カテゴリ:音楽 (Live)( 569 )

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東京・初台にある新国立劇場では、昨年 9月に始まった今シーンから、大野和士をオペラ部門の芸術監督に頂いているが、今回ようやく、就任後初めてその大野がこの劇場のピットに入る。しかも演目はヴェルディでもワーグナーでもなく、日本人による日本語オペラの新作。大野自身の企画による新国立劇場の委嘱作であり、これが世界初演である。今シーズンの新国立劇場の演目においても、一、二を争う話題の上演であることは間違いないだろう。私が見ることができたのは、合計 4回中最初の公演であり、つまり、初めてこの作品が世に出るのに立ち会ったことになる。

そもそも日本においても、山田耕筰以来数々のオペラが書かれており、その蓄積は既にかなりのものであると言えるだろう。だが、日本語のオペラのひとつの課題は、いかにして言葉を音楽に乗せるかという点にあるだろう。日本ならではの詩歌は五・七・五の俳句や、その後に七・七と続ける短歌が一般的であり、これであれば日本語は美しく響くことは誰でも知っている。あるいは演劇という点においては、能や歌舞伎における日本語は、耳で聴いているだけでは聴き取りにくいものの、台詞を目にすると、古い日本語特有の抑揚や、感情の込め方が理解できる。だが、西洋音楽の中でも、イタリアという流麗な言語を持つ国にその発祥を持つオペラという分野では、どうだろう。なかなか日本語では成果を挙げにくいというのが実情であろう。日本語の問題ゆえに、ドイツ語で書かれた黛敏郎や細川俊夫のオペラなどは、むしろ親しみやすいと感じてしまう面もある。その歌詞という課題の克服のため、これまでにも、一柳慧の作品に大岡信、三枝成彰の作品に島田雅彦、というように、文学者がオペラの台本を手掛ける例はいくつもあったが、なるほどと思う部分と、やっぱりどうもなぁと思う部分が常にあったと思う。今回の台本は詩人の佐々木幹郎であるが、さてその成果たるやいかに。実はこのオペラ、台本、作曲、指揮、演出がチームで作り上げていったものであるらしく、またそこに加えて、監修者がいるという構成だ。現代においてオペラを世に問うということは、極めて難易度が高いことであろうから、各分野で高い能力を持つ人たちが議論をして知恵を出し合うというのは意義あることだ。これはその 5人によるトークイヴェントの様子。
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この作品、「紫苑物語」というのだが、「紫苑」は「しおん」と読む。これはキク科の植物の名前で、英名は Aster である (この作品のチラシに記載ある英語タイトルは "Asters")。ま、私は植物には滅法弱い人間なので、こんな植物だと言われれば、ふむふむそうですか、と返すしかないのだが (笑)。ちょっと文学的には、真っ赤な血の色を中和しそうな青であるが、それについてはまた後で。
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この「紫苑物語」は石川淳 (1899 - 1987) の小説が原作である。この無頼派の作家は、同じ範疇 (その呼称がどの程度妥当なものであるかは別として) で呼ばれる坂口安吾とか太宰治に比べると、私にとっては、名前はともかくその作品にはあまりなじみはないし、一般的にも、最近あまり読まれなくなっているのではないか。プログラム冊子に載っている、本公演の監修者である音楽評論家の長木誠司の文章によると、今回の題材探しにおいて、未だ誰もオペラ化したことのない作家が好ましいと思った由。また、せっかく日本で作るからには、ヨーロッパの文脈と異なる作家が好ましく、その点石川淳は「豊潤にして破綻のきわみ、高雅にして俗っぽい、密にして韜晦的、釈然としながらときにえらく飛躍する」そうだ。長木はその文学を、「得体が知れない」とすら表現する。
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もうひとり、演出家が重要だ。笈田ヨシ。実に現在 85歳という高齢だが、あのフランスの大演出家ピーター・ブルック (こちらはもうすぐ 94歳) の劇団で長く活躍してきた人。演劇に興味のない人でも、マーティン・スコセッシ監督の「沈黙 - サイレンス」での演技を見て知っている人も多いだろう。役者であるだけではなく、近年は演出家として活躍しているようである。小柄ながら凄まじい存在感を持つ人だ。
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面白いのは、日本における日本語オペラの上演で、歌手も皆日本人なら、指揮者も日本人、オケも東京のオケ (東京都交響楽団、通称「都響」)、演出も日本人であるのに、恐らくは演出家が選択したであろう美術、衣裳、照明は、すべて外国からの招聘だ。日本の舞台運営には、想像するに、様々なしがらみがありそうなものだが、このような思い切った外国人の選択は、作品の今後の国際的な評価のためには重要だと思う。

さて、西村朗については何を語ろうか。以前もどこかの記事で彼の名に触れたことがあると思うが、アジア的雰囲気を持つ作品 (巨大な管弦楽作品を含む) を数多く世に送り出していて、現代日本を代表する作曲家のひとりである。現在 65歳。大阪人らしく喋りも上手で、以前は NHK で「N 響アワー」の司会を務めていたこともあった。過去に室内オペラの作曲はしているが、このような大規模なオペラは初めてであるようで、「自分のこれまでの集大成にしたい」と語る。
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この作品は 2幕 (1幕は 5場、2幕は 7場) からなり、それぞれ 1時間内外の演奏時間である。今回は 25分の休憩が一度あったので、14時に開演、カーテンコール終了は 16時40分頃であったろうか。ただ内容が非常に濃いので、長く感じる。だがそれは退屈という意味ではなくて、性急過ぎない展開のストーリー性もあるので、多くの人々が楽しんで見ることができたであろう。但しこの「楽しんで」という表現には、若干の語弊があって、内容自体は決して明るく楽しいものではない。設定された時代は特定されていないが、平安時代であろうか、代々勅撰和歌集の選者となる家系に生まれた主人公、宗頼が、歌の道を捨てて弓矢を操るようになる。名門の家から来た嫁は素行に問題あり、そこに取り入る狡猾な部下などもいるが、宗頼は野で見つけた謎の女性に入れあげ、また、自らに弓矢を手ほどきした叔父を殺し、山の向こうの世界を目指す。そこで彼はひとりの男と出会い、その男と自分の共通点と相違点を認識し、最後に仏頭に矢を射るという冒瀆的な行為を行って、世界は破滅する。そんなストーリーなのだが、主人公宗頼が弓で人を殺めるたびに、その場に紫苑を植えて行くという点が、題名の由来である。なるほど、血の赤を中和する青であろうか。大野の言葉を借りると、「このオペラは、ある若者がなかなか見出せない自らの人生の意義を、いろいろな形で問い続ける旅の物語」である。

西村の音楽は概して観念的な要素は少なく、強い表現力を持ちながらも、耳には比較的入ってきやすいものとの印象があるが、今回の音楽も、まず冒頭の前奏曲の弦楽合奏が、大野の指揮する都響の音のクオリティも貢献して、すんなりと聴き手の耳に入ってくる。その後も、ドラマの内容に大きな曲折があるので、音楽の表情も千変万化であり、もちろん音同士が激しく錯綜する部分もあるが、オペラとして歌われることをきっちりと想定した音響 (妙な言い方だが、世の中には、どう聴いても歌われることを想定していないとしか思われない現代オペラもあるものだから。笑) が支配的であったと思う。全曲を通していくつかのライトモティーフ (示導動機) が使われているようだが、一度耳にしただけでは、なかなかそこまではフォローしにくいものの、音とドラマの連関は明らかであろう。また、上で触れた歌詞についてであるが、擬態語、擬声語や、適度に文語体を交えた方法が採られ、音楽がうまくそれを捉えている場面も多々あったと思う。但し、この作品では (日本のオペラでは珍しいという) 四重唱もあり、歌詞を耳で聴きとることはまず不可能だ。そのため、舞台両横に日本語字幕と、それから、これも素晴らしいと思ったのだが、英語字幕が出ていた。特筆すべきは、合唱団 (三澤洋史指導) がいくつもの場面で大きな役割を果たしており、これは練習も相当に大変であったろう。最初の場面は「婚礼の儀」で、そこでの盛り上がりがすごい。西村言うところの「ケチャ的な鋭い掛け声」もある。もちろんケチャとは、西村の創作活動に大きな影響を与えているであろうバリ島の踊りの中で、男たちが叫びながら踊る群舞のことである。歌手陣も相当に重労働で、ほぼ出ずっぱりの宗頼 (髙田智宏) はもちろん、コロラトゥーラを聴かせる千草 (白木あい)、出番は短いながらファルセットも出す平太 (大沼徹)、また、叔父である弓麻呂 (河野克典)、部下である藤内 (村上敏明)、いずれも渦巻く音響の中での感情表現と、動きの多い演技は立派であった。だがその中でも、妻うつろ姫を歌った清水華澄 (このブログでは既におなじみの歌手である) の、まさに体を張った歌唱は、一頭地抜きんでていたと言ってもよいのではないだろうか。

演出もまた隅々にまで神経の行き届いたもので、それでいて思わせぶりなところは皆無。舞台セットについての笈田自身の言葉によると、第 1幕は現実的で暴力的なので、血をイメージする赤。第 2幕は見えないものへのあこがれと探求でブルーとのこと。
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舞台奥の中央と左右には巨大な鏡があって、時折動いては客席自体を反射する。また、床に投影されるプロジェクトマッピングを正面の鏡が反射して、図や絵が出るところなども、なかなか効果的。加えて、何人かの黒子が時折舞台に登場しては、装置を動かしたり、また矢が飛んだように見せるための手助けをしたり。実に忙しい舞台だが、様々な動きが、うまく捌かれていた。もちろん、音楽をリードする大野の手腕あってこその、演出の冴えであったと思う。
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このように濃厚な物語と多弁な音楽は、初回公演において多くの聴衆に受け入れられたようだ。私も今思い出してみて、これはなかなかに面白い体験だったと思っている。だがその一方で、この時代になぜ石川淳、なぜ「紫苑物語」、という素朴な疑問には、未だ明確な答えを見出せずにいるのも事実。舞台芸術が、何も時代の持つリアルな問題を反映する必要があるわけではないが、例えば、妻うつろ姫の内面は一切描かれず、また卑劣な部下、藤内も今ひとつ悪者になっておらず (つまり、ヤーゴではないということ)、千草の存在感も、あまり大きくはない。その一方で、モブシーンはかなり長く執拗だし、性的なシーンやそこでの歌詞も、結構過激である。私としては、そのあたりの必然性には少しクエスチョンマークが残ったと正直に書いておこう。とはいえ、私の読んでいない石川淳の原作にある「得体の知れない」要素が関係しているかもしれないし、何より、大野と新国立劇場による日本人作曲家委嘱シリーズの第 1弾として、これはなかなかに充実の公演であった。これからまだ、2/20 (水)、23 (土)、24 (日) と 3公演があり、特に 20日と 23日には、終演後に西村と大野によるサイン会が予定されているので、行かれる方は楽しみにされてよいと思う。

by yokohama7474 | 2019-02-17 23:01 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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首席指揮者パーヴォ・ヤルヴィが指揮する今月の NHK 交響楽団 (通称「N 響」) の定期公演のうち、これは 2つめのプログラム。このコンビの意欲的な取組は実に瞠目すべきものがあるが、今回のプログラムはロシア音楽である。
 ラフマニノフ : ピアノ協奏曲第 2番ハ短調作品18 (ピアノ : アレクサンダー・ガヴリリュク)
 プロコフィエフ : 交響曲第 6番変ホ短調作品111

いずれもロシアを代表する作曲家であるが、ラフマニノフの方は、作曲家の全創作の頂点をなすと言ってもよい若き日の名作。一方のプロコフィエフの方は、珍しい作品では決してないものの、それほど演奏されない円熟期の作品。その対照の妙も、いかにもプログラム巧者のパーヴォらしい。
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今回のラフマニノフのコンチェルトは当初、ジョージア出身の女流ピアニスト、今人気絶頂のカティア・ブニアティシヴィリが予定されていた。ところが 2月に入ってから発表されたことには、彼女は残念ながら健康上の理由で来日中止。急遽ピンチヒッターに立ったのは、1984年ウクライナ生まれのアレクサンダー・ガヴリリュクである。
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彼はいくつもの国際コンクールの優勝歴を誇るが、そのうちのひとつが 2000年の浜松国際コンクールである。以来頻繁に日本を訪れていて、N 響との共演は 2011年、2015年、2016年に続く 4回目である由。昨年 9月には、東京交響楽団をバックに、一晩でロシアの代表的なピアノ協奏曲を 3曲 (チャイコフスキー 1番、プロコフィエフ 3番と、今回も演奏するラフマニノフ 2番) を弾くという離れ業もやってのけている。ブニアティシヴィリの代役として不足はないだろう。そして今回のラフマニノフの演奏、ある意味では模範的とも言える演奏であったと思う。だが、ともすると感傷に流れがちなこの曲に、しっかりとした流れを与えることで、過度な感傷を避けることに成功していた。彼のピアノは決して粒立ちが絶妙という感じでもないように思うのだが、曲の個性を自らのものとしているゆえに、感傷に走る必要もないということだろうか。ヤルヴィと N 響の伴奏も、実に手慣れたものであり、安定感抜群であった。そしてガヴリリュクがアンコールとして弾いたのは、同じラフマニノフの有名な「ヴォカリーズ」であったが、会場の表記によるとこれはゾルターン・コチシュによる編曲。ここでもガヴリリュクは、淡々と美しいメロディを紡ぎ出して見事であった。ところでこのコチシュ、もともと「ハンガリー三羽烏」のひとりと呼ばれて、未だ 20代であった 1970年代から活躍した人。近年は指揮者としての活動も行っていたが、2016年に惜しくも 64歳の若さで亡くなった。今調べてみると、この自ら編曲した「ヴォカリーズ」を 1984年に録音している。ラフマニノフのピアノ協奏曲全集に付随するもののようで、今回の演奏会と同じ 2番のコンチェルトと組み合わせた盤もある。若いなぁ。
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そしてメインのプロコフィエフ 6番は、彼の代表作のひとつである第 5交響曲が第二次大戦末期に書かれたのに続き、終戦をまたぐ格好で、1945年から 1947年にかけて書かれている。3楽章からなる 40分ほどの曲であるが、曲の雰囲気は決して明るく楽しいものではなく (終楽章は駆け回る音楽なので、これを明るいと言ってもよいかもしれないが、決して一筋縄にはいかない)、前作 5番の人気には遥かに及ばない。私がこの曲を初めて耳にしたのは、1980年代だと思うが、エフゲニ・ムラヴィンスキーと当時のレニングラード・フィルによるライヴ演奏の FM 放送であった。当時は知らなかったのだが、実はムラヴィンスキーは、この曲の初演者なのである。ムラヴィンスキーと言えば、ショスタコーヴィチの交響曲の多くを初演したことで知られるが、プロコフィエフ作品を採り上げることは、決して多くなかったはずである。しかもバリバリの共産党員であった彼は、ショスタコーヴィチのシンフォニーにおいても、国の方針に鑑みて問題作とみなされそうなものはうまく避けていたように思われるのだが、このプロコフィエフ 6番はどうだろう。音響的には決して体制から支持されそうには思えない。実際、1948年の「ジダーノフ批判」で、この曲は形式主義的として非難されている。その批判はスターリン死後の 1958年に事実上撤回されたため、その後もムラヴィンスキーは折に触れこの曲を指揮した。だが、現在に至るもこの曲の演奏頻度はあまり高くないのが実情である。しかしながら、ここ東京では、先月もこの交響曲が、大野和士と東京都交響楽団によって演奏されている (残念ながら私は聴けなかったが)。例によって、そんなことは世界にもなかなかない、東京ならではの現象と言ってもよいだろう。これは 1940年、ということは未だ独ソ戦も始まっていない頃に撮られた写真で、左からプロコフィエフ、ショスタコーヴィチ、そしてハチャトゥリアン。
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今回のヤルヴィと N 響の演奏は、期待通り、非常に見通しのよい充実した演奏であったと思う。この曲には晦渋な要素がついて回り、第 1楽章では威圧的な雰囲気もある一方で、音楽は持続的な盛り上がりを見せることがない。第 2楽章で歌われるのは、歌劇「戦争と平和」の「ナターシャとアンドレイの愛の主題」に類似するテーマであるそうだが、例えば 5番の緩徐楽章のような緊張感に満ちた美しさはない。そして、スケルツォを欠いているこの交響曲、終楽章のはしゃぎぶりにスケルツォ的な要素を兼ねているのかもしれないが、ここでも音響の統一感はあまり感じられない。このような曲でありながら、しかしヤルヴィと N 響は、まるで手慣れた曲であるかのように楽々と先へと進んで行くのである。いつものことながら、ヤルヴィの指揮の美点は、楽員たちの力をうまく束ねて解き放つ点にある。およそ不得意というレパートリーのない彼のことだから、この曲でも大変に力感に満ちた指揮ぶりで、実に安心感を持って聴いていることができた。上質な音楽体験である。

ところでプロコフィエフという作曲家、有名な曲とそうでない曲がかなり極端に分かれているように思う。ロシア革命の際に国を出て、日本にも滞在したのは有名な話だが、1935年に祖国ソ連に還り、1953年の死 (奇しくもスターリンの死と同じ日!!) まで留まった。初期のアヴァンギャルドな作風 (極端な例はやはり「炎の天使」か) から、帰国後に書いた革命賛辞のカンタータ類、エイゼンシュテインの作品に作曲した映画音楽、絶対的な名作バレエ「ロメオとジュリエット」と、それに次ぐ「シンデレラ」、一連の先鋭的なピアノ曲に、各種協奏曲、室内楽曲、あの大小説を原作とする大作オペラ「戦争と平和」まで、実に様々だ。交響曲でも、若き日の人気作、第 1番「古典交響曲」のあと、名作 5番までは傑作とは評価されておらず、4番などは、改訂して別の作品番号を与えられたリしているし、最後の 7番でも、異なるエンディングの版があるなど、かなりとっつきにくさがあることは事実。なので、もう一度この 6番などをじっくり聴くことで、この作曲家のまだまだ未知な部分への足掛かりとなるような気がするのである。それから、これは全くの余談だが、彼の孫はガブリエル・プロコフィエフと言って、1975年ロンドン生まれの作曲家なのである。私は弦楽四重奏曲を聴いたことがあるが、ミニマル風の面白い曲である。例えばこの CD。これを聴いたからと言って、彼の偉大なる祖父の音楽の深淵への理解が深まるわけではないにせよ、何かそこに流れるものがあるのではないかと考えるのも、結構楽しいことである。
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by yokohama7474 | 2019-02-17 00:49 | 音楽 (Live) | Comments(5)

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クルレンツィス・ショック未だ覚めやらぬ東京であるが、彼らが去ったあとも東京では、容赦なく音楽イヴェントが続くのである。外来に負けじと、東京の各オケの活動が相変わらず活発で、この演奏会などは、この街の音楽界の水準を示す恰好のものであったと思う。名指揮者チョン・ミョンフンと、彼が名誉音楽監督を務める東京フィルハーモニー交響楽団 (通称「東フィル」) の演奏会で、曲目はただ 1曲。
 マーラー : 交響曲第 9番ニ長調

マーラーが最後に完成したこの 80分の大作は、多大なるエネルギーと Emotion を必要とする曲であるので、演奏する方にも相当な覚悟が必要な曲であろう。今回、チョンと東フィルはこの大曲を 3つの会場で演奏するが、私が聴いたのはその初回。エネルギッシュで Emotional な音楽は、この人の最も得意とするところ。2006年にも東フィルで、このマーラー 9番を採り上げているようだ。
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さて今回の演奏、ちょっと風変わりな表現を使ってみると、東京におけるマーラー演奏は既に特別なものではなく、ロマン派の最後のあだ花であるこの 9番ですらも、生きるか死ぬかの覚悟で聴かずとも、音楽の本質をしっかりと受け止めることができる、という印象を受けた。これはチョンと東フィルの演奏に不満があったということでは決してなく、素晴らしい演奏であったと思うのだが、それは何か特別なものというよりも、東京を代表するコンビのひとつである彼らなら、当然達成できるだろうというレヴェルであり、聴衆は涙せずとも、冷静にその音のドラマを楽しむことができたように思う。私はいつものように弦楽器の数など数えていて、あれっ、また変わった編成になっているな、と思ったのであるが、次の瞬間には、そんなことがどうでもよくなってしまった。今ここで鳴っている音にこそ耳を傾けたい。そう思ったのである。

この曲は全 4楽章でできていて、最初の第 1楽章と、最後の第 4楽章に究極のドラマ性があって感動的である一方、中間の第 2楽章と第 3楽章は、それぞれ皮肉なユーモアを含んだ、速めのテンポが主体をなす音楽。いわばサンドウィッチ構造だが、今回のチョンの解釈を私なりに整理してみると、第 1楽章では過度に感情的になり過ぎずにしっかりと音の流れを作っておいて、中間 2楽章では通常よりも速めに走り抜き、そのゴールである第 3楽章の最後で、くさびをガァーンと打ち込む。そして終楽章に入って、すべての感情を解き放つ。そんな音響設計に聴こえた。演奏者たちは真摯にこの曲に取り組んでいるので、全体を通して恣意性を感じさせることはほとんどないのに、第 3楽章の最後においてだけ、まるで世界の終わりのようにテンポが崩れて、絶望的な叫びが響いたのだ。つまりは、その先に来る終楽章においては、既に世界は終わっていて、オケが絞り出す纏綿たる哀しみの波の間から、そこには諦めが徐々に満ちてくる。世界が終わっていても独り歌い続けるマーラーは、彼がこよなく愛するこの世界から、既にあちらの世界に旅立ってしまっているようである。だが、我々はそのようなドラマの成り行きは既に知っている。だから、泣くぞと思ってハンカチを携えてこの曲を聴いて、オヨヨと涙するのではなく、オケの上出来な部分と課題の残った部分を冷静に聴き取りながら、音楽そのものに感動することができるのである。今回の演奏はどうやらライヴ収録していたようだから、いずれメディアで聴くことができるかもしれない。なお、チョンは既に、かつての手兵ソウル・フィルと 2015年にこの曲を録音している。
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このマーラー 9番、来月にはまた全く異なる来日組の指揮者とオケのコンビで、演奏されることになる (詳細は、そのコンサートの記事を書ければそのときに)。これもまた、演奏家の対比としてはかなり極端であるが、様々な演奏を通じて、私たち東京の聴衆の経験値は、さらに上がっていくのである。そしてチョンが次に東フィルの指揮台に還ってくるのは次のシーズンで、今年 7月。実はこのオーケストラは、2020年から、シーズンを 1月から 12月に変更するらしく、次のシーズンの定期公演は 4月に始まり、各シリーズとも 5公演しかないという、つなぎ期間になる。欧米の場合は通常 9月から、そして日本は、多くのオケが 4月から、一部は欧米と同じ 9月からというシーズン設定になっているが、1月からというのはかなり珍しいのではないか。その意図は奈辺にありや、ちょっと分かりかねるので、楽団にはいずれかの時点で理由を発表して欲しいものだと思う。だが、それもオケの個性であれば、ほかと異なることは大いに結構だ。例えばコンサート会場の入り口で今後の演奏会の膨大なチラシを配るといった習慣にも、このオケは距離を置いている。そのこと自体が直接に音楽に影響することは、実際にはないかもしれないが、それぞれのオケがユニークな方向性を持って活動してくれることを、東京のファンは歓迎するものと思うのである。

by yokohama7474 | 2019-02-16 02:02 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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ギリシャ生まれの指揮者、テオドール・クルレンツィス率いるオーケストラ、ムジカエテルナの演奏会も、今回が東京での 3回 (それぞれに異なる会場で開かれた) の最後のもの。私は初日、2/10 (日) の Bunkamura オーチャードホールでの演奏を聴き、既に記事に書いた。初来日となるこのコンビの想像以上の表現力に圧倒され、様々なことを考えさせられたわけであるが、今回は少し余談から始めたい。会場のサントリーホールに着くと、入り口に向かって右側にある 2本のポールに、ロシアと日本の国旗が高々と掲げられているではないか。はて、確かにここに銀色のポールがあることは認識していたが、二国の国旗が掲げられているのを見たことがあったろうか。あまり覚えがない。これはもちろん、ロシアのペルミという都市に本拠地を置くこのオケを日本に歓迎する意図であろう。また今回の演奏会、ホール内のアナウンスが、いつものサントリーホールのそれではなく、まずロシア語、ついで英語、そして日本語で、ごく簡潔に述べられていた。明らかに同じ女性 (日本人ではない) の声で 3ヶ国語がアナウンスされていたのである。これにより、今回来日しているこのオーケストラがロシアの楽団であるということを再認識した。そう、このオケの本拠地、ロシアのペルミという都市はどこにあるかというと、ウラル山脈の西側だ。そして私は思い出す。以前何かの記事で書いたことがあるが、私はその近くを出張で訪れたことがあるのだ。その都市の名は、ウファ。今調べてみると、ペルミとウファは、ほぼ南北一直線に位置していて、地図で見ると結構近い・・・ま、距離は 370kmなんですがね (笑)。そういえば、モスクワからウファまでは確か、飛行機で 2時間くらいだったが、その程度の距離でありながら、時差が 2時間もあるのである。モスクワの現地社員は、このあたりの地域とのビジネスはそこが不便だと嘆いていた。ペルミとはそういった地域に位置する場所なのである。ただ、人口 100万を持つ工業都市であり、過去の文化人としては、あの 20世紀初頭のパリを騒がせたロシア・バレエ団の創設者、セルゲイ・ディアギレフがこの街の出身である。これがムジカエテルナの本拠地、ペルミ国立オペラ劇場。
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さて、クルレンツィスとムジカエテルナであるが、既にクラシックファンの間では世界的に極めて高い評価を勝ち得ていて、このブログでも、前回の記事へのアクセス数の驚くような多さから推しても、彼らの演奏会に関心を持つ方が相当多いということのようだ。そのような人気は、ヨーロッパ主要都市でも同じ状況であるらしく、昨年の夏にはなんとこのコンビは、ザルツブルク音楽祭でベートーヴェン・ツィクルスを行っている。設立後わずか 14年でそんな実績を挙げたオケは、恐らく史上初ではないだろうか。この加熱ぶりには何か理由があるに違いない。もちろんそれは、クルレンツィスのカリスマという要素は間違いないだろうが、今回私がふと思ったことがある。前回の記事で彼のギリシャ演劇風の肖像写真を掲載したが、その写真に彼の持ち味が象徴されていないであろうか。つまり、ギリシャとロシアは、地理的に隣接はしていないものの、正教会というくくり、つまりは、西欧に対する東欧、というまとまりに入る。シュペングラーが「西洋の没落」を書いてから既に 100年を経過しているわけであるが、ヨーロッパの中心を担っていた西欧の人たち (音楽面でも長らく西欧が中心であったわけだが) から見て、現在の音楽界に様々な行き詰まり感があるがゆえに、クルレンツィスとムジカエテルナの新鮮な音楽に、東方からやってきたクラシック音楽の新たな旗手という感覚があるのかもしれない。そして才人クルレンツィスは、自らのイメージ作りにも長けていて、ただロシアの楽団というだけなら目新しくないところ、自分が欧州の揺籃の地であるギリシャ出身であることをうまくアピールして、人々の「東方」感覚をくすぐっているのかもしれない。
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そんなクルレンツィスとムジカエテルナは今回、すべての演奏会をチャイコフスキーの作品で埋めた。今回の曲目は以下のようなもの。
 チャイコフスキー : 組曲第 3番ト長調作品55
 チャイコフスキー : 幻想序曲「ロメオとジュリエット」
 チャイコフスキー : 幻想曲「フランチェスカ・ダ・リミニ」作品32

この組み合わせの興味深さは、前半に、比較的演奏頻度は低いが、抒情性が勝った純音楽を置き、後半には、それぞれシェイクスピアとダンテという西洋文学史の偉人たちの作品に基づく劇的な音楽を置いている、という点にある。これがもし、前半がチャイコフスキーのほかの 30 - 40分程度の曲、例えば弦楽セレナードとか、あるいは「くるみ割り人形」組曲だったらどうだろう。ちょっと中心のない並びになってしまうように思う。あるいは、ほかの日にチャイコフスキーの 4番・6番を演奏しているのだから、三大交響曲の残るひとつである 5番を入れてみたくもなるが、そうすると、全体的にポピュラーコンサート的なツアーになってしまうかもしれない。そう思うと、この組み合わせはなかなかに巧妙だ。

組曲 3番は、私は結構好きな曲で、時々スヴェトラーノフの CD で聴いてみたりするのだが、何がよいかと言うと、その始まり方のさりげなく、また懐かしいこと。そしてその最後の盛り上がりの、意外な熱狂。4楽章のこの音楽には、ロシア情緒 (と限定せずともよいかもしれないが) を醸し出すノスタルジアも溢れている一方で、最後の華麗なるポロネーズで燃え上がる万感の思いにつながる音のドラマ性も、充分にある。終楽章の変奏曲には、ラフマニノフばりの「怒りの日」の引用もある。決して彼のシンフォニーのようなポピュラリティはないが、これは味わい深い、素晴らしい名曲だと思うのだ (なお、1885年の初演は、あのハンス・フォン・ビューローが指揮している)。今回の演奏では、やはりオケの各パートが大変きれいに鳴っていて、しかもお互いを尊重しあうように響く中、クルレンツィスが、時にけれんみたっぷりに流れを停めてみたり、ガサガサいう音を出してみたり、終始強力なリードを見せ、大きなダイナミックレンジを持って曲の個性を演出してみせた。面白いことこの上ない演奏だったと思う。さて、ここでひとつ異変が起こった。終楽章ではコンサートマスター (私が前回聴いた時とは異なる人で、アレイン・プリッチンという若い人) がソロを弾く場面があるのだが、終演後の拍手で指揮者がそのコンマスを称えたと思ったら、いきなりアンコールが始まった。なんとそれは、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の第 3楽章ではないか!! もちろん、コンマスのプリッチンがソロを弾いたわけであるが、先日のコパチンスカヤの奔放さはないものの、華麗なるテクニックで、しかもオケの一員としての節度も感じさせる演奏を行った。このような奇抜な仕掛けこそ、クルレンツィスの本領発揮であろう。普通、こんなこと誰もしませんよ!! (笑) 演奏後のクルレンツィスは、まさにしてやったりの会心の笑顔。そうしてコンマスはもう 1曲、ソロでのアンコールとして、イザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第 2番の第 1楽章を演奏した。バッハの引用が歪み、目くるめく音の渦からやはり「怒りの日」が浮かび上がる、あの幻想的な名曲である。奇しくも、先日のコパチンスカヤも、ソロのアンコールはイザイであった。同じ無伴奏でも、ここでバッハとなると、ちょっと正統的過ぎるので、イザイとは妥当な選択だろう。

ここで、例によって弦楽器編成に触れておこう。これがまた面白くて、前半の「組曲」では、第 1ヴァイオリン : 17、第 2ヴァイオリン : 15、ヴィオラ : 14、チェロ : 14、コントラバス : 9。前回の演奏会と近いが、前回はチェロが 13本であった。あ、そして今回も、後半ではなぜか第 2ヴァイオリンだけ 1人増えて、16となっていた。この細かい差異には、何か意図があるのだろうか。

後半の 2曲も、言ってみればクルレンツィス節が炸裂である。やはりチャイコフスキーの管弦楽曲はよく書けているので、うまく鳴らせば面白いことこの上ない。実はこの 2曲、当初発表では、「フランチェスカ・ダ・リミニ」「ロメオとジュリエット」の順であったものが、当日会場では、その逆になるとの告知があった (プログラム冊子は既に逆の順番で掲載されている)。これは「演奏者の強い希望による」ものとのことであったのだが、「ロメオ」が始まる前、コンサートマスターが指揮者に何やらささやき、指揮者は笑いながら譜面台の楽譜の上下を入れ替えていたように見えた (笑)。ともあれ、「ロメオ」の冒頭、クラリネットとファゴット 2本ずつのハモり方は万全で、楽員たちの呼吸が合っている。この冒頭部分は速いテンポで走り出したが、低弦が腹をえぐり、高弦が抒情的に伸びると、情緒たっぷりの音のドラマである。そして音楽は盛り上がり、ティンパニは炸裂、金管は咆哮する。見事である。これは、ラファエル前派のフランク・ディックシーという画家が描く「ロメオとジュリエット」。
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それにしてもこの地方オケは、なぜにこんなに巧いのか。楽員は 12ヶ国から集まってきている国際的なメンバーで、多くはコンクールで優勝歴があるそうだが、私が思うに、やはりこれだけのクオリティを維持しているのは、練習を重ねているからだろう。プログラム冊子に載っている日本人楽員の文章によると、今回の来日公演の曲目 6曲は、1月20日頃からまる一週間ですべて練習し、本拠地ペルミ、エカテリンブルク、サンクトペテルブルグ、モスクワというロシア諸都市でコンサートを開いてから、日本にやってきたらしい。つまり、ある期間は、寝ても覚めてもこれらの曲ばかりということか。短いリハーサルで様々な指揮者と顔合わせをする多忙なオケとは、練習方法が異なるようである。なお、クルレンツィスの長くて執拗なリハーサルには、メンバーも怒り気味だとか (笑)。その一方でクレメンツィス自身は、「このオケは常に一緒にいる家族のようなものです。ともに生活し、湖畔でたき火や釣りをする。仕事をするためではなく、友情でつながっています」と嘯いているのだが、ま、それもまた本当のことだろうと思う。オケに一体感があるからこそ、指揮者が濃厚な表情づけをしても崩壊せずに音が流れて行くのだろう。「フランチェスカ・ダ・リミニ」は、以前も書いたことがあるが、チャイコフスキーの書いた最も激しい曲で、冒頭部分は本当に、地の底から地獄の風が吹いているような不気味さだ。激烈な部分の後には愛のシーンがあって、そこでの抒情性も極めて美しい。強弱のメリハリを大胆につけたこの演奏は、ある意味でチャイコフスキーの本質を十全に表現していたと思うし、聴きごたえは十二分であった。これは、上と同じくフランク・ディックシーの「パオロとフランチェスカ」。
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この演奏会、アンコールは前半に済ませてあるので (笑)、最後にはアンコールは演奏されなかった。例によって起立したまま演奏した奏者たちは、立っているから体も動かしやすいのだろう、それぞれのセクションで握手を交わしている。皆立っているので、通常のように個々の奏者が指揮者の合図で起立することもない (指揮者が差していない楽員が間違って起立することもない。笑)。指揮者がそのセクションにまで入って行って、握手をし、ハグをし、肩を抱き合う。そんなシーンが見られた。なるほどこれは、世界のほかのどのオケにもない個性を持ったオケである。そして、東方からやってきたクルレンツィスは、これからどんな活動を展開して行くのであろうか。ムジカエテルナは上記の通り、大変恵まれた環境で活動しているようだが、ほかの指揮者を迎えることもあるのだろうか。クルレンツィスの方は昨年秋から、南西ドイツ放送交響楽団の首席指揮者に就任している。このオケの本拠地はシュトゥットガルトであり、名門シュトゥットガルト放送響と、もともと現代音楽で有名だった旧南西ドイツ放送響 (その後バーデン=バーデン・フライブルク SWR 響と改称) との合併によって、2016年にできたばかりである。母体の歴史は戦後すぐからあるわけだが、組織としては新しいこのオケと組んで、この鬼才指揮者がどのように面白い音楽を聴かせてくれるのか、そちらも楽しみである。

by yokohama7474 | 2019-02-14 01:17 | 音楽 (Live) | Comments(4)

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私がクラシック音楽を聴き始めた 40年ほど前は、世界の音楽界には中心と辺境があった。例えばカラヤンとベルリン・フィル、あるいはショルティとシカゴ響、あるいはベームやバーンスタインというスター指揮者たちは毎月のように新譜を出し、音楽ファンはその新譜を楽しみにしていた。それこそが世界音楽界の、押しも押されぬ中心であった。もちろん、期待の新人というものは時々出て来たが、それが指揮者であれば、名の知れた一流オーケストラとの共演で活躍の場を広げて行ったものだ。そう書きながら、例えばサイモン・ラトルはバーミンガム市交響楽団という、誰もが認める世界の超一流というわけではないオケの音楽監督として頭角を現したが、そのオケはしかし、ラトル以前にもメディアではある程度はその名を知られたオケであった。また、レナード・スラットキンがセントルイス交響楽団とともに名を馳せたことは珍しい快進撃であったと評価できようが、それにはやはり、米国においてショルティとシカゴ響が持っていた絶対的な優位性が、前提としてあったものと思う。しかしながら 21世紀に入ってからは、今まで誰も知らなかった指揮者が、今まで誰も知らなかったオーケストラとともに音楽界に激震を与えるということが起きている。それも、ウィーンやベルリンや、その他世界の大都市に本拠地を置くのではなく、「えっ、そんなところにオケがあるの?」と思われるような意外な場所から。これは、誰もが認める音楽界の中心というイメージが徐々になくなってきていて、本来辺境であった地域も、今や成果さえ挙げれば、中心のひとつになりうるということではないだろうか。例えばグスターボ・ドゥダメルとシモン・ボリバル・ユース・オーケストラなどはその好例であるが、ここでご紹介するテオドール・クルレンツィスとムジカエテルナの活動も、実に 21世紀的な先鋭性を持っている。このコンビは今回が初来日だが、拠点としているロシアと、ヨーロッパの都市以外への演奏旅行は、今回が初めてだという。
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まずはこの楽団であるが、日本語で「ムジカ・エテルナ」ではなく「ムジカエテルナ」と、間の点を入れずに記載されるには理由があって、それは、英文での名称が "musicAeterna" と一続きの表記になっているからである。"Aeterna" とは「永遠の」という意味。レクイエムの歌詞として使われるラテン語の典礼文に、"Lux Aeterna" (ルクス・エテルナ = 永遠の光) というものがあるが、その Aeterna である。このオケの設立は 2004年。音楽監督クルレンツィスによって、ロシアのノヴォシビルスクにおいて活動を開始した。その後 2011年にはやはりロシアのペルミという場所に移転し、同地の歌劇場のオーケストラとなった。もうここまでで、かつて音楽界に中心があった時代には考えられないような歴史であることが分かる。ノヴォシビルスクはシベリアの都市であることくらいは知っているが、その場所はよく知らないし、ましてや、ペルミってどこ? 失礼ながら、とても伝統的なヨーロッパのオーケストラ文化が深く根付いている場所とは思えないのであるが、事実として、このクルレンツィスとムジカエテルナの名声は、現代クラシック界において、既に最上級のものになっている。例えば日本でも、2018年のレコードアカデミー大賞はこのコンビのマーラー 6番であったし、2017年の大賞も、やはりこのコンビによる「悲愴」であった。ついでにもう 1年前の 2016年には、今回の来日公演と同じコパチンスカヤをソリストに迎えてのチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲が、レコードアカデミー賞の協奏曲部門を受賞している。その意味では、既に日本でも盛名を馳せているこのコンビ、大きな期待を背負っての初来日であるのである。指揮者テオドール・クルレンツィスは、1972年生まれで、今月 47歳になる。ギリシャ人だが、アテネで音楽を学んだ後、サンクトペテルブルクで名教師イリヤ・ムーシンに師事。サンクトペテルブルク・フィルで名指揮者テミルカーノフの助手を務めたあと、上記の通りノヴォシビルスクに移り住んだ。年齢的には若手というよりも既に中堅だが、彼の登場によって、21世紀のクラシック音楽界には激震が走ったことは疑いがない。私もこれまで何枚か彼の録音を聴いていて、その優等生的な表現とは程遠いカリスマ性に震撼する思いである。人類史上初の豊かな演劇文化を産んだ古代ギリシャのイメージを、このような写真が発散している。
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そのようなクルレンツィスとムジカエテルナは今回、東京で 3回、大阪で 1回の公演を行う。東京公演はどうやらすべて完売のようだが、興味深いのはその曲目。すべてのプログラムがチャイコフスキーの作品から成っている。私が今回聴いた初日の公演の曲目は、以下の通り。
 チャイコフスキー : ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品35 (ヴァイオリン : パトリツィア・コパチンスカヤ)
 チャイコフスキー : 交響曲第 6番ロ短調作品74「悲愴」

これだけ見れば、よくある名曲コンサートであるかに思われるが、その内容は期待に違わぬ、実に強烈なもので、これらの聴き慣れた曲たちが、なんとも異様な色彩を放つところに、満員の聴衆は立ち会うこととなった。まず最初のコンチェルトであるが、つい先日、大野和士と東京都交響楽団との共演でシェーンベルクのコンチェルトを弾いたばかりのコパチンスカヤが、今度はこのポピュラーなコンチェルトにおいて、まさにその野性を炸裂させ、実にやりたい放題の離れ業の連続である。
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彼女が裸足で演奏することはよく知られているが、クルレンツィスとともに、通常と異なりステージ上手側から姿を現わした彼女は、赤いエナメル製かと見えるスリッパを履いていた。そして演奏前にそれをきっちり脱いで裸足となった。オケの配置は、もちろんヴァイオリンは左右対称だが、コントラバスはひな壇の上に乗って、ステージ下手奥にずらりと一列で陣取っている。その後ろにステージドアがあり、人が通れる狭いスペースはあるものの、指揮者とソリストの登場する場所としては、まるで裏口のようだからか (笑)、今回の演奏会では上手が出入りに使われていた。さて、演奏に戻ると、なんと表現すればよいのだろう。冒頭から音楽は実に丁寧に、強弱豊かに演奏され、ルーティーン的な惰性は全く聴かれない。ヴァイオリンの入りも実に極端な表情づけがされていて、美麗に弾くことよりも、この音楽の持つ生命力を表現することに主眼があったに違いない。指揮棒はもちろん、指揮台すら使わず、体をほとんどソリストと第 1ヴァイオリンの方に向けて指揮するクルレンツィスは、何かが憑りついたかのような集中ぶりである。例えば第 1楽章のカデンツァ (このあと楽章最後までソリストは弾きっぱなしになるのだが) 手前でオケが盛り上がるところは、何かガサガサしたものすら感じられるような、ささくれだった凄まじい音響。対照的に第 2楽章では、木管が実にきれいに抒情を表現したが、そこには何か、常に音の底にマグマが眠っているような印象だ。そして終楽章の熱狂は言うまでもない。こんな演奏で聴くと、この曲が本来持っている生命力を実感することができて、改めてチャイコフスキーの音楽のドラマ性に打ちのめされるのである。そしてコパチンスカヤは 3曲のアンコールを演奏したのだが、まずは聴衆に向かって英語で「日本で演奏できるのはいつも喜び (joy と pleasure という 2種類の言葉で表現) であり、名誉です。このオケは特別な存在で、ひとりひとりがソリストのようです。私は彼らのうち何人かと一緒に演奏します」と語りかけた。そして演奏したのは以下の 3曲。
 ダリウス・ミヨー : ヴァイオリン、クラリネットとピアノのための組曲作品157b (クラリネットとの共演)
 ジェルジ・リゲティ : バラードとダンスからアンダンテ (コンサートマスターとの共演)
 ホルヘ・サンチェス=チョン (ベネズエラ) : クリン (ソロ)

これらはいずれも一般的な知名度の低い曲であり、3曲目に至っては、これまで名前も聞いたことのない作曲家である。だがコパチンスカヤの演奏には一貫するものがあり、例えばそれは 1曲目ではユダヤのクレッツマー音楽のような雰囲気であり、2曲目では、リゲティとしては異例なほど明確な旋律線による民俗性であり、そして 3曲目では、呟きや雄叫びを上げながら、超絶技巧による熱狂を巻き起こした。なお、1曲目のミヨーは、「荷物を持たない旅行者」という劇音楽からの編曲。2曲目のリゲティは、1950年作というから、作曲者弱冠 27歳の頃の、2つのヴァイオリンのための作品。そして 3曲目のサンチェス=チョンは、1996年にコパチンスカヤのために書かれた曲で、2014年のアシュケナージ指揮 NHK 交響楽団の演奏会でもアンコールとして演奏している (YouTube でも見ることができる)。モルドヴァ出身の彼女は、父が有名なツィンバロン奏者とのことであり、このような東欧の雰囲気が、その演奏活動の土台になっているようである。

さて、メインの「悲愴」であるが、これはまたなんとも強烈な演奏で、クルレンツィスとムジカエテルナのコンビは、現代において他の追随を許さないほどの独自性をもった活動をしていることを、生の音で思い知ることとなった。もうこれまで何度聴いてきたか分からないこの曲を聴いて、あちこちで鳥肌立つ経験をするなんて、信じられない (笑)。まずはステージを見て気づいたことがいくつか。ひとつは、全員が起立したまま演奏することだ。もちろん、構造上座って演奏する必要のあるチェロや、楽器の大きいチューバとバスクラリネットは座ったままだったし、登場機会があまり多くない管楽器奏者たちは、時折座っていた。だが、ヴァイオリンとヴィオラは、椅子すらも取り払われて、ずっと立ちっぱなしだ。私の過去の経験では、ジョン・エリオット・ガーディナーが指揮するオルケストル・レヴォリューショネール・エ・ロマンティークの演奏会をロンドンで聴いたときに、確か弦楽器だけは同様に起立しての演奏であったことを覚えているが、どうやらこれがムジカエテルナのスタイルであるようだ。そして、例によってコントラバスを数えてみると、前半のコンチェルトでは 6本であったところ、「悲愴」では 9本。そうするとチェロは 10本か、もしかすると 11本かしらんと思って数えてみると、これがなんと、13本!! 極めて異例である。そこで、すべての弦楽器を数えてみたが (いや、数え甲斐ありました。笑)、第 1ヴァイオリン : 17、第 2ヴァイオリン : 15、ヴィオラ : 14、チェロ : 13、コントラバス 9 といった具合。なんとも特殊である。だが、ここで書いておきたいのは、彼らの奏でる音楽自体にエキセントリックなところは全くなく、「悲愴」の演奏としては、むしろオーソドックスであったと言えると思う。凡百の演奏と異なるのは、そのパートパートの音の明晰さに加え、全体で音のドラマを練り上げて行く一体感、そして、底知れぬ情熱ということであろう。死を前にしたチャイコフスキーが見ていた世界は、こんなにも激しく、こんなにも絶望に満ちたものだったのだ。いや、「悲愴」という曲を演奏する限り、誰でもそのことを表現しようとするわけだが、彼らの演奏には、上にも書いた通り、ルーティーン性は皆無。その意味では、冒頭に書いたような、かつて存在したクラシック音楽界の「中心」において繰り返し行われていた演奏活動と比べ、ロシアの小都市で厳しい練習を重ねて、乾坤一擲の演奏を披露することを目指すこのオケの活動には、聴き飽きた有名曲に新たな光を差すという結果がついてきているという意味であろう。演奏終了後、クルレンツィスは身じろぎもせず、あたかも追悼のような雰囲気で指揮台に立ち尽くし、永遠のようにすら思われる時間が経過してから、ようやく聴衆の拍手が沸き起こった。クルレンツィスは今回、「素晴らしいコンサートホールと成熟した聴衆が待っている」日本にやって来るのを楽しみにしていたとのことだが、我々日本の聴衆は、そのことを誇りに思うともに、まさに全身全霊での演奏に対し、最大限の敬意を払いたいと思う。

このクルレンツィスとムジカエテルナの演奏、私はもう一度楽しむことができる予定だが、今回の一連の演奏会は恐らく、この演奏家と日本との、今後長く続くことになるだろう緊密な関係の、記念すべき出発点になることだろう。我々は、そんな体験ができる幸運な立場にあることを、肝に銘じたいと思う。

by yokohama7474 | 2019-02-11 01:20 | 音楽 (Live) | Comments(9)

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東京においては、なかなかほかの都市では起こらないほど高度な音楽的イヴェントが度々起こることは、このブログで何度もレポートして来ている。だがこの日、2019年 2月 9日に起こったことは、ちょっと特筆ものであろう。世界でもそれほど演奏されていない 1時間ほどの規模の大交響曲が、全く異なる顔ぶれによって同じ日に演奏されたのである。いや、正確を期して書くと、「東京」ではなく「首都圏」で起こったのである。その交響曲とは、オーストリアの作曲家ハンス・ロット (1858 - 1884) の交響曲第 1番。ひとつはここでご紹介するパーヴォ・ヤルヴィと NHK 交響楽団 (通称「N 響」)、もうひとつは横浜で開かれた、川瀬賢太郎指揮神奈川フィルによるものである。この曲については追って語ることとするが、まずここで申し上げたいのは、超ポピュラーな作品ならともかく、このような珍しい曲が同じ日に違う演奏家によって別々に演奏されるのは、世界広しと言えども東京とその周辺のみ、と断言してしまってよいということだ。

実際今回の演奏会は、実にマニアックであって、こんな曲目で定期演奏会を組めるとは、さすがヤルヴィと N 響である。つまり、曲も渋ければソリストも若手で、誰もが充分な知識と興味を持って、喜んでコンサートホールに駆け付けるような内容ではない。会場を見渡すと、さすがのヤルヴィと N 響の演奏会でも、今回ばかりは 2階席や 3階席はかなり空席が目立つ状況であった。ではどんな曲目かというと、こんなものだ。
 リヒャルト・シュトラウス : ヴァイオリン協奏曲ニ短調作品 8 (ヴァイオリン : アリョーナ・バーエワ)
 ハンス・ロット : 交響曲第 1番ホ長調

ヤルヴィ / N 響のコンビは、大変に幅広い曲目を採り上げてきているが、その中にはいくつかのパターンというか、一種のツィクルスのようなものがある。これなどはさしずめ、「世紀末ウィーン」シリーズの一環とみなしうるもの。現代において世界的に活躍する指揮者には、このような一本筋の通ったプログラミングが必要ということだろうし、このヤルヴィはそのようなタイプの指揮者なのである。
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リヒャルト・シュトラウスはもちろん音楽史上有数の大作曲家だが、協奏曲作品は一部を除いて決してポピュラーとは言えず、彼にヴァイオリン協奏曲があることすら、一般的にはほとんど知られていないのではないだろうか。かく言う私自身もこの曲は、この作曲家の「室内楽全集」というセット物 CD の中で、ウォルフガンク・サヴァリッシュがピアノ伴奏をした版を聴いたくらいだと思う。コンチェルトをあとでピアノ伴奏用に編曲したのだろうと、ろくに曲のことも調べもせずに聴いていたのだが、今回の演奏会のプログラム冊子によって、この曲が最初に世に出たのは、そのピアノ伴奏の版によってであったことを知った。それは 1882年12月、作曲者弱冠 18歳のときのこと。オーケストラ伴奏版の初演は、その後1890年まで実現しなかったという。この曲は、シュトラウス学生時代の時の若書きであり、その絢爛たる作曲スタイルが確立する前のもの。伝統的な 3楽章制によっていて、第 1楽章冒頭のダイナミズムや、第 2楽章の抒情、第 3楽章の活力など、聴き手にアピールする部分はあるが、一般的な人気を博すほどの魅力は、正直ないように思う。だがこれを聴くことで、大作曲家シュトラウスの原点に対するイメージが沸くという点は貴重である。今回ソロを弾いたアリョーナ・バーエワは、1985年カザフスタンのアルトマイ生まれで、もうすぐ 34歳。モスクワで学び、ヴィエニャフスキ国際コンクールや仙台国際コンクールで優勝し、ロシア系の指揮者たちとは多く共演している人であるらしい。今回が N 響初登場。尚、ファーストネームの日本語表記は、「アレーナ」になっているケースもあるし、苗字の方も「バエーヴァ」(綴りを見ると確かにそう読める) になっているケースもあるようだ。
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このバーエワのソロは、一般的な知名度の低いこのコンチェルトでも、暗譜できっちりとこなす丁寧なもので、未知の曲を紹介するという気概よりは、ごく自然なアプローチ、つまりは曲想が凡庸に響く箇所でも取り繕うことのない姿勢を見せたように思う。正直なところ、このなじみのない曲では彼女の持ち味を充分堪能できたか否か分からない面もあるが、その真摯な演奏ぶりには好感が持てた。また、アンコールとして、「ドウモアリガトウゴザイマス」と日本語で喋ってから英語で曲名を紹介した、イザイの無伴奏ソナタ第 5番の第 1楽章を聴いてみると、繊細なロマン性を備えたヴァイリンであると思う。左手のピツィカートが何度も出て来て、ちょっと異色の曲ではあるが、「曙光」という題名にふさわしく、無限的な雰囲気で、聴きごたえがあった。

さて、ハンス・ロットである。上で生没年を書いたが、26年に満たない短い人生を駆け抜けた作曲家。
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今日、彼の交響曲第 1番 (1880年完成) が一部の音楽ファンに知られているのは、ひとえにマーラーとの関係による。つまりこの曲を聴くと、マーラーの第 1番「巨人」をはじめとする数々の作品 (2番「復活」、3番、5番、7番「夜の歌」など) の音響を断片的に先取りしているように聴こえるし、また、ワーグナー的な部分、ブルックナー的な部分もあちこちにある。これには理由があって、このロットはウィーン音楽院でマーラーの同級生であり、師のブルックナーには特別に目をかけられていたそうだし、18歳の 1876年には、バイロイトで「ニーベルングの指環」初演に立ち会っている。だが彼はもともと私生児として生まれ、若くして両親と死別するという悲運に遭っている。ウィーン音楽院では頭角を現したようだが、その作品はなかなか演奏の機会に恵まれず、22歳のときに精神を病んでしまう (自作を認めなかったブラームスへの異常な憎しみを抱いていたという)。何度か自殺未遂を繰り返した挙句、26歳の誕生日を待たずして、結核で他界したという。ウィーン音楽院におけるマーラーの同級生で、やはり精神に異常を来して死んでしまった作曲家には、ほかにもフーゴ・ヴォルフがいるが、これら悲劇の作曲家たちの生き様を、ヨーロッパ世界の秩序が限界に至っていた頃の世紀末ウィーンのイメージに重ねることで、様々な陰影を感じることができる。せっかくなので、このロットがいかにブルックナーとマーラーに評価されていたかを、ここに書いておきたい。

まずブルックナーが、聴衆たちの失笑を買って失敗に終わった、このロットの交響曲第 1番第 1楽章の初演 (1876年) の際に言った言葉。

QUOTE
諸君。嗤うのはよしたまえ。君たちは今後この人物が創り出す素晴らしい音楽を聴くことになるのだから。
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また、学生時代ロットと親しく交わったマーラーは、1900年に、ウィーン・フィルとこのロットの 1番を演奏できないかと検討したらしく、その時のマーラーの言葉は、ナターリエ・バウアー=レヒナーの「グスタフ・マーラーの思い出」に載っている。少し長い引用だが、何度も繰り返して読みたくなるほど、マーラーのロットへの思いがにじみ出ている素晴らしい言葉だと思うのである。

QUOTE
彼を失ったことで音楽のこうむった損失ははかりしれない。彼が 20歳のときに書いたこの最初の交響曲でも、その天才ぶりはすでにこんなにも高く羽ばたいている。僕が見るところ、この作品は --- 誇張ではなく --- 彼を新しい交響曲の確立者にするほどのものだ。もちろん、彼の表現しようとしたものは、まだすべて達成されていない。それはまるで、物を投げようとして、大きく振りかぶったが、まだ不器用なために目標にうまく当たらなかったようなものだ。でも僕は、彼がどこを目指していたかわかる。それどころか、彼は僕と心情的にとても近いので、彼と僕とは、同じ土から生まれ、同じ空気に育てられた同じ木の 2つの果実のような気がする。僕は彼から非常に多くを学ぶことができたはずだし、たぶん僕たちが 2人そろえば、この新しい音楽の時代の中身を相当な程度に汲みつくしていただろう。
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このようなハンス・ロットの交響曲、第 1番とされているが、第 2番という作品は、スケッチはあったようだが作曲者自身が破棄したため、この 1番が、ロット唯一の交響曲である。だがこの曲の初演は、作曲者の生前はもちろん、上記のような熱意を持っていたマーラーですら実現できず、作曲後 100年以上を経た 1989年になってようやく、シンシナティでなされた (これは、もしかしてヤルヴィが一時期首席指揮者を務めていたシンシナティ交響楽団かと思いきや、シンシナティ・フィルという別団体によるものであった)。その後世界各地で演奏されることとなり、パーヴォの父ネーメ・ヤルヴィもデトロイト交響楽団と採り上げており、またパーヴォ自身も既に、2010年にフランクフルト放送響とこの曲を録音している。日本でも、2004年11月に、沼尻竜典指揮日本フィルによって初めて演奏されている。これがパーヴォの録音。
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前置きが大変に長くなってしまったが、やはりこの演奏会の価値を記録するには、そのような諸々の事柄を書いておかねば、という思いによるものである。そして今回の演奏であるが、まさに予想通り、ヤルヴィと N 響の間の蜜月をそのまま音にしたような、実に充実したもの。この曲は、上のマーラーの言葉を俟つまでもなく、決して超一流の作品とは言えないかもしれない。だが、既にマーラーの作品をよく知っている我々東京の聴衆にとっては、それはもう、あちらこちらに面白さが詰まった、聴き飽きない曲である。既に幾多のマーラー演奏が行われてきたこの東京であるからこそ、この作品に魅せられる聴衆がいるわけだし、その期待を存分に満たすだけのオケの鳴り方であった。冒頭のトランペット (ちょっと「巨人」の「花の章」を思わせる) に始まり、金管は実に堂々たる音でこの音楽のドラマを彩ったし、第 3楽章スケルツォの後半に出て来る激しいフーガを、こんなに見事に演奏する弦楽器群も、世界にそれほど多くないのではないかと思われるほどであった。曲想の変化は著しく、中心主題そのもののの洗練度にも課題はあれこれある曲だが、ある時には映画音楽のようにも響き、第 1楽章のある個所では、ちょっと美空ひばりの「川の流れのように」のようにも響く(?) と書けば、その旋律の親しみやすさも分かろうというものだ。不遇な作曲者の残した貴重な文化遺産、今後さらに演奏されて行くことになると思うので、今回のような見通しのよい充実した演奏で親しむことの意義は、大きいと思う。

このように、ほぼ同世代に属し、ひとりは音楽史上に大きな足跡を残した作曲家、もうひとりは夭逝によって忘れられてしまった作曲家の、それぞれの若書き作品を並べたこのコンサート、ヤルヴィと N 響だからこそなし得た快挙であると思う。実はロットの交響曲 1番をレパートリーとしている指揮者がほかにもいて、それはこの 4月から読売日本交響楽団の常任指揮者に就任するセバスティアン・ヴァイグレである。そのヴァイグレは、最初のシーズンで早速このロットの 1番を採り上げる (今年の 9月)。今回、N 響と神奈川フィルにはちょっと先を越されてしまったかもしれないが、それだけにヴァイグレの気合も入ろうというもの。かくして東京の音楽界は、さらに充実度を増して行くのである。

by yokohama7474 | 2019-02-10 02:58 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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新日本フィルハーモニー交響楽団 (通称「新日本フィル」) の、第 600回定期公演である。このオケが旧日本フィルから分裂して発足したのは 1972年。それから半世紀近くの時をかけて演奏を積み上げ、区切りの 600回定期ということになる。会場のサントリーホールにはそれを記念して、小澤征爾指揮で行われた第 1回定期公演から、第 100回、200回、300回、400回、500回の各定期演奏会のポスターが展示されていた。以下は第 100回 (小澤指揮のマーラー「復活」)、及び第 200回 (朝比奈隆指揮の第九)、第 300回 (これは渋くて、作曲家でもあるペーター・エトヴェシュ指揮のドビュッシー、ベリオ、ブラームス=シェーンベルク) のポスターである。
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この記念すべき第 600回定期を指揮するのは、米国人指揮者で、現在 65歳のヒュー・ウルフである。一般的な知名度は決して高くないかもしれないが、私は彼がフランクフルト放送交響楽団 (現 hr 交響楽団) の首席指揮者であったであった頃 (1997 - 2006年) に何度か FM でライヴを聴いて、興味を持っていた。2017年 9月からは、ベルギー国立管弦楽団の音楽監督であるそうだ。2010年 2月に一度、新日本フィルの指揮台に登場していて、今回が 2度目の共演とのことだが、私は初めて彼の生演奏に接する。それがまずひとつの楽しみ。
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もうひとつの楽しみは、曲目である。オール・コープランド・プロ。
 市民のためのファンファーレ
 クラリネット協奏曲 (クラリネット : 重松希巳江)
 交響曲第 3番

あ、あれ? アーロン・コープランド (1900 - 1990) の名前は、このブログで最近触れませんでしたっけ。などと白々しいことを書いているが、前項で津野海太郎著による「ジェローム・ロビンスが死んだ」という本を採り上げたとき、その最後の部分で、この作曲家について「近く語ることになるような気がする」と書いた。なんたることか、そのコープランドについて語る日が、早速に来ようとは (我ながら本当に白々しいな。笑)。前項で考察した 1940 - 50年代の米国、つまりは、最初は敬遠していた戦争に入って行き、それに勝利することが見え、実際に勝利して戦勝気分に浸るのもつかの間、ファシズムの次には共産主義という新たな敵が登場し、経済発展をしながらも、社会には大きな不安が蔓延した、そんな時代の米国で、米国らしい音楽を作り上げるのに大きな貢献のあった 20世紀の大作曲家である。
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この演奏会によるこの曲目。上記の通り、私にとっては必聴の組み合わせであったのだが、まぁ予想通りと言うべきか、会場のサントリーホールに着いてみると、入っている聴衆はせいぜい半分程度。しかも、中学生だろうか、学生服の男女がホール内のあちこちに陣取っていたので、学生たちを招待したのかもしれないし、また、当日券売り場には「学生 1,000円」とあって、そこにはかなり長い列ができていた。この集客力の低さは致し方ないと言うべきなのかもしれないが、このブログのひとつの目的は、東京で起こっている音楽イヴェントの面白さをレポートすること。例えばリッカルド・ムーティとシカゴ交響楽団の来日公演の記事を書くと、一週間で 1,000人以上からのアクセスがあるところ、この記事はどうであろうか。1人でも多くの人の目に触れて欲しいと思いながら、記事を書いて行こう。

アメリカ合衆国はもちろん、様々な国からの移民によって成り立ってきた。もちろんそこには先住民もいるし、白い人たちだけでなく、黒い人たち、黄色い人たち、様々だ。その複雑さは、当然ながら文化的な多様性にも反映しているだろう。それゆえ、ヨーロッパで生まれたいわゆる西洋音楽というものは、米国においては特殊なアマルガムとして発展したと言えるのではないか。その受容層は、ヨーロッパに起源を持つ白人が、少なくとも初期はメインであったろうが、いわゆる米国特有の音楽が、ラグタイムとかジャズとか、そういった分野で発展するにつれ、融合しながら、汎米国的なものになっていったものと理解する。そしてその音楽はまた、ヨーロッパにも逆輸入されることにもなった (ジャズの影響を受けたラヴェルが最上の例か)。私は、ラグタイムとかスイングジャズとかディキシーランドジャズとかビバップなんかも大変好きで、古い録音もそれなりに持っているが、その話はこのあたりにして、コープランドである。20世紀が始まる 1年前に生まれたこの人こそ、レナード・バーンスタイン (と、もしかするともう一人はジョン・ウィリアムズではないかと私は思っているが) と並んで、20世紀の米国音楽を創造したひとり。特にバーンスタインとコープランドとは、生涯の親友であった。今私の手元にある "Bernstein Remembered" (「想い出のバーンスタイン」) という写真集から、1941年の写真をご紹介したい。これは、ボストン交響楽団の夏の活動地であり、米国を代表する教育イヴェントであるタングルウッド音楽祭の閉会式の様子。奥から、コープランド、バーンスタイン、そしてこの音楽祭を 1939年 (この写真のたった 2年前!!) に創設した大指揮者で、バーンスタインが生涯心酔していた師匠であるセルゲイ・クーセヴィツキー。米国が日本と戦争に入る数ヶ月前であり、時にコープランド 41歳、バーンスタイン 23歳。クーセヴィツキー 67歳。
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タングルウッドと言えば、ついでにこんな写真もご紹介したい。今回のオケ、新日本フィルを創設した小澤征爾は、長らくこの音楽祭の責任者であり、この写真はそんな彼の功績を改めて思い出されるもの。1980年代半ばだろう、老いたコープランドとバーンスタイン、そして小澤。加えて、奥にかかった絵の中でコントラバスを弾いているのが、クーセヴィツキーなのである。
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コープランドの音楽に戻ろう。私が彼の音楽を知ったのは中学時代。そのバーンスタインが指揮する「エル・サロン・メヒコ」「アパラチアの春」「ロデオ」をアナログレコードで聴いた。特に「エル・サロン・メヒコ」の、まるで酒場で酔っぱらっているような愉悦感 (中学生が想像したところの。笑) は、本当に素晴らしいものであった。コープランドは結構自作を録音していたので、アナログレコードで自作自演もかなり買い集めたものである。だがその彼の代表作としては、今回のコンサートで最初に演奏された「市民のためのファンファーレ」を挙げることに、何のためらいもない。この曲は、コープランドという名前を知らずとも、聴いたことがある人は多いと思う。例えば、あるときローリングストーンズのライヴアルバムを聴き始めて、最初にこの曲が流れてきてびっくりしたことがある (今調べてみると、それは「ラヴ・ユー・ライヴ」というアルバム)。この曲がいかにも米国らしい雰囲気を持っているがゆえに、誰でも親しめる存在であることの証左であろう。今回の演奏では、新日本フィルの進境著しいブラスセクションと、思い切りのよい打楽器が、洗練された響きでホールを満たしたのである。

2曲目には、この新日本フィルの首席クラリネット奏者である重松希巳江がソロを取って、同じコープランドのクラリネット協奏曲が演奏された。2楽章からなる 20分ほどの曲で、委嘱・初演したのは、あのベニー・グッドマンである。この 2人の共演は、録音にも残っている。
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さてこの曲、以前、現代クラリネット界のレジェンド、リチャード・ストルツマンのソロでも聴いたことがあるが、静謐でニュアンス豊かな第 1楽章と、賑やかな第 2楽章の対比が面白く、どこを聴いても、まさにコープランドの作品である。私の新日本フィルのイメージは昔から、木管がうまいオケというものなのであるが、今回重松のソロを聴いて、やはり大変に感心した。表現の幅が素晴らしい。もしかすると第 2楽章などは、もっと砕けた演奏もありうるかもしれないが、やはりきっちりと演奏することで、味が出て来ると思うので、今回の演奏には充分な説得力があった。そしてアンコールには、コントラバス (いや、この場合はベースというべきか) 奏者が舞台前面に出て来てクラリネット・ソロを伴奏する。何やらおどけた曲調が、時々ボーッと低音に沈む。この小品は、モートン・グールドの "Benny's 70th Birthday"。おっとここでまた、米国音楽界における重要な名前が出てきましたよ。モートン・グールドは、作曲家兼指揮者で、私もアナログ時代からいろいろと聴いてきた。この曲は知らなかったし、調べてもあまり情報が出て来ないが、題名からして、ベニー・グッドマン 70歳を記念する作品だろうから、1979年の作だろう。

そしてメインはコープランドの 3番。彼の交響曲としては最も有名なものであろうが、そのひとつの理由は、第 4楽章に、「市民のためのファンファーレ」が転用されていることだろう。上述のクーセヴィツキーの委嘱によって書かれ、1946年、クーセヴィツキー指揮ボストン交響楽団によって初演されている。因みに今回の 3作品は、順に 1942年、1947-48年、1946年と、ほぼ同時期に書かれたもの。コープランドとても、1950年代以降は、若干難解な作風に走ったこともあるが、今回の選択は、実にコープランドらしい曲ばかりだと言える。さてウルフと新日本フィルは、ここでも大変に流れのよい、また迫力に満ちた演奏で、輝かしく曲を再現した。この曲は、ティンパニ以外に 4人いる打楽器奏者たちはほとんど休みなく演奏しているという印象であるが、それらの打楽器の音は、いわば点描のようなものであり、それを、ある時は抒情的に、ある時は暴力的に、弦が歌でつなぎ、管が膨らみを与える。オーケストラの面白さをあちこちで感じることのできる曲であると改めて実感したし、ウルフと新日本フィルの真摯な演奏によって、そのような曲の持ち味が十全に発揮されていた。名演であったと思う。因みにバーンスタインはこの曲を頻繁に採り上げたが、晩年、1985年にニューヨーク・フィルと再録音したものが、私の愛聴盤である。
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このような様々な意義に満ちた曲目を、充実した演奏で聴くことのできる、素晴らしい演奏会であった。初めて聴いたヒュー・ウルフであったが、その手腕には間違いがないと思うので、今度はまた違った曲目で聴いてみたい。

さて最後に。上記のタングルウッドでは最近、コープランドとバーンスタイン、それぞれの胸像が設置されたという。前者は 2011年、後者は 2014年。それぞれの胸像の前で写真を撮っている同じお爺さんがいるので、ご紹介したい。ええっと、誰だ、そのお爺さんは・・・。あ、おみそれしました。これぞ、この偉大な 2人と並んで、20世紀 (と、彼の場合は 21世紀に入っても) を代表するアメリカ音楽を作ったと私が尊敬する、ジョン・ウィリアムズでありました。素晴らしきタングルウッド!!
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by yokohama7474 | 2019-02-08 00:58 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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2月 3日は節分の日。今年は結構寒い冬であったが、翌日はいよいよ立春となる。もちろん、これを境に劇的に暖かくなるわけもないのだが、今回の節分は、春を思わせる日差しもあり、上野公園は人々で賑わっていた。私もこのコンサートの前に、あっそうそう、これを見たかったのだよと思ったものを、見に出掛けた。それは、京成電鉄の廃駅、博物館動物園前駅の特別公開である。昨年の 11月23日から金・土・日に行われているこの催し、いよいよ 2月24日 (日) で終了なので、そろそろ行かねばと思った次第であったが、現地に到着してビックリ。既に今日の分は入場打ち切りだという。聞けば、朝 11時からの公開なのに、10時15分頃には 1日分の整理券がなくなってしまうという。それほどの人気とは、おみそれしました。その代わりというわけではないが、こちらも昨年 11月から再オープンしている重要文化財の旧東京音楽学校奏楽堂を久しぶりに見学。コンサート前のゆとりの小観光タイムでした。せっかくなので、外から見た博物館動物園駅 (内部には現代アートが置かれている) と、奏楽堂内部 (藝大の学生によるチェンバロコンサートがその後予定されていた) の写真を掲げておこう。
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日本はこんな気候であるが、米国シカゴには異常寒波が到来しているという。もともとシカゴの冬は寒くて雪も多いわけであるが、それでも今年はなんと氷点下 30度!! というから驚きだ。現在日本公演中のシカゴ交響楽団のメンバーも、それぞれに家族の安否を確認していることだろう。これが本拠地シカゴ・オーケストラホールにおけるシカゴ響の写真。残念ながら私は行ったことがないが、巨大ホールであるらしく、このオケの巨大音響は、このホールに起因するという説を聞いたことがある。ただ、調べてみると収容人数は 2,500人で、NHK ホールよりはかなり小さい (笑)。
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これまで 2種のプログラムをレポートしてきたムーティとシカゴ響の演奏、今回は東京での最後の公演で、曲目は以下の通り。
 チャイコフスキー : 交響曲第 5番ホ短調作品 64
 リムスキー=コルサコフ : 交響組曲「シェエラザード」作品35

これまで、ブラームス 2曲というドイツ物、ヴェルディのレクイエムというイタリア物と来て、今回はロシア物である。この 3種のプログラム、多彩ではあるがいずれもスタンダードなもの。しかも、初演された年代はいずれも 19世紀後半、1870 - 80年代である。さらに具体的には、ブラームスの 1番の初演は 1876年。同じく 2番の初演は翌 1877年。そしてヴェルディのレクイエムの初演は 1874年と、実はブラームスの 2曲と同時代の音楽なのである。さらに興味深いのは今回の 2曲。なんと、チャイコフスキー 5番と「シェエラザード」とはともに 1888年に、同じサンクトペテルブルクで初演されているのである!! これはムーティの深い思惑であるのか、それとも偶然であるのか、判然とはしないものの、ロシアにおける西欧派と目されたチャイコフスキーと、「ロシア五人組」の一人であった R= コルサコフの、それぞれの代表作を並べて聴くことで、帝政ロシアの豊かな文化を知ることができるだろう。因みに生年は、チャイコフスキーが 1840年。R=コルサコフは 1844年と、ほぼ同世代の 2人である。サンクトペテルブルクにおける文化の粋を今に伝えるエルミタージュ美術館の開館は 1863年。つまりはこれらの作曲家が若い頃のことである。なんと文化的な。
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さて今回の曲目 2曲は、どちらもコンサートのメインを飾るべき大曲。一体どちらを先に演奏するのであろうか。実はチラシには、「シェエラザード」、チャイコフスキー 5番、の順で曲目が記載されていたので、やはり大音響で盛大に終わるチャイコフスキーをメインに持ってくるのだなと思っていたのだが、実際に会場に行ってステージを見渡してみると、最初の曲の編成では、打楽器がティンパニだけだ。ということは、チャイコフスキーが先なのである。うーん。チャイコフスキー 5番を「前座」に据えた演奏会が、かつてあったであろうか。いや実は、比較的最近、東京でもそのような演奏会があった。既にライヴ録音も発売されている、ドイツ・グラモフォン創立 120周年記念演奏会における、ディエゴ・マテウス指揮のサイトウ・キネン・オーケストラの演奏がそうである。だがそれは、飽くまで特別な機会。今回のような通常の来日コンサートでは、このような贅沢は、なかなかないのである。ともあれ今回の順番、聴いて行くうちに理解できたことには、アンコールを想定すると、多くの打楽器やハープを含む「シェエラザード」を後半に置く方が好都合である。

いやそれにしても今回の 2曲、まさに我々が知っているシカゴ響という世界有数のオケの実力がいかんなく発揮された、凄まじい演奏であったと思う。特に、これまでの曲目にも増して金管が炸裂する箇所が多いだけに、それはもう、世界最強という言葉がぴったり来るイメージであった。だが、演奏の内容はさほど単純ではなく、例えばチャイコフスキー 5番は、第 1楽章は極めて重々しく始まり、それから隙のない緻密な音響が紡がれていったものの、若き日のムーティの流麗な快速調のイメージは皆無で、実に重厚で遅いテンポである。とは言ってもそこはムーティ。テンポが遅くても音楽がダレることは一切ない。しっかりした足取りで、チャイコフスキーがスコアに託した音のドラマを展開してみせるのである。第 2楽章では、冒頭はやはり遅めのテンポであったものが、ゲネラル・パウゼ (総休止) の後には、まるで過去を懐かしむような明るく温かい音が流れ、そうして抒情が盛り上がって行ったと思うと、その夢を破る「運命のテーマ」はまさに強烈な一撃。そうして諦めのようなクラリネットと弦が余韻を持って響く。第 3楽章はまさに宙を漂うような雰囲気で、木管のニュアンスも最高だ。そうして終楽章では推進力に満ちたオーソドックスな解釈で、刻々と音楽的情景の変わる音のドラマを、堂々と描き切った。東京文化会館にはステージ下手側に時計があるので時刻を見てみると、14時に開演して、最初のチャイコフスキー 5番が終了したのはちょうど 15時頃。開演までの準備に要した時間を考慮しても、優に 50分を超える演奏時間であったろう。

そしてもちろん「シェエラザード」も、まさに絢爛たる音の絵巻であり、オケの各パートの精度は、それはもう並大抵のものではない。私の場合、今年に入ってからこの曲の実演を聴くのはこれが 4回目となるが、ムーティとシカゴの王者の風格には、脱帽である。ただ暴力的に音が立ち上がるのではなく、描写音楽らしいきめ細やかな表情 (例えば第 2楽章のクラリネットやファゴットなど) が随所に聴かれたし、コンサートマスター、ロバート・チェンのソロ・ヴァイオリンも、ただ技術的に高度ということだけでなく、その場面場面で音楽が持つべき濃い表情を、嫌味なく描き出していたと思う。ムーティのこの曲の録音には、1982年にフィラデルフィア管と行ったものがあるが、そこで聴かれた絢爛さに、より一層深い表現力が加わった演奏が、今回実現していた。ただ惜しむらくは、終了時の拍手のフライングである。この音楽都市東京で未だにあのようなことが起こるとは、なんとも残念。ほんの数名ではあったが、ここはひとつ、周りを見てから行動する日本的慎み (?) があってもよかったように思う。これが昔のムーティの録音のジャケット。
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そして案の定アンコールが演奏されたが、ムーティが客席に向かって、「イタリア・オペラです」と英語で語り掛け、そうすると「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲だろうか、と思った私の予想は裏切られ、「ジョルダーノの『フェドーラ』間奏曲」と告げられた。おぉ、これは我々の世代では、カラヤン指揮によるこの世のものとも思えないほど美しいオペラ前奏曲・間奏曲集に入っていたことでなじみのある、あの名曲だ。いやもちろん、1998年にボローニャ歌劇場の来日公演において、ホセ・カレーラスとミレッラ・フレーニという世紀のコンビによって、全曲の生演奏も体験している。この曲をムーティが採り上げるのか・・・。聴いていて思ったことには、この甘美な音楽の自然な歌いまわしは、やはりイタリア・オペラの経験が活きているということであろうが、シカゴ響はその歴史の中で、イタリア人指揮者に率いられたことはあっただろうか。もともとシカゴという街にはドイツ系の移民が多いという印象があり、過去の音楽監督を思い出してみても、イタリア系はいない。もちろん、カルロ・マリア・ジュリーニが首席客演指揮者であった時代もあるし、クラウディオ・アバドも、ある時期までこのオケと近い関係にあった。だが、やはりムーティは音楽監督だ。このオケの歴史をさらに発展させるなら、オペラのレパートリーに取り組むのは面白いではないか。実際にこのオケのレーベルから次に発売が予定されているムーティとの録音は、オペラの名曲集であるが、そこにはこの「フェドーラ」間奏曲は入っていない。だが、ムーティが育成に心血を注いでいるユース・オーケストラ、ルイージ・ケルビーニ・ジョヴァニーレ管弦楽団との DVD 3枚組には、この曲のリハーサルとコンサートの様子が含まれているのである。もちろん私もこのセットを購入済であるが、未だ視聴していない。
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こうして、ムーティとシカゴの東京での 4公演は終了した。私が行った 3公演ではいずれも終演後にサイン会が催されていたが、このファンサービスはちょっと特別なものである。次のムーティの日本での活動は、ほんの 2ヶ月弱先のこと。東京・春・音楽祭において、今年から 3年連続でイタリア・オペラのアカデミーを開催するのだ。今回アカデミーの成果は 4月 4日、またこの東京文化会館における「リゴレット」抜粋の演奏によって披露される。このようにしてリッカルド・ムーティと日本の関係は、さらに強く深いものになって行くのである。なんという素晴らしいことであろうか。

by yokohama7474 | 2019-02-03 23:30 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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今から 3ヶ月ほど前、大野和士指揮の東京都交響楽団によるワーグナー作品の演奏会の記事 (2018年10月28日付) において、「タンホイザー」序曲を聴いて、この曲の全曲上演を見たくなってきたと騒いだ私であるが、その「タンホイザー」の全曲公演である。しかも、その大野がオペラ部門の芸術監督を務める、初台の新国立劇場での上演だ。この東京では、見たい演目、聴きたい曲目を唱えると、遠からぬうちに実現するという、魔術的な事態が発生するということだろうか (笑)。

ともあれ、「さまよえるオランダ人」と「ローエングリン」の間に書かれたこの作品は、ワーグナーの主要 10作のうちでは 2作目。未だ若い頃の作品である。と書いてここで、唐突に話題を変えるとしよう。昨年の 12月22日の記事でご紹介した、米国人ご夫妻を案内しての鎌倉訪問の際の話。そのとき私は、建長寺の本尊地蔵菩薩坐像を前に、その仏像の特性について説明した。「ええっと、いわゆるオリジナルの、悟りを開いた仏陀 (= つまり釈迦である) のあと、次の仏陀 (= つまり弥勒である) がこの世に登場するまでに、56億 7000万年かかる。その長い期間の間、本来は自ら修行中のこの方が、民衆を救って下さるのです」という説明をしたところ、ご夫婦のうち奥さんの方が、「誰を救うの? 悪い人だけ?」とおっしゃる。私は慌てて、「いえいえ、誰でもみんな、救うんですよ」と言ったのだが、その奥さん (米国籍だが実はドイツ人) は含み笑いを見せながら、「だっていい人は放っておいても天国に行くから、救う必要ないでしょ。悪い人こそ救わないと」とおっしゃる。おぉ、それって親鸞の悪人正機説ではないか。あの、「善人なおもて往生をとぐ。いわんや悪人においてをや」というあれである。親鸞の独創ではないともされるこの説、だが一方で、その親鸞がどこかでキリスト教の教義を知って、それを取り入れたのであると読んだことがある。以前から書いていることであるが、ヨーロッパと日本は、遠く離れた文化を持っているようでいて、実は広大なユーラシア大陸の両端。実は両者の文化には、根底で共通する部分もあるのである。このような極めて唐突な話をここで出すのは、この「タンホイザー」というオペラ、まさに悪いことをした奴が往生する話であるからで、その意味ではキリスト教の「救済」の概念について、改めて思いを巡らせるきっかけになる作品と言えるだろう。そしてこのオペラには、ワーグナー最後の作品で、まさに宗教色の強い「パルシファル」を先取りするような音響も一部聴くことができる。実はワーグナーは「パルシファル」のあと、仏陀をテーマにした作品を構想していたとも言われる。そう思うと、ワーグナーがこれだけ日本人に人気があるのは、そのユーラシア的なスケールによるものかもしれないと考えたくもなるではないか。
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今回の新国立劇場での「タンホイザー」は、ドイツの演出家、ハンス=ペーター・レーマンを迎えて、2007年 (劇場オープン 10周年記念として) に制作され、その後 2013年にも再演。今回が 3回目の上演であるが、こうして見ると、6年ごとに上演されていることになる。なお、このレーマンはもともと 1960年から 73年まで、バイロイト祝祭劇場にて、ヴィーラントとウォルフガンクのワーグナー兄弟の下で助手を務めたという。1934年生まれというから、今年 85歳になる人。新国では既に、この「タンホイザー」以外にも「ナクソス島のアリアドネ」「エレクトラ」というシュトラウス作品も演出している。
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今回のプログラム冊子に、この演出家が 2007年の新制作時点で述べた言葉が載っているが、ここではタンホイザーという、罪を犯す人間が作品の中心であり、彼を取り巻く中世の社会の掟を描かないと、彼が何に違反したのか分からないとのこと。また、作品の今日的意義を強調するために「人物をジーンズ姿で登場させたり、キャンピング場に置いてみたりはいたしません」と。もっとも、新国立劇場の持つ最新鋭の設備は充分に活用し、例えばダンサーたちを上下左右からカメラでとらえてその映像を様々に加工して呈示する、とある。それから、版については、ワーグナー自身が最後に関わったウィーン版 (初演されたドレスデン版と異なり、序曲からそのままヴェーヌスベルクの情景につながって、バレエが入る。いわゆる「パリ版」のドイツ語ヴァージョンと考えれば、ほぼよいはず) を採用する必要があるが、それは、ヴェーヌスベルクとヴァルトブルクの対比を明確にするためだという。確かにこの演出、一時期のドイツの劇場での演出で流行ったような「読み替え」とは一線を画していて、シンプルで音楽を邪魔しない点は、なかなかよくできている。まず見事だと思ったのは冒頭で、あの強烈な序曲を背景に、何もない舞台の下から、次々と巨大な氷柱のようなものがせり上がってきて、それが快楽の楽園ヴェーヌスベルクになり、その後は少し手を加えるだけで、登場人物たちが暮らすヴァルトブルクにもなる。この柱はまた、あちこち移動するという便利な特性も持っていて、空間の創造は自由自在だ。
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この「タンホイザー」は、初期の作品だけあって、ワーグナーとしては短いものである。25分の休憩を 2回挟んで、上演時間はたったの (?) 4時間 15分 (14時開演、18時15分終演)。3幕のそれぞれに聴きどころがあって、親しみやすいオペラであるが、とは言っても、第 1幕のヴェーヌスとタンホイザーのやりとりなどは冗長感があるし、その一方、第 3幕で、エリーザベトの犠牲的な死と、それを受けてのタンホイザーの昇天には、ドラマの流れというものがまるでないほど唐突だ。いかに第 2幕の大行進曲や第 3幕の「夕星の歌」が有名でも、全体がカッチリと凝縮した感じが少ないとも感じられる。ワーグナー自身は最晩年に、「未だ世界に対して『タンホイザー』という借りがある」と発言したらしく、その真意は不明ではあるもの、この作品には充分な魅力と、粗削りな箇所が同居しているという意味と解釈しても、おかしくないと思う。だが、それこそがこの作品の持ち味なのだろう。

そのような、音楽を邪魔しない要領のよい演出のもと、外国人と日本人の混成キャストはなかなかに聴きごたえのあるものであり、あえて言ってしまえば、粗削りな箇所も、充分な誠意をもって歌われていたと思う。題名訳のトルステン・ケールはもともとオーボエ奏者としてキャリアを始めたという変わり種だが、現代を代表するワーグナー・テノールである。この「タンホイザー」は既にバイロイトでも歌っている。もう少し強い声であってもよい箇所もあったものの、安定感は素晴らしいと思った。
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親友ヴォルフラムを歌ったローマン・トレーケルも、同じく世界的な歌手。オペラだけでなくリートも得意なバリトンである。彼も、あまり圧倒的という感じはなかったものの、役柄が必要とする落ち着きという点では、さすがと思ったものである。
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女性ふたり、つまり、ヴェーヌスとエリーザベトも外国人で、前者がドイツ人のアレクサンドラ・ペーターザマー、後者がラトヴィア人のリエネ・キンチャ。そして日本人歌手としては、領主ヘルマンを歌ったバスの妻屋秀和が、いつものように強い存在感であった。そして指揮はアッシャー・フィッシュ。イスラエル生まれの 60歳。私などは、以前のウィーン・フォルクス・オーパーの指揮者というイメージがあるが、もちろんそれだけではなく、世界各地で活躍する名指揮者で、来日も多い。もともとダニエル・バレンボイムのアシスタントであったというから、ワーグナーなどお手のものだろう。今回は、美しい巡礼の合唱から、歌合戦のあとでタンホイザーが糾弾される、オケがガサガサと鳴る箇所まで、幅広い表現力を発揮。信頼できる指揮者であると思ったものである。
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書き漏れてしまったが、今回のオケは東京交響楽団。冒頭は少し緊密さが課題かなと思ったものの、全体を思い返してみると、随所に色彩感豊かな音響を聴かせてくれて、熱演であった。特に第 2幕と第 3幕でのオーボエ。このオケのオーボエ演奏 (今回は荒絵理子) にいつも格別な美感があることは、何度もこのブログで書いている通り。

そんなわけで、悪いことをした奴が、女性の自己犠牲によって救われるという、現代ではちょっと作ることのできないほど男性の視点に依拠する作劇法 (笑) によってワーグナーの世界を味わうこのオペラ、高いレヴェルでの上演がこの常打ち小屋でなされることの意義は大きい。今シーズンはほかにも意欲的な試みがいくつかあるので、それらを楽しみにしたい。来シーズン (本年 9月以降) のプログラムも既に発表されていて、芸術監督大野和士の指揮が 1回だけとは淋しいが、それは新演出の「ニュルンベルクのマイスタジンガー」(2020年 6月) なのである。未だ 1年半も先だが、また東京のワーグナー・ファンたちが大喜びすることは間違いないだろう。あ、そう言えば「マイスタジンガー」では、悪い奴は救われないので、ワーグナーのユーラシア的スケールにも、後年は少し変化が生じていたということかもしれないが、それはまた改めて考えることとしましょう。

by yokohama7474 | 2019-02-03 01:01 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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よくオーケストラの首席指揮者や音楽監督のことを、シェフという。これは実はかなり便利な言葉であって、それは、オケによって主たる指揮者の名称が異なることがあるからだ。上記以外にも、芸術監督とか常任指揮者、ある場合にはカペルマイスターという古い言葉が使われたりする。ところで、シェフと聞いて一般の人が連想するのは、もちろん料理人であろう。料理人としてのシェフには必ず、シグネチャーと呼ばれる料理がある。この人と言えばこれ、という得意料理のことである。実は音楽界にもそれに似た事情があって、名指揮者にはそれぞれ、多かれ少なかれ、シグネチャーと呼ぶべきレパートリーがある。今回、シカゴ交響楽団の音楽監督として来日中のリッカルド・ムーティにとっては、さしずめこの曲目こそがシグネチャーであろう。それは、ヴェルディのレクイエム (死者のためのミサ曲) である。

実際ムーティは、世界各地でこの曲を演奏しており、過去の来日においても何度もこの曲を採り上げている。長年音楽監督を務めたオペラの殿堂、ミラノ・スカラ座との来日では、オペラ公演の合間を縫って、このヴェルディのレクイエムを演奏することが多かった。今調べてみると、スカラ座との来日公演でこの曲を採り上げたのは、1988年、1995年、2000年。それ以外に 2006年には、東京のオペラの森という音楽祭でも演奏している。その中で私が聴いたのは、1988年と 1995年。そう思うと、前回聴いてからでも既に 20年以上の歳月が経過している。と、ここで新たな発見があって、前回の記事で、私がムーティにサインをもらったのは 1981年のみと書いてしまったが、それは誤りで、実は1988年にも、もらっていました。今となっては懐かしい、昭和女子大学人見記念講堂での演奏であった。懐かしいついでに書いてしまうと、そのときに急遽代役で歌ったテノールは山路芳久。その 3ヶ月後、この期待のテノールは、わずか 38歳の若さで夭折した。ムーティと日本との関わりは多々あるだろうが、そのような一期一会の出会いを、たまに思い出してみるのもよいだろう。これが 31年前のムーティのサイン。
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さて、今回久しぶりにそのムーティの「シグネチャー」を体験したわけであるが、もちろんこれは、期待に違わぬ見事な演奏であり、聴く人すべてに強い力で訴えかけるものであったと思う。一言で言えば、曲の隅から隅まで完全に指揮者が掌握しきった演奏で、ここでは合唱もオーケストラも、指揮者が導く巨大な音響体になっていた。今回の合唱団は東京オペラシンガーズ (合唱指揮 : 宮松重紀)。ソリスト陣は、ソプラノがヴィットリア・イェオ (韓国)、メゾ・ソプラノがダニエラ・バルチェッローナ (イタリア)、テノールがフランチェスコ・メーリ (イタリア)、バスがディミトリ・ベロセルスキー (ロシア)。ムーティの指揮ということで、事前に予想したことには、指揮者はもちろん、独唱者たちも合唱団も、きっと譜面を見ながらの演奏であろうということであったが、果たしてその通り。日本では大規模な宗教曲でも合唱団は暗譜で歌うことが多いが、ヨーロッパにおいては、神に捧げる言葉を歌うには、やはり譜面を見るという習慣がある。そのあたりのムーティのこだわりには納得である。それにしても、日本の合唱団がこのオペラの巨匠のもとで、あれだけ堂々と歌ったことは、なかなかに素晴らしいことだと思う。東京オペラシンガーズの持ち味はその力強さだと私は思っているが、この曲にはもちろん壮絶な場面もあるものの、繊細であったり崇高であったりする部分もまた多い。ムーティは実に丁寧に合唱団に指示を送っていて、上記の通り、完全に指揮者の主導権による音楽になっていた。まさに、一点一画をも疎かにしないとはこのことか、と思わせた。独唱者 4名のうち、私がその名を知っていたのはテノールのメーリだけだが、ある意味では粒より、ちょっと言い方を変えれば、突出することのない歌手たちだったのではないだろうか。その意味ではムーティ好みの歌手たちだったのかなとも思う。
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そして今回も、オーケストラの見事であったこと。冒頭の、闇の奥から浮かび上がってくるような低弦からして、なかなか聴くことのできない明晰さと強靭さを持っていたと思うし、「レクイエム・エテルナム」と歌う合唱の深い声も見事なら、テノール独唱とともに動き出す音楽の流れも確信に満ちていて、もうそこからして、聴衆はこの美しくも劇的な宗教曲の世界に入って行くこととなった。それ以降も聴き所が随所にあったが、私が印象に残ったのは、例えば「サンクトゥス」の勢い (と、ここでまた思い出したが、ムーティとスカラによる 1995年の演奏では、確かこの「サンクトゥス」に入る箇所で聴衆が咳をしたので、ムーティが客席に向かって後ろ手に拳を握りしめ、聴衆までも「指揮」していたことだ)。シカゴの金管の素晴らしさが活きていた。かと思うと、「アニュス・デイ」での女声二重唱を伴奏するヴァイオリンの流れの、実に安定していたこと。今思い出しても、身震いするようだ。もちろん、「ディエス・イレエ」の音響には痺れるものがあったのだが、若干惜しいと思ったのは、この箇所でまさに最後の審判の情景を描き出すバンダ (別動隊) の位置である。通常なら、コンサートホールの上層階の左右に陣取り、会場全体が鳴り響くような大音響になるのであるが、今回はどうしたことか、舞台袖の左右に陣取っての演奏であった。これは、左右から音がぶつかり合うという効果はあったかもしれないが、「あぁ、世界の終わりだぁ」と言いたくなるような壮絶さには、今一歩不足していたような気がする。だがもちろん、オケがシカゴであるから、それでも大変よく鳴っていたとは思うのであるが。それから、これは私の誤解である可能性もあるかもしれないし、音楽全体の流れとは関係ないが、前日のブラームスでは 2曲とも、何度数えてもチェロがなぜか 9本だったと思うのだが、今回は 10本 (コントラバス 8本の通常編成) であった。もしこれが正しければ、ちょっと不思議な現象であったと思う。

さてここで少しだけ、個人的な思い出を記すことをお許し頂きたい。私がこのヴェルディのレクイエムを初めて聴いたのは、確か高校 1年生のとき (1981年、つまり私が最初にムーティにサインをもらった年)。図書館で借りて来たアナログレコードで、演奏は何を隠そう、リッカルド・ムーティ指揮フィルハーモニア管弦楽団であった (1979年の録音)。私はその時、初めて耳にする「ディエス・イレエ」に、椅子から転がり落ちそうな驚愕を覚えたものである。この曲は今でこそ、よくテレビなどでも使われていて、音楽ファンでなくても聴いたことがあるという状況だと思うが、私は全く何の予備知識もなくこの壮絶な音楽を聴いて、レクイエムというが、これでは死者もビックリして甦るのではないかと思ったものだ (笑)。当時のムーティは、EMI の録音の特性もあったのか、実に鮮烈な音楽を聴かせていた。「カルミナ・ブラーナ」や「春の祭典」なども、それは凄まじいものだった。もちろん、それから時を経て、ムーティの音楽自体も変わって来ていると思うのだが、また、変わらない部分もあるだろう。今でも時々、あの壮絶さを思い出すことがある。こんなジャケットであった。
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そのように考えると、この現代最高の指揮者の一人が、若い頃から歩んできた道のりを、折に触れて体験することができている東京の聴衆は、やはり恵まれていると思うのである。ムーティはこれまで日本で、旭日重光章の叙勲を受けているし (2016年)、また、高松宮殿下記念世界文化賞 (2018年) も受賞している。そんなマエストロと日本の関係が、これからさらに深まって行くことを願いたいと思う。

by yokohama7474 | 2019-02-01 01:29 | 音楽 (Live) | Comments(0)