もちろん松本のシンボルは、国宝松本城。素晴らしい。

















さて、さらに山に入って行こう。古代からこの地で深い信仰を集めてきた、牛伏寺 (ごふくじ) だ。実に、聖徳太子の創建と伝わるが、このユニークな名前にはユニークな謂れがあるのだ。唐の玄宗皇帝が妻楊貴妃の菩提を弔うため、使いが大般若経を積んで善光寺に向かう途中、この地で牛が伏してしまったという。その際に寺は牛伏寺と名前を変えたとのこと。なんとスケールのデカいこと (笑)。鬱蒼とした山の中、オゾンを胸いっぱいに吸うと、何か神秘的なことが起こりそうな気がしてくるから不思議だ。


















QUOTE
金華山の北斜面の地下に、アジア・太平洋戦争末期に名古屋航空機製作所 (現、三菱重工株式会社) が、零式戦闘機を製造するために疎開工場として建設を進めた地下工場跡が未完成のまま残っている。工事は 1945 (昭和 20) 年 4月から敗戦までの 5ヵ月にわたって行われ、強制連行された朝鮮人や日本人が多く動員された。
・・・・・・
弘法山から東へ約 300m くだると、県道松本塩尻線にでる。すぐに右に分かれて中山霊園につうじる道の右斜面一体は、金華山地下の地下工場の延長として建設された半地下工場跡があり、朝鮮人と中国兵捕虜が工事に動員された。
UNQUOTE
実は、以前にもこの 2つの場所を探しに来たことがあった。日本が戦争末期にいよいよ追いやられて切羽詰まった状態で、それでも戦闘機を建造して戦いを続けようという悲痛な思いで切り拓いた場所。しかも、朝鮮人・中国人を多く動員したという、いわば歴史の暗部である。似たような話は、同じ長野県でも松代市に現存する大本営 (天皇を含めた国家の中心機能を、ここの洞窟に移転しようとしたもの) にもあって、そこは一般公開されているので、私も行ったことがある。その点、この松本の戦争遺跡は、そのような管理にはどうやらなっていないらしい。車で、上述の後者の中山地区のそれらしいところを徐行してジロジロ探してみたが、木が深すぎて埒が明かない。こんな情景だ。

http://www.city.matsumoto.nagano.jp/kurasi/tiiki/jinken/heiwa/sennsouiseki.html
これによると、上記の記述の前者、金華山近くに、里山辺地区に軍事工場の記念碑が立っているという。運転しながらスマホをかざし、散々細い道に迷い込んで試行錯誤しながらも、苦労してついに見つけました。これです。



さて、番外編として、都内から松本までドライブする際に通る中央高速に沿った場所にある、山梨県の釈迦堂サービスエリアから歩いて行ける博物館を紹介しよう。このサービスエリアは、縄文時代の遺跡の上にできているらしく、その遺跡からの出土品、実に 5,599点 (これを「約 5,600点」としない実直さが好ましい 笑) が重要文化財に指定されていて、下りのサービスエリアから少し高台に上ると、博物館で出土品の実物を見ることができるのだ。土器だけでなく、夥しい数の土偶も出土している。中央高速の途中で古代に思いを馳せるというのも、なかなかオツなものだと思いますよ!!




いや、多少話を面白くするために言っているのであって、本気で受け取られては困る (苦笑)。その証拠に、この珍しいオペラの CD は、ベルリオーズを得意とした大指揮者、コリン・デイヴィスの録音の中古国内盤を事前にオークションで購入して、ちゃんと日本語対訳と首っ引きで鑑賞し、ばっちり予習済だ。もっとも、それとても、この上演を見に行く 3日前のことだったが・・・。ちなみにこの曲の録音は非常に限られており、バレンボイムがドミンゴを起用したものもあるようだが、既に入手困難だし、唯一は、コリン・デイヴィスが同じロンドン響と行った再録音があるが、もちろん日本語対訳などついていない。そんなわけで、この曲の予習としては、曲自体とその歌詞の日本語対訳、そして原作のシェイクスピアの戯曲と、なんとか事前に触れることができたわけだ。これを称して結果オーライという。
ともあれ、この作品、フランス・ロマン主義を代表する大作曲家エクトル・ベルリオーズ (1803 - 1869) が 1862年に完成させたオペラ・コミーク (台詞付のオペラ) である。実は、彼は晩年の 6年間は作曲活動を行っておらず、これがなんと、この作曲家の最後の作品である。それなのに、序曲を除いては、ほとんど全くと言ってよいほど演奏されないのは、一体どういうことだろうか。小澤は以前ボストンでこの曲を取り上げており、今回は久しぶりにこの 2幕物の全曲を指揮すると発表されたが、残念なことに、8月 1日に入院先の病院で転倒、腰を強打して骨折と診断され、やむなくキャンセルとなった。あーあ、せっかくこんなオリジナルの幟まで作ったのに・・・。






今回の上演、結果的には大変楽しいものであった。若干若さを感じさせるものの、安定した歌唱を聴かせたソリストの歌手たち。とぼけた味わいを含めた盛り上がりを、素晴らしい歌声で作り上げた OMF 合唱団。キビキビした運びとともに、抒情的な音楽に寄り添う柔軟性を見せたオケ。ステージセットはご覧の通り。この作品が保養地バーデンバーデンで書かれたことにちなんで、貴族の屋敷ならいろんなところで見かける温室の中でストーリーが進行する。

さて、ここで気づくことがある。このフェスティバルで昨年取り上げられたのは、ヴェルディの最後の作品、「ファルスタッフ」。今年はベルリオーズの最後の作品、「ベアトリスとベネディクト」。こうなると、来年はなんだろうか。まさか、プッチーニ最後の作品、「トゥーランドット」ではあるまいな。来年の演目を心待ちにしよう。
2015年 08月 30日
シェイクスピア作 : から騒ぎ (小田島 雄志訳)

と言いながら、実は遠い昔に、このシェイクスピア全集の第 1巻、「ヘンリー 6世」第 1部から順番に制覇しようとして、第 1巻すら読み終わることなく、挫折したきりだ。もともと芝居は好きな私であるが、脚本を書物として読むのは、どうも苦手なのだ。舞台で見ると、登場人物の判別は顔や服装や言葉で行うのだが、本になると、それが人物名になっていて、想像力を働かせるのはなかなかに酷である。これは裏を返せば、脚本を読み込めば、その作品のいろんなイメージを想像できるというもの。
この「から騒ぎ」、原題は "Much Ado About Nothing" というらしい。辞書で調べると、確かに "Ado" という言葉は「騒ぎ」「騒動」などとある。今度外人と話すときに使ってみるとするか。"W...What?!" という反応になること請け合い。そもそも日本人がそんなに高級な英語を喋るわけもないと思っているし、まあそれは実際その通りなので。ただ、この本の解説を見ると、この時代の英語では、"Nothing" は "Noting" (気づくこと) とほとんど同じ発音であったとのことで、この芝居のテーマが、「根拠のないこと (Nothing)」に基づく騒ぎであり、同時に「気づくこと (Noting)」によって始まりまた解決するということを意味しているという説もある由。
これを読むと、とどまるところを知らない言葉遊びがなんとも凄まじい。それこそ小田島訳の真骨頂なのであろうし、翻訳の苦心のほどは随所に偲ばれるのだが、実際に日本語で舞台にかかったときには、なかなか厳しいのかもしれない。まあしかし、シェークスピアのひとつの顔が言葉遊びにあることは間違いないだろうから、昔の英語の分からない身としては、このような訳からイマジネーションの翼を伸ばして劇を楽しむのも一興であろう。
それにしても、17世紀に書かれたこの戯曲、なぜにこうも人間の本質を描いているのだろう。誰かに対する信頼は、その信頼にもとるニセの情報によって簡単に覆る。高望み、から元気、有頂天という感情は、悪巧みによって、嫉妬、怒り、後悔、自己嫌悪・・・と、ほかの様々な感情にその座を譲ることとなる。この「から騒ぎ」は、さして長くもないその上演時間で、そのような人間心理をとことん描き出すのだ。そこに狂言回しも加わり、面白いことこの上ない。
ところでシェイクスピアについては、その正体が謎のままであり、そのテーマで何冊も本が出ているし、映画もいくつかある。彼の生地ストラットフォード・アポン・エイボンには 2度訪問したが、そこで目にするものも、詳細は省くが、実に面白い。そもそも英国の歴史的な場所は、ナショナル・トラストかイングリッシュ・ヘリテージが管理しているにも関わらず、ストラットフォード・アポン・エイボンの諸施設は、シェイクスピア協会か何かの管理になっていて、その事実だけで充分な事柄が物語られているのだ。実際英国では、シェイクスピアの生家が本物ではないということで、訴訟にもなったと聞く。また世の中には、なんとかこの空前絶後の劇作家の正体を暴こうと、いくらなんでもこじつけだろうという解釈をしている研究者が山ほどいるらしい。ここではその一端をご紹介しよう。以下の本に掲げられたシェイクスピアの肖像。この絵は、肩のあたりの描き方のぎこちなさから、実は後ろ向きの人物が後頭部に仮面をつけているところを描いていて、「私の正体を暴けるものなら暴いてみなさい」という意味だという説があるのだ!! いやいや、それ、考え過ぎでしょう。私には、ただのヘッタクソな絵にしか見えないのだが (笑)。

2015年 08月 29日
セイジ・オザワ松本フェスティバル ファビオ・ルイージ指揮 サイトウ・キネン・オーケストラ 2015年 8月28日

さて、今年はお盆明けから天候不順となり、今日も雨が降ったりやんだり。この音楽祭に来て、このような天候であった記憶がない。せっかくのセイジ・オザワ・フェスティバルとしての初回なのに、なんとも気分が盛り上がらない。コンサート会場のキッセイ文化ホール。以前から思うのだが、この屋根の形は、バイロイト祝祭劇場そっくりだ。









今回の曲目は以下の通り。
ハイドン : 交響曲第 82番ハ長調「熊」
マーラー : 交響曲第 5番嬰ハ短調
このハイドンの曲は、いわゆる「パリ・セット」の 6曲の中のナンバリングではいちばん最初の曲 (書かれた順番は今では番号通りでないことが分かっている)。83番の「めんどり」と並んで、ハイドンのユーモアが随所にあふれる、大変楽しい曲だ。終楽章冒頭のテーマが、ボォーンボォーンという低音で、熊の唸り声を思わせることからあだ名がついたもの。一方のマーラーは、このフェスティバルではほとんど取り上げられたことがない (記憶にあるのは 1番のみ。もっとも、夏の音楽祭ではなく、年末年始にシリーズで演奏される計画はあったが、確か 9番と 2番だけで止まってしまったはず)。マーラーの交響曲でも屈指の人気曲だけに、ルイージの手腕に期待がかかる。ハイドンは竹澤恭子、マーラーは豊嶋泰嗣がコンサートマスターだ。
まずハイドンであるが、ルイージらしい流麗な演奏であったと思う。ただ、このホールは響きがよくないせいか、あるいは私の席 (2階席) の問題か、ちょっと管と弦のバランスが悪いようにも思った。弦の細かいニュアンスが聴き取れないと、ハイドンの無類のユーモアのセンスが活きてこないのだ。楽譜に書かれている音符の数の少なさとは裏腹に、なんと難しい音楽だろう!! あとでも書きたいと思うが、このサイトウ・キネン・オーケストラの今後の課題は、一義的にはいかに優秀なメンバーを維持できるかということにあると思っていて、特に管楽器は、もともと日本人だけでは層が薄い点は否めず、当初から外人が多かったところ、フルートの工藤、オーボエの宮本といったオリジナルの中心メンバーが抜けた今、オケのアイデンティティという点からも、チャレンジが今後も続くだろう。寄せ集め方式でなんとかするしかないのであろうが、まずは優秀な奏者が必要だ。その点、今の管楽器の水準は、最近進境著しい日本のオケよりも更に上で、まずは盤石と言えるだろう。例えばこの曲の第 3楽章でのオーボエは、大概の演奏で無残にもひっくり返り、繰り返しこそは汚名挽回と焦った奏者が、またトチって、もうハチャメチャになるということも時折起こるのだが、今日の演奏では安心して聴くことができた。但し、音量が小さかった点だけが不満。
そしてマーラーであるが、大変面白い演奏であった。というのも、かなり情熱を入れ込み、テンポを落として入念に歌いこむ箇所が随所にあるにも関わらず、いかにもルイージらしく、重々しかったり粘りすぎたりすることが全然なかったのである。冒頭のトランペットは、指揮者によっては奏者に任せきりにするケースもあるが、ルイージはきっちり棒を振り、細かい表情づけも行っていた。あるいは、第 2楽章 (最も重苦しい楽章) では、アクセルとブレーキを頻繁に使い分けて、音の線がチラチラ燃えて行くような濃密な音楽になった。それでも、それはバーンスタインらのユダヤ系指揮者のマーラーとは全く異なる、流れのよいマーラーだったのだ。第 3楽章で朗々たるホルンソロを吹いたのは、以前も N 響の演奏会でご紹介した、もとベルリン・フィルのラデク・バボラク。音の張りといい艶といい、まさに超人的。第 4楽章アダージェットでのハープは、吉野直子がいつもながら大変素晴らしく、ポロンポロンという一音一音が、感情という重みを持った雫が垂れるように、意味深く響いていた。終楽章の熱狂と最後の追い込みも、スタイリッシュでいて感動的。終演後の客席はスタンディングオベーションとなった。
ということで、演奏会自体は大成功。聴衆の中には複数の音楽評論家や、東京でのコンサートの常連の顔も見え、このコンサートにかけられた期待の高さを実感できたが (金曜日なので、一般の人は、会社から有給休暇を取ってのコンサートということだから 笑)、それだけ質の高い聴衆をあれだけ沸かせたとは、素晴らしいことだ。
この音楽祭の方向性を考えたとき、ポスト小澤体制は現実のものとして考える必要ある段階に来ており、もしルイージのような才能ある指揮者が主導的な役割を担ってくれれば、高水準の音楽が維持されるに違いない。だが、この演奏会を聴きながら私が改めて逆説的に思ったことは、この音楽祭の本当の意義は、個々の演奏会の質はさておき、やはり小澤とサイトウ・キネンが演奏することにこそあるのではないかということだ。優れた指揮者と優れたオケの顔合わせなら、世界中にいろいろある。昔のように、超名門オケだけでなく、ローカルでも面白い味を持つオケが、相性のよい指揮者とユニークな活動を展開する例も多い。そんな中、弦は多くが日本人 (必ずしも桐朋でなくてもよい?)、管は外人中心というオケが、外国から指揮者を招いて夏の間だけ集まって地方都市で演奏会をすることで、果たしてどれだけ世界に発信することができるだろうか。東京のオケがそれぞれに飛躍的に能力を伸ばしている中、寄せ集めでできることには、やはり限界があるのではないか。もともとこの音楽祭ができたときに小澤がよく言っていた、「斎藤先生はこの箇所をどう教えてくれたっけ」という話ができる、「同じ釜の飯を食った仲間」がやっているからこそ意味があったのであって、その中心が小澤という卓越した存在であることで、ほかにない求心力が生まれていたわけだ。その状況が変わってしまうとき、本当にこの音楽祭の意義を再度考える必要があるだろう。
今から 30年以上昔、TBS がカラヤンとベルリン・フィルの来日の際にシリーズで放送した番組があり、その中で「オーケストラは公園のようなもの。いろんな指揮者が通り過ぎて行ったあとも、公園は残る」という言葉が紹介されていたのを鮮明に覚えている。つまり、メンバーが変わっても、それぞれのオケには引き継がれて行く音の質や伝統というものがあり、いかに優れた指揮者と言えども、それを変えることはできないという意味だ。その点、サイトウ・キネン・オーケストラは、公園ではなくて、座長とともに移動するサーカスのようなものではないか。そのカラヤンの特集番組には、小澤もゲストとして出ていたが、そのことを覚えているであろうか。もし覚えていれば、世界でもユニークなサーカスの座長という役柄を、自らの西洋音楽への挑戦の結論とすることに、どのような思いを抱いているであろう。私自身、これまでこの音楽祭を楽しんできただけに、雨の降る中、車をホテルまで運転しながら、少し複雑な気持ちで、キュッキュッと動くワイパーを見つめていた。
長くなってしまったが、ここで気を取り直して、小澤征爾が 80歳を迎えるに当たって、各界から寄せられた言葉がプログラムに掲載されているので、いくつかピックアップしてみよう。





2015年 08月 27日
ありがとうございます
今後もなるべく面白い記事を書いて行きたいと思いますので、お立ち寄りの皆様からの率直なコメントも頂戴したいと思います。いろんな文化領域に、こんな感じで切り込んで行きたいと思っております。


2015年 08月 26日
画家たちと戦争展 彼らはいかにして生きぬいたのか 名古屋市美術館

横山 大観
藤田 嗣治
恩地 孝四郎
北川 民次
岡 鹿之助
福沢 一郎
北脇 昇
福田 豊四郎
吉原 治良
宮本 三郎
吉岡 堅二
山口 薫
香月 泰男
松本 竣介
と書いていて気づいたが、横山大観と恩地孝四郎は、展示されていなかった。期間中展示替えでもあったのか。それとも展示室を見逃してしまったのだろうか。
全体を見返して思うことには、戦争と自身の創作活動の間に深い関連のある画家とそうでない人がいるということだ。特に、いわゆる戦意発揚のために政府からの委嘱で戦争画に手を染めた画家の場合は、ほかの作品の評価がどうであろうと、戦争画の評価に引きずられているケースがあることに改めて気づかされた。東京国立近代美術館には 153点の戦争画が保管されていて (戦後米軍が接収して、同美術館に無期限貸与されているらしい)、その存在は以前から知られているものの、全貌についてはなかなか知る機会がない。いずれは全作品の展示を期待したいところだ (もちろん、近隣諸国には、その意義について充分説明できるはずだ)。今回の展覧会には、その一部が展示されており、また、写真展示も一部あった。
戦争との関わりという点で特殊な位置にいるのは、藤田 嗣治だ。その繊細な白で、エコール・ド・パリの一員として世界的な名声を博し、今でも絶大な人気を誇るその彼が、実は最も多くの戦争画を描いているのだ。今回展示されている「シンガポール最後の日」。

一方、藤田の友人で、同じくフランスで活躍していたが、戦争を機に日本に帰ってきた画家がいる。岡 鹿之助。ただこの人の場合は、日本に帰国した以上の戦争との関わりを持たなかった。その静謐な画風は、見る人の心に沁み渡り、ノスタルジックな気分にさせる。私の大好きな「雪の発電所」が展示されていた。





いや実際、当時この T2 に登場する T-1000 の液体金属ロボットを見たときには、その映像の凄さに驚愕したものだ。今回も、その当時の驚きをそのままに、むしろ現代の CG 技術からすると素朴に過ぎるのではないかと思われるくらい、T2 を彷彿とさせる液体金属の映像がいろいろ出て来る。演じるのはイ・ビョンホンだ。

ただ、本作では、(予告編で明らかにされているので、これから見ようという方にも教えてもよいと思うのだが) その反乱軍の闘士たるジョン・コナーのキャラクターに変化が起きる。私は過去のシリーズを知らないから平気だが (笑)、ずっとこのシリーズのファンの方には、大変なショックではないのか!! 何せこれですからね。どう見ても最初から怪しいだろ、これ。


一方で、この映画のストーリー自体は、それほど驚くものではない。もちろん、タイムマシン物を見ていると、時々、「これは設定が悪いのか、それともオレの頭が悪いのか」と自問自答するような瞬間があるもので、本作にもそのような瞬間が時々ある。それを除けば、割合にスムーズな展開だと言えるだろう。私の場合は、ストーリーにはあまり重きを置かないので、それはよいのだが、この映画の問題点を挙げるとすれば、役者の質ということになるのではないか。何より、サラ役のエミリア・クラークが物足りない。もっと可憐で逞しい女優もいるような気がする。そんな中、脇役ながら気になる役者がいる。警官のオブライエン役の、J・K・シモンズだ。以下の写真ではいちばん左。


この作品から、また新たなターミネーター 3部作が展開するらしい。願わくば、ほかのシリーズ物の轍を踏まず、シュワちゃんのキャラクターを信じて、よい作品が続きますように。そうなると、私もこれまでの 4作をなんとかして見ないといけない。頑張ろう!!



B・A・ツィマーマンが 50そこそこで自殺してしまった作曲家であるということは知っており、これまで、録音ではその陰鬱な作品のいくつかを聴いたことがあるので、この作品も聴く前から予想していたが、いやはや普通の作品ではない。現在手に入る数少ないこの曲の CD である、ベルンハルト・コンタルスキー指揮のオランダシンフォニアの録音を事前に入手、数回聴いてみたのであるが、やはりこれ、普通の曲ではない。

演奏者のプレトークというものは、時々、実際の開演時間前にステージで行われることはあるが、今回は、演奏会の一部として、開演後に長木と大野の対談が行われ、その後休憩を挟んでこの曲の演奏という構成であった。さすがにこの 2人の会話は質の高いもので、この曲の概要を誰にでも分かるように説明してくれたのであるが、大野によると、「この曲は 1時間くらいなんですけど、オーケストラが本格的に入るのは最後の 20分だけで、僕はそれまでの 40分、進行役なんですよ」とのこと (実際には、これはまたなんとも大変な進行役だ)。また今回は、非常に意義ある試みとして、曲に登場する様々な言葉 (多国語に亘る上、同時並行で進み、実際に聞き取られることは想定されていない) を日本語字幕として、ステージ正面の巨大なスクリーンに投影したのだ。長木は冗談めかして、「中には、読めるもんなら読んでみろという字幕もありまして」と言っていたが、まさにその通り。言葉の迷宮と言ってもよい。それぞれの意味を考える必要はなく、音響として「体感」するしかない。もともとスピーカーを 8台使用する想定らしいが、この日はそれ以上の数が使われていた。
そもそも、ステージ内外に配置された演奏者を見てびっくりだ。オーケストラにはヴァイオリンとヴィオラがない。ピアノは、正面の 2台にジャズバンドのものを加えて、合計 3台がステージに乗っている (それでいて、それぞれの出番は非常に少ないのだ!!)。マンドリンもある。それから、オルガンも一部に参加する。また合唱団は、ホール正面 (P ブロック)、2階客席入り口側の最も手前 (C ブロック後列)、ステージ左右の席 (RB 及び LB ブロック) という 4ヶ所、要するに十字架型に配置されていて、それぞれに副指揮者がつく。テープに加えてこれだけの音響要素が揃うと、なんとも形容できない濃密な時間、ノスタルジーもあるが、また同時に目くるめくような、あるいは痛いような生々しい感覚が、そこに渦を巻いて発生するのだ。これは本当に、「体験する」音楽であって、「聴く音楽」ではない。CD で聴いても全く意味がない。一種のシアターピースと言ってもよいだろう。作曲者はこの曲を 1969年に書きあげ、翌年自殺した。つまり、このレクイエムは、作曲者自身のレクイエムになったわけだ。その意味を考えるとなんとも重い気分に沈んでしまうのだが、実際に音が鳴っているときには、圧倒される瞬間もあったものの、ミサに参加しているような敬虔な瞬間も存在した。凄まじい表現力を秘めた恐ろしい曲だ。


マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや
この曲の朗読に出てきてもおかしくない歌ではないか。


私にとって寺山も蜷川も、若干微妙なところのある存在だ。寺山の映画は、封切で見た「さらば箱舟」以外にも、代表作である「書を捨てよ街へ出よう」や「田園に死す」も名画座で見たし、彼の前衛映画 (「トマトケチャップ皇帝」とか「一寸法師を記述する試み」とか) は、全作品の市販ビデオを、未だに大切に持っている。また、句集、詩集を含めた著作も何冊か読んでいるし、青森に旅行したときには、当然、寺山修司記念館に足を運んだ。従って、彼の創作活動についてのイメージは明確に持っているのだが、ではそれを好きかと問われると、若干言葉に窮してしまう。グロテスクさや土俗性が、時に本能的な反感を起こすこともある。また、寒い東北の地で母の愛を求める少年像という、ある種の閉塞感に、うんざりすることもあるのである。また、どこかの誰かに、「寺山修司好きですか? えー、私も大好きなんですよー」と明るく話しかける気にならない、そういうタイプの芸術家だと思う。でもまぁ、やっぱり心のどこかに響くものがあるのは事実。

ストーリーは以下の通り。スラム街にマンションができることとなり、その建築現場で朝鮮人の人夫が墜落死してしまうのだが、その死体がマンションのコンクリートに埋められ、事故は隠蔽されてしまう。それを目撃した若い男、賢治は、人夫の埋められた場所の壁にチョークで太陽を描き、コンクリートから死体を取り出そうと周りの人々に訴えても取り合ってもらえず、恋人の弓子 (高畑 充希) との仲もギクシャクする。最後はスラムの人たちの気持ちを動かすことができるが、死体の掘り出しには至らず、弓子が不慮の死を遂げてしまう。スラム街でのマンション建設を政治の道具にする代議士や、日々の生活に退屈する肉感的なその娘などが少し絡んでくるものの、非常に簡単なストーリーだ。おっと忘れていたが、音楽劇の体裁を取っており、今回はなんと松任谷 正隆が全編に曲を書いていて、ジンタ調でがなりたてられるスラム街の人たちの歌から、賢治のもどかしい思いを表すドラマ性のある歌、恋人たちの抒情的なメロディまで、なかなかそつなくこなしていたと思う。
さて、この芝居をどのように受け止めるべきか。私に分からないのは、1963年の寺山の真意がいずこにあったかということだ。もちろん、権威に対する反抗心はあったであろうし、社会の底辺の人たちへの共感もあったに違いない。でも、だからと言って、人知れず葬られた人夫の弔いを本気でしようとする若者、そんな素朴すぎるテーマを描いたのだろうか。少し思い込みかもしれないが、例えば、賢治だけが目撃したその墜落事故も、その人夫の存在自体も、賢治の幻想であったという解釈は成り立たないものだろうか。「靑い種子は太陽のなかにある」というタイトルは、寺山らしい非常に詩的な雰囲気があって、それは何も、正義を貫けとか、勇気をもって巨悪に立ち向かえという社会的なメッセージではなく、人間の生の哀しみを抒情的に描いているだけではないか。なので、私にとっては、そこに人夫の死体が埋められているか否かは重要ではなく、それを巡って賢治の思いが駆け巡っていることこそが重要なのだと思う。その観点から見ると、賢治役の亀梨の演技は、少し単純すぎたように思う。また、これはやむないのかもしれないが、明らかに舞台の発声が充分にできておらず、大声がただの大きな声で、少し枯れかけていた。それに引き替え、弓子役の高畑は、もともと舞台出身とのことらしく、明朗で舞台らしい発声であった。
この作品、封印されてしまった理由は不明だが、寺山自身は、大きな劇場でプロの役者が演じることすらも、あまり想定していなかったのではないだろうか。彼本来の土俗性があまり発揮されていない点、必ずしも「隠れた名作」とまでは言えないであろう。まあそう考えると、普段寺山のことなど全く知らない観客層に、新しい世界への入り口を示すという意味で、このような芝居の意義もあるのかもしれない。あ、すみません、亀梨ファンの方、どうぞお許しを!!


まあそれにしても、もともとマイナーなクラシック音楽の中でも、さらにマイナーな現代音楽のコンサートのはずなのに、大盛況だ。15時20分開場、16時開演なのに、15時10分には、開場を待つ長蛇の列が。

作曲家としてのホリガーは、ハンガリー人 (バルトークの弟子) であるシャーンドル・ヴェレーシュと、あの大御所ピエール・ブーレーズに作曲を師事している。そのルーツを本人は大変大事にしていることを、今回は知ることができた。オーボエは古い楽器なので、バロック音楽にはあれこれレパートリーがある。だが、協奏曲はどうか。モーツァルト 。リヒャルト・シュトラウス。・・・一般に知られているのはそれだけだ。そうなると、自然、新しいレパートリーが必要になる。ホリガーがずっと作曲を続けてきたのには、こういう必然性もあるのではないか。
曲目は以下の通り。演奏者は、ホリガー自身のオーボエに加え、ピアノの野平 一郎 (私、大ファンです)、ヴィオラのジュヌヴィエーヴ・シュトロッセ、クァルテット・エクセルシオなど。
ヴェレシュ : ソナチネ ~ オーボエ、クラリネット、ファゴットのための
ホリガー : クインテット ~ ピアノと 4つの管楽器のための
トリオ ~ オーボエ (イングリッシュホルン)、ヴィオラ、ハープのための
トレーマ ~ ヴィオラ独奏のための
インクレシャントム ~ ソプラノと弦楽四重奏のためのルイーザ・ファモスの詩 (日本初演)
今回聴いて思ったことには、ホリガーの作品の成功は、やはり、不世出のオーボエ奏者である彼が自分で演奏することに大いに依拠しているということだ。つまり、どこの誰とも分からない作曲家が同じものを作曲しても、ここまで聴衆にアピールしないであろう。オーボエは、もともと歌う楽器だ。よって、ホリガーの奏するオーボエは、どんな雑な音にまみれた騒がしい状況にあっても、また、それ自体が汚い音を立てているときですら、常に一本の歌になっている。今回の演奏では、前半 3曲に彼自身のオーボエが入り、後半 2曲には入らない予定であったが、来日するはずのソプラノ歌手が来日しなかったので、最後の「インクレシャントム」は、ソプラノパートをホリガーがオーボエで演奏し、また、一部は詩の朗読をした。怪我の功名、なんともお得な演奏会であった (笑)。結果的に唯一、ホリガーのオーボエのない曲目となった、ヴィオラ独奏のための「トレーマ」は、朗々と歌うところは一切なく、終始音がせわしなく動き回っている曲であったが、そのことによって、歌の不在が強く認識され、聴衆はどこかで幻のオーボエの音を希求する、そんな曲ではなかったか。無機的なような音のつながりから、ほの差す日差しのような旋律を感じた。大変印象的であったのは、最後の「インクレシャントム」の後に、ホリガーによる詩の朗読があったことだ。この曲の詩は、スイスの女流詩人、ルイーザ・ファモスの詩によっているが、その詩が書かれているのは、スイスの地方でしか使用されていない、ロマンシュ語なのだ。ホリガーは聴衆の拍手を遮って、英語で、「こんな奇妙な言葉はおなじみがないでしょうから、ちょっと読んでみましょう」と告げ、6つの詩を読んだのだ。内容は非常に内省的かつ、スイスの澄んだ空気を思わせるようなもので、手元の歌詞を見ながら、ホリガーの読む、ドイツ語のようでもありフランス語のようでもありイタリア語のようでもある不思議な言語の響きを味わった。
終演後に、今回のホリガー特集を企画した、日本を代表する作曲家である細川 俊夫が、ホリガー本人とのトークを行った。ホリガーはドイツ語で話したが、話し出すと止まらないタイプで、要点を簡潔にというわけにはいかない。サラリーマンには不向きだ (笑)。いわゆる「絶対音楽」という言葉には否定的であること。ホリガーの知る限り最もひどいドイツ語で、作曲者自身のみが感情移入できる台本を書いたワーグナーの音楽は、感情過多であり、ナチズムに利用されたという苦々しい思い。戦後、ダルムシュタットを中心とする現代音楽の潮流では、その感情過多の否定から始まったこと。今回のフェスティバルで演奏されるベロント・アロイス・ツィンマーマンとシュトックハウゼンについて。特に前者の素晴らしい才能について。この日の曲目の 1曲目、「クィンテット」についての細かい説明。来週初演される新作が、自作の俳句に基づくものであること。そのもととなった日本体験は、武満 徹に多くを負っており、この作品も武満に捧げること。大変興味深い話を聞くことができたが、同時通訳の女性が、ホリガーの長い話を丹念にメモして、丁寧に訳していたのが素晴らしかった。
というわけで、かなり上機嫌のホリガーと握手する細川。いやはや、東京おそるべし。サントリー財団にはこれからも末永く、この意義深い催しを続けて頂きたい。
