2015年 12月 31日
よいお年を!!
私としては、ブログを書いているせいで本を読む時間が激減してしまったのは悩みの種ですが、書いているのは楽しいし頭の整理にもなるので、来年はブログを継続したまま、少しうまく時間をやりくりして、読書の時間も捻出するようにします。私は普通の勤め人であって、音楽も美術も映画も、全然専門家ではありませんが、様々な文化のジャンルで、「へぇーそんなことがあるのか」「そんな面白いことが東京で起こっているのか」「こういう部分は日本の悪い点だな」「よい点だな」などということを考えて頂けるような内容にして行きたいと思いますので、いつもご覧頂いている方も、たまたま立ち寄られた方も、是非来年もよろしくお願い致します。
今年の締めくくりのヴィジュアル・イメージは、たまたま直近の記事でゴヤを話題にしたので、彼の版画集「きまぐれ (ロス・カプリチョス)」から、有名な「理性の眠りは怪物を生む」を掲げておこう。私の思うところ、この絵の意味は、もちろん、覚醒した理性をもって邪悪なものや腐敗を断ち切れという教訓的な内容もあろうが、むしろ、芸術家にとっては、昼の社会生活から解放されたところに、想像力の翼を広げる余地があるのだという解釈の方がゴヤにはふさわしいのではないか。物事は常に矛盾をはらみ、それゆえにこそ芸術は多面性を持つもの。そのことを実感できる日々は、充分文化的だ。来年も理性の覚醒と休息の間で、現実と非現実の切り替えを楽しみたいと思う。

2015年 12月 31日
プラド美術館展 スペイン宮廷 美への情熱 三菱一号館美術館

東京の中心地、丸の内に 5年前に開館したこの美術館は、意欲的な企画を数々世に問うてきた。今回の展覧会は、プラド側の提案による企画であるようだ。私は実はマドリッドには何度か、1ヶ月超の張り付き出張をしたことがあって、同地で何度も週末を越えたので、このプラドには優に 10回以上は足を運んでいる。エル・グレコ、リベラ、ヴェラスケス、ムリリョ、ゴヤなど、スペインで活躍した画家たちに、ルーベンスやティントレットや、その他幾多の西洋絵画の傑作を蔵する世界屈指の美術館だ。今回の展覧会では、どうやらそのプラドから、小品が沢山やってくるという。このブログで最初に文化関係の話題を採り上げた、今年の 6月 3日の記事では、ルーヴルからやってきた小品による展覧会を題材にしたが、それと似た趣向の展覧会だ。それにしても、今その記事を読み返してみると、短いなぁ (笑)。最近の記事では、どうも無駄口が多くなっている。ちょっと気をつけよう。
上述のルーヴルの記事で既に私はプラドに何度も通ったと書いている。また、その記事で話題にしたムリリョやティエポロの作品は、今回の展覧会にも含まれている。いや、この展覧会、ほかにもこのように豪華な、綺羅星のごとき画家たちの作品が並ぶ (50音順)。
ヴァトー、ヴェラスケス、エル・グレコ、ゴヤ、サルト、ティツィアーノ、プッサン、ブリューゲルの息子や孫たち、ボス、ルーベンス、レーニ、ロラン・・・。
ただ、このような歴史上よく知られている画家たちのみならず、スペインやイタリアやフランドルの様々な画家たちが紹介されていて、中には大変ユニークなものもある。正直なところ、先のルーヴル展と同じく、実際にプラドに行ってみると、これらの作品の前を足早に素通りしてしまうことがほとんどだろう。このような展覧会の意義は、隠れた小品の持ち味をじっくりと鑑賞できることだ。作品点数は実に 102点。以下、私が特に興味を持った作品を一部ご紹介する。
まず、今回の目玉である、ヒエロニムス・ボス (1450頃 - 1516) の、「愚者の石の除去」。上に掲げたものとは別のポスターにはこの絵が掲載されていて、「世界に 20点しか存在しない奇想の画家ボスの真筆、初来日!」と謳われている。入り口から入って数点目に早くも飾られている。このような変わった絵だ。

この作品を含む最初のセクションのテーマは、「中世後期と初期ルネサンスにおける宗教と日常生活」。領主や中産階級の居室に置かれたらしい、小さな作品ばかり。日本的に言えばさしずめ念持仏か。まあ、礼拝の対象になる宗教的な題材ばかりではないが、ここではボス以外は美しい宗教画がほとんど。このハンス・メムリンク (1433頃 - 1494) の「聖母子と二人の天使」など、手元に置いておきたくなる、本当にきれいな作品だ。















さて、最後の第 7セクションは、「親密なまなざし、私的な領域」。既に宗教や王侯貴族の束縛を離れ、画家の表現力は自由に羽ばたいている。スペインの強い陽光を思わせる風景画は、大変に素晴らしい。特に、光が強いと陰も濃くなるのだという空気感が、どの作品にもよく表れている。ここでは 2点、マリアノ・フォルトゥーニ・イ・マルサス (1838 - 1874) の「フォルトゥーニ邸の庭」(未完のまま作者がなくなり、義父が完成させた) と、ビセンテ・パルマローリ・ゴンザレス (1834 - 1896) の「手に取るように」である。作風は違えど、いずれも素晴らしい作品ではないか。19世紀の美術のメインストリームからは外れてはいるものの、我々の知るほかのヨーロッパの国々の画家たちの作風とも一脈通じるものがある。例えばスイスのセガンティーニであったり、あるいはイギリスのラファエロ前派やフランスの印象派であったり・・・。


2015年 12月 30日
第九 秋山和慶指揮 東京交響楽団 2015年12月29日

1941年生まれ、今年 74歳の秋山は、以前にも書いた通り、私が最も尊敬する日本の指揮者である。若い頃からの白髪頭で温厚な雰囲気であるゆえ、その音楽の内容を誤解している人も未だに多いかもしれない。だが、彼こそは、ロマン派の音楽を中心に素晴らしい表現力を発揮する稀代の名指揮者なのである。

第九に先立つ四季の「春」と「冬」は、例年若いヴァイオリニストをソロストに迎え、秋山自身がチェンバロを弾いて演奏される。今年のソロは、現在慶応義塾大学 3年生の、毛利 文香 (もうり ふみか) である。今年パガニーニコンクールで 2位になったらしい。若々しい真面目さに好感を持てるが、超絶技巧でバリバリ弾くというよりは、穏やかな箇所の集中した歌い込みが印象的であった。

・第九以外の演奏曲
ヴィヴァルディ : ヴァイオリン協奏曲「四季」からホ長調「春」、ヘ短調「冬」
・コントラバス本数
6本
・ヴァイオリン対抗配置
なし
・譜面使用の有無
指揮者 : あり
独唱者 : ソプラノのみあり、ほかはなし
合唱団 : なし
・指揮棒の有無
あり
・第 2楽章提示部の反復
あり
・独唱者たちの入場
第 2楽章と第 3楽章の間
・独唱者たちの位置
合唱団の最前列中央 (オケの後ろ)
・第 3楽章と第 4楽章の間のアタッカ
あり
今年は5種類の第九を聴いたわけであるが、その中のどの 2つの演奏も、このチェックシートの全項目が一致するという事態は遂に発生しなかった。やはりこれらの項目において、それぞれの演奏の特色が如実に表れるわけである。
演奏は極めてオーソドックスなもの。定評ある秋山の卓越したテクニックと、長年のパートナーシップからその指揮を熟知している東響のコンビならではの、安心感のある音楽だ。テンポは揺らぐことなく一貫しており、情緒に流れすぎることもない。その一方で、第 3楽章である緩徐楽章には、万感の思いが込められているのだ。秋山自身は、上に書いた通り、「ところで、今日指揮したのは?」という演奏が理想と言っているが、彼自身の音が強く鳴る演奏も魅力的だ。今日の演奏はその意味では、指揮者の個性が鼻につくという点が全くないと言え、彼自身の理想とする演奏に近かったのではないかと思われる。ただしかし、年末にあれこれの第九を聴いて来た耳には、ずっしりした音の芯とか、思わず管楽器が足を踏み外すような疾走感という点では、若干の課題を残したようにも思われた。これから 80歳に向かって行く秋山の音楽が、凄みを増して行くことを期待したい。
さて、上のチェックシートで、この演奏独特のポイントがあるのに気付かれただろうか。独唱・合唱に関する部分だ。
ソプラノ : エヴァ・メイ
メゾ・ソプラノ : 清水 華澄
テノール : 西村 悟
バリトン : 妻屋 秀和
合唱 : 東響コーラス
このうちメゾの清水は上岡 / 読響で、バリトンの妻屋はヤルヴィ / N 響で既に聴いている。歌手の皆さんにとっても年末は第九の大事な仕事だ。で、今回の独唱者の特色は、ソプラノだけが外人ということは猿でも分かるが、そのソプラノ歌手、エヴァ・メイは、合唱団・独唱者の中でたったひとり、譜面を見ながらの歌唱であったのだ。これは正直、奇異な感じに見えた。メイは世界のメジャーオペラハウスで活躍し、数々の名指揮者との協演実績のある、世界的なイタリア人歌手である。第九を暗譜で歌えないことなどありえない。


それから、年の瀬なのでもうひとつネタをサービスしよう。上にマエストロ秋山のことを、「仕事を選ばない指揮者」と書いたが、それはもちろん、敬愛の意を込めた表現なのである。私の手元に、こんなアナログレコードがある。全然違う、「ヒットパレード」というジャケットに入っているが (笑)、どこかで中身が入れ違ったのだろう。盤面には「セレナードの花束」とあって、内容はセレナード特集であるようだが、恐らく 1960年代の古い録音だろう。マエストロの最初期の録音ではないだろうか。指揮者名の赤線は、私が画像を加工したもの。

2015年 12月 29日
杉原千畝 スギハラチウネ (チェリン・グラック監督)

上のポスターにもある通り、杉原千畝 (スギハラ チウネ) は、第 2次世界大戦中の外交官で、ユダヤ人にヴィザを発行することでナチの迫害から命を守った人物である。「日本のシンドラー」とも呼ばれて、近年ではマスコミで紹介される機会も多いので、昔に比べて知名度は格段に上がっている。いや、実はシンドラーよりも救ったユダヤ人の数は多いのだとも聞いたこともある。この映画は、戦時下においてそのようなことがいかにして可能になり、またこの杉原という人物がどのような人であったのかについて、史実に基づいた作劇がなされている。
まず気づいたのは、タイトルに杉原千畝の四文字が浮かび上がったときに、その間に見えた文字。"PERSONA NON GRATA" である。ペルソナ・ノン・グラータ。これは、国際関係において他国が分類する「好ましからざる人物」のことだ。その意味が分かる人は、このタイトルを見て最初におやっと思うはずだ。何千人もの命を救った立派な人が、好ましからざる人物だなんて、一体どういうことだ。そして、ここからドラマが進むにつれ、世間に流布する聖人君子としての杉原のイメージは実に皮相的な通り一遍のものであって、実際には複雑な事情が絡み合っていたことを、観客は理解することになる。杉原自身にも心の動揺があり、また危険を冒して彼の判断に従った人たちもいて、彼らがいかに呻吟したかも描かれている。そして、歴史の歯車の冷酷さとその中の人間の非力さを思うとき、人は大きく心を揺さぶられるのだ。もちろんそれを観客に感じさせるには、映画としてのテクニックが必要で、その点でもこの作品は高い水準をクリアしている。
まず諸国が戦争をしている時代の外交官の役割を考えてみよう。まさに自国の命運のかかった極限の緊張状態で取るべき道を知るには、まずは他国の動向をよく知る必要がある。その意味で、母国を離れて他国に暮らす外交官とは、スパイに近いか、またはスパイ顔負けの諜報活動を行う必要が、多少なりともあったものと思う。この映画でまず明確にされるのは、1934年時点における、諜報活動に長けた、かつかなり際どいところで危険に身をさらすこともいとわない、杉原のしたたかな行動力だ。同僚であるロシア人女性との関係も、なにやらいわくありげだ。これはとても聖人君子とは言えまい。実際、そのインテリジェンス能力を警戒したソ連政府は、彼をペルソナ・ノン・グラータ、つまり好ましからざる人物と認定して、在モスクワ日本大使館への赴任に際して入国を拒否。一旦日本に帰国する。その後 1939年になって、バルト三国のひとつ、リトアニアに新設される領事館に総領事として派遣されることとなる。この映画のプログラムに載っている当時のヨーロッパの地図は以下の通り。当時のドイツの勢力と、ソ連の位置に鑑みれば、なんとも危険な国に派遣されたことが分かろう。彼の帯びた使命は、「複雑怪奇」な欧州事情をつぶさに観察・分析することであったろう。



正直に白状しよう。私はこの映画で杉原がヴィザの発給を決意する静かなシーンで、胸からこみあげるものを我慢することができなかった。「命のヴィザ」などという言葉はあまりに陳腐すぎる。杉原自身が劇中で言う通り、ヴィザなどはただの紙切れにすぎないのだ。問題は、そんなただの紙切れに翻弄されてしまう人間の命の儚さと、政治の責任の重さということにある。だからこれは、勇気あるひとりの男の、特殊な物語なのではない。人間の愚かさについての、普遍的な物語なのだ。いつの時代でもなくなることのない、戦争という人間の愚かさについての。
役者に関して。妻役の小雪は、激動の時代を杉原に寄り添って生きた女性像を優しく静かに演じていたが、ちょっと優しすぎるような気がしないでもない。その点、男性の脇役陣 (石橋凌、滝藤賢一、板尾創路、濱田岳ら) にはリアリティがあってよかったと思う。そして、外人俳優たちも、それぞれいい味を出していた。

さて、この映画の監督はチェリン・グラック。

ほかには、佐藤直紀の音楽が印象に残った。大河ドラマ「龍馬伝」や「るろうに剣心」シリーズそのままに、情緒のある箇所は映像の邪魔をしないように美しく、風雲急を告げる箇所ではうねり上がる音が緊張感を演出していた。
というわけで、この映画はその外見ほど単純ではない。正直なところ、文部省推薦タイプの予告編の作り方には問題があって、潜在的な観客を確保できないような気がしてならない。本当に信念を貫くのなら、誰に対してもよい顔などすることはできない。重大事を成し遂げるには、誰かから「好ましからざる人物」というレッテルを貼られる覚悟を持たなければならない。あ、会社の出世などは世界の重大事ではないので、ニコニコとして誰からも好まれる人物であった方が成果はあると思いますがね (笑)。まあ程度問題だが、基本は各人の生き方の問題になってきますな。人間誰しも、日常生活で杉原千畝になる必要はなく、ここという大一番で彼の勇気を思い出すというのが、平和な時代に生きる我々の心構えではないでしょうか。
2015年 12月 27日
第九 パーヴォ・ヤルヴィ指揮 NHK 交響楽団 2015年12月27日 サントリーホール

ではいつもの第九チェックシートから行こう。
・第九以外の演奏曲
バッハ (ラフマニノフ編) : 無伴奏パルティータ第 3番からガヴォット
フランク : 天使のパン
伝ヴィターリ : シャコンヌ ト短調
・コントラバス本数
8本
・ヴァイオリン対抗配置
あり
・譜面使用の有無
指揮者 : あり
独唱者 : なし
合唱団 : なし
・指揮棒の有無
あり
・第 2楽章提示部の反復
あり
・独唱者たちの入場
演奏開始前
・独唱者たちの位置
合唱団の前 (オケの後ろ)
・第 3楽章と第 4楽章の間のアタッカ
あり
まず前座で演奏された 3曲は、コンサートマスターの篠崎史紀をオルガンの山口綾規が伴奏するもので、クリスマスのイメージだ。清らかな感じで、第九の前座としてはよかったと思うが、ただ、オルガンの伴奏は、時としてヴァイオリンの音を掻き消してしまうこともあり、その点だけが気になった。この篠崎史紀、まろのあだ名で親しまれており、そのどことなく貴族的な風貌 (ただ、相当大柄な方ですがね 笑) に由来するのかと思いきや、Wiki によると、写楽の絵に風貌が似ているところ、作者名を歌麿と間違えて子供の頃に定着したあだ名だという。でも、なかなかよいニックネームですな。

QUOTE
これまでに多様な角度からベートーヴェン像の解明を試みてきました。ドイツ・カンマー・フィルハーモニー管弦楽団と交響曲全曲の録音も行っており、私のベートーヴェンに対する解釈も年月とともに変遷しました。近年は小編成の、より簡潔なベートーヴェン像が私の持ち味とされるようになっています。しかしながら今回の N 響との演奏は大編成オーケストラでの演奏になります。それでもベートーヴェンに対するこれまでの私の発見や確信を反映させる演奏をお約束します。的確なバランスをもって、適切なアプローチさえすれば、必ず聴衆の心に届く偉大な作品だからです。今回の演奏での新たな発見が大いに楽しみです。
UNQUOTE
なるほど、その言葉の通りだ。この「お約束します」は、勝手に想像するに、英語では "I guarantee" と言ったのではないかと思うが、まさしくプロの言葉であろう。帰宅してから、同じ曲の彼とドイツ・カンマー・フィルとの演奏の映像を少し見てみたが、そこではコントラバスは今日の演奏の半分の 4本、そしてヴィブラートも最小限の、まさに古楽的アプローチであるにもかかわらず、曲の本質に迫ろうとする指揮者の態度にはなんら違いはなく、ひとえに作品の持つ力を強く引き出そうという意志がひしひしと感じられた。そうだ、アプローチさえ適切であれば、必ず聴衆の心に届くのだ。
そもそもこのヤルヴィという指揮者、その長い両腕で大変要領よくオケを動かすのであるが、音楽家でない私が見ても、その棒の技術には限りない安心感を感じる。この曲では、第 1楽章と第 2楽章では、重層的な音を引き出しながらも時折強いアクセントを表現、それでいて全体の流れは非常によいものであった。弦楽器奏者たちはまさに食らいつくように、次から次へ投げつけられる指揮者の指示について行き、火花が散るようにすら思われる凄まじい勢いが噴出していた。これは、小編成のドイツ・カンマー・フィルだろうが大編成の N 響だろうが関係なく、曲の本質に迫ることによって初めて可能になることであろう。さすが、現代屈指の名指揮者の棒である。私は今回これを聴いて、これまで数限りなく聴いてきたこの曲の第 2楽章が、特に木管楽器奏者にとっては大変な難所続きであることを実感した。例えて言うと、水は澄んでいても流れが強い渓流で、鮎を捕まえるようなもの。鮎はよく見えるので、海千山千の奏者たちは、ここぞとばかりに急なパッセージでも余裕にこなし、川の流れが早いだけに気持ちよく作業がはかどる。ところが、ちょっとした小さな石ころにつま先がひっかかると、瞬時にして流れに押されてよろめいてしまうのだ。今回の演奏では、あの有名な首席オーボエ奏者が、あらよっとという感じで渓流の中で、勢い余って少し踊ってしまったのであった (笑)。ただ、その小さなトラブルが、ヤルヴィの志向する音楽を期せずしてよく表していたと思う。

ソプラノ : 森 麻季
アルト : 加納 悦子
テノール : 福井 敬
バリトン : 妻屋 秀和
合唱 : 国立 (くにたち) 音楽大学
N 響の第九は毎年放送されているので、いつも合唱が国立音大の学生であることは当然知っているが、実にそれは 1928年以来 (!) 続いているらしい。合唱指揮者は 2人いて、そのうちのひとりは、日本の合唱の大御所、東京混声合唱団の創立者である田中信昭、当年とって 87歳だ。お気づきだろうか。この田中さんの生まれた年から国立音大はずっと N 響と第九を歌っていることになる。また、N 響がサントリーホールで第九を演奏するときにはいつもそうなのだろうか、今回はほかの演奏のときとは異なり、舞台上ではなく、舞台後ろの客席、いわゆる P ブロックに合唱団が座る。ソリストたちもその中にいて、1列目の真ん中に 4人が並んでいる。合唱団の人数は、通常の演奏会の倍くらいはいるだろう。通常は、背もたれもない木の板に、すし詰め状態で腰掛けるのであるが、今回は客席に座るので、出番が来るまではゆったりとくつろいでオーケストラを堪能できるという寸法だ。それでも合唱団は学生だから神妙な面持ちで座っているが、ソリストの方たちはさすがプロの余裕と言うべきか、少しくつろいで見える。終演後も席の構造上、舞台に下りて来ることができないので、そのまま座席に残ってカーテンコールに応えていたが、その感に談笑などしておられる。特に人気のソプラノ、森 麻季さんなどは、演奏中も緊張感を感じさせない穏やかな表情で、福井 敬がトルコ行進曲の部分を歌い終わって着席すると、笑顔で小さく拍手するなど、本当に余裕だ (笑)。あ、もちろん出番になると歌唱そのものは素晴らしかったです。以下、森さんと福井さんの写真。前から思っていて、誰にも言うチャンスがなかったのだけれど (言っても通じないかもしれないけど)、福井敬って村上隆に似ていませんか。あ、もちろん歌の素晴らしさとは関係ありません。


CD を購入すると終演後のサイン会に参加できるというので、ヤルヴィと N 響の録音第 1弾、リヒャルト・シュトラウスの「ドン・ファン」と「英雄の生涯」を購入。ヤルヴィ本人に、"Great performance!!" と声をかけると、太い声で "Thank you!" と返してくれた。

そうそう、ひとつ面白いエピソードをご紹介しよう。終演後、ベテランと若手の 2名の奏者の方々とエレベーターが一緒になったのだが、ベテランの方が、「あぁー、ばてた」とおっしゃっていて、やはり相当な熱演だったことを再確認したのだが、その後、「でもまだコバケンあるからなぁ」と続いたのだ。コバケンとは、このブログでも何度か紹介している名指揮者、小林研一郎。彼はこの大晦日、ベートーヴェンの交響曲全 9曲を一晩で指揮し、そのオケには N 響からも、今回のコンマスの篠崎史紀以下、参加する奏者たちがいるはずだ。私は過去この大晦日恒例の 9曲連続演奏会に、初回を含めて 3回行っているが、コバケンの指揮では未だ聴いたことがない。だが、テンションの高い指揮者なので、奏者の皆さんも大変でしょう。いやー誠にお疲れ様です!!
2015年 12月 27日
第九 エリアフ・インバル指揮 東京都交響楽団 2015年12月26日 サントリーホール

ではここで、このブログではおなじみの、第九チェックシートを見てみよう。
・第九以外の演奏曲
なし
・コントラバス本数
8本
・ヴァイオリン対抗配置
なし
・譜面使用の有無
指揮者 : なし
独唱者 : なし
合唱団 : なし
・指揮棒の有無
あり
・第 2楽章提示部の反復
なし
・独唱者たちの入場
第 2楽章と第 3楽章の間 (合唱団及びティンパニ以外の打楽器奏者も)
・独唱者たちの位置
合唱団の前 (オケの後ろ)
・第 3楽章と第 4楽章の間のアタッカ
あり
私の記憶が正しければ、インバルは得意のマーラーでもいつも譜面を見て指揮しているはずだ。それが今回、暗譜での指揮とは少し珍しい気がする。インバルもふと気づくと来年 80歳。しかし音楽の内容は衰えてはおらず、音楽の混沌を容赦なくさらけ出す手腕は相変わらず一流だ。

インバルの音楽作りには明快という言葉は似合わないが、ある種の明晰さはあると思う。それは各声部がよく鳴っているからかと思われるが、その流麗とは言い難い指揮から、何かにじみ出るように楽員に伝わるものがあるようだ。第 1楽章の闘争は、まさに道の見えない中でのもがきと、その対極として時折差してくる光明の交差であるが、インバルは、そのいずれもが人生の実像であるような音楽を奏でる。そこに続く第 2楽章は、深刻さの対極である諧謔味を放射して、マーラーのスケルツォの先駆を思わせることになり、あたかもそこは 2つの楽章を通した一貫性があるかのようである。ところが次の崇高な第 3楽章アダージョは全く異なる音楽。であるからこそ、第 2楽章の後に小休止があって演奏者たちがゾロゾロ入ってきても、その後に続く第 3楽章が始まったとき、全く違った段階に音楽が入ったことが感じられ、むしろ前の楽章から時間が空いたことに説得力がある (ちょっと違うが、マーラーの第 2番「復活」の第 1楽章の後の休止を思い出してもよいかもしれない)。ここでもアダージョは、ブルックナーやマーラーに直接つながる音楽として響く。人間の抱える凶暴さと優しさの矛盾を、延々とメロディをつむぐヴァイオリンがすべて押し流して行く。音楽が立ち止まりそうになると、そこには言い知れぬ深淵が顔を覗かせる。これぞ晩年のベートーヴェンの音楽だ。そしてクライマックスの第 4楽章は、着実な歩みから馬鹿騒ぎに至る、長い道程だ。インバルの指揮は確信に満ち、都響がそれをしっかりと音にしている。名演だ。
独唱・合唱は以下の通り。ソプラノを除いては皆、二期会の歌手だ。
ソプラノ : 安藤 赴美子
アルト : 中島 郁子
テノール : 大槻 孝志
バリトン : 甲斐 栄次郎
合唱 : 二期会合唱団
手慣れた歌唱であって特に不満はないが、これまでの第九演奏で外人歌手がユニークな味を出しているのを聴いたので、その差には若干思うところがあったことは否めない。ただもちろん、日本でこれだけ演奏されている第九のレヴェルの高さの一端は、明らかに歌手の皆さんに支えられている。合唱団もしかりである。
さて、演奏とは直接関係ないが、この第九では、独唱者だけでなく合唱団や打楽器奏者まで、曲の途中で入場するケースが普通になっているが、それはこれらの人たちは終盤にしか出番がないからだ。でも実は、最初からステージにいるのに、最後のたった 10分くらいしか演奏に参加しない楽器があるのである!! その奏者の人たちは、実に忍耐が必要であろうと思うのだ。なにせ、終楽章後半のトルコ行進曲以降しか参加しない大太鼓、シンバル、トライアングルよりもさらに出番が遅いのだ!! その楽器とは、トロンボーン。

それから、これはコンサートからも外れてしまう話題だが、大変悲しいことがひとつ。私はサントリーホールに少し早く着いてしまったときなど、ひとつ上の階にある書店、丸善に立ち寄るのを楽しみにしていた。狭い敷地ながら、芸術関係の新刊などはかなり充実しているからだ。実は今回もエスカレーターを昇って丸善に向かったのであるが、窓が何やら白い。嫌な予感がして貼り紙を見てみると、「12月25日 (金)をもって閉店しました」とのこと。アークヒルズで働く人たちも多く、それなりに賑わっている書店だと思っていたのだが、やはりこのような時代になると、店舗で書店を維持して行くのはそれだけ難しいということか。なんとも淋しい気分だ。
さて、丸善がなくなってしまおうと、インバルはまた来年も 3月、9月にやって来る。これまたお得意のショスタコーヴィチや、バーンスタインの交響曲 3番「カディッシュ」など、楽しみな演目がずらり。どれを実際に聴けるかは分からないが、頑張ってなるべく聴きたいとは思っている。彼の今後のますますの活躍を期待して、我が家にあるインバルの録音で最も古いものの写真を掲載しておく。1973年に国内発売されたアナログ・レコードで、名門コンセルトヘボウ管を指揮したドビュッシーの「海」と夜想曲だ。最近では彼のフランス物を聴く機会はあまり多くないので、これはこれで貴重なものだろう。

2015年 12月 25日
村上隆の五百羅漢図展 森美術館


今回展示されている巨大な五百羅漢の壁画は、中国伝来の四神である、青龍 (東)、朱雀 (南)、白虎 (西)、玄武 (北) に合わせた四面からなる (後述)。それに因んで、この展覧会の入り口にはまず、白虎と青龍が。


そして、肝心なことは、作品自体が美しいこと。これは連作で、最初の方に描かれている村上の自画像が段々なくなって行く様を表している。色彩の配置が絶妙で、作品の意味などどうでもよくなってくる。なぜか心に残る不可思議な連作だ。





展覧会のタイトルは五百羅漢図なのであるが、それにとどまらず、ここには村上の多彩な近作が多く展示されている。これなどは、一見真っ白だったり真っ黒だったりする、いわゆるまっとうなモダンアートの雰囲気の作品だが、何もない真っ白なキャンバス自体がそのまま作品になっているのかと思いきや、近づいてよく見ると、このような模様が一面に散りばめられている。これ、手塚治虫描くところのヒョウタンツギにそっくりではないか。なんとも人を食っている。

















というわけで、私としては目からウロコの村上隆再発見。出口では玄武と朱雀が、やはり何やら録音された声で何やら喋っている。




2015年 12月 23日
007 スペクター (サム・メンデス監督 / 原題 : Spectre)

私はこのブログでいろいろなことを問わず語りに白状しているが、ここで新たに白状すると、007 シリーズをほとんどまともに見たことがない。それは、幼時より怪獣・幽霊・物の怪の類が登場する超常現象の方が、現実世界で人と人、あるいは国と国が争い合う話よりも興味があったからだ。それからもうひとつ。初代ショーン・コネリーは胸毛とポマードのバタくさい印象で子供心に親近感を覚えず、またロジャー・ムーアやピアーズ・ブロスナンは甘いマスクのために、どうにも精悍さが足りないような気がしていたのだ (すぐ女を口説くのもけしからんと思っておりました 笑)。その点、今回が 4作目となるダニエル・クレイグには、なんというか、危ないまでの精悍さがみなぎっていて、世の中の正統派ジェームズ・ボンド・ファンと逆行するかたちで (?)、彼によって初めて 007 物に興味を持ち始めたのである。前作「スカイフォール」はボンドの生い立ちに遡りつつ、なんとも陰鬱な色調の映画に仕上がっていたが、今回のこの「スペクトレ」、じゃなかった「スペクター」もストーリーはつながっていて、やはりボンドの幼少期に立ち入って行く。既に冷戦の存在しない時代、敵の見えない環境において、スパイ映画はこのような展開を示すしかないのかもしれない。その意味では、相変わらず終末感に終始伴われた映画であるとも言える。
映画はメキシコの「死者の日」の風景から始まる。

映画のテンポは非常によく、このメキシコのシーンからローマ、アルプス、モロッコと舞台が移り変わり、その一方でロンドンの MI-6 での諜報戦略の転換が描かれて行く。これは「ミッション・インポッシブル」も同じだが、旧態然とした諜報組織 (ここでは 00 = ダブルオー = Project) は時代遅れとして、実戦を行っているスパイの活動が止められてしまう。まあもちろんスパイ映画である以上は、そのような敵対勢力は最後には手痛いしっぺ返しを食うのであるが。ところでこれが MI6 のビルという設定。これ、ロンドンのテムズ川沿いに実在するビルで、ヴィクトリア駅から南の方のガトウィック空港方面に向かう際に、へぇー、何のビルだろうと思ってよく眺めていたものだ。








ただ、今後このシリーズはどうなって行くのだろう。これだけボンドの幼少の頃に踏み込む一方で、明らかに敵の存在は見えなくなって来ている。また、最後のシーンでは、ボンドは MI6 を辞め、彼女を助手席に乗せた昔ながらのアストン・マーチン DB5 でいずこともなく去って行くのだ。過度にノスタルジックな雰囲気にはなっていないものの、やはりある意味での終末感は漂っている。

2015年 12月 20日
第九 上岡敏之指揮 読売日本響 2015年12月20日 横浜みなとみらいホール

ホールには以下のような貼り紙が。東西冷戦時にライプツィヒ・ゲヴァントハウス管の音楽監督を務め、その後もこの読響の名誉指揮者のポジションを維持しながら、ニューヨーク・フィル、ロンドン・フィル、フランス国立管などの名門オケを率いたクルト・マズアの訃報である。88歳という高齢であったため、最近は活動を耳にしておらず、来るべきものが来たという感じがする。演奏開始前、オーケストラの楽員は舞台上で 1分間程度の黙祷を捧げた。

・第九以外の演奏曲
なし
・コントラバス本数
数え忘れ、恐らくは 6本か
・ヴァイオリン対抗配置
なし
・譜面使用の有無
指揮者 : なし
独唱者 : なし
合唱団 : なし
・指揮棒の有無
あり
・第 2楽章提示部の反復
なし
・独唱者たちの入場
第 3楽章と第 4楽章の間
・独唱者たちの位置
合唱団の前 (オケの後ろ)
・第 3楽章と第 4楽章の間のアタッカ
なし
この演奏会、第九 1曲だけで休憩もなし。しかもその第九は、前回聴いたバッティスティーニを上回る超快速で、1時間ちょっとで終わってしまった。特に第 1楽章は、いわゆるタメが皆無で、普通の演奏で間を取るところもすべて、切羽詰まったように走り去って行く。ところが不思議なことには、そこで描かれる音のドラマには見事な緊張感が保たれていて、人の心にストレートに迫る音楽が立ち昇っているのだ。これぞ上岡の真骨頂だ。ここまでの極端なテンポでは、オケの側の (無意識であったにせよ) 抵抗もあったのではないかと思われるが、指揮者たるもの、自分の信じる音楽を創造するには、そのような非難を恐れていてはいけない。楽員の表情を見ていると、かなりの集中力を感じることができたので、奏者たちも新鮮な思いであったのかもしれない。第 2楽章はこの快速テンポには最も適性があるかもしれず、とにかく駆け去ったが、終結の和音だけは、通常の叩きつける方法ではなく、ふんわりと宙に消えて行くようなやり方だ。第 3楽章は、指揮者いわくは緩徐楽章ではなくアンダンテ (歩く速さで) だということで、なるほどそこにはたおやかな情緒はあまりなく、曲の冒頭から一本でつながっている推進力というものが維持されている。上のチェック項目にあるが、普通の第九演奏では、この第 3楽章の緩やかな音楽の余韻を消さず、そのまま終楽章になだれ入るために、4人の独唱者たちは、その前の第 2楽章終了時に舞台に登場することが多いのであるが、ここでは第 3楽章のあとで音楽は完全に休止し、そこで独唱者たちが入って来るという段取り。この指揮者が第 3楽章に感傷を見ていない証拠であろう。第 4楽章は、指揮者自身の言によれば、以前ヴッパタール交響楽団を指揮した CD では冒頭から猛烈に速いテンポであったものを、その後この曲の自筆譜を読んで研究した結果、もう少しテンポを落とすだろうとのことであったが、実際聴いてみると、速い箇所と普通のテンポの箇所が混在していた。場合によるとその混在具合は、日によっても違うのかもしれず、その瞬間の指揮者の閃きに忠実ということなのかもしれない。のけぞりそうになったのは、昔からドイツ系の指揮者が必ず長く伸ばしてきた合唱の盛り上がり、"vor Gott" の部分だ。ここにはフェルマータがついていて、フルトヴェングラーのように永遠に続くのではないかと思うくらい長く伸ばす演奏もあるわけだが、今回の演奏は、さっと短く音を切り、史上最短ではないかと思えたほどだ (笑)。だが、相変わらず表現力は強烈で、陶酔はないが、狂気すれすれの爆発的な力がある。一方で、最初にバリトンが "O Freunde" と歌い出す箇所は、一瞬音楽の流れがバッサリ切られてからの歌になることで、一体何が起こるのかと思わせる効果を出していた。
独唱・合唱は以下の通り。
ソプラノ : イリーデ・マルティネス
メゾ・ソプラノ : 清水 華澄
テノール : 吉田 浩之
バリトン : オラファ・シグルザルソン
合唱 : 新国立劇場合唱団
特筆すべきは、上記のような一種独特の導入部を歌ったバリトンのシグルザルソンである。アイスランド人で、決して若くはなく、世界一級のオペラハウスで歌っているようではないが、上岡が兼任で音楽監督を務めているザールラント州立劇場を拠点にしているそうだから、上岡の指名による来日であろう。なるほど、歌手と指揮者の策略で、一味違った第九の独唱になったわけだ。


2015年 12月 20日
鼓童 ワン・アース・ツアー 混沌 (演出 : 坂東玉三郎) 2015年12月19日 文京シビックホール

さて、この鼓童、私にとっては彼らだけの単独公演を聴くのは初めてだが、その生演奏ということなら、29年前に既に聴いていて、その後、主として日本の現代音楽との関連でメディアを通してその演奏に触れてきたのである。29年前の公演とは、これだ。



QUOTE
作品を創っていくうちに「混沌」という言葉には更に (注 : 無秩序とかはっきりしないということ以上に) 複雑な意味が有るということに気付きます。この世の中自体がどんなに整然となり、人間がどんなに進化し、どんなに文明の開けた時代を創りあげようとも、結局は結論のない「混沌」とした世界なのだとも考えられます。それを音楽の世界で皆様に感じていただくのはとても難しいことです。(中略) この世に有るあらゆる音が脈絡も無く交差し、いかにも形が整ったのではないか・・・と感じた途端に、また混沌とした所に行ってしまうような作品を・・・と考えました。(後略)
UNQUOTE
ホールに入場する聴衆が上演開始前に舞台上に発見するのは、稽古場そのままの雑然とした状況で、一部の楽器にはシートがかけられているし、それ以外の楽器は袖にしまわれている。そこをメンバーたちがラフな格好であちこちうろついていて、スタッフと立ち話などしている。そのうちメンバーの一部が太鼓の紐を 2人一組で強く縛るなどして準備を整えだすと、自然とあちらでポン、こちらでトンと、音が響き始める。そうするうちに客席の照明が落ちて、徐々にそれぞれの楽器を持ったメンバーたちが舞台に登場し、気がつくと合奏になっているという趣向。なるほど、混沌の中から秩序が生まれるというイメージだ。この後も、笑いを取るシーンを含め、台詞こそないものの、奏者の演技が舞台の進行を作るという要素が見られたので、冒頭に書いた通り、演劇の範疇にすべきかと考えた。だが、それぞれの奏者が音を出しながら演技をするということは、少なくともそこに鳴る音なしには舞台は成り立たないのであるから、メンバー間の相互作用も含めて、この舞台の主役は音楽であると整理できるであろう。
数えてみると17名のメンバーが舞台にいて、あれこれの楽器を演奏するのであるが、その中に女性も 3名いる。彼女たちはこのようなパンクな恰好に着替えるシーンもあり、何をするかと思えば、ビニールでグルグル巻きにされたタイヤをボコボコ叩くのである。それが意外にも様々なニュアンスに変化するのが面白い。ちなみにこのタイヤ、全編を通してしょっちゅう舞台上を行ったり来たり、前後左右に転がることになる。






以下は練習風景。玉三郎がいかにも嬉しげだし、厳しくも創意工夫に満ちた練習過程が偲ばれる。2枚目の写真で玉三郎と喋っているのが、ドラム監修の梶原徹也であろう。



