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入れ替わり立ち替わり名演奏家が登場する東京の音楽界であるが、よくよく注意して見ていないと、面白い演奏会を聴き逃しかねない。今回はそのような例であろうと思うのである。ここで新日本フィルハーモニー交響楽団 (通称「新日本フィル」) の指揮台に立ったのは、米国の名指揮者、ローレンス・フォスターである。彼の名前は、私にとっては随分以前から親しいものであるが、今手元に 1977年刊の「指揮者のすべて」という本を持ってきて見てみると、既に彼の名はそこにある。「フォスターのレコードは (中略) いずれも協奏曲ばかりなのでまだその本領を測り得ないが、きちっとした指揮ぶりに好感がもてる」とあり、また「78年に来日が予定されている」ともある。1941年生まれのフォスターは今年 77歳になるが、既に 40年前に初来日しているわけであるから、日本とも長いつきあいである。過去に N 響を指揮していたのは記憶にあるが、ほかの日本のオケをどのくらい指揮したことがあるのだろうか。今回、新日本フィルには初登場ということである。米国ロサンゼルス生まれだが、ルーマニア系の両親のもとに生まれたフォスターは、このように愛嬌のある顔の人。来年 9月からはポーランド放送響の芸術監督に就任する。
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さて、その円熟のフォスターが指揮する今回の曲目はブラームスによる以下の 2曲。
 ピアノ協奏曲第 2番変ホ長調作品83 (ピアノ : ヨーゼフ・モーグ)
 交響曲第 2番ニ長調作品73

2番 + 2番であるが、この曲のそれぞれを私は、別の演奏家の組み合わせで最近聴いたか、または近いうちに聴く。様々な組み合わせで世界の名曲が繰り返し演奏されるのも、東京ならではである。今回、事前の私の勝手な予想では、フォスターによる百戦錬磨の熟練の指揮が、すみだトリフォニーホールに響く美しい新日本フィルの音を昇華させるのではないかと思ったが、実際に聴いてみて、その予想は当たったと実感する。だが今回はフォスターの指揮だけでなく、ソリストも楽しみだ。1987年生まれ、ドイツの若手ピアニストであるヨーゼフ・モーグ。
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私は彼を聴くのは初めてのはずだが、調べてみると既に日本でリサイタルを開いたこともあるようだ。経歴を見ても、なんとかコンクール優勝という記載はないが、2015年に英グラモフォンの「ヤング・アーティスト・オブ・ザ・イヤー」を受賞しているという。ステージに姿を見せたとき、小柄なローレンス・フォスターと並ぶとひときわ目立つ長身であり、ブラームスの重厚な第 2コンチェルトのソリストとしてはうってつけではないかと思った。冒頭のホルンに続いてポロポロと静かに弾き出したピアノは、実に清澄なもので、ある意味では若さの特権とも思われる無邪気さが感じられる一方で、気負いも衒いもないその姿勢には、老成したものすら感じられる。この大規模なコンチェルトにおいてピアニストは、一生懸命汗をかきながら 50分間演奏する必要があるのだが、このモーグのピアノには、情熱はあってもそれは地に足がついたものであり、決して空回りはしていない。力任せにバリバリ弾くタイプではないモーグはしかし、一音たりともゆるがせにしないしっかりとした姿勢で、音楽の流れを作り出していた。そしてフォスター指揮の新日本フィルは、期待通りの美しくもまた燃える演奏で、万全の伴奏である。第 3楽章のチェロ・ソロも大変に美しく、これはピアニストもオケも、演奏していて楽しい経験であったのではないか。今回モーグが聴衆に対して「音楽によって皆様に謝意を表します」と説明して弾き出したアンコールは、やはりブラームスの、4つの小品作品 119の第 1曲、間奏曲。ゆったりと揺蕩うロマン的な演奏であった。この若手ピアニスト、技術を誇示するような浮ついたところがないので、これからも注目ではないだろうか。

休憩後の交響曲 2番は、ブラームスの 4曲の中で最も牧歌的な性格を帯びているが、それは演奏が容易であることを意味しない。目の積んだ音で、しかも流れよく演奏しないと、その持ち味は発揮されないのだ。その点フォスターには長年培った職人的手腕があり、決して派手な身振りでなくとも、巧みにオーケストラをドライヴすることができる。大見得を切るようなことはないが、その音楽には常に愉悦感が横溢している。その小柄なからだから音楽があふれ出るような感じであり、終楽章では緩急をうまく取って、自然な盛り上がりのままに歓喜を爆発させた。フォスター自身も新日本フィルの反応のよさを高く評価したのであろう、終演後には弦楽器まで各パートごとに立たせた。指揮者に向かって右手側にいたヴィオラを飛ばしてしまったのは愛嬌であったが、そんなところも人間的で好感が持てるような、気持ちのよい演奏会であった。・・・と書いて気がついた。上で引用した 1977年の書物にも、同じ「好感が持てる」という表現がありましたね (笑)。40年間聴衆から好感を持ってもらい続けているとするなら、素晴らしいことである。ところで、彼が中堅指揮者だった頃の写真はこれだ。そうそう、ローレンス・フォスターと言えば、こんな顔だったと記憶している。この頃よりも今の方が脂が抜けて (?)、もっといい顔になっていると思う。
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この指揮者、これからまだまだ滋味が増してくるであろうから、またの機会を楽しみにしたい。

by yokohama7474 | 2018-11-19 00:11 | 音楽 (Live)

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前の 2回の記事に続く、奈良弾丸往復の最後の記事である。元興寺からならまち、高畑の数々の古寺を訪ねたあと、今回の目的のひとつであった興福寺中金堂を訪れる間を縫って見ることにしたのが、この展覧会だ。毎年奈良国立博物館で、文化の日を挟む二週間ほどの会期で開かれている正倉院展は、過去に東京でも開催されたことはあるものの、基本的には奈良に足を運ばないと見ることができない、文化的な大イヴェントである。私もこれまでに数度 (片手には余るが両手に満たない程度か)、この展覧会を見ているが、中には東京からでも毎年見に行く熱心な人たちもいるだろうから、そのような人たちに比べると全くお粗末な経歴 (?) だ。それには私なりの理由があって、会場が大混雑であることとか、もともと自分の興味は工芸品よりも美術品にあるとか、さらに言うと仏教美術が好きであるとか、言い訳はいろいろあるのだが、実はあまり正倉院展に来たことがないことの理由のひとつには、「あまりに内容がすごすぎるから!!」ということもある。これは逆説的に響くだろうが、一体どういうことかというと、正倉院に納められている文物には、1200年という時をあっさりと越える驚愕の逸品が多く、聖武天皇や光明皇后ゆかりの品だったり、大仏開眼で使われた道具であったり、日本がシルクロードの東の終着点であることを如実に示す、それはもうクラクラするほどのものばかり。正倉院御物はまさに奇跡のタイムカプセルであり、世界にふたつとない超絶的なお宝ばかり。これらを見てしまうと、やはり毎年来たくなってしまう・・・という、理由にならない、だが私としてはそれなりに切実な理由によって (笑)、いわばこの展覧会をしばしば「敬遠」してきたわけである。だが、今回は平成最後の正倉院展。たまたまその開催期間中に奈良にいるというのも、何かのご縁かと思い、久しぶりに見てみることとした。平日の午後早めの時刻であったが、ほんの 5分ほどの入場制限のあと、すんなり入ることができて、その点は有難かった。もちろん場内の混雑は大変なものであったが。
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さて、以下は今回の出展物の一部であるが、ひとつルールを決めたいと思う。これらの品にはそれぞれ学術的な名前がついているのだが、それら正式名称には PC での漢字変換が難しいものもあるので、ここでは、正式名称ではなく、それが何かが分かる現代の用語でご紹介したいと思う。実は今回の図録には、正式名称と並んで分かりやすい現代語名称も併記されていて、なかなかに気が利いているのである。まずこれは、「螺鈿かざりの鏡」。まさに螺鈿。キラキラした貝殻を贅沢に使い、琥珀、トルコ石を散りばめた、実に信じられないほどの美しさを持つ鏡である。
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それを納める箱がこれ。革製で、漆を塗ってある。内部の朱色がなんとも高貴である。私など、時々印鑑用の朱肉を見ても何かゴージャスな気がする (特にこのデジタル時代には。笑) ので、直径 35cmのこの箱を見て、ドキドキしてしまった。
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こちらは「海獣葡萄鏡」。白銅製である。ここに葡萄とともにあしらわれた化物たちには、西域の匂いがプンプンする。まさにシルクロードの匂いである。
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これは「板締め染めの屏風」。いわゆる夾纈 (きょうけち) 染めであるらしい。この下に人物が描かれていて、竹林の七賢のような中国風の意匠であるとされているようだが、それでもこの植物は、南国的に見えないか。私にはやはり、遠い西域を思わせるものに見える。
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これは、「屏風の袋」。どの屏風を収めたものかは分からないが、麻製で、版木につけた染料で模様を摺りつけているらしい。屏風本体だけでなく、その袋にまで、手作業による繊細なデザイン性が刻印されているとは。
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これは「調布」。そう、歴史の時間にならった、租庸調の中の調である。つまりこれは税として納められたもの。確かに正倉院御物を見ていると、当時の朝廷では布は沢山必要であったろうと思われてくる。ただ教科書で租庸調と言ってもよく分からないが、このような展覧会を通して歴史を肌に知ることができることは貴重だ。因みにこの調布、佐渡島から納められたもの。調布という地名は東京にも残っているが、佐渡という、さらに遥か遠くからも納税されていたわけである。
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これがまた面白い。「山水図」、つまりは風景を描いた絵である。麻布に墨で描いた風景で、人物の姿も見ることができる。これ、奈良時代の風景画ですよ。西洋絵画では風景画の誕生は 16世紀かと言われていることを思うと、この絵の古さはすごすぎる。素朴で単純とはいえ、その価値は測り知れない。食い入るように実物を眺め入ってしまった。
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これは、「刺繍飾りの靴」。相当手の込んだ花鳥文様が施されている。繊細な作りであるこのようなものは、中国あたりの墳墓から断片が発掘されるようなことはあるかもしれないが、原型をきれいに留めて大切に保管されている例が、世界にほかにあるのだろうか。
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これは「三本組の小刀」。紙や布を切ったり木簡を削ったりする実用的な文房具で、なななんと、聖武天皇の愛用品であったらしい!! ほらほら、こういうものがあるから正倉院展は困るのだ。だって、これを見ながら立ち眩みがしてしまうではないか!!
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これは「厄除けの糸巻」。端午の節句の際に、病を避けるまじないとして腕に五色の糸を巻き付ける風習が中国から伝わっていたといい、これはその糸を巻き付ける木製の軸である。やはり宮中の行事には、ただ糸を巻き付ける棒ではダメで、このように手が込んだ美しい細工が必要だったのだろう。
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そして正倉院には、様々な糸というか紐が伝わっている。これは、「暈繝 (うんげん) 柄のひも」。用途は明らかではないらしいが、何かの儀式に用いたものであろうか。正倉院業物には、煌びやかな完成品だけではなく、部品や予備の品のようなものも多く、この点にこそ、まさにタイムカプセルとしての意味がある。人間の佇まいが感じられるのである。
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これもすごい。「櫃覆いの押さえ布」。その名の通り、櫃の覆いを押さえるために用いられた帯であるが、756年 5月 2日という日付入りとのこと。この日は実は聖武天皇の命日。だからこれは、聖武天皇の葬儀に関連するものを収めた櫃の覆いを押さえたものなのである。使い終わったら廃棄ということにはならず、神聖なものとして保管されたということだろうか。それにしても、今から 1262年前の話である!! しかもこれは、大部な彫刻とか目を見張る工芸品ではなく、布である。そんなものまで完全な形で残っていることが奇跡でなくてなんであろうか。
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ではその、目を見張る工芸品をいくつか。これは展覧会のポスターにも使われている「献物箱」。仏前に供える献物を納めるための箱と見られている由。なんと美しい。ここに言葉は必要ないだろう。
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こちらも「献物箱」であるが、こちらは少し趣きが違っていて、直方体であり、私にはヨーロッパ風にすら見える。素材は柿の木で、紫檀、水晶、象牙、鹿の角などが使われており、細かい彩色があちこちに施されている。気の遠くなるような作業によって作られているわけである。
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これは一見唐三彩風であるが、実は日本で作られたもの。「二彩の鉢」である。磁器ではなく陶器であるらしいが、この緑の釉薬が垂れるさまは、わびさびの日本ならともかく、天平時代の日本でも尊重されたものであろうか。驚愕の美意識である。
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これは「楽舞用のかぶりもの」。この華やかな赤が 1200年の時を越えて残っているとは。しかも、下貼には胡人の肖像が描かれている。シルクロード!!
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続けて 2点、実際に着用されたかと私には見える衣類である。「絞り染めの上着」と「女性用の裳」。前者は襟の左側を内にして右側を外に合わせる形式でできており、高松塚古墳壁画などに見られるが、その後、唐の制度に倣って左右が逆になったという。なのでこれは非常に貴重な、古い時代の上着の実物。後者はいわばスカートで、これも高松塚古墳の壁画を思わせる衣装である。
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これは「三彩のつづみ」。やはり唐三彩を模して日本で作られた、鼓の形をした陶器である。華やかで素晴らしいが、これが墳墓の発掘品でなく、ずっと倉庫に保管されてきたということを信じることができるだろうか。
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これは「新羅琴」。全長 154cmの大きさである。823年に左大臣・藤原広嗣 (前の記事の「頭塔」についての箇所ご参照) が倉から琴を出し、その代わりに納められたものらしい。
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これも驚きの品で、「銅製の匙」。実際に飲食に使われたこともあったようだし、仏前供養の用途にも使われたようだ。いやー、スプーンですよ。しかも金属の。日本人が、朝廷で使われていたこのようなスプーンを再び目にするのは、明治の近代化時代ではないだろうか。
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これも大変面白くて、「経典の借用記録」。光明皇后発願の一切経写経のため、手本とする経典を借用した際の記録を貼り継いだものだという。書写・返却が終わったものは、経巻名を朱色で消している。経巻の写経という宗教行事の裏にあった、人間の行為の記録である。
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これは「未使用の巻物の軸」。つまり、巻物の軸として作成されたが、結局使われなかったもの。先端部分はガラスであったり白檀であったりするというから、当時としてはなんとも高級品である。使われなかったモノたちの、ただならぬ迫力。
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以下二点は僧侶の持物、いわゆる「如意」。材料は、上がサイの角で、下がべっ甲、つまりはウミガメの甲羅である。天平時代ですよ。信じられますか?!
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そして最後が、「仏像を描いた幡」。正倉院御物には仏教そのものの遺品はあまり多くないようだが、ここには仏の姿が描かれている。幡 (ばん) とは、寺院内部に吊るされる縦長の旗のようなもの。素朴さをたたえた仏たちの姿には、なんとも心打たれるものがある。
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今回の展示物の総数は 56点。それはそれは、なんとも貴重なものばかりである。実は正倉院の所蔵物は 9,000点と言われ、今回をもって 70回目となるこの正倉院展でも、これまでに展示されたものの合計はせいぜい、のべ 5,000点ほどであるようだ。ということは、まだまだこの正倉院というタイムカプセルには、未知の文物が眠っていることになる。ところで、正倉院御物はこの通り、信じられないような貴重なものばかりだが、国宝には指定されていない。それは、これらの品が明治以来御物、つまりは皇族の所有になっているからだ。宮内庁が管理している御物は、文化財を越えた存在なのだ。ただ、正倉院が世界遺産に指定されたときに、建物自体は国宝に指定されたらしい。誰もが知る校倉造りの、この建物である。
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さてここでひとつ素朴な疑問を呈したい。そもそもこの、夏は湿気が高く、冬は木材がよく燃え、地震や台風などの天災の多い国で、1200年もの間、これだけの数のこれだけの貴重な遺品が守られてきたことは、世界史上においても類がないのではないか。いかに東大寺といえども、1200年の間ずっと勢力を保ってきたわけではない。では、なぜ正倉院が盗難にも遭わずに今日に残ったか。その疑問に答えてくれる本がある。以前もこのブログでご紹介したことがあるが、竹村公太郎という人の書いた滅法面白い「日本史の謎は『地形』で解ける」のシリーズのひとつ、「環境・民族篇」がそれである。
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この本によると、奈良時代に 20~30万人を誇ったこの街は、都が平安京に移ってからは衰弱の一途を辿り、その 1/10 程度の人口に落ちてしまう。その状況は明治まで 1000年続き、その間に奈良には、今のならまちと呼ばれる地域で見ることができる通り、庶民の長屋が立ち並ぶこととなった。そこでの人間関係は濃密であり、とても盗賊が入れる地域ではなかったと竹村は言う。うーん、そうかもしれないが、大規模な窃盗団でなく、倉を破って少しだけお宝を盗もうという輩はいなかったのであろうか。ある意味で、この国の神秘性がそこにはあるような気もするのである。

このように、大変充実した 5時間の奈良滞在。降ったり晴れたりの不安定な天候ではあったが、やはり奈良に来ると生き返るような気がする。東京に帰る新幹線の車窓からは、このような虹が見えていた。古代人もこのような虹を見たのであろうかと思いながら、車内でしばしの眠りに落ちる私であった。
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by yokohama7474 | 2018-11-18 22:02 | 美術・旅行

前回の記事では、奈良の元興寺と興福寺を採り上げた。この記事では、その元興寺と興福寺の間に訪れた寺院を紹介する。前回書いた通り、この日の私の奈良滞在は、たったの 5時間。私の場合、奈良の古寺を周る際には、以前訪れた場所の再訪ということが多く、それゆえに、再訪そのものに意味がある。なので、古の情緒をゆっくり楽しみわけにはいかないことも多いのだが (笑)、それでもたまの奈良訪問は、私にとっては生きる活力の源のようなもの。今回も慌ただしい移動にもかかわらず、奈良の秋を満喫したという思いで満たされるのである。古い町屋がそこここに残る、ならまちの風景。
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さて、元興寺を辞した私は、その周辺、ならまち地域にある 2つのお寺に詣でようと思った。この 2つのお寺はいずれも地蔵菩薩を祀っている。お地蔵さんはまさに、鎌倉仏教以降に篤い信仰を集めた庶民の仏さまであるがゆえに、この対照的な 2体の地蔵に、人々が支えた文化遺産の尊さを実感する。最初に訪れたのは十輪院。ここの本堂は鎌倉時代の建築で、国宝である。
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ここにおわすのは、平安時代の作とされる重要文化財の石仏の地蔵菩薩。もともと一体の地蔵であったものが、左右に釈迦如来と弥勒菩薩、その外側に仁王、その他多くの仏や梵字が加えられた巨大な石の塊 (石龕と呼ぶ) となったもの。本堂は、その地蔵様を拝むために建てられたもので、住宅建築のように天井が低い。これは極めて珍しい遺構である。この地蔵の前には敷石があり、昔はそこに遺体を置いて死者を弔った由。庶民の篤い信仰に支えられてきた寺である。
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この十輪院は、このブログでは何度かその名に言及しているドイツの建築家、ブルーノ・タウト (1880 - 1938) が「忘れられた日本」という本で、「奈良に来たら、まず小規模ではあるが非常に古い簡素優美な十輪院を訪ねてその美を観照し、また近傍の素朴な街路などを心ゆくまで味わうがよい」と書いているという。なるほど、いかにもタウト好みの簡素な造りである。

その次に訪れたのは福智院。
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この裳階 (もこし) つきのユニークな本堂は近代の作かと思いきや、鎌倉時代、1254年建立の重要文化財である。そしてこの中におわします丈六 (立てば一丈六尺 (4.8m) という意味で、坐像では 2.7m) の堂々たる地蔵様。私はこの仏像が大好きで、時々この寺を訪れては、そのお姿を見上げ、日常の雑事を忘れている。光背の化仏も多くはオリジナルであろうし、右足の先端を少し上げているのは、すぐにでも衆生の救済に立ち上がろうという意思表示だろう。うーん、堂々たる素晴らしい仏像である。鑑賞していると、紙コップに入ったウーロン茶と飴をお寺の方が持ってきて下さった。その気遣いも嬉しいではないか。
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そうして、いわゆる高畑 (たかばたけ) と呼ばれる地域に向かって足早に歩く。するとこの場所の前を通る。
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頭塔と書いて「ずとう」と読む。国の史跡であるが、ちょっとほかに類例のない遺構である。というのも、これはいわゆる仏塔なのだが、7層のピラミッド状になっていて、その中に石仏が嵌め込まれているのだ。通常は横にあるホテルの受付に申し出てわざわざ開けてもらう必要あるようだが、この特別公開中は、現地に行けば中に入れるのである。通りかかった以上、ここも再訪しないといけない。私はこの不思議な遺構のことを小学生の頃から知っていて、それは梅原猛が著した「塔」という本による。
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購入後 40年以上を経て、今でもすぐ書棚から手元に出て来るこの本において書かれている話は、奈良時代の名僧、玄昉 (げんぼう) が藤原広嗣の祟りによって殺され、奈良の様々な場所に体の部位が落ちてきたのだが、そのうち頭が落ちた場所が、この頭塔であるというもの。なんともおどろおどろしい話であるが、私が子供の頃にはこの場所は、そのイメージの通り、鬱蒼として閉ざされた場所であった。その後この場所は整備・復元されて現状に至っている。ちょっとジャワ島のボロブドゥール遺跡 (残念ながら未だ訪れたことはない) の小型版のような、本当に特殊な遺構である。
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現地には以前の様子も写真で掲示されている。そうそう、私が初めて知ったときの頭塔は、こんな感じであった。
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さてそこからほど近い新薬師寺に向かおうとしたのだが、途中でその存在をふと思い出し、若干躊躇したがやはり行こうと決意したのは、この場所である。
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あの文豪、志賀直哉 (1883 - 1971) の有名な旧居である。今どきの若者は「暗夜行路」や「城の崎にて」や「小僧の神様」、「清兵衛と瓢箪」などを読むのだろうか。かく言う私も、随分とこの作家の規律ある文体に触れていない。普段のんべんだらりとしている自分への戒めとして、近々再読してみようかと思う。ともあれ、志賀が 1929年から 9年間暮らしたこの家は、素晴らしく復元されて、奈良における大変素晴らしい見どころのひとつとなっている。
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2階に上ると、和室の書斎があり、また客間もある。その客間には、谷崎潤一郎から贈られたという平安時代の観音像が置かれていたという。
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その観音像は長らく行方不明であったが、2012年に、早稲田大学内の会津八一記念博物館が所蔵していることが判明。一度見てみたい。
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それにしても、この季節、2階からの眺めは最高だ。色づき始めた木々を揺らして通り過ぎる風は爽やかで、決して天候のよい日ではなかったにもかかわらず、何か本当に、気持ちが洗われるような気がしたものだ。
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そして 1階には、洋室の書斎があったり、なんとシャワー付の浴室があったりと、この作家のモダンな一面を垣間見ることができる。
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それから、食堂やサロンが興味深い。地名を取って「高畑サロン」と呼ばれ、多くの文人たちが集まった有名な場所である。後年、このサロンの外でくつろぐ志賀の写真も残されている。
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それから面白いのはこれだ。自身の居間と子供たちの遊び部屋との間、床にこのような空間が設けられている。姿は見えなくとも、この窓を通じて子供たちの気配を感じることができるようにという、志賀の配慮であるらしい。この作家らしく、細部までこだわった家の設計であったことがよく分かる。
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この家を出るとすぐに、このような気持ちよい原生林がある。春日大社の神域も近いこのあたり、作家に霊感を与えたことは間違いないだろう。
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さてそこから、本来向かおうとしていた新薬師寺へ。いやいや、実際にはもう 1軒、寄りたい寺院があった。それは不空院というところで、普段は秘仏で拝観できない鎌倉時代作の重要文化財、不空羂索観音坐像を公開していたからである。ここは私も初めてであったので、どこにあるのかと思ったら、何のことはない、新薬師寺に向かう途中に必ず通る場所にある。つまり、過去 40年以上素通りして来たわけである (笑)。
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少し距離があって見えにくかったが、これが不空羂索観音。小ぶりだが、美しい仏像であることは間違いない。
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そうしてようやく新薬師寺へ。ここの本堂は天平時代の建造で、国宝。但し、最近の発掘で明らかになってきた通り、もともとは巨大伽藍を誇ったこの寺においては、ごく小さなお堂であったことだろう。
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実は、今年の 6月28日の記事で、「香薬師像の右手」という滅法面白い本を採り上げた。それは、1943年に盗難に遭って以来行方の分からない、白鳳時代の名品である薬師如来立像に関するもの。香薬師というなんとも優雅な名前で呼ばれたこの仏さまの数奇な運命には深く心を打たれるものがあるが、今回この寺に到着して発見したポスターがこれである。
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おぉ、なんと。上記の本でその発見過程が息詰まるテンポで記されていた、香薬師の右手が、この寺に里帰りしているという。確かに本堂内にしつらえられたガラスケースの中には、気の利いた照明のもと、この美しい右手が展示されており、食い入るように見てしまったのである。これは本当にラッキーなことであった。
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堂内にはほかにも、正面向かって右側にこの香薬師の複製も展示されていたが、これも以前はなかったものである。叶うことなら、この仏さまの完全な姿での帰還を望みたいものである。そうして、新薬師寺と言えばこのような光景だ。
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平安時代初期を代表する仏像である薬師如来坐像と、天平時代に作られたその眷属の十二神将。後補の一体を除くすべてが国宝だ。私としては、少年の頃以来もう何度となく訪れてきた場所だが (そういえば、寺に宿泊したことも一度ある)、実は今回、新たな発見があった。上の写真でもよく見ると分かるのだが、薬師如来の左横 (正面から見ると向かって右側) に、小さな水牛 (?) の像がチョコンとうずくまっている。結構古そうにも見えるのだが、これは一体なんだろう。調べてみても答えは分からないのであるが、この本尊の異国的、あるいはアジア的な表情には、水牛はよく似合う。この像の画像を検索すると、古い写真には写っていないので、いつの頃かに発見でもされたのであろうか。以下の写真は最近のもので、しっかり水牛が写っている。
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さて、ここまで駆け足で回ってきた古寺の数々。本当はここから百毫寺に足を延ばそうかと思ったのだが、先に採り上げた興福寺中金堂にも行く必要があったし、それから私の頭の中にはもうひとつアイデアが浮かんできたために、それは断念した。さてそのアイデアはどうなったのか、次回の記事で記したいと思う。

by yokohama7474 | 2018-11-18 10:28 | 音楽 (Live)

春と並んでこの季節は、京都でも奈良でも、様々な社寺で、通常公開されていない仏像や建物や庭園が特別公開される。私のような寺好き人間にとっては、やはりいろいろ調整をした上で、古都に足を運びたい季節なのである。今回も、なんとか一日その機会を作り、早朝に東京を発って奈良を訪れ、夕刻のサントリーホールでのコンサートに間に合うように往復することができた。実は、東京で見た展覧会で未だ記事を書けていないものが多くあるのであるが、それらを差し置いて今日、11/17 (土) にこの記事をアップしようと思ったには理由がある。今月の日経新聞の「私の履歴書」は興福寺の貫主である多川俊映師が書いておられるが、今朝の記事を読むと、ちょうど今後、この件についての詳細な言及が始まろうとしているようであるからだ。
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これは近鉄奈良駅の柱に貼られたポスターである。今回の私の奈良行きの目的のひとつはこれ。だが、それにしも増して興味のある事柄もあったので、この記事ではその二か所をご紹介しよう。この二か所の間にも多くの寺を回り、加えて奈良国立博物館にも寄っている。それらの記事はまた追ってアップするとして、今回のわずか 5時間の奈良滞在における密度の濃い行動を、3回の記事に分けてご紹介したい。

さて、私が今回どうしても見たかったものは、これである。
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奈良の社寺の中でも、世界遺産の指定に含まれているものは非常に限られている。法隆寺は別枠であるが、奈良市内の社寺としては、東大寺、興福寺、春日大社、薬師寺、唐招提寺と並んで含まれているのが、元興寺 (がんごうじ)。もともとは日本初の本格寺院のひとつとして 6世紀末頃飛鳥の地に建立され、その後平城京に移ってきたという歴史を持つ。その移転は 718年。実に今からちょうど 1300年前なのである。それを記念して、国宝である禅室の屋根裏を公開するというこのイヴェント、春に続いて秋も行われていた。日本最古と言われる飛鳥時代の瓦が一部未だに使われていることで知られるこの建物の屋根裏公開は、平城京遷都 1300年であった 8年前にも行われたようだが、特別な機会でないと望みえない。今回を逃すともうなかなかチャンスがないと思われる、実に貴重な機会であったのだ。かつては巨大伽藍を誇ったこの元興寺、今ではほんのわずかな敷地しかなく、かつての威容を想像するのは難しい。しかも同じ名称の寺院が 2箇所あり、私が子供の頃には、今では「元興寺」と呼ばれている真言律宗の寺院は「元興寺極楽坊」であり、国宝薬師如来像を所蔵する華厳宗元興寺が「元興寺」と呼ばれていたと記憶する。今では、上記の通り宗派をつけてともに「元興寺」と呼ばれ、それ以外にも小塔院という寺も、もともとこの寺の一部であるようだ。歴史の荒波を越えて、21世紀の今日まで生き永らえている文化遺産に触れることは、非常に意味深いことである。東門が重要文化財、そしてそれを入ったところにある本堂 (極楽堂) と、その裏に続く禅室が国宝。
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すぐ上の写真にある長い堂がもともとの僧房、つまりは僧侶の住居の建物であるが、今は禅室と呼ばれている。もともと今の本堂とつながっていたものが、鎌倉時代の改築で分かれたようだ。写真でも分かる、向かって右側の古い瓦が、飛鳥時代のもののようである。今回はこの建物の屋根裏に入ることができるというもの。事前に日時指定で予約していたが、現地に行ってみると、予約で一杯で押すな押すなの大混雑・・・ということは全くなく、当日飛び込みでも大丈夫な程度の空き具合であった。屋根裏であるから、本来は人が立ち入ることが想定されていない場所。ヘルメットをかぶっての見学であるが、私などは腰をかがめながら何度も柱に頭をぶつけたので、これは必須であった。禅室内に入ると、見学時間前にはこのような模型の説明を受けられるし、一部部材の展示も見ることができる。
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このような子供でも分かる「屋根裏探検隊」の手書きレポートも貼ってあって、興味深い。
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さてこの禅室の屋根裏で何が分かるかというと、日本の木造建築がいかにして維持されてきたかという先人たちの知恵であろう。つまりここでは、外見を整えながらいかに瓦の重みを支えるかといった技術的な工夫に加え、遥か古代である白鳳時代の部材から、奈良、平安、鎌倉各時代の部材、加えて昭和の修理の際に組み込まれた補強材が見られるなど、廃材の有効活用の精神もよく分かるのである。屋根裏部屋には臨時の通路として板が渡され、照明が施されている。でも、写真撮影に夢中になってこの通路から落ちてしまう人もいるという注意を受けた。もちろん、天井があるので真っ逆さまに地上に落ちるわけではありませんが、ちょっと危険です (笑)。
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これは昭和 25年の修理時の棟上を記念する墨書。この近くには榊も木材に挟まれていて、寺院の建物を修理するのに神道式で祈願するという日本流の方法が面白い。
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様々な時代の様々な部材たち。
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何か所かに、「ここに注目!」という表示がある。例えばこれは、ほかの部材を組み合わせるためのほぞがあちこちに穿たれた木。明らかにほかの用途に使われていた材木を転用したものであろう。
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そしてこれは、明らかに風雨にさらされていた形式があり、その裏側にはそれはない。つまり、以前は建物外部に使われていた材木であることが明らかだ。
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また、近隣の寺社が廃絶するなどの事情によるものらしく、このような祠が屋根裏に置かれている。元興寺の境内にも置く場所がないのでやむないということだろうか。
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そして、これは何であろうか。
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これは、職人さんが手すさびで壁に描いたと思われる舞鶴。昭和の修理の際のものと思われる。なかなか巧みであるが、さて、修理完了後 70年近く経ってインターネットで世界に見られることになろうとは、描いた職人さんは想像もしなかったであろう (笑)。
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さらに面白いのはこれだ。梁の裏側にあってうまく撮影できなかったが、飛行機の落書き。富士山をバックに飛ぶ零式水上艇と見られるらしく、もちろん鎌倉時代のものではなく (笑)、昭和のもの。修理自体は戦時中にも行われていたらしく、職人さんたちも戦意が高揚していたのであろうか。
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このように興味尽きない屋根裏見学を終え、宝物館で国宝の五重小塔などを見る。「大元興寺展」という企画が行われていて、私が訪れるしばらく前までは、上述の、現在は華厳宗元興寺所有の国宝薬師如来立像も「里帰り」していたようだ。ご参考まで、その五重小塔と薬師如来の写真を掲載しておこう。
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この元興寺のあるあたりは、ならまちと呼ばれていて、庶民的な雰囲気であり、古い町屋もそこここに残っている。かつて官立の大寺であった元興寺が、ごく小規模とはいえこのような形で今日までその存在を保ってきたのは、その庶民の信仰があったからにほかならず、それも奈良という古都の持ち味であるが、これ以上は次回の記事に任せ、私がこのあと何か所かを忙しく回ったあとに訪れた場所をご紹介したい。
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藤原氏の氏寺として栄光の歴史を持つ興福寺は、元興寺に比べれば、伝えてきた貴重な文化財の数や、再建されて現存する堂塔の規模から言えば、元興寺とは比べ物にならないほど大きい。だがそれでも、この寺が体験してきた栄枯盛衰に思いを馳せると、万感の思いを抱くことになる。このブログでも過去にこの寺を採り上げたことがあり、その時も書いたと記憶するが、近鉄奈良駅から最も近い大規模寺院として、多くの鹿たちがたむろするこの場所には、寺院の領域を示す塀がないので、開放的ではあるが、奈良公園の一部のような雰囲気である。寺としてはここに昔日の威容を少しでも取り戻したいと思っているようで、まずはそのプロジェクトの大きな第一歩が、中金堂の再建であった。阿修羅像その他寺宝の東京での展観や善男善女による寄進など、様々な資金集めの努力がなされ、今般めでたく完成。10月17日の落慶法要を経て、10月20日から一般公開が始まったばかりである。興福寺ほどの大寺院になると、金堂にもいくつかあり、現存する古い建物としては、鎌倉時代の国宝である東金堂があるし、往時は西金堂も存在した。だがなんといってもその名の通り、中金堂こそが中心になるべきだろう。この寺には私が子供の頃から、仮金堂と称する控えめな建物があり、国宝館や五重塔や東金堂や、あるいは南円堂といった多くの人々が集う建物とは対照的に、ちょっと淋しい感じがしたものだ。今回、新たな中金堂の再建によって、その仮金堂は、仮講堂と名を変え、今後も活用されて行くようだ。私はどうも、日の当たるメジャーな存在よりも、ちょっと目立たない存在の方が気になる性向であるようで、現在は入場が叶わない仮講堂が、近い将来観光客に開放される場所になって欲しいと思うのである。この写真で、堂々たる中金堂の後ろに佇むのが、仮講堂である。
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そして中金堂の正面に回ってみる。興福寺中金堂は、もともと平城京遷都の年である 710年に完成したが、その後平安時代以降、実に 7度の火災に遭っている。今回再建された建物は、まさに天平の栄華を思わせるもの。ご本尊の釈迦如来は江戸時代、1811年の作。もともと仮金堂におられた像であろう。今回の中金堂再建に合わせ、修理されたという。
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内部は撮影禁止なので、ほかから拝借してきた写真で、ご本尊の今の様子と、修理前のお姿をご覧頂きたい。尚、手前左の柱は、法相宗の祖師たち 14人を描いているが、作者は日本画家の畠中光享。堂内の柱は確か 6本かと思ったが、装飾があるのはこの 1本。これからまだ、ほかの柱にも装飾がなされるのだろうか。
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日本人の美意識には、古いものは古いまま愛でるというものがあって、それは確かに美的な感覚なのであるが、その一方で、昔日の栄誉を再現する試みにも、意味はあると思う。私はこの中金堂の再現を素晴らしいと思ったし、こうしてご本尊の新旧の写真を比べると、今回の場合にはこのような修理にも意味はあるだろうと思う。尚、中金堂内にはこのほかにも、釈迦如来の脇侍である薬王・薬上菩薩 (鎌倉時代・重文) と、四天王 (鎌倉時代・国宝) が配置されている。そして堂の外に出てみると、このように整備された地面に石が並んでいる。一見して明らかなことに、これは中金堂から左右に伸びて一角を囲む回廊の礎石になる箇所であろう。その先には中門、外側には南大門という配置が古代寺院では一般的。興福寺の伽藍復興は、そこまで達成されるのだろうか。
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将来中門ができるであろう場所、つまり正面から新しい中金堂をもう一度眺めて、この寺が刻んできた長い歴史に思いを馳せる。お、よく見ると、向かって左の鳶尾の上に何かいるようだ。
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これは鴉だろうか。古代を再現した真新しい巨大建築の上に佇むとは、なんと優雅なことよ。
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そろそろ新幹線に乗るために京都に移動する時刻が迫っている。だが、やはりこの時期はこのお堂を見ないわけにはいかない。北円堂である。
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建物も国宝なら、運慶の手になる弥勒如来、無著・世親菩薩、そして四天王と、居並ぶ仏像のほとんどが国宝という、素晴らしい空間。私がこの堂内に入るのは、さてどうだろう、生涯で 10回目くらいであろうか。だが、ここは何度来ても素晴らしい。これは拝借してきた内部の写真。
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この北円堂の外の地面も、このように整備されているのに気がついた。ここにもやはり回廊が再建されるのであろうか。
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今回は時間の関係で見ることはできなかったが、興福寺ではこのほかにも、国宝館において特別展示がなされていたようだ。それは、もともと東金堂にあった梵天立像と帝釈天立像のうちの後者が、現在では東京の根津美術館所蔵になっているところ、この興福寺に里帰りしているというもの。それについてはこのブログでも以前、根津美術館で開かれた二体の「再会」を採り上げたことがある。数奇な運命を越えての再会は感動的である。
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ここで採り上げた二例はある意味で対照的で、ともに平城京の大寺院であったものが、庶民の信仰に支えられて、小規模ながら現在に古の建築を伝える元興寺と、度重なる災害を乗り越えて多くの文化財を今日に伝え、そして古の威容を取り戻しつつある興福寺。いずれも奈良という街の今を考えさせてくれる場所なのである。

by yokohama7474 | 2018-11-17 21:27 | 美術・旅行

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ほぼ毎年、この時期に日本を訪れる世界の名門オーケストラ、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が、今年もやって来た。今回の指揮者は、オーストリアの名指揮者フランツ・ウェルザー=メスト、58歳。今年 6月には、長年に亘る手兵クリーヴランド管弦楽団を率いて、「プロメテウス・プロジェクト」と銘打ったベートーヴェン・ツィクルスを東京で行った。彼はこのウィーン・フィルとの関係も深く、このオケの母体となっているウィーン国立歌劇場の音楽監督も歴任しているし、ニューイヤーコンサートも指揮しており、また過去にこのコンビで来日公演も行っている。実は今回の川崎での演奏会は、来週東京のサントリーホールで行われる 3回の演奏会のうちのひとつと同じプログラムであるが、これが今回の日本ツアーの最初の演奏会なのである。従ってここでのレポートが、日本でもかなり早い部類に入るウィーン・フィルの今回の来日公演の記事になると思う。今回のツアーでの演奏会は 6回。この川崎のあと、大阪、長野を回ってから東京で 3回という予定になっている。興味深いのは、今回の W=メスト / ウィーン・フィルの公演曲目は、ほとんどすべてがドイツ・オーストリア音楽であることだ。例えば今回はこんな具合。
 ドヴォルザーク : 序曲「謝肉祭」作品92
 ブラームス : ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 (ヴァイオリン : フォルクハルト・シュトイデ、チェロ : ペーテル・ソモダリ)
 ワーグナー (W=メスト編) : 楽劇「神々の黄昏」抜粋

ここで 1曲だけドイツ人ではないドヴォルザークの作品が入っているが、この作曲家の生まれた現在のチェコは、当時ウィーンを首都とするハプスブルク帝国の一部であり、彼はまた、ブラームスに才能を見出された人。だからドイツ音楽に近い面もある。ともあれ今回のツアーの曲目は、中欧の音楽のみによって成っていると表現すれば正しいだろう。オーストリアのリンツの生まれである W=メストは、もちろん自身がこの地域の出身だから、ウィーンの音楽を聴かせようという気概に満ちていることだろう。実際のところこの指揮者のイメージは、端正で流麗なものであり、世紀末ウィーンの耽美的で退廃的で享楽的なイメージとは、ちょっと異なるような気もするが、久しぶりに聴くこのコンビの演奏、どう響くだろうか。
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今さらこんなことを書くのも恥ずかしいのだが、私は今回の演奏を聴いて、ウィーン・フィルは本当に唯一無二の存在であると、改めて思ったものだ。例えば冒頭の序曲「謝肉祭」では、もちろん、世界のどのオーケストラも元気よく弾くのであるが、このオケの音の組み合わさり方には、なんとも言えない間があって、どこかのパートが目立ちすぎることもないし、かと言って聴こえないということもない。絶妙のバランスで鳴っているのだが、でもそこにはオズオズとした慎重さはなく、極めて大胆に突き進んでいる。弦の音はとろけるようではあっても、各パートの分離は際立っている。木管は鋭すぎることは絶対にないが、鈍さからは程遠い。金管は、暴力性はないのに伸びはある。このように書いてはいるが、聴いているときにはこれらがすべて同時に耳に入ってくるわけで、しかもそこには明らかに「歌」がある。これを至福と言わずしてなんと言おうか。もちろん、このミューザ川崎シンフォニーホールの美しい響きもその美感に大いに貢献しているに違いなく、やはり、いいオケをいいホールで聴くことで、既に知識として知っているつもりのことでも、実体験として、皮膚で感じることができるのだと思う。

2曲目のブラームスの二重協奏曲でソロを弾いたのはもちろん、このオケのコンサートマスターとチェロの首席奏者である。この曲は本当にドイツ的な重厚さに満ちていて、本来華やかなヴァイオリンよりも、渋いチェロが主導するような趣きがあるのであるが、それゆえに、名技性の披露よりも、オケとともにソリストたちが歌うことに主眼があるタイプの曲である。その点において、オケの首席奏者たちがソロを取るケースも多く、今回はまさにそれであったわけである。そして予想通り、見事にオケの音と (中欧の音と!!) 一体化したソロであり、劇的な部分も申し分ない一方で、W=メストらしく決して重くなりすぎない、そんなブラームスであったと思う。これがシュトイデとソモダリ。
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この 2人は後半のワーグナーでは、全く何事もなかったかのように (笑) オケに入って演奏していたのも興味深い。さてここで演奏されたのは、ワーグナーの超大作「ニーベルングの指環」4部作の最後を飾る楽劇「神々の黄昏」の抜粋で、W=メスト自身の編曲とある。彼はウィーンで「指環」全曲も指揮しているので、そこでの成果を見せようということなのであろうが、さて一体どのような内容なのか。プログラム冊子に記載されている、ウィーン楽友協会資料室長のオットー・ビーバの解説には、4曲から成っていて、うち 2曲はもともと原作でも管弦楽。残る 2曲はオペラの音楽から言葉を除いている、とある。もちろん原作でも管弦楽曲なのは、「夜明けとジークフリートのラインへの旅」と「ジークフリートの葬送行進曲」であろう。それ以外となると、もちろん大詰めの「ブリュンヒルデの自己犠牲」から「終曲」となるだろう。だが、詳細はどうなのか。実際に聴いてみると、まずは ①「夜明けとジークフリートのラインへの旅」に始まり、そのまま ② プロローグ冒頭の神秘的な「世界への挨拶の動機」につながり、音楽が加速して ③ 「ブリュンヒルデの自己犠牲」の最初の部分に少し入ったあと、④ 「死の動機」を機に「ジークフリートの葬送行進曲」に移り、そして音楽が一旦静まってから ⑤ 終曲に突入、というものであったと記憶する (記憶だけで書いているので、間違っていたらすみません)。なんだ、4曲じゃなくて 5曲ではないか、と言うなかれ。③ と ⑤ は 1つの連続したシーン (間の部分は飛ばしていたが) であり、4曲と数えられる。全曲通して 35分くらいだったと思うが、このオペラには各幕の終結部以外には音楽が停まるところはないから、このようにつなげることで「おいしいところ取り」ができるというわけだろう。演奏はここでももちろん、上で書いたことがそのまま当てはまるものであり、ワーグナーならもっと暴力的に鳴らす手もあるかもしれないが、飽くまで優美さをどこかにたたえながら、壮大なドラマを描き出すという離れ技であった。技術的には小さな傷もあったが (木管の入りが若干ずれるとか、舞台裏のホルンが少しもつれるとか)、そんなものは一切気にならない。こんな音楽を鳴らすことができるのは、世界でもウィーン・フィルだけではないだろうか。そして、W=メストの個性との化学反応が、このような素晴らしい成果に結実したものと思うのである。

そしてアンコールが 2曲演奏されたが、いずれもヨハン・シュトラウスで、ワルツ「シトロンの花咲くところ」(会場の掲示では「シトロン」ではなく「レモン」とあったし、どうやらその訳が正しいようでもあるが、やはりシトロンという響きが私は好きだ) とポルカ「浮気心」。これらの選択もなかなかに凝ったものであり、決して秘曲ではないが、だが誰もが知る有名曲でもなかった点に、W=メストのこわだりが見えたように思う。過度に享楽的な音楽にはなっていなかったが、それが返って曲の持つ侮れない表現力を表していたと言えるだろう。素晴らしい演奏だった。

このように、ウィーン・フィルの今回の来日公演は、さすがのクオリティで始まったので、今後も期待できるだろう。最後に、このオケがいかに特別な存在かを示す写真 3点をお目にかける。今回のプログラム冊子には、ウィーン・フィルの本拠地であるウィーン楽友協会のアーカイブが所蔵する資料から、それぞれの作曲家ゆかりのものが掲載されているのである。まずこれはドヴォルザークの手紙で、自らのウィーン到着を、当時の宮廷楽長でありウィーン・フィルのコンサートマスターであったヨーゼフ・ヘルメスベルガーに知らせる内容 (1881年)。
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そしてこれは、ブラームスの二重協奏曲の自筆楽譜。ブラームス自身と、この曲の初演を弾いた彼の親友 (仲違いしたがこの曲で和解した)、ヴァイオリニストのヨーゼフ・ヨアヒムの手書きによる改訂が施されているという。なんと。
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それからこれは、1875年にワーグナーが楽友協会でのウィーン・フィルのコンサートに備えて、その練習を指揮したときのスケッチ (グスタフ・ガウルという画家による) だとか。その時の曲目には、「神々の黄昏」の抜粋が含まれていたという!! このスケッチは初めて見たが、もういかにもワーグナーその人ではないか。
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いやいや、改めてウィーン・フィル、恐るべしである。

by yokohama7474 | 2018-11-16 00:43 | 音楽 (Live)

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これは、光文社知恵の森文庫の中の一冊。どこで購入したのか、記憶は定かではないが、小難しくないアートの本を読もうと思って手に取ったら面白そうであったので、読んでみることにしたのである。単行本で出版されたのは 2003年、つまりは今を去ること 15年前であるから、最新の書物ではない。ゆえに中身も、特に映画監督北野武の活動においては、過去 15年という時間は決して短いものではなく、読んでいてその点が気にならないわけではない。だが、様々な意味で現代日本を代表するこの 2人がアートについて語っているわけなので、多くの箇所で示唆に富んだ発言に出会うことのできる、大変に刺激的な本である。
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まずひとつ注釈を付しておきたいのは、これはこの 2人の対談ではない。つまり、1人が何か発言すると、もう 1人がすぐにそれを受けて、「そうそう、〇〇なんですよね (笑)」といった反応を見せるということにはならない。とはいえ、1人の発言 (本では数ページに亘る) を受けてもう 1人が、そのことへの感想や、あるいはそこから連想されることを発言するという意味では、対談集に近い構成を取っているのである。ちょっと気になるのは、どちらかというと、たけしの発言を受けて村上がコメントを述べることが、その逆よりも格段に多いことだ。もちろん年齢はたけしが 15歳上。そのような気遣いが村上の側にあったのかもしれない。このブログでは過去に、北野武の映画も採り上げているし、ある意味で私の村上隆への先入観が解ける機会ともなった、六本木の森美術館で開催された「村上隆の五百羅漢図展」(あれからほぼ 3年が経つとは、時間の経過の速いこと!!) の記事も書いたことがある。文化関係無差別ごった煮ブログとしては、このような刺激的な組み合わせの書物をご紹介できることは、冥利に尽きるというものである。ところで私は上で、たけしのことを「北野武」という映画監督として言及したが、彼自身も絵画を描くアーティストである。彼の絵画作品は、子供の絵のようであるというか、昨今の言葉でいうところのアール・ブリュット、少し以前の言葉ではアウトサイダー・アートを連想させるようなものである。見ていて決して楽しいものではないし、技術が優れているわけでもない。でもなぜか気になる、たけしの絵画作品。ちょうど今、滋賀県守山市の佐川美術館で、彼の個展を開催中であるらしい。
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一方の村上の方は、日本のオタク文化をアートに活用した点がユニークであり、それゆえに、海外での知名度が非常に高い日本人アーティストである。上記の通り私はつい 3年前まで、キッチュな彼の作品や、「アートはビジネスだ」などと公言して憚らない言動に、全く共感できないでいた。だが、百聞は一見にしかず。実際に彼の作品群を目の当たりにして、なるほどこれは非凡なアーティストだわいと思った次第である。何事も先入観に囚われず、自由な発想で物事に接することがいかに大切かということだろう。これは村上が創り出したキャラクター、DOB 君。チェブラーシカではありません。
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この書物の中でのたけしの発言には、発想が自由すぎて、文化ブログではとても紹介できないような下品な内容も多々あるわけだが (笑)、でもそこにはある種のリアリティがある。私なりにそれを表現するとするなら、アート、または芸術という漢字を使ってもよいのだが、それが人間が生きる様相を如実に反映したものであるとするなら、そこには人間の下部構造も含まれるわけで、そのようなことを堂々と口にするたけしの腹の座り方には、大いに感服するのである。逆に言えば、よく言えば気遣い、悪く言えば忖度 (もっとも、忖度する人にとってその行為は決して「悪く」言われるべきものではないのだろうが) して日々を過ごすことが多い我々日本人にとって、スカっと下品なことを言うことで、いわば社会へのアンチテーゼとなりうる要素もあると思うのである。いやもちろん、セクハラ、パワハラが致命傷になりかねない昨今の日本 (だけではなく、世界中の状況なのかと思われる) において、ここでのたけしのような言説を普通の人が展開するわけにはいかない。それゆえにこそ、彼の持つ過激さに、世間は拍手喝采するのであろう。だって、コマネチ本人と、こんなことできませんよ、普通。
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そしてこの書物は、悪ふざけの様相を呈しながらも、ある意味での現代日本への警鐘ともいうべきシリアスな内容なのである。珠玉の言葉が散りばめられていると言ってもよい。その示唆に富む 2人の発言の数々に触れて行くときりがないが、いくつか引用してみたいと思う。

* たけしの発言
村上さんの作品を初めて見たとき、ここまでアートとして広げていいものか、とビックリしたね。アートはこういうもんだって、思い込んでいたわれわれの固定化したアタマを思いきりドツかれたというか。

* 村上の発言
僕はたけしさんのファンです。(中略) ヴェネツィア国際映画祭のグランプリを獲るという文化的国際的な快挙を成し遂げたすぐ後に、ブリーフ一丁でテレビに出演したり、カンヌ映画祭にコスプレして現れたり、「誤解されることを前提にやっている」としか思えない現代のリアルなトリックスターである点 (後略)。

* たけしの発言
あるものがアートになるかならないかの「境界線」っていうのは何だろう? 強引な理屈で言えば、アートって、いろんな雑学の勝負みたいなところがあるからさ。(中略) 灰皿持ってきて、「これがアートだ」っていう理屈も言えちゃうわけでしょ。作品はあくまで作品でしかないんだけど、最近のアートっていうのは、それに付随する包装紙みたいなものも意識させないといけないのかもしれないな。お歳暮でも、中身は同じなのに、イトーヨーカドーより三越の包装紙のほうがいいというのがあるじゃない。(中略) どんな包装紙で作品をラッピングするか。どんな理屈のついた包装紙で包めば、価値が出るか。そういうところはあるな。

* 村上の発言
「芸術」と「美術」の違い。かつては自分なりに規定していたはずなのに、すっかり忘れてしまった。(中略) 最近ずっと「芸術とは何だ」って真剣に考えているので、逆に、取りつく島がないというか。(中略) だってカテゴライズした瞬間、逃げ水のごとくなくなってしまう恋みたいな物を「芸術」って言うんだ、ということに気がついたんで。

* たけしの発言
南千住で酒飲んで電柱に向かって怒ってるオヤジって、アート・パフォーマンスみたいなもんだな。「何だ! その顔は!」とか、「何だ、この野郎!」とか「いいか覚えとけ」とか、電柱に向かって言っているわけだから。「いつまでもそんな状態でいられると思ってんのかオマエは!」とか、最高だよね。

* 村上の発言
どんな絵でもアートといえばアートになっちゃうんだよっていう、ある種、マジックを作ったっていう意味では、ピカソはデュシャンの便器と同じくらい効果があった。そういう意味では、超一流の価値があったんですよ。

このあたりでやめておくが、ふざけていながらも、それぞれに示唆に富んだ発言であり、傾聴に値するものと思うのである。

by yokohama7474 | 2018-11-14 23:55 | 書物

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この映画のポスターを見て、足が停まった。そして、劇場に置いてあったチラシを見て、さらに興奮した。そこに踊る文字は、「ラース・フォン・トリアーの遺伝子を受け継ぐ鬼才が放つ北欧ホラー、ついに日本上陸!」というもので、しかも、最後の「日本上陸!」は特大フォントである (笑)。そうなのか。この映画の監督、ヨアキム・トリアーは、あのラース・フォン・トリアーの甥っ子であるらしい。ラース・フォン・トリアーは、1984年のデビュー作「エレメント・オブ・クライム」に始まる一連の強い表現力の作品、とりわけカンヌのパルムドールを受賞した「ダンサー・イン・ザ・ダーク」で知られるデンマークの監督である。だが近年その名前は、そのカンヌ国際映画祭でのナチス擁護発言以降 (その発言を撤回したにせよ)、忌まわしいものになっているように思う。そんな中、この 1974年生まれのヨアキム・トリアーが活躍の場を広げ、2006年の長編デビュー後、今回が未だ 4作目であるにもかかわらず、既に各国での受賞歴もあり、注目されている由。
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この映画、どうやらそのヨアキム・トリアーが手掛ける最初のホラー映画らしい。何やら、少女の秘めたるパワーが覚醒する話であるようだ。そうすると、スティーヴン・キング原作でブライアン・デ・パルマが映画化し、さらにその後リメイクまでされた「キャリー」のような映画なのであろうか。実際、プログラムに掲載されている「『テルマ』に影響を与えた作品」という欄には、11本の映画と 2人の監督の名前が列挙されていて、その中には実際に「キャリー」もあれば「AKIRA」もあり、また「ローズマリーの赤ちゃん」「デッドゾーン」から、ヒッチコックの「鳥」、また監督としては、ダリオ・アルジェントとイングマール・ベルイマンが挙がっているという、かなりのごった煮である (笑)。だがここは先入観なく、この監督の映像美に向かい合ってみようではないか。

私の感想を正直に申し上げると、これは大変に凝った映画であることは間違いないものの、観客をグイグイと引っ張って行くものではなく、ひたすら感性に訴えようという作品であり、上記の映画のいずれとも異なるし、私見では、上記の映画群ほど面白くはない。要するに、観客をグイグイ引っ張るのではなく、ネタをズルズルと引っ張るタイプ。そしてクライマックスが驚天動地の凄まじいものになるかというと、そうでもない。少女の持つ神秘の力というイメージは、実際にはさほど強くないのである。116分の映画は、それこそベルイマンの「ファニーとアレクサンデル」(上映時間 311分) ほども長く感じると言えば、さすがに大袈裟だろうか。長く感じる理由のひとつは、役者たちの存在感が今ひとつということもあるだろう。そして、なかなか明かされない少女の秘密が、結局明かされるような明かされないような。「えっ、これで終わり???」という感想を持つ人がほとんどではないだろうか。そう、これって本当にホラーと呼べるのだろうかという疑問は、多くの人たちが抱くと思う。

主役のテルマを演じるのは、ノルウェイで子役時代から活躍していたという、1994年生まれのエイリ・ハーボー。
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さて、彼女の演技をどう評価しようか。繊細で複雑な役柄を、頑張って演じているとは言えると思う。だが、その熱演が映画をどこまで見ごたえのあるものにしているかというと、ちょっとクエスチョンマークなのである。私には、ここで語られている言語がノルウェイ語であるのかデンマーク語であるのかさっぱり分からないが、その言葉の馴染みのなさを割り引いても、超常現象を引き起こす少女の謎の力が、彼女の演技によってどこまで観客の心胆を寒からしめるかというと、ちょっと心許ない。特殊な能力ゆえにトラウマから抜け出ることができない彼女は、では一体、本当は何ができるのだろうか。何やら水に因縁があるようだが。
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ただ、印象に残ったシーンもいくつかある。画像は見当たらないが、冒頭と最後に出て来る、多くの人たちが行き交う大学のキャンパスのシーンである。かなり広範囲の映像において無秩序に人々が歩いて行く中、カメラはぐぅーっとズームして行く。そこには、どこの誰という特定がないにせよ、それぞれの人の人生が交錯している。そんな中、他人とは違う能力を持つ女性が歩いている。もしかすると私の隣にいて普通を装っているこの人は、実は宇宙人かもしれないし、吸血鬼かもしれないし、はたまたアンドロイドかもしれない。この奇妙に切実な感覚は、なかなかのものであった。我々は日常、街を歩いていてすれ違う他人について多くを感知することはない。もしかすると、先刻まで確かにここにいた人が、かき消すようにいなくなるかもしれない。この感覚にはちょっと怖いものがあった。だが、繰り返しだが、そのような恐怖の要素を、さらに強く、また効率的に観客に伝える術があったような気がしてならないのである。ラース・フォン・トリアーの遺伝子を受け継ぐこの監督には、ホラーよりも人間ドラマの方が合っているのだろうか。こんなシーンはホラーであれ人間ドラマであれ、いろいろな発展がありそうなものだが。
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ともあれ、この監督にはまた今後を期待するとしよう。そして我々は、この「テルマ」についてネット検索するとき、以下のような映画と混同してはならないのである (笑)。
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by yokohama7474 | 2018-11-13 23:17 | 映画

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前日に続くロシアの名門、サンクトペテルブルク・フィルの来日公演である。前回の文京シビックホールでの演奏会の記事で採り上げた通り、残念なことに、今回このオケを指揮することとなっていた音楽監督の巨匠ユーリ・テミルカーノフは直前になって来日中止が発表され、このオケの副芸術監督であるニコライ・アレクセーエフが急遽代役を務めることとなった。本当に直前の発表であったから、プログラム冊子は既にテミルカーノフ指揮という内容で印刷されているし、きっとチラシやポスターを刷り直す時間は、なかったのではないだろうか。アレクセーエフ指揮というチラシ・ポスター類を見掛けることはなかった。唯一の例外は、前回の記事の冒頭に掲げた、会場の文京シビックホールに貼ってあったポスターだが、はてこれは、一体何枚作られたものであったろうか (もしかして、会場用の 1枚???)。この日のコンサートの会場はサントリーホールであり、いつも入り口に向かって左側の電光パネルにその日の演奏会のポスターが貼られているのが、今回は指揮者変更のお知らせが貼られていたのみであった。なのでここでは、残念ながら来日中止となったテミルカーノフをあしらったチラシの写真を、記念として掲げておこう。今回指揮をしたのは、このアレクセーエフ 62歳。2000年からこのオケの指揮者を務めているというから、既に長い付き合いなのである。
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サントリーホールでの最初のコンサートの今回、曲目は以下の通り。
 シベリウス : ヴァイオリン協奏曲ニ短調作品47 (ヴァイオリン : 庄司紗矢香)
 ラフマニノフ : 交響曲第 2番ホ短調作品27

私はこのブログで過去に何度か、ちょっとユニークなレパートリーのコンチェルトを弾くヴァイオリニストに対して、「チャイコスフキーやシベリウスでない」曲を弾くこと自体を称賛の対象にして来たことがある。だが、誤解を避けるために書いておくと、私は何もこれらの協奏曲をけなすつもりはないし、それどころかこの 2曲は大好きである。ただ、聴き手としては、あまりにポピュラー過ぎて若干食傷気味のときがあるというだけで、曲はもちろん、その曲を演奏する奏者にケチをつけるつもりは全くない。このブログで何度もその演奏を称賛してきた庄司紗矢香であれば、この手慣れたコンチェルトを演奏して、その本来あるべき魅力を引き出してくれるだろう。
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彼女はテミルカーノフとは大変頻繁に共演していて、日本でも何度か顔合わせをしている以外に、私はロンドンでもプロコフィエフを聴いたことがあるし、また特筆すべきは、5年前のテミルカーノフ 75歳記念がサンクトペテルブルクで開催されたとき、なんとロシア系以外で唯一招待された演奏家は彼女だけであったらしい。今調べて分かったことには、その演奏会の指揮をマリス・ヤンソンスと分け合ったのが、今回来日したニコライ・アレクセーエフで、その時庄司も、アレクセーエフ指揮でチャイコフスキーのワルツ・スケルツォを演奏している。それから、今回の来日に合わせたものであろうか、同じテミルカーノフ / サンクトペテルブルク・フィルの伴奏で、このシベリウスと、組み合わせとしてはかなり珍しいベートーヴェンの協奏曲の録音が、最近発売されている。
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今回の庄司のシベリウス、いつもの通りの高い集中力と、疲れ知らずの強い表現力には感嘆したのであるが、一方で、今後彼女の芸術がさらに高いところに到達して行くのではないかと思わせるような、そんな凄みも感じることとなった。つまり、情熱に任せて弾き飛ばすことがなく、シベリウス若書きのこのロマン性溢れる協奏曲から、絞り出すような痛切な音楽を聴かせてくれたと思うのである。庄司は常々、この曲の歴史的名盤であるジネット・ヌヴー (1949年に 30歳の若さで航空事故で死去) の 1945年の録音を絶賛していて、レコード芸術誌の 10月号のインタビューでもそのことに触れている。私ももちろんその演奏の CD は持っているが、実は前日、SP からの復刻版という CD も改めて購入し、今回帰宅してから聴いてみた。すると、その情念の表出において今回の庄司の演奏と似ている部分もあるものの、時に聴かれる時代がかったテンポ設定においては、やはり今の時代にそのまま真似をする意味はないと思ったものである。そしてもちろん、庄司の演奏は、飽くまでも現代を生きる我々に訴えかける音楽なのだ。ここでヌヴーについて語ることは避けるが、芸術家たるもの、先人から学んで、それを自分で咀嚼して表現するものであろう。凡人には知り得ない一流の芸術家の感性は、いかに尊敬する先人であれ、その単なる模倣を賢明に回避するものだと思う。また今回のシベリウスではオケも非常にきめ細やかで、例えば第 1楽章のカデンツァ手前で低弦がしばらく唸る箇所には地味ながら彩りがあったし、第 2楽章の冒頭の木管楽器もニュアンス抜群だ。アレクセーエフの職人性も大変活きていたと思う。そして最近の庄司のアンコールと言えば、ありきたりのバッハやイザイではない、何かユニークなものが期待される。演奏され始めた何やらノスタルジックで素朴な、民謡のようなメロディに、オケの人たちもクスクス笑っている。あとで掲示を見てびっくり。これは「チェブラーシカ」の「誕生日の歌」という曲。チェブラーシカはロシアの有名な絵本で、アニメにもなっているらしい。YouTube ではこの「誕生日の歌」を、人形アニメ画像つきで見ることができる。こんな曲をアンコールに選ぶ庄司紗矢香は、やはり並のヴァイオリニストではない。
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後半のラフマニノフ 2番は、つい先日のアシュケナージ / アイスランド響とノット / 東響の連続鑑賞に続いてということになるが、今回はコントラバス 10本を並べての、ロシア風ド迫力演奏と言えばよいだろうか。このオケの持つ高い演奏能力が随所に聴きどころを作り出していたと思う。だが、ここで私が若干の保留をつけたいと思うのは、前日のチャイコフスキー 5番が、もともと作曲の時点で聴衆を飽きさせないためのあれこれの工夫に満ちていたのに比べると、この 60分になろうかという大作シンフォニーは、それほどには気の利いた出来になっていないということである。以前から何度か書いている通り、私はこの憂愁に満ちた交響曲が大好きで、その滔々と流れるメロディは、急に口ずさみたくなることもあるほどだ。だがその一方で、ここには作曲者のロマン性と情熱はふんだんに込められてはいても、そこに見られる感性は、実はかなり素朴なもの。演奏家の手練手管によって、聴かせどころが変わる要素があるように思う。以前同日に聴いた 2種の演奏の特色は記事に書いた通りだが、それらに比べるとこのアレクセーエフとサンクトペテルブルク・フィルの演奏は、粗野とは言わないまでも、若干ストレート過ぎて、聴いているうちにやや冗長さが感じられたようにも思う。もちろん、凡庸な演奏ではなく、全体としては楽しめたのだが、音楽とはなかなかに厄介なものである。そして今回のアンコールは、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」から「トレパーク」。これも私が大好きな曲で、低弦がノリノリで舞い上がって行くところや、タンバリンのリズム、大詰めでのトランペットの騒ぎなど、まさにチャイコフスキーのあれこれの工夫が聴衆を楽しませる。キレこそあまりないものの、実に楽しい演奏であった。

このコンビの演奏会、サントリーホールではもう 1回、11/13 (火) のプロコフィエフの「イワン雷帝」が残っている。未だに宣伝をよく見かけることから、もしかするとチケットの売れ行きがもうひとつなのかもしれない。だがかく言う私も、それを聴きに行くことはできないので、せめてコンサートの成功を祈るばかりである。

さて最後に、前回の記事に引き続いて、1958年、当時レニングラード・フィルという名称であったこのオケが初めて来日したときのプログラム冊子から、興味深い話題を紹介しよう。このときには 8種類の演目が組まれていて、ロシア音楽が中心ではあるのだが、驚くような意欲的な内容になっている。例えばチャイコフスキーの管弦楽曲でも、「フランチェスカ・ダ・リミニ」とか「ハムレット」とか、若干の変化球もあるし、モーツァルト 33番、39番、ブラームス 4番、「新世界」など、ロシア物以外もある。興味深いのは、ラフマニノフ 3番 (ザンデルリンク指揮) とか、プロコフィエフの「チェロ協奏曲」(これは現在「交響的協奏曲」と呼ばれるもの。作品献呈を受けたロストロポーヴィチの独奏、ザンデルリンクの指揮)、同じプロコフィエフの 7番 (アルヴィド・ヤンソンス指揮)、そしてショスタコーヴィチの 5番 (ガウク指揮) などが含まれる。現在の観点からすればそれほど意外な曲目でもないが、時代は 1958年である。ラフマニノフが没してから 15年後。プロコフィエフは没後わずか 5年で、このとき演奏された彼の作品 2曲はいずれも晩年の作だから、当時作曲後ほんの数年という「現代音楽」である。ショスタコーヴィチに至っては、当時未だ健在で、交響曲は 11番まで書いていたところ。そのように思うと、なんとも先鋭的な曲目だったわけである。因みにラフマニノフ 3番は、唯一名古屋でだけ演奏された。いやー、それを聴いた名古屋の人たち、どう思ったでしょうか (笑)。この時の来日公演は 4月21日から開始であったが、彼らが日本に着いたのは 4月12日。そのとき羽田で撮影された写真が早くもプログラム冊子に掲載されているので、お目にかけよう。ここで着物の女性から花束を受け取っているのが指揮者とソリストであろうから、赤い矢印で示しておいた。左から、アルヴィド・ヤンソンス、ザンデルリンク、ガウク、ロストロポーヴィチであろう。・・・と〆ようとしたのだが、以下のコメントにある通り、事はそう単純ではない。上で私は「〇〇であろうから△△であろう」と断定を避けたのだが、そのように書いたのはもちろん、ガウク (名前はよく知っているが顔は分からない) とザンデルリンク (もちろん顔はよく知っている、但し若い頃はほかの写真からの類推しかない) は、どうやら本人ではないかも、と思ったからだ。60年前の写真とはいえ、ネット社会では厳しい目のもとにさらされているわけですな (笑)。失礼致しました。
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冷戦時代に、ソ連としての誇りをかけた文化使節として来日した彼らは、時代は変われど、やはりロシア音楽の素晴らしさを世界に訴える役割を担っている。だが、私がいつも思うのは、そうであるからこそ、ロシア人によるモーツァルトやブラームスも、聴いてみたいのである。60年前の聴衆が、その意味ではちょっと羨ましい。

by yokohama7474 | 2018-11-13 01:34 | 音楽 (Live)

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この秋の来日オーケストラ・ラッシュも、これからが佳境である。ロシアからは同国を代表する名オーケストラ、サンクトペテルブルク・フィルが来日。1824年にベートーヴェンの荘厳ミサ曲の世界初演を行い、20世紀に入ってからは超絶的な巨匠、エフゲニ・ムラヴィンスキーが半世紀に亘って率いたこのオケは、今では過去 30年間、ひとりの優れた指揮者が音楽監督を務めている。この人である。
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このブログでは過去に何度も記事を採り上げた、ユーリ・テミルカーノフ。もうすぐ 80歳になるが、今年 2月には来日して、自らが名誉指揮者を務める読売日本交響楽団を指揮して元気なところを見せてくれた。ところが今回は、東京の最初の公演となるこの日のコンサートに先立つほんの 3日前、11/8 (木) の夜になって発表されたことには、体調不良で来日中止である。直前の発表ということは、きっと本人はギリギリまで来日を希望していたのだろうと推測するが、年齢的には無理は禁物。是非大事を取って、次の来日に備えてもらいたい。私は今、先に購入したこのテミルカーノフの自伝を読み進めていて、カフカス系 (カバルダ人) の彼の父親が、ナチス・ドイツに抵抗するパルチザンであり、1942年、仲間の裏切りによってナチに捉えられて処刑された (母親は奇跡的に生還) ことを知った。平和な時代に育った我々が想像もできない悲惨な少年時代から巨匠指揮者となったテミルカーノフの音楽には、彼の経験してきたことがすべて詰まっていると実感するのである。ともあれ、今回テミルカーノフの代役として来日したのは、このサンクトペテルブルク・フィルの副芸術監督である、ニコライ・アレクセーエフである。
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あちこち調べてみて判明したことには、彼は 1956年生まれなので、今年 62歳。私はこの指揮者に対する知識がないので事前に調べてみたところ、10年前に新日本フィルに客演してかなり好評を博した模様である。その経歴を見ると、1982年のカラヤン・コンクールで 1位を獲得しており、かつて大野和士もそのポストにあったザグレブ・フィルの首席指揮者や、エストニア国立交響楽団の首席指揮者も歴任している。このサンクトペテルブルク・フィルの指揮者としては、既に過去 18年間活動している。私は、今回のテミルカーノフのキャンセルに大変がっかりしてしまったのであるが、チケットの払い戻しはないという。ではここは気持ちを入れ替えて、未知のロシア人指揮者に期待をしようと思って出掛けたのである。曲目は以下の通り。
 ラフマニノフ : ピアノ協奏曲第 2番ハ短調作品 18 (ピアノ : ニコライ・ルガンスキー)
 チャイコフスキー : 交響曲第 5番ホ短調作品64

この堂々たるロシア・プログラムで、ラフマニノフの名曲を弾くルガンスキーは、過去何度か (テミルカーノフとの共演を含めて) このブログでも採り上げた、長身のロシアのピアニスト。
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ここで響いたラフマニノフは、なるほどこれは骨太な演奏で、感傷性を打ち出すよりはむしろ、強い音で前に進んで行くタイプのものだ。これぞルガンスキーである。だが不思議なことに、この強い音を聴いているうちに、何やら心が疼くのを感じる。私はそもそも、お国もの崇拝には常々懐疑的な人間であるのだが、このような演奏を聴いていると、やはり奏者の血の中に流れる何かが、音となって立ち昇っているのを感じざるを得ない。特に第 3楽章は、ある意味で暴力的なまでにピアノとオケが一体となってただならぬ盛り上がりに至ったのであるが、もしかすると、ラフマニノフ自身もこのような音を念頭に置いてこの曲を書いたのではないか、と思われるほどであった。巨躯に似合わぬ繊細な感性の持ち主であったラフマニノフは、ピアノを前にした時のみ、心からの叫び声を上げられたのであろう。そしてこの、本来は感傷性が際立つと思われる 2番のコンチェルトの終楽章からは、次に来る 3番のコンチェルトの予兆のようなものすら感じられるのである。圧倒的な表現力。そしてルガンスキーが弾いたアンコールは、チャイコフスキーの歌曲「6つの歌」作品 16の第 1曲、子守唄を、ラフマニノフがピアノに編曲したもの。強い音はそのままに、ここでは静かな抒情も感じさせるルガンスキーのピアノであった。

そうしてメインのチャイコフスキー 5番であるが、これまた大変充実感溢れる名演となった。この演奏会では、テミルカーノフがいつもするように、ヴァイオリンは左右対抗配置、そして指揮者のアレクセーエフは、コンチェルトではテミルカーノフのように指揮棒を持たない素手での指揮であったが、シンフォニーでは指揮棒を使用。その指揮ぶりは、決して音楽に耽溺するものではなく、ある種職人的にアンサンブルを整えるもの。だがそこはロシアの名門オケである。指揮者のシンプルな動きに対して、熱湯のような音を返してくる。テンポは中庸であり、纏綿と歌うこともあまりなく、一見淡々と進む音楽には、だが真実がこもっていて感動的だ。ここで私は、今度はお国ものがどうこうという感覚を忘れ、ともかく最初から最後まで飽きることなくこの名曲を楽しんだ。これだけのクオリティを聴かせてくれるということは、テミルカーノフの普段の薫陶もそこにはあるだろうが、アレクセーエフのプロフェッショナリズムと、プライドを賭けて演奏したオケの技量が充分に発揮されたということだろう。そして、終演後に何度かのカーテンコールを経て (最近では珍しい主催者からの花束贈呈も経て)、アレクセーエフが聴衆の方に顔を向けて、「やりますよ」という感じで眼鏡をかけて演奏したアンコールは、エルガーの「エニグマ変奏曲」の中の「ニムロッド」である。もちろんこれは、テミルカーノフがしばしばアンコールで採り上げる、実に情緒豊かで感動的な曲。ここでのアレクセーエフは、あたかもテミルカーノフが乗り移ったからのような素手での指揮ぶりであった。そして私は再びお国ものについて考えを巡らす。これは英国の曲であるが、ロシアの演奏家がこんなに素晴らしく演奏することにこそ、音楽の普遍性を感じたい。

さて、今回サンクトペテルブルク・フィルは、前日の豊田での演奏会を皮切りに、東京とその近郊に加え、大阪、佐賀、北九州で合計 9回の演奏会を開く。地方の方も、この素晴らしいオケを堪能するよい機会であると思う。さてここから先は、川沿いのラプソディ名物、脱線である (笑)。実はこのコンサートに出掛ける前、少し時間があったので、久しぶりに神保町の古書街をブラブラしてみた。「おぉっ、この店はまだ健在であったのか!!」と思われる古書店や中古レコード店でしばし至福の時を過ごしたのだが、その中で目に付いたのはこれである。
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これは何かというと、ちょうど今回聴くことになったサンクトペテルブルク・フィルの、初来日の際のプログラムなのである!! もちろん当時の名称はレニングラード・フィルであり、1958年 4月、つまりは今からちょうど 60年前のこと。一応歴史として知っているのは、この時は本当は常任指揮者であるムラヴィンスキー (当時 54歳) の来日が予定されていたが、キャンセルとなり、同行した指揮者は、アレクサンドル・ガウク、クルト・ザンデルリンク、そしてアルヴィド・ヤンソンス。ソリストは、当時 31歳のロストロポーヴィチであった。全部で 12公演あり、うち東京が 9公演 (日比谷公会堂 4回、新宿コマ劇場!! 5回)、それ以外には、八幡、福岡、名古屋を巡回した。今回のツアーよりもコンサートの回数は多いものの、巡回する地域にはかなり共通点があるのが面白い。この貴重なプログラム冊子、さぞかし高価であったかと思いきや、たったの 500円!! たまたまこのオケの来日公演の日に巡り合うとは、なんとも幸運であった。時代の雰囲気を感じて頂くため、何枚か写真をご披露しよう。オーケストラ紹介とレコードの宣伝 (指揮者はムラヴィンスキーとザンデルリンク)、そしてなぜか、一行が宿泊した新橋第一ホテルの宣伝 (笑)。
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60年の時を超えて日本でも活発に活動するこのオケに、最大限の敬意を表したいと思う。

by yokohama7474 | 2018-11-11 23:41 | 音楽 (Live)

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今月の NHK 交響楽団 (通称「N 響」) の定期演奏会は、3つのプログラムのうち 2つをイタリア人指揮者が、残る 1つを日本人指揮者が振る。日本人指揮者は広上淳一。そしてイタリア人指揮者とはこの人だ。
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音楽ファンには既におなじみであろう、1964年生まれの名指揮者、ジャナンドレア・ノセダである。彼は以前、東京交響楽団の指揮台に頻繁に登場し、マーラー 8番という大曲も指揮していたものだが、当時私は、彼の手腕に瞠目しながらも、この長い名前をなかなか覚えることができず、ふざけてダレナンジャ・ソレハなどと呼んでいたものである (笑)。あのゲルギエフが、自身音楽監督を務めるマリインスキー劇場で、イタリア物のレパートリーを劇場に定着させるべく呼び寄せたイタリア人指揮者であるが、それも既に 20年以上前のこと。その後彼は活躍の場を大きく広げて行っており、オペラの分野ではトリノ王立歌劇場 (来日公演も素晴らしかった!!) の音楽監督をかつて務めていたが、2021年のシーズンからはあの名門チューリヒ歌劇場の音楽監督に就任予定である。またオーケストラでは、かつての手兵 BBC フィルとの相性もよかったが、2017年 9月からは、ワシントン・ナショナル響の音楽監督でもある。また N 響とは 2005年の初顔合わせ以来、何度も共演している。そのソレハ、じゃなかった、ノゼダが今回採り上げたのは以下のような曲目。
 ラヴェル : ピアノ協奏曲ト長調 (ピアノ : アリス・紗良・オット)
 プロコフィエフ : バレエ音楽「ロメオとジュリエット」抜粋

ノセダのこれまでの活動から、やはりレパートリーとしては、フランス物、ロシア物、そしてイタリア物が中心というイメージがあるので、これは彼の実力をじっくり楽しむことのできる充実の内容であると言える。しかもラヴェルのコンチェルトを弾くのは、ドイツ人の父と日本人の母を持つアリス・紗良・オットである。今年 30歳になった。
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彼女のピアノは非常にスタイリッシュなのであるが、それと同時に真面目さも持っている。何を弾いても聴かせるが、洒脱でジャズのイディオムを使ったこのラヴェルのコンチェルトなどは、最適のレパートリーではないか。そして彼女のひとつのウリは、ステージに裸足で登場すること。今回もベージュの長いドレスから時折覗く足の先は、確かに裸足である。ヴァイオリニストでもパトリツィア・コパチンスカヤという女流奏者はやはり裸足で演奏するが、彼女のヴァイオリンは一種野性的なものであり、裸足のイメージには合うと思うのだが、このアリス・紗良・オットの場合は、そのしとやかな外見や真面目な音楽性とのギャップが面白いのである。そして今回のラヴェル、ある意味では事前の予想通りの演奏だったと言えようか、小股の切れ上がったスタイリッシュなまとめ方をしながらも、一音一音疎かにしない丁寧さも感じる演奏であった。ノセダの指揮もいつもながらキビキビしたもので、この曲の場合、そのようなテンポの負担は管楽器に行くのであるが、N 響は密度の高い音でついて行っていた。ごくごく些細な傷はないでもなかったが、曲全体を通して本当に都会的で洒脱なラヴェルであったので、充分楽しめるものであった。そして紗良・オットが弾いたアンコールは、同じフランス音楽ではあっても、ラヴェルやドビュッシーではなく、サティの「ジムノペディ」第 1番である。これも音楽にふさわしい透明感と孤独感を漂わせた、都会的でいて味わい深い演奏。そう、彼女の最新アルバム「ナイトフォール」にも収録されているナンバーだ。
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後半の曲目は、プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」からの抜粋である。この曲は全曲の演奏に 2時間半を要するが、随所にプロコフィエフの天才が感じられる素晴らしい曲である。作曲者自身が 3つの演奏会用組曲を編んでいるが、それらが演奏されることは少なく、指揮者の好みで抜粋版を作って演奏されることが多い。だが面白いのは、抜粋版に欠かせない「モンタギュー家とキャピュレット家」とか、ある場合にはラストに置かれる迫力満点の「タイボルトの死」などは、実は全曲にはそのようなタイトルはないし、曲自体も原曲そのままではない。その意味では、やはりプロコフィエフが、バレエ上演ではなくオーケストラコンサートのレパートリーとして編曲したことが、今日でもこの曲が頻繁に聴かれる理由のひとつであると思われるのだ。今回の演奏では 14曲が選ばれ、45分程度の演奏時間であった。ノセダは、サンクト・ペテルブルクのマリインスキー劇場での経歴において、ロシア物のバレエを手掛けたことがあるのか否か分からないが、やはりバレエ公演の多いあの名門劇場でのキャリアは、このようなコンサートにも活きてくるのではないだろうか。余談ながら私も、マリインスキー劇場を訪れた際に見たのは、この「ロメオとジュリエット」(指揮者は知らない人であったが) だった。そして今回のノセダの演奏、さすが彼らしく、思い切りのよいオケのリードを基本として、細部のニュアンスまで描き出した素晴らしい演奏であったと思う。最初が例の「モンタギュー家とキャピュレット家」であったが、その絶叫的に鳴り響く不協和音が、両家の間の不和と、これから起こる悲劇を象徴しているように思われ、まさに聴衆の心を一気に掴んでしまった。この曲は、もったいぶったところは全くなく、ストレートに場面場面の特徴を描き出す必要があると思うのだが、その点ノセダの指揮は、いつもの通り切れ味抜群で、劇場的なセンスも感じさせるような素晴らしいものであった。そして「タイボルトの死」が熱狂的に大きく盛り上がった (打楽器がドン、ドン、ドンと繰り返すあたりのクライマックスには、ノセダの指揮棒が空間を切り刻み、まさに手に汗握るものがあった) あとに、長いコーダのように「ジュリエットの墓の前のロメオ」と「ジュリエットの死」が続き、深い情緒に満たされてコンサートは終了した。ノセダ、やはり素晴らしい指揮者である。もう、ダレナンジャとは言わせない (いえいえ、もともと私以外、誰もそんなこと言っていません。笑)。ますますの世界的活躍は間違いないが、日本でもこれからはドイツ物も是非披露して欲しいものだ。
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今シーズンの残りの N 響の曲目を眺めていると、招聘する指揮者の得意とするレパートリーにも関係しているのだろうが、ロシア音楽とフランス音楽がかなりの比重を占めている。かなり以前はどうしてもドイツ物偏重というきらいのあった N 響は、今や本当に多彩なプログラムを組んで、聴き手を飽きさせない活動を展開していると、改めて思うのである。

by yokohama7474 | 2018-11-10 22:59 | 音楽 (Live)