2017年 03月 29日
熱海 その 2 伊豆山神社 (伊豆山郷土資料館)、起雲閣









それ以外にもこの資料館には、平安時代の経筒 (経巻等を銅の容器に入れて地中に埋めたもの) や宝冠阿弥陀如来やその脇侍、伊豆大権現の扁額や、銅製の伊豆大権現像などが展示されていて、大変な充実である。以下、宝冠阿弥陀 (これと一具であったもう一体の宝冠阿弥陀は現在、広島県の耕三寺所蔵であるが、快慶作であると近年判明し、重要文化財に指定されている)、扁額 (八咫烏、鳩、ヤモリ等が隠れている。江戸時代、姫路藩主酒井忠道 (ただひろ) --- あの大画家、酒井抱一のいとこである --- の揮毫)、伊豆権現像 (鎌倉時代の作で、近年修復されたが、温泉をかけて礼拝されたらしい)。























2017年 03月 28日
熱海 その 1 旧日向別邸、創作の家



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2017年 03月 27日
奇想の絵師 岩佐又兵衛 山中常盤物語絵巻 MOA 美術館

熱海の MOA 美術館は、若い頃は自身画家を志したこともある宗教家、岡田茂吉のコレクションがもとになっていて、国宝 3点、重要文化財 66点という非常に素晴らしい内容の日本美術を持つ美術館である。MOA とは、Mokichi Okada Associates の略である由。熱海駅からさほど遠くないものの、急峻な岡の上にあるため、徒歩で行くには若干きつい。この度、改修を経てリニューアルオープンを果たしたが、私としても随分と久しぶりの訪問になる。















































主要歌手陣は、米国人の若手が中心。ドン・ホセのチャド・シェルトン、ミカエラのケイトリン・リンチ、エスカミーリョのボアズ・ダニエル、それぞれに持ち味を出していたとは思うが、全体的な出来はまずまずというところであったと思う。カルメン役のサンドラ・ピクス・エディは、そのスリムで華やかな容姿がまさにこの役にぴったり。心が震えるような歌唱とまでは言わないが、終幕の情念の表現は卓越していたと思う。

演出は、このシリーズではおなじみのデイヴィッド・ニース。それなりに気が利いていて、しかも過激すぎたり理屈っぽくならない安定した演出を行う人である。プログラムに寄せた文章では、この「カルメン」には (先の 2月 6日の記事にも書いた通り) フランス語のセリフを入れるか、音楽に乗せたレチタティーヴォにするかという版の選択の問題があるが、ニースと小澤は、迷うことなく、オリジナルのセリフ版 (オペラ・コミック版) を選んだという。ただ、フランス語を母国語としない歌手たちのために、フランス語による演技は極力少なくすべしという方針から、セリフはかなり切り詰めたとのこと。それはそれで一見識だったと思う。演出の細部には興味深いものが多々あり、例えば、冒頭の前奏曲のあとの「運命の動機」では、終結部でドン・ホセが銃殺される場面の前兆になっていて、円環構造を示していた。また、1幕でミカエラとホセが二重唱を歌う場面では、カルメンが煙草を吸いながらこっそりそれを見ているという設定で、その後カルメンの起こす騒動が、彼女がホセの気を惹くための自作自演ではなかったと思わせる作りとなっていた。終幕では闘牛士たちの入場に対して真っ赤なテープが門の上層階から投げ入れられるが、その長いテープが地面で渦を巻いているところに、その後ホセに刺されたカルメンが横たわり、祝福のテープが一瞬にして鮮血に変わってしまうのである。なかなかに奇抜な演出で、面白かった。終演後はもちろんスタンディング・オベーション。すべての音楽ファンが慕い、その音楽を熱望する小澤の、その健在ぶりが本当に嬉しいのだ。これは京都公演のカーテンコール。




最初に、私にとっての坂本龍一を少し書いておきたい。当然最初は YMO で、私の世代は皆夢中になったものだ。ディスコなる場所では「ライディーン」に合わせてこういう振りをするらしいと教わり、友人たちと狂ったように踊っていた中学時代 (笑)。その曲が入った「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」というアルバム (もちろんアナログです。そう言えば英語の教師が、「どういう意味だろうね」と言っていましたね。笑) も購入して、クラシックの合間に飽くことなく聴いていた。その後何年も経ち、「戦場のメリークリスマス」、ベルトルッチの稀代の名作「ラスト・エンペラー」での映画音楽に魅せられ、生演奏にも足を運んだ (ちょうど「ラスト・エンペラー」でオスカーを受賞する直前で、自信満々のコメントをしていたのをよく覚えている)。それからは、ダンスリーとの「エンド・オブ・エイジア」、「千のナイフ」や「音楽図鑑」、そしてとりわけ「未来派野郎」等のアルバムが愛聴盤となった。あ、それから、高橋悠治が録音した新ウィーン楽派のアルバムで、連弾ピアノとして参加しているのも興味深かったし、また、私の友人がスタッフ関係のある、とある小さい劇団の公演を見に行くと、客席に矢野顕子と並んでいる彼の姿を見て驚いたこともあった。その他、最新の「レヴェナント : 蘇りし者」まで、数々の映画音楽にも注意して来た。総じて言えば、彼の作品においては、昔のテクノポップ時代とその続きのような、しっかりしたメロディラインでポップかつエスニックな雰囲気の曲がやはり好きで、あまりに抒情的なものにはそれほど興味を覚えない、というのが私の坂本感。せっかくなので、「ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー」のジャケットをここに載せておこう。1979年の発売ということは、ほとんど 40年前ではないか!! YMO のメンバーの 3人の若いこと!!


坂本龍一 : ラスト・エンペラー
坂本龍一 : 八重の桜メインテーマ
坂本龍一 : 映画「母と暮せば」より (朗読 : 吉永小百合)
坂本龍一編曲 : 沖縄民謡「てぃんさぐぬ花」(協演 : うないぐみ)
坂本龍一 : 弥勒世界報 (みるくゆがふ) (協演 : うないぐみ)
藤倉大 作・編曲 : Three TOHOKU Songs
マーラー : 交響曲第 1番ニ長調「巨人」
坂本は自作のほとんどではピアノ (PA つき) を弾いたが、唯一、吉永小百合が子供たちによる 3つの詩を朗読した「母と暮せば」(これはもちろん、彼女が主演した山田洋二監督の映画の音楽である・・・それにしても既に 72歳の吉永、遠目にはせいぜい 40代にしか見えず、実物はまさに驚異だ!!) では自身で指揮をした。見たところ病気の影響は全く見られないほど元気で、安心したものである。そして、マーラーを含む残りの曲目において指揮を取ったのは、柳澤寿男 (やなぎさわ としお)。彼の活躍ぶりはテレビでも紹介され、本も出ているが、あの痛ましい内戦に揺れた旧ユーゴスラヴィアで、互いに殺し合った民族間の協和を求めて、様々な民族の混成オケを指揮するという、大変に勇気ある活動を行っている指揮者である。指揮棒を使わずに、大変明快な指揮をする人だ。それから、吉永は昨年に続く出演で、今回は北海道ロケを抜け出して会場に駆け付けたという。




そしてアンコールが演奏されたのだが、そのステージの準備が行われている間に、男女 5人のメンバーがコメントした。皆一様に「楽しかった!!」と言っており、本当に充実感いっぱい。中には「演奏のときよりも、今ここで喋っている方が緊張します」と発言して笑いを取る子もいて、なんとも穏やかな雰囲気に包まれた。そして、再び坂本がピアノを弾き、柳澤指揮のオケとともに、自作の「ETUDE」を演奏した。おっ、これは、上で書いた私のかつての愛聴盤のうち、「音楽図鑑」に入っていた曲ではないか。そうそう、こういう坂本龍一、好きなんです。これがそのアルバム、「音楽図鑑」。もちろん自宅に戻ってから、久しぶりに家人とともに聴き入ったことは言うまでもない (笑)。




まぁともあれ、この映画である。もちろん映画好きなら誰もが知っている台湾映画。だが私にとっては、長らく「名のみ高い映画」であったのだ。1991年に制作され、日本でも公開されたが、私はその頃評判を耳にしながら (もう一本の台湾映画、「悲情城市」と並んで) 見逃してしまい、そしてそれ以来 DVD 化されることもなく (どうやらレーザーディスクは出たようだが)、見る機会がなかった映画なのである。この度、マーティン・スコセッシが設立したフィルム・ファウンデーションのワールド・シネマ・プロジェクトと米クライテリオン社との共同で、オリジナル・ネガからデジタル・リマスター版が制作されたものである。上映時間は実に 3時間56分で、これがオリジナル。最初の日本公開時には 3時間 8分であったが、今回初めて、監督の意向通りの上映が叶うことになったわけだ。この映画の監督は、そう、エドワード・ヤン (楊德昌) だ。台湾では英語教育が進んでいて、皆欧米風のファーストネームを持っている。私も仕事上、かなりの数の台湾の人たちと関わったが、おしなべて親日であり、だが歴史的に屈折を余儀なくされてきた人たちの、毅然とした生きる姿勢に感銘を受けたものである。これが監督のエドワード・ヤン。

さて、ここに面白い言葉がある。ヤヌス・フィルムズという会社によるこの映画の評価。「『ゴッドファーザー』と小津安二郎の間に位置する、家族についての完璧な映画」・・・なるほど、見終った今、これは言い得て妙だと思う。因みにこのヤヌス・フィルムズのウェブはこちら。これまた、映画ファンなら狂喜するような内容である。ちなみにこのヤヌスとは、もちろんあの「ヤヌスの鏡」のヤヌスであろう。あ、いや、昔のテレビドラマではありませんよ (笑)。
http://www.janusfilms.com/
この映画を見てすぐに分かる特色は、音楽が全くないこと。いやもちろん、劇中で音楽が演奏される場面では音楽が流れるものの、いわゆる BGM のようなものはなく、ひたすら人々の立てる物音だけがスピーカーを通ってくる。いや、だがしかし、私が覚えている限りにおいて、この長い映画の中でただ一ヶ所だけ、BGM が流れる。それは映画のほぼ終わりに近い箇所で、プレスリーのカバー演奏 (英題になっている "A Brighter Summer Day" はその歌詞の一部) を録音したオープンリール・テープが預けられる場面。きっとそこでは、人の思いが現実を超えて、音楽として空気の中に流れ出たということを表現したかったのではないか。それにしても、音楽のないこの映画、画面もまた暗いシーンが多い。1960年前後の台湾を舞台にしているのであるが、頻繁に停電が起こる様子が描かれている。主人公、小四 (シャオスー) は多くの場面で長い銀色の懐中電灯を手にしており、そこに彼は人生の指針を見出しているように見えるが、彼がその懐中電灯を手放したとき、取返しのつかない悲劇が起こるのだ。そして、冒頭に掲げたポスターにある「この世界は僕が照らしてみせる」というコピーは、まさにそのことを示しているのである。これがそのシャオスーと、恋人の小明 (シャオミン)。そして、懐中電灯を手にした小四。




2017年 03月 20日
小泉和裕指揮 名古屋フィル 2017年 3月20日 東京オペラシティコンサートホール





上記の通り、いちばんのお目当ては、勅使川原三郎の演出である。勅使川原は言うまでもなく日本が世界に誇る前衛ダンサー。このブログでも何度かその名前に触れているが、なんと言っても、今年 1月23日付の本拠地カラス・アパタラスでの公演に関する記事において、私の彼に対する熱烈な思いのたけはぶちまけておいた (笑)。この記事は一生懸命書いたのに、本当に悲しいほどにアクセスが少ないので、ここでもう一度宣伝する。文化に興味のある人なら彼のダンスは必見なのである。
http://culturemk.exblog.jp/24073769/


その一方、この上演方法のおかげで、音楽だけに集中して聴くことができたという面もあった。実は今回の上演、歌手陣と合唱団は二期会の人たち。手元に上述の 2010年の上演プログラムを持って来て比べてみると、ザラストロの大塚博章、タミーノの鈴木准、パミーナの嘉目真木子という主要キャストが今日の公演と全く同じ。また、今回の夜の女王は、前回もダブルキャストとして、私が見た日とは違う日に歌っていた安井陽子。逆に言うと、今回の上演は、二期会の主要歌手がずらりと出演するレヴェルの高いものであったと言える (ところで二期会はそれ以外でも最近では 2015年に宮本亜門の演出で「魔笛」を上演していて、そのときのキャストも今回と多くが重複する)。今回特に私の印象に残ったのは、まず、もともと芸達者でよく知られる、パパゲーノ役の宮本益光。本当はベラベラ喋って欲しかった。








忘れてはならないのは、川瀬賢太郎指揮の神奈川フィルの演奏である。この指揮者は 1984年生まれと未だ大変若いのであるが、この神奈川フィルの常任指揮者を務めている。序曲の冒頭、古楽風の硬い音のするティンパニが耳に入ってきて、新鮮に響く。主部に入ってからの疾走する感じもなかなかよい。順調な滑り出しだと思ったが、その後も一貫して実に若々しさ溢れる清新な音楽で、きめ細かく歌手たちをリードした。なかなかの手腕である。川瀬と神奈川フィル、今後注目しよう。

2017年 03月 17日
アサシン クリード (ジャスティン・カーゼル監督 / 原題 : Assassin's Creed)









2017年 03月 16日
お嬢さん (パク・チャヌク監督 / 英題 : The Handmaiden)





