2015年 07月 30日
チャイルド44 森に消えた子供たち (ダニエル・エスピノーサ監督 / 原題 : CHILD44)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%93%E3%81%AE%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%81%8C%E3%81%99%E3%81%94%E3%81%84!
本との出会いには、題名とか装丁とか、そのときの自分の興味とか、いくつかの要素が関係するが、このときには、さらに以下の文言が決め手となった。「リドリー・スコット監督で映画化決定」--- その本が、上下 2冊に分かれた、トム・ロブ・スミスの「チャイルド44」であった。旧ソ連のスターリン時代を舞台とした、なんとも後味の悪い作品だが、ここで描かれた人間心理は、犯罪者の側のそれよりも、犯罪を解明する側のそれに重点が置かれており、心胆寒からしめるものがあった。衝撃的な内容であったので、読み終えたあと、回りの人たちにも一読を薦めた覚えがある。
ところが、その後待てど暮らせどリドリー・スコットが映画化したという話は聞かなかった。時々、「あれはどうなっているのかなぁ」とは思っていたが、そろそろその思いも薄れつつある頃、この映画の宣伝を目にした。結局、リドリー・スコットは監督は務めず、製作者のひとりだ。ただ、この映画のプログラムによると、リドリー・スコットがいち早く原作に目をつけたのは本当のことらしい。作者はこれが処女作、しかも、スコットのアプローチは原作の出版前のことというから恐れ入る。そして監督として起用されたダニエル・エスピノーサはスウェーデン人で、「イメージマネー」なる日本未公開なるも同国映画史上最も興業成績を挙げた作品でデビュー、その後、デンゼル・ワシントン主演の「デンジャラス・ラン」がヒットしたという。
一言で言うとこの映画のテーマは、圧政の中で反体制者を始末する義務を負った警察が、都合の悪い事実に目を覆いながら、連続殺人 (44人の子供) の犯人を真剣に追うことをせず、適当に犯人をでっちあげて次々に逮捕していたという事態の異常性と恐ろしさである。そこには、スターリン時代に社会を覆っていた恐怖が色濃く表れている。人々は社会への忠誠を試され、反体制派は、発見されれば裁判も受けずに射殺される。人としての感情を押し殺して職務遂行を是とする者や、自分勝手な欲望を取り繕って他人を出し抜く者が跋扈する。そのような中では、連続殺人事件の犯人を放置することは国家への反逆とみなされるため、警察は、とにかく真犯人など誰でもよいから捕まえて自白させ、処刑するのだ。実話をもとにしているため、原作はロシアでは発禁らしい。
さて、映画そのものについて語りたいのだが、さて何を語ろうか。このブログでご紹介する映画では既に 3本目の主演作となるトム・ハーディは素晴らしい。ここでの彼の役回りは、エリート警察官で、組織への忠誠心は充分にあるのだが、不正を看過することのできない誠実な性格で、妻や友人への思いやりの心があるがゆえに、自らを危険かつ不利な環境に追い込んでしまう、そんな人間だ。爽やかさはほとんどなく、善玉か悪玉かすら、すぐには分からないような役柄だ。それから、旧ソ連を舞台にした映画ということで、まるでロシア語のような不明瞭な英語を喋る点も、演技の一環なのであろう。



思考停止、真実に目をそむけた上司への盲従、メンツの偏重、都合の悪い話の隠蔽等々、間違った自分に気づいたら、深呼吸してこの映画を思い出そう。
2015年 07月 30日
佐々木 丸美著 雪の断章

話が脱線してしまったが、ある時本屋に積んであった本の帯に、「夢中で読めた。紛うことなき徹夜本だ。」というコピーが見えた。手に取ってみると、男か女か分からない、見慣れない作者名。なじみのない題名。時々私がそうするように、この時もそのままこの本を持って、レジに向かったものだ。帰宅してふと気づいたことには、これ、昔斉藤由貴が主演していた、相米 慎二監督の映画の原作ではないか!! ということは、最近の本ではない。本を開いてみると、1975年の作とのこと。それは古い。作者は北海道在住の女性作家であるが、2005年に 56歳で急逝しているとのこと。この作品は、ロシアの童話、マルシャークの「森は生きている」に着想を得て書かれたもので、孤児である女の子が青年に育てられる過程が描かれているが、途中で起こる毒殺が物語の大きな転換点となるというもの。
創元推理文庫だし、当然ミステリーと思って手に取った私は、徹夜本という触れ込みにもかかわらず、想定外の大変な忍耐を強いられつつ読み進んだが、なかなか殺人事件は起こらないし、起こったあとも物語は牛歩のごとき進展のなさだ。結局、何週間も放置するような事態に陥り、徹夜どころか、読み終わるのに 2ヶ月ほど要してしまった。結局これは、ミステリーではないし、殺人事件に驚くべきトリックがあるわけでもない。描かれた少女の心理を追うべき書物なのであろう。・・・ということは、大変申し訳ないが、私にとっては本来 No Thank You の分野の本である。何より、登場人物の発想、発言、行動にリアリティがない。こういう人が本当にいるなら、ちょっと会ってみたい。もちろん、文学はリアリティなくとも成立しはするが、この書物の手法では、どうであろうか。リアリティのないことは美点になるとは思えない。登場人物たちの会話が、どこまで行ってもきれいごとに見えてしまうのだ。
比較すること自体酷かもしれないが、同じ孤児を主人公とした名作に、シャーロット・ブロンテの「ジェーン・エア」がある。あれはまさに強烈な作品で、読んでいて何か血がかぁっと熱くなる経験をしたものだが、大変残念ながら、もし日本に同等の天才がいたとしても、同じレヴェルの作品を書くことはできないと思う。それは、自己と他者という対立関係において、言語というかたちで形成されるコミュニケーションの方法が、日本人と欧米人 (日本語とラテン語系言語) では決定的に異なるからだろう。やはり日本語の文学は、日本人が宿命的に追っている曖昧な自己表現を前提として書かれるべきではないか。
この作者は現在再評価が進んでいるとのことらしく、否定的なことを書くのは気が引けるが、この本をミステリーと思って手に取ることさえなければ、また違った読み方もあったのかもしれないなと思う。因みに、斉藤由貴主演の映画も、見ておりません。あしからず。
2015年 07月 30日
お知らせ
2015年 07月 28日
兵士の物語 (ウィル・タケット振付、アダム・クーパー主演) 2015年 7月26日 東京芸術劇場プレイハウス

私は古典的なバレエにはとんと興味がなく、多少なりともコンテンポラリーな要素があるパフォーマンスのみ興味の対象としているので、この公演に足を運んでみた。2階席のチケットを購入していたが、演出の都合とのことで 2階は閉鎖され、1階の席に振り分けられた。中には客席ではなくステージ上に設けられた席を振り当てられた観客たちもいた。薄暗い劇場風のセットをしつらえた舞台上にも狭めの丸テーブルがいくつか置かれていて、その雰囲気に、昔ニューヨークで見たミュージカル「キャバレー」を少し思い出した。
さて、内容であるが、さすがにそれぞれのダンサーが無駄のない動きで見事な流れを見せる。特にアダム・クーパー。舞台における存在感は抜群だ。


というわけで、会場はアダム・クーパー人気で大混雑かと思いきや、意外とそうでもなかった。率直なところ、1時間と少しで休憩もなく終わってしまう短い上演にしては、チケットのお値段がいささか高い。そんなわけだろう。会場では、リピータ―割引と称して、別の日の公演を半額で売っていたが、うーん、残念ながら、ストーリーが複雑であるわけでなし、もう 1回観ようという人は限られてしまうのではないか。
優れた舞台芸術といえども、本拠地を離れて大成功続きというわけにはなかなか行くまい。ただその中で、東京で見ることのできる舞台芸術の選択肢は膨大で、そのことにはともあれ深く感謝しよう。金と時間は、かかってしまいますがネ。

ブラームス : ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲イ短調作品102
ホルスト : 組曲「惑星」作品32
D・R・デイヴィスの名前は、昔 FM でライヴ録音をせっせとエアチェックしているときに、主に現代音楽の分野でよく耳にした。もう 30年以上前であろうか、20世紀最高のピアニストのひとり、アルフレート・ブレンデルがベートーヴェンのピアノ協奏曲全曲を演奏した際、ライヴ録音でディスクとして発売されたのは、レヴァイン指揮シカゴ交響楽団がバックであったが、もうひとつ、ベルリン・フィルとの連続演奏で指揮者を務めたのが、この R・デイヴィスであった。その頃以来、息の長い活躍である。
ブラームスの 2人のソリストのうち、ヴァイオリンのダニエル・ゲーデはもとウィーン・フィルのコンサートマスターで、今はこの読響のコンマスを務める。ただ、正直言うと、今の読響でのポジションの前任に当たるのだろうか、元ロンドン・フィルのコンマスであったデイヴィッド・ノーランほどには貢献しているようには見受けられない。一方のチェロのグスタフ・リヴィニウスは、ドイツ人のソリストだ。このブラームスの演奏は、もちろん一定レヴェルではあったものの、聴衆を熱狂させるには至らなかった。
ところが、後半の「惑星」は、まさに鬼才 R・デイヴィスの面目躍如。大変面白かった。この曲、その際立った色彩感でクラシック音楽の人気曲目のひとつであるが、存外生演奏に接する機会は多くない。そのひとつの理由は、50分の大曲のうち、最後のほんの数分だけのために女声合唱 (今回は児童合唱であった) が必要だという経済的理由もあるだろう。だが、雄大なドラマ性を持つこのような曲こそ、生で聴く価値がある。もしかすると通なクラシックファンからは過小評価されているのではないだろうか。そんな曲を通好みの指揮者が振るという、なんとも逆説的な楽しみ (笑)。第 1曲、作曲者が迫りくる第 1次大戦を予感して書いたと言われる「火星、戦争の神」は、ゆっくりとしたテンポで始まり、怒涛の音楽の奔流を築いた。また、最も有名な第 4曲「木星、快楽の神」は、逆に早めのテンポで飛び交う音の線をくっきりと描き出した。いやなんとも、見事な音楽の描き分け。またそれを見事に音にする読響。素晴らしい演奏であった。このクラスの指揮者が入れ替わり立ち代わり指揮台に立つ日本のオーケストラ、やはりこまめに聴きたいものであるとの思いを新たにした。
ところで、読響の首席チェロ奏者、毛利伯郎が今回の演奏会をもって引退したのだが、彼のインタビューがプログラムに載っていて、その「惑星」について、「かつてロリン・マゼールの指揮でやったことがあるんですよ」と語っているが、はいはいそうでした。マゼールらしい切れ味の鋭い演奏だった。プログラムはすぐ出ますよ。あれは確か 10年くらい前・・・ややや、1992年とある。実に 23年も経っている。うーむ。竜宮城で鯛やヒラメの舞踊りを楽しんだ記憶はないのだが、いつのまにそんなに時間が・・・。


2015年 07月 27日
魔女の秘密展 名古屋市博物館

プファルツ地方は南ドイツ、ライン川沿い。シュパイヤーという街が中心。そう言えば随分以前に、このシュパイヤーの大聖堂でゲオルク・ショルティが珍しくシュトゥットガルト放送響を指揮したブルックナー 2番を NHK が放送していた。また、セルジュ・チェリビダッケがライン・プファルツ管弦楽団なるオケを指揮したバルトークの映像も手元にある。ドイツの中でも、この地域には一般に知られた観光地があるようには思えず、重苦しい音楽の似合う地域という勝手なイメージがある。ただ、どんな地域であるかは全く知識がなかったので、あれこれ思って調べてみると、なんと、魔女という言葉は南ドイツで生まれていて、なおかつ驚くべきことには、欧州では 15世紀半ばからの 300年間で実に 6万人 (!) が魔女として処刑されており、その半分以上がドイツ (当時の神聖ローマ帝国) の領域内で起こったということを知るに至った。宗教裁判といえば、反宗教改革としてカトリック圏、特にスペインで行われた火あぶり等を思い浮かべるが、なんのことはない、プロテスタントのお膝元であるドイツが最大の悲劇の舞台だったとは。自国で発生した残虐事件については、ナチスでもう手一杯かと思われたドイツが、独を、いや毒を食らわば皿までと企画したのがこの展覧会であろうか。ことほどさように、とてもとても家族で楽しく見られるような内容ではない。
展示品には様々な神秘的なものがある。最初は魔除けの処方箋やお守り、人形やメダルなどだ。これは、ランツフートという場所で発行された「飲むお守り」。この聖母像を一体ずつちぎって水で飲んだという。邪悪なるものを追い払いたいという人間の切なる願いを知ることができる。

そこに追い打ちをかける発見があった。ルネサンス 3大発明のひとつと言われる、印刷術だ。そういえば、この時代に生まれたグーテンベルクの印刷術。その発明はどこで生まれたか。ドイツではないか。ルターの宗教改革を支えた印刷術はまた、人々が求めるスケープゴートのイメージの流布に大きく貢献したわけだ。デューラーのような叡智に満ちた人物さえ、このような魔女のイメージ (1500 - 1503年) で、人々の恐怖心を煽ったのであろう。


それにしても、さすがドイツの歴史博物館、自分たちの歴史のダークサイドを直視する勇気はすごい。現代の我々は、このような展覧会を見る機会によって、そのことを肝に銘じる必要がある。なので、名古屋のお父さんお母さん方、そこんとこ、よろしくお願いします。
2015年 07月 26日
文楽「生写朝顔話 (しょううつしあさがおばなし)」2015年 7月22日 国立文楽劇場 (大阪)

周知の通り、文楽 (人形浄瑠璃) は近年、橋下大阪市長の方針により、厳しい環境に置かれている。種々議論はあるだろうが、効率的な興業マネジメントの観点は、いかにユネスコ文化遺産であろうと必要であり、昨今の経緯によってさまざまな自助努力がなされたのなら、それは意義のあることだ。ただ一方で、1つの人形に 2人も 3人も人形遣いが必要で、かつ習熟にこれだけ時間のかかる人形劇というものも世界に例がないと思われ、要するに商業ベースに乗ることなど所詮は無理ではないか。オペラも大変な金食い虫なので、本場イタリアの歌劇場でも予算削減が深刻な問題になっている。経済のないところに文化はなく、もちろん人間の生活が最優先とはいえ、人間たるもの、文化なくしては生きて行けないのもまた真実。金額的なインパクトを冷静に考えながら、かけがえのない文化遺産を守って行きたいものだ。
さて、伝統文化の継承には、その時代時代の観客にアピールすることがいちばん。大阪で文楽を見るのはかなり久しぶりではあったが、劇場も雰囲気が明るくなり、字幕導入をはじめとする様々な工夫により、客席はほぼ満員の大盛況だ。劇場には小さいながら資料館も併設されていて、なかなかためになる。



この日の上演のクライマックスは、浜松小屋の段である。矜持ある武士の娘たる深雪が人買いにさらわれ、郭に出ることを拒んで脱出するが、つらい運命に悲嘆の涙を流しすぎたあまり (!!) 失明し、子供たちからもいじめられる落ちぶれた境遇。そんな彼女をようやく探し出した乳母の浅香が、折から深雪を追ってきた人買いの輪抜 吉兵衛と刺し違えて絶命するのだが、その表現がすごい。吉田 蓑助の操る深雪の細微な動きから流れ出る情念たるや、尋常ではない。人間の演じる哀しみの表現とは異なり、ここにはより純化した感情が立ち現われていると思う。リアリティを越えた何かがあって、人の心の奥深くにそのまま食い込んでくる。私の周りでは何人もの人が、この場面でハンカチを目に当てていた。このような並外れた Emotion を表現できる演劇形態が、世界にどのくらいあるであろうか。まさに文楽、恐るべしである。
このブログをご覧の方で、もしまだ文楽経験のない方がおられたら、是非一度ご覧頂くことをお奨めする。人生変わるかもしれません。
最後に、文楽人気向上にかけた関係者の努力の例を 2つ。ひとつはこれ。大阪名物、くいだおれ人形である。なぜこんなところに、と思ってあとで調べてみると、なんとこの人形、文楽人形製作者の二代目由良亀 (淡路島出身で、谷崎の「蓼食う虫」の中にも登場するらしい) の手になるものらしい。なんとまあ、こんなところにも大阪の文楽の伝統が生きていたのだ。


指揮者の延原 武春は、1943年大阪生まれの 72歳。以前大阪フィルを指揮した演奏会を聴いたことがあり、そのコテコテの難波のオッサンぶりと、演奏する音楽のペダンティシズムのギャップがすごかったので、いつか手兵であるテレマンとの演奏を聴きたいと思っていた。ましてや、その演奏を大阪倶楽部で行っているのを NHK BS で見て、思いは募るばかりであった。その間、武原とテレマンのベートーヴェン交響曲全曲の CD を購入したし、中野順哉著の「小説・延原武春」も読んだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%80%B6%E6%A5%BD%E9%83%A8
延原のことをコテコテの難波のオッサンと書いたが、よく見ると財界人のようにも見える。伊藤忠商事の岡藤社長 (やはりコテコテの難波のオッサンらしい) と比べてみよう。上がマエストロ延原。下が岡藤社長。なんとそっくりではないか。






モーツァルト : 交響曲第 29番イ長調 K.201/186a
ハイドン : ピアノ協奏曲ニ長調
ベートーヴェン : 交響曲第 3番変ロ長調作品55 「英雄」
会場となった中会議室は、レトロ感覚満載だ。


初めて生で聴くテレマンは、コンサートミストレスの浅井 咲乃率いる弦楽器がニュアンス満点。管楽器は時々苦労が見られたが、元来が音程の取りにくい古楽器で、しかも湿気の多い時期ということで、むしろミスも微笑ましいと言ってもよいだろう。全体として、どの曲も大変勢いのある演奏であった。

ところで、この指揮者とこのオケは、東京公演はあまりないものと思うが、関西では大変活発な活動を行っていることを知り、驚いた。会場で配布されていたチラシで分かる範囲での延原の今後の予定は以下の通り。
7/25 (土) 池田市 バッハ : コーヒー・カンタータ
8/7 (金) 大阪フェスティバルホール スメタナ : わが祖国
8/23 (日) ザ・シンフォニーホール メンデルスゾーン : オラトリオ「聖パウロ」
8/29 (土) 川西市 ヴィヴァルディ : ヴァイオリン協奏曲「ムガール大帝」ほか
8/30 (日) 羽曳野市 音楽絵巻 羽曳野戦記中、バロック音楽の演奏
10/10 (土) いずみホール バッハ : マタイ受難曲
12/19 (土) ザ・シンフォニーホール 第九及びバロック名品集
実に多忙である。大阪の方は、このうちのどれかでもお聴きになってはいかがだろうか。よろしおまっせ。


http://matome.naver.jp/odai/2138435364131654801
この展覧会では、建築家自身「写経」と称した、手書きの原稿が展示されている。古くはホメロス、ウパニシャッドから、アリストテレス、法華経、鴨長明から道元、はたまたダンテやデカルトを経て、最後は大江 健三郎 (この建築家の近しい友人らしい) に至る。面白いとは思ったが、私個人にとっては、他人の写経を見るよりも、自分で書物を読みたいと思い、早々にその場を離れて、このビルの売り物である空中庭園へ。上記の通りこのビルは、東西二つのタワーの真ん中を、空中でつなげている部分があるのだ。下から見るとこんな感じ。私にとっては今回が二度目の訪問。




2015年 07月 25日
雪の轍 (ヌリ・ビルゲ・ジェイラン監督 / 英題 : Winter Sleep)

そもそもトルコ映画と聞いて、出てくる名前はユルマズ・ギュネイくらいであるが、そのギュネイにしても、「路」という作品がやはりカンヌの最高賞を取ったことから知られている程度で、その他の作品は日本でどのくらい公開されているのであろうか。もちろん、映画は別に各国を代表して作られているわけではないので、よい映画はよい、悪い映画は悪いということにしかならないのだが、その一方で、この映画のように、かかわったスタッフ・キャストが全員トルコ人 (多分・・・あ、間違えた。日本人の脇役が 2人出演していましたね。エンドタイトルでバッチリチェックしたところ、日本人の名前であった) である場合には、その国の役者の演技とか、照明音響美術等々のレヴェルに、その国の映画産業の在り方がおのずから表れることも事実であろう。その観点からは、この映画の出来具合で我々観客の今後のトルコ映画への期待も変わってくると言える。
上記ポスターにある通り、この作品は、奇景で知られるトルコの世界遺産、カッパドキアの洞窟ホテルを舞台とする、上映時間 3時間16分という大作。「愛すること、赦すこと --- もがきながらも探し求める、魂の雪解け」というコピーに雪のカッパドキアの写真を見ると、どんなに壮大な叙事詩が展開されるのかと思ってしまうが、実はこの映画、究極の室内劇である。戦争もなければ宇宙人との遭遇もない。誘拐も暴行もない。そもそも、3時間を超える映画で、一人も人が死なないのだ。今日び、どうやってそれで映画を作るのか。カンヌの審査員のひとりであったジェーン・カンピオン (私がこよなく尊敬する監督) は、「物語が始まった途端に魅了されてしまった。あと 2時間は座って観ていられたでしょう」と語ったらしいが、まさにその通り。この映画で数少ない劇的 (?) なシーン、子供が車に向かって石を投げるシーンは、冒頭まもなくであって、それから後はほとんどが室内劇であるにもかかわらず、飽きることは全くなかった。これは一体どういうことなのか。
この映画の中で、延々と口論が続くシーンが 3つある。ひとつは、主人公 (もと舞台俳優で、遺産として譲り受けた洞窟ホテルを営む裕福な初老の男) とその妹、2つめは、主人公とその若く美しい妻。3つめは、主人公とその友人たち 2名である。換言すれば、主人公が相手とシチュエーションを変えて、延々と口論する。その合計だけで、30分は優に超えているだろう。そのいずれもが圧巻なのだ。プログラムを読むと、基本的に書かれたシナリオ通りの演技を俳優にさせたとのことだが、彼らの口論の様子はあまりに長く、また作られた感じがしない自然な流れなので、相当部分即興ではないかと思ったのだ。これを演技としてできてしまうトルコの俳優たちは恐るべきではないか。もちろん、監督のインタビューでも、一部は即興で足したと言っているので、特に主人公とその妹のシーンなどは、即興の部分がそれなりにあるように見受けられるが。いずれにせよ、人生を圧縮した瞬間がこれらのシーンに詰め込まれていて、看過できないリアリティがあるのだ。
ここで使用されている音楽は、シューベルトの最後から 2番目のピアノ・ソナタ (第 20番イ長調D.959) の第 2楽章。シューベルトは晩年 (と言っても、たかだか 38歳だ!!)、曲を肥大化させる傾向があり、ピアノ・ソナタの分野では、最後の第 21番変ロ長調 D.960 が、本当に底知れぬ深淵を覗くような音楽であるのに対し、同じ死の年、1828年に書かれたこのソナタは、少しは分かりやすい要素を持っている。この映画で使われているのは、第 2楽章の冒頭のテーマであり、中間部で感情の炸裂があるのであるが、その部分は周到に避けられている。これはこれで、人生の機微を淡々と描くこの映画にふさわしいとも言える。プログラムの監督インタビューによると、かつてブレッソンの「バルタザールどこへ行く」という映画 (1966) で使われていた由。私の世代ではブレッソンは、最後の作品「ラルジャン」にぎりぎり間に合ったくらいで、この作品については知識がない。まあそれにしても、海外のマスコミにはマニアックな人がいますなぁ。
この作品の呵責なさはまさに特筆すべきものがあるが、脚本においてはチェーホフやドストエフスキーに負うところが多いらしい。監督自身、チェーホフの 3作に着想を得ているとの発言があるが、特定はしていない。プログラムに寄稿しているロシア文学者の沼野 充義は、そのうち 2作にしか言及していない。ということは、残る 1作は自分で探すしかないということか。
誠にトルコ映画、恐るべしである。