川沿いのラプソディ


川沿いの住まいから、音楽、美術、映画その他文化一般を語りつくします。
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メモ帳

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フランクフルト散策

ドイツの大都市、フランクフルト。日本から、ルフトハンザや全日空といったスターアライアンスのエアラインに乗ると、いわゆるハブ空港となり、ヨーロッパ内のほかの目的地に行くために乗り換えで利用する方も多いだろう。あるいは、金融関係の方は、出張で同地に滞在するということもあるだろう。だが、この街はいわゆる観光都市としてのイメージはない。ドイツでも、例えばドレスデンとかケルンとかミュンヘンとかライプツィヒとか、観光の対象になる都市はいくつもあるが、フランクフルトはそうではない。だが、実はこの街は、歴史好き、美術好きにとっては、実に見どころが多い街なのである。私はこの街は以前に何度も訪れていて、ある 1ヶ所だけは一度見学することができたのだが (後述)、それでも、この街の魅力というものについての理解は及ばなかった。そんなところに、たまたま今年 5月に久しぶりにフランクフルトに出掛ける機会があり、少しの時間だが街を見ることができたので、初めてこの街の魅力を知ることができた。ヨーロッパ人とのビジネスにおいては、かの地の歴史や文化を知ることは大いに意味があるので、これまでフランクフルトを甘く見ていたビジネスマンの方々 (?) にも、この記事が参考になればよいと思う。

さて、まずはこの写真を見て頂こう。
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もちろんこれは、美術好きなら誰でもご存じの、フェルメールの「地理学者」である。日本にも 2011年に Bunkamura ザ・ミュージアムで開催された展覧会に出展され、私も押すな押すなの混雑の中で見た記憶がある。この絵を所有するのは、ここフランクフルトのシュテーデル美術館。この美術館では展示作品の写真撮影が自由である上に、この超人気作品とも、たったひとりで相対することができる。因みにこの作品が展示されている部屋の入り口はこんな感じ。私が訪れたときは、全く誰もいなかったのである!! 正面真ん中が「地理学者」。
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これだけでもフランクフルトに行く価値ありと言ってしまうと大げさかもしれないが (笑)、この街の見どころはこれだけではない。いちばんの目玉は、世界文学史上に燦然と輝く文豪ヨハン・ウォルフガンク・フォン・ゲーテ (1749 - 1832) の生家である。上で、過去にこの街で 1ヶ所だけ訪れたことがあると書いたのはその場所であるのだが、それについてはまた後に譲るとして、まずは街の景色を見てみたい。この街にはそのゲーテの彫像がある。なかなか力強く、また、人々に親しまれている様子が分かろう。
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だが角度を変えるとこんな感じ。さすが金融都市フランクフルトである。近代的な高層ビルが後方に聳え立っている。実はヨーロッパの大都市では、たとえロンドンであろうとパリであろうと、このような近代的な高層ビルが立ち並ぶということは極めて稀なのである。
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ここにはまた、ゲーテと並び称されるフリードリヒ・フォン・シラー (1759 - 1805) の彫像もあるが、同様に、背景には高層ビルが見えて、この街の雰囲気をよく表している。
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またこれは、ゲーテが洗礼を受けたカタリーナ教会という教会だが、やはりご覧の通り、現代の風景が後ろに広がっている。これはやはり、フランクフルト独特の光景であると思うのである。
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それから、音楽好きにはおなじみの、以前のオペラハウスで、現在はコンサートホールとして使用されているアルテ・オーパー (「旧歌劇場」の意) も、その古典的な外見は堅固であるが、横から見ると現代の高層ビルとマッチしている。
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では、このような近代と現代のミックスだけがここフランクフルトの光景なのであろうか。いやいや、そんなことはない。この光景をご覧頂きたい。
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これはヨーロッパのそれなりの規模の歴史的都市にはどこにでもある、中世の佇まいを残した旧市街の広場である。なんと、この金融都市フランクフルトにも、このような場所があるのである!! だが、その後見掛けた案内板にはこのような悲惨な写真が。
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これは 1944年 3月22日、連合国軍の空襲を受けたフランクフルト。大聖堂はかろうじて残っているが、街の多くは灰塵に帰している。実はゲーテの生家もそのとき爆撃によって焼失してしまっているのである。ドイツは第二次大戦を始めた国であり、国全体としては加害者としての面が当然あるにせよ、個々の街のこのような惨禍を目のあたりにすると、人として心が痛むことを止めることはできない。だがその一方で、(ナチスに徹底的に破壊された街を復元したワルシャワのような例に比べると、その意義は見えにくいが) 灰塵に帰した街を昔の通りに復元したのがこのフランクフルト旧市街であると知ると、人間は捨てたものではないという思いにもなるのである。これはレーマーと呼ばれる市庁舎。この地域は中世において既に商取引が行われていており、フランクフルトには 11世紀には商人たちが訪れていたという。中世建築を戦後忠実に再現している。
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実はこの旧市庁舎の中には、カイザーザール (皇帝の間の意味) と呼ばれる、やはり戦後に復元された部屋があり、そこには、歴代の神聖ローマ皇帝 52人の肖像画が並んでいる。神聖ローマ帝国とは、9世紀のカール大帝から 1806年に至るまで存在した帝国で、現在のドイツはその領域に含まれていたわけである。ここに並んだ 52人の最初はやはり、カール大帝である。
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この建物を出て、再びレーマー広場に出ると、もともと 1290年に建てられ、戦後に修復された旧ニコライ教会があり、それから、これは戦災を経てもほぼ原形を残した 1600年頃の建物、ハウス・ヴェルトハイムがあって、いかに戦争の惨禍に見舞われようとも、現在にまで生き永らえている街の命が感じられる。
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旧ニコライ教会のすぐ裏手には、歴史博物館がある。もともとは 19世紀に建てられた税関の建物であるらしい。
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この地域から、アイゼルナー橋という橋を渡ってマイン川の対岸へ。この橋にはなぜか沢山南京錠がかかっている。もしかするとドイツでは、ここが恋人たちのメッカ???
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対岸にはいくつも博物館が並んでいる。以下は映画博物館と建築博物館。いつかゆっくり見学してみたい。
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さてその先がいよいよ、上でフェルメール作品をご紹介したシュテーデル美術館である。ちょうどこの時にはルーベンスの展覧会が開かれていた。
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このシュテーデル美術館の開館は、今からちょうど 200年前 !! の 1818年。もともとはシュテーデルという銀行家の個人のコレクションであるというから驚きだ。実は東京で以前開かれたフェルメールの「地理学者」の展覧会は、この美術館が改装中の引っ越し展覧会であったのだ。ここにはヒエロニムス・ボスの「エッケ・ホモ」もあるが、その作品の下部に気になる箇所があったので、その部分の写真を掲載しておく。これはもとの絵が消されているのであろうか。何やら謎めいている。
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ほかにも名品が沢山展示されている。以下は私が心酔するカルロ・クリヴェッリの「受胎告知」と、ボッティチェリ、そしてヤン・ファン・エイクの傑作である。
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うーん、実に素晴らしい。さらに述べると、ゲーテの生地ならではのこの作品の本物 (あ、確かこれに因む彫像がフランクフルト空港にあったはず) もある。これは、ヨハン・ハインリヒ・ヴィルヘルム・ティシュバイン (1751 - 1829、つまりはゲーテより 2歳下) による有名な「カンパーニャのゲーテ」。この画家はゲーテの友人であり、1787年にローマで描いた作品である。未だ 30代のゲーテの雰囲気を、リアルタイムでよくとらえた作品なのであろう。いやそれにしても、イタリアというヨーロッパ文明揺籃の地を、近代において新興国として発展するドイツの文豪が訪れるという、歴史的な意義を持った素晴らしい作品だ。
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今回、新たな画家との出会いもあった。その画家の名は、ウィルヘルム・フレディ (1909 - 1995)。デンマーク人で、これは「祖国万歳」という 1941年の作品。デンマークは 1939年からナチス・ドイツに占領され、1945年 5月まで解放されなかった。ということは、この作品が描かれたのはドイツの占領時代なのである。この画家の作風は一見してシュルレアリスムと分かるが、ここで壁から抜け出て走り出している少年が持っているのは、ほかならぬ祖国デンマークの国旗である。超現実に仮託された現実という点で、実に興味深い作品だ。
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このシュテーデル美術館で開かれていたルーベンス展も見ごたえ充分であったが、ルーベンスという画家自体は、ヨーロッパのどの美術館でも大作を見ることができるので、特にここでご紹介はしないでおこう。このシュテーデル美術館を辞して、また街の中心部に向かう途中に見えたのは、現在のフランクフルト歌劇場。ここの音楽監督は、来年 4月に読売日本交響楽団の常任指揮者に就任するセバスティアン・ヴァイグレである。建物もモダンなら、街なかで見かけた広告 (ベッリーニの「夢遊病の女」である) も超モダン。
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そのようにブラブラ歩いてついに辿り着いたのは、文豪ゲーテの生家である。上記の通り、戦争で焼けてしまったが、戦後に元通りに再建されたもの。ただ、家具調度品は疎開していて焼失を免れたので、今この場所を訪れると、ゲーテの育った環境を、かなりのリアリティをもって追体験できるのである。外部はこんな感じであるが、今は正面から入ることはできず、隣接した建物から入ることになる。そこには「ゲーテハウス」の看板が。
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よく知られている通り、ゲーテはただの詩人・劇作家ではなく、政治家であり法律家であり、また自然科学者でもあった。実に万能の天才であったのだが、名前にフォンが入っていることから明らかな通り、家柄もまたよい人であった。父は枢密顧問官、母方の祖父はフランクフルトの市長を務めたという名門の出である。玄関も立派なら、厨房にすら気品が漂い、オリジナルの家具調度品も実に立派なもの。
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この蔵書は、ゲーテの父のものらしい。ということは、幼少時のゲーテも、これらの本を、意味も分からずに手に取った可能性があるわけで、これはワクワクせずにはいられない。
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ここで、私が以前訪れたときに痛く感動したゲーテの遺品がある。ガラスケースの中に入っていてうまく撮影できなかったので、この記事の中で唯一、私自身の撮影ではなくほかから拝借してきた写真が、これである。このときは剥き出しのままの展示であったようだ。
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これは何かというと、ゲーテ 4歳の誕生日に贈られた人形劇の舞台である。文豪はここで、家族を前に様々な人形芝居を行うことで、そのファンタジーを育んでいったようだ。その場に展示されていたこのようなパネルによって、少年ゲーテの想像力の翼をイメージすることができる。彼が生きた 18世紀半ばから 19世紀にかけては、ヨーロッパで市民革命や様々な戦争が勃発した時代。そのような過酷な現実に立ち向かいながらも、想像力を忘れなかったゲーテの偉大さを偲ぶことができる。
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このゲーテの生家に隣接したゲーテ博物館には、ゲーテその人に因む遺品に加え、彼と同時代の絵画などが展示されている。その中で私がゾクゾクして対面したのは、もともと心酔していこの画家の作品である。
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そう、これはドイツ系スイス人で、英国で活躍したヨハン・ハインリヒ・フュースリ (1741 - 1825) の代表作「夢魔」である (同じテーマのいくつかの作品のうちのひとつ。1790/91年作)。ゲーテは彼の同時代人であるばかりでなく、1775年に「この人間には、なんという灼熱と憤怒が潜んでいることだろう」と、フュースリの作品を絶賛しているらしい。この画家について、日本では 1983年以来大規模な展覧会が開かれたと聞いたことはないが、昨年上野の森美術館で開かれて異常な人気であった展覧会「怖い絵」展にはこの「夢魔」の別ヴァージョンが展示されていたようだ。私はその展覧会の混雑ぶりに嫌気がさして結局会場に出向くことはなかったのだが、それを思っても、全くほかに誰もいない環境でたった一人、フュースリ作品の数々と対面することができるこのゲーテ博物館は、恐るべき場所なのである。ほかのフュースリ作品のいくつかもご紹介しておこう。私にとっては実にワクワクするものばかり。
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もうひとり、私が心から崇拝する画家の作品をご紹介しよう。それはドイツロマン主義を代表するカルパー・ダーフィト・フリードリヒ (1774 - 1840)。これは「夕星」という 1830年頃の作品。ゲーテはこの画家の作品を称賛したり拒絶したりしていたという。
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ゲーテの拒絶と言えば、すぐに思い出すのはベートーヴェンである。この作曲家が自作の交響曲第 5番をピアノでゲーテに聴かせたところ、文豪は耳を塞いだという逸話は有名である。この時代、芸術家は貴族の所有物から一般大衆のものへと変遷して行ったわけで、旧来のハイクラスな階級に生まれたゲーテとしては、あまりに過激な芸術作品に対しては戸惑いがあったということなのだろうか。フランス革命もナポレオン戦争も同時代の出来事として体験したドイツの文豪の中にはしかし、そのような当時の過激な芸術に対する理解はあったような気がしてならない。生家に掲げられた彼の肖像画は、何かを語りそうな表情である。
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このようにフランクフルトは、一般に認識されているよりも文化的な刺激に満ちた街。日本からは直行便で行けるところであるので、是非ご参考として頂きたい。

by yokohama7474 | 2018-09-30 22:43 | 美術・旅行 | Comments(2)

サイモン・ラトル指揮 ロンドン交響楽団 (ヴァイオリン : ジャニーヌ・ヤンセン) 2018年 9月29日 サントリーホール

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サー・サイモン・ラトルと、彼が音楽監督を務めるロンドン交響楽団の来日公演も、今回が最終日。私はサントリーホールにおける 3回のコンサートを聴いたけれども、それ以外に大阪で 1回と、NHK ホールでの NHK 音楽祭の一環としてのコンサートが 1回、そして横浜で 1回と、一週間で合計 6回のコンサートが開かれた。ファンの関心も高いようで、このささやかなブログでも、最初のコンサートの記事は昨日までの 4日間で累計アクセス 549、2回目のコンサートの記事は 3日間で333 (お、語呂がよいですな。笑)。これはなかなかの数である。ベルリン・フィルの芸術監督を 16年務めたサイモン・ラトルと、その新たなパートナーであるロンドン響のコンビでの初来日には、それだけ注目が集まっているということだろう。だがその一方で、今回の 3回の公演のチケットはいずれも完売ではなく、当日券も販売していたし、招待かと思われる中高生の姿も見られた。その点をどう評価すべきだろう。ベルリン・フィルとロンドン響の一般的な知名度に差があるという点は否めないだろうが、加えて、今回は曲目がかなり凝っていることも、理由のひとつではないだろうか。これまでの 2回は既にご紹介した通りだが、最終日の今日はこんな曲目だ。
 ラヴェル : バレエ音楽「マ・メール・ロワ」全曲
 シマノフスキ : ヴァイオリン協奏曲第 1番作品35 (ヴァイオリン : ジャニーヌ・ヤンセン)
 シベリウス : 交響曲第 5番変ホ長調作品 82
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この曲目を見て、渋いというのは当たっていないと思う。だが、この配列から感じる気配は、何やらただならぬ音楽の深淵ではないだろうか。決してマニアックというわけではないが、内容がぎっしり詰まった音楽ばかりと言えるように思う。ここで真ん中のシマノフスキのヴァイオリン協奏曲第 1番に注目してみたい。オランダの名花ヤンセンが東京で演奏するのに、チャイコフスキーとかシベリウスではない、このシマノフスキのコンチェルトが選ばれたということは、なかなかに興味深い。あれ、そういえば「チャイコフスキーとかシベリウスではない」というフレーズをつい最近使ったような気がする。あ、そうだ。昨日のシルヴァン・カンブルラン指揮読売日本響の演奏会で、諏訪内晶子が弾いたのがまさにこの曲で、そのことを書くときに同じフレーズを使ったのであった (笑)。いや、誤解を避けるために言っておくと、私とても、チャイコフスキーやシベリウスのヴァイオリン協奏曲は大好きである。だが、本拠地での定期公演はともかく、どのオケも海外遠征ともなると、万人受けする曲目を選びがちであるところ、あえてシマノフスキという点に、ラトルの意気込みが感じられるし、また、このような、内容が充実している割にはそれほど知名度の高くないコンチェルトが、同じホールで 2日連続で演奏される東京という都市の文化度を、我々は誇ってもよいと思うのである。

そんなわけで、まず最初の「マ・メール・ロワ」であるが、これは予想通りの繊細かつクリアな名演となった。今回ラトルはヴァイオリンの左右対抗配置は取らず、指揮者のすぐ右手はチェロであり、一方で、今回も (協奏曲以外) 暗譜での指揮である。私は前回の記事で、このオケの音には情念がもともとあまりないと書いた。もちろん人によって感じ方は様々であるから音楽は面白いのであって、異論のある方もおられるかもしれない。だが私はやはり、かつてロンドンで散々聴いたゲルギエフとのコンビでも、コリン・デイヴィスとのコンビでも、あるいはその前に東京で驚愕すべきマーラー 6番を披露したマイケル・ティルソン・トーマスとのコンビでも、このオケの特色はクリアな音色と柔軟性であると思っていて、そこには情念の要素はあまりないと思う。そう思うとこの「マ・メール・ロワ」の演奏の素晴らしさには、このオケがもともと持っている持ち味が活きていたと考えたいのである。この「マザーグース」の童話の世界を、だが子供には絶対に分からない繊細さで音にしたラヴェルの天才を改めて感じることとなった。
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そう言えば、昨日のカンブルランと読響の演奏では、締めくくりがラヴェルの作品で、その前にシマノフスキのコンチェルトであったが、今日の場合は、最初がラヴェルの作品で、それがシマノフスキに続くということとなった。ラトルのシマノフスキというと、バーミンガム時代に既に歌劇「ロジェ王」と交響曲第 4番を録音していて、それらは素晴らしい内容だが、ここで彼の美麗でありながら劇的でもあるヴァイオリン協奏曲第 1番を指揮するのを聴けるのは嬉しい。シマノフスキはポーランド人で、ラヴェルより 7歳下の 1882年生まれだが、この 2人は偶然にも同じ 1937年に死去している。なかなかダンディであった点も共通している。
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ソロを弾いたジャニーヌ・ヤンセンは、日本でもよく知られたオランダの名ヴァイオリニストで、今年 40歳。オランダ人女性らしく大変に大柄な人だが、その気さくな容姿そのままに、素直な音楽性に好感度の高い音楽家である。
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彼女は同じ曲を昨日弾いた諏訪内よりも少し年下ということになるが、近い世代のヴァオリニストであると言えるだろう。諏訪内がチャイコフスキーコンクールの優勝で一躍脚光を浴びたのに対し、ヤンセンの場合は、その経歴を見てもコンクール優勝という記載は見当たらない。現在世界のトップで活躍しているヴァイオリニストには何人かそのようなパターンもあるものの、どんなに優れた才能でも、世に知られるきっかけは必要なもの。その点、彼女には何か特別な、人を幸せにするような才能があるのだろうか。今回のシマノフスキは、一部譜面を見ながらの演奏であったが、前日の諏訪内の演奏が、先鋭的な音響を志向する華やかなものであったとすると、ヤンセンの演奏はさらに情熱に依拠する要素が強いものであったように思う。その音楽への没入は凄まじく、繰り出される音のうねり方は聴衆を圧倒した。そして何度かのカーテンコールを経て、彼女がラトルとともにステージ奥に行ったと思うと、そこにあったピアノの横に陣取り、ラトルが大きな声で「ラヴェル!!」と宣言して始まったアンコールは、そのラヴェルの「ツィガーヌ形式の小品」。バスク人の血を引くラヴェルならではのスペイン情緒溢れる曲であるが、そのスペインから遠く離れたオランダ生まれのヤンセンが、なんとも粋で小股の切れ上がったヴァイオリン演奏を披露したのは驚かないのだが、シマノフスキのコンチェルトの編成に含まれていたピアノは、そのコンチェルトではロンドン響の奏者が弾いていたはずだが、アンコールの演奏終了時にヤンセンとラトルが抱き合っているのを見て、おっとあのピアノはラトルであったかと気づいた次第 (私の席からはステージ奥が全く見えなかった)。このあたりにもラトルの機知が見えるではないか。

そして最後のシベリウス 5番。英国ではこの作曲家が好まれていて、歴代の英国の名指揮者は、この作曲家の作品を得意にしている。ラトルも例外ではなく、1981年からフィルハーモニア管とバーミンガム市響と組んで録音した彼にとって最初のシベリウスの交響曲全集でも、この 5番は確か最初の録音であったはず。
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この演奏ではたまたま、冒頭部分を含むいくつかの箇所で、ホルンが僅かなミスをしていたが、やはりラトルが導くロンドン響は、音がクリアで流麗だ。シベリウスについては先にクレルヴォ交響曲 (パーヴォ・ヤルヴィと N 響の演奏) の記事であれこれの思いを書いておいたが、今回のこの 5番の凝縮度と清澄さには、本当に特筆すべきものがあったと思う。いや、この曲のそんな持ち味は既に承知であるつもりであったが、それにしても、なるほどこれが、ラトルと新たな手兵が紡ぎ出したい音楽なのであろうか。途中ラトルはコントラバスに細かい注意をしたり、あるいはオケ全体を見渡したりして、音の流れをよくしようとしているように見受けられたが、オケは指揮者の意向をよく汲み取って、この作曲家らしい抽象性もよく表現していたと思う。そう考えると、これはなんとも幸せなコンビではないだろうか。英米をはじめ、自国の利益に回帰する先進国において、英国の巨匠ラトルと英国を代表するオケであるロンドン響が今後いかなる方向性を目指すのかについて、考えるヒントを与えられる、素晴らしい演奏であった。

この曲の後のアンコールというと、同じシベリウスの「悲しきワルツ」あたりが定番であると思うが、「ミナサマ、ドウモアリガトウゴザイマス」と日本語で挨拶したラトルは次に、「ドヴォルジャーク、スラヴィック・ダンス」とアナウンスし、慌てて入ってきた 3人の打楽器奏者とともに演奏したのは、ドヴォルザークのスラヴ舞曲第 2集作品 72の第 7番。そう、このコンビの演奏会の東京での初日に 8曲すべて演奏した曲集からの有名なナンバーである。これはやはり、楽しいだけでなく、ただならぬ音の炸裂が聴かれる音楽。広がりと推進力を両立させた演奏で、さすがのクオリティであった。その後ラトルは、このツアーで引退する第 1ヴァイオリン奏者に花束を渡し、なんとも親密な雰囲気のうちに、彼らの日本ツアーは幕を閉じたのであった。これは本拠地での写真。
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実は前回のコンサートの幕間で、ある方の紹介により、ロンドン響の Managing Director であるキャスリン・マクドウェルさんと少しお話する機会に恵まれた。彼女によると、Sir Simon はここ (= ロンドン交響楽団) で Happy であるとのこと。なるほど、それは今日の演奏会を聴いていてもよく感じることができたことである。今回の 3回のコンサートの内容を振り返ってみると、作曲家の生地は、チェコ (マーラーも生まれは現在のチェコである)、ポーランド、米国、英国、フィンランド、そしてフランスという具合で、ドイツ系は (そのマーラーを除けば) 慎重に避けられているように思う。ラトルが長年コンビを組んだベルリン・フィルは、もちろん世界を代表するスーパー・オーケストラであり、その存在はグローバルであるが、やはりドイツの楽団であるのも確かなこと。英国人ラトルがベルリン・フィルとのコミュニケーションで使っていた言語は、メディアを見る限りにおいては、ほとんど英語である。カラヤン以前はもちろん独墺系の芸術監督しかいないし、彼の前任者であったイタリア人のクラウディオ・アバド (奇しくもロンドン響の音楽監督としてもラトルの先輩だ) もウィーンに学んだ人だから、当然ドイツ語は流暢であったはず。そう考えてみれば、歴代のベルリン・フィルの芸術監督でドイツ語をメインの言語としなかったのはラトルだけではないだろうか。カッチリしたドイツ気質を持っているベルリン・フィルとしては、そのようなラトルと一旦袂を分かつことは、やむないことなのかもしれない。もちろん、言語の問題は本質ではないかもしれないが、少なくともひとつのきっかけにはなっているのかもしれない。そう言えば、映像で見るバーンスタインとウィーン・フィルのリハーサルで、バーンスタインはなんとドイツ語を喋っている。ラトルの気配りはそれとは異なるところにあったのだろうか。

もともとラトルはロンドンのオケではフィルハーモニア管との関係が近く、実際問題としてロンドン響との過去の共演経験には未だ充分ではないであろうから、この顔合わせが独自の世界に達するには時間がかかるのではないかと、若干危惧していたのだが、なんのことはない、音楽監督就任 1周年にしてこれだけ見事な演奏を聴かせてくれれば満足だ。これから先は、より深い関係性の中で、また、新たなレパートリーを取り入れて、充実の演奏活動を繰り広げて欲しいものである。21世紀のクラシック音楽のスタンダードを創り上げてくれることを期待して、この 3回の演奏会の総括にしたいと思う。

by yokohama7474 | 2018-09-29 22:35 | 音楽 (Live) | Comments(2)

シルヴァン・カンブルラン指揮 読売日本交響楽団 (ヴァイオリン : 諏訪内晶子) 2018年 9月28日 サントリーホール

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読売日本交響楽団 (通称「読響」) の常任指揮者、フランスの名指揮者であるシルヴァン・カンブルランは、今シーズン一杯で退任することになっている。読響のシーズンは 4月からなので、今下期に入ったばかりであるが、今月 3つのプログラムを振り、残るはいよいよ来年 3月の公演だけになる。そう思うとこのコンビの演奏の一回一回が貴重に思われてくるのだが、これは、今月彼が読響を指揮した 3つめのプログラム。ほかの 2つ (ひとつはオール・チャイコフスキーで、4番がメイン、もうひとつはモーツァルトと、ブルックナー 4番) も聴きたかったが、ほかのコンサートとの兼ね合いで果たせず、なんとか今月最後の公演のみを聴くことができたのである。読響はいつもしゃれたチラシを作成するのであるが、今回は通常のサイズよりも縦長で、コピーは「ラ・ヴァルス 破滅の円舞曲」とある。もちろん、ラヴェルの名曲「ラ・ヴァルス」を知る人は、その退廃性を知っているであろうから、このコピーにはそれほど驚かない。だが、楽団作成によるこの演奏会の案内チラシが別にあって、それによると、カンブルランが読響でこの「ラ・ヴァルス」を採り上げるのは初めてとのこと。それは、カンブルランがこの曲を極めて特別であると考えていて、いわゆる「名曲プログラム」に入れるのではなく、「生と死を見つめるようなシリアスなプログラムの中で、メインとして演奏しなければ意味がないという強い思いがあった」とのことである。そのような考えに基づいて構成された今回のプログラムは、以下のようなもの。
 ペンデレツキ : 広島の犠牲者に捧げる哀歌
 シマノフスキ : ヴァイオリン協奏曲第 1番作品35 (ヴァイオリン : 諏訪内晶子)
 ハース : 静物
 ラヴェル : ラ・ヴァルス

なるほど、このプログラミングの妙はカンブルランならではだ。前半にはポーランドの作品を並べているし、いわゆる現代音楽という分野は、前半と後半のそれぞれ 1曲目。一方、前半と後半のそれぞれ 2曲目は、いずれも 1920年代に世に出た曲だ。そして、まさに「生と死をみつめるようなシリアスなプログラム」である。このバランスはかなり微妙なもので、演奏するオケの人たちにとってはなかなかに負担の多い内容だと思うが、聴き手としては大変に聴きごたえのある演奏会であったと、最初に言っておこう。
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最初のペンデレツキの作品は、いわゆる現代曲としては抜群の知名度を誇る弦楽合奏のための曲で、1961年に初演されている。この「広島の犠牲者に捧げる哀歌」という題名が、曲の持つ悲劇的な響きにふわさしいことが、その知名度の高さの一因であることは間違いないと思う。だが、これも音楽好きには常識であると思うが、この曲は最初から反戦とかあるいは何か政治的なメッセージを込めて作曲されたものではないのである。その証拠として、初演されたときの題名は「8分37秒」。つまりはこの曲の想定演奏時間という無機的な題名であったのである。ともあれ、いわゆるトーンクラスター (通常楽譜に書かれる 1オクターブ内の 12の音の間の音を密集させる・・・いやつまり、耳にはキュンキュンギュルギュルという音の塊が聴こえると言えばよいか 笑) という手法の代表作とみなされていて、いわゆる前衛音楽が前衛の衣をまとっていた頃の雰囲気が濃厚なので、その意味で既に歴史的な作品であるが、確かに、未だに耳に刺激を与える音楽ではある。作曲者ペンデレツキはこの後保守的なスタイルへと変わり、もうすぐ 85歳になる現在でも高い名声を誇っている。
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2曲目のシマノフスキも、ポーランドの作曲家であるが、1882年生まれであるから、いわゆる現代音楽の作曲家とはみなされていない。ヴァイオリン協奏曲は 2曲書いていて、いずれもそれなりの知名度があるが、この 1番の方が演奏頻度は高いと思う。30分足らずの単一楽章による協奏曲で、初演は 1922年。シマノフスキはポーランドの民俗的な要素を持ちながらも、大変夢幻的な音楽を書いた人だが、この協奏曲も実に美しく抒情的。今回はソリストとして諏訪内晶子が登場した。
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諏訪内のシマノフスキと言えば、随分以前に「神話」という曲を録音していたし、後になって思い出したことには、2011年にはクシシトフ・ウルバンスキ指揮東京交響楽団との共演で、ヴァイオリン協奏曲第 2番を演奏したのを聴いている。彼女の最近の活動は、このブログでも採り上げたことがある国際音楽祭 NIPPON の主催など、一般的な知名度や人気に溺れることのない真摯なもので、このシマノフスキのような若干の変化球 (つまり、チャイコフスキーとかシベリウスではない) でも、自らの音楽を堂々と主張している点に好感が持てる。今回の演奏も、変化する曲想の中に浮かび上がる抒情を十全に表現していたと思うし、終わり近くに出て来るカデンツァも、美しく厳しいものであった。そして、アンコールはバッハかと思いきや、イザイの無伴奏ソナタ第 2番の第 1楽章だ。この曲、冒頭はバッハの引用になっていて、徐々に変容して行き、グレゴリオ聖歌の「怒りの日」が現れてくるという、まさに「生と死をみつめるような」曲である。最後に「怒りの日」の旋律が大きなボウイングで表現されるのを聴いて、改めて恐ろしい曲だと思った。諏訪内のヴァイオリンは、この日のプログラムのテーマに沿って見事な歌を奏でたと思う。

さて、後半の 1曲目は、オーストリアの作曲家、ゲオルク・フリードリヒ・ハース (1953年生まれ) の「静物」である。このハースという作曲家、確か以前にウィーン・フィルが演奏した作品があったような気がしたのだが、経歴を見てみると、まさにウィーンで学んだ人。あのフリードリヒ・ツェルハの弟子である。ツェルハはよく知られている通り、アルバン・ベルクの未完のオペラ「ルル」を補筆完成させた人。なのでこのハースは、ウィーンの 20世紀音楽の流れを引く作曲家なのであろう。今回演奏された「静物」は、25分ほどの曲であるが、2003年に、今回の指揮者カンブルランが、当時の手兵バーデンバーデン & フライブルク SWR 交響楽団とどもに、ドナウエッシンゲン音楽祭において世界初演している。これがハース。
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そういえば、昨年のサントリー国際委嘱シリーズはこの人の作品であった。その新作初演に行けなかったことを今更のように後悔する。というのも、今回の「静物」が、かなり面白い曲であったからだ。弦楽器の動きと、それとは無関係に聞こえる管楽器の膨張する音響が混じり合うところから始まり、途中にはまるでフィリップ・グラスかジョン・アダムズの作品のようなミニマル風のリズムの反復があり、気がつくと音楽がうねっているというもの。25分でも長すぎると感じるほどの密度の音楽であった。カンブルランと読響は、この曲の解釈者としては最高の部類に入るのではないか。21世紀に入ってから書かれたこのような新鮮な音楽の初演者が、日本で彼のオケとともにその音楽を演奏することの意義を、よく理解したいものだと思う。また、ウィーンという街の持つ深部、つまり、お菓子や優美な宮廷音楽ではない、まさに「生と死をみつめる」ような強烈なタイプの芸術を生み出した街だということを思い出してもよいだろう。美術で言えば、クリムトやシーレはそのような例として分かりやすいが、さらに時代が下って、ウィーン幻想派を代表するルドルフ・ハウズナー (1914 - 1995) など、どうだろう。私はこのハースの作品の精神と通じるものがあるように思うのだが、いかがだろうか。「オデュッセウスの方舟」という作品。
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と、ここまで書いてから気が付いた。そうだ、最後のラヴェルの「ラ・ヴァルス」こそ、そのウィーンに捧げられたオマージュではなかったか。ここにも、もうひとつプログラミングの妙があった!! 今回の「ラ・ヴァルス」の演奏は一貫して遅めのテンポが取られ、明晰ではありながらも、華麗さよりは重厚で運命的な不気味さが強調されていた。これこそが、カンブルランがこの曲に見て取った真価なのであろう。聴き慣れた曲でも、一定のコンテクストのもとで聴くと、イメージが変わってしまうことがある。いや、より正確には、上に書いた通り、「ラ・ヴァルス」が深遠でかつ退廃的な音楽であることは知っていたつもりだが、実際にそれまでの 3曲を耳で受け止めたあとであったがゆえに、より一層切実に心に響いてきたものである。カンブルランの場合には、ただアイデアだけではなく、実際に鳴らしてみせる音が、彼の感性を充分に反映しているものになるので、説得力の大きいものになるのであろう。

終演後にはサイン会があったので、指揮者とソリストのサインを頂いた。カンブルランは以前にもサインをもらったことがあるが、諏訪内さんは初めてだと思う。高尚なプログラムのあとでミーハーなことを言うようではあるが (笑)、やはり実演を聴いたあと、そのアーティストを目の当たりにすることには、何とも言えない高揚感を覚える貴重な機会だと思う。
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読響でのカンブルランのラスト・シーズン、来年 3月には、なんといっても超大作「グレの歌」が演奏されるのが楽しみである。

by yokohama7474 | 2018-09-29 11:51 | 音楽 (Live) | Comments(0)

文楽「南都二月堂 良弁杉由来 (ろうべんすぎのゆらい)」、「増補忠臣蔵」 2018年 9月24日 国立劇場小劇場

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東京・国立劇場における今月の文楽公演は、午後の部で上演された「夏祭浪花鑑」の初日の公演を以前レポートした。そして、なんとか午前の部の演目にも行けないかとあれこれ思案・調整して、なんとか行くことができたのは、千秋楽の 9/24 (月・祝)。その日の夜は既にこのブログにて採り上げた、サイモン・ラトル指揮ロンドン交響楽団のコンサートがあったので、レポートの順番は逆になってしまったが、その午前の部について、ここで印象を記しておきたい。演目は、「南都二月堂 良弁杉由来」と、「増補忠臣蔵」。実はこの 2本は江戸時代の作品ではなく、明治に入ってから書かれたものである。今年は明治 150年記念ということで、明治期の作品を 2作上演する運びになったということらしい。

さて最初の「良弁杉由来」であるが、冒頭に「南都二月堂」とあることで明らかな通り、これは奈良の名刹、東大寺を舞台にした物語。その主人公は、奈良時代の高僧で、東大寺の開山である良弁 (ろうべん) 上人 (689 - 774)。これは東大寺開山堂にある国宝・良弁上人坐像。同時代の作ではなく、平安時代のものだとされているが、その凛とした佇まいは、さすが日本仏教史有数の名僧のひとりであり、第一級の彫刻である。これは秘仏で、毎年 12月16日の開扉。もちろん私は現地まで見に行ったことが何度かある。
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この文楽は、この良弁上人が幼少の頃、鷲にさらわれて杉の木にひっかかっているのを僧に助けられた、という伝説に基づくもの。以下の 4段からなる。
 志賀の里の段
 桜の宮物狂いの段
 東大寺の段
 二月堂の段

最初の段では、良弁の故郷志賀 (滋賀県のこと) で、30前にして夫を亡くした渚の方が、2歳の息子光丸とおつきの者たちを連れて茶摘みに興じていたところ、大鷲がやってきて光丸をとらえて去って行く。次の段はその 30年後。老いてすっかり正気を亡くしてしまった渚の方が、大阪の桜の宮を彷徨い歩き、水辺に映った我が身の老醜にはっとめざめ、東大寺の良弁僧正が幼少時に鷲にさらわれたと聞いて、奈良に向かう。次の段では、東大寺に辿り着いたはよいが、下々は御目通りすら叶わぬ高僧に、老婆が容易に接近できず、通りがかりの僧の知恵で、用件を書いた文を、良弁が子供の頃ひっかかっていたという杉の木 (二月堂の前にある) に貼っておくという手段に出る。そして最後の段では、感動的な親子の再会が描かれる。上演時間も手頃だし、登場人物も少ないので、文楽の演目の中ではかなり親しみやすいものだと思う。ところで、これはお寺好きでなくとも一般常識の部類だと思うが、東大寺二月堂は、早春に行われるお水取り (修二会) の舞台。この密やかな祭にはシルクロードの匂いがプンプンなのであるが、それはともかく、この文楽の最後の段は、その東大寺二月堂の前で行われる人間感情の炸裂である。実は今でも二月堂の前には、良弁が鷲にさらわれてひっかかったという杉の子孫と言われる木が存在している。その名も良弁杉。
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この「良弁杉由来」が明治の世に出てから、曲折を経て文楽のレパートリーに定着したにはいくつか理由があるらしいが、そのうちのひとつは、音楽の良さだという。例えば最初の段で使われる楽器に八雲琴というものがあるが、これは明治期の関西で流行した二弦の琴であるらしい。今回の上演でも、渚の方の踊りの伴奏で 2人の奏者が演奏したが、それはそれは見事なものであった。
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そしてここにはまたユーモラスな要素もある。シャボン玉を吹く行商人が面白く、彼が作った大きなシャボン玉には、「祝! 千穐楽!」と書いてあった。また、最後の段で感動的な親子の再会が起こる前に、良弁のおつきの者たちが、アクロバティックな芸を披露するのも大きな見せ場であろう。そのユーモラスさがあるゆえの、感動的な母子の出会いになるわけであろう。
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この良弁上人が鷲にさらわれた話は、ある種の貴種流浪譚であろうが、どこか日本人の感性に訴えるものがあるのであろう。幕末の土佐でおどろおどろしい芝居絵を描いた画家で、絵金 (絵師金蔵の略) という人がいて、私はこの画家に打ちのめされている人間なのであるが、その絵金の描く、良弁鷲にさらわれるの図はこれである。
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さて、もうひとつの演目である「増補忠臣蔵」であるが、これは読んで字のごとく、忠臣蔵のサイドストーリーである。後日譚ではなく、前日譚。つまり、浪士たちが高師直 (こうのもろなお。実在の人物だが、「逆賊」足利尊氏の執事であったことから、悪い奴というイメージが形成され、「忠臣蔵」においては吉良上野介の役名になっている) 邸に討ち入りをする前の話である。1時間ほどの演目だが、結構関係人物 (ここに出て来ない人も含めて) が多く、若干雑多な印象もある。明治期に書かれた文楽の前に、恐らくは先行して江戸時代に同じ演目の歌舞伎があったようだが、今回の公演のプログラム解説によると、「小さな世界で完結する創作ぶりは、明治以前の B 級の匂いがします」と、酷評されている (笑)。だがこの演目のテーマは分かりやすい。義を立てて主君に忠実に仕える者は、たとえ手段を選ばない行動によって誤解を受けたとしても、主君さえ諌言に耳を貸さない立派な武士であれば、その主君にはちゃんと真意が通じるということである。ここでの主人公、加古川本蔵は、このようにお縄になってしまい、主君である桃井若狭之介から手打ちにされることになる。絶体絶命のピンチ。
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ところがこの後、どんでん返しがあって、本蔵の命は救われる。面白いのは、この文楽に先立つ同じ内容の歌舞伎の演目では、「本蔵土壇」と呼ばれていたという。言うまでもなく、「土壇場」の「土壇」である。そう、自分が正しいことをしたと思ったら、潔く運を天に任せ、裁きを待てばよい。まぁ、現実世界ではなかなかそうも行きませんがね (笑)。だがしかし、これはこれで、B 級であろうとなんであろうと、人間の生き様を考え直すきっかけになる演目であろう。

この文楽の世界、それはそれは奥深いものであり、このブログをご覧の方々にも、クラシック音楽以外の舞台芸術で、このような素晴らしいものが日本にはあると、是非実感して頂きたい。

by yokohama7474 | 2018-09-28 00:14 | 演劇 | Comments(2)

サイモン・ラトル指揮 ロンドン交響楽団 2018年 9月25日 サントリーホール

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英国の名指揮者サー・サイモン・ラトルと、彼が昨年から音楽監督を務めるロンドン交響楽団の、東京での 2日目のコンサート。今回もまた、大変に意欲的なプログラムである。
 ヘレン・グライム : 織り成された空間 (日本初演)
 マーラー : 交響曲第 9番ニ長調

マーラーが完成した最後の交響曲である 9番はもちろん、西洋音楽史においても屈指の厳粛な内容を持つ曲であり、マーラーファンの多い東京では、当然ラトルの指揮するこの曲に興味が集まるはず。と思って会場に足を運んでみると、前日同様、ほぼ満席とは言いながら、そこここに空席も目に付く状況で、当日券も販売されていた。もちろんチケットの値段は安くはないのだが、これがベルリン・フィルなら文句なしに完売だったろうと思うと、この状況に少し複雑な思いがないではない。だが、音楽ファンとしては、サイモン・ラトルの演奏会は、やはりできる限り聴いてみたいもの。今回も万難を排して行ってみて、様々なことを感じることができる、有意義な演奏会であった。

まず最初の日本初演作品の作曲者ヘレン・グライムは、1981年生まれのスコットランドの新鋭作曲家。
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彼女の経歴については日本語の資料はなかなか見当たらないものの、英語なら Wiki もある。もともとオーボエを学んだ人であるが、経歴は主として英国を中心としたもので、それほど派手な内容は見当たらない。実は今回のロンドン響のプログラムには、ほかの曲目はざっと通り一遍の解説しかないにも関わらず、このグライムの「織り成された空間 (Woven Space)」という作品に関してだけは、楽団提供の資料によって、実に細かい解説が載っていて興味深い。それによると、彼女はもともとロンドン響の委嘱で「尾流雲 (Virga)」という作品を 10年ほど前に発表したことがあり、今回はより規模の大きな新作を作曲した。これは今年の 4月にサイモン・ラトルとロンドン響によって世界初演されたばかりの曲なのである。YouTube にはラトルがこの作曲家について語っている映像があり、それによると、自分が知らない英国の若い作曲家でよい人がいないかと探していて、彼女の作品に出会って即時に魅了されたとのこと。実は今回演奏された曲は 3楽章から成るが、冒頭楽章は昨年 9月のロンドン響のシーズン開始のコンサート (ということは、ラトルの音楽監督としての最初のコンサートだろう) で演奏されたファンファーレであるという。これは、グライムが忙しかったがゆえに、まずは最初のファンファーレだけ書いてもらい、全曲は完成してから演奏することとしたという経緯らしい。これはかなりの驚きではないか。世界最高の指揮者が母国で新たなシーズンを始めるにあたり、未だ実績も多くない 30代の若手作曲家の作品を初演するとは!! 実のところ、上にも触れた 10年ほど前の「尾流雲 (Virga)」という作品、2009年のプロムスで演奏されたとのことなので、手元でその年のプロムスのプログラムを探してみたところ、あったあった。先般惜しくも亡くなったオリヴァー・ナッセン指揮の BBC 響による2009年 8月 7日の演奏だが、私自身は残念ながらこのコンサートは聴いていない。
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演奏前に舞台を見てすぐに気づいたのは、前日には確か取っていなかったはずの、ヴァイオリンの左右対抗配置を取っていたことである。この配置は通常、古典的なレパートリーを演奏するために採用されることが多いところ、この日のように、現代曲とマーラーなのにそれは妙だなと思ってものだが、音楽が始まってすぐに納得した。あたかも音のつづれ織りのようなこの曲においては、冒頭間もないところから、第 1ヴァイオリンと第 2ヴァイオリンが饗応するのである。以前も確かラトルとベルリン・フィルの記事で、様々な写真で見る限り、このコンビは曲に応じてヴァイオリンの対抗配置を取ったり取らなかったりしていると書いた記憶があるが、それがラトルのやり方なのであろう。音響的に見てその方が効果的だと思えば、そのようにするということだと思う。この「織り成された空間」は 20分ほどの曲であり、決して保守的という言葉は似合わないが、誰でも聞き取ることのできる美しさを備えた音楽だったと思う。題名の通り、空間の擬態としての音が織り成されて行く印象だ。解説によると、その作品の霊感の源泉は、ローラ・エレン・ベーコンという彫刻家のインスタレーションであるという。柳の小枝を編んで作品を制作し、時には既存の建物にそれを組み込んだインスタレーションを作るアーティスト。こんな感じの作品であり、人である。なるほど。
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さて、そしてこの日のメイン、マーラーの 9番である。ラトルはもちろんマーラーを得意にしていて、これまでにも積極的に採り上げてきているが、それにしてもこの 9番という天下の難曲を、未だ音楽監督として日の浅いロンドン響と演奏するということは、相当に度胸の必要なことではないだろうか。実は彼は既にベルリン・フィルとの 2011年の来日公演で、この曲を演奏している。だが正直なところ私はその演奏について、あまり記憶がない。そのときに別のコンサートで演奏された細川俊夫のホルン協奏曲とかブルックナー 9番は、それなりに記憶があるのだが・・・。その年は 3月に大震災があって、様々な演奏家の来日公演の中止も相次ぎ、そんな環境における動揺が災いしたのかもしれない。ともあれ今回は、新たなコンビによる演奏であったのだが、やはり冒頭で気づいたことには、この曲には第 2ヴァイオリンの充実が欠かせない。だから、ヴァイオリンの対抗配置は実に効果的なのである。ラトルの思惑通り常にその音像はクリアで、第 2ヴァイオリンは、第 2楽章レントラー (昔ブルーノ・ワルターがリハーサルでどうしても足踏みをしてしまうほど熱を入れた旋律) でのギスギスした音も見事であり、終楽章の終結部での最後の息のようなニュアンスまで、かなり丁寧に曲想の変化を表現していたと思う。第 1楽章におけるホルンのような小さなミスはあったものの、総じて、ドラマ性を纏った一貫した音の渦がそこには聴かれたし、生と死のせめぎ合いを切実に表現した演奏であった。だが、もし若干の留保をつけるとすると、この曲の本当の深奥に迫るには、さらにさらに、情念の世界が必要ではないだろうか。このオケはそもそもが、あまり情念の表出には向いていないきらいもある。クリアな音質でプロフェッショナルな高い水準を常に達成するのであるが、もう身も世もないという断腸の音楽というイメージはあまりない。ラトルの引き出す音の多彩さに圧倒されながらも、聴いていて冷静さを失うほどの衝撃までは受けなかったのは、私だけであろうか。このあたりが音楽の難しいところで、個人の好みも当然関係してくるのだが、もしかすると、60代半ばに差し掛かるサイモン・ラトルと、BREXIT を控えた英国の代表的なオケであるロンドン響の共演は、その成熟度がさらに増したときに、さらに深化した表現を聴かせてくれるのかもしれないと思ったものである。

前日に続き、休憩を含んだ演奏時間は 2時間20分ほどになり、曲の内容が重かったこともあり、今回もアンコールはなし。だが、ひとつ私にとっての朗報があり、会場でラトルとロンドン響の CD を購入すると、終演後にサイン会に出席できるという。以前もこのブログに書いたが、私はラトルの初来日であった 1985年以来 (!!)、彼のサインをもらったことはないので、これは貴重な機会とばかり、以前から欲しいと思っていたハイドンの作品を集めたアルバム「想像上のオーケストラの旅」を購入。終演後しばらく待たされたものの、セーター姿のラトルが出て来て「スミマセン」と日本語でファンにお詫びを言ってくれ、無事サインをもらうことができた。
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今回サイン待ちをしているときに、楽屋につながるドアのあたりに、前日ソリストとして共演したクリスティアン・ツィメルマンの姿が見えたし、さらに興味深いことには、あのパーヴォ・ヤルヴィが楽屋に入って行くところも目にすることとなった。N 響との 3種類の定期公演を振る指揮者は、東京に 1ヶ月近く滞在するであろうから、この街で行われている演奏会に足を運ぶことは、その気さえあればできるはず。ヤルヴィの場合は、以前もバレンボイムとシュターツカペレ・ベルリンによるブルックナー・ツィクルスに何度か来ていたことをレポートしたが、やはり東京を代表するオケを預かる身としては、東京で行われる音楽イヴェントの質を知ってもらうことには、大いに意味があると思う。ついでに N 響の指揮台にこのような指揮者を招聘でもしてもらえればいいなぁ・・・と、勝手に夢想している私でした。ラトルとロンドン響、サントリーホールでは週末にもうひとつ、これも期待のプログラムが待っているので、それを楽しみにしたい。

by yokohama7474 | 2018-09-26 01:17 | 音楽 (Live) | Comments(2)

サイモン・ラトル指揮 ロンドン交響楽団 (ピアノ : クリスティアン・ツィメルマン) 2018年 9月24日 サントリーホール

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舞台の上に、ともに白髪の指揮者とピアニストがいる。指揮者は英国人サイモン・ラトル 63歳。ピアニストはポーランド人クリスティアン・ツィメルマン 61歳。ともに現代を代表する音楽家である彼らが、東京・サントリーホールで共演した曲目は、ベートーヴェンでもブラームスでも、あるいはショパンでもラフマニノフでもない。バーンスタインの作品だ。聴衆たちの喝采の中、私はしばしそのことを考えていた。クラシック音楽と呼ばれる分野の音楽を私はそれなりに聴いているのだけれども、この分野はいかんせん、世間一般においてはマイナーなもの。この分野の音楽が今後どのくらい聴衆を維持して行けるかは、どんな音楽をどんな演奏で聴くことができるかということと、密接に関係しているだろう。ともに音楽家として、広い視野と、そして同時に強い信念とこだわりを持つこの 2人。別に現代が「不安の時代」であると決めつけるつもりはないが、このような人たちが真摯な演奏を続けてくれる限りにおいて、音楽界には希望があると思う。

そんなことを書いているのは、ベルリン・フィルの芸術監督を今年退任したラトルが、既に昨年 9月から音楽監督を務めるロンドン響と、早くも来日公演を行っているからである。自他ともに認める世界最高のオケであるベルリン・フィルの芸術監督とは、これまでは指揮者にとっての最終ゴールにふさわしいポストであった。だがラトルは 60代前半でそのポストを返上し、新たな活動に入ることを決めたわけである。もちろんロンドン響は英国でベストを争う、歴史から見ても能力から見ても、文句のない世界的な名門オケではあるが、それでもベルリン・フィルを辞することを決めたラトルがそこを次の職場に選んだときには、驚きの声が上がったものである。ラトルとベルリン・フィルの演奏は、過去 2回の来日公演をこのブログでも採り上げたし、先般 NHK でも芸術監督としての最後の公演であったマーラー 6番を放送していた。彼のベルリンでの業績や課題をここで繰り返すつもりはないが、私の思いを一言で表すとするなら、やはり既に退任の潮時であったということだ。これはラトルとベルリン・フィルとの永遠の別離でも何でもなく、お互いに新たな道に入ったということである。この写真は、ロンドン響の本拠地バービカンにおける両者の演奏会の様子。
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そんなラトルが今回そのロンドン響との初来日に際して選んだ曲目は、なんとも意欲的なもの。東京での最初の演奏会となったこの日の曲目は以下の通り。
 バーンスタイン : 交響曲第 2番「不安の時代」(ピアノ : クリスティアン・ツィメルマン)
 ドヴォルザーク : スラヴ舞曲集作品72
 ヤナーチェク : シンフォニエッタ

これをどう評したらよいだろう。まず最初は、今年生誕 100年を迎える米国のレナード・バーンスタインの作品。そして後半は、なぜかチェコ音楽である。しかも、ポピュラーな「新世界」などではなく、スラヴ舞曲の第 2集 (有名な数曲の抜粋かと思いきや、8曲全部の演奏だ!!)、そして大変な名曲とはいえ、別動隊のトランペットを必要とするヤナーチェクのシンフォニエッタ。これはオケにとっても負担が大きいし、動員の面でも些か不安はありはしないか。実際に会場であるサントリーホールに足を運んでみると、いつもベルリン・フィルなら空席はほぼゼロになるところ、さすがに今回は、ほぼ満席に近いとはいえ、当日券も販売されていたし、ところどころに空席がある。だがその演奏は、期待に違わず、新たなコンビの門出に相応しい新鮮さで、ツィメルマンのピアノともども、実に素晴らしい内容となった。これは今年の 6月、退任間近のラトルが、ベルリン・フィルのステージでツィメルマンとともに、やはり「不安の時代」を演奏したときの写真。
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バーンスタインのこの作品は、3曲ある彼の交響曲のうち、唯一ユダヤ教色がないせいだろうか、最近演奏頻度が増えてきた。いかにもバーンスタインらしい平明さと都会的な孤独感、そして未来への希望を感じさせる曲で、米国音楽の代表作のひとつに数えられる。ピアノが全曲を通して活躍し、淋しいモノローグから、先鋭的な音響、はたまたジャズ風のフレーズまで、様々な表情を聴かせる。ツィメルマンのような高い芸術性を持つピアニストとしては異色のレパートリーかと思えば、実は 1986年に作曲者バーンスタインの指揮で演奏し、映像が残っている。そしてその時のオケもやはり、ロンドン響であったのである。今回のプログラムに記載あるところでは、ツィメルマンはバーンスタインと、100歳の誕生日に共演しようと話していたとのことで、つまり彼は今回、バーンスタインとの約束を果たしているわけである。もちろんそのピアノは、多彩な音響を素晴らしい説得力で描き出していて、いかにもこの人らしい奥行きを感じさせた。一方のラトルとロンドン響も、冒頭のクラリネット 2本から大変鮮やかでかつドラマティックな音で鳴っていて、曲への共感に満ちていた。もともとこのオケは大変に柔軟性があって、映画音楽も多く手掛けてきているわけであるが、あたかも映画音楽的な要素もあるこの曲には、もったいぶったところのないこのオケの音がよく合っていた。そしてラトルも、これはどう聴いても彼独自のものである密度の濃い音を自在に鳴らしていて、なるほどこのコンビの共演は、このように鳴るのか!! と、大変新鮮に聴いた。これは上記写真でご紹介したベルリンでのライヴ録音。このジャケットを見て、バーンスタインがツィメルマンに乗り移ったように見えるのは私だけか (笑)。ついでに、髭を生やしていた頃のバーンスタインの映像もアップしておこう。
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上述の通り、後半 1曲目のスラヴ舞曲第 2集は、8曲すべてを演奏したのだが、ここではさらに指揮者とオケが自在に音を繰り出すことで、とにかく誰が聴いても楽しい音楽に仕上がっていた。8曲中有名なのは 3曲ほどであるが、ラトルは 40分ほどの全曲をすべて暗譜で指揮。オケが盛り上がる箇所では、まるでシンフォニーのような壮大な鳴り方で、これもいかにもラトル風の「音楽が牙を剥く」瞬間だ。そして、さらには最後のシンフォニエッタでは、舞台裏手のオルガン前に 9人のトランペット奏者がずらりと並んだ。こんな大人数だから、日本でエキストラを募っているのかと思いきや、一人も日本人はいない。今回この曲を演奏するために、これだけの人数の楽員を来日させたということだろう。私はもともとヤナーチェクは大好きだし、このシンフォニエッタはその中でも最もお気に入りなのだが、なにせこの編成では、それほど実演で耳にすることはない。外来オケによる演奏だけでも貴重な機会であるのに、これだけの強い表現力の線が一本通った演奏となると、なかなか聴けるものではないだろう。ラトルは若い頃からこの曲をレパートリーにしているだけあって、ここでも完全に暗譜での指揮ぶり。ウェットに歌う部分もあるが、テンポは概して速めで、この作曲家特有のワイルドさが炸裂する。クライマックスは鳥肌立つような迫力で、すべての聴衆を圧倒した。これは 1982年に彼がフィルハーモニア管を指揮した録音。未だ 20代の頃の、彼のレコーディングキャリアでも最初期に属するものだ。
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ここで冒頭の感慨に戻ろう。クラシック音楽の場合、どうしても過去の名曲を繰り返し聴くということになってしまうし、もちろん名曲は何度聴いても名曲だとも言えるのだが、やはり、曲の新たな面を発見できるような新鮮な演奏を聴く機会がないと、新たな聴衆など生まれようはずもない。その意味で、サイモン・ラトルが、ロンドン響を指揮して、クリスティアン・ツィメルマンと、バーンスタインのシンフォニーを演奏することに、何か素晴らしい意義があるような気がする。いつもながら、こんな音楽を聴くことができる東京の聴衆は、やはり恵まれていると再認識するのである。このコンビのほかの演奏も、楽しみである。

by yokohama7474 | 2018-09-24 23:47 | 音楽 (Live) | Comments(0)

ペトル・アルトリヒテル指揮 新日本フィルハーモニー交響楽団 2018年 9月23日 サントリーホール

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先に音楽監督上岡敏之の指揮で聴いた新日本フィルハーモニー交響楽団 (通称「新日本フィル」) が、またまた意欲的な演奏会を開いた。今回指揮台に登場したのは、チェコの名指揮者ペトル・アルトリヒテル。今年 67歳で、これから指揮者としての円熟期を迎えるであろう人である。例えば今、Googleでこの人の名前を検索すると、音楽事務所ジャパン・アーツのホームページの次に出て来るのが、このブログの昨年 10月 1日付の記事である。それはこのアルトリヒテルが名門チェコ・フィルを率いて行った来日公演から、チェコの代名詞のような曲、スメタナの連作交響詩「わが祖国」の演奏会であった。そして今回そのアルトリヒテルが新日本フィルとの顔合わせで振るのも、やはり同じ「わが祖国」。チェコの指揮者にとって聖典のようなこの作品を、今度は日本のオケを指揮して披露するにあたり、アルトリヒテルにはいかなる期待や疑念があったものだろうか。
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この曲に関して、上で「チェコの代名詞のような曲」とか、「チェコの指揮者にとって聖典のような曲」と書いたが、それは決して誇張ではない。ドヴォルザークやヤナーチェクやマルティヌーに先んじてチェコに現れたベドルジハ・スメタナ (1824 - 1884) は、まさにチェコ音楽の父と呼ばれるにふさわしい存在。中でも、6曲の交響詩を連ね、演奏時間 70分を要するこの「わが祖国」は、文字通り彼の晩年の代表作である。この曲がいかにチェコの人たちに大事にされているかということは、同国の首都プラハで毎年開かれているプラハの春国際音楽祭で、そのオープニングとして、スメタナの命日である 5月12日には必ずこの「わが祖国」が演奏されるという事実でも明らかだろう。もともとチェコ人は音楽を愛する人たちであり、また大国 (ハプスブルク帝国、ドイツ、ロシア=ソ連) によって度々領土を占領・侵略されて来たという苦難の歴史にあって、その燃えるような愛国心には凄まじいものがある。その意味で、愛国心の塊であるようなこの曲が、チェコの人たちの深い愛と尊敬の対象になっていることは、必然であると思われるのだ。これがスメタナの肖像。
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そして私は思うのだが、演奏を終えたときに指揮者アルトリヒテルの胸中を駆け巡った思いは、恐らく、「師であるヴァーツラフ・ノイマンからも話を聞いていた日本の聴衆の音楽の理解度と、日本のオケの水準の高さは、本当だった!!」といったものではなかったか。というのも、今回の演奏で前半 3曲を終えて休憩に入る際、聴衆の拍手が起こるよりも先に指揮者が譜面台をピシッと叩いて、何やら叫んだからである。そして、全曲を演奏し終えたあとは、コンサートマスターの崔文洙を力いっぱい抱きしめていたからである。実際にこの日の演奏は、最近の新日本フィルが有している高度な演奏能力がフルに発揮された素晴らしい名演であり、世界のどこに出しても恥ずかしくないようなものであったからだ。私は最近のこのオケの演奏を、とりわけ本拠地であるすみだトリフォニーホールで聴くときに、実に美しく響くと表現することが多いが、今回の会場であるサントリーホールでもその美感は同等であり、ただ単にきれいな音とか、迫力のある音ということではなくて、なんというか、曲の本質に切り込むような深い音が最初から最後まで聴かれたと思うのである。今回の演奏で印象的なシーンがある。この曲の冒頭、「ヴィシェフラド (高い城)」は、ハープ 2台によって始まるが、今回アルトリヒテルはそこで、全く指揮棒を振ることなく奏者たちに音の進行を任せたのである。決して気心が知れたとは言えないオケ (今回が初顔合わせ?) を相手に、このように思い切った任せ方ができるとは驚きだが、恐らくはリハーサルを通じて、彼にはそのような確信ができていたのかと思う。どんな人間でも、誰かに指示されてただ従うというのはあまり嬉しいことではない。冒頭のハープが自由に音楽を奏でたことが、今回の演奏の自発性につながったのかもしれない。そういえばアルトリヒテルは、昨年のチェコ・フィルとの演奏の際と同じく、今回も青い表紙の楽譜 (2分冊になっていて、恐らくは前半と後半で分かれているのか) を指揮台に置きながら、全く開くことなしに暗譜で振り抜いた。多分その楽譜は彼にとって文字通りの聖典なのであろう。前回も書いたことだが、一見学者風にも見えるこの指揮者、内部にたぎる情熱はすさまじく、またオケの推進力を自在に操るだけの技量を持った人なのである。
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ところで、この曲には有名な「モルダウ」も含まれていて、なかなかに起伏に富んだドラマティックな連作なのであるが、今回改めて思ったのは、ワーグナーを思わせる響きである。スメタナはワーグナーよりも 11歳下で、チェコ国外、例えばスウェーデンでも活動しており、その際にリストの交響詩から、標題音楽というヒントを得たという。だが、ただ標題性ということではなく、音響自体に、リストよりもさらに先鋭的であったであろうワーグナーの影響が聴こえるような気がする。例えば終曲の「ブラニーク」の冒頭間もない箇所は、まるで「ワルキューレ」第 1幕の前奏曲のようだ。ワーグナーの「指環」の初演は 1874年。この「わが祖国」の初演は 1882年だから、これらはほとんど同時代音楽と呼んでよい。だがここで注目すべきは、スメタナは「指環」初演の年である 1874年頃には聴覚をほぼ完全に失ってしまったという事実である。これは何を意味するかというと、あの西洋音楽において間違いなく最高の旋律のひとつである「モルダウ」も、そして、今日我々が耳にしてワーグナー風だと思う響きも、どうやら作曲者の内部で響いていたものだということだ。たまたま前項ではベートーヴェンのことを例に挙げたが、人間の能力は、何かハンディがあった方が先鋭化するのかもしれない。また、前々項ではフィンランドの人たちの誇りたるシベリウスの音楽について触れたが、この「わが祖国」はそれと同様に、チェコの人たちにとっての大いなる誇りである。そのような音楽を、ヨーロッパから遠く離れた日本のオケが実に見事に演奏するということも、少し大げさに言えば、人間の能力の素晴らしさを具現してるのではないだろうか。いや実際、しょっちゅうこのブログで唱えていることであるが、こんな音楽に日常的に接することのできる我々東京の聴衆は、本当に恵まれていると思うのである。

by yokohama7474 | 2018-09-24 00:09 | 音楽 (Live) | Comments(0)

ユベール・スダーン指揮 東京交響楽団 (ヴァイオリン : 堀米ゆず子) 2018年 9月22日 サントリーホール

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指揮者とオーケストラの関係はなかなか一筋縄ではいかないもので、かなり相性のよいと思われた組み合わせが長続きしなかったり、全く違う持ち味が意外としっくり行ったりということもある。また、あるオケの首席指揮者や音楽監督というポジションにいた指揮者が、退任後にそのオケの指揮台に頻繁に戻ってくるケースと、ほとんど戻って来ないケースがある。いずれにせよ、指揮者とオケの相性自体が、その時々でも変わりうるものであるだけに、音楽ファンとしては、様々な顔合わせで様々な曲を楽しみたいと思うものである。そこへ行くと、東京交響楽団 (通称「東響」) の前音楽監督である 72歳のオランダ人指揮者、ユベール・スダーンの場合は、2014年に音楽監督を退任後も桂冠指揮者としてこの楽団を時々指揮していて、その信頼関係には揺るぎないものがある。私の独断では彼はオーケストラ・ビルダーとして一流の手腕を持っていて、現在ジョナサン・ノットのもとで充実した活動に取り組んでいるこのオケの水準は、このスダーンの貢献も大いにあるものと思っている。そしてスダーンの場合、ブルックナーも振るし、フランス物も得意にしているが、やはりなんと言ってもウィーン古典派を聴いてみたい。私にとっては、彼はその分野を指揮する場合にその最良の部分が発揮される指揮者であるからだ。そして今回のプログラムはまさにそのウィーン古典派のみから成るもの。
 ハイドン : 交響曲第 100番ト長調「軍隊」
 モーツァルト : ヴァイオリン協奏曲第 4番ニ長調K.218 (ヴァオリン : 堀米ゆず子)
 ベートーヴェン : 交響曲第 6番ヘ長調作品68「田園」

うーん、実に見事にスダーンのよさが期待できる曲目ではないか。
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この人はもともと指揮棒を使わず、しっかりと譜面を見ながら指揮する人。加えて今回は、指揮台すらない。近代オーケストラの粋を聴かせるというのではなく、これらの曲が作曲された当時の古雅な響きを目指しているのだろうか。彼はモーツァルトの生地ザルツブルクのモーツァルテウム管弦楽団の音楽監督を長く務めた人であり、その功績によってザルツブルク名誉市民になっているような人なのである。ただ、彼の演奏はいわゆる古楽とかピリオド楽器とか言われるスタイルとは無縁で、ヴァイオリンは左右対抗配置を取らないし、ヴィブラートも結構かかっている。要するに、演奏スタイルがどうのこうのということではなく、ただ曲の魅力を最大限に発揮することだけが、彼にとっての興味の対象であると思う。

そしてその期待は裏切られなかった。ヨーロッパを遠く離れたこの日本で、このように充実したウィーン古典派の音が鳴っていることは、考えてみれば不思議なほどである。なんと言えばよいのか、ハイドンの最初から、弦も菅も、呼吸しながらともに音を作り出している感覚。このような高度な音楽は、ただ客席で聴いているだけでも、幸福感に満たされるのである。フルートとオーボエのかけあいから、軍隊調のトランペット、そして千変万化の表情を作り出す弦楽器の洒脱さまで、これは本当に楽しい演奏であった。このブログでは何度もご紹介しているが、今回のハイドンの演奏の後、スダーンが真っ先に立たせたのは、オーボエ首席の荒木奏美。今年未だ 25歳の若手だが、東京藝術大学を 2015年に首席で卒業した後、藝大の大学院に所属しながらもこのオケで首席を務めている。ということは、スダーンがこのオケの音楽監督を辞してから入団しているわけであるが、そのスダーンが、真っ先に立たせるだけの評価をしているということだろう。
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そして 2曲目はモーツァルトの 4番のヴァイオリン協奏曲。ソロを弾くのは、私としても久しぶりに聴くことになるのだが、日本を代表するヴァイオリニストである堀米ゆず子。今年 60歳になったが、1980年のエリーザベト王妃国際コンクールの覇者としての記憶も新しい・・・というのは言い過ぎか (笑)。このコンクールが開かれるベルギーに、今でも在住しているようだ。最近の写真はあまり多く見当たらないが、これは昨年、ピアニストのジャンマルク・ルイサダとともにブリュッセルで行った、東日本大震災の復興支援コンサート。
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このように髪に霜を置くようになった堀米であるが、久しぶりに聴くその音色は落ち着いていてしかも雄弁。例えばマールボロ音楽祭でルドルフ・ゼルキンと共演を重ねるといった、日本人奏者にはなかなかないような奥深い経験が、その音に現れていると思う。今回のモーツァルトは、あえて言えば室内楽的な親密さを感じさせるもので、何とも心に残るものであった。この日のコンサートは結構曲目の合計が長めであったせいか、今回はアンコールもなく、そのあたりも大人の呼吸が感じられた。数年前にフランクフルト空港で、関税の対象としてヴァイオリンが差し押さえられた事件は、これは冗談ではなく記憶に新しいが、その事件は無事に解決しているようだ。文化国家であるはずのドイツたるものが、一体何という恥知らずなことをしてしまったものか。

と、少しばかり息巻いてしまったが (笑)、この日のメイン、ドイツ人たるベートーヴェンの「田園」の演奏を思い出して、心を鎮めよう。この「田園」は、聴きようによってはかなり地味な演奏だったとも言えるかもしれないが、その瞬間瞬間に鳴っている音の、実に感動的であったこと!! これぞ西洋音楽の、そしてウィーン古典派の、神髄ではなかったか。最初から最後まで一貫した音色設計がなされていて、第 2楽章の小川沿いのたゆたいも、第 4楽章の嵐も、そして第 5楽章の神への感謝も、すべて、人間の感情が情景に託されたものであった。これだけ見事な古典音楽を、ヨーロッパから遠く離れたこの東京の地で聴くことが出来るのは、なんと素晴らしいことだろう。きっとこれを聴けば、ベートーヴェンも満足するであろうが、ちょっと待て。この頃のベートーヴェンは既に耳がほとんど聴こえなかったはず。孤立した世界にいた彼の内なる世界は、我々の想像を超えたものであったのだと思う。
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そもそも「田園」の終楽章は、かなり演奏が難しいのであるが、今回の演奏は実に素晴らしいもので、晴れ渡った青空に召されて行く魂が目に見えるようであった。こんな演奏をする東響も素晴らしいが、このスダーンが導く音の充実感に、けだし脱帽である。次回スダーンがこの東響の指揮台に帰ってくるのは、来年 6月。チャイコフスキーのマンフレッド交響曲がメインとなっていて、これもまた聴き逃すことができないものである。東京のオケは今後多様化して行くと思われるが、東響が培ってきた響きには、これまで共演した指揮者たちの美点が残っている。このスダーンも、これから一層円熟の境地に入って行くであろうし、まだまだ東響の指揮台に登場してくれるだろうから、それを楽しみにしたいものである。

by yokohama7474 | 2018-09-23 22:35 | 音楽 (Live) | Comments(0)

パーヴォ・ヤルヴィ指揮 NHK 交響楽団 2018年 9月22日 NHK ホール

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パーヴォ・ヤルヴィと NHK 交響楽団 (通称「N 響」) の今月の定期演奏会は、既にウィンナ・ワルツとマーラー 4番を組み合わせたプログラムをご紹介した。その後、サントリーホールを舞台に、シューベルト、ベートーヴェン、ハイドンに R・シュトラウスのホルン協奏曲 (ソロは名手ラデク・バボラーク) という内容の定期公演が開かれ、私はヤルヴィのハイドン (今回は 102番) には大変興味があったが、行くことができなかった。そして 3種類目の定期公演がこれである。最初に総括してしまうと、これは、パーヴォ・ヤルヴィという現代のトップを走る指揮者と N 響の組み合わせの最良の部分が出た、大変意欲的なプログラムであり、また充実した内容であったと思う。N 響の定期公演の場合、普通は独自のチラシが作成されない場合がほとんどだが、今回は上記のようなチラシが作成され、楽団としても宣伝に力を入れていることが分かる。ここであしらわれている白地に青い十字は、フィンランドの国旗であるが、その理由はもちろん、今回の演奏会がフィンランドを代表する作曲家、ジャン・シベリウス (1865 - 1957) の作品だけによるものであったからだ。
 レンミンケイネンの歌作品31-1
 サンデルス作品28
 交響詩「フィンランディア」作品26
 クレルヴォ作品 7

ここで何が注目されるかというと、すべてに男声合唱が入るということで、それをエストニア国立男声合唱団が歌う。もちろんエストニアはヤルヴィの故郷であり、この地の合唱団の力強さはつとに知られるところだ。
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今回演奏されたのはシベリウス初期の作品ばかり (いずれも 19世紀、つまりはフィンランドがロシアの領土であった時代に書かれている) で、有名な「フィンランディア」にも合唱が入るが、すべての歌詞はもちろんフィランド語。それゆえであろう、最初の 2曲は演奏そのものが大変珍しいし、演奏時間 70分を要するメインの「クレルヴォ」も、録音はともかく、実演に触れる機会は決して多くない。これは、世界的な活躍を続けるヤルヴィが、祖国の音楽家たちとともに、近い文化的土壌にある国の音楽を奏でるという、ローカリズムを打ち出した演奏会であるという点で、実に意欲的なプログラムと言えるのだ。だが、その「近い文化的土壌」とは、一口に言えば北欧ということになるが、エストニアを含むバルト三国とフィンランドの位置関係はどのようなものなのか。これが実に近く、それぞれの首都 (ヘルシンキとタリン) はバルト海のフィンランド湾を挟んだ対岸にあり、その距離はたったの 90km!! ほかのサイトから借用してきたこの地図で、その位置関係がよくお分かり頂けよう。またここでは、ロシアのサンクトペテルブルク、スウェーデンのストックホルムがその東西に位置することも分かるが、その事実が、この地域の文化的・軍事的な歴史と深く関わっているのである。
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ヤルヴィによると、エストニア語はフィンランド語の古語に、フィンランド語はエストニア語の古語に似ているというから、エストニアの人たちにとっては、これらフィンランド語の歌唱は親しみやすいものなのであろう。そして実際、その堂々たる歌唱には有無を言わせぬ説得力があって感動した。最初の「レンミンケイネンの歌」とメインの「クレルヴォ」は、フィンランドの民族叙事詩「カレワラ」に基づくもの。2曲目の「サンデルス」は 19世紀初頭のスウェーデンとの戦争におけるヨハン・サンデルスという将軍の逸話を題材とし、「フィンランディア」はロシア帝国の圧政とそれからの解放をテーマとしている。上で書いた通りの、この地域の複雑な過去を知っていれば、曲のメッセージがより明確に分かろうというものだ。だが、例えば「レンミンケイネンの歌」は、まるでジークフリートの角笛を思わせる音型もあって、神話的なイメージもワーグナー的だし、「クレルヴォ」は、兄妹の姦通という点で「指環」に通じ、また音楽的にはシェーンベルクの「グレの歌」を思わせるようなところもある。もちろん、ワーグナーの「指環」はもともと北欧神話に由来したストーリーであるから、フィンランドの作品と共通点があるのには理由がある。ただそれ以上に思うことは、単に民族的なテーマだけなら、遠く離れた日本の聴衆が感動する理由もあまりないが、やはりこれらの音楽作品には、音楽としての普遍的な力があるからこそ、我々もそれを聴いて感動するのだというだ。ローカリズムが昇華してグローバルな説得力を持つという、好例であるだろう。

それにしても、ヤルヴィと N 響は相変わらず好調だ。例えば「フィンランディア」はもちろんシベリウスの全作品の中でも最も一般に知られたものであるが、後半の賛歌の部分に国を称える内容の歌詞が入ることで、その作品の持つ本来の力が自然に沸き起こるように感じる。それは、冒頭の暗い色調から勇壮な音楽を経てこの賛歌に辿り着く過程に、強い表現力が漲っているからだろう。素晴らしい演奏であったと思う。
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だがやはり圧巻はメインの「クレルヴォ」であったろう。私などはこの曲を「クレルヴォ交響曲」と呼びならわしているが、今回のプログラムにはその表記はなく、ただ「クレルヴォ」という題名だけになっている。作曲者自身も譜面の題名には「交響曲」という言葉は使用せず、「独唱者と合唱、管弦楽のための交響詩」としているというので、それが適切な表記なのだろう。大規模な編成で、しかも歌唱がフィンランド語ということもあって、実演を聴く機会はなかなかないが、興味深いことに東京では、昨年 11月にハンヌ・リントゥ指揮東京都交響楽団が演奏している。こんなことが起こる都市は、やはりここ東京だけであろう (但し私自身は、もう 30年以上前に渡邊暁雄指揮日本フィルで聴いて以来、実演を聴いた記憶がない)。録音でも、シベリウスの交響曲全集を録音した指揮者以外でこの曲を録音した人は、ほとんどいないのではないかと思うが、パーヴォは既に 1997年にロイヤル・ストックホルム・フィルを指揮して録音している。
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さすが 20年以上前からのレパートリーだけあって、その指揮ぶりから、作品の隅々までを熟知していることは、充分に知ることができた。いつもの通り長い腕を効果的に使ってオケの緩急を巧みにコントロールしていたが、曲に対する思い入れ、あるいは祖国の合唱団との共演といった要素が、その指揮を後押ししたと思われてならない。あらゆる曲想を鮮やかに描き出し、若き日のシベリウスの野心までをも明らかにした演奏であった。そして、合唱団もすごいが、独唱パートを受け持ったソプラノとバリトン歌手もすごい。全 5楽章のうち独唱が入るのは第 3楽章と第 5楽章であるが、独唱者たちは、第 3楽章で歌が始まる前に、ソプラノは下手から、バリトンは上手からそれぞれ舞台に登場し、暗譜で歌い切ったのである。そんなことができるのはフィンランドの歌手だけであろうが、確かにこの二人はフィンランド人で、国内外で活躍している。ソプラノはヨハンナ・ルサネン、バリトンはヴィッレ・ルサネンといい、あれ、同じ苗字だと思ったら、なんとなんと、姉と弟らしい。
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実はこの曲、1892年に作曲者自身によって初演されたあと、数回演奏されてから、封印されてしまったという経緯がある。理由は未だに謎だが、再演も出版も自分の存命中は禁じるという措置に出たという。従って作品の存在自体が幻になってしまい、作曲者の死の翌年、1958年になってようやく蘇演されたという。そもそもこのシベリウスという人、1957年に 91歳という長寿を全うしたにもかかわらず、その創作活動は 1925年頃以降、ほぼ途絶えてしまった。つまり人生最後の 30年ほどの間は、沈黙を保ったままであったわけである。若い頃の愛国的で熱狂的な作風は、年を重ねるとともに徐々に抽象化して行ったことは確かで、その先にはまだまだ前衛化の可能性があったかと思われるだけに、その沈黙は謎である。そんな謎めいたシベリウスの、愛国的で熱狂的な初期の作品、今回の演奏では充分に堪能することができた。作曲者がこんな演奏を聴いたら、「クレルヴォ」を封印することはなかったかもしれないと思う。これは「沈黙」の晩年、バッハ作品の楽譜を見るシベリウス。
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ヤルヴィの N 響への次回の登場は、来年 2月。ストラヴィンスキーシリーズの続きや、もしかすると世紀末ウィーンシリーズの続きかと思われる演奏会もある。楽しみに待つこととしたいが、実はその前に、もうひとつの手兵であるドイツ・カンマー・フィルとの来日もあって、この指揮者の持つ底知れない表現力に、これだけ触れることのできる東京の聴衆は、なんと恵まれていることだろうか。

by yokohama7474 | 2018-09-23 18:00 | 音楽 (Live) | Comments(0)

長野県 諏訪湖近辺 その 2 諏訪大社下社春宮 (万治の石仏)、おんばしら館よいさ、諏訪大社下社秋宮

前項に続く長野県岡谷市とその周辺の散策である。前回は近代製糸産業の遺産を見たが、実はこの地域には、太古から文明が存在していた。この地域は要するに諏訪湖の周辺ということになるが、このあたりには何やら、通常の日本的な古代文化と違う匂いがする。つまりは狩猟民族の匂いである。私は随分以前に、茅野市にある神長官守矢史料館というところに行ったことがあり、藤森照信設計のその建物に、古代人の野性の声を感じたものだが、今回はそこの再訪はならなかったのでここでの紹介は割愛する。またこの茅野市では、先に東京国立博物館で開催された縄文展に出展されていた国宝指定の縄文時代の土偶 5点のうち 2点が出土している。ここには何やら我々の未だ知らない壮大な古代史が眠っているように思う。・・・と書いて思ったが、岡谷だ諏訪だ茅野だと言っても、その位置関係が分からない人もおられようから、以下の地図を拝借しよう。ここに「四社」と書いているのは、総称して諏訪大社と呼ばれる神社のこと。実はこの神社、上社と下社があり、上社は本宮と前宮、下社は春宮と秋宮に分かれていて、合計で 4つの社が存在するのである。この地図の通り、岡谷市は諏訪湖の北西の方角で、諏訪大社の下社はそのすぐ東隣。一方上社の方は諏訪湖の南東で、茅野市の近く。
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私は以前 4社ともお参りしたことがあるが、今回は時間の関係で下社のみの参拝とした。それには少し付随的な理由もあるが、それは追って説明することとして、まずは最初に訪れた諏訪大社下社春宮である。
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この諏訪大社の創建は不明だが、日本最古の神社のひとつと言われているらしい。このあたりも、畿内の神社や、あるいは関東でも香取神宮や鹿島大社なら古い伝承や記録がもう少しあろうものだが、この諏訪大社の場合はあまりそれもなさそうだ。このあたりの謎めいた感じについては、この神社と古代史を語る書物もあれこれあるので、それによって想像力を広げることが可能である。例えば、私の手元にあるのはこんな本。あながち荒唐無稽な本ではないように思うが、もちろん学術的に証明されるか否かはまた別の話。
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この場所の古代史の真実がどうであったにせよ、今我々がこの神社に詣でて感じるのは、聖なる場所に対する敬意であろう。拝殿と門を兼ねたような幣拝殿と、その左右にある片拝殿が、重要文化財指定。
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そして、その建物群の左右に聳える 2本の柱は、枝を取り払い、皮も剥いてある。なぜに加工した柱を立ててあるのか。
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そう。もちろんこれらは、この地方に伝わり、6年ごと (寅年と申年、数えでは 7年に 1回) 開催される天下の奇祭、御柱 (おんばしら) 祭で曳かれた柱なのである。前面の 2本以外に、どうやら裏にも 2本あるようだ。御柱祭は、この諏訪大社 4社の宝殿の建て替えとともに行われるようであり、すべての社に 4本ずつ、合計 16本の柱が立てられる。この御柱祭ではかなりの頻度で過去に死者も出ており、その荒々しさは本当に凄まじいものだ。クライマックスの木落としはこんな感じ。次回の開催は 4年後の 2022年である。
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この祭の荒々しさを思って御柱を見ると、何やら身震いしてくる。死者を出してまでも人々をこの祭の熱狂に駆り立てるものは、一体何なのだろうか。
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さてここで、この諏訪大社下社春宮を訪ねたひとつの大きな理由について書いてしまおう。これは、私が今回岡谷近辺に立ち寄ろうと思った大きな理由。20年ほど前に一度訪れて、再訪したいと強く思っていた場所なのである。当時私たちは、未だ赤ん坊であった愛犬 (3年前に天国に行ってしまったビーグル犬、ルル) を連れてここに来たのだが、その際の記憶の通り、この春宮の横手に小川があって、こんな赤い橋が架かっている。
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そのとき私たちのビーグル犬は、この橋を怖がって渡れなかったことを昨日のことのように覚えている。足元から下の川が見えていたからかと思ったが、そこは鉄板であり、実際には川は見えない。だが、川の流れの音は聞こえてくるので、動物は本能的にそれを恐れるのであろうか。・・・と、亡き愛犬を偲んでいると、こんな注意書きが。人のノスタルジーに水を差さないで欲しいが、まあこれも切実な問題なのであろうか (笑)。
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さてこの橋の先に私のお目当てがある。これだ。
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これは一体何かというと、万治の石仏である。万治 3 (1660) 年に作られたと刻まれている、高さ 2.7mの石仏。日本には様々な石仏があって、中には国宝指定されているものもあるが、これは文化財指定はない。それは、一見すると素人が彫ったとしか思えないその素朴さが、いわゆる美的な価値に乏しいと学術的には判断されうるからだろう。だがこの石仏、一度見たら絶対忘れないインパクトがある。巨石には申し訳程度 (?) の仏の体が浅い線で刻まれ、その上に単純な造形の顔がチョコンと乗っている。そして、顔の中にデンと構える三角形の鼻は、なんとも異国的。
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年号である万治ならぬ「卍」が彫られているが、よく見るとこれはかぎ型が逆で、ちょうどナチスのハーケンクロイツと同じである。よく見ると「万治」の文字も見えるが、写真に撮るとちょっと分かりにくいか。
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ぐるりを回ってみると、より一層奇異な感じがする。これはどう見ても、巨石に頭が生えている感じだ。
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この強烈な仏さまには、我々現代人が普段忘れているような生命力があるように思う。この奇妙な石仏の存在感を 1970年代に絶賛した人がいて、その人の名は岡本太郎。そう、彼はまた、縄文土器の生命力を見出した人でもある。数々の貴重な縄文時代の遺跡が残るこのエリアに、こんなに破天荒で面白いものが作られたのも、その土地の精霊のなせるわざか。このような岡本太郎の手になる石碑も建てられている。それにしてもこの字、太郎の絵画そのままの躍動感ではないか。
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万治の石仏と 20年ぶりの再会を果たし、駐車場に戻ろうとすると、こんな建物が目に入った。
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その名の通り (「よいさ」とは祭のときの掛け声か?)、御柱祭に関する資料館である。規模はさほど大きなものではなく、比較的最近できたものであろうと思って調べると、2016年のオープン。中には、木落としを体験できるアトラクションや、祭の様子を再現したミニチュアなどがあって興味深い。今回は時間がなくて、駆け足の見学になってしまって残念。
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そして最後に向かったのは、諏訪大社下社秋宮。ここの駐車場はこんなだだっ広いが、実はこの場所、昔は武士の居城のあったところらしい。霞ヶ城 (別名手塚城) といい、木曽義仲の家臣であった、手塚太郎光盛の居城であったという。この光盛は義仲に従って源氏方として戦い、平家方の斎藤実盛を討ったが、実は実盛はもともと源氏方で、義仲の命の恩人であったという話が、平家物語のひとつのエピソードとしてあるらしく、能の「実盛」にもなっている。
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さてこの秋宮も、春宮と佇まいはよく似ている。ここでは、巨大なしめ縄を持つ神楽殿、そして、春宮と同じ幣拝殿と左右片拝殿が重要文化財。
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そしてここにも、御柱が屹立している。
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この諏訪湖近辺の土地は、日本の中でも有数の謎めいた場所であるように思われる。また機会があればさらに探訪してみたい。

by yokohama7474 | 2018-09-22 23:57 | 美術・旅行 | Comments(0)


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