を現わす景清。これはほかの流派の舞台からの写真である。
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能の幽玄性は、もちろん一度見れば充分実感できるものであるが、それにしても今回の「景清」、能管と鼓の奏でる音楽に伴われて、娘の人丸役が現れる箇所で、私は身震いしてしまった。そして、延々と続く景清の唸りやその仕草、低い声で情念を漂わせる地謡、どれを取っても、能でなくては味わえないものだ。もちろん、ストーリーの進みは遅いし、手元の台本がなければ、耳だけで言葉を聞き取るのは無理である。だがその緩やかな流れの中に、現代人が普段経験することのできない、揺るぎない強い非日常の世界の表現力が潜んでいるのであり、ひたすら耳を澄まし、目を見開いていれば、そこに感じられる豊かな演劇的感興というものは、何物にも代えがたいのである。これは、録画では感じられない、その場に身を置いてみて初めて分かるようなものだと思う。その意味では、繰り返しだが、手元に台本があって本当によかった。いくらストーリーが分かっていても、言葉が分からなければ、感情移入にも関係して来る。能の場合はオペラと違って字幕を舞台に表示することは、伝統の継承の観点から、あってはならないことだろう。その代わりに、コンパクトな A4表裏の台本配布は、大いに意味のあることだと実感したものであった。

今回景清を演じたのは、武田孝史 (たかし)。1954年生まれの 64歳。日本能楽界の理事であり、東京藝大の邦楽科の教授でもある。その鬼気迫る景清の演技には圧倒された。
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因みに、ちょっと調べてみると、この藤原景清の伝承を持つ場所は、茨城から鹿児島まで、全国に沢山あるようである。この能はもちろんフィクションとはいえ、宮崎には景清と、娘の人丸の墓まであるという。広義での平家の落武者伝説であろうが、敗者に対する哀れみは、日本の文化の何か根本的なものから来ているのであろう。宮崎にある景清廟は史跡であるようだ。一度行ってみたい。
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初めて訪れたセルリアンタワー能楽堂で久しぶりに能を鑑賞することができ、何か心の中が浄化されたような気がしているのでありました。

by yokohama7474 | 2018-05-29 01:41 | 演劇 | Comments(0)

東京シティ・バレエ団創立 50周年記念公演「白鳥の湖」(指揮 : 大野和士 / 演出 : 石田種生 / 美術 : 藤田嗣治) 2018年 3月 3日 東京文化会館

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このブログでは過去に何度か、そのうちの一度はかなり最近であると記憶しているが、私の舞台芸術に関する指向を記してきている。一言で言うならば、前衛ダンスパフォーマンスは大好きな私は、どういうわけか、クラシックバレエはかなり苦手なのである。いやもちろん、私はクラシック音楽をそこそこ (?) 愛する人間であるので、およそあらゆるバレエ音楽に対する思い入れがあり、もちろんそこにはチャイコフスキーの 3大バレエは常に必須項目として含まれているのである。そんな私が今回出掛けたのは、歴史上最も有名なバレエ音楽であろう、そのチャイコフスキーの 3大バレエのひとつ、「白鳥の湖」だ。ちょっとここで考えてみよう。私がこのバレエの舞台上演を鑑賞したのは、多分これまでに 1度きり。それはモスクワでのことで、ボリショイ・バレエ団の公演だったが、会場はボリショイ劇場ではなく、実はクレムリンであった。それは今を去ること 10年以上前のことであるが、6,000人を収容する大ホール、国立クレムリン宮殿が会場であり、当時の現地駐在員が、どういう手段によったのかは分からないが、かぶりつきの席を取ってくれたのであった。それはもちろん、バレエ大国ロシアを実感した忘れがたい思い出なのであるが、だが、日本も非常にバレエが盛んな国である。今回は、バレエそのものの質に加え、音楽面で大きな期待がある。それは、あの大野和士と、彼が音楽監督を務める東京都交響楽団 (通称「都響」) が生演奏で舞台を伴奏するということである。そういうことなら、これはまさに必見の公演。世界のオペラハウスで活躍する大野であるが、バレエの生演奏は初めてのことらしい。私が鑑賞したのは、3回の公演のうち最初のもので、会場の東京文化会館はほぼ満員。バレエ公演はいつもこうなのであろうか、女性の割合が非常に高く、その中には、きっとバレエを習っているとおぼしい少女たちの姿も見える。
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この写真で大野とともに写っているのは、東京シティ・バレエ団の芸術監督、安達悦子である。もともと、森下洋子や清水哲太郎に師事したバレリーナであった安達は、1986年に東京シティ・バレエ団に入団。2009年からこのバレエ団の芸術監督を務めている。今回の上演は東京シティ・バレエ団の創立 50周年を記念するもので、その特別な機会ゆえの大野の登場であったのであろう。通常ならこのバレエ団の伴奏は、提携組織である東京シティ・フィルが務めるべきであるところ、大野の指揮となると、当然手兵である都響の登場となるわけである。実はそこにはある絆があって、大野と安達は、なんと小学校の同級生であるという。会場で販売していたプログラムによると、この上演において大野は、通常のバレエの伴奏よりも大きな編成で臨んだとのこと。今回私は、オケ・ピットが見えない席で鑑賞したので、お得意の (?) コントラバスの本数すら数えることができなかった。だが、大野と都響のコンビは、実に密度の濃い音でこのバレエの伴奏を果たしたのである。うーん、さすが大野と都響。その充実した音の鳴り方は、ある意味で極めてシンフォニックでありながら、舞台に立つダンサーたちの生理にぴったりと寄り添うものではなかったか。特に、第 2幕の大詰めや、第 4幕のクライマックスにおいてテンポを徐々に速め、人間的な感情を赤裸々に描き出した大野の指揮は、普段のオーケストラ演奏となんら変わらないものでありながら、やはりダンサーたちの動きに配慮したものであったのだろう。都響の充実した響きは、この傑作の真価を改めて明らかにしていたと思う。
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今回の公演、振付はこの東京シティ・バレエ団の創設者のひとりである故・石井種生 (1929 - 2012)。そして、同バレエ団のダンサーたちに加え、主役の 2人、つまりはオディット (兼オディール) とジークフリード王子は、外国からの招聘であった。前者はウクライナ出身のヤーナ・サレンコ。後者はモルドバ出身のディヌ・タマズラカル。いずれもあの名ダンサー、ウラディーミル・マラーホフの推薦であるという。うん、マラーホフなら私もその名を知っている。さすが彼のお墨付きだけあって、見事なパフォーマンスであった。
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そしてこの公演のもうひとつの話題と言えば、この人だ。
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そう、このブログでは再三に亘ってその名に言及してきた、あの藤田嗣治である。実はこの公演、藤田が手掛けた「白鳥の湖」の美術の再現であるのだ。藤田がその生涯に手掛けた舞台作品は 9つ。私はそのうちの「蝶々夫人」をかなり以前、ウィーン国立歌劇場で見ているが、この「白鳥の湖」の美術に関しては全く知識がない。実はこの美術には大変な謂れがあって、それは戦後すぐの 1946年、この「白鳥の湖」全 4幕の日本初演の際に使用されたものであるのだ。この上演は、当初 17公演の予定が、あまりの人気のため、22公演に延長されたという。場所は帝国劇場、オーケストラを指揮したのは、あの情熱の指揮者、山田和男 (のちに「一雄」) であった。未だ焼け跡から復旧していない東京において、このような芸術的イヴェントに人々は飢えていたということだと思うと、感慨深い。だが、藤田ファンなら誰もが知る事実は、彼は戦争画に手を染めた人。それにより、戦後はかなり苦しい日々を過ごし、1949年にはフランスに舞い戻って帰化してしまう。それゆえ、初演時の「白鳥の湖」の美術の資料は、非常に残念なことに、散逸してしまったのである。ところが、執念でそれを復元しようと努めた人がいて、その名は佐野勝也。1961年生まれの舞台演出家であるが、いかなる病気であったのか、2015年に 54歳の若さで急逝。なので今回の美術は、その佐野の強い遺志を継ぐものであったようだ。会場では、佐野の著した大部の書物、「フジタの白鳥」を販売していたので、購入した。
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この上演における藤田の美術は、だが、いわゆる藤田らしくないことは一目瞭然。とはいえそこには、パリでこのバレエを何度も体験した彼ならではの思惑があったようだ。すなわち、フランス 18世紀のロココ風になりがちな舞台設定は正しくなく、そもそもこの作品の背景であるドイツ的な雰囲気にすべきであると、彼は考えたのだ。以下は藤田のアイデアに基づいて帝国劇場背景部が制作したもので、今回の上演のもとになったもの。順に第 1幕、第 2、4幕、そして第 3幕である。このうち第 3幕は、戦後すぐの時代ゆえ、赤い塗料が不足し、倉庫に保管されていた別の作品の舞台装置を合体させたという。先人の苦労が偲ばれるエピソードである。
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バレエに疎い私ではあるが、今回学んだことがある。それは、明治・大正期の西洋文化の受容の中で、舞踊は国家による教育の範疇外になったということだ。それゆえ、海外のような国立バレエ団は結成されず、専門教育もなされない中で、民間団体によってバレエは発展して来たという。その結果、バレエは日本古来の家元制度によって運営されることとなり、細分化された個人の団体が競い合うという構図になったらしい。だが戦後はそれを是正する動きがあり、当時結成された東京バレエ團という団体によるこの「白鳥の湖」の日本初演は、非常に画期的な出来事であったのだ。これがその日本初演の際の写真。ダンサーは、貝谷八百子と島田廣。
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以上で明らかなように、今回藤田の美術を 72年ぶりに復活させたことには歴史的意義があるのである。東京シティ・バレエ団の創立 50周年にふさわしい公演であった。だが、もうひとつの因縁があって、それは、奇しくも今年は、藤田が没してからも 50年であるということだ。それを記念して、東京と京都で、藤田の大回顧展が開かれる。東京での会期は今年の 7月から 10月であるが、早くもこのようなチラシを手にすることができる。
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そう、私はこの展覧会を見に行くことを誓います!!
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by yokohama7474 | 2018-03-04 01:16 | 演劇 | Comments(0)

壽 新春大歌舞伎 二代目松本白鸚、十代目松本幸四郎、八代目市川染五郎襲名披露 2018年 1月 7日 歌舞伎座

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私は決して歌舞伎に詳しい方ではないが、人並みには興味があって、できれば毎月でも見に行きたいのであるが、いかんせん日常生活には時間の限りというものがあり、普段これだけ西洋音楽のコンサートに通い、見たい映画も劇場スケジュールとにらめっこして決めている身としては、どうしても能・歌舞伎・文楽という伝統芸能、それから現代演劇を見る機会は少なくなってしまう。だが歌舞伎の場合にはひとつのチャンスがある。正月早々に始まる新春歌舞伎である。東京では、今回私が見た歌舞伎座のものに加え、新橋演舞場や浅草公会堂でも 1月 2日または 3日から興行が始まり、ほぼ月末まで毎日、それぞれ午前の部と午後の部がある。これは大変な公演数だ。特に新年早々から成人の日にかけては、クラシックのコンサートはあまり開かれていないので、歌舞伎を見るよいチャンスである。しかも今回は歌舞伎界の一大イヴェントが開かれるから、なおさら興味をそそられるのだ。歌舞伎座に直結している地下鉄東銀座駅にも、そのイヴェントのポスターが貼ってある。
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歌舞伎座に辿り着いて、あたりの景色を見てみよう。
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そう、松本幸四郎が二代目松本白鸚を、その息子市川染五郎が十代目松本幸四郎を、そのまた息子松本金太郎が八代目市川染五郎を、それぞれ襲名する、そのお披露目公演なのである。歌舞伎界の長い伝統の中でも、三代揃っての襲名披露は 37年ぶりとのことで、その 37年前の襲名披露とは実は今回と全く同じで、やはり当時の松本幸四郎が松本白鸚を、市川染五郎が松本幸四郎を、松本金太郎が市川染五郎を襲名したものであったのだ。つまり、高麗屋の屋号を持つ彼ら三代が、世代をひとつずらして今回も同時襲名したことになる。私などは二代目白鸚を初めて知ったのは中学生の頃、大河ドラマで彼がルソン助左衛門を演じた「黄金の日日」(1978年) であったのだが、当時彼は未だ市川染五郎であった。その後彼は 1981年の襲名によって松本幸四郎となったのだが、私の感覚では、それはつい最近の出来事。それが 37年前とは実に驚きだ。いやー、時の経つのは早いものである (笑)。それから、思い返せば 2年前にも私は歌舞伎座で新春歌舞伎を見て、その際、この高麗屋三代の共演に接したのであった (2016年 1月 3日の記事ご参照)。それが今回揃って新名跡の襲名とは、実にめでたいことである。普段なかなか歌舞伎を見ることができない私にとっては、これは本当にワクワクするような機会になったのだ。私と家人が見に行った夜の部は 16時30分に開演し、3回の休憩を挟んで 4つの演目 (襲名披露の口上を含む) を見て、終演は 21時。やはり歌舞伎は大変に長いのである。そしてそこに登場した役者たちも大変豪華で、もう満腹である。

まず最初の演目は、「双蝶々曲輪日記 (ふたつちょうちょうくるわにっき)」から、「角力場」。1749年に大坂竹本座で初演された作品で、大坂を舞台とした上方の世話狂言であるらしいが、この場では、その題名通り、相撲取りが 2人登場する。現実社会では近頃何かとお騒がせの相撲界であるが、もちろんここでの演目設定は、最近の相撲界の不祥事が発生する前になされたものであろうから、深読みする必要はないだろう。江戸時代当時の最上級位である大関の濡髪長五郎と、素人相撲で名を上げた放駒長吉という力士たちが、それぞれの贔屓筋から、あるひとりの遊女の身請けを頼まれるのだが、格上の長五郎が長吉との取組でわざと負け、身請け話を有利に進めようとするため、長吉が憤慨するというストーリー。全編の上演ではなく、ひとつの場だけなので、この 2人の力士たちのやりとりに決着がつくことがなくて、しかも遊女の身請けをなぜに力士が引き受けるかがよく分からないので、あまり一般受けする内容ではないように思う。そしてこの演目には、今回襲名披露を行った高麗屋の三代の誰も出ていないのだが、プログラムに掲載されている各演目の過去の上演記録を見ていると、2014年 10月に、当時の幸四郎と染五郎親子がこの演目で共演していたことが判明。調べたら写真が見つかりましたよ。角力場ではないようだが、左が濡髪長五郎を演じる幸四郎 (現・白鸚)、右が放駒長吉を演じる染五郎 (現・幸四郎)。力強く王者の風格ある長五郎と、いかにも町人上がりで線の細い長吉との対照が面白いが、それはまた、この親子の役者としての適性もそれぞれに示しているようにも思う。
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上記の通り、町人が遊女を身請けするのに相撲取りを利用したということは、やはり力の強い者に頼ることによってライバルに差をつけようとしたということなのであろうか。江戸時代の (そして実は現代にも続く) 日本の社会には、このようなしがらみが沢山あったのであろう。そのしがらみを、役者の見栄というスタイルで形式美に高めた我々の祖先の感性は素晴らしいではないか。また、今回の配役はなかなかに華やかで、長五郎に中村芝翫 (まぁ、私などにとっては橋之助という名前に未だなじみがあるが)、長吉に片岡愛之助。遊女吾妻には中村七之助である。それぞれに大変持ち味がよく出ていたが、特に愛之助の演じた長吉は、実は長五郎の贔屓である町人の山崎屋与五郎と二役。長吉が花道の奥に消えたかと思うと、その後まもなく舞台上の相撲小屋の中から与五郎として出てくる場面の早変わりは見事であり、歌舞伎の面白さを改めて実感させてくれた。

休憩を挟んで行われた口上は 25分が予定されていて、一体何人が挨拶するのかと思いきや、主役 3人以外になんと 19人。
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高麗屋三代の向かって右に座って司会役を務めたのは、坂田藤十郎。既に 86歳の人間国宝で、文化勲章受章者である。順々に挨拶をして行った 19人には、白鸚の実弟、中村吉右衛門や、市川左團次、片岡孝太郎、中村梅玉、中村雁治郎と扇雀兄弟、中村勘九郎と七之助兄弟、それに最初の演目で共演した中村芝翫に片岡愛之助も。ベテランから若手まで揃った豪華な顔ぶれである。真面目な口上もあれば思わず笑ってしまうものもあり、大変楽しい雰囲気であったが、当人たちはほかの人たちの口上の間はピクリともせず、自らの番では緊張感溢れる面持ちで挨拶した。もちろん芸の道は厳しいもの。周りの人たちはともかくも、本人たちは当然、伝統を担う緊張感を持ってその場に臨んでいたことだろう。

さてこの後 30分間の休憩時間に、予約してあった「襲名御膳」なる弁当を 3階の食堂で食べた。お値段 3,500円と多少高価ではあったものの、開演前に予約コーナーを見つけて家人に「まぁ、せっかくの襲名披露だからね」と同意を求めると、家人の返事の前に係の人から、思いがけず「ありがとうございます」と返事を頂いたことで、後顧の憂いなく (?) 予約することにしたのであった。弁当の中身は、高麗屋三代それぞれの好物に、多少おせち風の内容を合わせてあり、なかなかに美味でしたよ。それから、ふと見ると、先日京都で見た岡本神草展でその名を知った日本画家、菊池契月の作品が壁にかかっていて、これもまた感激。
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さてその後はメインの「勧進帳」である。もちろん歌舞伎十八番のひとつの人気演目であり、私も今回が 3度目の実演体験になる。今回の話題はなんといっても、弁慶を新・幸四郎、義経を新・染五郎が演じ、富樫を幸四郎の叔父にあたる吉右衛門が演じることである。この弁慶は高麗屋の家系の当たり役とのことで、新・白鸚はこの役を今まで 1,100回以上演じてきたという。これは、「ラ・マンチャの男」の 1,200回とほぼ並ぶ数であり、いかに彼がこの役に入れ込んできたかが分かろうというもの。調べてみると新・幸四郎はこの役は初めてではなく、2014年11月に一度演じており、その際の富樫は父である新・白鸚、義経は叔父である吉右衛門であったようだ。そうしてみると、ひとりの歌舞伎の演じる役柄というものは、年や役者の持ち味によらず、あ、それから時には演じる役の性別によらず、様々に変わりうるということになる。これが今回の幸四郎の弁慶と、染五郎の義経の姿。
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実際に見てみると、吉右衛門の富樫は、あえて高い声で弁慶の唸り声との対照を出していて、その凛とした存在感には図抜けたものがあったと思う。幸四郎の弁慶ももちろん熱演であり、この芝居の醍醐味を充分に表現していたとは思うが、きっと年を取って行くともう少し緩急というか、情熱の表現にさらに幅が出てくるのではないかとも感じた。年とともに役者の芸が円熟して行くのが歌舞伎の面白いところであろう (私は実際にそんな経緯を実体験するほどの歌舞伎ファンではないものの、その点は容易に想像がつく)。その意味では若い (って、12歳だからとても若い) 染五郎に至っては、これから本格的な役者の道を辿って行くわけで、今後の楽しみはさらに大きい。今回彼が演じた若い義経は、イメージ的には役柄にぴったりで、その年にしては緊張感のある演技だったと思うが、もし老人が (そう、上記の通り、例えば今回富樫を演じた吉右衛門が) この役を演じたらきっと面白いだろうし、それがまた歌舞伎の醍醐味でもあるのかな、とも思った次第。また、義経のほかの 4人の家来には、ここでも芝翫、愛之助と、雁治郎、歌六が安定して演じていた。それにしてもここでの弁慶、本当に機転と勇気による危機一髪であり、何度見ても面白い芝居だ。私も仕事で危機に面したときは、いつもこの芝居の弁慶を思い出して、なんとか窮地を脱するべく努力しております (笑)。

最後には舞踊があって、演目は、中村扇雀と片岡孝太郎による「相生獅子」と、中村雀右衛門、中村雁治郎、中村又五郎による「三人形」。前者は二人の姫が扇を手に踊っているうちに獅子の精が乗り移るというもの。後者は、傾城、若衆、奴の 3つのが人形に魂が宿り、吉原の情緒を踊り (と、セリフもあった) で表現するというもの。いずれも奇抜な設定の踊りであり、江戸時代の日本人の想像力の豊かさに驚いたものであった。

4時間半の長丁場であったが、やはり歌舞伎のワクワク感は何物にも代えがたい。高麗屋三世代のさらなる活躍を祈りながら、また面白い芝居を見てみたいものだと切望しているのである。

by yokohama7474 | 2018-01-10 00:48 | 演劇 | Comments(2)

ミュージカル「ウエスト・サイド・ストーリー」 2017年 7月18日 東急シアターオーブ

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別項で井上道義指揮の大阪フィルの演奏による「ミサ」の上演をご紹介し、その中で、指揮者・作曲家として知らぬ者とてないレナード・バーンスタインの生誕 100年が来年であることに触れた。さすがにバーンスタインクラスになると、様々な記念行事が世界中で開かれるようであるが、この公演もその一環。上のチラシにある通り、「生誕 100年記念ワールドツアー」の日本公演なのである。小編成のオーケストラのメンバーの過半に日本人の名前が並ぶことを除けば、キャスト・スタッフには日本人はゼロ。メンバーの選抜について説明した文章を見つけることができないが、マネージメントはサンダンス・プロダクションズというブロードウェイ・ミュージカルを手掛ける事務所であるので、恐らくはブロードウェイでオーディションを行ったものであろう。つまり、ブロードウェイの引っ越し公演ということになる。このミュージカルのブロードウェイ初演は 1957年で、今年はそれからちょうど 60年ということにもなる。

会場は、東京でも珍しいミュージカル専門劇場、東急シアターオーブ。一応 (?) 東急沿線在住者である私は、この劇場のオープン時からいろいろと宣伝を目にして来ていて、一度行ってみたいなぁと思っていたところへ、この演目である。家人を誘って出かけることとした。聞けば、この劇場のこけら落としはやはりこの「ウエスト・サイド・ストーリー」であったらしく、早くもオープン 5周年になるとのこと。東急は現在、渋谷地区の大規模な再開発を行っていて、シネコン 109 シネマズで映画を見ると、必ず予告編の前に二子玉川あたりの、東急沿線でもオシャレな界隈に住むという設定の若い夫婦と幼い娘さんの幸せそうな様子 (「この緑の植物いいねぇー」「あぁ、いいねぇー」などとやっている) の宣伝が上映されるが、あれも東急なのである。どうでもよいが、その宣伝の中で、夕食が何がよいかを訊かれた女の子の返事が「マルゲリータ」(ピザ) ではなく「マルガリータ」(カクテル) だったら、ちょっとは毒が出て面白くなるのになぁと、ろくでもないことをいつも考える私である (笑)。ま、ともあれ、渋谷駅から直結のビル、渋谷ヒカリエの中に東急シアターオーブは位置している。
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私は、新しいものを追いかける習性は特にないのだが、一度このビルには行ってみたいと思っていたので、今回はその意味でも興味津々。まぁ既にできてから 5年も経っているので、もはやことさら新しい場所と強調する意味もあるまい (笑)。11階にある劇場入り口からさらに昇って行くと、ハチ公前交差点の混雑や山手線のホームを含めて、渋谷一帯を見下ろせる、なかなかのロケーションだ。まだビルが建設途中であった頃に NHK の「ブラタモリ」でこの場所を紹介していたことを思い出した。新宿の高層ビル街もこのようにズラリと並んで見え、壮観。夜景はまた格別だ。
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今回の上演は 7/12 (水) から 7/30 (日) までの間に 23公演。かなりの強行軍だ。私が出向いたのは 7/18 (火) で、平日とはいえ、会場は老若男女で賑わっている。なかなかに大人の雰囲気の劇場で、こういうところに人々が集ってくるとは、東京にも大人の文化が根付いているのだなと、東急の文化への貢献に敬意を表したい気持ちになった。ただ、あえて難点を指摘すると、敷地面積の制約によるものか、ホワイエが狭いこと。また、1階から 2階、3階までの行き来も楽ではないし、何より、バーカウンターが 2階席のホワイエにしかない点は、絶対に改善した方がよい。これでは休憩時間にゆっくりと飲み物を楽しむこともできない。

さて、あまり東急のこととか劇場のことで無駄口ばかり叩いていないで、本題に入ろう。私の「ウエスト・サイド・ストーリー」体験は、最初はもちろんロバート・ワイズと、もともとの舞台の振付をしたジェローム・ロビンズの監督による映画 (1961年) であった。もちろん劇場公開時には未だ生まれていないので、自宅でのヴィデオ鑑賞という形態での体験であった。それから、録音ではもちろん作曲者バーンスタインがホセ・カレーラスとキリ・テ・カナワを主役コンビに据えたものと、その滅法面白いメイキング物 (英語の発音が悪くてバーンスタインに怒られ、頭を抱えて悩むカレーラスがかわいそうだが)。舞台では、2003年にオーチャードホールで見たミラノ・スカラ座版だけだ。この時には主役級はすべてオペラ歌手であったようだが、今回の上演と共通するのは、振付のジョーイ・マクリーニーと指揮のドナルド・チャンである。つまり、今回の上演はミラノ・スカラ座版と共通点があるということだろう。まあこの曲の場合、こんなイメージが定着していますからね。新機軸を狙うのはリスクが高すぎるという事情もあるに違いない。
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さすがブロードウェイ水準の上演だけあって、歌も踊りも、なかなかに楽しめるものであり、全体を鑑賞した印象は大変満足である。だが、実のところ、主役の 2人にはもう少し伸び伸びした歌唱があってもよいかもと思ったのも事実。例えば「トゥナイト」に聴かれる熱情の表現には、もっと曲の途中で盛り上がる要素が欲しいし、「アイ・フィール・プリティ」のフレーズの最後の歌詞 "By a Pretty Wonderful Boy" の部分は、もっときれいな高音で聴きたい。これはなにもオペラ的に歌って欲しいというわけではなく、ミュージカル流儀においても、さらにクリアな表現が可能なはずということを言っているつもり。これはもしかすると、マイクの問題もあったのだろうか。ちょっと歌が近すぎて、響きすぎるために音像がぼやけていたようにも思う。その一方で、圧巻だったのはプエルトリコ移民の女性たちによる「アメリカ」ではなかったか。これは楽しい。もちろん、このミュージカルの特色である、夢の世界ではない 1950年代の現実を感じる場面のひとつがこの「アメリカ」であるのだが、現実がつらいがゆえにそれをしゃれのめすという感覚に、人間の逞しさがある。そんなことを思わせるシーンだった。
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それにしてもこの曲、ミュージカルにしては音楽が難しすぎないか。その後ブロードウェイに現れたほかのメジャーなミュージカル、「ライオン・キング」でも「ミス・サイゴン」でも「オペラ座の怪人」でも「レ・ミゼラブル」でも、あるいは「シカゴ」でも「42nd ストリート」でもよい。いずれも、もっともっと平易な音楽ではないか。稀代の教養人でもあったバーンスタインとしては、自分が世に問うミュージカルとはこのようなものであるというこだわりがあったのであろう。それが今日、遠く離れた日本でもこれだけの聴衆を獲得していることは、考えてみれば素晴らしいこと。作曲者自身が編曲したこのミュージカルの抜粋で、オーケストラコンサート用に作られたシンフォニック・ダンスという組曲があるのだが、実はそこには、このミュージカルで最も有名なナンバー 2曲、つまり「マリア」と「トゥナイト」が入っていない。今回改めて全曲を聴いてみると、バーンスタインがその組曲で伝えたかったのは、夢見る主役たちの甘い思い (最後には悲劇に終わるにせよ) ではなく、貧困の中で逞しく生きる若者たちの姿であったということかと思い至った。ジムでのダンスシーンでのトランペットや、マンボでの掛け声こそ、作曲者が高々と響かせたかった音楽なのであろう。

東京では、来年のバーンスタイン生誕 100年を記念して、この「ウエスト・サイド・ストーリー」の全曲演奏が 2種類行われる。ひとつはなんと、あのパーヴォ・ヤルヴィ指揮 NHK 交響楽団による演奏会形式での上演。もうひとつはバーンスタイン晩年の愛弟子である佐渡裕指揮による、映画全編に生で伴奏音楽をつけるという企画。いずれも絶対に聴きに行くぞ!! と決意を固める私であった。考えてみれば、クラシックの音楽家が全曲を採り上げるミュージカルは、歴史上これと、やはりバーンスタインの手になる「キャンディード」くらいだろう。私は「キャンディード」も心から愛しており、ミュージカルに刺激されて、ヴォルテールによる原作まで読むに至ったので、来年上演がないことはいささか寂しいが、またいずれ舞台にかかることはあるだろう。ところで、クラシックの音楽家が「ウエスト・サイド・ストーリー」を演奏することが一般的になる過程では、上述の作曲者自身による録音の存在が欠かせない。こんなジャケットであった。懐かしいなぁ。
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そんな思いで、2003年の来日公演で見たこの作品のミラノ・スカラ座版のプログラムを引っ張り出してパラパラ見ていたら、大変な発見があった。上述の通り、このときの主要キャストは皆オペラ歌手で、それぞれに世界的なキャリアが紹介されているが、なんと主役のトニーの 3人のキャストのうちのひとりは、今や世界最高のテノールのひとり、ヴィットリオ・グリゴーロではないか!! 私も昨年 7月16日の記事で、ロンドンで見たマスネの「ウェルテル」の上演について書いたことがある。そう思って手元にある「ウエスト・サイド・ストーリー」全曲 CD の幾つかをひっくり返してみると、おっと、あったあった。トニーを歌っている。2007年の録音だ。
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このように、ミュージカルとオペラの中間、あるいはアマルガムとして特異な価値を持つこの作品、これからも多くの優れた演奏に恵まれて行くことだろう。一方で会場の東急シアターオーブも、これから改善できることは改善してもらい、ミュージカル専門劇場としての重要度を一層増して行ってもらいたい。そう言えば私が見た日の公演は、ちょうどオープンから 5年目のその日ということであったらしく、終演後にステージに並んだ歌手と指揮者が、客席にも参加を求めながら、「ハッピー・バースデイ」を歌うこととなり、大いに盛り上がったのである。今後 10年、20年、いや 50年と、7月18日にはこの歌がこの劇場で流れますように。

by yokohama7474 | 2017-07-19 23:26 | 演劇 | Comments(0)

勅使川原三郎 佐東利穂子 トリスタンとイゾルデ 2017年 4月30日 シアターχ

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このブログにしては珍しく、2回続けて演劇の記事となった。だがしかし、前回のリヒャルト・シュトラウスと同様、今回も音楽に関係する内容の舞台なのである。このブログで何度か採り上げてきた私の敬愛するダンサー、勅使川原三郎の公演。題材として採り上げられるのは、あのワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」だ。

今回の会場は、勅使川原が本拠地とする荻窪のカラス・アパラタスではなく、両国にあるシアターχ (これは「エックス」でなくギリシャ文字で、「カイ」と発音する) である。ここは有名な寺である回向院に隣接し、かつて初代の国技館のあった場所に立っているビルの 1階にある。最大客席数 300だが、席の配置によって 100席程度にもなるらしい。勅使川原のダンスのように、大劇場ではなく小劇場で接する方がよりよく楽しめるパフォーマンスには最適のサイズであろう。私は随分以前にこの劇場には何度か来ていて、それは、学生時代の素人演劇の仲間が、ここで何度か芝居を打ったことがあるからだ。そのような素人劇団が使うのと同じ劇場を、日本が世界に誇る前衛ダンサーが使うとは、なんとも面白いこと。最近演劇の世界が遠くなってしまっている私にとって、若き日の自分と暗闇の中で出会うのではないかと思われる (?) このような場所に久しぶりに出かけることができて大変嬉しかったし、東京の文化の諸相を考えるには貴重な機会となった。

さて、実は今回の「トリスタンとイゾルデ」は、昨年 5月にカラス・アパラタスで初演されたものの再演。今回は 5回のパフォーマンスが行われたが、私が見たのはその最終回。演じる方も、かなりこなれた段階に至っていたことであろう。狭い劇場ではあるものの、老若男女によってほぼ満席の入りであった。勅使川原は今回も佐東利穂子とデュオでのダンスとなったが、今回の題材である「トリスタンとイゾルデ」はまさに男と女の物語。当然のように勅使川原が演じるのがトリスタン、佐東が演じるのがイゾルデという解釈が自然だと思うが、実際のところ、そのようなことはあまり重要ではなく、響いてくる音楽と、二人の人間が作り出す動きとのコンビネーションをトータルに受け止めるべきではないだろうか。尚ここでの勅使川原の役割は、「構成・振付・照明・美術・衣装・選曲」となっている。要するにすべて彼がひとりで手掛けているのである。
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ここで、上演に向けた勅使川原の言葉を引用する。

QUOTE
リヒャルト・ワーグナー作曲のオペラ上演は、本来 4時間におよぶ壮大な音楽劇ですが、私たちはダンスとして 1時間にまとめました。巨大な演奏も驚異的な歌唱も常に密やかで繊細です。闇に消え入るようなはかない人間の内側に深く沈んでいる感情が横たわる夜の幕を一枚一枚はがすように描きます。冷たすぎる夜、熱すぎる感情、音楽の背後の深い沈黙、引き裂かれる闇、原作にある不可能な愛、死、人間への郷愁という秘密の刻印を、私は全身に焼き付けられた感覚を否定できません。(中略) 目の前にある「時刻」に我の全てを投げ出す覚悟、それは私たちの「ダンスの時」であり「トリスタンとイゾルデ」が、与えてくれる貴重な「生」であります。「死」が透けて見えるような、真水のような「時」といってよいかもしれません。
UNQUOTE

なるほど、ここで勅使川原はオペラのストーリーを追うことに主眼を置くのではなく、飽くまでもそこに表れた、死への憧れといった人間の不可解な感情と、そこに秘められた闇の世界の強い力をこそ、ダンスという抽象的手法で表現しようとしたのであろう。だから、もしこのオペラの全曲を聴いたことのない人であっても、そのモノトーンの舞台で進行する一連の動きを見ることで、何やら胸がざわついたのではないだろうか。その意味ではこの上演は、「トリスタン」を知らない人をこそ、その夢幻的な魅力へ誘うものと言ってもよいかもしれない。とは言え、原作の流れは尊重されているように見える箇所もあり、特に、2幕の最後で傷つき倒れるトリスタンはそのまま表現されていたし、第 3幕で勅使川原は、着ていたジャケットを畳んで舞台に置いて退場し、入れ替わりに入ってきた佐東はそのジャケットにしがみついて最後は横たわって静かになるという作りになっていて、これも原作のひとつの解釈だと思う。だがこれをもって頽廃的ということはやめよう。まさにそこには、透けて見える死の誘惑の末に見えてくる、生の貴重さが表現されていたように思われる。

音楽は、勅使川原の言う通り、全曲から 1時間程度を抽出したもので、まずは 1幕から前奏曲全曲が流れ、その最後の 2つのピツィカートに重なって、二人が媚薬を飲んだあとの場面に続く。2幕からは、二重唱の最後の方からマルケ王が入ってくるまで、そして幕切れでトリスタンが倒れるシーン。3幕からは、あの荒涼とした前奏曲と牧童の笛、トリスタンの独唱部分が少しと、最後にイソルデによる愛の死。なんだ、こう書いてみると、オペラのストーリーを順番に追ったダイジェスト版にはなっているわけである (笑)。特筆すべきは使用されていた音源で、現代音楽に続く鋭敏な感性とか、線の細い神経質な展開というものではなく、むしろ汚いくらいの音を含んで力強く流れる太い奔流であったのだ。この音源の強い説得力が、ダンサーたちの踊りを大いに助けていたものと思う。前奏曲が鳴り出したときから、それほどひどい音質ではないものの、モノーラル録音であることは明らかで、時折出てくる歌手の歌唱も時代めいていることから、フルトヴェングラーがロンドンで録音した全曲盤を音源として使用しているのではないか、と勝手に解釈した。但し、マルケ王の入ってくる場面ではドタドタという音も聴こえたように思ったので、ライヴ盤かもしれない。もしそうなら、確かフルトヴェングラーの全曲ライヴは残っていないはずなので、クナッパーツブッシュだろうか。まさか 1952年 (まさにフルトヴェングラーがロンドンでスタジオ録音した年) のカラヤンによるバイロイト・ライヴということはなさそうに思うのだが・・・。ともあれ、素晴らしい演奏でした。
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改めて思うことには、ダンスが表現できるものには様々なものがあれど、このような音楽史上に残る名曲とがっぷり四つに組むことで、見る者がその曲の本質をよりよく知ることや、さらには、これまで気づかなかった曲の特徴にも気づくことがあるということだ。だがそのことは、ダンスが音楽を聴くためのヒントになるということではなく、飽くまでダンスとしての表現に、豊かな文化的文脈があるということなのであろう。その意味では、さらに抽象的な世界で先入観なく楽しめるオリジナル・ダンス作品も見てみたい。・・・そして、私は知っている。勅使川原と佐東は、この「トリスタン」公演のあと、休む間もなく次の公演に入ることを。それは「硝子の月」という新作で、GW 後半、5/5 (金) からの上演である。これがその公演のポスター。もしこのブログをご覧の方で、未だ勅使川原のダンスを見たことのない人がおられれば、これをご覧になることをお薦めします。
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さて、生と死を巡る物語によるダンス公演終了後、隣の回向院を散策した。江戸時代から、様々な生と死を見てきた寺院である。あの芥川龍之介もこのあたりで生まれ、この寺の境内で遊んでいたはずだ。
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ここには鼠小僧次郎吉の墓があるのが有名だが、実はこんなものも。
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先般の四天王寺についての記事で、天王寺界隈にある初代竹本義太夫 (1651 - 1714) の生誕地の石碑をご紹介したが、その後数日を経て、今度はその墓に遭遇するとは、奇遇である。これは何か芸事でも習えという神の啓示か? そういうことなら、今度ウクレレの練習でも始めようかしらんと思ったのだが、あとで調べてみると、上方の人、竹本義太夫の本物の墓はやはり大阪の天王寺界隈にあるそうで、これは大正時代に入って東京のファンが建てた記念碑のようなものであるらしい。それから、西日を受けて神々しく輝く、このような犬猫の供養塔もある。「トリスタン」鑑賞によって昂った思いの中、これを見て「死が透けてみえるような真水の時」に思いを馳せると、生きとし生けるものたちへの限りない哀惜の念を感じるのである。
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ふと見るとその近くに、そのような私の溢れる思いを知る由もなく、呑気に寝ている猫一匹。うーむ。とても「死が透けて見えるような真水の時」などということを考えているようには見えないが (笑)、実際コイツも、与えられた真水の時を享受しているわけであり、その平和な風景に、私の心は和んだのである。
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by yokohama7474 | 2017-05-03 01:22 | 演劇 | Comments(0)

1940 リヒャルト・シュトラウスの家 (演出 : 宮城聰) 2017年 4月29日 静岡音楽館AOIホール

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これはコンサートホールで行われた催しであり、一流のプロの音楽家の演奏を含むことから、内容的にはコンサートに分類してもよいくらいなのだが、熟考の末、やはり演劇として紹介することとした。そもそも私がこの催しを知ったのは、ある東京の演奏会で配られたチラシであった。1940年のリヒャルト・シュトラウスというと、ちょうど皇紀2600年の頃。今日一般に演奏されることはまずないが、当時ドイツ最高の作曲家であった R・シュトラウスがこのときに奉祝音楽を書いたことは、音楽ファンにはよく知られている。私は、戦時中のドイツの音楽家と政治の関係には大いに興味を抱いていて、生涯をかけて勉強して行きたい分野のひとつなので、この芝居が扱っているのがそのテーマであると知ったとき、大いに好奇心が刺激された。だが、これは静岡市でのイヴェントだ。ちょっと遠いのは事実。だが、カレンダーを確かめてみて、この GW 初日には東京でコンサートが入っていないことが分かったので、あまりこの分野に知識がないと思われる (笑) 家人を誘って、出かけることとした。もちろん前後に静岡観光も行い、それはまた別途記事でご紹介する通り、なんとも素晴らしい小旅行になったのだが、まずはこのコンサート風演劇について書いてみたい。

私がこの公演に出かける決心をしたのは、ただその主題だけによるものではない。それは、演出家がこの人であったからだ。SPAC (Shizuoka Performing Arts Center = 静岡県舞台芸術センター) の芸術総監督である演出家、宮城聰。
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1959年生まれの宮城さんは、私より 6歳年上だが、私は随分以前から一方的に存じ上げている (ゆえに、「さん」づけなのである) だけでなく、一度だけだが、二人で話し込んだこともある。それは今を去ること 31年前、1986年のオイゲン・ヨッフム指揮のアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団 (未だ「王立」を冠していなかった頃) の演奏会のあと。衝撃のブルックナー 7番の超名演の興奮を醒まそうとして入った喫茶店でのことであった。当時から彼はアマチュア劇団の主催者として異彩を放っていて、舞台での彼を何度も見ていた私は、今となっては恥ずかしい限りだが、当時は素人演劇などに少し関与していたものだから、やはり同じコンサート帰りにひとりで静かにお茶を飲んでいる宮城さんを見つけ、話しかけてしまったのであった。私の厚かましい行いに嫌な顔ひとつせず、芸術的な話題につきあって頂いた。高校・大学の先輩である野田秀樹がいなければ自分は芝居をやっていなかったであろうと話していたのが印象的であったし、ムラヴィンスキーのファンで、当時入手が難しかった (が、私はアナログレコードを持っていた) 彼のベートーヴェン 7番の録音が超名演だという話で盛り上がったことをよく覚えている。その後も何度かは彼の芝居を見に行ったものだが、最近はすっかりご無沙汰だ。2012年にシャルパンティエ作曲になるモリエールの「病は気から」の演出を見に行って以来のこととなる。

さて、会場の静岡音楽館 AOI (もちろん徳川家の葵のご紋からの命名であろう) は、静岡駅前にあって、交通至便である。このような近代的なビルの 8階にあり、618席の中型ホールである。東京で言うと紀尾井ホールに少し近い、いわゆるシューボックス型の長方形のホールだが、ユニークなのは、1階席の奥行が狭く、2階が始まるあたりの位置で 1階は終わってしまうような構造なのである。音響は素晴らしい。
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今回の演劇では、日本政府が皇紀2600年奉祝曲を欧米の作曲家に依頼することを決定するところから始まる。ドイツ以外にも、米国、英国、フランス、イタリア、ハンガリーの作曲家に委嘱をすることで、日本の威信を世界に見せつけようという試みで、その中でも音楽の国ドイツでは、最高の作曲家であるシュトラウスに作曲してもらうことが重要。ドイツでの経験を買われてその使命を負った若いビジネスマン (この芝居の登場人物中、唯一の架空の人物) が、アルプスに近いガルミッシュのシュトラウス邸に赴き、直接交渉をする。その後無事に作曲がなされて、初演されたあとの情景までが描かれているが、その間に、シュトラウスのトラウマ (父や、悪妻と言われたパウリーネ、そして息子) が現れたり、日本政府の思惑が暴かれたりする。そして時折、ソプラノの佐々木典子、バスの妻屋秀和という日本を代表するオペラ歌手たちが歌ったり、ピアノの中川俊郎、クラリネットの花岡詠二という達者な演奏家の演奏もなされる。演奏されるのは、1940年の雰囲気を表す、李香蘭が映画の中で歌った「蘇州夜曲」、シュトラウスの「無口な女」から「音楽とはなんと美しいものか」、シェーンベルクの 6つのピアノ小品作品 19、ワーグナーの「タンホイザー」から「夕星の歌」、ヴェルディの「椿姫」から「さようなら、過ぎ去った日々よ」、そして米国のポピュラー・ソング「私の青空」、最後にシュトラウス晩年の傑作「4つの最後の歌」と、実に盛り沢山。いずれも優れた演奏であったが、既にヴェテランでありながら深い声を響かせた佐々木典子と、最近大活躍の妻屋秀和のよく通る声には脱帽である。実はこの公演には音楽監督がいて、それは私が敬愛する作曲家でありピアニストである野平一郎。彼は SPAC の芸術監督なのである。
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まず私はここで、この公演の音楽の部を高く評価した。では一方の、演劇の部はいかがであろうか。ここでは 6人の役者たち (いずれも劇団 SPAC 所属) が様々な役柄を演じたが、ひとつの難点は、コンサート用のホールであるゆえに、残響が邪魔をして俳優の喋る声を聞き取りにくくしていたこと。そして、舞台上にはシュトラウスらが座るデスクをイメージした簡易なセットがあるだけで、ほかには酒の瓶等の小道具が出てくるくらいと、非常に簡素。照明も通常の演劇に比べれば効果が限られていて、きっと俳優たちとしてもちょっと演じにくかったのではないだろうか。脚本は、自ら演出も手掛ける SPAC 文芸部スタッフである大岡淳。正直なところこの脚本は、史実に基づい実在の登場人物たちに喋らせる箇所と、空想の力でドラマを作る箇所との切り替えの苦労が窺えるような気がした。正直な感想を言ってしまえば、なぜ今、1940年の日本政府の思惑とか、戦争に翻弄されたシュトラウスの創作活動というものを題材とした演劇を見る必要があるのか、まさにその点において疑問を拭うことはできなかった。つまり、この時代の音楽の在り方について興味のある人にとっては、(最後に少しサスペンス調もあるとはいえ) この演劇のテーマは既知のものだし、もしその点に興味のない人なら、これを見たから目から鱗で新たな世界が広がる、とはならないという難点がある (家人もそう言っていた 笑)。客席は満席であったが、実際のところ、一体どのくらいの人たちがこの演劇に満足したものだろうか。

とは言いながらも、地方都市においてこのような意欲的な催しがなされていることの意義は大変大きいと思う。また追って記事を書くが、今回初めて静岡の街を見る機会を得て、さすが東照権現のお膝元、なかなかに文化的なインテリジェンスある雰囲気の街だなと実感したこともあり、その観点に立ってみれば、今回の公演はそのような都市にふさわしく、関係者の皆さんの苦労には拍手を送りたい。あ、それから、宮城さんの演出だが、このような簡素な演劇であるからあまり演出の余地もないように思うが、それでも、俳優のセリフの抑揚に、昔見た彼の芝居を思い出させる何か懐かしいものを感じる瞬間もあったし、音楽の使い方も、例えばシェーンベルクを選曲するなど、さすがのセンスだなと思ったものである。

さて、シュトラウスの戦争との関わりへの私自身の思いを書きだすときりがないのでやめておくが、一言で言えば、この作曲家は政治には徹頭徹尾興味のない人であった。なにせ、戦争末期に、オペラにおいてセリフが先か音楽が先かという優雅なテーマのオペラ「カプリッチョ」を書いていた人である。だが一方で彼はしたたかな人物でもあり、この演劇での人間像においてもそれが表現されていて、例えば、日本政府からの委嘱を受ける理由は、義理の娘がユダヤ家の家系であることから、日本政府による保護を条件にするのである。また、奉祝曲を書くにあたって、特に日本の音楽を勉強することはせず、ただ当時ドイツで公開された日本映画を見てイメージを膨らませたという設定になっている。確かに当時ドイツで公開された日本映画があり、それは 1937年の「新しき土」という作品。私はこの映画のことを、数年前に読んだ原節子についての本で知った。当時彼女はまだ 16歳。この映画のキャンペーンでベルリンにまで出向き、その後米国に渡って世界一周をしている。この映画、私は見たことがないが、今では簡単に DVD が手に入るようだ。果たしてどんな映画なのであろうか。日本側の監督は伊丹万作である。
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それから、皇紀 2600年の奉祝曲と言えば、当時の貴重な録音を集めた CD が出ている。私の手元には、発売時の 2011年からこの CD があるが、すみません、未だ聴いていません・・・。聴いていない人間が言うのも説得力がないが (笑)、当時の貴重な音源の数々が入っている上に、現代日本の碩学、片山杜秀の詳細な解説がついているので、お薦めです。因みにアマゾンでは、あと在庫 1点になっています。
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最後にもうひとつ。皇紀 2600年といえば、最も有名な曲は、英国のベンジャミン・ブリテンによるシンフォニア・ダ・レクイエム (鎮魂交響曲) である。この曲は作曲されたものの、おめでたい機会に鎮魂とは何事かという日本側の拒否によってお蔵入りされ、世界初演は 1941年にジョン・バルビローリ指揮のニューヨーク・フィルで、日本初演は 1956年に作曲者自身指揮する NHK 交響楽団によって行われた。実は経緯はもう少し複雑であるようだが、確かにこのような機会に委嘱される音楽として鎮魂をテーマに作曲するという発想は、なかなかにユニークである。今日では 20世紀の名曲のひとつとして知られるこの曲、想像力で補いながら聴いてみるのもよいかもしれない。そんなわけで、この曲は上記 CD には収められていないので、念のため。

静岡音楽館 AOI、また機会あれば是非行ってみたい。駅前の家康像と、巨大な葵のご紋との再会を心待ちにしている。あ、AOI とはもちろん葵のことだが、もしかして、知的な街静岡ということで、"Art of Intelligence" のことなのかもしれない、と想像力を逞しくしております。なにせ今回の芝居は、インテリジェンス、つまりスパイ活動とも関係があるし・・・。
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by yokohama7474 | 2017-05-01 01:08 | 演劇 | Comments(0)

塩津能の會 (能「樒天狗」ほか) 2017年 2月11日 喜多六平太記念能楽堂

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最近どうも、久しぶりに能を見たくて仕方がないという気持ちが強くなっていた。私は別に能に詳しいわけでもなんでもなく、以前は主として薪能などの機会に、その神秘的な世界を見たくて時々見に行っていたくらいであるが、だがまさにその神秘性には深く心を動かされるのである。もともと私は通常の演劇にも興味自体はあるのだが、クラシックのコンサートやオペラにかなり時間を取られている関係上、どうしてもそちらはおろそかになってしまう。一方で、歌舞伎や文楽という伝統芸能は、このブログでも採り上げている通り、それなりの頻度では鑑賞の機会を得ている。だが能については、以前見たのがいつであるかすらも思い出せないありさま。毎度テンポの遅さには忍耐を必要とするものの、日本人独特の美意識に則って演出される生者と死者の邂逅に、妙なる幽玄の美を見ることができる芸能は、能をおいてほかにない。そんなわけで、思い立って調べてみると、なんと便利な時代になったことであろう。全国の能上演のスケジュールを調べることができるサイトがあって、それを見ると、東京だけでも実に大変な数の上演がなされている。まず国立能楽堂の公演を調べてみたら、既にチケットは完売。そして目に付いたのがこの公演だ。目黒にある喜多能楽堂での公演。喜多とはもちろん能の一派。観世、宝生、金春、金剛の四座のうち、金剛から江戸時代に分かれた流派である。私の知識はその程度で、それぞれの流派の違いなど理解していないのだが、喜多流については明確にひとりの名前を思い浮かべることができる。14世 喜多六平太 (きた ろっぺいた 1874 - 1971)。人間国宝であり文化勲章受章者でもあった、偉大なる能楽師。
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今回私が能を鑑賞したのは、この第 14世喜多六平太の名を冠した能楽堂である。目黒駅から徒歩 7分の距離にあり、ドレメ通りという面白い通りを通って行く。これについてはまた後ほど記すが、能楽堂の入り口はこのようなシンプルな作り。
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そして今回の演目は以下の通り。
 舞囃子「白楽天」 : 大槻 裕一 (おおつき ゆういち)
 舞囃子「天鼓」 : 塩津 圭介 (しおつ けいすけ)
 能「樒天狗 (しきみてんぐ) : 大槻 文藏 (おおつき ぶんぞう) / 塩津 哲生 (しおつ あきお)

「大槻」姓が二名に、「塩津」姓が二名。私も調べて知ったのであるが、大槻文藏は 74歳。大阪出身の観世流の能楽師で、紫綬褒章受章者。大槻裕一もやはり大阪、観世流の弱冠 19歳。文藏の芸養子である。一方の塩津哲生は喜多流の能楽師で 72歳。彼もまた紫綬褒章受章者である。塩津 圭介は彼の長男。つまりこれは、観世と喜多という異なる流派が合同で開催する催しなのである。なんといってもメインは後半の、75分を要する「樒天狗」である。これは 1464年に足利義政の後援を受けて (古い!!) 京都で開かれた勧進能の演目のひとつであったが、それ以降、歴史上の記録にある上演はあと一度だけで、1994年に復活上演されるまで長らく忘れられていたらしい。昨年大阪で観世流・喜多流の合同で上演され、今回はその時の上演から二人のシテが役柄を入れ替えての東京公演となる。

一言でまとめてしまうと、この「樒天狗」、大変面白かった!! 能らしく亡霊や物の怪が登場するので、そもそも私好みの内容なのであるが (笑)、それにしても救いのないストーリーなのである。つまり、以下のようなもの。京都の愛宕山を通りかかった山伏が、折からの雪がやむのを待っていると、高貴な姿の女性が一人で樒 (しきみ、折るとよい香りがするので仏花として使われる) の花を摘んでいるのを見る。ところが夜になってもそれを続けているので、山伏もさすがにこの世の人ではないと気づき、素性を尋ねたところ、六条御息所 (ろくじょうみやすどころ) とも呼ばれた白河天皇の娘であるという。彼女は自らの美貌に慢心したため、その報いで魔道に堕ちたと語る。入れ替わりに現れた木の葉天狗が彼女の過去について語ることには、太郎坊という愛宕山に住む天狗が彼女の命をわずか 21歳で奪い、魔道に引き込んだとのこと。この太郎坊、もともとは空海の弟子の高僧であったが、破戒して天狗に化してしまったという悪い奴。そして小天狗二人を引き連れた大天狗 (これが太郎坊) が登場、六条御息所に熱湯熱鉄を飲ませるという拷問を行い、彼女は黒焦げとなるが一旦もとの姿に戻り、そして今度は鉄の鞭で叩かれて木っ端みじんになるというもの。なんともおどろおどろしくまたシュールな展開だ。これは、2013年に大阪で行われた公演の様子で、太郎坊に責めさいなまれる六条御息所。今回も同じ演出であるが、役者が異なっており、この時太郎坊天狗を演じた大槻文藏が今回は六条御息所を演じている。
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自らの美貌を慢心しただけでこんなひどい目に遭うのは誠に理不尽で、それが滅多に上演されない理由のひとつであることは確かであろう。だがこのような演目を生み出した室町時代の創作者 (世阿弥の継嗣、音阿弥が作者とも言われるが不詳) は、人間の業の深さを描くことを主眼としていて、それが日本人の感性の深いところに響いてくることは確かであろう。今回六条御息所を演じた塩津哲生はこの公演の主催者であるが、笠をかぶって舞台に現れた瞬間から鬼気迫るものがあり、能らしく緩慢な動きの中に小刻みな震えも見せ、強い印象を与えた。一方、大天狗太郎坊を演じた大槻文藏は、実に堂々たる悪漢ぶりを表現した。また、会場で配られたプログラムには作品解説が詳しく掲載されており、また、今回演出を担当した村上 湛 (むらかみ たたう) が開幕前に解説をしてくれるなど、事前に情報のなかった私でも充分に楽しむことができた。また、何より有り難いのは、プログラムに詞章が掲載されていることで、これを見ながら鑑賞することで、ストーリーを明確に辿ることができた。調子に乗って台本まで買ってしまったが、自分で謡うわけではなし、これはちょっと要らなかったかな (笑)。
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尚、六条御息所とは、源氏物語に登場する架空の人物の名である。だがこの作品において魔道に堕ちて苦しんでいる人物は実在の人で、白河天皇の娘、媞子内親王 (ていし (または「やすこ」ないしんのう) のこと。京都の六条に住んでいたので六条御息所と呼ばれたらしいが、その邸宅跡は京都の万寿寺という寺になっているらしい。この万寿寺、京都五山の第 5位という格式の高い寺であったが、その後衰退し、現在は東福寺の塔頭として小さな規模で現存している。尚この媞子内親王は、皇女が幼少の頃に伊勢神宮に数年間仕える制度である「斎宮 (さいくう)」にも籍を置いていたという。私は数年前に、松阪と伊勢の間に位置するこの斎宮跡 (最近発掘調査・研究が活発に行われている) を訪れたことがあるので、早速斎宮歴史博物館で購入した冊子を手元に持ってきて調べると、あ、ありましたありました。ずらりと並ぶ斎宮皇女の中に、この媞子さんの名が。こういう資料を見ると、能のモデルがぐっとリアリティを増しますな。
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さて、今回、この「樒天狗」に先立って前半で上演された 2演目は、舞囃子 (まいばやし) とあるが、これは何かというと、能の演目のダイジェスト版を、シテ一人が音楽と謡をバックに仮面をつけずに舞うというもの。プログラムのストーリーを読むとそれぞれに面白いが、いかんせん、こちらは詞章も掲載されておらず、耳で内容を聞き取ることはほぼ不可能だったので、舞っている役者の緊張感のみ鑑賞することになってしまった。尚、今回は狂言の上演はなし。というわけで、久しぶりの能であったが、現代人にはいささか遅すぎるテンポを享受し、限られた舞台装置をイマジネーションで補うことで、幽玄の世界がまさまざと見えたのは嬉しかった。これを機会に、また出かけてみたい。クラシック音楽に占領されていない日程を探す必要はあるが・・・。

ところでこの喜多能楽堂のあるあたりは、なかなかに風情があって面白い。ドレメ通りと呼ばれているが、これは専門学校「ドレスメーカー学院」の略。杉野学園という学校法人が経営している。この通りにはその学校の建物が立ち並んでいるほか、カトリック目黒教会や、アマゾンが入っている新しいオフィスビルもある。だが私の目をぐぐっと惹きつけたのはこの建物だ。
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1957年にできた建物らしい。日本最初の衣装博物館であるそうだ。中を覗くと灯りはほとんどついておらず、観覧希望者は申し出るようにと書いてあったが、今回は時間の関係もあり、パスした。そしてこの建物の前にある銅製の塔も大変な存在感なのである。由緒書によると、水戸光圀の命によって鋳造されたもので、高橋是清が自宅の庭に置いていたものを、杉野学園が譲り受けたものらしい。
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また、目黒区のサイトによると、このあたりには明治期に日本初の撮影所が作られたらしい。但し現在ではマンションになっていて、その面影は既にないとのこと。撮影所と言えば私の住んでいる大田区の蒲田が有名であるが、こんなところにさらに古い撮影所があったとは驚きだ。もっとも、能楽堂で上演されているのは、15世紀に確立した演劇。映画とは歴史が違います (笑)。もちろんこのあたり、私が大好きな雅叙園も近いし、古刹大圓寺もある。様々な文化が混淆する目黒、まだまだ尽きせぬ魅力がありそうだ。

by yokohama7474 | 2017-02-12 01:44 | 演劇 | Comments(0)

肉声 ジャン・コクトー「声」より (構成・演出・美術 : 杉本博司、作・演出 : 平野啓一郎、出演 : 寺島しのぶ、節付・演奏 : 庄司紗矢香) 2016年11月25日 草月ホール

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この公演を知ったのは、どこかのコンサートで配布されていたチラシであったと思う。以下のようなシンプルなものであった。
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なになに、「この秋あの4人がおくる"妾"・語り」とはどういうことだろう。ここに並んでいる4人の芸術家の名前は、私にとっては濃淡(?)あれども、いずれも芸術愛好家にはよく知られたもの。しかも、あのジャン・コクトーの「声」を題材にしたコラボレーションであるようだ。これは行くしかないだろうと思い、日程を調べたところ、唯一初日公演にだけ行くことができると判明。平野啓一郎の小説のいくつかを愛好する家人を誘って、出かけてみたのであった。

コクトーの「声」は、原題のフランス語を直訳すると「人間の声」であり、クラシックファンにとっては、フランシス・プーランク作曲のモノオペラによって知られている。かく言う私も、録音ではジュリア・ミゲネスの独唱、ジョルジュ・プレートルの指揮の演奏で、また生演奏ではジェシー・ノーマンが日本でシェーンベルクの「期待」と合わせて披露した公演で、この曲に親しんできた。加えて、堀江眞知子のソロ、秋山和慶指揮の日本語版(和訳は若杉弘)のCDも手元にある。オペラとしては非常に特殊で、舞台上で何度か電話のベルが鳴り、その電話に応対する女性がたったひとりの登場人物なのである。コクトーの台本が書かれたのは1930年。プーランクによるオペラ化(マリア・カラスを念頭に置いて作曲されたが彼女による歌唱は実現しなかった)は1959年。ある種のモダニズムに彩られながら、フランス独特の陰鬱な色恋沙汰のアンニュイな雰囲気をたたえた作品である。徐々に狂気をはらんで行く女性の精神状態が、セリフだけで描かれた究極の作品と言える。ただ今回はこのコクトーの戯曲を、芥川賞作家である平野啓一郎が翻案したものを、寺島しのぶが一人で演じ、ヴァイオリニストの庄司紗矢香が音楽を演奏するという趣向。もともとの原案は、世界的な美術家である杉本博司によるものであるらしい。これが杉本の肖像と、彼の典型的な作風を示すモノクロ写真。
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会場は青山の草月ホール。このホールにはかなり久しぶりの訪問だ。随分以前はここで「東京の夏音楽祭」のコンサートやレクチャーが行われていて結構通ったし、ベルクのオペラの映画なども楽しく(?)ここで見たものだ。また、もちろん先代の生け花草月流家元、勅使河原宏は、私にとっては尊敬する映画監督。
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会場には花輪がいくつも飾られており、本作の創造者4名のうち舞台に登場しない杉本と平野は客席に姿を見せているし、俳優の奥田瑛二もいる。あ、こんな花輪もあるではないか。
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上演時間80分のこの芝居はいかなる内容かというと、一言で言えばコクトーの原作とは全く異なっている。共通点と言えば、女優ひとりのモノローグであることくらいである(笑)。舞台は1940年の夏と1945年3月。すなわち、日本が戦争に突き進んで行く時代と、既に空襲を経て敗色が濃くなっている時代である。ル・コルビュジェ風のモダニズム建築に住む愛人が主人公で、彼女が男からの電話を受けてひたすらひとりで喋るというもの。事前のネットニュースでは、庄司のヴァイオリンは、無声映画時代の音楽のように芝居を伴奏するとあったが、それは全くの誤報で、冒頭、中間、ほぼラストに登場し、セリフのない箇所で3回、無伴奏ヴァイオリンを演奏するというもの。これが開演前のステージ。杉本自身の解説によると、ここに投影されている建物は堀口捨己という建築家(1895-1984)の設計であり、彼は実際に資産家の施主のために愛人宅を設計しているという。そこに住む愛人は、フェンシングと水泳を趣味とする当時のモダンガールであったらしい。そのようなキャラクター設定は本作でも採用されている。
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そんなわけで、事前の説明は一通り済んだので、芝居の内容について語らねばならない。正直なところ、私にとってはこの上演は、その意欲的な試みの意義は理解できるものの、残念ながら内容について共感するには至らなかった。いくつか理由を挙げよう。
・寺島しのぶは終始バインダーのようなものを見ながらセリフを喋っており、これは一人芝居というよりは朗読だ。しかも、私が気付いた限りでは3回トチっていた。生の舞台なので、トチるのが悪いと言う気は毛頭なく、演技にはさすがのものがあると思った瞬間もあったが、あまりに単調とも思われた。
・演出として杉本と平野の両方の名が記載されているが、実際には動きはほとんどなく、舞台背景に投影されるスライドが、家の外観から、中から外を見た写真に変わる程度。寺島は時折立って歩くなどの最小限の演技はあったが、そこには演出と呼べるほどのものは感じられなかった。
・平野の脚本には、妾の大胆さと人生への割り切り、またその反動の人間的な感情が表現されていて、理解できる部分もあったが、品のない描写には共感できない。恐らくそれは、笑いがないからだ。例えば三島由紀夫の通俗作品における下品なネタには、どこか笑いの要素がある場合が多い。一方ここで平野が選んでいる言葉の数々は、三島の作品と比べて、品のなさを突き抜けて人間の真実を赤裸々に表すところにまで至っているか否か。
・音楽がない。これでは間がもたない。いやもちろん、庄司のヴァイオリンは3度に亘って響き渡ったが、芝居そのものとは分断されていて、私としては、同じ音楽をコンサートホールで聴きたかったと思う。以下のような非常に凝った曲目で、意欲的な自作を含め、いずれも私にとって初めて聴くものであったのだが・・・。
 1. エリック・タンギー (1968年フランス生まれ) : ソナタ・ブレーヴから第2楽章
 2. 庄司紗矢香 : 間奏曲
 3. オネゲル : 無伴奏ヴァイオリン・ソナタから第2楽章
因みに彼女は今回、通常のコンサートのように髪を束ねてピンクのドレスを着るといういで立ちではなく、上の写真の通り、髪を下し、黒一色の衣装であった。鳴っている音は、表現主義風というか、しばしばわざとかすれぎみのようにも聞こえたが、さすがの安定感であり、特にオネゲルは高水準の演奏であった。

ここで題名が「声」ではなく「肉声」とされているのは理由があるだろう。すなわちここで描かれているのは、原作のような、電話という機械を通した声の伝達における届かない思いというよりは、電話の向こうにいる男と主人公の女がかつて交わした「肉」を伴った行為でありコミュニケーションであるからであろう。二人の逢瀬の際、実際に肉を通して交わされたはずの感情の残滓に、実は男も女も(それぞれ別のかたちで)しがみついているのだ。だが残酷なことに、戦争という個人を遥かに超えた大きな出来事の中で、彼らの肉はいつ形を失うか分からない。ラストシーンの意味は明確に説明されないが、恐らくはいずれ死すべき運命にある人間の持つ感情への、ある意味の賛歌なのではないだろうか。そのようなことは、私も頭ではそれなりに整理できるのだが、では、それが現代日本においていかなる意味を持つかと点を思うと、急に醒めてしまうのだ。1940年代の妾さんの言葉から、明日に生きる勇気を見出すことは、残念ながら私にはできなかった。

だが、私としては、久しぶりに演劇に接する機会。もともとこのような試みにはリスクがあるし、私とは異なる感想を抱いた人たちもいたと思う。そう考えると、このような機会を今後も極力楽しみたいと考えるのである。ジャン・コクトー自身が見たら、一体どうコメントするだろうか。きっと、「私には、男女の機微は本当は分からないんだよ・・・」と言うのではないか(笑)。
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by yokohama7474 | 2016-11-26 01:23 | 演劇 | Comments(0)


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