川沿いのラプソディ


川沿いの住まいから、音楽、美術、映画その他文化一般を語りつくします。
by Crop Stock
カテゴリ
以前の記事
フォロー中のブログ
最新のコメント
> カギコメさん コメ..
by yokohama7474 at 21:36
> usomototsu..
by yokohama7474 at 21:34
こんにちは。この行人とい..
by usomototsuta at 18:09
> 行人さん なるほど..
by yokohama7474 at 02:12
「なるほど」が口癖 常套..
by 行人 at 01:31
> 吉村さん 確かにブ..
by yokohama7474 at 02:45
19日の定期、行って来ま..
by 吉村 at 22:47
> usomototsu..
by yokohama7474 at 01:46
> 徹さん 大間違いで..
by yokohama7474 at 01:45
先程のコメントはじっくり..
by usomototsuta at 19:21
メモ帳

<   2018年 08月 ( 22 )   > この月の画像一覧

カメラを止めるな! (上田慎一郎監督)

e0345320_23165898.jpg
世の中には、ちょっと普通ではなかなかあり得ない出来事が、時折起こるものである。もちろん個人レヴェルでは、ちょっとした偶然や、ラッキーなことアンラッキーなこと、様々な出来事を繰り返すのが人の生活の常とも言えようが、映画に関してはどうだろう。製作費 300万円、最初は東京でのたった 2館での上映で始まった映画が、2ヶ月後には全国 120館以上での公開に至ったような極端な大ヒットの例が、かつてあるのかどうか。私の場合は、常々このブログで公言している通り、ヒットしているからという理由で映画を見に行くことはない。この映画の場合は、「ゾンビ映画撮影中に本物のゾンビが現れ・・・」という設定を耳にして、これは面白そうだと思って見に行ったのである。ところが、私がこの映画を見たある平日、新宿のメジャーなシネコンでの昼間の上映において、この映画はそのシネコンで最も大きなスクリーンで上映されていて、しかも、ほぼ満員であった。夏休み中の若い人たちが多いとはいえ、これはやはり、かなり特殊なことであると思う。

さて、ネタバレを避けてこの映画について語るのは難しい。なので、まず、世評通り面白かったと訊かれれば、「いや、実に面白かったですよ」と答えよう。そしてその面白さとは、禍々しいホラー映画の逆説的な評価ではなく、人の心を温かくする要素があるがゆえの、この映画を見る多くの人に共通する評価なのだと思うのである。まず、私のように、充分な事前情報なしに映画を見始めた者にとっては、冒頭から始まるゾンビ映画の撮影シーン、その手作り感満載の映像による自主映画 (という言葉がまだあるとして) 風の雰囲気は、ある種の警戒心を起こさせるものである。つまり、ほらほら、こんなことには騙されないぞ!! という思いである。
e0345320_22405703.jpg
だが、これは私のように事前知識なしに見るよりも、むしろあった方がよいと思った点として挙げたいのは、この映画の冒頭 37分間は、なんと、切れ目なしのワンカットで構成されているのである。これだけでも、この映画を見る価値はあると言えるだろう。しかも、冒頭の廃棄された工場のような場所から、カメラは何度も屋外に飛び出し、車には乗るわ (発車はしないが)、小屋には入るわ、最後には屋上にまで登って行くのである。これを可能にするための関係者の事前の打ち合わせやリハーサルは、相当に大変であったことだろう。そして、狂気にとらわれたかのような監督が、なんとも不気味。これはカメラに向かって、題名通り「カメラを止めるな!」と指示する監督。
e0345320_22531293.jpg
そして恐ろしい惨劇はこのようなクライマックスへ。恋人がゾンビと化した、このうら若き女性の運命やいかに!!
e0345320_22510417.jpg
そして、その 37分が終わったところで、エンドタイトルが出る。「え? もう終わり? 早くない?」と思う人も多いだろうが、上に掲げたチラシの宣伝文句にある通り、「最後まで席を立つな。この映画は二度はじまる」ということになる。正直なところ私は、このコピー自体はあまり上出来なものとは思わないものの、実際に映画を見てみて、なるほどそれはそうなのだなと納得した。実は、いかにも低予算というイメージの冒頭のゾンビ物のあとに、ちゃんとした映画としての体裁を備えた映像によって、本当の物語が語られて行く。この二重構造こそが、この映画のアイデアの胆なのである。「第二部」では、少し説明調すぎると言ってもよいほどの語り口で、過去の経緯が明らかになる。その結果、この禍々しい 37分のゾンビ映画が、ある種の人間の営みというか、様々な制約やトラブルにめげることなく、創意工夫と一致団結によって難局を切り抜けるという行為のひとつの例であると理解される。会場は、いくつかのシーンではクスクス笑い、あるいはほぼ爆笑に包まれ、大スクリーンを見ている観客たちの心の中に、何かほのぼのとしたものが沸きあがってくるのを感じる。そして、見ず知らずの人たちの集合の中に、いつのまにか仲間意識すら生まれているのを感じるのである。そんな経験のできる映画は、そうそうないと思う。だから、もしこの映画をゾンビ物として敬遠している人がいるとしたら、心配ないから見に行くとよいですよ、と声をかけたい。ほら、映画を離れれば、このゾンビ物の出演者たちは、こんなに仲がよいのである。
e0345320_23060489.jpg
繰り返しだが、人生はトラブルの連続。いかに普段偉そうなことを言っている人も、予測不可能な事態に直面すると慌てふためいたり、逆に、いつもチャランポランだと思っていた人が、非常時には思わぬ現場対応能力を発揮するということもある。この映画から学ぶべきは、ある人間のぶざまな生き方であったり、またほかの人間の意外な信頼度であったり、そのような要素こそが、我々の生活を豊かに彩っている、ということだろう。うーん、見ていない人には全く何のことやら分からないだろうが (笑)、でも私はこの映画を見て、何度も声を上げて笑ったし、見終わったあとには爽快な気分になったものだ。ほら、いかにも爽やかでしょう?
e0345320_23205338.jpg
この映画の紹介においては、低予算もさることながら、監督も無名なら、出演俳優も全員無名ということが取り沙汰されているが、それは全くその通り。役者さんたちの多くは舞台経験者であり、演技力のある人でも、一般に広く知られているということはない。だが私は、それがこの映画の成功の秘密のひとつであろうと思うのである。脚本・監督に編集まで手掛けている上田慎一郎は 1984年生まれで、自主映画の分野で多くの実績を挙げた人らしい。だが、長編映画としてはこれがデビュー作。彼自身が鑑賞したとある演劇がヒントになっているらしく、この映画がヒットしてしまったばっかりに、盗作騒ぎにまで発展しているという報道も見たことがある。真偽のほどは分からないが、少なくとも、これは映画として本当によくできているとは言えるだろう。この映画は、日本での大ヒットのみならず、海外の多くの映画祭でも賞を受けている。大変喜ばしいことだが、そのことが今後の彼の映画作りにおいて、余計なプレッシャーにならないことを祈るばかりだ。
e0345320_23313196.jpg
あ、そうそう。役者さんたちの中で、最も強烈な印象を受けた人を紹介しておきたい。この写真の右端の女性。竹原芳子という 1960年生まれの女優だが、役者として活動を始めたのは数年前である模様。うーん、この強烈な関西弁には、何か尋常ならざるものがある。きっとゾンビも彼女にはたじたじではないか (笑)。
e0345320_23423896.jpg
さて、私のこの映画についての感想はこのくらいにして、最後に「川沿いのラプソディ」流、突飛な連想による 2つの映画をご紹介しておこう。もしかすると最近の若い世代は、これらの名作を知らないかもしれないので。まず最初は、映画史上初の (その後ほかの例があるのか否か知らないが)、全編ワンカット、つまりシーンとシーンの間につなぎのない、極めてユニークな作品。この「カメラを止めるな!」でのワンカットは 37分であるが、この作品はその倍の 80分。ヒッチコック監督の「ロープ」(1948年制作) である。ただ、当時のフィルムでは 80分連続の撮影はできないので、カメラの移動の途中で、例えば人の背中などの大写しの場面で、何度かカットをつないでいる。私はこの「カメラを止めるな!」のゾンビ映画の部分を見ているときに、「ロープ」を思い出し、そのようなつなぎはないものかと注意して見たが、見当たらなかった。そのことで改めて、現場での苦労が偲ばれるのである。ヒッチコックもきっと、この作品を見たら喜ぶのではないだろうか。これは「ロープ」の公開時のポスター。今では市販ディスクで簡単に見ることができる。
e0345320_23411554.jpg
もうひとつは、このブログでは何度もその名前に言及してきている稀代の映画監督、ロシア人の故・アンドレイ・タルコフスキーに関連する映画。彼の晩年 (といっても享年 54歳だが) の 2つの大傑作、「ノスタルジア」と「サクリファイス」のメイキング物である。特に前者 (私にとってはこれまでに見たすべての映画におけるベスト 5に常に入る映画) における超絶的に美しいシーンに、廃墟の聖堂に降り注ぐ雪というものがあるのだが、このメイキング物 (題名は「タルコフスキー・in・『ノスタルジア』) においては、そのシーンがどのように撮影されたかが、克明に記録されている。あの超絶的シーンが、このように人間的な雰囲気で撮影されたとは知らなかった。文化に興味を持つ人は「ノスタルジア」が必見の映画であることは論を俟たないが、そのメイキングを併せて見ることで、オリジナルの映画の見方が変わるほどのインパクトがあるのである。そしてその感覚は、この「カメラを止めるな!」を見たときの感想と似通っている。この主張を分かってくれる人は少ないかもしれないが、分かる人には分かる感覚であると信じる。これが、「ノスタルジア」と「サクリファイス」のメイキング物を特集上映したときのプログラム。残念ながら、本編はともかく、メイキング物の全編を見ることは今では容易ではないようだ (YouTube で一部を見ることができるという情報も目にしたが、未確認)。
e0345320_00083716.jpg
改めて、「カメラを止めるな!」について語って、話がタルコフスキーに及ぶ人はさほど多くないとは思うが (笑)、でもその突飛な連想こそが、日々を新鮮な気持ちで生きるためには必要なのだと思う。そんなことを感じさせてくれるこの映画、やはり大変によくできていると思うのである。

by yokohama7474 | 2018-08-30 00:10 | 映画 | Comments(0)

ミケランジェロと理想の身体 国立西洋美術館

e0345320_21275467.jpg
このブログで美術展を採り上げる際には、既に開催期間を終了してしまっているケースが多く、そのことへの忸怩たる思いは、これまでも何度も表明してきた。やはり、せっかく記事を書くからには、それをご覧になった方に、何か少しでも考える材料を提供できればよいと考えているので、そのためには、既に終わってしまった展覧会ではなく、これからでも見に行けるものの記事を書かないといけない。いつもそのように思いつつも、なかなか果たせずにいる中、今回は久しぶりに、会期が未だ 1ヶ月ほども残っている展覧会を採り上げることができるのは嬉しい。しかも、誰もが知る西洋ルネサンスの巨匠、ミケランジェロ・ブオナローティ (1475 - 1564) の名を冠した展覧会である。これは、あの有名なジョルジョ・ヴァザーリが、ミケランジェロの死の 4年後、彼の追悼のため、自作の「美術家列伝」から彼に関する部分のみを集めて出版したもの。既に同時代に人々から「神のような」と尊敬されていた、偉大なる芸術家の肖像である。
e0345320_23400563.jpg
この展覧会には、ミケランジェロ作とはっきりしている彫刻が 2点展示されていて、それだけでも充分意義深いことなのであるが、展覧会全体の趣旨は、逞しい身体表現で知られるミケランジェロ作品やその周辺のルネサンス期に至るまでの、西洋美術史における身体表現の変遷を辿ることにある。従ってこれは決してミケランジェロ単独の展覧会ではない点には、若干注意が必要だろう。その前提は最初のコーナーですぐ分かるのだが、そこには、子供をモチーフとした作品が幾つか並んでいる。これはプットーのレリーフ。1世紀前半、つまりは古代ローマ時代の作品である。ヴェネツィア国立考古学博物館の所蔵。この体躯の寸詰まり感には、確かに子供らしさがある。なんと活き活きとした表現であろうか。
e0345320_22394501.jpg
これは 2世紀の作で、「蛇を絞め殺す幼児ヘラクレス」(フィレンツェ国立考古学博物館所蔵)。ゼウスを父とするヘラクレスは、そのゼウスの正妻であるヘラの怒りを買い、ヘラは幼少のヘラクレスを殺すために 2匹の蛇を送り込むが、勇者ヘラクレスは、その蛇を難なく素手で絞め殺したという逸話を題材としている。絡みつく蛇を見事に表現しているのもすごいが、私が注目したいのは、この幼児の左の太ももである。ここには幼児特有の肉づきのよさが、皺によって表されている。なんとリアル!!
e0345320_22404553.jpg
これは時代が下がって、1450 - 70年作の、スケッジャという画家の手になる「遊ぶ幼児たち」。このスケッジャという画家の名にはなじみがないが、本名をジョヴァンニ・ディ・セル・ジョヴァンニ・グイーディといい、ルネサンス初期の著名画家マザッチョの弟であるという (この展覧会の会場である西洋美術館には、彼の「スザンナ伝」という作品が所蔵されており、本展にも出展されている)。ひとりは正面、もうひとりは最後を見せて幼児が向かい合っているが、その筋肉表現のリアルなこと。なんとも彫塑的な表現である。
e0345320_22414577.jpg
このように見てくると、西洋美術における幼児の表現には、その肉づきのよさという点において、まさにミケランジェロにつながるような要素を見て取ることができる。もちろんこれは、ルネサンス時代の芸術家たちが、古代の作品に範を取ったということでもある。次の作品はどうだろう。「アキレウスとケイロン」(65 - 79年作)。これはポンペイと同じくヴェスヴィオ火山の噴火で埋もれてしまったエルコラーノという街に描かれていたフレスコの壁画である (ナポリ国立考古学博物館所蔵)。想像上の動物であるケンタウロスのひとりであるケイロンは、その姿に似合わぬ賢者であり、その教えを受けようと勇者アキレウスがやってきた場面。2000年前の作品とはとても思われない自由さである。
e0345320_22433666.jpg
人体の立体表現と言えば、フィレンツェで活躍したデッラ・ロッビア一族のことを思い出さないわけにはいかない。このアンドレア・デッラ・ロッビアの「理想的な若者の肖像 (聖アンサヌス)」(1500年頃作) もその典型的な美しい作品のひとつ。釉薬を使ったテラコッタ (焼物) である。この繊細な表現には本当に惚れ惚れする。
e0345320_22442190.jpg
展覧会はさらに、より一層複雑な身体表現である、アスリートたちのコーナーに入る。これはヘレニズム時代にアレクサンドリアで作られたとされる「レスラー」(紀元前 1世紀から紀元前 2世紀の作)。もともとは 2人のレスラーたちの格闘シーンであったらしく、このレスラーの右ひじには、相手の左手だけが残っている。永遠に一人で闘いのポーズを取るレスラー。
e0345320_22462983.jpg
これは、上に掲げた「アキレウスとケイロン」と同じくエルコラーノで描かれた壁画で、「ヘラクレスとテレフォス」(65 - 79年作)。それぞれの人物がかなりダイナミックな表情を見せていて、一目見たら忘れないようなものだ。画面右側に後ろを向いて立つヘラクレスは、褐色の肌をしている。お尻がリアルですなぁ (笑)。
e0345320_22504440.jpg
これは「狩をするアレクサンドロス大王」。なんと、紀元前 4世紀末から紀元前 3世紀初頭という古さなので、アレクサンドロス大王本人の死から未だ数十年という頃の作ということになる。今は失われてしまったが、プケファロスという名馬に跨っていたと考えられている。10cmほどの小品であるが、なんという躍動感であろうか。狩をする英雄の姿に、理想の人間を人々は見たということだろうか。
e0345320_22540136.jpg
題材的にミケランジェロに通じる、彼と同時代の作品から、「ゴリアテの首を持つダヴィデ」。作者不詳であるが、16世紀後半の作とされ、恐らくは箪笥などに嵌め込まれる用途で作られたとのこと。リアルさと幻影、力強さと繊細さが入り混じった素晴らしい作品である。
e0345320_22583802.jpg
そして展覧会は、ミケランジェロその人の作品へ。これは「ダヴィデ = アポロ」(1530年頃作) で、フィレンツェのパイジェルロ国立美術館蔵。この奇妙な題名は、ダヴィデであるかアポロであるか分からないということらしい。
e0345320_23043639.jpg
この作品はミケランジェロ円熟期の作品であるが、フィレンツェで制作されている途中で作家はローマに去ってしまい、未完に終わったという。制作には当時のフィレンツェの不安定な政情も背景にあるようで、ミケランジェロはこの作品を、ヴァローリという時の権力者に献呈し、ローマ教皇クレメンス 7世 (メディチ家出身) との間を取り持ってもらおうとしたとされる。というのもそれ以前ミケランジェロは、フィレンツェ市民軍に身を投じ、教皇軍に歯向かった経緯があるからだという。このクレメンス 7世は、あのヴァチカンのシスティーナ礼拝堂の壁画「最後の審判」をミケランジェロに描かせた人であり、その意味ではミケランジェロの思いは通ったということになるが、結局クレメンス 7世は、「最後の審判」の完成を見ずに 1534年に亡くなっている。一方、ミケランジェロがこの彫刻を献呈しようと思っていたヴァローリは、その後反メディチとなり、1537年に斬首されたという。ミケランジェロ自身はその後 30年近くも生き永らえるわけであるが、結局この彫刻を完成させることはなかった。未完作品の多いミケランジェロであるが、まるで大理石の中から生を受けて浮かび上がる途中のようなこの作品も、紛れもないこの偉大な芸術家の呼吸を感じさせるような、感動的なものである。この物言わぬ彫刻が、当時の激動の歴史をどのように記憶しているのか、訊いてみたいものである。
e0345320_23124185.jpg
そしてもう一体展示されているミケランジェロの作品は、「若き洗礼者ヨハネ」。これはウベダというスペインの小都市にあるエル・サルバドル聖堂に安置されているが、1495 - 96年の作というから、ミケランジェロが 20歳そこそこという若き日に制作したものだ。
e0345320_23302417.jpg
e0345320_23304451.jpg
題名の通り、洗礼者ヨハネの若き日の姿であり、凛とした存在感を持っている。だが、この顔のまだら模様は一体どうしたことか。実はこの作品、スペイン内戦中の 1936年、無惨にも破壊されてしまったのだという。長い年月を経て、ようやく 2010年に至ってから、残された破片からもとの姿を復元する作業が始まったという。これは、破壊前のこの彫刻の写真。そして、この作品の残された 14の破片と、それを再現するために CG で作成された完成図 (もちろん、白い箇所が残存部分である)。なんとも痛ましい写真であるが、この作品がこの世に留まろうという執念を持っていたとすら感じる。それこそが、ミケランジェロが吹き込んだ命なのかもしれない。
e0345320_23362125.jpg
e0345320_23363086.jpg
e0345320_23363919.jpg
さて、ルネサンス時代に古代の遺跡が何か所も発掘され、その時代の芸術家に影響を与えたことは有名だが、とりわけよく知られているのは「ラオコーン」である。1506年にローマで出土したこの驚異の古代ギリシャ彫刻は、ミケランジェロにも衝撃を与えたことであろう。現在ヴァチカンで見ることのできるこの作品の表現力は強烈であり、美術好きなら、これを見ずに死ぬわけにはいかないという彫刻のひとつと言えるだろう。この「ラオコーン」には、発見された 16世紀以来のコピー作品が幾つかあるが、本展には、1584年にヴィチェンツォ・デ・ロッシという彫刻家が作成したコピー (ローマの個人所蔵) が出展されており、自由に写真を撮ることができる。以下は、がその場でスマホによって撮影した写真。周囲をぐるりと回ってみることができるのが有難い。まぁもちろん、オリジナルの迫力には及ばないが・・・。
e0345320_23510473.jpg
e0345320_23513237.jpg
e0345320_23514523.jpg
ミケランジェロという芸術家は、生涯を通して、自分に対して厳しい姿勢を貫いた人であったと思う。強い意志の力と、燃えるような芸術への情熱で、たったひとりの力で数々の奇跡的な作品を作り出した。だが、彼の創作の裏には、古来西洋美術で行われてきた人体表現の伝統が、脈々と流れていたこともまた確かだろう。天才のみが歴史を作るのではない。むしろ、有名無名の数知れぬ先人たちが築いてきた素晴らしい歴史がまずあって、その歴史を引き受けることで可能になった創作活動によって、永遠の命を築くことのできる人を、天才と呼ぶべきではないだろうか。

by yokohama7474 | 2018-08-27 23:57 | 美術・旅行 | Comments(2)

ハンス・グラーフ指揮 東京都交響楽団 (ピアノ : カティア・スカナヴィ) 2018年 8月25日 サントリーホール

e0345320_21192219.jpg
8月も下旬。子供たちはそろそろ夏休みも終わりである。だが音楽シーズンの開始は 9月。この時期は未だ新シーズンの開幕には早い。私自身も、東京でフルオーケストラの編成でのコンサートを聴いてからそろそろ 1ヶ月が過ぎ、早くコンサートシーズンの再開が待ち遠しいのであるが、もう少しの我慢である。だが、東京でのオーケストラの競争過多によるものであろうが、この 8/25 (土) には、早くも 2つのオーケストラが海外から指揮者を呼んで、9月に先立つかのような「本格的」なコンサート (いずれも定期演奏会ではない) を開始した。ひとつは東京芸術劇場でコンサートを開いた読売日本交響楽団、そしてもうひとつがこの東京都交響楽団 (通称「都響」) である。この日の都響のコンサートは、サントリーホールにて 14時からの開催。実はその日の 15時からは、同じサントリーホールの小ホール (ブルーローズ) では別の演奏会も開かれていて、そちらも大変興味深いもの。それは何かというと、既にほかの日の公演をここでご紹介した、サントリーホール サマーフェスティバル 2018 の一環として開かれた、イェルク・ヴィトマンの作品による演奏会である。実はどちらに行こうか結構悩んだのであるが、ヴィトマンの作品及びクラリネット独奏は、以前カンブルランと読響の演奏会で聴いたことがあり、このブログでもご紹介した。それゆえ私が選んだのはこの都響による演奏会。それというのも、 指揮者に対する期待があったからだ。
e0345320_21313491.jpg
ハンス・グラーフ。1949年生まれのオーストリア人の名指揮者で、今回が都響との初共演である。私のイメージにおける彼の主要な功績は、ザルツブルク・モーツァルテウム管の音楽監督であり、ウィーン・フィルの指揮台にも登壇して、充実のモーツァルトを聴かせてくれていた人であるというもの。ここであえて過去形を使ったのは、最近の活動にあまりイメージがなかったからだが、2001年から 2013年まではヒューストン響の音楽監督であったという。なるほど、ということは、クリストフ・エッシェンバッハの後任であったわけである。ほかにも彼がポストを持ったオケは数々あり、決して超一流ばかりではないが、上記のようなモーツァルト演奏だけではない、様々なオケとの多様な経験が、必ずや彼の芸術に奥行を与えているはずだ。彼は決して派手さはない指揮者なのでであるが、ちょっと安心したことに、会場はほぼ満席状態。東京のファンの趣味のよさが分かろうというものである。そして今回グラーフが指揮するのは、以下のように多彩なプログラム。
 モーツァルト : 交響曲第 34番ハ長調 K.338
 サン=サーンス : ピアノ協奏曲第 2番ト短調作品22 (ピアノ : カティア・スカナヴィ)
 ドヴォルザーク : 交響曲第 8番ト長調

なるほど、オーストリア、フランス、チェコという組み合わせ。だがこの曲目、なんとも楽しそうではないか。やはり私はグラーフのモーツァルトが聴きたいと思ったし、ドヴォルザークも面白そうだ。サン=サーンスはモーツァルトと通じる明るさもあり、その一方で、時に劇的にオケを鳴らす際には、チェコのような中央ヨーロッパの味との共通点も出て来る。それから、1曲目のモーツァルトと 2曲目のサン=サーンスの意外な共通点は、双方ともタランテラ舞曲またはそれに類するパターンで書かれていること。タランテラとは、毒蜘蛛 (タランチュラ) に噛まれると、その毒を抜くために踊り狂わなくてはならないといういわれをもつという激しい舞曲。シンフォニーの分野では、なんと言ってもメンデルスゾーンの 4番「イタリア」の終楽章がその舞曲であることはよく知られている。だからここでも、メインを「イタリア」にする手もあったかもしれないが、ドヴォルザーク 8番も、タランテラではないにせよ、大いに盛り上がる終楽章を持っている。これは面白そうだ。

実際に聴いた感想を一言で要約すると、この演奏会は大変に素晴らしい内容で、このクラスの指揮者を今の都響で聴くことのできる幸運を噛みしめることとなった。特に最初のモーツァルトは、弦楽器の多様なニュアンスが随所に溢れていて、指揮者の要求する流れを万全に音にしていたと思う。このような演奏を言葉であれこれ語る虚しさを覚えるのであるが、例えてみれば、キラキラと様々な方向からの光を反射するような美しいモーツァルトであった。グラーフも終演後は満面の笑みで、オケの貢献を称えていた。これは、モーツァルトの生地ザルツブルクの、その名もモーツァルテウム管弦楽団を指揮した、ハンス・グラーフによるモーツァルト全集のジャケットである。
e0345320_22170866.jpg
2曲目のサン=サーンスのコンチェルトを弾いたのは、1971年モスクワ生まれのカティア・スカナヴィ。ロシア人ながら、ギリシャ人の血も入っているという。
e0345320_22215830.jpg
このサン=サーンスの 2番のコンチェルトは、それなりに知名度のある曲であるが、妙にドラマティックな箇所と軽妙な箇所との交代が多く、とりとめなさは否めず、結構厄介な曲かもしれない。部分部分では、大変いい曲だと思わせる要素はあるが、その興奮はあまり継続せず、オケが沈黙を決め込んでピアノがソロで頑張らなくてはならない箇所も数多い。だがこのスカナヴィの演奏は、とにかくドラマ性も軽妙さも引き受けるという度胸を感じさせるもので、その確信に聴き手も圧倒されることとなった。響きも大変に美しく、なかなかの技量を持ったピアニストである。ここでも都響は隅々まで神経の通った音で伴奏をして、こちらも見事。スカナヴィがアンコールとして弾いたのは、ショパンの夜想曲第 20番嬰ハ短調。あの「戦場のピアニスト」で印象的に演奏されていた曲だ。ここでスカナヴィは、感情の高揚に応じてテンポも上げ、極めてロマンティックな音楽を聴かせた。

そしてラストのドヴォルザークも、職人的な音の流れを持った質の高い演奏。どこかが特に個性的ということはないのであるが、時に民俗的な旋律美に溢れたこの曲の持ち味を、十全に引き出していたと思う。指揮者の身振りと出て来る音の相関関係を注意して見ていると、とても初顔合わせとは思えない呼吸のよさである。もちろん、第 3楽章冒頭の流れるような弦楽器の美しさも万全で、これがアンサンブルの基本というのではないか。ただただ、オーケストラ音楽の楽しさを堪能させてもらった。指揮者もきっと、都響の演奏に満足したのであろう。カーテンコールのときのグラーフは再び満面の笑顔であった。スケジュールを見ると、今回の顔合わせでのコンサートはこの日の 1回きり。これは少しもったいないような気がする。是非またマエストロ・グラーフには、都響の指揮台に帰って来て頂きたい。現在 69歳であるから、これからきっと円熟の境地に入って行くことは間違いない。東京にいながらにして聴くことのできる指揮者の水準は、世界でも稀に見るほど高いものであるが、アンサンブルのしっかりしたオケなら、彼の持ち味をきっちりと音にすることができるのであり、それは実に豊かな音楽体験になるのである。
e0345320_22500075.jpg

by yokohama7474 | 2018-08-26 22:50 | 音楽 (Live) | Comments(0)

スターリンの葬送狂騒曲 (アーマンド・イアヌッチ監督 / 原題 : The Death of Stalin)

e0345320_23591112.jpg
またしても、邦題への違和感から始めよう。本作の原題はずばり、「スターリンの死」。どこにも「葬送狂騒曲」という表示はない。そもそもこの「葬送狂騒曲」という言葉は一般的なものではなく、この映画のために作られたものだろう。「葬送行進曲」と、何やら慌ただしい雰囲気の、これも造語である「協奏曲」ならぬ「狂騒曲」をかけているのだろう。正直なところ、これってなにか子供だましな感じがしないだろうか。ほかの例でも様々に見てきたが、洋画の邦題に奇妙な (というか、私に言わせると余計な) 説明的言辞が多いのは一体なぜだろうか。これはいつか真面目に考えてみるべき問題であるように思う。これが実際のスターリンの肖像写真。歴史上は悪魔のような独裁者という評価がほとんどである一方で、ロシアの中では、今日でも強力な指導者として敬意を払う人も結構いるのだと聞く。
e0345320_21441752.jpg
この映画は日本全国爆発的大ヒットというわけではないようなので、ご存じない方も多いかと思うが、要するに 1953年、ソ連の独裁者スターリンが死去した直後の権力者たちの後継者争いをブラックに描いたもの。常識的なイメージでは、スターリンの死後はフルシチョフが政権の座につき、スターリン批判を行って、東西冷戦の雪解けにつながったという評価が一般的であると思うが、物事はそう簡単に運んだわけでないことが、この映画を見るとよく分かる。上に「ブラック」と書いたが、いやそれはもう、こんなにブラックな映画もちょっとないと思われるほどの強烈さであるが、個々の人物の細かい発言内容はともかく、ここで描かれているストーリーはすべて事実に基づくものであることに、背筋が寒くなるものを感じる。スターリンは死の前夜、側近たち、つまりは件のフルシチョフ、スターリンの補佐役マレンコフ、KGB の前身である公安部隊 (「粛清」の実働部隊) のヘッドであったベリヤの 3人を中心とする高官たちと晩餐をともにする。翌朝スターリンは部屋で一人でいるときに脳梗塞で倒れるが、寝室には誰も入ることを許されていなかったため、発見が遅れてしまう。その後、上を下への大騒ぎの中で一度意識を取り戻すものの、言葉を発することなく死去。そして、上記 3人や大臣たち、軍の最高司令官などが、なんとも醜悪な権力闘争に入って行くという物語。晩餐で上機嫌だった最高権力者は、翌朝には、失禁して床に倒れた状態で発見されるのだ。ああ無情。
e0345320_11384200.jpg
e0345320_11404030.jpg
もちろんどんな時代のどんな国であっても、強大な権力を持った指導者がこの世を去ると、醜い後継者争いが起こるのは人の常である。日本でも例えば、織田信長亡きあと、秀吉が次のリーダーとして地歩を固めて行く際の清洲会議などには同様の趣きがあり、三谷幸喜監督による映画「清須会議」では、人間心理の機微が面白おかしく描かれていた。ところがこのスターリンの場合には、まあ確かに笑ってしまう要素は多々あるものの、その内容がブラックであればあるほど、無邪気に腹を抱えて心底笑う気にはなれない。もちろん、「清須会議」が既に 400年以上前の昔の話であるのに対し、スターリンの死はたかだか 55年前という時間的な事柄も関係していようが、時代性よりもむしろ、人類の歴史が二度の悲惨な大戦争を巻き起こしたあとの、一体世界はどうなるのかという人智を超える問いこそが、人々の恐怖の源泉になったものであると思う。つまり、スターリンとは、ただ悪魔的な個人の施政者であったのではなく、その地位には、世界秩序の一端を担うソヴィエト共産主義のトップとしての重みがあったがゆえに、彼が主導した血も凍るような粛清は、人間存在にとっての根底的な恐怖にすらなっていたということだろう。もちろん音楽ファンにとっては、ショスタコーヴィチの作曲活動がその典型例であるし (実際この映画では、いかにもショスタコーヴィチ風のオリジナル音楽が随所に使われていた)、映画でも、ロシア人アンドレイ・コンチャロフスキー監督の米国映画「映写技師は見ていた」(1991年の作品で、主演はあの「アマデウス」でモーツァルトを演じたトム・ハルス) などでも、恐怖に支配されたスターリン時代の様子が描かれていた。もちろん現代日本において、スターリン時代について今何か考えてみるべき危急の要素があるとは思われず、このような悪魔的な存在については、今後の人類の歴史の中でも度々振り返っていかれるであろうと、私は考えている。その意味では、このブラックな笑いに満ちた仮借ない映画を見に行くことには、それなりに意味がある。なぜならばそれは、どこまでも特定の時期の特定の場所の実話でありながら、人間という存在の危うさを見る者に突きつける映画であるからだ。ネット上で、この映画のセリフがロシア語ではなく英米人俳優による英語であることを採り上げて、リアリティがないという意見を見たが、私の思うところ、言語は全く大した問題ではない。むしろロシア語であったならば、さらに救いのない映画になってしまったことだろう。スターリン時代からは既に時代も移り変わっているはずであるのに、この映画はロシアでは上映禁止となり、その他のヨーロッパ各地や米国、オーストラリアなどでは大ヒットしているという。それだけこの映画の内容は、ロシアの人たちには刺激が強すぎ、ヨーロッパの人たちもそれぞれ過敏に反応する、ということだろう。これは、映画の中のスターリンの遺体と、現実におけるそれ。
e0345320_22271337.png
e0345320_22295717.jpg
題材のことばかりでなく、純粋に映画としてのトータルな評価も書いてみたいが、正直なところ私には、この監督の手腕がいかほどに優れたものであるのか、映画の内容を思い出してもよく分からない。ここで監督しているのは、1963年スコットランド生まれの、ということは、スターリンの死後 10年を経過してからこの世に生を受けた、アーマンド・イアヌッチという人。
e0345320_22322599.jpg
これまでの彼の作品で、我々にとってなじみのあるものはないが、辛口政治コメディを描く手腕を高く評価されているとのことで、まさにこの作品の監督にはうってつけである。だがプログラムに載っている彼自身のコメントには、以下のようなものがあって、考えさせられる。

QUOTE
本作を手掛けるにあたって意識したのは、1930年代から 50年代にかけて当時何百万の人々が命を落とし、姿を消したという事実を決してないがしろにしてはいけないということ。避けて通ったり、軽いジョークで簡単に片づけたりできる歴史ではない。映画制作のすべての段階において、このことを念頭に置き、細心の注意を払う必要があった。
UNQUOTE

なるほど、さもありなんである。それゆえ、私の上記のような私の感想も、あながち無責任なものではなく、真摯にこの映画に向き合うほどに、仮借ない人間の姿に唖然としてしまうのである。だがそんな私にとって、この映画における数少ない (?) 救いのひとつは、曲者フルシチョフを演じるのが、あのスティーヴ・ブシェーミであるということだ。その「髪形」も含めて迫真のリアリティを持つ彼のフルシチョフを、本物のフルシチョフの写真と並べてお目にかけよう。ええっと、どっちが俳優でどっちが本物かは、説明の必要はありませんよね (笑)。
e0345320_22411481.jpg
このブシェーミ、私にとってはもちろん、あの偉大なるコーエン兄弟の往年の作品の数々でその演技を楽しませてもらった俳優で、特に「ファーゴ」での「変な顔」の演技が忘れがたい。実年齢では未だ 60歳なので、これからもますます個性的な演技が期待できるだろう。「ファーゴ」は 1996年の作品。
e0345320_22453994.jpg
少し、このブログならではの、音楽とのかかわりについて書いておこう。この映画の冒頭で演奏されているのは、モーツァルトのピアノ協奏曲第 23番。まあそれはそれは美しい曲なのだが、ここでピアノを弾いている若い女性ピアニストは、マリアという名前である。演じる女優オルガ・キュリレンコは 1979年ウクライナ生まれ。「007 慰めの報酬」(2008年) ではボンドガールを演じている。
e0345320_22535247.jpg
この映画では、どうやらスターリンはこのマリアというピアニストをお気に入りであり、それが間接的に彼の死にも関係しているような描き方になっている (現実世界では、側近のベリアのよる毒殺という説が根強いらしいが)。私はこの映画を見たときは何も気にならなかったのだが、帰宅してからふと考えた。ロシアのピアニストで、マリア・・・。むむむ、もしかしてこれは、マリア・ユーディナ (1899 - 1970) のことか??? ちょうど HMV のオンラインショップのページを開くと、これから 1ヶ月ほど後に発売されるこのピアニストのアンソロジー (26枚組) の宣伝を見ることができる。彼女は実際にスターリンのお気に入りのピアニストであったというが、ユダヤ人でありながらロシア正教 (共産党政権下では御法度) への信仰を明らかにし、また、当時の西欧の前衛音楽を擁護したらしい。それから、ショスタコーヴィチとは学生時代からの友人であったとのこと。なるほど、彼女の音楽を聴いてみると、スターリン時代についてさらなるヒントがあるかもしれない。
e0345320_23040689.jpg
このように、ただブラックな描写を笑っているだけではなく、その時代の空気を想像することで、人間という存在の弱さと恐ろしさに思いを馳せることのできる、なかなかに貴重な映画である。決して多くの人たちにお薦めしようとは思わないが、政治と文化、あるいは社会と個々の人間というテーマに少しでも興味のある人は、是非見に行かれるべきと申し上げておこう。

by yokohama7474 | 2018-08-25 23:07 | 映画 | Comments(0)

山田和樹指揮 東京混声合唱団 2018年 8月23日 横浜能楽堂

e0345320_23085737.jpg
このブログでは既におなじみの若手指揮者山田和樹は、モンテカルロ・フィルの音楽監督やスイス・ロマンド管の首席客演指揮者などの海外での活動に加えて、日本でも幾つものポストを持って、その童顔からは考えられないような超人的な活躍を行っているが、その彼の日本でのポストのひとつは、東京混声合唱団 (通称「東混」) の音楽監督である。このコンサートはその山田と東混による特別演奏会。実は私はこんなに面白いコンサートがあることをつい最近まで知らなかったのだが、ダイレクトメールで送られてきた神奈川芸術プレスという小冊子で知り、急遽チケットを購入したものである。実はこの日の公演は 14時からと 19時からの 2回。本当は 14時の回にしたかったのだが、既にチケットは完売。そして 19時の回にしたのであるが、そちらも売り切れに近い状態であった。危ない危ない。本当に東京とその近郊のコンサートをなめてかかってはいけないのである。

さて今回の演奏会のユニークな点は、まずはその会場である。横浜能楽堂。なぜに能楽堂で合唱のコンサートが開かれるかというと、東混は 5年連続で、神奈川県立音楽堂での演奏会シリーズを行っていて、今年が 3年目であるところ、現在県立音楽堂は改修中。それゆえ代わりの会場として、山田の意向によってこの場所が選ばれたという。この能楽堂、私も今回が初めての訪問であるが、県立音楽堂のちょうど裏手に位置している。実はこれは関東地方で現存最古の能舞台であり、建造は実に明治 8 (1875) 年というから、140年以上も前である。東京・根岸の旧加賀藩主・前田斉泰邸に建てられたが、その後は東京・染井の松平頼寿 (この人は、つい先般このブログの記事で採り上げた香川県・旧讃岐高松藩の最後の藩主、松平頼聰の息子である) の邸に移築された。東京にはもともと古い沢山能舞台があったが、戦争で焼けなかったのはたったの 4つで、これはそのうちのひとつであったが、1965年には解体されてしまう。その後、保存されていた部材を使って、横浜で復元したのがこの能舞台であるという。現在では横浜市指定有形文化財に指定されている。そう思って見ると、なんとも神韻縹渺たる舞台ではないか。
e0345320_23323478.jpg
この由緒正しい舞台での公演、上のチラシにある通り、テーマは「伝統芸能と合唱の出会い」。曲目は以下のようなものだ。
 スティーヴン・リーク (1959年オーストラリア生まれ) : コンダリラ
 ヴィラ=ロボス : ブラジル風バッハ第 9番
 柴田南雄 : 萬歳流し 秋田県横手萬歳によるシアターピース
 合唱によるフリージャズ
 柴田南雄 : 追分節考 シアターピース

山田のコンサートではよく、指揮者自身が舞台でトークをすることがあるが、今回もそうで、時にユーモアを交えながら、このコンサートの背景や意図、そしてそれぞれの曲の解説を行った。巨大コンサートホールではないので地声でもちゃんと客席に届き、面白そうにあれこれの事柄を語る山田は大変リラックスしているように見えた。最初の「コンダリラ」という曲は、オーストラリアの原住民アボリジニの伝統音楽をもとにしており、最初は男性歌手たちが、舞台下手の入り口からの通路の部分、橋懸かりというのだそうだが、そこに陣取って、台地の震えのような長い長い声を出し、一方で客席のあちこちに女性歌手たちが現れて、また神秘的な声を伸ばして行く。このような曲を聴くときには、漂う声たちに囲まれるという体感が何より大事である。日常の些事を忘れる瞬間であった。これはアボリジニによるアート。
e0345320_23520405.jpg
2曲目は、ブラジルの作曲家ヴィラ=ロボスによる、ブラジル風バッハというシリーズの第 9番。このシリーズはそれなりに有名だが、さほど頻繁にコンサートホールの曲目になっているとは思われない。私は作曲者自身によるこのシリーズ作品の録音を持っていて、時々聴いているが、かといってそれほどに親しんでいるとは言い難い。今回、手元の CD でその作曲者自作自演の弦楽合奏版を聴いて行ったが、今回の山田の解説によると、この曲はもともと合唱のために書かれたが、演奏不可能とされて、弦楽合奏で演奏されるようになったという。だが今回の山田と東混の演奏では、実に表情が豊かで、簡単に聴こえたとは言わないが、技術的な難易度を超えた美を聴くことができた。そして、最後の音が消えたあと、コンサートホールでもないのに、残響が聴こえた。山田がその場で語ったことには、「あのあたり (と橋懸かりを指して) に音が残りましたね。これは、昼の公演にはなかったことです」とのこと。音の響きの神秘を感じるではないか。これがヴィラ=ロボス自作自演セット CD のジャケット。
e0345320_00003814.jpg
さて、山田自身が語るには、今回のコンサートの目玉は、2曲の柴田南雄 (みなお) 作品。いずれもシアターピース、つまり、ただステージで演奏されるのではなく、奏者が舞台上や客席内を歩き回る形態の作品。その 2作品のうち、まずは「萬歳流し」である。これは 1975年の作品。実はこの「萬歳」はそのまま「まんざい」と読み、新年を寿ぐ 2人組による話芸で、いわゆるお笑いの漫才のもとになった伝統芸能であるらしい。以前は各地に存在していたが、既に絶滅寸前であるようだ (もっとも、復興に力を入れている地方もあるらしいが)。柴田がこの曲を作曲した際には、秋田県の横手市で、本当に伝統的な萬歳を行う最後の 2人組に取材をしたとのこと。今回の演奏では、7組が別々の萬歳を滔々と続け、そこに女声合唱が絡むもので、ここでも果てしない無数の音の絡まり合いが、なんとも面白い。柴田作品にかける山田の情熱は、以前も触れたことがあるが、なるほど、高度な技術を持つ合唱団を持っていれば、これはやってみたくもなるだろう。シアターピースなどとは今どきあまり流行らないようにも思うが、実際に体験すると、なかなか面白い。私もそのような過去の体験から、シアターピースに留まらず、柴田の作品の CD を沢山持っているが、やはり、実演で聴く機会は、なんとも貴重である。知性溢れる柴田の晩年の肖像。
e0345320_00200069.jpg
その意味では、最後に演奏された「追分節考」はさらに聴きごたえ充分。これは 1973年の作品で、ほかならぬこの東混の委嘱によって書かれたもの。山田いわく、「東混ではもう何千回も演奏してきた」作品である。ただ、即興によって歌われるため、一度としてほかと同じ演奏はないということになる。ここでは山田は能舞台に設けられた席に腰掛け、何やら文字の書いた団扇を立ててはしまうことを繰り返し行っている。演奏後に種明かしがあったことには、その山田が選んだ文字によって歌う歌が決まるとのこと。またここでは、尺八も即興で演奏に参加する。通常は 1本のみだが、今回は特別に 2本が入った。関一郎と藤原道山の 2人の奏者の演奏はいずれも見事。それにしてもこの作品、能楽堂で聴いていると、なぜとはなしにノスタルジックに響くから不思議である。ここには、音と音の間に運命のようなものを感じるし、そこに日本社会の過去の姿が写り、気がつくと自分もその一部に連なっているような既視感と切なさを覚えるのである。引き合いに出して申し訳ないが、前日に鑑賞した野平一郎のオペラ「亡命」には、このような感覚が徹底的に欠けていたのである。これは今回出演した 2人の尺八奏者で、上が関、下が藤原。
e0345320_00321183.jpg
実は 2曲の柴田作品の間、つまり休憩のあとすぐの後半 1曲目には、合唱によるフリージャズというセッションがあった。山田によると、東混の、この神奈川県民ホールシリーズにおける第 4弾である来年は、ジャズを採り上げようと思っていて、今回のセッションはその準備のようなものだとのこと。とにかく何の打ち合わせもなく、キーの設定もなく、全員が即興で歌ったり音を出したり、あるいは体を動かしたりする。舞台に座っている山田がそれを見て、閉じた扇子で誰かを指さすと、ほかの人たちも彼または彼女に合わせたパフォーマンスをするというものであった。だが正直これは、あまり楽しめなかった。インプロヴィゼーションにしては人数が多すぎるし、個人対個人ではなく、グループ対グループになる点に限界があったと思う。山田自身、演奏後に「これをアートにしたいんですよ」と語っていたので、来年までには何か作戦を練って来ることだろう。尚、即興で歌う合唱団が絡む相手は、「大物であればあるほどよい」として、ある大物ジャズピアニストの具体名を出していたが、実現すれば面白いことになるだろうと思う。これはイメージです (笑)。
e0345320_00422231.jpg
アンコールとしては、まずは尺八 2本による即興があり、これは見事。山田も、「これはアートになっていますねぇ」と感心しきりであった。それから最後にもう 1曲、「さくら」であったが、これは武満徹の編曲による、様々に和声や調性を凝った複雑なもの。能楽堂一杯に広がる抒情に、心打たれない人はいなかっただろう。山田和樹という音楽家についてより深く知る機会にもなり、これを聴くことができて本当によかったと実感したのである。もしこの記事をご覧になって、聴き逃したことを悔しがる方がいたとすると、耳寄りな情報がある。山田と東混は、8/25 (土) に江戸川区総合文化センターでもコンサートを開くのである。曲目編成はこれとはかなり異なるが、柴田南雄の「追分節考」は含まれている。チケットがまだ残っているか否かは知らないが、調べてみる価値はあるかもしれません。

by yokohama7474 | 2018-08-24 00:47 | 音楽 (Live) | Comments(0)

サントリーホール サマーフェスティバル 2018 野平一郎 オペラ「亡命」世界初演 2018年 8月22日 サントリーホールブルーローズ

e0345320_10330741.jpg
これは毎年夏にサントリーホールを舞台に開催される現代音楽のイヴェントの一環であるが、これまでは「サントリー芸術財団 サマーフェスティバル」という名称であったものを、今年から「サントリーホール サマーフェスティバル」と改名した。見たところ、会場がサントリーホールであることはもちろん、テーマ作曲家が設定されていたり、芥川作曲賞の選考演奏会があったりと、内容にも変更はない。「芸術財団」という堅い漢字よりも、「サントリーホール」という会場の名称を使う方が親しみやすいようにも思われる。ただこの「サマーフェスティバル」いう軽いノリの名称とは裏腹に、その内容は実にハードな現代音楽の祭典だ。過去にもこのフェスティバルの演奏会を記事として採り上げているが、このような文化的に意義の大きいイヴェントを継続して開催しているサントリー芸術財団に、改めて敬意を表したいと思う。

このフェスティバル、今回のプロデューサーは、作曲家でありピアニストであり指揮もする、野平一郎。1953年生まれの 65歳である。
e0345320_09160674.jpg
このブログでも過去に彼の出演するコンサートを何度か採り上げたことがあるが、私は特に彼のピアノ (現代音楽だけではなくベートーヴェンの録音なども含む) 演奏に触れる機会がこれまでにそれなりにあったところ、生演奏で彼の作品を聴いたことは、確かないはずだ。今や間違いなく日本を代表する作曲家のひとりである彼の作品を聴いてみたいと思っていたところ、今回はなんと、彼の新作オペラの世界初演である。これは行かねばならない、と早くから思ってはいたのだが、8/22 (水) と 8/23 (木) の 2日間行われる公演のうち、どちらにしようかと迷いながら、まあどうせこんな現代音楽はガラガラだろうと高をくくっていた。ところが、期日が近くなって、そうだそうだと調べてみると、なんと、客席数 300ほどのサントリーホールブルーローズ (小ホール) のほとんどの席は売れてしまっていて、最後列のいくつかしか残っていない!! 危ないところであった。そして会場に出向いてみると、何人かの評論家に加え、日本の作曲界の大御所である湯浅譲二、中堅の権代敦彦、もと N 響コンサートマスターの堀正文、ハープの吉野直子など、錚々たる人たちが客席にいるではないか。つまりこれは、東京で行われる最上級の音楽イヴェントのひとつであったのである。但し、ひとつ気づかざるを得ないのは、聴衆の年齢層の高さ。以前も書いたことがあるが、私の若い頃には、この種の現代音楽の聴衆には、学生や、ちょっと変わった格好をした (?) 若者たちなどが集い、活気がもう少しあったものだ。現状を嘆いてもどうしようもないのかもしれないが、10年先、20年先を思うと、穏やかな気持ちではいられない。

ともあれこの作品、上記の通り今回が世界初演。会場に着く前には勝手に、1時間くらいで終わってしまう凝縮された作品かと思っていたら、なんのことはない、10分間という短い休憩を挟んで、19時開始、21時20分終演という長さであった。オペラと名付けられてはいるが、オケの編成はたったの 6名 (作曲者自身が指揮) で、歌手は 5名だが、多くの役を兼ねて歌う。舞台装置のない演奏会で、奏者が舞台に登場する際も照明は落としてあるので、開始時には拍手がなく、神妙に始まって神妙に終わることとなった。内容は、タイトルの「亡命」そのままで、1950年代にハンガリーで活動していた二人の作曲家がおり、一人は西側に亡命、もう一人は祖国に残り、2017年時点でお互いの境遇について話し合うというもの。台本を野平の妻である野平多美 (やはり作曲家であり音楽評論家でもある) が手掛けており、ロナルド・カヴァイエというピアニストで歌舞伎評論家という人が英訳している。よって上演は英語で行われ、舞台後方に日本語字幕が出るという方式であった。これが野平夫妻。
e0345320_09583270.jpg
さてこの作品であるが、正直なところ、鑑賞して若干戸惑うところがあった。まず音楽は、紆余曲折があるというよりは、個々の楽器がのべつ動いているような印象で、野平が音楽を学んだフランスの地に伝統的にある香気よりは、ドイツ表現主義風の陰鬱さを感じさせるものだったと思う。音が旋律を構成せずに切れ切れに宙に舞っている、とでも言えばよいのだろうか。ただ、ほとんど唯一と言えそうな例外は、終結部のチェロのソロで、ここだけは抒情的であった。そう、抒情・・・この要素をこの作品に聴くことはほとんどできない。歌手たちも、事象や事務的なことを言葉にして歌うことがほとんどで、内面の吐露はないし、重唱すらもない (何度か 5人全員で歌詞なしに一緒に歌う箇所はあったが)。いや、これらは決して音楽の弱点と呼ばなくてもよい事柄だろう。私にとって最も違和感があったのは、その台本である。これだけの長さを費やして、ここで作り手たちが伝えたかったメッセージは何なのであろうか。かつて存在した共産主義体制と、それが崩壊して世界の秩序が見えにくくなっている現在との比較において、個々の芸術家が何を考えたかという点かと思いきや、ここでの歌詞は、架空の作曲家ベラ・ベルケシュとその家族が亡命し、そしてその友人であるやはり架空の作曲家ゾルタン・カトナとその家族が亡命に失敗するまで、その過程における現実的な会話に、少し回想シーンが加わるもの。詩的な歌詞というものは存在しない。そしてベルケシュの亡命後の活動を描く場面では、シュトックハウゼンやマウリツィオ・カーゲルという実在の作曲家が登場し、ブーレーズやリゲティやマデルナの話をする。もちろん現代音楽愛好家にとってはこれらはなじみの名前であるが、うーん、「亡命」(しかも、時になぜか『エグザイル』などとカタカナで出て来る) という、政治的な香り、危険な雰囲気、決然たる覚悟を思わせるタイトルと、どうにもそぐわない感じがしたものである。しかも、字幕では「ドアの呼び鈴」とか「電話の着信」とかの説明は出るし、歌手が様々に役を入れ替わるので、今歌っているのが誰なのかも、字幕で説明が出るのでようやく理解できる。のみならず、時には歌手が語り手となってストーリーを語る。そうすると一体、音楽の役割は何なのであろうか。プログラムに掲載されている野平多美とロナルド・カヴァイエの対談では、リゲティやクルタークというハンガリーの作曲家の名 (それぞれ、本人や家族と面談したという・・・もちろんリゲティは故人なので本人にはもはや会えないのであるが、前者は亡命し、後者は祖国に留まっている) が出て来るし、それから、このオペラの登場人物たちのファーストネーム、ベラとゾルタンから誰でもすぐに思い当たる、バルトークとコダーイ (前者は国外に移住、後者は祖国に留まった) の名前にも触れられている。だが、このオペラは、政治体制の変化が個々人に与えた影響とか、芸術家の望郷の念とかを、想像力を駆使して描くことに、ちょっと無関心すぎではないだろうか。さらに言えば、この平和な国に住む我々としては、この作品のテーマはなかなかに皮膚感覚を覚えられないものであるがゆえに、この 2018年の今日、東京でこのオペラが初演される意味は一体なんだろうと、考え込んでしまった。ここで、ニューヨークのカーネギーホールからほど近いところにあるバルトーク最後の住居に作られた彫像を、参考イメージとして掲げておこう。私はこの彫像が大好きで、前を通るたびにバルトーク (戦時中の移住であり、「亡命」ではないが) の心の中の暗黒とユートピアに思いを馳せるのである。
e0345320_10402763.jpg
ところで今回の演奏陣には、ヴァイオリンの川田知子、チェロの向山佳絵子、フルートの高木綾子など、ソリストとして知られる人たちが含まれていたし、歌手陣も、ソプラノの幸田浩子など充実の陣容であったので、演奏水準は高かったと思う。特にフルートの高木 (先般のアラン・ギルバートと都響の演奏会への出演も印象的であったが) は、アルトフルートをメインに、時にそれをピッコロと見える小さな楽器に持ち替え、能管のような鋭い響きを駆使していて、素晴らしいと思った。このような一流の演奏家による新作の初演には、たとえ結果的にその作品に全面的に共感しなくても、やはり足を運ぶ価値があるものだということは、ここで改めて述べておきたいと思う。

by yokohama7474 | 2018-08-23 10:45 | 音楽 (Live) | Comments(0)

ジュラシック・ワールド 炎の王国 (J・A・バヨナ監督 / 原題 : Jurassic World ; Fallen Kingdom)

e0345320_01032047.jpg
「ジュラシック・パーク」シリーズの第 5弾で、前作に続く「ジュラシック・ワールド」の 2作目である。夏休みでもあり、これは家族で見に行こうとされる、また、実際にされた方も多いと思う。だが、私が実際に見てみて、余計なことながら心配になったのは、はて、これを家族でご覧になって盛り上がるだろうかということである。簡潔に申し上げれば、これはどう見ても子供向きの映画ではない。いやもちろん、これまでのシリーズにおける恐竜のリアルな表現はますますグレードアップしているとは言えるだろう。恐竜が暴れまわるだけでも迫力はあるわけだから、それで家族全員大盛り上がりとなるならば大変結構なのだが、思い起こせば既に 25年前、1993年の第 1作のワクワク感を思い出すと、話の内容は随分と陰鬱なものになっていると実感する。つまりここでのストーリーは、前作で「ジュラシック・ワールド」として復活した恐竜のいるテーマパークの存在する島で火山が噴火するところから始まるのだが、そもそもこのテーマパークが恐竜の血を吸った蚊の化石から取り出された DNA から始まったことが回帰される。結局、放置しておけば溶岩流に飲み込まれてしまう恐竜たちを救い出して金儲けしようという悪い奴らと、それと戦う良心のある人たちの物語になっている。主役は前作と同じ、クリス・プラットとブライス・ダグラス・ハワード。
e0345320_01443616.png
ここでふと思い立って、前作「ジュラシック・ワールド」に関するこのブログの 3年ほど前の記事を読み返してみると、あーあ、なんだか随分けなしていますなぁ (笑)。この女優さんは映画監督のロン・ハワードの娘であるということも、自分の記事で思い出したのだが、まあそうですね。私はあまり裏表のある人間ではないので、つい正直な感想を書いてしまう傾向があると再認識した面は否めない。つまり、「ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー」シリーズでその演技を楽しませてもらっているクリス・プラットの持ち味に比べて、このブライス・ダグラス・ハワードは、結構頑張っているとは思うものの、この作品に強い線を通すほどの貢献はないと、思わざると得ないのである。やはりこのクリス・プラット演じるオーウェン・グレイディの出演シーンとしては、この映画の予告編でも使用されたこのシーン、彼が育てて教育したヴェロキラプトルのブルーとの再会が、なかなかよい。
e0345320_01534361.jpg
スペクタクルという要素では、恐竜たちのいるイスラ・ヌブラル島でのシーンは迫力があるとは言える。
e0345320_01554884.jpg
だが、私の見るところでは、この映画の評価の分かれ目は、舞台がこの島で完結するのではなく、人間たちが欲得感情で動く実社会との直接的な関わりを持たせたことではないだろうか。これによってもはやこの作品はファンタジーであることをやめ、そして私の意見では、家族向けの映画ですらなくなっている。そこで出て来るテーマは、ある種ありきたりで古典的なものである。つまり、欲に駆られた人間は必ずその報いを受けるというものだ。そして、そこにクローンというテーマが還ってくる。そうすると次は生命の意味とか、あるいは、クローンたる恐竜と人間との間に信頼関係が成り立つか、という方向に流れて行く。だが、そこにはさすがに無理はないだろうか。例えば対照的な例として私はこのブログで、最近の「猿の惑星」シリーズが描いている深いテーマへの共感を表明している。だがそれは、そのシリーズに登場する人間の対立項が猿、しかも言葉を喋る猿であるからだ。だが、どう好意的に見ても、恐竜に猿と同等の知性を期待するのは無理である。だから、この流れに従って、もしかすると次回作で、ブルーと人間たちの間に何か交流が生まれるようなことがあるのではないか、という心配に駆られているのである。もっともこの作品においては、人間たちが強敵と戦っているところにブルーが大きな貢献を果たす場面では、なにもブルーが人間を助けようとしたという表現にはなっていないし、人間の側も、「ありがとう、ブルー!!」と言って抱きついたりはしない (笑)。その点は多少の救いではあったとは思う。これがブルー。
e0345320_02193069.jpg
私がこの映画を家族向きでないと評するのは、裏を返せば、大人を対象として作られているということである。それ自体は決して悪いことではないと思う。だがここでのジレンマは、上述の通り、対象が恐竜である以上、猿について紡ぎ出すことができた陰影の濃いストーリーを出すことができないということである。実はこのシリーズは 3作目の制作も既に発表されていて、前作の監督であり、本作で共同脚本と、スピルバーグと並んで製作総指揮を務めているコリン・トレヴォロウという人が、次回作ではまた監督に返り咲くという。その意味では、シリーズには一貫した流れができることになるということだろう。ところで本作の監督は、J・A・バヨナ。スペイン人で、主役 2人と並ぶと大変小柄な、左端の人である。
e0345320_02262426.jpg
この監督の近作は、既にこのブログでもご紹介したことのある、「怪物はささやく」。1年 2ヶ月前に書いたその記事で私は、この監督が「ジュラシック・ワールド」の次回作を監督すると、既に書いている。もちろん、すっかり忘れておりましたよ (笑)。私はその映画もそれほど高くは評価しなかったが、ただ、その「怪物はささやく」にせよこの「ジュラシック・ワールド 炎の王国」にせよ、ヴィジュアル面で印象的なシーンが多々あった点には、監督の手腕も大いに関係していることであろう。彼の作り出すヴィジュアルのひとつの特徴は、アニマトロニクスという手法。これは、巨大クリーチャーを画面上に表すのに、完全に CG を使うのではなく、コンピューター制御した実物大の模型を作って撮影すること。「アニメーション」と「エレクトロニクス」からなる造語だそうだ。これによって役者の演技は、実際に巨大なものを相手にすることで、より自然になるとは言えるだろう。J・A・バヨナが前作「怪物はささやく」で使用した写真を見つけたので、アニマトロニクスとはどんなものであるか、イメージが沸くというものだ。
e0345320_02382813.jpg
ちょっと調べてみると、このアニマトロニクスという手法を得意とした SFX 担当者に、スタン・ウィンストン (1946 - 2008) という人がいるらしく、彼の錚々たるフィルモグラフィーの中に、初期の「遊星からの物体 X」(1982年) や「エイリアン 2」、「ターミネーター」、「バットマン リターンズ」などと並んで、「ジュラシック・パーク」の最初の 3本が含まれているのに気づく。そう言えば、この作品ではシリーズの初期に出演していたジェフ・ゴールドブラムが久しぶりに出ているのが嬉しい。あ、それから、これも大変久しぶりに見たジェラルディン・チャップリン。もちろん偉大なるチャーリー・チャップリンの娘であるが、今年 74歳。実年齢以上に老けたメイクなのであろうか。バヨナ監督とは、前作「怪物はささやく」に続く出演である。
e0345320_02453528.jpg
このように、決して家族向けではない今回の作品、次回作はいよいよ、人間の住む世界における恐竜たちの姿が描かれることになるのだろう。思えばスピルバーグ自身が監督していた頃からは遠く隔たる内容になってきてしまったが、是非新鮮な発想を期待したいものである。なんだったら次は、R15 指定でいかがでしょうかね (笑)。

by yokohama7474 | 2018-08-23 02:48 | 映画 | Comments(2)

Bleach (佐藤信介監督)

e0345320_23223502.jpg
毎度おなじみ、マンガが原作の日本映画である。もう何度このブログで書いたかしれないが、私は最近のマンガには全く疎いので、この種の映画を見るときには、要するに映画としての面白みしか語ることができない。この映画の観客で私のような人間は少数派であるのか、実はそうでないのか分からないが、ともあれ、感想を徒然に綴って行くとしよう。まずこの映画は、劇場で見た予告編でその雰囲気を感じることができ、実際に見てみても、その雰囲気は予想通りと言える。その点だけでもまず、この映画のある種の誠実さを感じると言ってもよいように思う。このように私が書くのはまず、この映画で脚本・監督を務めているのが佐藤信介であるからだ。このブログでは、「アイアムアヒーロー」と、比較的最近でも「いぬやしき」を採り上げたことがある。現在 47歳で、今調べて知ったことには、あの自主映画 (という言葉はまだあるのか知らないが、私も学生時代はその世界の周辺にいた) の登竜門、ぴあフィルムフェスティバルで 1994年に優勝したことで世に出たらしい。
e0345320_23311858.jpg
これは私の勝手な予想であるが、彼はこれからもっともっと面白い作品を撮るのではないだろうか。監督の名前で観客を動員するということは簡単なことではないし、取り上げるジャンルによっても動員数は違って来よう。ともあれ私としては、彼の撮る作品には今後も注目して行きたいと思っているのであるが、では、予告編で明らかだったこの映画のジャンルとは一体何か。それは、巨大な悪魔が現れて、それに立ち向かう謎の女が男に対して「死神になれ」と命じ、実際にそのようになる、という話であり、これはホラーかファンタジーということになろう。私はたまたまその分野の映画を深く愛する人間であるので、監督名と合わせて、これは見るべき映画であると判断したことになる。
e0345320_23462480.jpg
まず、この巨大な悪魔の造形がよい。これは虚 (ホロウ) と呼ばれる存在で、死んだ人間の魂が、現世への強い執着によって闇に墜ちたものだという。そう言われてもあまり納得感がないが (笑)、ともあれ、英語の Hollow はまさに「虚」という意味であり、米国ニューヨーク近郊の地名でも、映画になった "Sleepy Hollow" などというものもある (私はかの地を 2度訪れたことがある)。このホロウのデザインはなかなかよいので、ほかに 2体、この映画に登場するホロウの写真を掲載しよう。上がフィッシュボーン、下の 2体はヘキサポダスとグランドフィッシャー。
e0345320_23545140.png
e0345320_23550139.png
私がこれらのホロウの造形を見て思い出したのは、パプアニューギニアあたりの精霊である。そのような存在を視覚化した人としてすぐに思いつくのは、もちろん水木しげるである。ただこうして見ると、水木の描く精霊よりも悪い奴らであることは一目瞭然。
e0345320_00012484.jpg
ともあれ、こんなに悪くてデカイ奴らを相手にし、巨大な刀を手に「死神代行」としてやっつけるのは、霊感は強いが普通の高校生である黒崎一護 (いちご)。演じるのは福士蒼汰である。既に 25歳なので高校生としては無理があるが、なかなか伸び伸びと演じているとは思う。
e0345320_00042111.jpg
その彼を死神代行に指名する、自身が死神である朽木ルチアを演じるのは、杉咲花。この写真では、左が死神としての姿、右がその能力を失って女子高生に身をやつした姿。このブログでは映画「無限の住人」における彼女の演技を称賛したことがあるが、ちょっとユニークな若手女優である。というのも、その顔には様々な表情が現れて大変印象的ではあるが、かといって絶世の美少女という印象ではなく、その身長も決してモデルのようには高くはない。好感は持てるものの、はて、この見るからに善良なイメージは、この役にふさわしいのかどうか。
e0345320_00131205.jpg
と書いていて思い出したのだが、「無限の住人」にはこの杉咲花だけではなく、福士蒼汰も (役柄は悪役であったが) 出演していた。加えて、その映画で音楽を担当していた Miyavi というアーティスト / 俳優について私は、「この『無限の住人』のキャラクターとして出て来ても遜色ないインパクトではないか」と書いたものだが、実はこの「Bleach」では、その期待通り、かなりのインパクトを持って、強力な死神を演じている。
e0345320_00221002.jpg
その他、江口洋介や長澤まさみも出演していて、なかなかに多彩なキャストである。そのような多彩なキャストが入り乱れるストーリーはしかし、私にはもうひとつひねりが足りないかなぁと思われた。面白くないとは言わないし、ほかの日本映画でも似たりよったりの点はあるとは思うが、ここでの死神たちや悪霊、その他そこに絡むキャラクターたちが体現している時代性に若干疑問がある。つまりは、なぜ 21世紀の日本でこのようなストーリーが紡がれなくてはならないかという切実さに課題があると思うのである。例えば高度成長期に水木しげるがパプアニューギニアで見出した、日本には欠けている何かに代わるメッセージが、ここにはあるだろうか。・・・と書いていて私は思うのだが、そんな理屈すらも感じさせないほど手に汗握る流れがあれば、そんな余計なことも考えなかったのではないだろうか。このシーンの意味やいかに。
e0345320_00323124.jpg
ただ、この映画のアクションシーンは結構見ごたえがある。実はアクションシーンの監督は、スタントマン出身の下村勇二という人で、佐藤監督では、件の「アイアムアヒーロー」「いぬやしき」だけでなく、「GANTZ」シリーズや「図書館戦争」シリーズでもアクションシーンを手掛けているという。役者さんは大変であったろう。
e0345320_00363197.jpg
正直、この映画のことを誉めているのかけなしているのか分からないような内容の記事になっているが (笑)、確信犯的にそのようにしているわけである。その理由は、上記のごとく、この監督の作品に今後も期待しているし、俳優たちの熱演は印象に残る反面、そもそも世界的に見た邦画のレヴェルには、成熟度という点でまだまだ課題があるなぁと思うからである。因みに題名の "Bleach" とは、あの商品名で有名なブリーチ、つまりは漂白剤である。魂の漂白剤は、一体架空の世界にとどまるべきなのか、それとも現実世界の汚れのいくばくかでも、その漂白剤できれいになるものだろうか。この死神の視線には、やはり侮れないものがあるとは感じるのである。
e0345320_00422142.jpg

by yokohama7474 | 2018-08-22 00:43 | 映画 | Comments(0)

ミラクル エッシャー展 上野の森美術館

e0345320_12305190.jpg
エッシャーの名前は、いわゆる美術ファンにとどまらず、一般の人たちに広く知られている。上のポスターにあるような、上がっているのか下がっているのか、前なのか後ろなのか、表なのか裏なのか分からない階段や水の流れには、誰でも不思議な思いにとらわれる。あるいは鳥や魚などが連なって行くうちにかたちが変容して行くような図像は、現代の目で見ても大変に注意を引く。もちろん私自身も、子供の頃から彼の不思議なイメージの数々を本で見て、面白いと思っていた。だが、彼が西洋美術の中のどこに位置づけられるのか、あるいはもっと単純に、生没年がいつで、国籍はどこで、ファーストネームは何だとか、そんなことにも知識がないのである。もちろん西洋美術には「トロンプ・ルイユ」と呼ばれるだまし絵の手法は昔からあるし、エッシャー以外にもその種の作品は多い。だがこの人の作り出すイメージは本当にユニークで、唯一無二のものなのである。その割には、その人生についてはあまり知られていないのではないだろうか。この展覧会は、そのように人気のエッシャーの展覧会であったので、会場の上野の森美術館は大混雑。私も一度行こうとして、90分待ちと聞いて諦めた。そしてなんとか最終日の朝から並んでようやく見ることができた (私の場合、展覧会最終日に見に行くケースが最近多い)。東京では既に終了してしまったが、大阪のあべのハルカス美術館では、11/16 (金) から年越えで同じ展覧会が開催されるので、混雑はそちらの方が幾分かましかもしれない。

マウリッツ・コルネリス・エッシャー (1898 - 1972) は、生涯を通して専ら版画を制作したオランダの人。今年が生誕 120年ということになる。この展覧会も、生誕 120年記念ということで、エッシャーの作品を実に 330点も所蔵するエルサレムのイスラエル博物館から、その半数近い 152点が初来日するというもの。実はこの博物館を訪れても、エッシャー作品を常設展示しているわけではなく、保存の理由から、まとめて作品が公開される機会はないらしい。この展覧会は、2004/05年のスペイン、2014/15年の台湾に続き、三度目の大量公開であるとのこと。これが晩年のエッシャー。作品のイメージらしく、知的で物静かな人のように見受けられる。
e0345320_15342378.jpg
彼の作品は、「視る」ということの意味を考え直させるようなものが多いのだが、そこには生々しい人間の姿はまず出て来ることはなく、道化師のように作られた表情の人物、魚や鳥などのデザイン化された動物、建造物や風景が描かれており、時には数学的な要素も持ち合わせている。このような展覧会ではもしかすると手書きのメモや試行錯誤したデッサンなどが出展されているかと期待したが、一部、版画の習作としての下絵があったくらいで、創作の生みの苦しみを感じさせるようなものは何もなかった。やはりエッシャーは、その完成された世界を楽しめばよいと、ここは一旦割り切るとして、個々の作品を通して可能な限り彼の思いに迫ることとしよう。この展覧会で最も初期の作品はこの「貝殻」(1919/20年作) である。ハールレムという街の建築装飾美術学校に入学して建築を学び始めた頃の作品。その硬質な視覚イメージは、ただ対象を観察して忠実に再現するのではなく、自らの目というフィルターを通して対象を見ていることは明らかだ。またこれは、レンブラントの同名の版画 (1650年作) が着想源になっているらしい。これも下に画像を掲げておこう。
e0345320_15445387.jpg
e0345320_15575910.jpg
デッサンなどは展示されていなかったと書いたが、それでもこれだけの数の作品を見ることで、エッシャーの画業の発展を辿ることはできる。時代順の展示ではなかったので、ここで採り上げる作品には時代の前後もあるが、その点はご承知願いたい。さて、19世紀の終わり頃に生を受けたエッシャーであるが、よく知られている錯視という分野で洗練された作品を作り出したのは、第二次大戦後である。この「バルコニー」という作品は 1945年の作。エッシャーは何度かイタリアを訪れているらしく、これもアマルフィ海岸で見た光景に触発されているようだ。だがこの、水滴によって歪んだような建物を思い立つきっかけは何であったのだろう。
e0345320_15590958.jpg
エッシャーの興味は、人間の暮らしというよりは、幾何学的なものや静かでいて神秘的なものに存在したことは明らかであるが、この 1946年作の「画廊」で彼はさらに大胆な視覚の冒険を行っている。彼の作品にしばしば登場するペルシャ神話の人面鳥 (シームルグというらしい) が上下左右にとまっているが、さてこれは、どちらが上でどちらが下なのか。ありえない空間を演出する人面鳥は、なんとも神秘的。
e0345320_20521060.jpg
これは 1950年作の「対照『秩序と混沌』」。作者自身の言葉によると、「一分の隙もなくただ秩序だった美しい星型十二面体がシャボン玉のような透明な球体と合体し、その周りを廃物やくしゃくしゃのオブジェのような無用なものの集合で囲った絵画」とのこと。その通りなのだが、硬質で無機的な物体の周りを、何やら人間の活動の結果のような物体 (但し主体としての人間の姿は皆無) が囲んでいるというのは、ちょっとシュールな感じがする。
e0345320_20570816.jpg
立体と立体が組み合わさるタイプの作品も、エッシャーには多い。これは 1949年作の「二重の惑星」。無機的な構造物の中に爬虫類が何匹かいるのはすぐ分かるが、よくよく見ると、数ヶ所では人々が集まったり眺望を見ていたり、談笑していたりする。爬虫類の顔は描かれているのに、人の顔は描かれていない。
e0345320_21031985.jpg
この 1952年作の「重力」になると、さらに大胆でダイナミックな構図になっている。様々な角度に顔や足を突き出す爬虫類は、ユーモラスでグロテスクで生命力がある。
e0345320_21082237.jpg
この 1956年作の「版画画廊」になると、エッシャーのスタイルが完全に確立しているように見える。歪んだ空間を挟んで、左側では室内の額の中に収まっている版画は、右側ではギャラリーの屋外の風景になっている。中にいるのか外にいるのか分からない、不思議な空間のねじれ。
e0345320_21103217.jpg
だがエッシャーの作品には、何か不思議な宗教性があるような気がしてならない。実際に若い頃には聖書を題材とした作品を制作していて興味深い。これは 1922年作の「小鳥に説教する聖フランチェスコ」。ちょっとドイツ表現主義を思わせるところがある。
e0345320_21154588.jpg
また彼は 1925年に、天地創造の 7日間を描いた連作を発表している。これは第二日。ダイナミズムよりも、雨や海の形状の面白さを感じさせると思う。
e0345320_21184574.jpg
これは天地創造の第五日。鳥と魚というモチーフは、彼が後年も頻繁に使用したものだが、ここでは変容する気配は未だない。海から陸にかけて横線が描かれているのも、水と空気の差異を認めていないようで面白い。
e0345320_21245506.jpg
これは 1938年作の「バベルの塔」。ここでは未だエッシャー特有のねじれた空間は現出していないが、彼の指向する建物の形態や、版画の技術は充分に理解することができる。
e0345320_21270497.jpg
この 1935年作の「地獄」は、若干変わった作品。もちろんこれは、奇想の画家ヒエロニムス・ボスの「地上の楽園」に登場する樹木人間。エッシャーがボスを模写していたとは知らなかったが、上記のレンブラント同様、自国オランダの生んだ偉大なる先輩画家に対する敬意も、そこにはあるだろう。
e0345320_21293122.jpg
上述の通り、エッシャーはイタリア旅行で数々の作品を制作しているが、これは 1927年作の「ローマ、ボルゲーゼの聖獣」。前景の怪物と後景の雨降る街並みの間には何ら交互関係はないが、その点が面白い。彼が多くの作品で爬虫類やドラゴンのようなキャラクターを登場させるのは、ヨーロッパ文明の古い記憶によるものであろうか。
e0345320_21321452.jpg
街を見下ろすのは不思議な存在の生き物かもしれないが、街中を歩き回って風景をエッシャーが捉えるときには、その風景はシュールなまでに無人。これは 1930年作の「スカンノの街路、アブルッツィ地方」だが、実はこの絵は全くの無人ではなく、真ん中奥と手前右側に、それぞれ腰かけた人物たちが見える。手前右側の人物は編み物をしているようだが、そこには人間的なものを感じさせる要素はほとんどない。
e0345320_21381690.jpg
彼がものを「視る」目には、幾何学的な興味とともに、時に何か、人智を超えた存在への意識があるように思う。この 1931年作の「アトラニ、アマルフィ海岸」を見ていても、そんな思いを抱くのである。
e0345320_21411284.jpg
この 1937年作の「静物と街路」は、手前の方が室内から見た窓際に置かれた静物かと思いきや、よく見ると前景と後景の間には切れ目がなく、つながっている。これもエッシャー特有のあり得ない空間なのだ。
e0345320_21525464.jpg
これまで見てきた通り、エッシャーが人物を描くことは非常に稀なのであるが、若い頃には例外が結構ある。これは、左が「子供の頭部」(1916年作)、右が「赤ん坊」(1917年作)。未だ 10代の作であるので、描かれているのは息子ではない。もしかすると弟なのであろうか。
e0345320_21554645.jpg
これが「自画像」(1917年作)。シルエットがスタイリッシュである。
e0345320_21593681.jpg
こちらも自らを描いたもので、「椅子に座っている自画像」(1920年作)。建築学を学ぶ学生であった彼は、ド・メスキータという師の影響で木版画を作り始めた。ここでの自画像は、何やら思いにふけっているが、それは自らの将来なのであろうか。エッシャーとしては異色の作品である。
e0345320_22010516.jpg
これは「妻イエッタの肖像」(1925年作)。前年に結婚したばかりの妻の肖像であるが、浮かれたところのない作品であるのがエッシャーらしい。ほつれ毛やメランコリックな表情は、新婚のイメージとは程遠いものである。
e0345320_22044650.jpg
その自分と妻をモデルにしたシュールな作品が、この「婚姻の絆」(1956年作) である。これ、リンゴの皮をむいたような構造であるが、よく見ると右の顔と左の顔は一本の帯でできている。なるほど、これが婚姻の絆であるのか。
e0345320_22071749.jpg
人と人の出会いを描いたという点では、この「出会い」(1944年作) も同様。だが、ここでは黒い悪魔のような姿と、白い放心状態の人の姿が、球状の深淵から浮かび上がってきて、左右に回りながら交錯しあう。戦争がその創作活動に一切影響しなかったと見えるエッシャーであるが、ここには何か、形態の面白さ以上のメッセージがあるように思う。
e0345320_22064648.jpg
エッシャーはまた、数々の広告も手掛けている。ただ、考えてみれば、1970年代まで生きた彼であれば、もっと大規模でモダンな広告への関与があってもよかったのに、ここ展示されていたのは、1930 - 40年代の小規模なものだけだ。これは 1944年作の「レストラン『インシュリンデ』のためのエンブレム」。漢字もあしらわれているが、これはハーグにあった中国・インド料理レストランのためにデザインされたもの。
e0345320_22094561.jpg
これは 1920年作の「西部劇」。西部劇に見入る群衆がなんともユーモラスで、エッシャーのある一面を見ることができる。
e0345320_22170434.jpg
この「水没した聖堂」(1929年作) はまた全く異なるタイプの作品で、抒情的であり空想的であり神秘的。
e0345320_22181802.jpg
これは 1935年作の「写真球体を持つ手 (球面体の自画像)」。なんという視覚の冒険であろう!! 彼は本作の中央に位置する自分について、「彼がいくらよじったりひっくり返ったりしても、その中心点から逃れられない。彼のエゴはゆるぎなく彼の世界の核であり続ける」と語っている。
e0345320_22195602.jpg
このような宿命論は、この「眼」という作品 (1946年作) にも如実に表れている。精密に描き写された右目の、その瞳の中には、なんとドクロが写っている。制作年を見ても、戦争の影響があると考えるのが自然であろう。彼に木版画を教えた師であるド・メスキータはユダヤ人であったため、家族とともにアウシュヴィッツに送られ、そこで亡くなったという。感情的なものをほとんど感じさせないエッシャーの作品には、人類が起こした悲劇への恐怖や怒りが秘められているということだろうか。
e0345320_22235047.jpg
これは 1952年作の「水たまり」。同じ反射をテーマとしていても、上の作品たちとはまた違っていて、現実にありそうな、でもちょっと不思議な光景を描いている。濡れた地面にタイヤと靴の跡がつき、そこに溜まった水に木が反射している。丸く見えるのはもしかしたら月だろうか。もしそうなら満月だ。これは、満月に照らされた夜の光景ということになる。
e0345320_22305719.jpg
さて、展覧会ではこの後はエッシャーの代表的な「錯視」を描いた作品の数々が展示されていた。もうあまり余分な感想は必要ないだろう。これは 1941年作の「トカゲモチーフの平面正則分割」。
e0345320_22344639.jpg
これは「空と水 I」(1938年作)。
e0345320_22363354.jpg
「循環」(1938年作)。うーん、面白い。
e0345320_22371868.jpg
これは「階段の家」(1951年作)。この室内空間の捻じれは実に圧倒的なのであるが、ここで縦横無尽に歩き回っている六本足の虫は、Curl-up (日本語で「でんぐりでんぐり」とされている)。
e0345320_22382410.jpg
この後は戦後に描かれたエッシャーの代表作群である。「描く手」(1948年作)。「相対性」(1953年作)。「ベルヴェデーレ (物見の塔)」(1958年作)。「上昇と下降」(1960年作)。「滝」(1961年作)。いずれもよく知られている。
e0345320_22410181.jpg
e0345320_22415705.jpg
e0345320_22424247.jpg
e0345320_22440905.jpg
e0345320_22450093.jpg
このように、上がっているのか下がっているのか、前なのか後ろなのか、表なのか裏なのか分からない階段や水の流れには、誰もが興味を引かれる。これだけユニークなスタイルを突き詰めた画家も、そうはいないであろう。だがその裏に、自分のスタイルを求めて試行錯誤する人間的な悩みや、戦争に対する怒りもあったものと思う。数々の作品を目にすることで、そのようなことを感じられたのは、実に貴重なことであった。それから、実はエッシャーは、意外な日本との縁があるのである。彼自身は来日したことはないはずだが、実は彼の父、ヘオルフ・アルノルト・エッシャーは 1873年から 5年間、日本に滞在していたことがあるという。明治政府が日本の港や水路を近代化するために招聘した「オランダの土木技師」のひとりであった。彼は日本での記憶を詳細に書き留め、息子とも共有したという。それをもってエッシャーの作品が日本的であると言う気はないが、高い版画技術を持っていた我が国の美意識が、どこかでエッシャーに影響を与えていたとしても、決しておかしくはない。そう考えると、日本でのこの展覧会には、さらに深い意味があると思われてくるのである。少なくとも、エッシャーがオランダ人であるということくらいは、これを機会に覚えておきたいものだ (笑)。

by yokohama7474 | 2018-08-19 22:56 | 美術・旅行 | Comments(0)

大阪 天神祭 2018年 7月25日

e0345320_11131092.jpg
俗に日本三大祭という。この大阪の天神祭、京都の祇園祭、そしてもうひとつは東京の神田祭であるそうだ。私は、祇園祭の形容しがたいほどの深い情緒には、心底打ちのめされた経験を持つ。だが、あとのふたつはどうかというと、人生の大半を東京に住んでいながら、神田祭を見物に行ったことはないし、そしてこの天神祭についても、生まれが大阪であるにもかかわらず、それを楽しんだ経験がない。この祭のクライマックスは毎年 7月25日。今年はその日に大阪に出掛ける用があったので、そういうことなら天神祭を見てみようということとなった。このブログでは、ちょうど香川と東京の立川の由緒正しい天満宮を紹介する記事を書いたあとでもあり、この大阪天満宮の盛大なお祭りについて採り上げるのは、なかなかのグッドタイミングであると思うのである。

さて、上に掲げたのは、とあるホテルのロビーで入手した、大阪観光局作成の折込式のパンフレットであるが、コンパクトでありながら、必要情報を充分盛り込んだ万全の内容である。実は、この祭をどのように楽しむべきか、事前にネット情報をあれこれ調べてみたが、どうも要領がよく分からない。最初からこのパンフレットを見ていればよかった。ただ、いずれにせよ炎暑の頃でもあり、最初の天神祭体験なので、ごったがえす街中のどこかで立ち尽くしたまま花火を見るのはやめようと思い、大川 (旧・淀川) 沿いに立つホテルでバイキングの食事を取りながらの見物とした。これは、涼しいところで食事をしながら川の上の船や花火を見ることができるという意味では、大変に都合のよいプランであったが、一方で、やはり祭というものは、極力参加しているに近い状況で見たいし、花火を見る場所も、さらによいロケーションのホテルもあるようだ (タクシーの運転手さんによると、帝国ホテルがいちばんとのこと)。体力も気力も必要なことだが、また別の楽しみ方をしてみたい。夕刻、未だ明るい頃に会場のホテルに着くと、このような提灯が並んでいる。
e0345320_18202608.jpg
そもそもこの大阪天満宮は、いかなるいわれの場所なのか。ここは 901年、菅原道真が大宰府に流される前に立ち寄り、当時あった大将軍社という神社に詣でた場所だという。2年後の道真の死から 40年以上経過した 949年、その大将軍社の前に 7本の松が生え、光を放ったという。それを聞いたときの村上天皇が、この地に天満宮を築けとの命を出した。そしてこの天神祭、その天満宮創設 2年後の 951年に始まったというから、実に 1060年以上の歴史を誇るわけである。もともと、この神社から大川に鉾を流す神事が始まりであるがゆえに、この祭は水の都 (と呼ばれるようになったのは何百年も後だが) 大阪を象徴するような祭であったわけである。陸の上を神輿が巡回する過程を「陸渡御」(りくとぎょ)、それから船に乗って川に入る過程を「船渡御」(ふなとぎょ) と呼んでいる。実は私は事前にこの祭のことを調べたときには「船渡御 乗船チケット 25,000円」などと書いてあるのを見て、チンプンカンプンであったのだ。ともあれ、本来なら天満宮自体に詣でてからこの祭を見るべきであろうが、大変に暑いこともあり、そのような機会はまた来年以降に設定するとしよう。そして夕刻の大川沿いの風景を見て、この祭が開始されてから遥か後世に、たまたま大都会になってしまった大阪の、何やら古くから続く清らかな姿を感じたのである。よく見ると、おおっと、陸渡御を終えた人々が続々と川に入って来ているではないか。
e0345320_21484643.jpg
e0345320_21501906.jpg
実はこの祭で船と船がすれ違うときには、決められた方法でお互いに挨拶を送るのである。それは「大阪締め」という方法であり、大阪では祭だけではなく、証券取引所や経済会合でも使われているらしい。こんな方法だ。
e0345320_21551341.jpg
川で行き交う船を見ていると、あ、本当だ。やっとりまっせ。「祝ぅて三度」。
e0345320_21554461.jpg
いやそれにしても、未だ明るいうちから、なんと多くの船が川の上に出ていることだろう。今年も相次ぐ天災に苦しむ我が国であるが、このような船を見ると勇気づけられる。
e0345320_21571755.jpg
神輿など神聖なものを乗せた船以外に川を縦横無尽に行き来する船があり、それらは船渡御の儀式には入らないそうだ。それらをどんどこ船と呼ぶが、このような船が祭を盛り上げるようである。しかも、子供によるどんどこ船もあって、その名もズバリ、子供どんどこ船なのである。
e0345320_21581433.jpg
しかしそれにしても、川面を行き交う船を見ているだけでなぜか心躍るのである。例えばこの船は、このような巨大な火を掲げて川を移動し、ある場所に留まってからは祭の間中、火を燃やし続けていた。
e0345320_22030202.jpg
船には本当にいろいろあり、もちろん神輿を乗せているものもあれば、文楽船と称して、どうやら船の上で文楽を演じているらしい船もある。うーん、こういう船に乗れれば、情緒もまたひとしおであろう。
e0345320_22042873.jpg
e0345320_22040646.jpg
そうこうするうちに、空が一面の夕焼けに覆われる。浮かび上がる大都会のシルエット。
e0345320_22060310.jpg
徐々に川面も暗くなり、対岸に所狭しと並んだ屋台の数々と、川岸に据えられた灯りがなんとも神秘的に見えるし、船もいよいよ、祭の真っただ中へという感じだ。
e0345320_22070472.jpg
e0345320_22094168.jpg
そして始まった花火。私たちは、ホテルの屋上まで登って、次々と打ち上げられる花火を堪能はしたものの、花火が上がる角度にはビル群が聳えていて、ちょっと残念。とはいえ、これらの写真から、当日の盛り上がりを想像して頂くことはできると思う。最後では二か所で花火炸裂。
e0345320_22113352.jpg
e0345320_22135160.jpg
e0345320_22140239.jpg
e0345320_22141401.jpg
e0345320_22144601.jpg
徐々に暗くなって行き、船の上も大いに盛り上がっているようだ。あ、チキンラーメンの日清食品は、大阪の会社だったのだな (笑)。
e0345320_22164882.jpg
e0345320_22150622.jpg
なるほど、これで日本三大祭のひとつ、天神祭の概要は分かった。次はやはり、より突っ込んで、船の上から花火を見るような参加をしたいものである。大阪締め、覚えんとあきまへんなー。

by yokohama7474 | 2018-08-18 22:19 | 旅行 | Comments(0)


最新のトラックバック
ライフログ
検索
タグ
その他のジャンル
ブログパーツ
最新の記事
外部リンク
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧