
さて、このハイティンクはオランダ人の指揮者で、同国を代表する世界最高のオーケストラのひとつ、アムステルダム・(現在は王立) コンセルトヘボウ管弦楽団の首席指揮者を、60年代から80年代まで 25年間務め、その間もロンドン・フィルの首席を兼任しながらベルリン・フィル、ウィーン・フィルを定期的に指揮し続け、英国ロイヤル・オペラの音楽監督も務めるかと思うと、これまた世界最強オーケストラコレクション (?)、ドレスデン・シュターツカペレ、シカゴ交響楽団の首席も務めた。加えて、ボストン交響楽団からは名誉指揮者の称号を得ている。改めて見てみると、すごいキャリアだ。現存指揮者ならずとも、もしかしたら歴史上最高かもしれない (ベームはどのくらい米国で活躍しましたか? カラヤンはどのくらいの数のオケを定期的に指揮しましたか? マゼールはひとつのポストに長期的に留まったことがありますか? ムーティは欧州一流オケのシェフを務めたことがありますか? ヤンソンスはオペラハウスの音楽監督を務めたことがありますか? )。また、一時期、全集魔という言葉もあった通り、膨大なレパートリーの交響曲を録音しているのだ。ただ、この華麗なキャリアに比して、カリスマ性という意味では、実はそれほどでもないのが不思議と言えば不思議。ある意味、あまりにとんがった個性の持ち主なら、これだけの一流どころに受け入れられることはないのかもしれない。
実は私にとってはこの指揮者、尊敬はするものの、もうひとつ熱狂的に支持しようというところまで行かない存在であるのだ。ひとつには、日本にある時期なかなか来なかったという理由が挙げられる。今回のプログラムに、このハイティンクの過去の来日公演の一覧が掲載されており、大変興味深いので、ご紹介する。まず、コンセルトヘボウとの初来日 (1962年) から第 2回来日 (1968年)。




曲目の紹介を忘れていた。
モーツァルト : ピアノ協奏曲第24番ハ短調K.491 (ピアノ : マレイ・ペライア)
マーラー : 交響曲第4番ト長調 (ソプラノ : アンナ・ルチア・リヒター)
マレイ・ペライアは、1947年生まれなので、今年 68歳。ニューヨーク生まれのユダヤ系ピアニストだ。

さて、後半のマーラーであるが、これがちょっとないほどの名演奏であった。正直なところ、マーラーの交響曲でも、5番とか 6番なら是非とも聴きたいが、彼の交響曲中最も穏やかなこの 4番には、あまり食指が動かなかったのである。ところが、今この円熟のハイティンクを聴く曲としては最適であったとは、聴いてみて初めて分かったのだ。まず、テンポが終始緩やかで、冒頭、鈴とフルートでシャンシャンやってから弦が主題を歌い出すところで、ぐっと音楽が粘る。昔聴いたメンゲルベルクの録音の強烈なポルタメントとまでは行かないが、老齢のみが可能にする音楽の懐を感じさせる。その後もオケの各パートは実に丁寧に指揮について行き、楽団員の指揮者に対する尊敬がそのまま音に表れていた。その感動的なこと!! これは私が今まで聴いてきたハイティンクとは一味違う。滋味深いという言葉がぴったりで、聴きながら胸が熱くなったり、ワクワクしたり、深い情緒に浸ったり、まさにこの曲の持つ様々な要素が、力まずして耳に入ってくる。帰宅してから彼がベルリン・フィルを指揮した CD (1992年録音) を少し聴いてみたが、やはり今回、その録音よりもテンポはかなり遅くなっていることが確認できた。86歳にしてさらなる円熟!! 今回ハイティンクは、指揮台にストゥールを置き、座って指揮するには安定が悪いなと思ったら、楽章の間にちょっと腰かけるだけに使い、演奏中は一度も座ることがなかった。ただ、指揮者の顔がはっきり見える場所で聴いていたので、やはり楽章を追うごとに疲れは明らかに目に見えた。指揮者という音楽家の不思議なところは、そのような老いが、むしろ音楽を沸き立たせる力になることだ。この力こそが、派手なカリスマとはまた異なる、本当の音楽家のみに許される特権なのであろうし、これができるからハイティンクは世界の一流オーケストラから慕われるのだなぁと実感した。
このマーラーの 4番の終楽章ではソプラノ独唱が入り、「天上の生活」を歌うのだが、その独唱はドイツの若手ソプラノ、アンナ・ルチア・リヒター。

同じ演奏家を何度も聴くことで得られる変化の楽しみもあれば、新しい演奏家によって与えられる新鮮な楽しみもある。今回の演奏会は、その一音一音に、様々な楽しみを見出すことができる貴重な体験であった。

交響曲第 2番イ長調作品36
ピアノ協奏曲第 5番変ホ長調作品73「皇帝」(ピアノ : ティル・フェルナー)
である。先週の曲目は同じくベートーヴェンの交響曲 1番・3番であった。こうなると、来年は 4・5・6番、再来年は 7・8・9番と、3年で全 9曲を踏破して欲しいものであるが、さていかがなものであろうか。
ブロムシュテットが N 響でベートーヴェンを振るのは 5年ぶりとのことであったので、5年前、2010年 4月のプログラムを見てみると、そのとき (指揮者は既に 83歳の高齢であった) は、
A プログラム : マーラー 9番
B プログラム : ブルックナー 5番
C プログラム : ベートーヴェン ピアノ協奏曲 5番「皇帝」(ピアノ : ルドルフ・ブフビンダー)、交響曲 3番「英雄」
うっへー、これはすごい。そうすると、さすが北欧の長命指揮者と言えども、この 5年で少しは軽めの曲目に移行したということか (笑)。因みに私は 5年前はすべてのプログラムを聴いたが、今回は残念ながらこの 1回だけであった。
さて、感想は「素晴らしい」の一言。もともと私はこの指揮者がドレスデンの音楽監督であったときに素晴らしい録音 (モーツァルト、ベートーヴェン、ブルックナー・・・) を耳にして以来、基本的には変わらないと思っていて、タングルウッドで聴いたボストン響を指揮した「英雄」も、名古屋で聴いたチェコ・フィルとのブルックナー 8番も、年齢を感じさせないものの、1980年代から同じ演奏を続けていると整理していた。で、今回の演奏であるが、無理やりそのように整理しようとすればできるだろう。でも、何かが違うのだ。音の緊密さとでもいったものが、より融通無碍になっている。これぞまさに澄み切った老巨匠の境地。それを見事に音にした N 響の高い能力。第 2楽章では、別に感傷的な音楽が流れているわけでもなんでもないのに、何やら胸が締め付けられる思いがして、自分でも不思議であった。人間の営みは、昨日と今日、今日と明日で、寸分違わないように思われることもあるが、実はその日その日、何か違う要素が存在していて、ふとそれに気づく瞬間こそ、あ、自分は生きているんだと実感できる瞬間であると思う。この演奏会は、昨日あったような今日や、今日あるような明日に対して、さながら「時よとまれ。そなたは美しい」というファウストの言葉を投げかけたくなるような瞬間に満ちていた。ブロムシュテットほど悪魔的なもののイメージから遠い芸術家はいない。だが、その透徹した音楽の高みはついに、通常人が遥か仰ぎ見るような次元に達してしまった。
ピアノのティル・フェルナーは、あの不世出のピアニスト、アルフレート・ブレンデル (未だ存命だが既に引退してしまった) の弟子で、どこかの記事で、ブレンデルの衣鉢を継ぐ唯一のピアニストと表現されていた。今回初めて実演に接してみて、その言葉が分かるような気がした。1972年ウィーン生まれ。既に 40を超えているものの、かなり若く見える。

終演後 NHK ホールから出ると、秋の青空が広がっており、いい季節だなとひとりごちた。今日は中秋の名月で、夜自宅でバルコニーに出てみると、雲が多いものの、その切れ間からぽっかり満月が覗いていた。川の上に反射して輝くという風流な景色にまでは行かなかったものの、なんとも季節感があって、しみじみしたものだ。このような情緒豊かな季節に、今日のような極上の音楽は誠にふさわしいと思いながら、また来年、ブロムシュテットのかくしゃくたる指揮姿に接することができますようにと心の中でつぶやいて、アルコール分を存分に摂取した中秋の名月の夜でした。

2015年 09月 27日
唐画 (からえ) もん - 知られざる大坂の異才 武禅に閬苑、若冲も 千葉市美術館

大阪ではなく大坂と記述するだけで、既に江戸時代を扱っていることは明白だ。では、その大坂のどのような画家の作品が集められているのか。墨江 武禅 (すみのえ ぶぜん 1734 - 1806) と、林 閬苑 (はやし ろうえん 生没年不詳、1770 - 1780 頃活動) が中心だ。江戸時代中期の大阪で、狩野派が大勢を占める中、中国に由来する画題や表現を使った唐画師 (からえし) が活躍したらしく、この 2人がその代表として選ばれたもの。彼らの名前は私も聞いたことがなかったし、一般的には全くの無名であろう。それがゆえに、「からえもん」などという奇妙な造語を作るのでなく、内容が分かる展覧会名にすべきであったと思うものだ。
メインの 2名の作品。ほとんどが個人蔵である。ということは、美術館が購入するような Name Value がないということであろうか。ただ、師匠や同門筋の作品も揃えて見てみると、誠に見応え充分で興味は尽きない。例えばこの、武禅の「夏季美人図」を見てみよう。この女性、舞台の書き割りの中にいるのか? いや、そうではあるまい。画家はどうしても、背景とそこからそよそよ吹き入ってくる夏の風を描きたかったのではないか。





さて、もう 1人の林 閬苑は、一層個性的だ。生没年不詳ながら、40歳にもならずに死去したとのこと。生涯はよく分からないらしいが、人知れず今日まで伝来した作品の大胆さを見ると、一部の町人に熱狂的に支持されたようなことがあったのだろうか。まず、これは「奇岩図」。こんな描きかけのような作品に落款を付してある大胆さ。アヴァンギャルドだ。




もうひとつ。千葉市美術館では、この展覧会と同時開催ということで、「田中一村と東山魁夷」という所蔵作品展が開かれている。およそイメージのかけ離れたこの 2人、たまたま千葉県人という点だけが共通かと思いきや、ともに 1926年に東京美術学校日本画科に入学した同期であったとのこと。ところが田中はすぐに退学、その後奄美大島で孤独・無名ながら独自性溢れる画風を確立。片や東山は国民的画家へと登りつめて行く。私自身がどちらを好きかはここでは書かないでおこう。だが、なかなかに面白い展覧会だ。




2015年 09月 27日
ハーゲン・クァルテット 2015年 9月26日 ミューザ川崎シンフォニーホール

能書きはともかく、今回足を運んだのは、現代を代表する弦楽四重奏団 (クァルテット)、ハーゲン・クァルテットだ。ザルツブルク出身の兄弟姉妹が始めた若手クァルテットだ・・・と書いてみてから調べてびっくり。このクァルテット、1981年にロッケンハウス音楽祭で賞を取って本格活動を開始したというから、もう 35年くらいの歴史があって、とても「若手」とは呼べないのだ。そういえば私が初めて彼らを聴いたのは、クレーメルが中心となったロッケンハウスのライヴ録音だった。一聴して、その鮮やかで勢いのある音に魅了されたものである。ただ、今まで、個別メンバーがオーケストラをバックに協奏曲を弾いたのを聴いたことはあるが、クァルテットとしては今回が初めて生で聴く機会である。本当に室内楽素人は困ったものだ。
今回の曲目は以下の通り。
ハイドン : 弦楽四重奏曲第 58番ハ長調作品54-2
モーツァルト : 弦楽四重奏曲第 21番「プロシア王第 1番」ニ長調 K.575
ベートーヴェン : 弦楽四重奏曲第 14番嬰ハ短調作品131
見事、ウィーン古典派で統一されている。室内楽素人の私としては、ベートーヴェンはともかく、ハイドンとモーツァルトについては予習をする必要があった。ハイドンに関しては、もう随分前に交響曲全集、ピアノソナタ全集と並んで弦楽四重奏曲全集も購入しており、それぞれ CD 33枚組、12枚組、22枚組であるが、一応全部聴いてはいる。だが、ハイドンの 74曲ある弦楽四重奏曲 (番号は 83番まであるが欠番がある) を全部記憶するわけにもいかず (笑)、今回の演奏に備えて CD 棚をガサガサあさり、第 58番を探し出して聴いた。全く、こんなに沢山の曲を書きやがって、ハイドンは本当に迷惑な人である。
ともあれ、このハーゲン・クァルテット、各自の音色の均一感が際立っている。オリジナルメンバーから第 2ヴァイオリンが変わっているとはいえ、ほかの 3人は血を分けたきょうだいであり、後から入った第 2ヴァイオリンのライナー・シュミットも、ほかのメンバーと同じザルツブルク・モーツァルテウム・アカデミーの出身であって、その意味では共通する音楽的バックグラウンドを持っているがゆえに、弦楽四重奏団としての均一性が実現されているのであろう。実際、ソリストたちが集まって室内楽を演奏することもあるが、例えば旋律を弾く第 1ヴァイオリンの技量はその方が高いことがあっても、必ずしも統制の取れた演奏になるとは限らないのが音楽の面白いところ。
今回の 3曲、意識的か否かは分からないが、少しユニークな共通点があって、それは、曲の起承転結がありきたりではない面があること。いずれも「おっとこれで終わりかい」という終結部を持っている。ハーゲンの演奏だと、ある意味で曲の曲折を経ながらも常に均一な音が流れて行くため、どこで終わってもおかしくないと言うと語弊はあるものの、なるほど弦楽四重奏の極意とはこれかと、室内楽素人としては痛く感心したものだ。
それにしても、3曲続けて聴くと、ベートーヴェンの後期のクァルテットがいかに独特で深い内容を持つか、改めて感じる。これまで東京クァルテットや、カーネギーホールでの連続演奏会で聴いたエマーソンクァルテットでもベートーヴェンの弦楽四重奏体験をして、唸ったことがあるが、これはまさに深い森に分け入って行くような音楽だ。特にこの 14番 (以前もご紹介した通り、バーンスタインがウィーン・フィルと弦楽合奏版の録音を残している) は、切れ目なしに演奏される 7楽章によって成り立っており、しかも、弦楽器の特殊奏法であるスル・ポンティチェロ (楽器の駒に非常に近い部分を擦って軋んだ音を出す奏法) が音楽史上初めて使われている。ベートーヴェンという永遠の前衛の闘士の顔には、険しさ、優しさ、諧謔等々、いろんな表情が混ざり合っているのだ。
今回のハーゲンの来日では、室内楽ホールでの演奏会がメインで、今回のような大ホールでの公演はほかにない (特にトッパンホールでは 4日連続でモーツァルトを採り上げる)。このコンサートが実現した背景は、このクァルテットの出身地であるザルツブルク市と川崎市が姉妹都市であることである。ホールにはこのような展示コーナーもあって、川崎とザルツブルクがこれまでに様々な交流を果たしてきたことが分かる。

2015年 09月 26日
オスカー・ニーマイヤー展 ブラジルの世界遺産をつくった男 東京都現代美術館

ともあれ、この展覧会の副題にある、「ブラジルの世界遺産をつくった男」とはいかなる意味か。その前に質問。ブラジルの首都はどこか。そんなのサンパウロに決まっているでしょ。あ、リオかな? いやいや、リオはカーニバルなんてやっている能天気な街だから、やっぱりサンパウロ。・・・と答える人が多いのではないかと思うが、答えはブラジリア。実は、もともとの首都はリオ・デ・ジャネイロ。しかし、それは入植者であるポルトガル人の決めた首都だ。ブラジルが 1889年に独立した際、独自の首都を持とうという運動が起こり、2年後の 1891年に制定された憲法に、新首都を「ブラジリア」とすると謳われたのであった。ところがその後測量の見直しや資金難のため、首都移転は難航。ようやく 1955年に至って、ブラジル中央部に広がる標高 1,200m の乾燥した大草原地帯に首都を建設すると発表され、当のブラジル国民たちが驚愕したという。1956年に就任したクビチェック大統領が剛腕を振るい、公約通り 1960年に新首都ブラジリアへの遷都がなされた。この全く新たな人工の首都の建設に当たっては、ルシオ・コスタの総合プランに基づいて、弟子のオスカー・ニーマイヤーが個々の建物を設計した。そして、遷都後わずか 27年の 1987年に、世界遺産に登録されたのだ。これは世界広しと言えども、ちょっとほかに例のないことだろう。













さて今回の展覧会、実は特筆事項がもうひとつ。ニーマイヤーを尊敬する日本を代表する世界的建築家が、会場構成を行っているのだ。その名は SANAA (Sejima and Nishizawa and Associates)。妹島 和世 (せじま かずよ) と西沢 立衛 (にしざわ りゅうえ) のユニットだ。もともとこの東京都現代美術館は、現代美術を展示できるような広いスペースがあって気持ちのよい場所なのだが、今回はこの曲線の数々を観覧者が思い思いに楽しめるように工夫されている。極め付けは、会場出口近くに設置された、イビラブエラ公園 (サンパウロ。ニーマイヤーが 1954年に設計) という公園の巨大なジオラマを作り、観覧者は靴を脱いでその上を歩くことができるという趣向だ。


2015年 09月 26日
ウィーン美術史美術館蔵 風景画の誕生 Bunkamura ザ・ミュージアム

ヨアヒム・パティニール (1480 頃 - 1524) という画家をご存じだろうか。初期フランドル派の画家で、彼が風景画を最初に描いた画家だと言われているらしい。私は、まさにこの美術史美術館や、マドリッドのプラド美術館でも、大好きなボスの絵のそばにこの画家の作品が展示されていることから、その名前のみは知っていたのだが、最初の風景画家とは知らなかった。興味深いのは、あのドイツの巨匠アルブレヒト・デューラー (1471 - 1528) が、1520 - 1521年のネーデルランド旅行の途上でこのパティニールに会ったことを日記に記していて、「良き風景画家」と呼んでいること。デューラーはその際にパティニールの結婚式に列席し、のみならずこの画家の肖像画まで描いているほどの友情関係にあったようだ。そのパティニールの、「聖カタリナの車輪の奇跡」という作品が今回出展されているが、これはパティニールの初期の作品で、制作は 1515年以前、歴史上でもごく初期の風景画と認定されている。

考えてみれば、宗教画の場合、受胎告知であれ東方三博士の礼拝であれエジプトへの逃避であれ、あるいはヨハネとかヒエロニムスとかいう聖人を描くにしても、風景を描くことは必須である。「モナリザ」のような肖像画でも、後ろに風景が描かれている。しかしながら、ここで「風景画」と定義されている絵画は、恐らくはその後オランダを中心とするプロテスタント地域で宗教画を離れて世俗の風景が描かれるようになり、発展していったことをもって、その源流とみなしうるという点が特色なのではなかろうか。もちろん、本展にはイタリアやドイツの作品も出展されていて、一口に「風景画」とは言っても、結構な多様性を見ることができる。
これはイタリアのフランチェスコ・アルバーニ工房による「悔悛するマグダラのマリア」(1640年頃)。ここで見られるマグダラのマリアの心象風景のような険しい岩山は、画家の故郷ボローニャの風景がモデルであるらしい。この風景の荒々しさと対照的な天使たちの愛らしさが印象的で、この画家は17世紀当時、ヨーロッパ中で名声を博したという。






さて、出展されていない絵について長々と書いたのは、正直なところ、この種の展覧会にはやはりこのような目玉作品が欲しいところであった。実際にウィーンに出掛けて行けば、今回の出展作に足を停めて見るなどということはほとんどないであろう。なので、風景画という独特の観点は評価できても、並んでいる作品の質という点では、大変残念な展覧会であったと言わざるを得ない。
まあ、それはそれでよいとしよう。やはりブリューゲルに出会うには、こちらがウィーンに出掛けて行くしかない。しゃーないなー。

ミヤスコフスキー : 交響曲第10番ヘ短調作品30
ナッセン : ヴァイオリン協奏曲作品30
ムソルグスキー (ストコフスキー編) : 組曲「展覧会の絵」
えっ、どれも知らない? 「展覧会の絵」の編曲はラヴェルだろうって? うーん。
・・・もちろん冗談である。英国人で主に作曲家として知られるナッセンであるが、新橋であろうと渋谷であろうと自由が丘であろうと、道行く一般の方々 100人に訊いて、知っている人はよくて 1人か 2人だろう。また、これらの曲目のひとつでも実際に訊いたことのある人は、やはり同じくらいの率ではないか。私の疑問は、それなのになぜこの演奏会が、かくも盛況なのかということなのだ。もしかして東京は、知らないうちに世界ナンバーワンの教養大国 (?) になったのか???
オリヴァー・ナッセンは 1952年生まれのスコットランド人だ (ということは、昨日行われた日本とのワールドカップラグビーの試合を日本で見たのかもしれない)。ご覧の通り大きい体で大らかに見えるが、書く作品はいわゆる現代音楽である。「かいじゅうたちのいるところ」という童話を原作とするオペラで一応知られてはいるものの、まあ一般の知名度は高いとは言えないだろう。私は、よくロンドン・シンフォニエッタとの演奏を FM で聴いたものだし、アナログ時代から彼のディスクを買う機会もあり、例えば 1998年にサイモン・ラトルがバーミンガム市交響楽団と来日してマーラー 7番を演奏したとき、前座でナッセンの交響曲第 3番が日本初演されたが、そのときも手元にある自作自演のアナログレコードで曲を予習して行った記憶がある。また、何かのシンポジウムで武満徹 (ナッセンとは親しい友人だったはず) たちと一緒に登壇し、質問は何であったか覚えていないが、「僕自身が子供だからね。あっはっは」と陽気に笑っていたことを思い出す。作品が大好きというわけではないのだが、その外見と作る音楽のギャップを楽しみたい、そんな作曲家 / 指揮者である。今回のポスターは以下の通り。



2曲目はナッセンのヴァイオリン協奏曲を、カナダの女流、リーラ・ジョセフォウィッツが弾いた。

さて、後半の曲目は、ムソルグスキーのピアノ曲を原曲とする有名な「展覧会の絵」だが、普通演奏されるラヴェルの編曲ではなく、往年の名指揮者、レオポルド・ストコスフキーの編曲によるものだ。ストコフスキーは、有名曲にあれこれ手を加えて派手な演奏効果を狙ったとして、異端視されることもあるが、私は結構好きで、マイナーな放送録音からの CD など、せっせと集めている。この「展覧会の絵」の編曲は、自分で指揮した録音もあり、また、今日の指揮者ナッセンがクリーヴランド管と録音している。あ、調べてみると、最近では若手のホープ、山田和樹も録音していますね。この編曲の特色は、ラヴェルの行ったキラキラしたフランス風の華麗な音への昇華ではなく、オリジナルのロシア性を強調するもの。なので、「テュイルリーの公園にて」と「リモージュの市場」というフランスの光景を表した曲は省かれている。また、ラヴェル版では冒頭、トランペットが朗々とプロムナードのテーマを吹いて颯爽と始まるところ、この編曲では弦楽合奏だ。その他、いろいろ興味深い相違点やまた共通点もあるが、正直申し上げて、ラヴェル版が耳になじんだ身には、さほど面白いとも思えない。もちろん、ストコフスキー自身の録音も聴いていてよく知っているが、なるほどと思う場面もある反面、「どうやってラヴェルと違うことをしてやろうか」という意地に、若干辟易する。しかしながら、今日の演奏でひとつの発見が。終曲の最終和音、これってマーラーの「復活」へのオマージュではないのか。ストコフスキーは声楽付の大曲を得意としていて、マーラーではこの 2番「復活」や 8番、またシェーンベルクの「グレの歌」などを早くから手掛けていた。ストコフスキーの志向する音楽のイメージが、少し広がったような気がする。それから、ここでは都響の金管にびっくり!! 素晴らしい音で鳴っていましたよ。恐らくは指揮者が演奏の出来に満足したせいであろう、「卵の殻をつけた雛の踊り」が、急遽アンコールとして演奏された。
とまあ、長々と書いているが、今日の 3曲、奇しくも「曲としてはあまり面白くない」が共通点になってしまった (笑)。それにもかかわらず、なんとも後味のよいコンサートであったのは、ひとえにナッセンの人柄と、それに都響の充実した音のおかげであろう。実は帰り道の電車でふと見ると、都響のあるセクションの首席奏者の方が乗っているではないか!! 私は、先週土曜日の名誉の負傷によって未だ早くは歩くことはできず、また、途中で小腹が減ってオヤジの集う立ち食いそば屋に寄ったりなどしたが、それにしても、舞台から下りて着替えた演奏家が聴衆と同じ電車に乗るとは、なんとも素早いこと (笑)。でも、あのような壮麗な演奏に参加しておいて、何事もなかったかのように郊外の私鉄電車で家路につくなんて、格好いいなぁ。同じ沿線であることも分かったし、引き続き都響のマニアックなプログラムに期待が止まりません!!











2015年 09月 23日
キングスマン (マシュー・ヴォーン監督 / 原題 : Kingsman The Secret Service)

ロンドンで高級オーダーメイド紳士服店が並ぶ場所、サヴィル・ロウ (Savile Row)。日本語の「背広」の語源になったというこの場所は、私も仕事で何度か行ったことがある。お客さんのオフィスがそこにあるからだ (私の仕事はアパレルではないのだが・・・)。どんなところかと思いきや、ロンドンではどこにでもある、狭い一方通行の道だ。



とにかく、大変面白いのだ。若い主人公エグジー (今回が映画デビューとなるタロン・エガートン) がスパイとして逞しく成長して行くというストーリーなのだが、普通、お上品な男が、闘いの場で野生に目覚めるというパターンになるはずが、この映画では全く逆。まず、成長前がこれ。


特筆すべき見事なシーンは 2つ。ひとつは、コリン・ファースが暴れる教会の場面。もうひとつは、主人公たちが敵 (これが IT 起業家にして悪党のサミュエル・L・ジャクソンなのだ!!) の本拠地で絶体絶命となり、主人公の教官 (最近いろんな映画、例えば「裏切りのサーカス」や「イミテーション・ゲーム / エニグマと天才数学者の秘密」で印象に残る演技連発の名バイプレイヤー、マーク・ストロング) の案で一か八かの勝負に出るシーン。前者は、あえて言うならば、殺戮シーンとして映画史に残るであろう (この映画が R15 指定になった一因もこのシーンだろう)。完璧に作られたリアリティに圧倒される。後者は、これはただ、腹を抱えて笑おう。エルガー作曲による行進曲威風堂々第 1番、英国の第 2国歌と言われる中間部の流れるシーンだ。劇場で手を叩きたくなるほどの素晴らしいシーンに、久しぶりに会った。
その他、出演者もいろいろ多彩であるが、例えば、敵役のサミュエル・L・ジャクソンの秘書兼用心棒 (?) 役のソフィア・ブテラはどうだろう。




話が例によって脱線してしまったが、この「キングスマン」、私の見たのはシルバーウィーク中のレイトショーだったが、かなりの混雑であった。映画の観客層の通ぶりを測るには、終映後のエンドタイトルでどのくらい人が出て行くかを見れば大体分かるが、この映画の場合、案の定、ほとんどの人が出て行かなかったのだ。さすが、日本も捨てたものではない。プログラムによると、本作の好評により、次回作の噂も出ているとか。私としては、それは若干の不安材料だ。だって、次回作でしゃあしゃあとコリン・ファースが出てくると、ちょっと興醒めですよね。なので、まずこの作品はこの作品として、一旦完結としたい。いやお見事。
2015年 09月 23日
大植 英次指揮 東京フィル 2015年 9月21日 オーチャードホール


さてこの大植 英次、よく知られている通り、稀代の名指揮者レナード・バーンスタインの晩年の弟子にあたるが、その実質的な日本デビューについて少し書いてみたい。1990年、バーンスタイン最後の来日の際、札幌で PMF (Pacific Music Festival) が初めて開催され、御大バーンスタインは、そこでの学生の指導と、一連のロンドン交響楽団との演奏会を行う予定であった。札幌でのシューマン 2番のリハーサルの情景と本番は、感動的な映像ソフトとして永遠に残されているが、まさに死を直前にした巨匠の健康状態が、思わぬ副産物を生み出したということを、25年経った今、つくづく思う。ひとつは PMF 音楽祭の継続で、今年のゲルギエフ指揮による演奏会は、以前このブログでも取り上げた。もうひとつは、この大植 英次と、それから佐渡 裕が活躍の場を得たということだ。大植は当時全くの無名であったが (その 5年前、バーンスタインが企画・参加した広島平和コンサートでも指揮していたことを後で知った)、バーンスタインがロンドン響を指揮したサントリーホールでの演奏会で、2曲目に置かれた自作の「ウエストサイド物語」のシンフォニック・ダンスが、当日突然大植の指揮に変更されたのだ。よく覚えているが、その場には天皇・皇后両陛下も臨席され、バブル期のことでもあるから (笑)、巨匠の演奏に聴衆の期待が盛り上がっていたところ、突然の指揮者交代、しかも名前を聞いたこともない日本人の登場に、会場はあからさまに落胆の雰囲気が支配した。ところがその演奏たるや、まさに瞠目すべき素晴らしいもので、そのリズム感やダイナミックな盛り上げは、その後の大植の活躍を思うと当然であったのであろうが、大変に驚いたものである。それは 1990年 7月10日のこと。その後バーンスタインはタングルウッド音楽祭でボストン響とベートーヴェン 7番等を演奏した後、10月 3日に死去したので、まさに巨匠の人生最後の日々であったわけだ。ところが、そのときの報道においては、主催者側の不手際を責める論調が支配的で、代役を立派に果たした大植のことに触れた記事を見た記憶がない。それゆえ、世界の片隅の川沿いの住居からの発信ではあるが、ここで当時の新聞記事をお見せすることで、歴史的検証をしてみたい。バーンスタインは本当に死に瀕しており、大植は素晴らしい演奏をしたのに、それらに触れた記事がないことは嘆かわしい。以来私は、マスコミの言うことをうのみにせず、自分の耳と価値観で、あらゆる芸術に接しようと心を決めたのであった。
たまたまスキャナーが故障しており、新聞の切り抜きを写真に撮って掲載するので、見にくいかもしれないが、何卒ご容赦を。これは、大植の代役の翌日、7月11日の朝日新聞の記事。一応大植の名前はあるが、騒動を揶揄するようなトーンである。



