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このブログではしばしば、東京都内または近県で気軽に行ける、いわゆる安・近・短の旅による歴史探訪の例を提示しているが、これもそのひとつ。人々があちらこちらに移動するゴールデンウィークの初日、4/29 (土) に私と家人が出かけた歴史探訪をご紹介する。我が家ではかなり通例になっているパターンなのであるが、自宅から新横浜まで車で行き、駐車場に車を停めて、新幹線に乗る。現地でレンタカーを借りてガッツリ観光したあと、また新幹線で帰ってきて、自宅までスイスイ自家用車という方法である。これによって、東名高速または中央高速の渋滞を避けることができ、誠に快適なのである。この方法の唯一の難点は、帰りの新幹線でビールをプハーッと飲むわけにはいかない点にあるものの、その点のみ割り切ってしまえば、大変に効率的な日帰り旅行なのだ。今回は、午後に静岡駅前のホールで行われた演劇(5月 1日付の記事でご紹介済み) を見ることをメインにしながら、その前後の静岡観光も楽しみで仕方がなかったのである。そうそう、この方法のよい点のひとつには、こだま号に乗るチャンスがあること。寄り道大好き人間としては、小田原や熱海や三島に停車して、通過するのぞみを待つのも楽しい。特に三島駅からは、きれいな富士山を望むことができ、この日は天気がよかったせいもあって、気分は上々だ。これは車窓からの富士山。
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さて今回の観光の目玉は、なんといっても久能山東照宮。もちろん、静岡を晩年の居住地とした徳川家康が祀られている場所である。恥ずかしながら私は今回訪れるまで、久能山でいちご狩りをしたことはあっても、山頂にあるこの神社に詣でたことはなかったのである。その本殿が、2010年に重要文化財から国宝に格上げになったことは知ってはいたものの、これまで訪れる機会がなかった。これは気合を入れて臨みたい。久能山の山頂に位置する東照宮を訪れるには、海側から 1159段の石段をエッチラオッチラ登るか、さもなくば隣の山から日本平ロープウェイで谷を越えて行くしかない。今回私たちが選んだのは後者のアプローチ。ロープウェイに乗ろうとすると、そこにはこのような地図が。
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家康は江戸という都市を造営するにあたっても、風水を重視したと言われている。上の地図を見ると、自分が生まれた岡崎や、都であった京都と、霊峰富士の位置関係の中にこの久能山を置いていることがはっきり分かる。そこに江戸、日光、そして日光東照宮の最初の建物を移築した群馬県太田市の世良田東照宮 (私は未だ訪れたことがないので、いつか訪問してこのブログでご紹介することをここに宣言する) が加わって、「聖なる三本のライン」を構成しているらしい。家康は、百万都市江戸を中心とした統治システムを作り上げ、世界にも類を見ない、260年間に亘る平和の礎を築き上げた人。その彼が死後もその霊力を発揮し続けているとするなら、それはこの久能山からに違いない。これが日本平と久能山を結ぶロープウェイ。久能山の向こうには海が見え、その麓の温室ではいちごが栽培されている。
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このアプローチ方法であれば、山道を登る必要はなく、ロープウェイを降りたところが既に神社の境内の入り口になっているのである。見えてきたのは、重要文化財の楼門。1617年の建立。
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この門をくぐった裏手に、家康の手形なるものがある。38歳で身長 155cm、体重 60kg。当時の人は小柄であったとはいえ、やはり随分小柄で、そしてぽっちゃり型であったということか。家康が神格化されているこの場所で、彼の「人間」としての痕跡に触れられるとは、なんとも興味深い。
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少し進むと、石の鳥居があって、また、今は存在しない五重塔の礎石がある。神社に五重塔とは、もちろん神仏混淆の証拠である。
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そして見えてきたのが、国宝の本殿・拝殿に至る唐門である。
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そのエリアには、向かって右側から入るのであるが、その途中に、春なのに赤く色づく木があったり、重要文化財の日枝神社がある。この日枝神社、神仏混淆時代は薬師堂であった由。楼門と同じ 1617年の建立。
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そしていよいよ、国宝の拝殿が目の前に現れる。実はこの神社の主要建造物は、徳川秀忠によって 1年 7ヶ月という短期間で建てられたもの。日光東照宮に先立つこと 19年で、豪華さにおいては日光に譲るのは致し方ないが、この荘厳な美は実に素晴らしく、桃山の美学の延長上にあるが、日本の長い建築史の中でも、この時代にのみ見られる豪奢な様式であると言えるだろう。細部を見ていると本当に時間を忘れるのである。実はこの拝殿で結婚式を挙げられるらしく、私が行った日もその準備が行われていた。国宝建造物の中での結婚式とは、なんという贅沢だろう!!
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建物左右の唐獅子は、阿吽になっている。
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さて、この拝殿に向かって左手を進んで行くと、そこには家康の墓所がある。1616年、駿府城で亡くなった家康の遺骸は、遺言によってこの久能山に葬られた。もちろん後年、改めて日光に改葬されているが、この日ロープウェイの中で聞いた説明によると、日光には魂だけ移し、実際の遺骸は今でもここに眠っているという。墓所自体は、大きさは立派だが、石造りの簡素なもの。
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この石塔の周りを一周できるようになっているが、面白いのは、向かって右奥に、家康の愛馬の墓があること。家康よりも後に亡くなった馬であろうが、既にその頃には平和な時代が到来していたことを思わせるではないか。
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帰りがけに久能山東照宮博物館に立ち寄ってみたが、ここには徳川将軍十五代ゆかりの品々が多く保管・展示されている。特に家康に関しては、実際に使用していた眼鏡や鉛筆 (!) などが非常に興味深いし、彼が初めて戦で勝利を収めた際に着用していたと伝わる重要文化財の甲冑が展示されている。時に家康 19歳、未だ松平元康と名乗っていた頃で、織田信長方の丸根砦という場所を守っていた佐久間盛重軍に勝利したとのこと。この甲冑は金陀美 (きんだみ) 具足と呼ばれている。
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このように久能山東照宮は、家康という人の人柄まで未だに活き活きと感じられる場所であり、歴史好きなら一度は行くべき場所であると思うのである。さて、それからまたロープウェイで日本平に戻り、向かった先は遥か古代の遺跡。古くから有名な弥生時代 (1世紀頃) の集落の跡、登呂遺跡である。戦時中の 1943年に軍事施設建設の際に発見された遺跡であるが、幸いなことに一帯が公園として整備されており、最近でも 1999年から 5年間、再発掘調査が行われている。駐車場から歩いて行くと、徐々にこのような光景が目に入ってきて、何やらワクワクするのである。
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多くの建物が修復されているが、もちろん記録のない時代のもの。建物跡の基礎の形状に基づき、多分に想像力で補って再現されたものであろう。いくつかの住居では中に入ることができ、弥生人になったようなリアルな感覚が味わえる。もちろん住居だけでなく、倉庫もある。
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遥かな古代、家族は身を寄せ合って生きており、家の中は、邪悪なものから守ることができる安全な場所であったはずだ。夜は、果てしなく暗く、すべての生き物がなりを潜める時間帯。毎日毎日、太陽はその姿を隠し、また甦る。そして稲作をするには、昨日と今日、今日と明日が違った日であるという認識を持つ必要があり、いつ何をすべきか、常に考えて集団で行動する。それが人々の日常であったことだろう。この日は原始的な道具を使って火を起こす実演もやっており、大変面白く見学した。
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実はここで、思わぬ発見があった。日本を代表する染色工芸家で人間国宝でもあった芹沢銈介 (せりざわ けいすけ、1895 - 1984) の美術館及び旧居が、登呂遺跡に隣接した場所にあるのだ。私は芹沢についてさほど詳しく知るものではないが、それでも過去に何度か、なんとも郷愁をそそる作品、特に本の装丁などを見て感動したことがある。柳宗悦らが主導した民芸運動の中で創作活動を行った。作品のイメージとして、例えばこのようないろは歌の風呂敷などいかがであろうか。素朴でいて洗練された、なんとも不思議な世界を作り出していると思う。
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美術館も大変きれいに整備されていて、気持ちよいことこの上ない。
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このときには沖縄をテーマにした展覧会を開催中で、芹沢自身の作品のほかに、彼が収集していた沖縄の民芸品も多く展示されていた。なんとも気持ちが落ち着いてよい。そして、その裏にある芹沢の旧居。実はこれ、もともと宮城県にあった板倉であったものを気に入って東京・蒲田の自宅に移築。随所に手を加えて仕事場にしたとのこと。彼自身、「ぼくの家は、農夫のように平凡で、農夫のように健康です」という言葉を残している。現在、故郷静岡の地でこのように大切に保管されていることを知ると、本人も喜ぶであろう。春の風が気持ちよく吹き通って、清々しい精神が未だにそこに残っているようだ。
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この部屋でくつろぐ芹沢の写真が何枚か残っている。上のモノクロ写真は 1973年、下のカラー写真は 1976年のもの。創作の現場の緊張感はもちろん感じるものの、何より、この空間の主としての芹沢の自然な存在感が際立っている。こういうジイさんになれるとカッコいいだろうなぁ (笑)。
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さて、それから私たちが向かったのは、これまた驚きの隠れた歴史スポットなのである。それは、静岡浅間神社。何がすごいといって、この神社の建造物 26棟が、重要文化財に指定されているのである!! 「東海の日光」の異名もあるという。実際、私も行ってみて驚いたので、ここでご紹介しよう。まずこの神社、神部 (かんべ) 神社、浅間 (あさま) 神社と、大歳御祖 (おおとしみおや) 神社の三社を総称して、静岡浅間 (しずおかせんげん) 神社と呼んでいるとのこと。重要文化財に指定されているのはすべて江戸時代の建物だ。
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重要文化財の総門を抜けると、そこにはやはり重要文化財の楼門が。
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そして驚いたのはこの建物だ。やはり重要文化財の大拝殿 (おおはいでん)。切妻造りの建物に、入母屋造りの楼閣が嵌まったような形態で、大変巨大なもの。なにか竜宮城か、宮崎アニメにでも出てきそうな、ノスタルジックでいて畏怖すべき建物と言えないだろうか。
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あまり時間がなくて、残念ながら境内全域を見て回れなかったのだが、修復中の少彦名 (すくなひこな) 神社は、かかっているカバーの写真からその姿を偲ぼう。これも重要文化財。
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こちらは本物を見ることができた驚愕の美建築、八千戈 (やちほこ) 神社。東海の日光という異名もむべなるかなである。当然これも重要文化財。
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実はこの後、静岡音楽館 AOI において「1940 リヒャルト・シュトラウスの家」を観劇。見終わったあと、まだ新幹線に乗るまでに時間があったので、予定通り、駅から近い駿府城跡に出かけることにした。駅近辺からブラブラ歩いて行ったのだが、以前の記事にも書いた通り、なんとも落ち着いた佇まいの街で、さすが東照宮のお膝元と感心したことである。これが駿府城の石垣。この内側にも学校があったり、何やら公的機関の建物があったりして、江戸時代初期の街の中心地は、今でもその地位を自然なかたちで保っているのである。
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実は駿府城の天守閣は江戸時代初期に焼失してしまい、結局再建されなかった。それは、既に平和の時代が到来していたからで、その意味では、日本最大の城であった江戸城も同じようなことになっている。但し、この駿府城、家康のあとは結局その子孫は将軍として江戸城に入ったのだから、誰が城主であったのかと思うと、二代の城主を頂いたあとは結局城主なしで、天領として「駿河城代」なるポストが置かれたのみであったらしい。ここには実際のところ、古い建物は何も残っておらず、近年の復元による櫓や門があるのみだが、それでも公園として大変気持ちよく整備されていて、市民の憩いの場になっているようだ。
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今、天守閣跡近辺で大規模な発掘調査が進行中。明治時代に軍の設備を作るために埋められた堀を発掘すると、100数十年ぶりに石垣が姿を現したのである。
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この駿府城、これからどこまで発掘調査及び復元が続くのか知らないが、歴史の息吹がより一層感じられる場所になって行くのだと思うと、楽しみである。さて、城の近辺のそぞろ歩きも楽しいのだが、特に目を引く建物が向かい合って立っている。ひとつは静岡県庁。1937年完成というレトロな建物。もちろん、この写真で後ろに見える近代的なビルも県庁別館なのだが、この歴史的な建物も未だ現役として機能しているようだ。
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道路を隔てた向かい側にあるのが、静岡市役所。こちらはドーム型の頂部を持っていて、県庁よりも軽やかな建物だ。1934年完成。こちらは正面ドアが開いていて、中を少し見ることができたが、ステンドグラスが美しい!! これまた現役の建物なのである。
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この市役所の前に、興味深い説明版を発見。それは家康が行った灌漑工事に関するもの。私は従来より江戸の発展には大変興味があって、何冊か本も読んでいるが、秀吉によって、だだっ広くて何もなく、川は頻繁に氾濫する関東平野に放り出された家康が、治水によって街の機能の基礎を作り、その後長く続いた江戸の発展を可能にした点、勉強すればするほどに、ウーンと唸ってしまうほど感心するのである。そしてここ駿府でも、やはり灌漑工事を行って街作りをしていたわけである。神君、恐るべしである。
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このように静岡では、人間としての家康の足跡、神としての家康の威厳とともに、弥生時代の人々の暮らしから、華やかな神社建築、そして昭和の染物デザインまで、様々な文化的な要素に触れることができるのである。今回は美術館を訪問することはできなかったが、その所蔵品にも実は興味を持っている。新幹線を有効活用しての東京からの日帰り旅行の行き先として、これほど充実した街もちょっと少ないと思うので、ここで文化人の皆さまにはお薦めしておきましょう。

by yokohama7474 | 2017-05-13 01:07 | 美術・旅行

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高校生の頃世界史を習っていて、驚嘆したことがある。それは、古代ギリシャ時代の文化人において、思想家や劇作家の名前と並んで、彫刻家の名前も現在に伝わっているということであった。その彫刻家の名は、フェイディアス。パルテノン神殿の総監督として、巨大なパレス・アテナ像を作ったとされているが、それがどのくらい昔の話かというと、紀元前 400年代なのである!! 日本で言えば未だ縄文時代の末期。およそ考えられないほどの彼我の差がギリシャと日本の間にあったわけであるが、そんな時代に個人の名前が認識されていること自体が想像を超えている。翻って我が国では、古代の文化人の個人名が残っている例は、一体どのくらいあることだろうか。最も早い例は恐らく、飛鳥時代の鞍作止利 (くらつくりのとり) ではないだろうか。それは 7世紀のことだ。日本の仏像彫刻は、まさに先日、大阪市立美術館で開かれている「木 × 仏像」展で概観した通り、それ以降 1000年に亘って連綿と続いたのであるが、その中で作者が知られている例がどのくらいあるであろう。しかるにここに、一般の人たちでも知っているであろう名前の仏師が 3人いる。ひとりは、定朝 (じょうちょう)。言わずと知れた、平等院の阿弥陀如来の作者である。だが、彼の作品と確実視されるものは、その平等院阿弥陀如来坐像しかなく、一般的な知名度は、さほど高くないかもしれない。残る 2人の仏師の知名度に比べれば。その 2人とは、運慶と快慶である。古代ギリシャのフェイディアスに遅れること実に 1700年ほど。日本にも個人の名で知られる彫刻家が現れたのである。さてその 2人、いずれも有名な名前であろうが、どちらかといえば運慶の方がより有名であろうか。夏目漱石も、「夢十夜」の中で運慶を登場させている。あるいは、大変ユニークな美術史家として私の尊敬する田中英道も、運慶こそ本物の芸術家であって、快慶の作品には精神性が不足しているということを書いていた。だが、快慶もやはり不世出の偉大な芸術家であることは確かなことである。私の勝手な印象ではあるが、運慶と快慶のどちらが偉大であるかの議論は、例えばミケランジェロとラファエロを比べるようなものではないだろうか。知れば知るほどに双方の偉大さが理解できるというものであろう。その意味では、今年はすごい年なのである。それは、その運慶と快慶、それぞれの展覧会が開かれるからだ。秋に東京で開かれる運慶展に先立ち、今奈良で快慶展が開かれている。奈良以外の巡回はない。ゆえに、日本の美術に興味のある人なら、いやそうでなくとも、これは必見の展覧会であるのだ。すみません、前置きからして既に長い (笑)。

さて、快慶とは一体どのような人であったのか。実は、生まれた年も亡くなった年も定かではない。運慶同様、名前に慶の字のつく、いわゆる慶派と呼ばれる奈良仏師の系列に属する人であることは明らかだが、その運慶との関係も定かではなく、その父である康慶の弟子であるという見方があるが、確たることは分からない。だがその一方で、彼の作ということがはっきりしている作品は数多く、その創作活動とその背景となっている浄土信仰は、かなり明らかになってきている。ともあれこの展覧会では、恐らく空前絶後の規模で集められた快慶の作品の数々を、虚心坦懐に見てみたい。会場ではまず、とびっきりの秀作が訪問者を出迎えてくれる。何の予備知識もない人が見ても、これは美麗な仏像と感じるであろう。
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京都、醍醐寺三法院の本尊、重要文化財の弥勒菩薩坐像である。1192年の作と判明している。ちょうど鎌倉幕府が開かれた年であるが、この像はその年に亡くなった後白河法皇追善のために制作されたという。私はこの仏像を三法院で何度も見ているが、現地では近くにまで寄ることができないので、隔靴掻痒の感をいつも抱いていたところ、この展覧会では間近で拝むことができ、まず感動第一弾である。そして、これが現在、快慶作と判明する最初の仏像。1189年の作で、もともと興福寺に伝来したが、現在ではボストン美術館の所蔵となっている弥勒菩薩立像。宗風の高い髻や、衣の表現の洒落た点などに、天才の片鱗は見えるものの、多分この金箔は近世のものであろう。日本人の感性では、このような立派な金の塗布は、返ってありがたみがないのである。
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こちらは、京都、舞鶴の松尾寺の重要文化財、阿弥陀如来坐像。少し切れ味を欠く面もあるが、若々しい表現が好もしい。
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この頃快慶は、丹後地方でいくつかの作品を残しており、その理由は恐らく、当時丹後国は、鳥羽天皇の皇女、八条院の収入源とされた地域であったことらしい。八条院はあとでご紹介する東大寺の僧形八幡神像の結縁者のひとりであり、快慶はこのような有力者の後ろ盾を持っていたのではないかと推測されている。これは、同じ丹後地方にある金剛院の需要文化財、執金剛神と深沙大将。前者は東大寺三月堂の有名な天平時代の作品のミニチュア版のように見えるし、後者も規範となる図像があるらしい。この 2体の組み合わせは、別の寺にもあって、もちろんこの展覧会の後の方に出てくるのである。
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これは 2009年に快慶作と判明した、京都、泉涌寺の塔頭である悲田院の阿弥陀如来坐像。宝冠を頂き、両肩に衣をかける、いわゆる通肩と呼ばれる形式は、上記の醍醐寺三法院の弥勒菩薩と共通する。
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実はこれと似た像がほかにもあって、それは広島の耕三寺が所蔵する重要文化財、阿弥陀如来坐像。これは 1201年作と判明している。因みにこの仏像、私が先に訪問してこのブログで記事も書いた、熱海の伊豆山神社の旧蔵であって、同神社には今でもこの像と対になる阿弥陀如来像が伝来する。
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さて、快慶の代表作のひとつが、兵庫県小野市の浄土寺浄土堂の巨大な阿弥陀三尊であることはよく知られており、私も現地を訪れて記事を書いた (昨年 5月 8日付)。その記事でも触れているが、俊乗坊重源という僧の浄土信仰に深く共感していたらしい。この重源は、平重衡の焼き討ちにあった東大寺の再興に力を尽くした人で、興福寺を含むこのときの再興事業においては慶派が中心となっており、今日でも我々に感銘を与える鎌倉彫刻の数々はこの時に制作されたものである。これはその浄土寺にある重要文化財、重源上人坐像であるが、明らかに東大寺にある重源像に倣って作られている。だがこれは (一見して明らかだが) 快慶の作ではない。
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浄土寺には、まだまだ興味深い快慶作の彫刻があって、これは重要文化財の阿弥陀如来立像。226cm の巨像であるが、上半身裸なのは、ここに布製の法衣を着せて、来迎会 (らいごうえ) という祭事において、台車に乗せて練り歩いたからであると言われている。
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その来迎会では、僧侶が菩薩の仮面をかぶって行列したらしく、浄土寺にはそのような面が 25個も現存して、重要文化財に指定されている。同じような表情でもよく見ると異なっているのが面白い。
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これも快慶の代表作のひとつ。高野山金剛峯寺の重要文化財、孔雀明王。この明王の絵画は時々みかけるが、彫刻とは珍しいし、このいかにも密教的な仏をこれほど美麗に掘り出した快慶の手腕には、実に驚くばかり。
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ここから 4体は、同じ高野山金剛峯寺の重要文化財。まず、四天王のうちの広目天と多聞天。仏像好きの方ならすぐにお分かりの通り、これは東大寺大仏殿の四天王の様式なのである (以前、「木×仏像」展の記事では、新薬師寺所蔵の 4体をご紹介した)。鎌倉時代に再興された東大寺大仏殿の四天王像は現存しないが、持国天・増長天が運慶と康慶、広目天が快慶、多聞天が定覚であったらしく、「明月記」の記載によると、実際の巨像の制作前に 1/10 のサイズで試作したとのことであり、実はこれらの像がそれに当たるのではないかという説もあるらしい。歴史のロマンである。
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そして、これらが執金剛神と深沙大将。上記金剛院のペアとは全く異なる姿だが、近年の調査で快慶作と判明し、しかも、金剛院像と近い時期の制作とされているそうだ。そう思うとこの快慶という仏師の懐の深さを実感することができる。私としては、この金剛峯寺像の方が、金剛院像よりも誇張が効いていて、より興味深く感じられる。
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これは像高 3m近い、いわゆる丈六の如来坐像。三重の新大仏寺の本尊で、重要文化財。快慶作として残っているのは顔だけであるらしいが、実に堂々たるお姿だ。この新大仏寺には一度出かけてみたいと思っていたが、この展覧会でご本尊とご対面でき、大変有り難かった。
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次は、東大寺において重源を祀る俊乗堂に安置されている快慶作の 2体の仏像、ともに重要文化財の阿弥陀如来立像と地蔵菩薩立像。このお堂は年に 2日間だけしか一般公開されないが、私は過去に確か二度、その機会に同地を訪れて、重源像及びこれら 2体とご対面している。まあとにかく美麗な仏像で、もう惚れ惚れするしかない。かつて俊乗堂でこの阿弥陀様を拝した際、案内してくれた寺の男性が自慢げに、「この仏像、あんまりきれいやからアメリカにも行ってまんねん。それから、言い伝えで、勝手に歩きよるゆうて、足に釘打ってまんねん」と話してくれ、重要文化財の仏像の、本当に釘が打ってある足をゴシゴシと手で撫でたものである (笑)。調べてみるとその言い伝えは親鸞に関するもの。さすが、一流の仏像は伝説の登場人物も豪華でんねん。
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そしてこれは、快慶の代表作のひとつ、国宝に指定されている、東大寺の「僧形八幡神 (そうぎょうはちまんしん) 坐像」。1201年の作。彩色の妙もあるのかもしれないが、この生けるがごとき表情に打たれない人はいないだろう。奇跡の鎌倉彫刻だ。
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今回初めて知ったことには、この彫刻にはもとになった絵画がいくつかあるらしい。これは京都の神護寺所蔵のもの。なんでも、もともとは弘法大師筆と言われる肖像画の写しであり、重源は、東大寺八幡宮の再興にあたり、この絵を所望したが果たせず、それに怒って密かに快慶に彫像を作られたとも言われている。うーん、後世に名を轟かせる高僧とはいえ、やることが人間くさくて面白い (笑)。
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東大寺と言えば、これも今回の展覧会で知って驚いたことには、今回実物は展示されていなかったが、このように立派で有名な東大寺の額に、快慶の彫刻が含まれているのだ。これは、東大寺の正式名称である「金光明四天王護国之寺 (こんこうみょうしてんのうごこくのてら)」という文字を表した額で、聖武天皇の筆によるものと伝える。重要文化財である。だがこの奈良時代巨大な額に付属する小像の一部が、最近の研究によって快慶作と認定されているのである。尚、快慶作以外はの彫刻は奈良時代のオリジナルであるらしい。
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例えば以下は、梵天像。なるほど言われてみれば快慶の作のように見える、実に見事な作である。東大寺という日本きっての名刹に脈々と息づく作仏の伝統に、快慶のような天才が連なっていることは、後世の我々から見ても、実に幸運なことであろう。
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さて、快慶の生涯についてはほとんど知られていないと冒頭に書いたが、その一方で、重源との近い関係からも、深い阿弥陀信仰を持っていた人であることは明らかである。そのひとつの証拠が、彼が制作した様々な仏像の胎内銘などに見られる、「安阿弥仏」の称号である。ここから先は、快慶の阿弥陀信仰がそのまま素晴らしい彫刻に昇華した例を見て行きたいと思う。まずこれは、京都の遣迎院 (けんごういん) の阿弥陀如来立像。1194年頃の初期の作で、重要文化財。いやそれにしても、なんと美しい!!
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これは奈良の西方寺所蔵の重要文化財、阿弥陀如来立像。現代になって造立された牛久の大仏などは、この様式を手本にしているように思われる。もっとも、あちらは台座を含めた像高、実に 120m。こちらはたったの 98.5cm。でも真面目な話、快慶なくしては牛久大仏はなかっただろう。
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実はこれまでが快慶のいわゆる安阿弥様仏像の第 1段階。次にお見せするのが第 2段階である。大阪、大圓寺の阿弥陀如来立像。
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そしてこれは第 3段階、現在浄土宗が所有する重要文化財、阿弥陀如来立像。もともとは甲賀の玉桂寺というところに伝わったらしい。1212年の造立と判明しているが、それは胎内から発見された夥しい数の結縁 (けちえん) 文書によるものらしい。
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そう、その多くの結願者の中に、安阿弥陀快慶の名前が!!
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ここで見てきた 3段階は、実は私も今回初めて知ったのだが、衣の細部によって違いがある。以下、右から順に第 1、第 2、第 3段階なのである。向かって左側の衣の出方あるいは差し込み方に注意。
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そしてこの展覧会の最後に展示されている仏像は、大変興味深い。それは京都、極楽寺の重要文化財、阿弥陀如来立像。実はこの仏像、快慶の作ではなく、その弟子、行快による、1227年の作。うーん、確かに快慶の作にしては美麗さに若干不足するのではないか。
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ではこの仏像、何が興味深いかというと、胎内から発見された文書の中から、「過去法眼快慶」という表記が見つかったからだ。法眼 (ほうげん) とは僧侶の位で、快慶がこの位に叙せられていたことは多くの記録から明らかであるが、ここでは「過去」、つまり物故者として名前が載せられているのである。つまりこの仏像は、生前に快慶が発願したが完成せずに逝ってしまったか、または快慶の没後追善供養のために作られたか、いずれかであると見られている。
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この展覧会で見えてきた快慶像は、有力者と近い関係を持ちながら、重源の薫陶を得て熱心な念仏信仰者であった真摯な芸術家である。そのひたすら美麗な造形の裏に、いかなる人間的な苦労があったのか。もちろんそれを想像力なしに辿ることはできないが、既に没後 800年近く経っていながらも人々に訴えかける作品の数々に接することで、自然と見る人それぞれに想像力の翼を広げられるというものである。まさに、何の誇張もなく、彼こそは日本美術史において世界水準でも我々日本人が誇りうる天才であったことを再確認した。古代ギリシャのフェイディアスと競い合っても、決して負けることはないだろう。これだけの数の快慶作品が一堂に会するとは、もうそうそうない機会であるので、ここでも私は、文化に興味のある方々に対し、是非是非 6/4 (日) までに奈良に足を運ぶべし、と訴えたい。会場である奈良国立博物館のお隣の興福寺でも、国宝館の耐震工事期間でもあり、素晴らしい展示が様々なされていることでもあるし。うーん、これが日本美術の神髄でなくて何であろうか。
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さて、まだまだ記事にすべき話題はあるのであるが、明日から出張なので、次回の更新は今週末になる予定です。

by yokohama7474 | 2017-05-08 23:41 | 美術・旅行

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ここでご紹介するのは、室町時代から桃山時代にかけて活動した画家の展覧会である。その名は「雪村」。この言葉でネット検索しようとすると、類推で「雪村いずみ」などと出て来てしまうので、確かに上のポスターにある通り、『「ゆきむら」ではく「せっそん」です』というコピーには意味があるのかもしれない。まあそれだけ、雪村という画家の一般的な知名度が低いということでもあろうし、中には、雪舟と間違えて展覧会に足を運ぶ人もいるかもしれない。一応私の場合は、2002年に渋谷の松濤美術館で大規模な雪村展を見ているので、画家についてのイメージはそれなりにある。雪舟のような天才性の画家というよりも、この展覧会の副題にあるような、奇想の画家であることも知っている。だが、それ以上に詳しいことを知るわけもなく、やはりこの展覧会には出かけてみたいと強く思ったのである。ちなみにこれが、2002年の展覧会の図録。そのときの副題は「戦国時代のスーパー・エキセントリック」。どう転んでも「堂々たる正統的画家」とは言ってもらえないのか (笑)。内容を見てみると、今回の展覧会の出展作と何割かは重複している。
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雪村周継 (せっそんしゅうけい = 出家名であろう) は生没年も定かではないようだが、1504年頃に生まれて 1589年頃に没したか、あるいは 1490年前後に生まれて 1577年頃に没したかという説がある。つまり、80余歳まで生きた、当時としては異例に長寿な人であったということだ。その現存作品は、もちろん諸説あるのは当然だが、150 - 200点ほどだと見られている。雪村が私淑した、まさに「堂々たる正統的画家」の代表である雪舟の場合は、没年がちょうど雪村の生年と近い (1506年頃?) が、真作はわずか 20点程度かと見られる。すなわち雪村は、室町期から戦国時代という戦乱期に活躍した画家としては、異例に多くの作品が現存していることになる。彼は茨城県の守護大名、佐竹氏の一族の長男として生まれたが、家督を継ぐことはなく、小田原、鎌倉、また福島県の三春などを拠点に画業を展開した。つまり都から遠く離れた東国で専ら「奇想」を追求した画家であり、また僧侶であった。貧しい人に絵を与えたりもしたらしく、それが現在まで多くの作品が残った理由のひとつであるようだ。私が本展に行ったときには未だ展示されていなかったが、これが重要文化財に指定されている雪村の自画像 (大和文華館所蔵)。確かに只者ではなさそうな面構えだ。
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最初にまとめて言ってしまうと、私の雪村に対する思いは若干複雑だ。昨今人気の「奇想」という言葉は、もともと辻 惟雄 (のぶお) が言い出した言葉であり、最近では異常な人気の若冲や、あるいはこれ以上の奇想はないという蕭白らについては、一般的な知名度は定着したように思われる一方、この雪村については、それらの画家ほどの強烈な奇想が感じられるのはごく一部の作品であろうと思う。なので、この展覧会の出展作のすべてにおいて驚愕の芸術が見出されるということはない。むしろ、「おっ、意外とまともじゃないか」という作品も多くある。だがよくよく見ると、彼の画業には一貫して何か人間的なものが通っており、それこそが彼の持ち味であったのではないだろうか。興味深いのは、専ら東国で活躍したこの画家の影響を、後述の通り、日本の中心たる京都で生まれ育った光琳のような人が大きく受けているという事実であり、後世につながる自由な画業を達成した画家という点で、雪村の存在意義を認識すべきような気がする。ではまず、茨城の正宗寺が所蔵する「滝見観音図」。
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これは、同じ茨城の弘願寺という寺にある作者不詳の同じ図柄の仏画を写したものであるらしいが、原図よりも観音の表情が柔和であり、また原画では畏れのあまりうつむいて祈っている童子を、観音を見上げて目を合わせる姿勢に変更している。このあたりに若き日の雪村が、既に自らの志向をはっきりと示していることが読み取れて面白い。以下、該当部分のアップで、原画と雪村作品を比べてみよう。上が原画、下が雪村である。
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これも上が原画、下が雪村。
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これも初期の「叭々鳥図」。この画題は水墨画ではポピュラーではあるが、二羽が同じ方向を向いていると、そちらに何かあるのかなと鑑賞者に思わせるではないか。描く手法には習熟が見られても、テーマの描き方にユニークなものがある画家であることが分かる。
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そして、この絵あたりには既にして「奇想」が明確に見られるのではないか。「瀟湘八景図帖」から。岩山や松がうねっているし、建物もいやに屋根が張っていて、見る者を不安にする要素がある。一見すると技術的に未熟のようにも思えるのだが、実はちゃんと描こうとすればできるのに、それをわざとしなかったように思えてくる。
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これは京都国立博物館蔵の「夏冬山水図」。重要文化財に指定されている。なんだ、ちゃんと描けば描けるではないかという印象 (笑)。立派な作品である。だがやはり、木々や岩々の存在感が異様ではある。
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これは「山水図」から。遠くから渡ってくる雁の群れに対して差し出されたような岩の上に、人が 3人描かれている。ひとりは子供であろうか。雪村の絵にいつも漂っている人間的なものが、この小さな画面からも感じられて面白い。
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そして雪村の代表作、やはり京都国立博物館所蔵の重要文化財、「琴高 (きんこう) 仙人・群仙図」。2002年の雪村展のポスターを飾った作品。これは、弟子たちに「龍の子を取ってくる」と言い置いて川に入った琴高仙人が、数日後に巨大な鯉に乗って川から現れたという、中国の伝説によるもの。三幅もので、中央に琴高を、左右に弟子たちを描いている。独特の誇張した墨の線の面白さもさることながら、どうだろう、大変人間的な雰囲気に心が優しくなるようではないだろうか。
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似たような作品として、この「列子御風図 (れっしぎょふうず)」が挙げられよう。列子は道教を極め、風に乗って中空を飛んだという。強く吹いている風と、ふわりという浮遊感が楽しい。
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これはメトロポリタン美術館が所蔵する「竹林七賢酔舞図」。竹林の七賢の絵はよく見るものの、普通は静かに清談をしているわけで、酔っぱらって、しかも踊っているというのはあまりないような気がするが・・・。なんだか、賢者たちも飲んで騒いでいるのだから、凡人の自分たちがしても一向に構わないと思いたくなる (笑)。
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次は「欠伸布袋・紅白梅図」。三幅の真ん中で布袋さんが大きく欠伸をしていて、その左右に紅白の梅が描かれている。1986年に至って、初出の雪村の作品として紹介されたとのこと。
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実は、この気楽な作品に啓示を受けて、日本美術史に残る名作が生まれたという説があるらしい。これである。
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言うまでもなく、京都に生まれた江戸時代の天才絵師、尾形光琳 (1658 - 1716) による、国宝「紅白梅図屏風」である。確かに布袋のポーズを流水に置き換え、左右の梅については、向かって右 (紅梅) は曲線的、向かって左 (白梅) は直線的と見ると、構図上の共通点はあるとも思われる。雪村のこの作品は江戸のさる大名屋敷に置かれていたことが確実であるらしく、光琳が江戸に下った際に目にした可能性はあるとのこと。これはなんとも面白いことで、雪村の影響力もさることながら、光琳という人の、見たものを変容させて自らの創造に活用するという抜群のセンスを感じることができる。尚、この展覧会では光琳が雪村から影響を受けて描いた作品も幾つか並べられていて、興味深い。以下、光琳の筆になる「馬上布袋図」と「琴高仙人図」。後者は、上に掲げた雪村のオリジナルと比較して、鯉の左右の向きも逆なら、表情や表現方法が違っており、ただの光琳の意図が雪村の模写ではなく、雪村のアイデアに倣って換骨奪胎することだったことが判る。
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これは雪村の「百馬図帖」。真後ろから馬を描いた画家はあまりいないと思うが、どのポーズも曲線が馬の姿を表していてユーモラス。
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因みに、本展に展示されている雪村の影響を受けた後世の画家たちの作品の中に、幕末から明治期に活動した狩野芳崖の「牧馬図」があるので比較してみよう。狩野派を継ぎ、あの壮麗な「悲母観音」を代表作とする芳崖の方が、やはり真面目かな ? (笑)
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そうなるとやはり、雪村らしい作品をあと幾つかご紹介せねばなるまい。まず、今回の展覧会のポスターになっている「呂洞賓 (りょどうひん) 図」。呂洞賓とは中国の仙人であり、ここでは自らも龍に乗りながらも天空の龍を睨み付け、さらに手元の水瓶の中から小さな龍を放つところ。せっかくなので、天空の龍と、水瓶から出てきた二匹の小さい龍のアップも掲載する。雪村の絵は細部が面白い。
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同じテーマで、違った構図の作品もあり、いずれも動的でユーモラス。決まりきった構図で繰り返し描くことはつまらないと思ったのではないだろうか。
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ユーモラスな雪村作品をあと 2つ。「布袋童子図」と「李白観瀑図」。それから、水の表現がユニークな「猿猴図」。これらは決して最上の芸術作品というわけではないかもしれないが、恐らくリラックスして描いているであろう、その画家の心持ちが、見る人を幸せな気分にしてくれる。
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その一方、雪舟ばりの見事な山水画もある。メトロポリタン美術館蔵のこれなど、素晴らしいではないか。
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これは京都国立博物館所蔵の「雪景山水図」。人の姿が細かく描かれていて、そこには人間的な気配が漂う。
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一方で、これは雪村作品としては若干異色ではないだろうか。茨城の笠間稲荷美術館所蔵になる「金山寺図屏風」の細部である。金山寺とは中国の禅寺であるが、ここでは立て込んだ伽藍に、奇妙なリアリティと、何かシュールなまでのいびつな空間構成を感じる。雪村の心の中の架空の世界を写生したという印象。
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もちろん雪村は金山寺現地に行った経験などありはしないが、日本人画家で実際に現地に行った人がいる。それはほかでもない、雪舟だ。「金山図・阿育王 (あしょかおう) 山図」という二幅を描いたらしく、雪舟を深く尊敬していた雪村によるこの作品も、これは二幅のうちの一幅で、失われたもう一幅には阿育王山図が描かれていた可能性もあるとのこと。そこで気になって、その雪舟作品が現存しているか否か調べてみたが、どうやら現存はしていないようだ。ただ、広島の佛通寺に残る狩野安信 (探幽の弟) 筆の同名作品の原画が雪舟作であったとされているようだ。佛通寺については、以前「禅 心をかたちに」展の記事で、2体の頂相彫刻をご紹介した。一度訪ねたい古刹である。また、せっかくなので、中国の金山寺についても少し調べてみた。日本で有名な金山寺味噌は、ここから空海が伝えたという説があるらしい。古い寺なのである。江蘇省の鎮江というところにあるらしく、仏像好きの心を揺さぶる、このような巨大な仏さまが祀られているという。雪村ならずとも、行ったような気になってみたい、そんな由緒正しい寺院なのである。
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とまあ、最後はいつものように順調に脱線してしまったが、今回の展覧会を改めて思い出してみて、やはり雪村のユニークさを実感することができる。冒頭に書いた私自身の複雑な思いを再度自己分析してみると、雪村は「堂々たる正統的画家」ではないかもしれないし、時に奇想に惑わされるものの、何よりも彼の作品に表れた人間性と、緩いようでいて実は真摯な創作姿勢にこそ、打たれるのである。やはり、日本美術史上において、貴重な存在であることは間違いないだろう。本展の期日は 5/21 (日) まで。これを見逃すと雪村の作品をまとまって見る機会がいつになるか分からないので、文化に関心のある方々には、是非上野の藝大美術館にお運び頂くことを、お薦めしておこう。

by yokohama7474 | 2017-05-07 19:38 | 美術・旅行

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今回のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン、音楽祭の期間はあと一日残っているものの、明日は別件があってでかけることのできない私が、最後に楽しんだコンサート。それがこれだ (19:00 開演、コンサート No. 215)。絶好調の井上道義が、ポーランドの室内オケであるシンフォニア・ヴァルソヴィアを振る。そして曲目は以下の通り。
 フィリップ・グラス : 2つのティンパニとオーケストラのための幻想的協奏曲
 石井眞木 : モノプリズム (日本太鼓群とオーケストラのための)

最初に言ってしまうと、非常に大きな期待を込めて出かけたこのコンサート、大変な熱演であり、本来 45分で予定されている演奏時間が 1時間を越えても、聴衆は温かい拍手を演奏者たちに送り続けていた。今回の音楽祭の中でも特筆すべき成果のひとつになったのではないか。

まず、最初のグラスの作品から始めよう。1937年生まれのグラスは、今年既に 80歳になると聞いて驚くが、日本でもそれなりに知名度のある現代音楽の作曲家ではないだろうか。いわゆるミニマル・ミュージックに属する作曲家と一般にはみなされていて、「コヤニスカッツィ」のような映画音楽や、あるいはデヴィッド・ボウイ、ブライアン・イーノと組んだヒーローズ・シンフォニーなどが知られているかもしれない。私にとっても長らく近しい作曲家であり、手持ちの CD も多いし、代表作「浜辺のアインシュタイン」の天王洲での日本初演 (1992年) には当然出かけたが、長い公演時間中、ホールに出入り自由で、なんとも楽しい思い出になっている。そんな彼の音楽は、ほとんど常に前進するリズムをまとっているので、ダンスがテーマの今年の音楽祭には最適であろう。
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ここで演奏されたのは、2000年の作で、文字通り 2つのティンパニがステージの前面に並んで、ほぼ全曲叩きまくる協奏曲。それぞれのティンパニは、7つの太鼓から成っているので、合計 14台の太鼓が鳴りまくるわけである。こんな珍しい曲、日本初演ではないのかと思いきや、2015年 (因みにコンサートのプログラムに 2014年とあるのはどうやら間違いのようだ) に、常任指揮者パスカル・ヴェロ指揮のもと、仙台フィルが日本初演している。私は聴いていないが、これがそのときのポスター。以前このブログでヴェロと仙台フィルの東京公演を絶賛したところ、ありがたいことに地元のファンの方からコメントを頂いたが、このような意欲的なプログラムを聴けるとは、仙台のファンの方々が羨ましい!!
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今回の独奏ティンパニは、ふたりのポーランド人のピョートル (ポーランド語で Piotr と綴る) で、ひとりはピョートル・コストゼワ。彼はこのシンフォニア・ヴァルソヴィアのティンパニ奏者。もうひとりはピョートル・マンスキで、彼はワルシャワ・フィルのティンパニ奏者。曲は 3楽章から成っていて、特に第 1楽章は典型的グラス風、目くるめく音楽で面白い。第 3楽章の冒頭には 2人のティンパニ奏者によるカデンツァがあって、その部分では舞台の照明が落ちて、主役二人だけが浮かび上がるという趣向。ここで井上は、暗いところでもよく見えるためだろう、赤い蝋燭のようなもので指揮を取っていた。とにかく井上の指揮はいつもの通りあちこちに指示の出る忙しいものであるが、リズム感がしっかりしているので、オケも弾きやすかったのではないか。但し、その後の舞台転換の際に出てきて井上が言うことには、両側でドコドコ容赦ない轟音が響くので、指揮台でオケの音が聞こえなくて困るとのこと。なるほどそうでしょうね (笑)。

そして井上が、後半のソリストを舞台に呼んだ。それは和太鼓の第一人者である林 英哲。
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この人は現代音楽の分野でも様々に活動し、海外でもよく知られた存在である。以前、和太鼓集団鼓童 (現在は坂東玉三郎が芸術監督) の記事を書いた際に触れたが、とにかく日本の太鼓を世界に知らしめた第一人者。既に 65歳と聞いて仰天である。その鬼気迫る演奏姿は、全く年による衰えを感じさせない驚異的なもの。これは別のときの写真だが、巨大な太鼓に打ち込むバチが殺気立っている。
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その林が率いる和太鼓ユニット、英哲風雲の会が今回アンサンブルとして参加 (7 - 8名だったろうか)。こんな筋肉隆々の若者たちである。
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今回彼らが演奏するのは、石井眞木 (まき、1936 - 2003) の代表作のひとつ、「モノプリズム」である。もう亡くなって 14年。私はこの人の音楽が好きだったし、父親が日本の文化面でのモダニズム開花に大きく貢献した舞踏家、石井漠であることも、もちろん、もともと大きな興味の対象であった。
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今回、舞台転換時に井上が林を舞台に呼びだしていろんな話をして大変興味深かったのだが、この「モノプリズム」は 1976年に小澤征爾とボストン交響楽団がタングルウッドで世界初演していることが紹介され、その時に 30歳 (井上自身は「25歳くらいだったかな」と言っていたが) の井上も立ち会っていたとのこと。小澤はこの曲を恩師のバーンスタインが絶対気に入ると確信し、リハーサルに呼んでいたところ、案の定、演奏が終わったあとにバーンスタインは林のところにやってきてハグし、キスの雨を降らせたとのこと。なんともありそうな光景だが、実際に経験した人の口から聴くと、改めて感慨が沸くというもの。舞台上には、奥に巨大な太鼓が据えられ、これは両面を 2人で叩く。舞台前面上手側には、一人用の太鼓 (足で挟んで全身で叩く、結構な大きさのもの) が 3つ。そして舞台前面下手側には、締め太鼓というらしいのだが、それを持った奏者たちが 7 - 8名演奏前に出てくる、という趣向。井上は、「締め太鼓のフォルテッシモはすごーい音がするけど、前の方の列の人たち、大丈夫? 心臓悪い人いないね?」と訊いて笑わせた。これが締め太鼓。
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さぁ、そして始まったこの「モノプリズム」の演奏。神秘的な脈動を示す締め太鼓の弱音での合奏から大音響での律動、鬼気迫る大太鼓の連打、阿鼻叫喚と化すオーケストラのうねる響きまで、聴衆はみな唖然茫然。地の底から湧き上がってくる得体のしれないパワーに圧倒される 30分間であったとしか言いようがない。和太鼓を世界に紹介するという意気込みで石井や林や小澤が大胆に行った試みは、もはや今日ではなしえないことかもしれない。1970年代、世界はこのような刺激を待っていたし、日本の方にも自信を持って出せる素材があった。もちろん、当事者たちは (作曲の石井以外) 未だ存命ではあるものの、やはり時代の勢いがないと、このような試みはできないだろう。音楽はより個人的なものになりつつあるような気がする。その意味で、芸術音楽の分野でも、例えば前日「ボンクリ」で聴いたように、コンピューターでリミックスして即興で面白い音響を試すような発想は、生の鼓動そのものを伝える太鼓の合奏とは、大きく異なるものだ。一概にどちらがよい悪いではなくて、いろんな可能性があってもよいわけだが、それにしても聴衆にこれだけの感動を与える「モノプリズム」のような曲が今後日本から生まれるだろうかと思うと、少し複雑な思いを抱いたのも事実。ともあれ、太鼓集団とミッチー指揮するワルシャワの室内オケとの熱演には、心から拍手である。

あとは余談。実は私にとってこの「モノプリズム」は忘れられない曲で、それは既に 2015年12月20日の鼓童に関する記事で書いたことなのであるが、ここで再度述べると、1986年、サントリーホールのオープニング記念演奏会の中で「小澤征爾と日本の作曲家たち」というコンサートがあり、そこで演奏されたこの「モノプリズム」における和太鼓の音に心底感動したのである。
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実はこの曲、上のプログラムにある通り、「序」という部分と「モノプリズム」に分かれていて、今回の演奏はその後者のみ。今回のプログラムによると、それが通例であるそうだ。そうすると 1986年の小澤の演奏は、珍しく全曲をカバーするものであったことになる。実際、今回の演奏で締め太鼓の静かな合奏が始まったときに、当時サントリーホール (もちろん、より残響が多い) で響いた重層的な音をはっきり思い出したのだが、あの時の演奏には、太鼓が入る前に、オケだけの演奏がそれなりの時間続いたあとであったがために、太鼓の音がより衝撃的であったのだ。その意味では、やはり「序」も含めて演奏した方が、より曲の真価が現れるというものではないだろうか。ともあれ、小澤がこの「モノプリズム」の初演者であるとは、実は今回初めて知った。そうすると、上に掲げた 1986年のコンサート、1曲目の「ノヴェンバー・ステップス」はもちろん小澤がニューヨーク・フィルで初演した曲だし、2曲目の安生慶の作品はこの時が世界初演。なので、3曲とも小澤が世に出した曲だということになる。それを思うと、やはり小澤征爾が音楽界に果たして来た役割は、極めて大きいのだなと思い当たる。来年 1月にベルリン・フィルとラヴェルの「子供と魔法」その他を指揮することが発表されたばかりだが、是非体力を温存して頑張って頂きたい。そして、ミッチーをはじめ、他の日本の指揮者の皆さんも、それぞれの持ち場での活躍を本当に期待したいのである。
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・・・なんだ、ラ・フォル・ジュルネから遠く離れて、ニッポン頑張れになってしまいましたね (笑)。

by yokohama7474 | 2017-05-06 02:54 | 音楽 (Live)

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この日 2つめのラ・フォル・ジュルネのコンサート、登場したのはこの音楽祭の常連、ドミトリー・リス指揮のウラル・フィル (16:15 開演、コンサート No.214)。ロシア人の指揮者とオケのコンビであるが、前の記事でロワール管弦楽団がどこに所在するかを確認したと同様、ここではまず、このウラル・フィルがどこに本拠地を置いているのかの確認から始めたい。ウラルというからには、あのウラル山脈であろう。そう、このオケの本拠地は、ウラル山脈の東側、エカテリンブルクという都市。さて、どの辺にあるのだろうか。普段使うことはまずない大判の世界地図 (アトラス) を引っ張り出してきて、広大なロシアの西の数分の一のあたりを撮影してみた。ちょっと分かりにくいが、赤い矢印の先が首都モスクワ、青い矢印が件のエカテリンブルクである。距離にして 1,500km弱。東京からだと那覇のちょっと手前くらいのイメージか。
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実は上の地図に、エカテリンブルクからウラル山脈を挟んだ反対側に、小さく黄色い矢印も入っているが、それは何かというと、ウファという街の位置を示している。なぜそこを示したかというと、私が一度出張で行ったことがあるからだ (笑)。確か、「地球の歩き方」にも載っていない街だったので、そんなところに滞在している日本人は私だけだろうと思ったら、ホテルでやはり出張中の日本人を見かけてびっくりしたのだが、まあそれはこの際どうでもよい。モスクワから飛行機で 2時間半くらいかと思うが、実は時差が 2時間あるのである。もちろんロシアでは、飛び地のカリーンングラードを含めると、実に国内で最大 10時間の時差があるという、およそ日本では想像もできない制度になっているわけだが、私のビジネス相手のウファの人は、その時差がなんとも不便であると嘆いていたものである。エカテリンブルクも同じタイムゾーンである。

ともあれこのオケの本拠地エカテリンブルクは、ピョートル 1世の妻エカテリーナ 1世 (あの有名な 2世とは別人) に因んで名づけられた街で、僻地にある小さな街かと思いきや、なんと人口約 130万、ロシア第 5の大都会なのである。
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この街のオーケストラ、ウラル・フィルがラ・フォル・ジュルネでこれほど活躍している理由は知らないが、実はこのオケ、2002年に始まったラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンよりも早く初来日を果たしているのである。私はその 1996年の初来日時に聴きに行ったのだが、その理由は、プログラムが大変意欲的であったからだ。まず、これが当時のチラシ。「ロシアから、幻のオーケストラ、初来日!」とあって、また、「今や、モスクワ、サンクトペテルブルクのメジャーを越えた!」とまで喧伝されている。
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私が聴きに行った 10月24日のコンサート、また、聴きには行けなかったがやはり大変興味を惹かれた 10月25日のコンサートの曲目は以下の通り。その意欲的なこと、分かる人には分かるだろう。
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現在の音楽監督ドミトリー・リスは、実はこの初来日の前年、1995年からその地位にある。世界で派手な活躍をするようなタイプとは少し異なり、カリスマ性はあまりないと思うが、その代わり、非常に安定した指揮ぶりで、このオケの成長に大きな貢献があったことは間違いないだろう。
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そんなリスとウラル・フィルの演奏会は、今回のラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンでは実に 7回催され、その中には、これぞダンス音楽の定番、チャイコフスキーやショスタコーヴィチ、ハチャトゥリアンのバレエ音楽もあれば、ベートーヴェンの 7番、コンチェルトの伴奏など多彩な曲目が含まれるが、私の選んだコンサートの曲目は以下の通り。
 グリンカ : 幻想的ワルツ ロ短調 (管弦楽版)
 ラフマニノフ : 交響的舞曲作品 45

なるほどロシア物の舞曲だが、少しばかり変化球だ。特に、グリンカの曲は珍曲である。ロシア音楽の父と称えられるミハイル・グリンカ (1804 - 1857) は、一般には、一気呵成に駆け抜ける名曲「ルスランとリュドミラ」序曲によってのみ (と言って悪ければ、ほかに数曲は挙げることはできるが) 知られるが、この幻想的ワルツは、もともとピアノ曲で、1839年に作曲、管弦楽への編曲は晩年の 1856年に行っている。聴いてみると確かに緩やかなワルツで、この舞曲特有のどこか夢見るような雰囲気がなかなかよい。リスとウラル・フィルは肩の力の抜けた、しかし非常に洗練された音色でこの佳曲を演奏した。グリンカはこんないかつい人だったようだが、その内面はロマンチストであったのであろう。
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メインのラフマニノフは、この作曲家最後の作品。私は以前もこのブログに少し書いたかと思うが、正直なところ、どうもこの作曲家とのつきあい方に未だに確信が持てずにいる。69歳まで生きたので、さほど短い命ではなかったものの、作品番号 45が最後の作品ということは、寡作家だったというべきか。もちろん、ピアニストとしての活動が忙しかったり、精神的に参ってしまうことも何度かあったようなので、この作品数が多いか少ないかは一概に言うことはできないが、交響曲第 2番やピアノ協奏曲第 2番や、パガニーニの主題による変奏曲の第 18変奏のような、誰が聴いても天下の名曲というものもあるが、それら以外の彼の曲に、感動のあまり心が引き裂かれるという経験はあまりない。その点、この交響的舞曲は、私にとってはマゼールとベルリン・フィルの録音で学生時代に馴染んでから既に長い間、かなり親しい曲ではある。だが最近、この曲を聴いても以前ほどワクワクしないのはなぜであろうか。ひとつには、意外と演奏が難しいのかもしれない。今回のリスとウラル・フィルの誠実な演奏はもちろん評価すべき内容だとは思ったが、私個人として、この曲に聴かれる不定形の不安や、ある種の諦念というものに、心から共感する感覚が今は少ないのかもしれない。さらに強烈な力を持った音楽を聴きたいと思ってしまうことは否めず、そうであればこの作曲家の場合は、やはりピアノ曲を坦懐に聴く方がよいのかな、と思う次第。ともあれ、演奏者の皆さんはお疲れさまでした。
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既に 20年以上のコンビとなるこの指揮者とオケが、今後ますます活躍してくれることを期待したい。今回のプログラムを眺めながら、このコンビの 7回の演奏会のうち、本当はベートーヴェン 7番を聴きに行くべきだったかなぁと思っている (ちょうど私が、既に記事でご紹介した「ホンクリ・フェス 2017」に行っていた時間帯のコンサートだったので、どのみち果たせなかったのだが)。まあ、来年以降も聴く機会があると思うので楽しみにしているが、45分完結のこの音楽祭ではなく、通常の来日公演で、例えばマーラーなどやってくれれば、喜んで聴きに行きますよ!!

by yokohama7474 | 2017-05-06 01:03 | 音楽 (Live)

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東京有楽町にある東京国際フォーラムを舞台に 3日間に亘って繰り広げられるクラシック音楽の祭典、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンの 2日目。数々のコンサートの中から私は、3つの海外オーケストラの公演を選んで聴きに行くこととした。いずれも会場は A ホール。音楽祭に使われる 6つのホールのうち最大で、実に 5,008の客席を持つ。それぞれにかなりの入りであり、特に最初にご紹介するこのロワール管弦楽団の演奏会 (14:15 開演、コンサート No. 213) は、見たところほぼ満員の大盛況だ。会場は満 3歳以上なら入場可であり、確かに、かなり小さいお子さんを連れた人の姿もそこここで見られた。だが、客席は非常に整然としており、皆静かに音楽に耳を傾けていた。これはなかなか日本以外の国にはない聴衆マナーであろうと思われる。

さて、このコンサートで演奏したのは、フランス国立ロワール管弦楽団。指揮は、2014年からこのオケの音楽監督を務めるフランス人のパスカル・ロフェ。フランスは従来、日本以上に経済も文化も中央集権主義、つまりはなんでもかんでも首都に集中しているという評価になっており、国内ではそれがいけないという論調があるとは、もう随分以前に耳にした話。音楽に関しては、パリの名門オケもそれぞれに浮沈があり、すべてが盤石というわけではない状況である一方、地方都市ではなんと言ってもリヨンは素晴らしいオペラハウスとオーケストラを持ち、トゥールーズも過去 20年ほどで成長著しい。それ以外にも、ストラスブールだとかリルとかボルドー (アキテーヌ) いった都市のオケも、最新状況は知らないが、かつてはそれなりの頻度で活動を耳にした。そんな中、ロワールのオケとは? 私の理解では、ロワールという都市はなく、それは地方の名前であって、古城めぐりで有名だ。いつかは行ってみたいシャンボール城。
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実はこのオケ、ペイ・ド・ラ・ロワール (Pays de la Loire) という地域名を関しており、その本拠地は、ナントとアンジェ。ナントがこの地方最大の都市であり、そ、そして、な、ナント、この街こそが、ルネ・マルタンという発起人が 1995年にこのラ・フォル・ジュルネ音楽祭を起こした街なのである。そう、なんのことはない、この国立ロワール管弦楽団は、この音楽祭のお膝元のオケであったのだ。そういえば以前、オランダの名匠で、東京交響楽団の前音楽監督であるユベール・スダーンが以前このロワール管の音楽監督で、そのコンビのフランス音楽の CD を 2枚ほど聴いたことがあって、なかなかよかった記憶が甦ってきた。

そして現在の音楽監督のロフェは、1960年生まれのフランス人。1988年のブザンソン指揮者コンクール (佐渡裕優勝の前年) 2位で、その後はピエール・ブーレーズが組織した現代音楽専門楽団、アンサンブル・アンテルコンタンポランで長らく指揮をした経歴を持つ。だがそのようなイメージとは裏腹に、気難しそうには見えないし、今回も以下の写真のような恰好で (つまり、男性楽員は全員ネクタイを締めて演奏したのに、指揮者だけはノータイで) 指揮した。その指揮ぶりは晦渋さのない非常にストレートなもの。
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今年のラ・フォル・ジュルネのテーマはダンスであるので、何かしら踊りに関係のある曲が選ばれているが、このコンサートはまた、なんとも親しみやすくてポピュラーな曲を揃えてきたものだ。
 デュカス : 交響詩「魔法使いの弟子」
 サン = サーンス : 死の舞踏作品40
 ラヴェル : ボレロ

それぞれの曲のイメージを並べてみよう。
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ボレロだけは CD のジャケット (私の好きなクラウディオ・アバド指揮ロンドン響の演奏) になってしまったが、なるほどそれぞれにダンスと関係していますねぇ (笑)。実際これはなかなかよくできたプログラムで、すべてフランス音楽で固めており、かつそのヴァラエティもなかなかだ。私はどの曲も長く親しんでいるし、どれも大好きだ。フランス音楽らしい、冴えた音を粋にまとめた洗練された演奏で聴きたい。そして今回のロフェとロワール管の演奏、その期待に見事に応えてくれ、いずれも大変楽しめる演奏になったのである。例えば「魔法使いの弟子」でほうきが呪文によって動き出すあたりのとぼけた味わいと、そのあとのシャレにならない大騒動の対比。「死の舞踏」での骸骨たちの骨の軋みを表す木琴のクリアな響きと、緩やかながら楽し気な低音部の動き。ボレロでの各楽器の (例えばコントラファゴットの) 余裕のある歌い方。それぞれに異なる踊りを粋に演出してくれた。この大きなホールだから、多分多少 PA は使っているのだろうが、私は 1階の比較的前の方で聴けたので、音響的にも不足はないし、左右に大きな画面が出るので、奏者の表情もつぶさに見ることができて、これも実に楽しい。あ、そういえば、女性コンサートマスターは東洋人であったが、調べたところパク・チユン (Park Ji Yoon) という韓国人のようだ。大変素晴らしいつややかなソロであった。ちなみに、同姓同名の女優もいるようだが、別人です。
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聴くたびに鳥肌立つボレロの最終和音を聴いて、私は早々にホールを退出してしまったのだが、その後館内放送で、そのボレロのラスト 1分くらいが突然また始まったのが聞こえたので、恐らくは、聴衆の鳴りやまぬ拍手に応えてアンコールを演奏したものだろう。惜しいことをした。だが、あの熱狂の終結部は未だに耳に残っているのである。あー、いつの日かロワールで古城めぐりをしながら、地元ナントでこのオケを聴く日がくることを夢に見るのである。

by yokohama7474 | 2017-05-05 23:28 | 音楽 (Live)

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前項のラ・フォル・ジュルネの演奏会を聴き終わり、屋台の焼きそばをかきこんで、急いで向かった先は池袋。東京芸術劇場で 17:30 開演のコンサートを聴くためである。その名は、「ボンクリ」。なに? 聞きなれない言葉だし、桃栗三年柿八年のような語呂だが、一体どういう意味なのか。実は、「ボーン・クリエイティヴ」の省略形。つまり、「人間は皆、生まれつきクリエイティヴだ」ということを意味しているそうな。では一体どのようにしてそのクリエイティヴな人間の能力が発揮されるのであろうか。実は、私が聴いたこの現代音楽のコンサート以外にも、終日会場の東京芸術劇場ではワークショップやセミナーが開かれていて、子供から大人までが事前申し込みによって参加できたという。演奏家も多く集い、新しい音を求めて終日ワイガヤをしたり真面目に演奏したりするらしい。今年から新たな企画として始まったとのことだが、このイヴェント全体のアーティスティック・ディレクターを務めるのは、作曲家の藤倉大。1977年生まれだから今年 40歳。このブログでも何度か言及してきている。これは以前テレビでも特集を見たことがあるが、現代音楽の大御所であり、藤倉の師匠でもあったピエール・ブーレーズとの貴重なツー・ショット。
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彼はロンドン在住で、その活躍はまさに世界的なのであるが、このような意欲的な企画を日本で実行してくれるとは嬉しい限りである。以下にご紹介する通り、これは東京の文化シーンにおいて見逃せない試みであり、このような試みの繰り返しから、日本の音楽界は進化して行くに違いないと思うのである。私の場合は、あるコンサートでもらったチラシの束の中に、上に写真を掲げたこのコンサートのチラシが目に留まり、「これはなんだろう?」と思って内容を確認した結果、これは是非聴きたいと思ったのである。というのも、作曲家として、藤倉以外に坂本龍一や武満徹、大友良英 (NHK 朝ドラ「あまちゃん」のテーマで知られる) の名前まであるではないか!! 演奏者には現代音楽を専門に手掛けるアンサンブル・ノマド (指揮 : 佐藤紀雄)、ソプラノの小林沙羅、そして、雅楽の伶楽舎と、意外な顔合わせである。チケットは 3,000円とお手頃だし、是非覗いてみたいと思ったもの。ここで曲目を書いておこう。まさに今躍動している音楽を中心に聴くことで、音楽には一体どんなことができるのかを考える面白い機会である。
 デヴィッド・シルヴィアン : Five Lines / The Last Day of December (ライヴ版世界初演)
 坂本龍一 : tri (ライヴ版世界初演)
 武満徹 : 雅楽「秋庭歌一具」から第 4曲「秋庭歌」
 同上 ライヴ・リミックス
 ブルーノ・マデルナ : 衛星のためのセレナータ
 大友良英 : 新作 (終演後「みらい」と曲名発表) (世界初演)
 坂本龍一 (藤倉大編) : thatness and thereness
 藤倉大 : フルート協奏曲 (アンサンブル版日本初演)

ざっと順番に見て行くと、まず最初の曲を作ったデヴィッド・シルヴィアンであるが、私はその名を知らなかったのであるが、もともと英国のニューウェーヴバンド、ジャパンの中心メンバーで、解散後も坂本龍一その他のミュージシャンとのコラボを行い、最近は前衛音楽分野でも活動しているらしい。
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彼は藤倉とは友人であるようで、この 2曲を楽譜に起こしたのは彼らしい。最近活躍著しい小林沙羅が、完全にオペラの歌唱法できれいに歌い上げたが (歌詞は英語なのであろうが、全然聞き取れなかった)、伴奏は弦楽四重奏を中心とした不思議な音楽で、心地よい浮遊感を味わうこととなった。
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2曲目の坂本の「tri」は、音程の違う 3つのトライアングルが響きあう異色の作品。前半は残響あり、最後の 1/3 くらいでは、残響をなくしてドコドコと乾いた音であった。メロディがなく、リズムだけであって、単純に響いていたように思うが、実は緻密に書かれているそうな。ここではイメージショットを (笑)。
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3曲目は、かつてこのブログでも昨年の全曲上演について記事を書いた、武満徹の雅楽「秋庭歌一具」からの 1楽章。演奏前に藤倉が、東京芸術劇場の担当者の女性と舞台に出てきて、今回のコンサートについて少し語ったが、「自分が尊敬する演奏家の人たちに出てほしいとお願いすると、ほとんどの人が OK して頂いて感激しています」とのこと。但し、舞台設営に 5分くらいかかるはずが、2 - 3 分で終わってしまったため (笑)、インタビューは尻切れトンボとなってしまったのが残念。ともあれ、雅楽演奏集団である伶楽舎のメンバー (笙の宮田まゆみを含む) が、相変わらず美しい演奏を披露した。この曲、よく聴くと本当に武満が常に目指していた移ろい行くものの儚さがよく表現されていて、心に深く残る曲である。残念ながら口ずさむことはできないが (笑)。これも雅楽のイメージで。
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この演奏中、後ろの席でヘッドフォンをつけながら何やら機械をいじっていたのは、ノルウェー人のヤン・バング。演奏終了後、怜楽舎のメンバーが引き上げると、藤倉と、それからやはりノルウェー人トランペット奏者のニルス・ペッター・モルヴェルという人が出てきた。PC が 2台開いていて、藤倉とバングがそれを操作。どうやら先刻の「秋庭歌」の演奏に加工を施したものが響き、そこにトランペットの即興が加わるというもの。音楽のデジャヴュのような不思議な効果を感じた。

休憩後最初は、20世紀半ばの前衛音楽の闘士、ブルーノ・マデルナ (1920 - 1973) の作品。アンサンブル・ノマドと、伶楽舎の人たちも一緒に演奏したが、最初はチューニングかと思ったら、それが曲の開始でした (笑)。「衛星のためのセレナータ」という題は、衛星の打ち上げの際に演奏すべく委嘱されたかららしいが、かなりの部分を即興で演奏する、まぁ今聴くと、「昔懐かしい現代音楽」のように聞こえてしまうのはやむないかもしれない。マデルナ自身には私も興味があって、以前はよく FM で彼の曲を聴いたし、指揮者としても、CD を見つけたらなるべく買うようにしている。
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次が面白くて、大友良英の「みらい」。アンサンブル・ノマドの指揮者でありギタリストでもある佐藤紀雄が、静かに抒情的なメロディをギターで弾きだすと、徐々に楽器が増えて音楽が盛り上がり、その間ギターは同じリズムを刻んでいる。そして、ターンテーブルを操作してギシギシギュルギュルという音を出す大友自身。やがて音楽はまた静まって、最初と同じギターのソロで終わる。新奇な音をいっぱい聞かせてもらったが、なかなか抒情性ある曲で、かつ前衛的。「あまちゃん」のテーマのあのノリのよさは、彼の一面に過ぎないのだと実感した次第。
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次は、坂本龍一の曲の藤倉による編曲。この thatness and thereness という曲は知らなかったが、1980年、彼の 2枚目のアルバムに入っているらしい。原曲を知らないと今一つ乗れなかったのが残念。これが若き日の坂本。わ、若い・・・。
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最後に演奏された藤倉のフルート協奏曲では、クレア・チェイスという米国の女性フルート奏者がソロを務めた。過去 10年で 100曲以上の新曲を初演しているというからすごい。今回は実に 4本のフルート (1本はピッコロ?) を持ち替えての演奏で、最大のものはなんと彼女の身長を超える大きさ。ちょうど数字の 4の、足の部分を長くしたような形態をしており、横棒のあたりにちょうど口が来て、そこから空気を吹き込みながら、左手ではガッチリ楽器を持ち、右手でガツガツと音を立てながら穴を押さえるという壮絶な演奏ぶり (笑)。曲自体も、藤倉らしい、重層的で、でもどこか抒情的な不思議な音楽。ただ、旋律を奏でずにぷっぷっと息を吹き込みながら短いタンギングで音を切る奏法が多く聴かれ、その点は若干耳についたような気がする。これは彼女のアルバム。
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現代において、新たな芸術音楽を創造するとは、どういう意味があるのか。音楽のジャンル分けは必要なのか。いわゆるクラシック音楽を聴いているだけでは、音楽の未来はないのだろうか。私自身は現代音楽にも多大な興味があり、なるべくオープンにあれこれ楽しみたいという欲張り者だが、時にそのような疑問の数々を抱くことがある。そんなときには、実際に現在創られている音楽をステージで聴くのが最も効果的。今回のような盛りだくさんな音楽に触れられる機会はそう多くないものの、関係者の方々の熱意に最大限の経緯を表するとともに、今後もこのような企画に積極的に接していく聴衆のひとりでありたいと思っている。ボンクリ、覚えておこう!!

by yokohama7474 | 2017-05-05 03:09 | 音楽 (Live)

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先に採り上げたコンサート終了後、速攻で一軒美術館を訪れ (その記事を書くのはしばらく先になってしまうが・・・)、15:45 から開かれたコンサート 144、再び井上道義指揮の新日本フィルの演奏を聴いた。今回の曲目は以下の通り。
 ピアソラ (マルコーニ編) : ピアソラ・セレクション (バンドネオン独奏 : 三浦一馬)
 バカロフ : ミサ・タンゴ

なるほどそう来たか。ここでは、アルゼンチンを代表するダンスであるタンゴが題材となっている。これもなかなかの慧眼だし、何より楽しいではないか!! タンゴとなるともちろんバンドネオン。ここでは 1990年生まれと未だ若手ながら、世界的な活躍をしている三浦一馬がソリストとして登場する。
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まず最初に 10分弱であろうか、彼のソロで、名実ともにタンゴの巨匠であるアストル・ピアソラ (1921 - 1992) の「グラン・タンゴ」その他をつなげた曲が演奏されたが、この編曲は、現在世界最高のバンドネオン奏者であるネストル・マルコーニ (1942 - ) によるもの。このマルコーニはピアソラ本人とも何度も共演しているが、現在に至るも三浦の師匠であるそうだ。アルゼンチン発祥の、怪しく、時にいかがわしささえ漂うタンゴという音楽は、もともと日本人からは非常に遠い存在であるはずだが、なぜかその音楽には世界共通のノスタルジアがあるようだ。前項の伊福部昭の音楽が日本人の精神性に根差した音楽であるとすると、これは地球の裏側からやってきた音楽である。だがそれを日本人が演奏することで音楽そのもののよさを味わうことができるはず。今回の三浦のソロは、ホール (1492席) がソロには少し大きすぎたかなと思わないでもないし、怪しさよりは流れのよさを感じさせるものであったようにも思うが、それでもそこに漂う詩情はただものではないと思った。

そしてメインの曲は、ルイス・バカロフ (1933 - ) のミサ・タンゴ。バカロフはアルゼンチン生まれのイタリアの作曲家で、映画音楽を多く手掛けている (代表作は、「フェリーニの『女の都』」や「イル・ポスティーノ」)。このミサ・タンゴという曲は、文字通りタンゴのスタイルを使ったミサ曲という変わり種なのである!! 演奏時間は約 35分。珍曲ではあるが、実は私は以前からこの曲を知っているのだ。というのも、チョン・ミョンフン指揮サンタ・チェチーリア音楽院管弦楽団による CD を所持しているからなのである。私の場合、持ってはいても未だ聴いていない CD が山ほどあるが (苦笑)、これは大丈夫、数年前に中古で購入して聴きましたよ。もともと私はピアソラが大好きで、ブームになったクレーメルのシリーズやヨーヨー・マのアルバムや、自作自演までいろいろ録音を持っているが、その流れで、どこかでこの曲のことを知り、そしてこの録音の存在を知るに至ったものだ。この盤のひとつの特色は、テノール独唱をあのプラシド・ドミンゴが担当していること。彼らしい視野の広い活動ぶりである。
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実際、今回のこのプログラムを見たときに、この曲を選ぶとはさすがミッチー!!と思ったのである。これはもちろんミサ曲であるから宗教的であることは間違いないのだが、そこには大衆性もあって、もの悲しいバンドネオンが、タンゴの情緒を宗教性と結び付けているのである。今年のラ・フォル・ジュルネのテーマはダンスであるから、確かにこの曲はそのテーマに沿ったものであると言える。この曲、キリエ、グローリア、クレド、サンクトゥス、アニュス・デイと、通常のミサ曲の構成を取るものの、歌詞はラテン語ではなく、どうやらスペイン語なのだ!! そして今回、男声ソロはテノールではなくバリトンのガスパール・コロン、女声ソロは二期会のメゾソプラノ、池田香織。合唱は、これは新日本フィルとの顔合わせは初めてではないかと思われる、東響コーラス (つまり、東京交響楽団専属のコーラス) という顔ぶれ。もちろんバンドネオン独奏は三浦一馬である。

興味深かったのは、合唱団が全員暗譜で歌ったこと。相当な練習をしたのであろう。力強い箇所も繊細な箇所も、自信をもった歌いぶりだ。一方、独唱の二人のうちバリトンは、特に最初のうちは声量が充分でなく、何か落ち着かない様子であったが、体調でも悪かったのだろうか。その点メゾの池田は余裕の歌唱ぶりで、バリトン歌手に出番のあとの着席を促すなどしていた。井上指揮するオケはここでも大変に美しい演奏を聴かせており、そのメリハリは最高度である。新日本フィルの場合、最近特に演奏を楽しんでいる感じを覚えることが増えてきた。井上はかつてこのオケの音楽監督を務めており、私もその頃よくこのコンビを聴いたが、正直なところ、今の方があらゆる意味で進化していると思う。いわゆるミッチー節は、このような変化球でよく生かされるということは言えるかもしれないが、これからは、この手の珍品や現代音楽に加え、スタンダードなレパートリー、例えばブラームスなどやってみても面白いのではないだろうか。

などと勝手なことを唱えてはいるものの、とにかくこの 2回のコンサート (内容的には通常の 1回分だが)、大変充実した内容で、堪能した。実は明日、いやもう日が変わって今日になっているが、もう一度マエストロ井上のコンサートに行く予定としている。これも、今の彼なら大変期待できる曲目なので、楽しみなのである。私もちょっと記事のネタが溜まっていてちょっと時間が足りない状態であるものの、コンサートに関しては極力タイムリーに記事を書くというこのブログのポリシーに則って、がんばります!!
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by yokohama7474 | 2017-05-05 01:34 | 音楽 (Live)

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今年もゴールデン・ウィークの東京に、熱狂の日々がやってきた。3連休の間、文字通り朝から晩まで入れ替わり立ち代わり、世界的な名声を持つ人たちを含む多くの音楽家が登場する大規模な音楽祭、ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポンである。今年も会場の東京国際フォーラムは大勢の人で賑わっている。沢山の屋台でエスニックや B 級グルメを含む食べ物・飲み物が販売され、コンサートのハシゴを楽しむ人たちの胃袋を満たしている。また、無料コンサートも開かれており、押し合いへし合いだ。例年のことながら、クラシック音楽を聴く人ってこんなに多かったっけ??? という嬉しい悲鳴の上がる大盛況なのである。
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この音楽祭には毎年テーマがあるのだが、今年は「La Danse 舞曲の祭典」というもの。もともとフランス発祥の音楽祭であるので、もともとのテーマはフランス語で設定されているのだが、まあ要するに、ダンスに関係する音楽を集めている。なるほどこれはよい着眼点だ。なぜなら、バロックの世俗音楽はその多くが舞曲だし、近代のオーケストラ曲には沢山のバレエ音楽の名曲がある。実際のプログラムを眺めてみると、リズムのある音楽ならすべてダンス音楽に分類できるだろうというばかりの幅広い曲目が並んでいる。作曲家として見当たらない名前は、そうだなぁ、ウェーベルンとブーレーズくらいかな (笑)。まあそれは冗談としても、毎年のことながら、よくもこれだけの音楽家を揃えてこれだけ多彩なプログラムを組めるものだと感心する。公式プログラムには、3日間で 350公演、2,000人のアーティスト (これはさすがにオーケストラの楽員数もすべて含めての数字であろう) が出演するという。尚この音楽祭、一回のコンサートの演奏時間は約 45分で、途中に休憩がない。それゆえ人々は、コンサートからコンサートへハシゴすることが可能なのである。

そんな中、初日の 5/4 (木・祝)、私が出かけたコンサートは二つ。スケジュールを眺めていると、ピアニストやヴァイオリニストを中心に、本当に一日中聴いてみたい音楽家の名前が並んでいて悩んでしまうが、とりあえず今日はオーケストラコンサート二つに絞ることとした。そのいずれもが井上道義指揮の新日本フィルによるもの。この記事でご紹介するのは、13:45 から行われたコンサート 143 というもので、曲目は以下の通り。
 伊福部昭 : 日本組曲から 盆踊、演伶 (ながし)、佞武多 (ねぶた)
 伊福部昭 : オーケストラとマリンバのためのラウダ・コンチェルタータ (マリンバ : 安倍圭子)

なるほど、日本の土俗的なリズムを使った曲を多く書いた伊福部昭 (1914 - 2006) の音楽は、まさに踊りの音楽の恰好の例である。フランスをはじめ世界各国で開かれているラ・フォル・ジュルネであるが、日本での開催では日本ならではの曲を聴く意義が大きい。また、このブログであまり関連記事を書けていないが、私は伊福部音楽のかなりのファンで、CD もわんさか持っているのである。
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伊福部昭は一部ファンには大変な人気なのであるが、一般にはあまり知られていない名前かもしれない。そういう人には、あの「ゴジラ」の音楽を書いた人だと言えば通じるというのがまあ共通認識ではあろう。伊福部本人は、あまりに「ゴジラ」の作曲家と呼ばれすぎるのを嫌がっていた気配はあるが、もちろんオリジナルの 1954年の「ゴジラ」だけでなく、一連の東宝怪獣映画において彼の音楽はまさに欠かせないものであったし、「大魔神」を含めた昭和の特撮映画において、何か巨大なものがうごめくその迫力は、誤解を恐れずに言ってしまえば、あたかもブルックナーの交響曲のように壮大な響きを持って、今も人々の心を揺さぶるのである。そして、こちらはこのブログでは再三ご紹介してきた、指揮者の井上道義。今の彼の指揮をできる限り聴きたいと私はいつも思っているし、今回のコンサートでの曲目ならなおさらだ。
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演奏前に指揮者の井上 (愛称ミッチー) が舞台に出て来て、「1分半だけ喋ります」とのこと。この人の語りは面白いので、聴衆は大喜びなのだが、いわく、この GWの「みどりの日」(これは以前は 4/29 だったものが、今では 5/4 に変更になっているのですな) に伊福部の音楽を聴くのは大いに意義のあること。今回はほぼ満席で嬉しい。自分は伊福部と生前面識があったが、彼の音楽は日本人の心に深く根差していて、まさに大地の泥を踏みしめた音楽。騎馬民族の西洋人の音楽とは違う。今回演奏する「日本組曲」(注 : オリジナルのピアノ版は 1934年作曲) については、あまりに日本的なので「こんな音楽を書いて恥ずかしい」という声も当時あったが、とんでもない。そもそも日本は、昔は泥だらけ。自分の生まれた成城学園のあたりもそうだったし、このあたり (東京・有楽町界隈) だって、50 - 60 年前だったらまだ泥もあったはず。どうせ人間死んだら泥に返るのだから、是非このような音楽を楽しんでほしい。これがミッチーのメッセージであり、私は席でウンウンと大きくうなずいたのであった。

そして演奏された音楽は実に力に満ちて説得のある、かつクリアな音質のもので、最高の伊福部音楽の演奏であったのではないだろうか。井上の指揮はまさに、自らが踊っているようなもの (笑)。この人はもともとバレエダンサーであったので、昔から身振りが派手ではあったが、最近の彼は、その身振りに合うだけの素晴らしい音が鳴っている点、毎回感服するのである。実は今調べてみて分かったことには、この「日本組曲」の管弦楽編曲版は 1991年に作られていて、それを初演したのが、今回と同じ井上道義と新日本フィルであったのだ!! なるほど、井上はそのような言い方はしなかったものの、このコンビとしてはやはり思い入れの深い曲であったのだ。聴衆には若い人もいたので、我々の世代とは異なる耳で、伊福部音楽を聴いて行って欲しいと思うが、そのためにはこのような演奏に数多く触れて欲しいものだと思う。

さて、2曲目に演奏されたのは、マリンバ奏者として長らく世界でもトップを走り続ける安倍圭子が登場し、彼女の委嘱によって書かれた伊福部の「ラウダ・コンチェルタータ」(1976年) である。ここでも舞台転換の間に井上が出て来て説明することには、安倍より前にマリンバがオケの前で独奏を弾くようなことはなかったが、彼女の功績で沢山のマリンバのための曲が書かれた。弟子の数は既に、5000人や 1万人でない、大変な数だろう。既に 80歳だが、男の 80 よりも女の 80 の方が元気なのだと発言して会場を笑わせた。それから、一度袖に引っ込んでからまた出て来て、ひとつ言い忘れたが、安倍さんは今回アイヌの恰好で出てくるが、これは、北海道出身の伊福部の音楽がアイヌの文化の影響を濃く受けているからだと説明した。もちろん私は安倍の実績を知っているし、以前にもやはりこの曲を井上の指揮をバックに演奏したのを聴いたことがあるが、80歳と聞いてびっくりだ。
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演奏の質の高さについては改めて言うまでもないだろう。時に激しく、時に瞑想的に、安倍のマリンバは縦横無尽だ。若い頃はさらに切れ味があったかもしれないが、依然として技術的には申し分ない上、表現が大変に多彩であると思った。それにしてもマリンバの音の温かいこと。壮大な森林の中に響き渡る木霊の声といった風情である。ここには、日本でこそ味わえる日本の音楽がある。伊福部音楽の懐の深さを改めて実感できる、素晴らしい演奏であった。

これもダンスの一形態。何よりも、聴き終えて満足そうに会場を出る人たちの顔に、通常のコンサートではあまり巡り合うことのない高揚感があった。ラ・フォル・ジュルネ、今年も大盛況なのである。

by yokohama7474 | 2017-05-04 23:47 | 音楽 (Live)

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私はいわゆるアニメ物は、漫画であれ映画であれ、あまり知識がなく、むしろその分野には無知であると自覚しているのであるが、そんな私でも、ひとつのアニメ映画に大いに衝撃を受けたことがある。それは押井守による「イノセント」という映画であったのだが、その衝撃は 13年経った今も、思い出すだけで即座に甦ってくるほど強烈なものであったし、そのことは既に昨年 6月16日の記事で、押井の近作である「ガルムウォーズ」を採り上げた際に記した。その「イノセント」は、実は押井自身の以前の作品の続編であるのだが、その作品の名は「Ghost in the Shell / 攻殻機動隊」。1995年の作であり、また、2008年に一部をリニューアルした「2.0」と称するヴァージョンもあるらしいが、実は私は今に至るも、その作品を見ていない。それは、士郎正宗の漫画を原作とするこの映画を見ることで、私が「イノセント」で感じた衝撃が変質してしまうのではないかと思ったこともひとつの理由なのである。そして今回ハリウッドで制作されたこの映画は、その「Ghost in the Shell / 攻殻機動隊」のリメイクなのであるが、これを必ず見たいと考えたのは、日本のアニメに発想の源泉を持ちながらも、何か違った視点で描いている部分がきっとあるだろうと思ったからにほかならない。そして確かにこれは、士郎 / 押井へのオマージュを随所に感じさせながらも、ひとつの作品として完結している点、私としては高く評価したいと思うのである。

随分何度も予告編を見ることになったが、まず、昔の「ブレードランナー」をさらにキッチュにしたような街の映像が目を捉える。
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現実世界でこの映像に最も近いのは、やはり香港であろう。いや実際、よくよく目を凝らすと、実在の香港のビルが見えてくる。私がニューヨークやヴェネツィアとともに愛する、世界に二つとない街。まあ最近は中国化が著しく進んでいるとはいえ (笑)、未だにその個性を保っている。
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この街の映像が、独特のノスタルジーと未来性をともに纏いつつ、見る人の脳髄に働きかける。そして私は見逃さなかったのだが、押井守の映画「イノセント」のロゴが画面の隅に出てくるのである。これに気付いたら賞金という制度にしてくれないものか (笑)。このような複雑に入り組んだ映像に満ちた映画であるが、そのメッセージは単純かつストレート。それは題名に既に表れているのだが、この "Ghost in the Shell" のゴーストは、人間の魂のこと。シェルはもちろん日本語では甲殻なのだが、これはロボットの表面を包む堅い金属のこと。つまり「ゴースト・イン・ザ・シェル」とは、機械の体の中に宿る人間性という意味なのである。その、人間の魂を持ったロボットがこの映画の主役。公安 9課所属で、少佐と呼ばれる優れた警察官、ミラこと草薙素子である。演じるのはあのハリウッドのトップ女優、スカーレット・ヨハンソン。
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昨今の彼女の活躍ぶりには実に目を見張るものがあるが、この映画で彼女はまた、新たな金字塔を打ち立てたと思う。心は人間、体は機械というこの難しい役柄をこのように実在感をもって演じられる女優がほかにいるだろうか。つまり、あまり冷たくてもいけないし、感情が出すぎてもいけない。彼女の瞳は多くの場面でうるうると濡れているのであるが、だがしかし、涙を流すことはない。なぜなら彼女は機械なのだから。
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そして、予告編からやけに目立った彼女の「裸スーツ」(?)。でも映画を見れば、これには必然性があることが分かる。つまり彼女は、自らの体を透明にすることができるのであって、そうである以上は、服など着ていてはいけないのである。これは実は大変よくできた設定で、昔ながらの透明人間 (例えば、ティム・バートンの最新作「ミス・ペレグリンと奇妙なこどもたち」に出てくる子供の透明人間など) は、生身の体であるので、透明になるにはスッポンポンになる必要があり、その分風邪を引きやすかったところ (笑)、体が機械ならその心配はない。思う存分スッポンポンになれるというものだ。
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実はスカーレット・ヨハンソンは、この映画のオファーを受けるまで、「甲殻機動隊」のことを知らなかったという。1984年ニューヨーク生まれの彼女ならやむをえまい。だが彼女は明らかにこの役を楽しんで演じている。その彼女がここで共演している日本人俳優が 2人。
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ひとりはもちろん、ビートたけし。世界で尊敬される映画監督でありながら、昔ながらのへたくそな演技で、しかも日本語で、無骨かつ俊敏な、公安 9課を率いる荒巻を演じているのが心地よい。この映画では、個体間のコミュニケーションを無線で取ることができるという設定なので、別に言語などはどうでもよいのである。なかなかの存在感である。そしてもうひとりは、なぜかこの映画のプログラムに名前が載っていないが、この大女優だ。
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桃井かおりである。既に 66歳になったが、ここでの演技の無重力感は以前から変わらぬ大したもの。もちろん彼女は英語でセリフを喋っている。

いやそれにしても、この映画の映像は素晴らしいもの。多分もう一度見ても見飽きないものだと思う。そんな中、「イノセント」とも通じるこのようなロボットも登場し、恐ろしいやら艶やかやら。この顔がパカッと開いたり、後ろ足 (?) がニョキニョキ出るあたりでは、人間の形態が変容する様を感じることができて、なんとも凄まじい。
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この、人とロボットの混合感覚は、ほかのシーンにも横溢している。この映画がもともとのアニメ映画「Ghost in the Shell / 甲殻機動隊」とどう違うのか知らないが、アニメ映画のこのようなシーンは、目隠しこそないものの、今回も登場する。ここには人間の身体性の危うさが出ているように思うのだ。
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この作品における音楽担当は、クリント・マンセルとなっているが、だがしかし、あの「イノセント」と共通する日本の民謡のような音楽に心震える。エンドタイトルで確認したところ、やはり「イノセント」の音楽を担当した川井憲次の名があった。うーん、これは痺れる。今年 60歳のこのような方だ。
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このような、映像美に溢れ、原作やその先行映画化作品に対する敬意を感じさせるすごい映画を監督したのは、1971年英国生まれのルパート・サンダース。CM 監督として名を上げたあと、2012年の「スノーホワイト」で劇場映画デビュー。本作が 2作目になるようだ。この豊かなビジュアルで、今後の映像世界を切り拓いて行ってくれることを期待したい。
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このように、私にとっては様々な刺激に満ちた映画であったのだが、最後に、"Ghost in the Shell" という言葉がどこから来ているかを記そう。これは、アーサー・ケストラー (1905 - 1983) による「機械の中の幽霊」という評論から採られているのである。ケストラーはユダヤ人で、反日主義者であったらしいが、そんな人の書いた書物が、日本発のエンターテインメントになっているのが面白い。この本はかつてちくま学芸文庫で出版されていたようだが、現在では絶版であるらしく、アマゾンで調べると、古本が 7,500円以上、場合によっては実に 20,000円の値がついている。これはなかなかにてごわい。
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改めてこの映画のイメージの豊かさを思い出すと、眩暈がするようだが、ここには人間社会のなんらかの真実がある。それゆえ、ゲイシャロボットもこんな風に顔を開いて驚くのである!!
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by yokohama7474 | 2017-05-03 23:28 | 映画