川沿いのラプソディ


川沿いの住まいから、音楽、美術、映画その他文化一般を語りつくします。
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ビートたけし × 村上隆 : ツーアート

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これは、光文社知恵の森文庫の中の一冊。どこで購入したのか、記憶は定かではないが、小難しくないアートの本を読もうと思って手に取ったら面白そうであったので、読んでみることにしたのである。単行本で出版されたのは 2003年、つまりは今を去ること 15年前であるから、最新の書物ではない。ゆえに中身も、特に映画監督北野武の活動においては、過去 15年という時間は決して短いものではなく、読んでいてその点が気にならないわけではない。だが、様々な意味で現代日本を代表するこの 2人がアートについて語っているわけなので、多くの箇所で示唆に富んだ発言に出会うことのできる、大変に刺激的な本である。
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まずひとつ注釈を付しておきたいのは、これはこの 2人の対談ではない。つまり、1人が何か発言すると、もう 1人がすぐにそれを受けて、「そうそう、〇〇なんですよね (笑)」といった反応を見せるということにはならない。とはいえ、1人の発言 (本では数ページに亘る) を受けてもう 1人が、そのことへの感想や、あるいはそこから連想されることを発言するという意味では、対談集に近い構成を取っているのである。ちょっと気になるのは、どちらかというと、たけしの発言を受けて村上がコメントを述べることが、その逆よりも格段に多いことだ。もちろん年齢はたけしが 15歳上。そのような気遣いが村上の側にあったのかもしれない。このブログでは過去に、北野武の映画も採り上げているし、ある意味で私の村上隆への先入観が解ける機会ともなった、六本木の森美術館で開催された「村上隆の五百羅漢図展」(あれからほぼ 3年が経つとは、時間の経過の速いこと!!) の記事も書いたことがある。文化関係無差別ごった煮ブログとしては、このような刺激的な組み合わせの書物をご紹介できることは、冥利に尽きるというものである。ところで私は上で、たけしのことを「北野武」という映画監督として言及したが、彼自身も絵画を描くアーティストである。彼の絵画作品は、子供の絵のようであるというか、昨今の言葉でいうところのアール・ブリュット、少し以前の言葉ではアウトサイダー・アートを連想させるようなものである。見ていて決して楽しいものではないし、技術が優れているわけでもない。でもなぜか気になる、たけしの絵画作品。ちょうど今、滋賀県守山市の佐川美術館で、彼の個展を開催中であるらしい。
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一方の村上の方は、日本のオタク文化をアートに活用した点がユニークであり、それゆえに、海外での知名度が非常に高い日本人アーティストである。上記の通り私はつい 3年前まで、キッチュな彼の作品や、「アートはビジネスだ」などと公言して憚らない言動に、全く共感できないでいた。だが、百聞は一見にしかず。実際に彼の作品群を目の当たりにして、なるほどこれは非凡なアーティストだわいと思った次第である。何事も先入観に囚われず、自由な発想で物事に接することがいかに大切かということだろう。これは村上が創り出したキャラクター、DOB 君。チェブラーシカではありません。
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この書物の中でのたけしの発言には、発想が自由すぎて、文化ブログではとても紹介できないような下品な内容も多々あるわけだが (笑)、でもそこにはある種のリアリティがある。私なりにそれを表現するとするなら、アート、または芸術という漢字を使ってもよいのだが、それが人間が生きる様相を如実に反映したものであるとするなら、そこには人間の下部構造も含まれるわけで、そのようなことを堂々と口にするたけしの腹の座り方には、大いに感服するのである。逆に言えば、よく言えば気遣い、悪く言えば忖度 (もっとも、忖度する人にとってその行為は決して「悪く」言われるべきものではないのだろうが) して日々を過ごすことが多い我々日本人にとって、スカっと下品なことを言うことで、いわば社会へのアンチテーゼとなりうる要素もあると思うのである。いやもちろん、セクハラ、パワハラが致命傷になりかねない昨今の日本 (だけではなく、世界中の状況なのかと思われる) において、ここでのたけしのような言説を普通の人が展開するわけにはいかない。それゆえにこそ、彼の持つ過激さに、世間は拍手喝采するのであろう。だって、コマネチ本人と、こんなことできませんよ、普通。
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そしてこの書物は、悪ふざけの様相を呈しながらも、ある意味での現代日本への警鐘ともいうべきシリアスな内容なのである。珠玉の言葉が散りばめられていると言ってもよい。その示唆に富む 2人の発言の数々に触れて行くときりがないが、いくつか引用してみたいと思う。

* たけしの発言
村上さんの作品を初めて見たとき、ここまでアートとして広げていいものか、とビックリしたね。アートはこういうもんだって、思い込んでいたわれわれの固定化したアタマを思いきりドツかれたというか。

* 村上の発言
僕はたけしさんのファンです。(中略) ヴェネツィア国際映画祭のグランプリを獲るという文化的国際的な快挙を成し遂げたすぐ後に、ブリーフ一丁でテレビに出演したり、カンヌ映画祭にコスプレして現れたり、「誤解されることを前提にやっている」としか思えない現代のリアルなトリックスターである点 (後略)。

* たけしの発言
あるものがアートになるかならないかの「境界線」っていうのは何だろう? 強引な理屈で言えば、アートって、いろんな雑学の勝負みたいなところがあるからさ。(中略) 灰皿持ってきて、「これがアートだ」っていう理屈も言えちゃうわけでしょ。作品はあくまで作品でしかないんだけど、最近のアートっていうのは、それに付随する包装紙みたいなものも意識させないといけないのかもしれないな。お歳暮でも、中身は同じなのに、イトーヨーカドーより三越の包装紙のほうがいいというのがあるじゃない。(中略) どんな包装紙で作品をラッピングするか。どんな理屈のついた包装紙で包めば、価値が出るか。そういうところはあるな。

* 村上の発言
「芸術」と「美術」の違い。かつては自分なりに規定していたはずなのに、すっかり忘れてしまった。(中略) 最近ずっと「芸術とは何だ」って真剣に考えているので、逆に、取りつく島がないというか。(中略) だってカテゴライズした瞬間、逃げ水のごとくなくなってしまう恋みたいな物を「芸術」って言うんだ、ということに気がついたんで。

* たけしの発言
南千住で酒飲んで電柱に向かって怒ってるオヤジって、アート・パフォーマンスみたいなもんだな。「何だ! その顔は!」とか、「何だ、この野郎!」とか「いいか覚えとけ」とか、電柱に向かって言っているわけだから。「いつまでもそんな状態でいられると思ってんのかオマエは!」とか、最高だよね。

* 村上の発言
どんな絵でもアートといえばアートになっちゃうんだよっていう、ある種、マジックを作ったっていう意味では、ピカソはデュシャンの便器と同じくらい効果があった。そういう意味では、超一流の価値があったんですよ。

このあたりでやめておくが、ふざけていながらも、それぞれに示唆に富んだ発言であり、傾聴に値するものと思うのである。

by yokohama7474 | 2018-11-14 23:55 | 書物 | Comments(0)

テルマ (ヨアキム・トリアー監督 / 原題 : Thelma)

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この映画のポスターを見て、足が停まった。そして、劇場に置いてあったチラシを見て、さらに興奮した。そこに踊る文字は、「ラース・フォン・トリアーの遺伝子を受け継ぐ鬼才が放つ北欧ホラー、ついに日本上陸!」というもので、しかも、最後の「日本上陸!」は特大フォントである (笑)。そうなのか。この映画の監督、ヨアキム・トリアーは、あのラース・フォン・トリアーの甥っ子であるらしい。ラース・フォン・トリアーは、1984年のデビュー作「エレメント・オブ・クライム」に始まる一連の強い表現力の作品、とりわけカンヌのパルムドールを受賞した「ダンサー・イン・ザ・ダーク」で知られるデンマークの監督である。だが近年その名前は、そのカンヌ国際映画祭でのナチス擁護発言以降 (その発言を撤回したにせよ)、忌まわしいものになっているように思う。そんな中、この 1974年生まれのヨアキム・トリアーが活躍の場を広げ、2006年の長編デビュー後、今回が未だ 4作目であるにもかかわらず、既に各国での受賞歴もあり、注目されている由。
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この映画、どうやらそのヨアキム・トリアーが手掛ける最初のホラー映画らしい。何やら、少女の秘めたるパワーが覚醒する話であるようだ。そうすると、スティーヴン・キング原作でブライアン・デ・パルマが映画化し、さらにその後リメイクまでされた「キャリー」のような映画なのであろうか。実際、プログラムに掲載されている「『テルマ』に影響を与えた作品」という欄には、11本の映画と 2人の監督の名前が列挙されていて、その中には実際に「キャリー」もあれば「AKIRA」もあり、また「ローズマリーの赤ちゃん」「デッドゾーン」から、ヒッチコックの「鳥」、また監督としては、ダリオ・アルジェントとイングマール・ベルイマンが挙がっているという、かなりのごった煮である (笑)。だがここは先入観なく、この監督の映像美に向かい合ってみようではないか。

私の感想を正直に申し上げると、これは大変に凝った映画であることは間違いないものの、観客をグイグイと引っ張って行くものではなく、ひたすら感性に訴えようという作品であり、上記の映画のいずれとも異なるし、私見では、上記の映画群ほど面白くはない。要するに、観客をグイグイ引っ張るのではなく、ネタをズルズルと引っ張るタイプ。そしてクライマックスが驚天動地の凄まじいものになるかというと、そうでもない。少女の持つ神秘の力というイメージは、実際にはさほど強くないのである。116分の映画は、それこそベルイマンの「ファニーとアレクサンデル」(上映時間 311分) ほども長く感じると言えば、さすがに大袈裟だろうか。長く感じる理由のひとつは、役者たちの存在感が今ひとつということもあるだろう。そして、なかなか明かされない少女の秘密が、結局明かされるような明かされないような。「えっ、これで終わり???」という感想を持つ人がほとんどではないだろうか。そう、これって本当にホラーと呼べるのだろうかという疑問は、多くの人たちが抱くと思う。

主役のテルマを演じるのは、ノルウェイで子役時代から活躍していたという、1994年生まれのエイリ・ハーボー。
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さて、彼女の演技をどう評価しようか。繊細で複雑な役柄を、頑張って演じているとは言えると思う。だが、その熱演が映画をどこまで見ごたえのあるものにしているかというと、ちょっとクエスチョンマークなのである。私には、ここで語られている言語がノルウェイ語であるのかデンマーク語であるのかさっぱり分からないが、その言葉の馴染みのなさを割り引いても、超常現象を引き起こす少女の謎の力が、彼女の演技によってどこまで観客の心胆を寒からしめるかというと、ちょっと心許ない。特殊な能力ゆえにトラウマから抜け出ることができない彼女は、では一体、本当は何ができるのだろうか。何やら水に因縁があるようだが。
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ただ、印象に残ったシーンもいくつかある。画像は見当たらないが、冒頭と最後に出て来る、多くの人たちが行き交う大学のキャンパスのシーンである。かなり広範囲の映像において無秩序に人々が歩いて行く中、カメラはぐぅーっとズームして行く。そこには、どこの誰という特定がないにせよ、それぞれの人の人生が交錯している。そんな中、他人とは違う能力を持つ女性が歩いている。もしかすると私の隣にいて普通を装っているこの人は、実は宇宙人かもしれないし、吸血鬼かもしれないし、はたまたアンドロイドかもしれない。この奇妙に切実な感覚は、なかなかのものであった。我々は日常、街を歩いていてすれ違う他人について多くを感知することはない。もしかすると、先刻まで確かにここにいた人が、かき消すようにいなくなるかもしれない。この感覚にはちょっと怖いものがあった。だが、繰り返しだが、そのような恐怖の要素を、さらに強く、また効率的に観客に伝える術があったような気がしてならないのである。ラース・フォン・トリアーの遺伝子を受け継ぐこの監督には、ホラーよりも人間ドラマの方が合っているのだろうか。こんなシーンはホラーであれ人間ドラマであれ、いろいろな発展がありそうなものだが。
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ともあれ、この監督にはまた今後を期待するとしよう。そして我々は、この「テルマ」についてネット検索するとき、以下のような映画と混同してはならないのである (笑)。
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by yokohama7474 | 2018-11-13 23:17 | 映画 | Comments(0)

ニコライ・アレクセーエフ指揮 サンクトペテルブルク・フィル (ヴァオイリン : 庄司紗矢香) 2018年11月12日 サントリーホール

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前日に続くロシアの名門、サンクトペテルブルク・フィルの来日公演である。前回の文京シビックホールでの演奏会の記事で採り上げた通り、残念なことに、今回このオケを指揮することとなっていた音楽監督の巨匠ユーリ・テミルカーノフは直前になって来日中止が発表され、このオケの副芸術監督であるニコライ・アレクセーエフが急遽代役を務めることとなった。本当に直前の発表であったから、プログラム冊子は既にテミルカーノフ指揮という内容で印刷されているし、きっとチラシやポスターを刷り直す時間は、なかったのではないだろうか。アレクセーエフ指揮というチラシ・ポスター類を見掛けることはなかった。唯一の例外は、前回の記事の冒頭に掲げた、会場の文京シビックホールに貼ってあったポスターだが、はてこれは、一体何枚作られたものであったろうか (もしかして、会場用の 1枚???)。この日のコンサートの会場はサントリーホールであり、いつも入り口に向かって左側の電光パネルにその日の演奏会のポスターが貼られているのが、今回は指揮者変更のお知らせが貼られていたのみであった。なのでここでは、残念ながら来日中止となったテミルカーノフをあしらったチラシの写真を、記念として掲げておこう。今回指揮をしたのは、このアレクセーエフ 62歳。2000年からこのオケの指揮者を務めているというから、既に長い付き合いなのである。
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サントリーホールでの最初のコンサートの今回、曲目は以下の通り。
 シベリウス : ヴァイオリン協奏曲ニ短調作品47 (ヴァイオリン : 庄司紗矢香)
 ラフマニノフ : 交響曲第 2番ホ短調作品27

私はこのブログで過去に何度か、ちょっとユニークなレパートリーのコンチェルトを弾くヴァイオリニストに対して、「チャイコスフキーやシベリウスでない」曲を弾くこと自体を称賛の対象にして来たことがある。だが、誤解を避けるために書いておくと、私は何もこれらの協奏曲をけなすつもりはないし、それどころかこの 2曲は大好きである。ただ、聴き手としては、あまりにポピュラー過ぎて若干食傷気味のときがあるというだけで、曲はもちろん、その曲を演奏する奏者にケチをつけるつもりは全くない。このブログで何度もその演奏を称賛してきた庄司紗矢香であれば、この手慣れたコンチェルトを演奏して、その本来あるべき魅力を引き出してくれるだろう。
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彼女はテミルカーノフとは大変頻繁に共演していて、日本でも何度か顔合わせをしている以外に、私はロンドンでもプロコフィエフを聴いたことがあるし、また特筆すべきは、5年前のテミルカーノフ 75歳記念がサンクトペテルブルクで開催されたとき、なんとロシア系以外で唯一招待された演奏家は彼女だけであったらしい。今調べて分かったことには、その演奏会の指揮をマリス・ヤンソンスと分け合ったのが、今回来日したニコライ・アレクセーエフで、その時庄司も、アレクセーエフ指揮でチャイコフスキーのワルツ・スケルツォを演奏している。それから、今回の来日に合わせたものであろうか、同じテミルカーノフ / サンクトペテルブルク・フィルの伴奏で、このシベリウスと、組み合わせとしてはかなり珍しいベートーヴェンの協奏曲の録音が、最近発売されている。
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今回の庄司のシベリウス、いつもの通りの高い集中力と、疲れ知らずの強い表現力には感嘆したのであるが、一方で、今後彼女の芸術がさらに高いところに到達して行くのではないかと思わせるような、そんな凄みも感じることとなった。つまり、情熱に任せて弾き飛ばすことがなく、シベリウス若書きのこのロマン性溢れる協奏曲から、絞り出すような痛切な音楽を聴かせてくれたと思うのである。庄司は常々、この曲の歴史的名盤であるジネット・ヌヴー (1949年に 30歳の若さで航空事故で死去) の 1945年の録音を絶賛していて、レコード芸術誌の 10月号のインタビューでもそのことに触れている。私ももちろんその演奏の CD は持っているが、実は前日、SP からの復刻版という CD も改めて購入し、今回帰宅してから聴いてみた。すると、その情念の表出において今回の庄司の演奏と似ている部分もあるものの、時に聴かれる時代がかったテンポ設定においては、やはり今の時代にそのまま真似をする意味はないと思ったものである。そしてもちろん、庄司の演奏は、飽くまでも現代を生きる我々に訴えかける音楽なのだ。ここでヌヴーについて語ることは避けるが、芸術家たるもの、先人から学んで、それを自分で咀嚼して表現するものであろう。凡人には知り得ない一流の芸術家の感性は、いかに尊敬する先人であれ、その単なる模倣を賢明に回避するものだと思う。また今回のシベリウスではオケも非常にきめ細やかで、例えば第 1楽章のカデンツァ手前で低弦がしばらく唸る箇所には地味ながら彩りがあったし、第 2楽章の冒頭の木管楽器もニュアンス抜群だ。アレクセーエフの職人性も大変活きていたと思う。そして最近の庄司のアンコールと言えば、ありきたりのバッハやイザイではない、何かユニークなものが期待される。演奏され始めた何やらノスタルジックで素朴な、民謡のようなメロディに、オケの人たちもクスクス笑っている。あとで掲示を見てびっくり。これは「チェブラーシカ」の「誕生日の歌」という曲。チェブラーシカはロシアの有名な絵本で、アニメにもなっているらしい。YouTube ではこの「誕生日の歌」を、人形アニメ画像つきで見ることができる。こんな曲をアンコールに選ぶ庄司紗矢香は、やはり並のヴァイオリニストではない。
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後半のラフマニノフ 2番は、つい先日のアシュケナージ / アイスランド響とノット / 東響の連続鑑賞に続いてということになるが、今回はコントラバス 10本を並べての、ロシア風ド迫力演奏と言えばよいだろうか。このオケの持つ高い演奏能力が随所に聴きどころを作り出していたと思う。だが、ここで私が若干の保留をつけたいと思うのは、前日のチャイコフスキー 5番が、もともと作曲の時点で聴衆を飽きさせないためのあれこれの工夫に満ちていたのに比べると、この 60分になろうかという大作シンフォニーは、それほどには気の利いた出来になっていないということである。以前から何度か書いている通り、私はこの憂愁に満ちた交響曲が大好きで、その滔々と流れるメロディは、急に口ずさみたくなることもあるほどだ。だがその一方で、ここには作曲者のロマン性と情熱はふんだんに込められてはいても、そこに見られる感性は、実はかなり素朴なもの。演奏家の手練手管によって、聴かせどころが変わる要素があるように思う。以前同日に聴いた 2種の演奏の特色は記事に書いた通りだが、それらに比べるとこのアレクセーエフとサンクトペテルブルク・フィルの演奏は、粗野とは言わないまでも、若干ストレート過ぎて、聴いているうちにやや冗長さが感じられたようにも思う。もちろん、凡庸な演奏ではなく、全体としては楽しめたのだが、音楽とはなかなかに厄介なものである。そして今回のアンコールは、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」から「トレパーク」。これも私が大好きな曲で、低弦がノリノリで舞い上がって行くところや、タンバリンのリズム、大詰めでのトランペットの騒ぎなど、まさにチャイコフスキーのあれこれの工夫が聴衆を楽しませる。キレこそあまりないものの、実に楽しい演奏であった。

このコンビの演奏会、サントリーホールではもう 1回、11/13 (火) のプロコフィエフの「イワン雷帝」が残っている。未だに宣伝をよく見かけることから、もしかするとチケットの売れ行きがもうひとつなのかもしれない。だがかく言う私も、それを聴きに行くことはできないので、せめてコンサートの成功を祈るばかりである。

さて最後に、前回の記事に引き続いて、1958年、当時レニングラード・フィルという名称であったこのオケが初めて来日したときのプログラム冊子から、興味深い話題を紹介しよう。このときには 8種類の演目が組まれていて、ロシア音楽が中心ではあるのだが、驚くような意欲的な内容になっている。例えばチャイコフスキーの管弦楽曲でも、「フランチェスカ・ダ・リミニ」とか「ハムレット」とか、若干の変化球もあるし、モーツァルト 33番、39番、ブラームス 4番、「新世界」など、ロシア物以外もある。興味深いのは、ラフマニノフ 3番 (ザンデルリンク指揮) とか、プロコフィエフの「チェロ協奏曲」(これは現在「交響的協奏曲」と呼ばれるもの。作品献呈を受けたロストロポーヴィチの独奏、ザンデルリンクの指揮)、同じプロコフィエフの 7番 (アルヴィド・ヤンソンス指揮)、そしてショスタコーヴィチの 5番 (ガウク指揮) などが含まれる。現在の観点からすればそれほど意外な曲目でもないが、時代は 1958年である。ラフマニノフが没してから 15年後。プロコフィエフは没後わずか 5年で、このとき演奏された彼の作品 2曲はいずれも晩年の作だから、当時作曲後ほんの数年という「現代音楽」である。ショスタコーヴィチに至っては、当時未だ健在で、交響曲は 11番まで書いていたところ。そのように思うと、なんとも先鋭的な曲目だったわけである。因みにラフマニノフ 3番は、唯一名古屋でだけ演奏された。いやー、それを聴いた名古屋の人たち、どう思ったでしょうか (笑)。この時の来日公演は 4月21日から開始であったが、彼らが日本に着いたのは 4月12日。そのとき羽田で撮影された写真が早くもプログラム冊子に掲載されているので、お目にかけよう。ここで着物の女性から花束を受け取っているのが指揮者とソリストであろうから、赤い矢印で示しておいた。左から、アルヴィド・ヤンソンス、ザンデルリンク、ガウク、ロストロポーヴィチであろう。・・・と〆ようとしたのだが、以下のコメントにある通り、事はそう単純ではない。上で私は「〇〇であろうから△△であろう」と断定を避けたのだが、そのように書いたのはもちろん、ガウク (名前はよく知っているが顔は分からない) とザンデルリンク (もちろん顔はよく知っている、但し若い頃はほかの写真からの類推しかない) は、どうやら本人ではないかも、と思ったからだ。60年前の写真とはいえ、ネット社会では厳しい目のもとにさらされているわけですな (笑)。失礼致しました。
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冷戦時代に、ソ連としての誇りをかけた文化使節として来日した彼らは、時代は変われど、やはりロシア音楽の素晴らしさを世界に訴える役割を担っている。だが、私がいつも思うのは、そうであるからこそ、ロシア人によるモーツァルトやブラームスも、聴いてみたいのである。60年前の聴衆が、その意味ではちょっと羨ましい。

by yokohama7474 | 2018-11-13 01:34 | 音楽 (Live) | Comments(4)

ニコライ・アレクセーエフ指揮 サンクトペテルブルク・フィル (ピアノ : ニコライ・ルガンスキー) 2018年11月11日 文京シビックホール

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この秋の来日オーケストラ・ラッシュも、これからが佳境である。ロシアからは同国を代表する名オーケストラ、サンクトペテルブルク・フィルが来日。1824年にベートーヴェンの荘厳ミサ曲の世界初演を行い、20世紀に入ってからは超絶的な巨匠、エフゲニ・ムラヴィンスキーが半世紀に亘って率いたこのオケは、今では過去 30年間、ひとりの優れた指揮者が音楽監督を務めている。この人である。
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このブログでは過去に何度も記事を採り上げた、ユーリ・テミルカーノフ。もうすぐ 80歳になるが、今年 2月には来日して、自らが名誉指揮者を務める読売日本交響楽団を指揮して元気なところを見せてくれた。ところが今回は、東京の最初の公演となるこの日のコンサートに先立つほんの 3日前、11/8 (木) の夜になって発表されたことには、体調不良で来日中止である。直前の発表ということは、きっと本人はギリギリまで来日を希望していたのだろうと推測するが、年齢的には無理は禁物。是非大事を取って、次の来日に備えてもらいたい。私は今、先に購入したこのテミルカーノフの自伝を読み進めていて、カフカス系 (カバルダ人) の彼の父親が、ナチス・ドイツに抵抗するパルチザンであり、1942年、仲間の裏切りによってナチに捉えられて処刑された (母親は奇跡的に生還) ことを知った。平和な時代に育った我々が想像もできない悲惨な少年時代から巨匠指揮者となったテミルカーノフの音楽には、彼の経験してきたことがすべて詰まっていると実感するのである。ともあれ、今回テミルカーノフの代役として来日したのは、このサンクトペテルブルク・フィルの副芸術監督である、ニコライ・アレクセーエフである。
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あちこち調べてみて判明したことには、彼は 1956年生まれなので、今年 62歳。私はこの指揮者に対する知識がないので事前に調べてみたところ、10年前に新日本フィルに客演してかなり好評を博した模様である。その経歴を見ると、1982年のカラヤン・コンクールで 1位を獲得しており、かつて大野和士もそのポストにあったザグレブ・フィルの首席指揮者や、エストニア国立交響楽団の首席指揮者も歴任している。このサンクトペテルブルク・フィルの指揮者としては、既に過去 18年間活動している。私は、今回のテミルカーノフのキャンセルに大変がっかりしてしまったのであるが、チケットの払い戻しはないという。ではここは気持ちを入れ替えて、未知のロシア人指揮者に期待をしようと思って出掛けたのである。曲目は以下の通り。
 ラフマニノフ : ピアノ協奏曲第 2番ハ短調作品 18 (ピアノ : ニコライ・ルガンスキー)
 チャイコフスキー : 交響曲第 5番ホ短調作品64

この堂々たるロシア・プログラムで、ラフマニノフの名曲を弾くルガンスキーは、過去何度か (テミルカーノフとの共演を含めて) このブログでも採り上げた、長身のロシアのピアニスト。
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ここで響いたラフマニノフは、なるほどこれは骨太な演奏で、感傷性を打ち出すよりはむしろ、強い音で前に進んで行くタイプのものだ。これぞルガンスキーである。だが不思議なことに、この強い音を聴いているうちに、何やら心が疼くのを感じる。私はそもそも、お国もの崇拝には常々懐疑的な人間であるのだが、このような演奏を聴いていると、やはり奏者の血の中に流れる何かが、音となって立ち昇っているのを感じざるを得ない。特に第 3楽章は、ある意味で暴力的なまでにピアノとオケが一体となってただならぬ盛り上がりに至ったのであるが、もしかすると、ラフマニノフ自身もこのような音を念頭に置いてこの曲を書いたのではないか、と思われるほどであった。巨躯に似合わぬ繊細な感性の持ち主であったラフマニノフは、ピアノを前にした時のみ、心からの叫び声を上げられたのであろう。そしてこの、本来は感傷性が際立つと思われる 2番のコンチェルトの終楽章からは、次に来る 3番のコンチェルトの予兆のようなものすら感じられるのである。圧倒的な表現力。そしてルガンスキーが弾いたアンコールは、チャイコフスキーの歌曲「6つの歌」作品 16の第 1曲、子守唄を、ラフマニノフがピアノに編曲したもの。強い音はそのままに、ここでは静かな抒情も感じさせるルガンスキーのピアノであった。

そうしてメインのチャイコフスキー 5番であるが、これまた大変充実感溢れる名演となった。この演奏会では、テミルカーノフがいつもするように、ヴァイオリンは左右対抗配置、そして指揮者のアレクセーエフは、コンチェルトではテミルカーノフのように指揮棒を持たない素手での指揮であったが、シンフォニーでは指揮棒を使用。その指揮ぶりは、決して音楽に耽溺するものではなく、ある種職人的にアンサンブルを整えるもの。だがそこはロシアの名門オケである。指揮者のシンプルな動きに対して、熱湯のような音を返してくる。テンポは中庸であり、纏綿と歌うこともあまりなく、一見淡々と進む音楽には、だが真実がこもっていて感動的だ。ここで私は、今度はお国ものがどうこうという感覚を忘れ、ともかく最初から最後まで飽きることなくこの名曲を楽しんだ。これだけのクオリティを聴かせてくれるということは、テミルカーノフの普段の薫陶もそこにはあるだろうが、アレクセーエフのプロフェッショナリズムと、プライドを賭けて演奏したオケの技量が充分に発揮されたということだろう。そして、終演後に何度かのカーテンコールを経て (最近では珍しい主催者からの花束贈呈も経て)、アレクセーエフが聴衆の方に顔を向けて、「やりますよ」という感じで眼鏡をかけて演奏したアンコールは、エルガーの「エニグマ変奏曲」の中の「ニムロッド」である。もちろんこれは、テミルカーノフがしばしばアンコールで採り上げる、実に情緒豊かで感動的な曲。ここでのアレクセーエフは、あたかもテミルカーノフが乗り移ったからのような素手での指揮ぶりであった。そして私は再びお国ものについて考えを巡らす。これは英国の曲であるが、ロシアの演奏家がこんなに素晴らしく演奏することにこそ、音楽の普遍性を感じたい。

さて、今回サンクトペテルブルク・フィルは、前日の豊田での演奏会を皮切りに、東京とその近郊に加え、大阪、佐賀、北九州で合計 9回の演奏会を開く。地方の方も、この素晴らしいオケを堪能するよい機会であると思う。さてここから先は、川沿いのラプソディ名物、脱線である (笑)。実はこのコンサートに出掛ける前、少し時間があったので、久しぶりに神保町の古書街をブラブラしてみた。「おぉっ、この店はまだ健在であったのか!!」と思われる古書店や中古レコード店でしばし至福の時を過ごしたのだが、その中で目に付いたのはこれである。
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これは何かというと、ちょうど今回聴くことになったサンクトペテルブルク・フィルの、初来日の際のプログラムなのである!! もちろん当時の名称はレニングラード・フィルであり、1958年 4月、つまりは今からちょうど 60年前のこと。一応歴史として知っているのは、この時は本当は常任指揮者であるムラヴィンスキー (当時 54歳) の来日が予定されていたが、キャンセルとなり、同行した指揮者は、アレクサンドル・ガウク、クルト・ザンデルリンク、そしてアルヴィド・ヤンソンス。ソリストは、当時 31歳のロストロポーヴィチであった。全部で 12公演あり、うち東京が 9公演 (日比谷公会堂 4回、新宿コマ劇場!! 5回)、それ以外には、八幡、福岡、名古屋を巡回した。今回のツアーよりもコンサートの回数は多いものの、巡回する地域にはかなり共通点があるのが面白い。この貴重なプログラム冊子、さぞかし高価であったかと思いきや、たったの 500円!! たまたまこのオケの来日公演の日に巡り合うとは、なんとも幸運であった。時代の雰囲気を感じて頂くため、何枚か写真をご披露しよう。オーケストラ紹介とレコードの宣伝 (指揮者はムラヴィンスキーとザンデルリンク)、そしてなぜか、一行が宿泊した新橋第一ホテルの宣伝 (笑)。
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60年の時を超えて日本でも活発に活動するこのオケに、最大限の敬意を表したいと思う。

by yokohama7474 | 2018-11-11 23:41 | 音楽 (Live) | Comments(0)

ジャナンドレア・ノセダ指揮 NHK 交響楽団 (ピアノ : アリス・紗良・オット) 2018年11月10日 NHK ホール

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今月の NHK 交響楽団 (通称「N 響」) の定期演奏会は、3つのプログラムのうち 2つをイタリア人指揮者が、残る 1つを日本人指揮者が振る。日本人指揮者は広上淳一。そしてイタリア人指揮者とはこの人だ。
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音楽ファンには既におなじみであろう、1964年生まれの名指揮者、ジャナンドレア・ノセダである。彼は以前、東京交響楽団の指揮台に頻繁に登場し、マーラー 8番という大曲も指揮していたものだが、当時私は、彼の手腕に瞠目しながらも、この長い名前をなかなか覚えることができず、ふざけてダレナンジャ・ソレハなどと呼んでいたものである (笑)。あのゲルギエフが、自身音楽監督を務めるマリインスキー劇場で、イタリア物のレパートリーを劇場に定着させるべく呼び寄せたイタリア人指揮者であるが、それも既に 20年以上前のこと。その後彼は活躍の場を大きく広げて行っており、オペラの分野ではトリノ王立歌劇場 (来日公演も素晴らしかった!!) の音楽監督をかつて務めていたが、2021年のシーズンからはあの名門チューリヒ歌劇場の音楽監督に就任予定である。またオーケストラでは、かつての手兵 BBC フィルとの相性もよかったが、2017年 9月からは、ワシントン・ナショナル響の音楽監督でもある。また N 響とは 2005年の初顔合わせ以来、何度も共演している。そのソレハ、じゃなかった、ノゼダが今回採り上げたのは以下のような曲目。
 ラヴェル : ピアノ協奏曲ト長調 (ピアノ : アリス・紗良・オット)
 プロコフィエフ : バレエ音楽「ロメオとジュリエット」抜粋

ノセダのこれまでの活動から、やはりレパートリーとしては、フランス物、ロシア物、そしてイタリア物が中心というイメージがあるので、これは彼の実力をじっくり楽しむことのできる充実の内容であると言える。しかもラヴェルのコンチェルトを弾くのは、ドイツ人の父と日本人の母を持つアリス・紗良・オットである。今年 30歳になった。
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彼女のピアノは非常にスタイリッシュなのであるが、それと同時に真面目さも持っている。何を弾いても聴かせるが、洒脱でジャズのイディオムを使ったこのラヴェルのコンチェルトなどは、最適のレパートリーではないか。そして彼女のひとつのウリは、ステージに裸足で登場すること。今回もベージュの長いドレスから時折覗く足の先は、確かに裸足である。ヴァイオリニストでもパトリツィア・コパチンスカヤという女流奏者はやはり裸足で演奏するが、彼女のヴァイオリンは一種野性的なものであり、裸足のイメージには合うと思うのだが、このアリス・紗良・オットの場合は、そのしとやかな外見や真面目な音楽性とのギャップが面白いのである。そして今回のラヴェル、ある意味では事前の予想通りの演奏だったと言えようか、小股の切れ上がったスタイリッシュなまとめ方をしながらも、一音一音疎かにしない丁寧さも感じる演奏であった。ノセダの指揮もいつもながらキビキビしたもので、この曲の場合、そのようなテンポの負担は管楽器に行くのであるが、N 響は密度の高い音でついて行っていた。ごくごく些細な傷はないでもなかったが、曲全体を通して本当に都会的で洒脱なラヴェルであったので、充分楽しめるものであった。そして紗良・オットが弾いたアンコールは、同じフランス音楽ではあっても、ラヴェルやドビュッシーではなく、サティの「ジムノペディ」第 1番である。これも音楽にふさわしい透明感と孤独感を漂わせた、都会的でいて味わい深い演奏。そう、彼女の最新アルバム「ナイトフォール」にも収録されているナンバーだ。
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後半の曲目は、プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」からの抜粋である。この曲は全曲の演奏に 2時間半を要するが、随所にプロコフィエフの天才が感じられる素晴らしい曲である。作曲者自身が 3つの演奏会用組曲を編んでいるが、それらが演奏されることは少なく、指揮者の好みで抜粋版を作って演奏されることが多い。だが面白いのは、抜粋版に欠かせない「モンタギュー家とキャピュレット家」とか、ある場合にはラストに置かれる迫力満点の「タイボルトの死」などは、実は全曲にはそのようなタイトルはないし、曲自体も原曲そのままではない。その意味では、やはりプロコフィエフが、バレエ上演ではなくオーケストラコンサートのレパートリーとして編曲したことが、今日でもこの曲が頻繁に聴かれる理由のひとつであると思われるのだ。今回の演奏では 14曲が選ばれ、45分程度の演奏時間であった。ノセダは、サンクト・ペテルブルクのマリインスキー劇場での経歴において、ロシア物のバレエを手掛けたことがあるのか否か分からないが、やはりバレエ公演の多いあの名門劇場でのキャリアは、このようなコンサートにも活きてくるのではないだろうか。余談ながら私も、マリインスキー劇場を訪れた際に見たのは、この「ロメオとジュリエット」(指揮者は知らない人であったが) だった。そして今回のノセダの演奏、さすが彼らしく、思い切りのよいオケのリードを基本として、細部のニュアンスまで描き出した素晴らしい演奏であったと思う。最初が例の「モンタギュー家とキャピュレット家」であったが、その絶叫的に鳴り響く不協和音が、両家の間の不和と、これから起こる悲劇を象徴しているように思われ、まさに聴衆の心を一気に掴んでしまった。この曲は、もったいぶったところは全くなく、ストレートに場面場面の特徴を描き出す必要があると思うのだが、その点ノセダの指揮は、いつもの通り切れ味抜群で、劇場的なセンスも感じさせるような素晴らしいものであった。そして「タイボルトの死」が熱狂的に大きく盛り上がった (打楽器がドン、ドン、ドンと繰り返すあたりのクライマックスには、ノセダの指揮棒が空間を切り刻み、まさに手に汗握るものがあった) あとに、長いコーダのように「ジュリエットの墓の前のロメオ」と「ジュリエットの死」が続き、深い情緒に満たされてコンサートは終了した。ノセダ、やはり素晴らしい指揮者である。もう、ダレナンジャとは言わせない (いえいえ、もともと私以外、誰もそんなこと言っていません。笑)。ますますの世界的活躍は間違いないが、日本でもこれからはドイツ物も是非披露して欲しいものだ。
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今シーズンの残りの N 響の曲目を眺めていると、招聘する指揮者の得意とするレパートリーにも関係しているのだろうが、ロシア音楽とフランス音楽がかなりの比重を占めている。かなり以前はどうしてもドイツ物偏重というきらいのあった N 響は、今や本当に多彩なプログラムを組んで、聴き手を飽きさせない活動を展開していると、改めて思うのである。

by yokohama7474 | 2018-11-10 22:59 | 音楽 (Live) | Comments(0)

アレクサンドル・ラザレフ指揮 日本フィル 2018年11月 9日 サントリーホール

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日本フィルハーモニー交響楽団 (通称「日フィル」) の前首席指揮者であり、現在では桂冠指揮者兼芸術顧問の立場にあるロシアの名指揮者、アレクサンドル・ラザレフは現在 73歳。以前もご紹介したことがあるが、日フィルの指揮台に年に数回は立って、ロシア音楽を中心としたプログラムで、熱い演奏を繰り広げている。最近でこそ聞かなくなったが、彼が日本で指揮する機会が増えた 1990年代頃には、「ロシアのカルロス・クライバー」などと呼ばれていたものだ。今でも彼の指揮には何か特別な情熱が宿っているような気がするのであるが、今回の演奏会はまた、そのようなことを感じるには最適の内容であったと思う。このような曲目であったからだ。
 グラズノフ : 交響曲第 8番変ホ長調作品83
 ショスタコーヴィチ : 交響曲第12番ニ短調作品112「1917年」

ラザレフと日フィルは、アレクサンドル・グラズノフ (1865 - 1936) の作品の連続演奏会に取り組んでいるようだが、グラズノフ作品との組み合わせは、彼がサンクト・ペテルブルク音楽院の院長であった頃にそこで学んだ、ショスタコーヴィチやプロコフィエフの作品であるらしい。グラズノフは、ロシアの作曲家として決して無名な存在ではないはずだが、その作品はどのくらい日本で知られているであろうか。バレエ音楽「ライモンダ」や「四季」、あるいはヴァイオリン協奏曲は、それなりの知名度があると思うが、かく申す私自身、それらがいつも大いに親しんでいる曲たちかというと、全くそうではない。交響曲は 8曲書いていて、私は尾高忠明指揮 BBC ウェールズ交響曲の全集を持っている。そのうち今回演奏された 8番は、日本では以前朝比奈隆が時々採り上げたこともあり、私も彼の指揮する当時の新星日響との実演 (録音もある) を聴いたこともある。だが、そうであってもこの 8番がポピュラーな曲であるとはとても思えない。実際、上記の尾高の全集を聴いたのは随分以前のことであるが、どのシンフォニーを聴いてもロシア的土俗性が感じられて、私の感性にはどうにもしっくり来なかった記憶がある。だが一旦そのような過去の体験を離れ、ここでグラズノフの音楽史的な立ち位置を確認しておこう。1865年生まれということは、マーラーやシュトラウスと同世代。ロシアの中では、五人組 (1830 - 40年代生まれ、ムソルグスキーや R=コルサコフたち) やチャイコフスキーよりも一世代下であり、また、プロコフィエフやショスタコーヴィチ (1890 - 1900年代生まれ) よりも一世代上ということになる。そして何よりも興味深いのは、彼の人生には、1917年のロシア革命から、1924年のレーニンの死後に始まるスターリン時代までが含まれる。そのように考えれば、決してロシアの民族主義のみに立脚した人ではなく、ロマン主義とモダニズムの間、あるいは帝政と共産主義の間に生き、そして世界の秩序が激変する時代に生きた人であると理解できるのである。このように恰幅のよい人であったようだ。
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久しぶりに実演で耳にした彼の交響曲 8番を聴いて、若干驚いた。結構面白く聴けたのである。第 1楽章の主題は勇壮で広がりを感じさせるもの。第 2楽章には悲劇性があり、第 3楽章スケルツォは激しい音楽で、終楽章では音楽が脈打つような印象である。全体を通じ、音の層は概して厚く、常に休むことなくウネウネと前に進んで行くようなイメージの音楽だ。これは演奏する方はなかなか大変であろうと思うのだが、いつものように素手で指揮するラザレフの細かい指示に、日フィルが実によくついて行って、大変な熱演となった。弦楽器はいつものように深々と鳴り、以前少し課題を感じたように思った木管も、実に活き活きとした自発性がそこここに聴かれ、金管も上々。よく耳を澄ますと、モダニズムの断片が聴こえるような気もするが、やはり後期ロマン派風のイメージが強い。これこそがこの作曲家の複雑な持ち味なのであろう。因みにグラズノフは、この 8番完成 4年後の 1910年に 9番に取り掛かったが、例の 9番のジンクス (優れた交響曲作曲家はみな 9番までしか書いていない) への意識と、教職が多忙であったという事情から、結局 9番は未完に終わっているようだ。

そしてメインのショスタコーヴィチ 12番は、これも単純なようでいて実に複雑なシンフォニーである。いや、ショスタコーヴィチのシンフォニーはどれもこれもその性格が複雑にできており、ある時は一見体制に従順な態度を見せながらも音楽に暗号を忍び込ませたり、またある時は、どう考えても共産党幹部が喜ぶわけもない陰鬱な曲を書くことで、一筋縄ではいかない創作活動を生涯に亘って展開したわけである。そんな中、この 12番は、副題の「1917年」で明らかな通り、ロシア革命とその主導者レーニンを称える曲。だが、切れ目なく演奏される 4楽章からなるこの曲は、決して英雄的なものではなく、とりわけラストは、音楽は一応盛り上がりを見せるものの、これはどう聴いても勝利の凱歌ではなく、聴き終わったあとも何やらストンと落ちないものを感じさせる。だからこの曲は、かつて一般に思われていたような体制におもねった曲ではなく、彼のほかのシンフォニー同様、大変謎めいた音楽なのである。
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今回のラザレフと日フィルの演奏は、一言で形容するならば、大変な迫力。ラザレフは、ステージに登場して指揮台に上るや否や指揮を始め、鳥肌立つような凄まじいチェロの唸りからして、一気に聴衆の心を掴んでしまった。終始スコアを見ながらの指揮ではあるが、彼の頭の中にはこの曲が完璧に入っていることは明らかだ。いやそれにしても、今回の日フィルの演奏は、まさに会心の出来であろう。上記のグラズノフ以上に (曲自体へのなじみも関係していようが)、このショスタコーヴィチでは、それぞれの楽器から発される音の説得力が凄まじく、実に圧倒的である (ティンパニに拍手!)。ラザレフの指揮は、いつもにも増してしっかりと前に進んで行くもので、例えば第 1楽章で何度か出て来る休符も、普通ならそこで一旦停止して、力を蓄えてまた放つというやり方を取る指揮者が多いと思うが、彼の場合には、休符は休みや切れ間を意味せず、あたかもそこでも音が続いているように音楽は進んで行く。普通このようにすると雑な印象を与えかねないだろうが、ラザレフの場合は雑とは違う。雑な指揮者なら、あそこまで忙しく各パートに指示を与えることはないだろう。彼は、自分の頭の中で鳴っている熱い音楽を、まるで空気から彫り出すように現出させるのである。素晴らしい手腕ではないか。 演奏後の様子を見ても、今回の日フィルの演奏には、自身大きく満足したようである。
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さて今回面白いことがあったのだが、それはコンサートマスターだ。こんな人。
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彼は、音楽ファンにはある程度知られているであろう、白井圭。藝大を卒業してからウィーンでも学び、ウィーン・フィルに契約団員として在籍したこともある。また、サントウ・キネン・オーケストラのメンバーも何度も務めている。そんな彼が今回ゲスト・コンサートマスターとして日フィルに登場したのは、何かご縁があったのだろうか。オケのリーダーとしての経験はよく知らないが、今回のような豪壮な鳴り方が実現した一因は、彼の貢献もあるのかもしれない。

今後予定されているラザレフ / 日フィルの演奏会で注目は、来年 5月の定期で、ここではなんと、マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」の全曲が演奏される。常々、ラザレフのロシア物以外のレパートリーを聴いてみたいと思っていたので、これは絶好の機会ととらえ、是非聴いてみたいと思っております。

by yokohama7474 | 2018-11-10 01:20 | 音楽 (Live) | Comments(2)

イサム・ノグチ 彫刻から身体・庭へ 東京オペラシティ アートギャラリー

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この展覧会は、既に終了してから 1ヶ月以上経過しているもので、しかも、東京展の前に大分と香川を巡回して、東京が最後であったので、今さらここでその内容を絶賛しても、時既に遅し。だがまぁ、開き直ってしまえば、このブログの本来の趣旨は、いかなる文化イヴェントが東京で起こっているかを記録し、またそれをご覧頂く方に認識頂くということであるので、毎度のことながら、終了済の展覧会の紹介もあながち意味がないものでもないと思うので、できるだけ現場に行ったときの生の感想をお伝えしたいと思う。なお、一部は私が会場で撮影した写真である。

この記事は前回の記事、つまり日本古来の建築と現代の日本の建築家の作品との間に、いかに脈々と流れる美意識があるかという趣旨と、幾分関連するものである (そう言えば、ポスターの色合いも近い。笑)。ここで採り上げる芸術家は、イサム・ノグチ (1904 - 88)。展覧会の副題にある通り、「20世紀の総合芸術家」という表現にはそれなりの意味があるのだが、一般的にはやはり、彼を彫刻家と呼ぶのが妥当なような気がする。詩人の野口米次郎を父に、米国人のレオニー・ギルモアという作家を母に (そういえば、「レオニー」という映画もありましたね)、米国に生を受け、幼時を日本で過ごした。彼の生涯は太平洋戦争の期間をその中に含み、その間日本と米国は敵国となったがゆえに、彼は運命に翻弄される。米国人であるという批判によって、戦後実現しなかった原爆慰霊碑という痛ましい例もあり、2つの国に引き裂かれた人生であったとも言えようが、だが私が彼の作品を好きなのは、個人としてのつらい経験や悲惨な思いを超えて、どこか超然とした無機質性を感じさせる点にある。もちろん、ある場合には沈黙による悲痛さを感じさせることもあるし、屈折した心理を思わせる場合もある。だが、やはりノグチの発想には、政治的な要素は一切なく、日本人の血が大きく影響しているであろう Simplicity こそがその創作の源泉ではないだろうか。これは老年のノグチ。
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ここで彼のことを総合芸術家と呼んでいる理由は、人間の身体を絵画として描いたり、彫刻で表現して行くうちに、舞台装置をてがけたり、さらにはインテリア、庭園などの空間造営に活動を広げて行ったことであろう。展覧会の最初の方には、このような、大きな紙にインクで描いた「スタンディング・ヌード・ユース」という作品 (1930年作) が。彼は日本に渡る前、シベリア鉄道で大陸を横断して北京に到着し、そこに 7ヶ月滞在した。そのときに描いたこの種の作品は「北京ドローイング」と呼ばれ、100点以上現存しているという。
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このほかにも「北京ドローイング」の何点かが展示されていたが、身体の彫塑性への興味が、そこでは明らかだ。つまり、描かれている人間の内面を描くよりも、かたちの面白さを線の面白さで表現することに興味があるように見える。これは「うつむく僧」と「座る男」(ともに 1930年作)。
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このブロンズ彫刻は、空洞の眼窩と、長く延びた髪のような棒状の持ち手が、極めて印象的である。ニューヨークで 1925-26年に制作された、伊藤道郎という舞踏家の肖像。
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この伊藤道郎というダンサーは、1911年に渡欧し、アイルランドの詩人イェイツ (ノーベル文学賞を受賞している) とともに能の研究をしたり、あの「惑星」で有名なグスタフ・ホルストに「日本組曲」を委嘱したりしている。またノグチに、あのマーサ・グラハムを紹介した人物であるという。100年も前に、大した人物もいたものだが、調べてみると彼は、千田是也の兄であるという。また、かつてジェリー伊藤という俳優がいたが、彼はこの伊藤道郎の次男であるそうだ。これが伊藤道郎の若い頃の写真。
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初期のノグチの彫刻作品も幾つかあるが、ある意味でノグチらしくなく、人の顔を比較的忠実に再現した「ジョエラ・レヴィの肖像」(1929年作) は、彼の素直な感性を思わせて、これが実はノグチの作品に通底する感性かとも思わせるのである。
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かと思うと、この 1937年作の「ラジオ・ナース」はどうだろう。これはノグチが初めて手掛けた大量生産の工業デザインであり、離れた場所から子供部屋の音を聞き、子供の様子を知るという用途で作られたものらしい。すぐ上で見た手作りの具象的な人の顔は、数年の間にこのように抽象化され、工業デザインとなった (笑)。
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これは、1931年作の「玉錦 (力士)」。相撲観戦 (連れて行ったのは、新渡戸稲造と、貴族院議長徳川家達であったという!!) のあと、当時の大関で、後に横綱になる玉錦という力士の像をテラコッタで作ったもの。身体表現への興味と、どこかユーモラスな雰囲気が感じられる。
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これは 1955年、上でも名前の出たマーサ・グラハム振付の「セラフィック・ダイアローグ」という舞台の装置である。ジャンヌ・ダルクを主人公としており、この真鍮の管で造形されているのは大聖堂であるとのこと。空間を切る感性は、のちに庭園の設計に向かうノグチの指向を表していると思う。
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いくつか、ノグチらしい造形の彫刻作品を。「化身」(1947年作)、「私の無」(1950年作)、「かぶと」(1952年作)。抽象性と、日本的な感性による造形である。
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そうそう、日本的と言えば、「あかり」という照明シリーズが有名だ。前回の記事でも、丹下健三が自宅でノグチの「あかり」を使用したと書いたが、このシンプルでスタイリッシュでありながら、どこかほっとする造形は、上記の彫刻作品と共通する。この 2枚は私が会場で撮影。
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そしてノグチはついに、地面を「彫刻」し始める。以下、モノクロ写真がまさにシンプルでスタイリッシュだが、イェール大学の図書館の中庭 (1963年頃) と、ウォール街のチェイス・マンハッタン銀行 (現在は JP モルガン) プラザの庭 (1961 - 64年)。
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この 2枚も会場での私の撮影で、「ミラージュ」(1968年頃作)。花崗岩でテーブルのような板を作っているが、そこに 2つの隆起がある。ノグチ自身はこれを、蜃気楼が出現した砂漠の風景と言っているらしいが、具体的な情景を思わせるものは何もない。だが見ている者を不安にする要素もなく、抽象性も適度で、いわゆる思わせぶりな現代アートとは全く異なるものだと思う。
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これは晩年の作品で、「アーケイック」(1981年作)。古代をテーマにしているが、やはり抽象性が心地よい。もちろん人為的に作られたものだが、自然界の一部を切り取って来た、つまり、大地に彫刻を施したような作品であると思う。私が会場で撮影したもの。
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改めて、ノグチの創作における日本的感性と、コスモポリタンとしての芸術家の創作活動の接点が感じられる展覧会であったと思う。そういえばノグチの美術館と言えば、ニューヨークのクイーンズにあるイサム・ノグチ庭園美術館には何度も行ったことがあるが、高松市牟礼町 (ノグチのアトリエのあったところ) にある同じ名前の美術館には、残念ながら未だ行ったことがない。今年は久しぶりに高松に出掛ける機会があったのに、見逃してしまった。実は高松空港の玄関口には、このようなモニュメントがあるらしいが、「タイム・アンド・スペース」と名付けられたこのモニュメントは、最期の年である 1988年にノグチが制作したブロンズの模型に基づいて作られたもの。いわば彼の遺言が、高松では人々を出迎え、また見送っているのである。
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彫刻から身体・庭へ --- イサム・ノグチの芸術を身をもって体験することで、気持ちが前向きになると思うのである。

by yokohama7474 | 2018-11-09 01:28 | 美術・旅行 | Comments(0)

建築の日本展 その遺伝子のもたらすもの 森美術館

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例によって例のごとく、コンサートの記事にかまけてしまっているうちに、既に終了してしまった展覧会の記事をいくつか書かねばならない状況になっている。いずれもなかなかに面白い内容であったので、東京で触れることのできる文化イヴェントの多彩さを、遅ればせながら少しでもお伝えできたらと思う。まずはこれらの写真を見て頂こう。
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いずれも木の積み重なりにリズムがあって心地よい。上の写真は高校の教科書にも、いわゆる天竺様の代表作として掲載されている、奈良・東大寺の南大門。下の写真は、隈研吾設計になる高知・梼原 (ゆすはら) 木橋ミュージアム。建てられた時代には 800年の隔たりがあるが、これらの建築には何か共通する美意識があるのではないか。この展覧会は、このような日本の建築の伝統と、それを受け継ぐ現代の建築との間に、そのような共通する美意識を見出そうという試みであった。会場では写真撮影が許されていたので、ところどころ、私が現場で撮影した写真を交えてご紹介したい。早速これは現場で撮った写真だが、これだけ多くのセクションに分かれた展示であったのである。
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だがここでは、あまり難しい分類はやめ、常にこのブログのアプローチである、徒然なるままにこの展覧会の印象を書き連ねる方法を取ることとしよう。さて、この建物には木も温もりが感じられるが、ここに見える「日本館」とは、もちろん万博における日本国のパビリオンであろう。だが、私にとってあらゆる文化体験の原点である 1970年の大阪万博のときのものではない。これは 2015年のミラノ万博 (ミラノ国際博覧会2015) のときのもの。設計は北川原温 (きたがわら あつし)。そう言えば、大阪万博の時の日本館はこのような形状ではなく、太鼓が集まったような形でしたね。木の感覚が日本的で、木材の香りまで嗅げそうな気がする。
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これは一見して忘れることのできない図書館内の光景であろう。私も NHK の「美の壺」でこれを見て感嘆の声を上げたものである。秋田県にある国際教養大学の図書館だ。実に大上段に構えた大学の名前だが (笑)、これほど素晴らしい図書館を備えた大学なら、その名も大仰ではないだろう。仙田満の設計。
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このあと、日本古来の木造建築として、会津のさざえ堂 (昔澁澤龍彦が紹介していたのを読んで私も現地を訪れたことがあるが、二重らせん構造の奇抜な建物) や五重塔の紹介があったあと、そのような技術の現代への伝承として、東京スカイツリーの構造についての概要図が展示されていた。現代の最先端建築にも、日本古来の建築の技 (地震や台風や火事の多い土地での様々な先祖の知恵がある) が活きているとは大変なことである。我々はそのようなことをもっと知るべきではないか。
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この建物も私の目を引いた。これは菊竹清訓設計によるホテル東光園。1964年の設計だが、なんともモダン。実はこのホテル、鳥取県米子市の皆生温泉というところにある。先にこのブログでも採り上げた出雲地域に隣接しているわけであり、一度行ってみたいものだと思う。
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出雲と言えば当然これ、古代出雲大社の本殿である。もちろんこれは、伝承と発掘された柱の太さから想像した復元図であるが、このような大変な木造建築が本当にかつて日本に存在していたなら、と想像するのは無性に楽しい。
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木造建築の感覚に基づく現代の設計で、実際には実現しなかったものがある。それは、磯崎新が 1962年という若い時代に考えた「空中都市 渋谷計画」だ。これはそれに基づいて 2011年に作成された CG である。もしこれが実現していたら、ハロウィンの仮装行列は、もっと危険なものになっていたかもしれない (笑)。
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さて、日本からは多くの名建築家が出ているが、谷口吉生はその中でも代表格であろう。このブログでも過去何度かその名前に触れているが、私がそのうち絶対に見に行きたいのがこの建物。金沢市にある鈴木大拙館である。世界にその名を知られた仏教哲学者の業績を偲ぶ施設であるが、この潔さはどうだろう。
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さてこれは、日本の民家に想を得た、三分一博志 (さんぶいち ひろし) 設計になる直島ホール。うーん。瀬戸内海のアートの島、直島にも私は行ったことがない。つい先日英国人弁護士と話していたら、彼は直島に泊まったことがあるという。わざわざ国外からもやって来る人たちがいるのに、私のように日本に住む人間が行ったことがないというのは、ちょっと恥ずかしい。なのでここも、私の「行くべき場所」リストにいつも入っているのである。
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そもそも日本人の「家」の感覚は相当古いものらしく、展覧会には古墳時代の家形埴輪も展示されていて、大変に興味深かった。
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それから、「建築としての工芸」のコーナーに入ると、このような写真展示がある。おぉ、これこそ昔懐かしい大阪万博の東芝 IHI 館である。この昆虫のような、ブロックのような、あるいは蜂の巣のような不思議な形を設計したのは若き日の黒川紀章。テトラユニットの組み合わせでできている。
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かと思うと、21世紀の東京を代表する商業施設も面白い。銀座のルイ・ヴィトン松屋銀座である。これはちょっと鳥の巣のようですな (笑)。
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さてここでまた、私が会場で撮影した写真である。これは岡倉天心の言葉。天心については、先に茨城県の五浦にある彼の遺跡をご紹介したが、明治日本が輩出した世界的な美術評論家と言ってよいし、また日本文化の紹介のため、このパネルに書かれた言葉を含む「茶の本」を英語で著した人物。うーん。部屋の実質は空間であるとの説、どこか仏教的なイメージもあり、また東アジア的な広がりを感じさせる言葉と言ってもよいかもしれない。
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そしてここに、日本建築史上にその名を轟かせる名建築が復元されていた。列に並べば入ることもできたが、時間の関係もあり、外から写真を撮るにとどめた。
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これは京都、山﨑にある妙喜庵という寺にある、待庵 (たいあん) という茶室である。国宝に指定されている。千利休の手によるものとされ、私も随分以前に現地に見学に行ったことがある。もちろん日本美にも時代による変遷はあるが、いわゆるわびさびという点では、こんなに厳しくまたコンパクトにまとまった空間もなかなかない。久しぶりに現地に行きたいものだと思った。
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面白い建物の模型があった。この 2枚も私が現地で撮影したもの。
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このミニチュアの細長い建物は、日本の建築家として最も早く世界に知られた丹下健三が、自ら設計した自邸である。1953年に建てられ、惜しくも現存はしていないが、そのユニークさは、この模型でもよく分かる。風通しがよすぎるかもしれないが (笑)、日本家屋の柔軟性を感じることができる。インテリアにも凝っていたらしく、イサム・ノグチ設計の照明「あかり」もあったという。下の写真は、この自邸の前で子供たちと遊ぶ丹下。おっと、お嬢さんの足元に見えるのは、これはもしかすると岡本太郎の彫刻ではないか? もしそうなら、大阪万博で太陽の塔とお祭り広場を巡って対立したという 2人は、実は何かの連帯感で結ばれていたのかもしれない。あるいはこれもノグチの作品かもしれないが。
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さて、丹下の設計作品には有名な建築が多いが、私が見てみたいもののひとつがこれ、香川県庁である。1958年の建築なので、既に 60年を経過している。香川県高松市には何度も訪れていて、今年の旅行はこのブログでも記事にしたが、この県庁は見逃している。また、高松と言えば、上でも名前の出たイサム・ノグチがアトリエを構えていたところ。そこは以前訪れたことはあるものの、再訪の価値は充分にあるはずだ (この箇所は次の記事の予告編なので要注意。笑)。
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丹下は国際的な建築家になったが、それに先立つ個性的な建築家で、専ら国内で活躍した人も多い。築地本願寺を代表作とする伊東忠太もそのひとり。京都の祇園にあるこの祇園閣も、いかにも伊東らしいアジアン・テイストな作品である。
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だが日本が諸外国に門戸を開いた明治期に、それこそ万博のような国際的なイヴェントで日本的な個性を誇示する試みも何度も行われている。これは 1893年、シカゴでの万博における日本館。鳳凰殿と名付けられていることから明らかなように、モデルはあの平等院鳳凰堂である。設計したのは久留正道 (くる まさみち) という人。当然この建物は現存していないが、きっと現地の人たちは驚きの目で、まだ見ぬ土地である日本の建築に見入ったことであろう。
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実はシカゴ万博でこの建物を見て影響を受けた有名な米国人建築家がいる。ほかならぬフランク・ロイド・ライトである。日本における彼の代表作はもちろん帝国ホテル。今は明治村にファサードの部分が残るのみだが、これは実際にホテルとして使われていた頃の写真。その証拠は、左右に停まっている自動車である。
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実は、今度は逆に、「これはライトの設計か?」という建物を米国で設計した日本人建築家がいる。吉村順三がその人で、1974年のポカンティコヒルの家がそれだ。これはニューヨーク郊外にあるネルソン・ロックフェラー (竣工当時はフォード大統領のもとでの副大統領) の邸宅で、昭和天皇も訪れたことがあるという。
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日本人建築家の海外での仕事は枚挙にいとまがないが、近年の作品で私が是非とも行ってみたいと思っているのは、ルーヴル・ランス。ランス (Lens) という場所にある、あのルーヴル美術館の分館である。因みに日本語で「ランス」と書くと、フランスにはほかにももうひとつ知られた場所があり、それは歴代フランス王が戴冠した街で、ロッシーニのオペラ「ランスへの旅」で有名な街、また藤田嗣治が晩年を過ごした街、そしてシャンパン醸造で知られる街だが、そちらは Reims という綴りで、このルーヴル別館のある場所とは別。この別館、今を時めく SANAA (妹島和世と西沢立衛によるユニット) の設計である。平面性を強調した美しい建築だ。
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次は国内だが、私がこれまで知らなかった近代建築の重要文化財。聴竹居 (ちょうちくきょ) という 1928年の建物で、設計した藤井厚二という建築家の 5番目の自邸であったとのこと。これは行ってみたい。実はこの建物の所在地は京都の山崎。なので、上記の待庵と合わせて見ることができれば効率的だなぁ・・・と呟いている私 (笑)。待庵の見学には往復はがきでの申し込みが必要。いつにしようかなぁ。
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そして最後、これも行ったことがなく、いつか必ず行ってみたと思っている、安藤忠雄設計の水の教会。星野リゾートトマムにある。もちろん、同じ安藤による風の教会、光の教会も、必見の場所である。
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ここでご紹介できたのは本展のごく一部。改めて現代日本の建築家たちの活動と、日本古来の建築を比較することで、我々にはいかに大きな歴史的文化遺産が残されてきたのかを実感することのできた展覧会であった。

by yokohama7474 | 2018-11-08 00:41 | 美術・旅行 | Comments(0)

エフゲニー・キーシン ピアノ・リサイタル 2018年11月 6日 サントリーホール

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キーシンのピアノを聴く。これはやはり、現代音楽界のイヴェントとしては、特別なことなのである。・・・ええっと、何やら似たようなフレーズを最近も使ったような気がするが、ともあれ、エフゲニー・キーシンのピアノ・リサイタル。考えてみれば、過去 2ヶ月ほどの間だけでも、ツィメルマン、ポリーニ、内田光子と来て、今度はキーシンと、東京ではまさに世界最高のピアニストたちを立て続けに聴くことができるわけで、さらにこの後も、ラン・ランやユジャ・ワンや、ポゴレリッチがやって来る。今年を振り返ると、アルゲリッチはもちろん来日しているし、ピリスのラスト・リサイタルもあった。もちろんそれ以外にも、来日した名ピアニストを挙げていけばきりがない。なんという音楽都市に、我々は暮らしているのであろうか。

キーシンの名前はクラシックの演奏家としてはかなり知られている方だと思うが、10代の頃に天才と称賛され、世に出て以来 30年以上。今年実に 47歳になる。これは考えてみればすごいことだ。まず、10代の頃からの活躍が異常なレヴェルであり、カラヤンと共演したこの録音の頃の彼は、なんというか、このまま年を取らないのではないかというような、特別なオーラに包まれていたものだ。
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その天才少年が、40代半ば至っても未だに天才であり続けること、これはどのように形容すればよいのだろうか。いや、彼の場合は本当に特別で、別に音楽家が 10代だろうと 20代だろうと 30代、40代だろうと、よい音楽をしてくれれば聴衆としては満足であるところ、今に至るも少年の頃と変わらない天才の輝きを保っていることは、彼以外にはちょっとないのではないだろうか。今でも舞台に立つ容姿は、遠目にはまるで、永遠の天才少年であるかのように見える。もちろん、チラシにも使われているこの最近の写真を見ると、子供であるわけもないのだが (笑)。
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私としては 2011年に彼のリサイタルを聴いて以来であったので、大変楽しみであったのだが、その曲目も大変に意欲的で素晴らしい。
 ショパン : 夜想曲第 15番ヘ短調作品 55-1、夜想曲第 18番ホ長調作品 62-2
 シューマン : ピアノ・ソナタ第 3番ヘ短調作品14
 ラフマニノフ : 10の前奏曲作品23から 第 1、2、3、4、5、6、7番
 ラフマニノフ : 13の前奏曲作品32から 第 10、12、13番

ここに面白い事実がある。実はもともとこの日の前半には、ベートーヴェンの「ハンマークラヴィーア」ソナタ (第 29番) が予定されていたところ、10月初旬に、上記のようなショパンとシューマンに変更が発表されたのである。実はちょうどその発表があったしばらく後に、たまたま来日中であったポリーニのリサイタルの曲目が変更になり、やはり同じ「ハンマークラヴィーア」が曲目から外された (当該コンサートの記事ご参照)。そしてまた、そのポリーニが東京で最初に行ったリサイタルでは、シューマンのピアノ・ソナタ 3番が演奏された。つまり東京の聴衆は、1ヶ月ほどの間に、ポリーニとキーシンという親子ほど年の離れた名ピアニストによるそれぞれの「ハンマークラヴィーア」を聴く機会が流れてしまい、その代わり、あまりポピュラーではないシューマンの 3番のソナタを、この名人 2人の演奏で聴くということになったわけである。但し、このシューマンの曲は、ポリーニは以前からのこわだりで、3楽章版の初版で演奏したのに対し、キーシンはスケルツォを加えた 4楽章改訂版であったという違いはあったのだが。

以前から思うのだが、このキーシンのピアノには、輝きと重厚感がともに存在していて、得も言われぬ凄みがある。軽薄にならず、重すぎず。充分ロマンティックでありながら陶酔的すぎず、繊細でありながら音量も大きい。そしてどの曲にも、これしかないという確信を抱かせるようなスタイルをもって接しているように思われる。最初のショパンの 2曲は、もう絶品のロマンをたたえた感傷的な音楽で、これはショパン以外の何物でもない。続くシューマンは、先のポリーニの演奏よりも歌謡的で、バリバリ弾くのではなく、自然に沸いてくるような感じと言えばよいだろうか。これはなかなかに複雑な曲で、メロディラインも入り組んでいるのだが、よく聴くと壮大なものでもあり、一方では抒情も随所に見られるという厄介な作品だ。ただきれいに堂々と弾いても、なかなか曲の流れがつかみにくいと思うのだが、いかなる魔術的な手腕によるものか、キーシンの演奏を聴いていると、飽きることがない。なんでもこの曲は彼が、今年 7月のヴェルビエ音楽祭で初めて披露したものだという。一方、「ハンマークラーヴィア」は昨年集中的に採り上げたらしく、今回の曲目変更は、キーシン自身が現時点で深くコミットしている作品を披露するという意味であったものだろう。彼ほどの才能があれば、どんな曲でも弾き飛ばして行けるわけだろうが、それをしない点に、芸術家としての真摯な姿勢を見ることができるし、本当に非凡な自己抑制能力を持っているのだと思う。もちろん後半のラフマニノフの 10曲の前奏曲も、透明な抒情感から、ホールを揺るがすかと思われる強い音まで、キーシンの持つ音のパレットが全開で、圧倒的な名演奏であった。

そして、拍手に応えて演奏された最初のアンコールは、シューマンの「トロイメライ」。同じ作曲家のソナタ 3番での目くるめく世界から一転した、一本の美しい旋律。そこには、作り物めいた抒情性は皆無であり、きっとシューマンの心の中に響いていたのはこのようなピュアな音楽だったのではないだろうか。そして、客席から何人かの女性がプレゼントを贈呈。2曲目のアンコールは、これはまた意表をつく刺激的なリズムである。ジャズでもないし、プロコフィエフではないし、一体なんだろうと思って帰りに確認すると、これはなんと、キーシン自身の作で、「タンゴ・ドゥ・ドデカフォニック」という曲。Dodecaphonic とは、ドデカい音という意味ではなく (笑)、いわゆる無調、あるいは十二音技法のこと。なるほど、タンゴと十二音技法の出会いであったか。諧謔味溢れる曲調は、真摯な芸術家であるキーシンのイメージとはかけ離れていて、なんとも興味深かった。そしてその後、さらに 2つのプレゼントを受け取り、それらをピアノの端に置いて弾き始めたのは、驚いたことに、ショパンの「英雄」ポロネーズ!! その高揚感には心から脱帽である。考えてみれば、ピアノ音楽として誰もが知る 2曲の間に自作を挟んだアンコールであったわけで、聴衆に対するサービスを心掛けながらも媚びることのない彼の姿勢が伺われるものであった。
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以前ポリーニについて書いたときに、演奏中の姿に感じる孤独について触れた。だが、このキーシンの場合には、不思議と孤独感というものを感じることはないのである。もちろん年齢的なこともあるだろうし、芸術家のテンペラメントの違いもあるだろうが、演奏において常に聴衆と結ばれていること、あるいは、演奏の喜びを感じていること。そういった要素が彼の演奏をあれだけ感動的なものにしているのかもしれないと、今回改めて思ったものだ。そのキーシンのリサイタル、今回は 11/2 (金) の横浜を皮切りに、4日おきに開かれる。11/10 (土) には大阪のザ・シンフォニーホールで、そして 11/14 (水) には東京芸術劇場でそれぞれ予定されているが、東京芸術劇場での演奏会は、どうやらまだチケットが余っている気配である。これだけのピアノを聴ける機会はそれほどはない。迷っておられる方には、是非お出かけ下さいと申し上げておこうと思う。


by yokohama7474 | 2018-11-07 01:46 | 音楽 (Live) | Comments(2)

チューリップ・フィーバー 肖像画に秘めた愛 (ジャスティン・チャドウィック監督 / 原題 : Tulip Fever)

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私も人並みに受験なるものを経験した人間だが、予備校の講師が語ったことで、唯一と言っては語弊があるだろうが、今でも鮮明に覚えている言葉がある。それは世界史の授業であったのだが、「17世紀はオランダの世紀」というものだ。ヨーロッパの歴史における政治経済、そして当時はそれと密接な関係を持っていた宗教や文化を考えるとき、この言葉はまさに、金科玉条のものと響く。もちろん、オランダがどこから独立したか知っておく必要があるだろう。もちろんそれは、ハプスブルク大帝国スペインである。例えばマドリッド近郊のエル・エスコリアル修道院を訪れて、フェリペ 2世の生涯に思いを馳せるとき、あるいはオペラで言えば、その時代を舞台としたヴェルディの「ドン・カルロ」を見るときでもよい。17世紀にヨーロッパの覇者が交代したのだということを知っていれば、何倍も面白いこと請け合いだ。また日本から見れば、オランダは鎖国時代 (17世紀に始まる) に我が国が唯一交易を継続したヨーロッパの国である。それには明確な理由があり、プロテスタント国オランダでは、カトリックの国々と異なり、布教をせずとも、商売さえできればよく、命をかけてこの極東の国までやってくる価値があったからだ。そして、経済の繁栄はまた、文化の繁栄を呼ぶ。17世紀オランダの画家で、現在でも日本で絶大な人気を誇るのは、もちろんレンブラントとフェルメール。前者が 1606年生まれ、後者が 1632年生まれと、年齢的には一世代異なっていて、またその画風も題材もかなり違っているが、いずれも 17世紀に世界を制したオランダで生まれた芸術家なのである。さてその時代に、世界最初のバブルと呼ばれた出来事があったことは、結構知られているのではないか。それは、チューリップに対する異様に加熱した投機である。調べてみるとそのピークと崩壊は 1637年。当時フェルメールは未だ幼児である。前置きが長くなってしまったがこの映画、そのチューリップバブルの時代が舞台となっている。上のチラシにもある通り、「フェルメールの名画から生まれた物語」とあるのだが、舞台設定は、厳密にはフェルメールの全盛期とはいさささか時の隔たりがある。正直、既に開幕している上野でのフェルメール展は、日時を事前予約できるというシステムであって大変便利だが、私は今のところその展覧会に行くか否かは未定である。なぜなら、どういうわけか日本では、この画家の名前があれば人々は大騒ぎという風潮があって、何もそんな混雑の中にでかけなくてもよいのでは、と思ってしまうからだ。ま、それは脱線ということで (笑)。

脱線ついでに告白してしまうと、もちろん私とても、人後に落ちずフェルメールが好きである。いや、大好きというか、もうそれは熱狂的に好きであると言ってもよい (笑)。だが、この映画の宣伝にその文句が必要か否か、またそれが適当か否か、それが最初の疑問。上で見た通り、時代はわずかだがずれているし、この映画の映像は、どうひいき目に見ても、フェルメールのあの奇跡的な光の描写のレヴェルには達していない。作り手の良心からすると、フェルメールの名前への言及はむしろおこがましいのではないか。どうやら原作小説が、フェルメールの絵画の世界を描きたいという発想で書かれたものであるらしいのだが、文学の世界における空想的情景と、映画における視覚の間には、かなり大きな差異があるだろう。

そして次の疑問は、主演女優である。ここで、曲者俳優クリストフ・ヴァルツ (「007 スペクター」の怪演が手っ取り早く思い出せるところ) の横に立つ若妻役は、アリシア・ヴィキャンデル。
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このブログでは、最近の「トゥームレイダー ファーストミッション」をはじめ、彼女の出演映画の何本かに高い評価を与え、この将来性溢れるスウェーデン人女優への賛辞を捧げてきた。だが、正直なところこの映画での彼女は、ちょっとミスキャストではなかったかと思わざるを得ない。というのも、プロテスタント国オランダでは、金髪碧眼で長身であることが女性の典型である。それなのにこのヴィキャンデルは小柄だし、何よりも、黒目黒髪で、どういうわけか肌も浅黒い。もちろんこの女優のことであるから、演技面ではなかなか繊細なところを見せているのだが、残念ながら、それだけでは歴史映画における説得力は出て来ない。彼女の新境地を見ることができるかという期待があっただけに、これはなんとも惜しいことであった。

残念ついでに言ってしまうと、この人妻と恋に落ちる画家を演じるデイン・デハーンも、雰囲気は悪くはないものの、その演技はまだまだ未熟だと思うのである。彼の前作「ヴァレリアン 千の惑星の救世主」が面白かっただけに、これも残念。今後の活躍を期待したいところだが。
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そうそう、その「ヴァレリアン」で彼の相手役であったカーラ・デルヴィーニュは、ここでは娼婦役を元気に (?) 演じている。だが、いかんせん出番が少なすぎる。なおこの 2人の共演シーンは確か 1箇所だけであるが、全くタイプの異なる映画で再度共演するとは、面白い巡りあわせである。
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それから、英国演劇界の至宝、デイム・ジュディ・デンチまでが出演している。オランダの栄光の時代 17世紀におけるしたたかな修道院長役で、さすがの貫禄。
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このように豪華俳優陣であるのだが、個々の俳優の起用法を離れても、正直なところ、この映画に心底引き込まれるという印象はない。ストーリー展開はある程度客観的に追うことができるし、主人公たちの悲恋とか、思い切った企てとか、あるいは運命の別離なども、冷静に見ていることができる。これに比べると、同じ監督、ジャスティン・チャドウィックがナタリー・ポートマンを主演に撮った 10年前の映画「ブーリン家の姉妹」の方が、まだよかったと思う。これはオランダに代わって世界の覇権を握ることになる英国の、歴史の分岐点であった 16世紀のお話。思い返してみるとこの 2作には、共通する印象もあるのであるが・・・。
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さてここからは多少のネタバレになるかもしれないが、私が勝手に想像したことを書いておこう。ちょっと調べた限りではどこにもそんなことは書いていないが、この映画の発想の根源はこの絵ではないか。
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もちろんこれは、アムステルダム国立美術館所蔵になる、フェルメールの「手紙を読む青衣の女」。1665年頃の作とされる。この女性、一見して妊娠しているようにも見えるが、これは当時オランダで流行っていた衣装であるとの説もある。映画の中のドレスはさすがにあからさまな絵画の模倣ではなく、ブルーの色合いも若干異なっているが、仮装妊娠が可能な服にも見える。
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うーん。こう書いていると、この映画ので出来不出来はともかく、上野の森美術館のフェルメール展に行きたくなってきてしまうのである・・・。結局、そのような効果を持つ映画であったか (笑)。

by yokohama7474 | 2018-11-05 23:13 | 映画 | Comments(2)


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