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しばらく前の、秋山和慶指揮東京交響楽団による「第九と四季」の記事の最後で、今から 200年前の 1818年 (ベートーヴェンが交響曲に声楽を取り入れるアイデアを得た年) に発表された小説があると書いた。実は、それはこの小説である。フランケンシュタイン。世界中で知らぬものとていない、有名なモンスターのひとつ。だがまず質問しよう。ボリス・カーロフ演じるこの怪物は、なんという名前だろうか。
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墓場から掘り出された死体をつなぎ合わせ、電気ショックによって生命を与えられたこの怪物、実は名前がないのである。では、フランケンシュタインとは? それは、このモンスターを作り出した科学者の名前。これは実は一般にはあまり知られていないことかもしれないが、モンスター好きなら是非認識しておきたい事柄である。そしてもうひとつ、一般にはあまり知られていないかもしれない事実を挙げると、このホラー小説の作者は女性、しかも執筆時は 18 - 19歳。出版されたときでもわずか 20歳。その名をメアリー・シェリー (1797 - 1851) と言い、生前の肖像画がロンドンのナショナル・ポートレート・ギャラリーに残っている。1840年に描かれたというから、当時既に 43歳。だがその凛とした雰囲気は大変印象に残るものである。
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さて私はこの小説に以前から興味があって、読みたい読みたいと思っていたのだが、この度ようやくその機会を得ることができた。実はこの作品が、本当の作者名を隠して匿名で出版されたのは、1818年 1月 1日。実は、今から 200年前というより、もうほとんど 201年前のことである。前述の通り、1818年とは、ベートーヴェンが交響曲に声楽を導入することを着想した年。時代はロマン主義に移ろうという頃で、ヨーロッパの国々は、フランス革命への反動に躍起となっていた頃。その後数十年のスパンで見れば、ヨーロッパ中が戦争に巻き込まれて行く過程が明確であるが、この頃はその前夜で、人々の間には不安が渦巻いていたのではないだろうか。ロマン主義の台頭と軌を一にして、いわゆるゴシック小説が流行する。その嚆矢はかなり早い時期に書かれたホレス・ウォルポールの「オトランド城奇譚」(1764年) で、私の手元にはその小説が、読まれる日を待って待機しているのだが (笑)、ともあれ、ゴシックホラーの代表作とみなされるこの「フランケンシュタイン」には、そのような時代の流れが明確に刻印されている。そして今や伝説的になっている 1816年のいわゆる「ディオダディ荘の怪奇談義」という出来事が、この作品の霊感のもとであり、そこにはあの放蕩貴族詩人のバイロンや、メアリーのー夫パーシー・シェリー、そしてバイロンの主治医であるポリドーリがそこにいた。このポリドーリは「吸血鬼」という作品を書き、それがブラム・ストーカーの「吸血鬼ドラキュラ」(1897年) に影響を与えたという。そのあたりの事情を描いた映画に、ケン・ラッセルの「ゴシック」があるが、そこでバイロンを演じたアイルランド人俳優ガブリエル・バーンは、前々項でご紹介したホラー映画「ヘレディタリー / 継承」で、主人公一家の父親を演じていた。
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このように記事から記事に自由に想像力を羽ばたかせるのはなんとも楽しいことだが、ともあれ、「フランケンシュタイン」に戻ろう。この作品は、そのモンスターの人気によって、200年後の今日もよく知られているが、原作を読んだことのある人は、どのくらいいるものだろうか。ここには、いわゆるモンスター映画で我々が持ってしまっているイメージとは異なる内容が満載だ。例えば以下のような具合。
・フランケンシュタイン博士は、頭のおかしいマッド・サイエンティストではなく、愛情に満ちた家庭に育った、大変に思慮深い人物である。
・博士がモンスターを作り出す部分の描写には、それほどおどろおどろしいものはなく、死体をつなぎ合わせたとか、電気ショックで生命が発生したという、映画ではかなりキモになるシーンも、ほとんど描かれていない。
・何より、ここでのモンスターは、自ら言葉 (フランス語なまりの英語) を喋り、また、自らの醜さによって人間たちを驚かせないよう、細心の注意を配る、思いやりのある性格である。
・のみならず、実はモンスターは読書家でもあり、ミルトンの「失楽園」、プルタークの「英雄伝」に加え、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」も読んでいるのだ!! なんという知性であろう。
・小説の構成自体は、まず北極圏を目指す船乗りの手紙に始まる (ケネス・ブラナー監督の「フランケンシュタイン」は原作に忠実)。そこで船乗りはモンスターを目撃し、それを追っていたフランケンシュタイン博士を救助する。その後はフランケンシュタイン博士の長い長い独白によって、彼の辿った数奇な運命が語られる。その際、さらにモンスター自身による独白も入る。つまり小説は三重の入り子構造になっている。
・禍々しいシーンの描写は少なく、ドイツやスイスの街、あるいはアルプスの風景などが、克明にまた美しく描写されている。これはロマン主義美学で言うところの「崇高 (Sublime)」のイメージそのもの。そう言えば私が敬愛する画家、カスパー・ダーヴィト・フリードリヒによるこの「雲海の上の旅人」も、ちょうど「フランケンシュタイン」発表の年と同じ 1818年の作。これぞまさに時代の空気であろう。
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このように「フランケンシュタイン」には、改めて学ぶべき数々の価値があるのである。正直なところ、その設定には破天荒な箇所が幾つもあり、ストーリー展開には大いに無理があるものの、ある意味での様式美だと捉えれば、それほど目くじら立てることもないかもしれない。これは 1831年改訂版 (そのときには作者メアリー・シェリーの名で出版された) の内表紙。この才能溢れる女性の想像力は、この頃から世の中を震撼せしめたのだろう。
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実は、ボリス・カーロフ主演、ジェームズ・ホエール監督のユニヴァーサル映画「フランケンシュタイン」は、1931年の作。つまり、上記の改訂版出版からちょうど 100年後であったわけである。世の中にはこのような巡り合わせがあれこれあるものだ。

なお、この作品の副題は「現代のプロメテウス」であるが、それは、(1) 土から人間を作り、また (2) 人類の救済のために太陽から火を盗み、永遠に罰せられるというプロメテウスの役割が、ここでのフランケンシュタイン博士の役割、つまり、創造主として人造人間を作りながらも、その傲慢な行為の代償として罰を受ける、というものに擬せられるからだろう。そして私は、モンスターの内面に深く同情する。自ら生まれたくてこの世に生まれてきたわけではないのに、創造主であるフランケンシュタイン博士は、無責任にも自分を放置して逃亡した。深い内面性も知性もあるにも関わらず、その醜い姿によって人々から忌み嫌われる存在。このような設定は、恐らく世界文学史上にも、それ以前はなかったものではないだろうか。その意味でも、やはりきっちり読みこなすべき、世界文学であると思うのである。

by yokohama7474 | 2018-12-31 02:03 | 書物 | Comments(0)

来る (中島哲也監督)

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前項はハリウッドのホラーを採り上げたが、ここでは日本のホラーを採り上げよう。もともと日本のホラーのクオリティは世界でもよく知られていて、様々なパターンがあるのだが、この映画のオリジナリティーは、なかなかのものであろう。タイトルは極めて単純で、「来る」。一体何が来るというのか。答えは「あれ」である。劇中でそのようにしか称されていないのである。ほらほら、来る来る!!
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あ、すみません。ビーグル好きなのでつい、ほかの方のブログから、走って来るビーグルちゃんの写真を拝借してきてしまいました。ともあれこの映画においては、「あれ」が来襲して禍々しい出来事の数々を引き起こす。果たしてこの子は大丈夫か。劇中で妻夫木聡と黒木華の間に生まれた、知紗ちゃんだ。
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それにしてもこの映画、ホラーでありながら、大変豪華な俳優陣である。上で挙げた夫婦役の 2人以外にも、岡田准一、小松奈菜、松たか子に、忘れてはならないこの人、青木崇高。どうも関西弁が立て板に水だと思ったら、大阪府八尾市出身だという。それは知らなかった。
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ホラー映画には様々な設定があるが、私が思うに、この映画の設定は、「何よりも恐ろしいのは人間」ということだと思う。登場人物の誰もに、表面上の自分とは異なる自分が潜んでいる。「あれ」には霊的な何かがあるとは言え、その禍々しい存在をより強力にするのは、何よりそのような人間たちの赤裸々な姿だということだ。これは主役夫婦の結婚式での余興。どこにもある幸せな光景であり、新郎新婦は幸せそのものに見えるし、私たちが既に持っているこの 2人の役者さんたちの明るいイメージにぴったりだ。
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だがその夫婦に、このような試練が待ち構えていようとは。
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いやそれにしても、黒木華の演技力は素晴らしい。この役はある意味で、彼女の持っているほんわかしたイメージを打破するものであろう。それからまた、この人を忘れるわけにはいかない。高度な能力を持つ霊能者を演じる松たか子。左目の下の傷は伊達ではない、凄まじい役柄だ。その姿勢、その発声。伝統芸能の家に育った彼女ならではのリアリティに震撼する。だが、偉そうなことを言っていても、自分も「あれ」と戦うことを避けることはできないのである。
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前作の洋物ホラー「ヘレディタリー / 継承」が、家族に伝わる禍々しい話であったとすると、こちらの和物ホラーは、土地に住まう禍々しい霊が描かれている。この対照は興味深いのであるが、繰り返しながら、その禍々しいものに命を与えるのは、愚かな人間たち自身なのである。これはこれで大変に怖い話。だがあえてこの映画に苦言を呈するとすると、ちょっと様々な断片を盛り込みすぎではないだろうか。それぞれの人間に、表面上とは異なる暗い過去がある。それはそれで、まあ理解できるのだが、岡田准一演じる野崎の過去を、ここまで克明に描く必要があったか否か。人間は弱い存在であり、過去の暗い記憶に囚われるにせよ、さらにさりげない方法での提示の方が説得力があったのでは? えっ、やっぱりそうかなぁ。
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とはいえこの映画、何本も走るストーリーの線の中に様々なミスダイレクションもあって、なかなか面白いと言ってよい。監督と共同脚本を手掛けた中島 (なかしま) 哲也は 1959年生まれ。もともと CM 出身の人だが、この映画に出演している小松奈菜は「渇き。」で、また松たか子は「告白」で、既にこの監督の下で演技した経験を持つ。役者たちの言葉を見ると、現場ではなかなか厳しい人であるらしい。
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この映画の原作は、澤村伊智という作家の「ぼぎわんが、来る」。2015年の日本ホラー小説大賞を受賞しているという。私はホラーについては、映画も小説もかなり好きな方であるが、この小説は知らなかった。ほかの作品もなかなか面白そうである。
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改めて思うのであるが、人間とは本当に怖い存在。だからこそ一方では、人間の中の尊いものを信じたいと思うのである。犬には分からないだろうなぁ。な、なんなんだよその目は。来るなー!!
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by yokohama7474 | 2018-12-31 00:48 | 映画 | Comments(0)

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ホラー映画は夏の盛りに見るものかと言えばさにあらず。今年もあれこれの文化関係の記事を書いてきた「川沿いのラプソディ」の締めくくりの記事のいくつかは、冬のホラー映画としゃれこもう。日本では 11月30日に封切られたこの映画、まだまだ正月映画 (?) として頑張っていて、少なくとも年明けの第一週は、日比谷や新宿で上映中である。まずこの題名がよいではないか。ヘレディタリー "Hereditary" の意味が分からない人でも、学生時代に習った単語、"inherent" (遺伝的な) だの "heritage" (遺産) だのという言葉はご存じのはず。そう、このこの映画ではそのような言葉に内在する、遺伝性の恐怖がガッツリと描かれている。この映画についてネタバレせずに一体何が語れようかと思うのであるが、ま、まずは邦題通りの「継承」についての映画であると言っておこうか。まずは導入部分、カメラはまず、鬼太郎の樹上の住居 (?) のような場所から引いて行き、そしてズームインすると、ミニチュアかと思われたその家の中で、なんと人間が動いているではないか!!
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うーん、そこからの展開を書き記すのは面倒なので (笑)、いきなりこのショットにつなげよう。ミニチュア作家のアニーさんだ。
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うわぁ、これを見るだけで鳥肌立つ思いなのであるが、この主演女優、誰もが知るこの映画で主人公の妻役であった、トニー・コレット。
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そう、「シックスセンス」である。1999年の同作品からもうすぐ 20年。あの大傑作に出演した女優さんは、今の今まで何をしていたのだろうか。いや、Wiki で彼女のフィルモグラフィーを見ると、「シックスセンス」以降も、ほぼ毎年映画に出演しているのである。知らなかった私が悪い。そして今、渾身の絶叫。
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この映画のテーマはまず、人生には必ずついて回る、禍々しい存在。それを悪魔と呼ぼうが亡霊と呼ぼうが構わないが、世界はそのような禍々しい存在で満ちている。そして、家族の間で継承される、これまたなんとも禍々しい宗教であり儀式である。まず開始早々で明らかになる通り、このような女の子が「チャーリー」という男の名前で呼ばれる点で、違和感を感じよう。演じるミリー・シャピロは 2002年生まれ。既に 5年前、ブロードウェイ・ミュージカル「マチルダ」でトニー賞を受賞しているという。
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今思い起こしてみれば、本当に禍々しい存在があちこちに潜んでいるフィルムである。これは禍々しくて、ちょっと見る者がストーリーに翻弄されてしまうタイプの映画である。劇中に起こる実に禍々しい出来事の数々に関してその意味を考え始めると、頭がクラクラしてくることであろう。私は最初の方こそ、画面画面の意味を考えながら見ていたのだが、途中でこれはヤバいと思い、ただ映像と音声に身を委ねることとした。そうすると少しは気が楽になったものの、禍々しい存在はどこまでも観客を追ってくるのだ。
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ここにあるのは、肉親を亡くしたことによる耐え難い哀しみ、そしてその哀しみから逃れようとして行う降霊術 (我々が子供の頃によくやったコックリさんと同様のものが出て来る)、それから、本当に禍々しい悪魔崇拝。これは現実を超えた架空の現実であるゆえ、何か見る者の本能的な恐怖を呼び覚ますのである。一体何が現実で何が夢であるのか判然とせず、できれば最後のショッキングなシーンすらも夢であって欲しいと思う。だが、こればかりは夢ではなく、恐ろしい現実、ということなのであろう。主役 (であろう) ピーターを演じるアレックス・ウォルフは 1997年生まれ。ハリウッドで最も注目されている若手俳優であるらしい。さながらキングといったところであろうか。
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さて、本編を見ていない人には何が何やら分からず、本編を見た人にはその恐怖を甦らせるような記事であるが (笑)、間違いないことは、この映画が近年稀に見る禍々しい映画であるということだ。こんなひどい映画の脚本、監督を務めたのは、本作が長編デビューとなるアリ・アスターという人。まぁそれにしても、よくできた脚本を書いたものだ。
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そんなわけであるから、新年の厄払いにもよいかもしれない。ほらほらお母さん、落ち着いて。こ、こわっ。
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by yokohama7474 | 2018-12-30 23:39 | 映画 | Comments(0)

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現代音楽のファンというものが一体どのくらいいるものか分からないが、この演奏会は、東京オペラシティのリサイタルホールという小さな場所での開催ではあるものの、1日のうちに 15:30 と 19:00 の 2回、同じ内容で行われた。私はこの日、14時から秋山和慶と東響の「第九と四季」を聴いていたので、遅い方、19時開演の回を聴いたのだが、かなりの盛況ぶり。また客席で小耳に挟んだ会話によると、15時30分の回は満席であったとのこと。年末も押し詰まった 12月29日という日程でこれだけ人が集まるとはなかなかに大変なことである。ただ、以前も書いたことだが、この手の音楽は若い人たちにもっと聴いて欲しいところ、今回の聴衆層には、あまり多くの若者はいなかったように思う。その点は気にはなるものの、ともあれこの演奏会を聴くことができて、またこのブログでご紹介できて、私は大変に嬉しい。これは、1938年生まれの日本の作曲家でありピアニストである高橋悠治の 80歳 (!!) を記念して開かれたもの。
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私の若い頃には、「高橋悠治は日本音楽界の生んだ突然変異」という論調をあちこちで見ることができ、その異才ぶりには大いに注目が集まっていた。20世紀作曲界の伝説的な名前であるギリシャ出身のヤニス・クセナキスに学んだ先鋭的な作曲家として、あるいは超絶技巧の現代曲を弾きこなすピアニストとして (妹の高橋アキとともに) 名を馳せるかと思うと、バッハを弾いたりサティを弾いたりしてその幅を示し、ある時期は水牛楽団というアジア的な名称のバンドを率いるというユニークな活動ぶり。彼は決して、難解な言葉で世間を煙に巻いたり、あるいは聴衆に迎合してテレビで爽やかな弁舌を披露することもない。言ってみれば飄々としながらも孤高の存在である。私が忘れられないのは、新潮文庫の「対談と写真 小澤征爾」の中で小澤が、彼らしい率直な語り口で、高橋の天才を称えていたことだ (高橋は小澤にとって桐朋学園の数年後輩にあたるという。もっとも高橋は中退だが)。今その本を手元に持ってきてみると、「昔の仲間たち」という項目に「高橋悠治という天才」という章があるので、もしご存じない向きは是非ご一読を。それから私自身としては、30年以上前、どこかのシンポジウム (大学の学園祭であったかもしれないが、記憶が定かでない) で、マーラーがテーマとして採り上げられたとき、自身とマーラーの関係について訊かれた高橋が、「時々海外のコンサートで何かコンチェルトを弾いたあとにマーラーをやっていることがありますけど、自分の演奏終わったら帰っちゃうので、あまりよく知りません」と発言して爆笑を買い、だがその後は意外と (?) マーラーを支持する内容を語り、作曲家の諸井誠が「最近マーラーの『大地の歌』が、ちゃんと交響曲の形式になっているというのを証明してみせたんですけど」と語ると、「『大地の歌』が交響曲がどうかなんて、どうでもいいと思うんです」と発言するなど、彼の人となりが分かる機会 (笑) を持ったことを覚えている。これが小澤の対談集の表紙。ちなみに録音では、武満徹の「アステリズム」で、高橋のピアノと小澤指揮トロント交響楽団の共演が残されている。1969年という、ほぼ半世紀前のものであるが。
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そんな高橋も、今年の 9月に 80歳となった。この演奏会は、別に 80歳記念ともなんとも銘打っていないが、企画を担当し、指揮も取った杉山洋一という人がプログラム冊子に書いているところによると、関係者たちと「悠治さんの 80歳にあたり、何か企画しようと話し合ったのが始まりだった」とのこと。そして、所在不明の高橋の初期作品の楽譜や音源を整理して、今後誰でも利用できるようにしたいと以前から思っていたこともあり、今回楽譜探しに取り組んだという。その結果、1日の演奏会では収まらないほどの分量が集まったので、今回が第 1回、来年 2019年10月29日を第 2回として、演奏会を開催する運びになった由。あとでまた触れたいが、実現に至るまでの関係者の苦労は並々ならぬものであったようで、本当に貴重な機会となった。今回演奏された高橋悠治の作品は、以下の 6曲。
 クロマモルフ I (1964)
 オペレーション・オイラー (1968)
 あえかな光 (2018、世界初演)
 6つの要素 (1964)
 さ (1999)
 歌垣 ピアノと 30の楽器のための (1971)

前半の最後に演奏された新作と 20年ほど前の短い 1曲を除いては、20代から 30代の、初期の作品である。ベルリンに渡ってクセナキスに師事したのが 1962年、ロックフェラー財団の奨学生としてニューヨークに移ったのは 1966年というから、まさに前衛まっさかりの頃の欧米の空気の中で書かれた作品群である。面白いのは、プログラム冊子に掲載された作曲者自身による曲目解説。このように、1行から 2行という極めて簡潔なもので、まさに必要最小限の情報しかない。現代音楽というと、作曲者自身が長々と観念的なことを語ることが多い中、この潔さは、さすが高橋だ。
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この 6 曲の構成は面白くて、前半後半、各 3曲のうちの真ん中 (オーボエ 2本のための「オペレーション・オイラー」とホルン・ソロのための「さ」) の曲には指揮者は登場しない。前半最初の「クロマモルフ I」と前半最後の「あえかな光」は小規模なオーケストラを、前者は杉山洋一が、後者は高橋悠治が指揮。そして後半最初の「6つの要素」は 4人のヴァイオリニストを杉山が指揮。後半最後の「歌垣」は、中規模のオケとピアノソロ付という、かなりの編成を杉山が指揮。これでお分かりの通り、千差万別の編成なので、1曲終わるごとにスタッフが何人も現れて、慌ただしく舞台上の転換を行うのである。

ともあれ、6曲を聴いた私の印象は以下の通りである。1960年代の曲は、まさに音楽が音楽であることを拒否するような過激さを持ちながら (つまり、限りなく美しい音を出すことができる楽器たちが、そのことを禁じられたようなイメージで)、そこにはどこか鷹揚さが見られるように思う。多少うがって考えれば、ヨーロッパ人にとっては西洋音楽という誇るべき過去の文化の栄光の崩壊という危機感に苛まれる環境であっても、日本のアーティストとしては、純粋な音の遊びを志向できた、ということなのではないだろうか。一方で、オーボエ 2本による「オペレーション・オイラー」(東京都交響楽団の首席である鷹栖美恵子と、私がいつも絶賛している東京交響楽団の首席である荒木奏美という素晴らしい奏者たち) には、アジア音楽のような揺蕩いを感じたし、ホルン・ソロ (NHK 交響楽団の首席奏者、福川伸陽) による「さ」では、奏者がステージ上を時に移動しながら、ホルンに声を吹き入れたり、左右を向いて演奏したり、蓋を開けたピアノの横で吹くことでピアノの弦の共鳴を起こしたり、という場面に、巧まぬユーモアと、まるでチベットの宗教音楽のような荘厳さが同居しているのを感じた。そう、決して「日本的」ではなく、「アジア的」なのである。また、初期の作品群に比べると、新作の「あえかな光」(詩人イェイツの「肉体の秋」からの引用とのこと) では、時にヴァイオリンが優美な音を出したりして、詩的な要素が増していると感じた。そして圧巻であったのは、最後に演奏された「歌垣(かがひ)」。今回演奏されたうち、ほかの 5作品はいずれもほんの数分という長さのものであったが、この曲だけは、2部から成っていて、30分ほどだろうか、かなりの演奏時間を要した。曲についての作曲者のコメントは以下の通り。

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アズマ言葉カガヒは歌垣 (うたがき)、常陸国風土記の筑波山歌垣は男女の踊りと歌掛けのあそび。オーケストラとピアノのあいだで、それぞれ 5つのグループから選んで手合わせを数回こころみる。
UNQUOTE

「歌垣」をネットで調べると様々な情報を得ることができるが、要するに特定の日時に若い男女が集まって求愛の掛合歌を歌う習俗のことであり、常陸国風土記だけでなく、古事記や万葉集にも見られるという。また日本だけでなく、中国南部やヴェトナム等の東南アジアにもその習俗があるらしいから、まさに高橋にとってはぴったりな題材である。この曲は一種のピアノ協奏曲で、ピアノとオケの掛け合いがスリリング。保守的では全くないが、決してしんねりむっつりした頭でっかちな音楽ではなく、高橋の作り出す音楽の雰囲気をよく感じることができた。実はこの曲、1971年にロサンゼルス近郊のオーハイ (Ojai) という街における音楽祭で初演されたらしい。このオーハイ音楽祭、私も全く知識がないが、1947年から続く、現代音楽をメインとした音楽祭で、数々のメジャーな演奏家や作曲家が集うという。現在の音楽監督は、ヴァイオリンのパトリツィア・コパチンスカヤで、2021年にはなんと、内田光子がその地位につくらしい。だが、今回のプログラム冊子によると、47年前のこの音楽祭における「歌垣」の初演に関しては、指揮がサミュエル・ゲルハルトという人 (2008年に死去) であったことは分かるが、オーケストラがオークランド響 (既に破産して存在せず) だったのかロサンゼルス・フィルであったのかすら判然としないという。もちろんスコアも散逸していて (高橋自身は、押し入れに入れてあったが引っ越しの際に処分したとのこと・・・)、欧米の出版社、図書館をかけずり回った関係者は、ようやくニューヨーク公立図書館に「カタログ化のために非公開」として保管されてあるものを、粘り強く交渉してファクシミリ版を受領・・・と思ったら、それはデジカメで撮影した写真であったので、それから譜面を起こす必要あったとのこと。そのような大変な作業の結果、ようやく演奏に漕ぎつけたというのが今回の演奏の背景である (なお、この曲の一部がテレビ「オーケストラがやって来た」で 1978年に演奏されたと文中にあるが、調べてみたところこれは、1975年の第 155回「YUJI がピアノを剥ぐ!?」でのことかと思われる)。主催者の杉山洋一は、「自分自身が自分の国の一部を成していて、その文化の礎を支える煉瓦の一部であると意識するなら、そこには責任が生じる。文化は一朝一夕に築き得ないものであり、現在まで連綿と培われてきたものであり、これからも等しく引き継がれてゆくものならば、私たち日本の音楽家は、自分が培われてきた文化を、これから先の世代に伝えてゆく責任がある」と述べている。けだし名言であり、その思いを実践に移している点、大きなる敬意を捧げたい。尚この杉山氏は、自身三善晃に師事した作曲家であり、イタリアで作品の委嘱も受けているほか、邦楽器のための作品も書いており、現在ではミラノのクラウディオ・アバド音楽院で教鞭を取っている由。
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今回彼のもとに集まった奏者たちは、上で名を挙げたようなオーケストラの首席奏者やソリストたちで、非常に高いレヴェルの演奏であったことは間違いない。従ってこれは、多くの人たちの苦労と熱意によって実現した偉大なる作曲家の 80歳を祝うイヴェントであったのだが、肝心の高橋悠治自身は、上で写真を掲げたのと多分同じシャツを着てラフなズボンと靴をはき、客席にいたり、歩き回ったり、自身が指揮をする際には客席からそのままステージに上がったりと、なんともカジュアル (笑)。もちろん会場の誰も、この作曲家がステージ上でスピーチするとか、感涙のあまりむせび泣くようなことは予想しておらず、そのふるまいが彼らしくて、むしろほっとしたことだろう。尚、高橋悠治については、彼が 80歳を迎えた今年 9月、青柳いづみこ著の「高橋悠治という怪物」なる評伝が発売されている。いやこれはなんとも思い切った題名であるが (笑)、初めての評伝ということで、私も読んでみたいと思っている。我々はもっとこの作曲家を知らなければならないだろう。そして、文化を守るために、各種資料の維持・保存に対しては、世の中全体がさらに意識を高める必要があると、改めて思った次第。
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by yokohama7474 | 2018-12-30 14:20 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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このブログではおなじみの名指揮者秋山和慶が、東京交響楽団 (通称「東響」) とともに、今年も暮れの押し詰まった日程で、ベートーヴェンの第九を演奏する。いつもの通り、ポスターやチラシはクリムトをあしらったものであり、そしていつもの通り、演奏会は「第九と四季」と名付けられている。このブログでも、2015年の開設以来毎年このコンサートを採り上げてきている。何もかも例年通り。・・・と思いきや、実は今回の演奏には、ひとつの大きな意味がある。というのも、秋山がこの年末恒例の第九を指揮するのは今回が最後で、来年からは音楽監督ジョナサン・ノットに指揮を委ねることになるからだ。それでは、秋山と東響がこの「第九と四季」をいつから続けてきたかというと、なんと、1978年。今年がちょうど 40年の節目である。1978年と言えば、私自身の歴史を振り返ってみると、中学 1年で東京に暮らし始めた年。そう思うと、その頃から今まで毎年毎年この演奏会が続いてきたというのは、本当にすごいことである。ギネスブックに認定してもらってもよいのではないだろうか (「第九と四季」自体は、秋山が指揮し始めるさらに 2年前の 1976年から続いている)。マエストロ秋山は今年 77歳だから、37歳から毎年このコンサートを振り続けてきたことになる。これは 1973年の写真。
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今回の第九シートは以下の通り。

・第九以外の演奏曲
  ヴィヴァルディ : ヴァイオリン協奏曲「四季」からホ長調「春」、ヘ短調「冬」
・コントラバス本数
  8本
・ヴァイオリン左右対抗配置
  なし
・譜面使用の有無
  指揮者 : ありと見えて、実はなし
  独唱者 : なし
  合唱団 : なし
・指揮棒の有無
  あり
・独唱者たちの入場
  第 2楽章と第 3楽章の間
・独唱者たちの位置
  合唱団の最前列中央 (ステージ奥、オケの後ろ)
・第 2楽章提示部反復
  あり
・第 3楽章と第 4楽章の間のアタッカ
  あり

最初の「四季」には例年若手女性ヴァイオリニストが登場するが、今年は辻彩奈。今年 21歳である。
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彼女の名前は最近耳にする機会が急増している。なにより、今年の 5月から 6月にかけて予定された、ズービン・メータ指揮イスラエル・フィルの来日公演のソリスト抜擢は、指揮者メータによるオーディションを通っての快挙とのことであったが、メータの病気によって、残念ながらキャンセルとなってしまった。そして今度は、来年 4月のジョナサン・ノット指揮スイス・ロマンド管の来日公演に同行し、メンデルスゾーンを弾く (その前には本拠地ジュネーヴでも演奏会があるようだ)。その経歴を見ると、11歳で名古屋フィルと共演、12歳で初リサイタルという早熟ぶりを示しているが、教育は一貫して日本で受けてきており、現在は東京音楽大学の特別特待奨学生であるという。2016年にモントリオール国際コンクールで優勝したことがその後の活躍のきっかけであるようだ。どのようなヴァイオリニストであるのか大変楽しみであったのだが、その音色には実にしっかりした芯があり、なんとも自己主張のはっきりした演奏である。「春」の爽やかさはもちろん、「冬」の冒頭の北風吹きすさぶ様子における鬼気迫ると言ってもよい鋭さにも、思わず身を乗り出して聴き入るべきものがあった。正直、これだけのヴァイオリンであれば、「春」と「冬」だけではもったいない。ステージマナーも既に堂々としたものであり、今後が楽しみなヴァイオリニストであると思う。尚彼女は、東京フィルの大みそかコンサート (アンドレア・バッティストーニ指揮) にも出演予定で、そのコンサートは生中継されるはずなので、ご興味おありの向きは、視聴されてはいかがだろうか。

その「四季」ではいつものようにチェンバロを担当した秋山であるが、第九においてもその指揮ぶりは、まさにいつものもの。40年間の万感の思いを込めて、とは聴く側の勝手な思い入れであり、演奏者は毎年毎年、この偉大な作品に全身全霊で取り組んできているわけだから、今年もそれは変わらないだろう。今回のプログラム冊子に、10月25日の読売新聞に掲載された秋山のインタビューが転載されているが、これだけ振ってきた第九でも、嫌になることはないとして、「あれだけの大曲になれば、いろいろアプローチがある。富士山の登山口が一つでなく、吉田口、須走口、富士宮口といろいろあるように。目指すところは一つでも、演奏の仕方はいろいろ」と語っている。もともとこの指揮者には、手堅い職人性がある一方で、状況に応じて臨機応変に対応する柔軟性もあるわけで、常に最初から最後まで最高の演奏を達成するのが難しいこのような曲においても、本当にオケをドライブするのが巧い。だが今回の場合は、冒頭からオケはかなり好調であった気がする。なんというか、音の流れに最初からしっかりしたものがあり、それだけでもなかなかに大変なことであると思うのである。プロであるから、気合がどうのということを論じるのは適当ではないと思いながら、東響の楽員たちの中にはやはり、有終の美を飾ろうという意識はあったものだろうと推測する。全員で描き出す終楽章の熱気には、鳥肌立つものがあった。今回の合唱はいつもと同じ東響コーラス、そして独唱者は今回はすべて日本人で、ソプラノの中村恵理、メゾ・ソプラノの藤村実穂子、テノールの西村悟、バスの妻屋秀和という盤石のメンバー。まさに有終の美はここに飾られた。そしてマエストロ秋山は、譜面台にスコアを置きながら、最初のページを開いた状態のまま、一度たりとも指を触れることなく、全曲暗譜で指揮をしたのである。

聴衆の拍手に応えて、このコンサートでは恒例のアンコール、「蛍の光」。この、照明が落とされ、合唱団が客席に入ってペンライトを揺らし (聴衆の中にはペンライトでお返しする人も)、聴衆にも歌うことが促され、そして最後はハミングとなるアンコールには、誰しも胸が熱くなるであろう。だがこれは、あえて言ってしまうと、どこか昭和へのノスタルジーを感じさせるものではないだろうか。究極の柔軟性を持つ秋山だからこそできるが、ノットがこれを引き継ぐようには、どうも私には思えないのである。この予想は外れることになるかもしれないが、ともあれ日本はあと 4ヶ月で新たな元号の時代に入るわけで、何事にも移り変わる歴史というものがあることを思うと、我々聴衆としては、この音楽を楽しんだという思い出をしっかりと刻みながら、また新たな演奏に期待したいと思うのである。40年間、誠にお疲れ様でした、マエストロ。そして今後も様々な演奏に触れることを楽しみにしております!!

さて最後に余談。この第九の初演は 1824年だが、ベートーヴェンが交響曲に声楽を取り入れようと考え始めたのは、1818年のことらしい。つまり、今終わろうとしている今年は、それからちょうど 200年。ベートーヴェンがその前に書いた 7番と 8番は、ともに 1814年に初演されていて、9番の初演までには 10年の時間があったことになる。今から 200年前に何があったかというと、もちろん時代はウィーン会議後。フランス革命の反動で、体制側が言論に目を光らせていた頃である。そんな中、シラーの自由思想は過激なものと思われたはずだが、ベートーヴェンは堅い決意をもってその詞に作曲した。そして、ベートーヴェンが交響曲への声楽導入という破天荒な発想を得たその 1818年に、やはりかなりの決意を持って書かれたと思われる 1冊の小説が、世に出ている。私は最近その小説と、それに因む映画を見たので、なんとか 2018年中にそれらの記事を書きたいものであるが、もしかすると来年にずれ込んでしまうかもしれない。ともあれ、音楽であれ文学であれ絵画であれ、創作された時代のイメージを持つことで、楽しみは何倍でも広がるし、このブログではそのような点に留意して、これからも記事を書いて行きたいと思っているのであります。

by yokohama7474 | 2018-12-30 00:54 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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京都、洛南にある古刹、醍醐寺 (だいごじ)。京都の数ある古社寺の中でも、世界遺産に登録されているこの寺の歴史は古く、また奥深いものである。今年東京で開かれたこの展覧会も、日本美術の展覧会として、これは五指に入るような内容ではなかったかと思う。残念ながら東京では既に終了してしまったが、数日前の日経新聞に載っていた通り、年明け、1月末から 2ヶ月ほどは、福岡の九州国立博物館で開催される。なので、この記事でこの展覧会に興味を持たれた向きは、是非来年、九州観光と合わせて展覧会を楽しんで頂きたい。

さて、今日多くの観光客を集めている京都の大規模寺院の多くは禅寺であり、それは京都五山制度と、それへの一部の反発から来ていると私は整理している。だが中には例外もあって (いやもちろん、両本願寺は例外中の例外だが。笑)、真言宗の古い寺もある。もちろん、空海ゆかりの東寺がそうだし、仁和寺とか大覚寺もそうだ。それらはいずれも奥深い歴史を持つ寺だが、この醍醐寺も負けてはいない。なにせあの「醍醐味」と因む名称であるのだから。とはいえこの寺にはひとつ、大きな難点がある。境内が二つに分かれているのである。それは人呼んで、上醍醐と下醍醐。後者はこれまでに多分 10回ほどは訪れているものの、前者は大変な難所として知られていて、恥ずかしながら未だ行ったことがない。そうそう、下醍醐の三法院が有名なのは、快慶作の素晴らしい本尊があるからではなく、秀吉による醍醐の花見によってであろう。1598年、秀吉の死のわずか半年足らず前に開かれた大茶会である。
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醍醐寺には数知れない貴重な文化財が所蔵されていて、そのアーカイブ化が何年も前から進行中である。そのせいだろうか、この醍醐寺の寺宝に関する展覧会は、これまでに何度も開かれている。・・・と言いながら、既に記憶力の減退している 50代。すっかり忘れていたのだが、後で確認したところでは、私が過去に見た醍醐寺展は 3回あって、「国宝 醍醐寺展」(2001年 東京国立博物館)、「国宝 醍醐寺のすべて」(2014年 奈良国立博物館)、「御法に守られし 醍醐寺」(2014年 松濤美術館) である。それぞれの図録を改めて眺めていると、今回の展覧会で展示されている素晴らしい寺宝のことごとくが、いずれかに出品されているのである。うーむなるほど、そうであったか。だがそれでもよい。この寺の誇る寺宝の数々、是非見てみようではないか。その意味で、今回真っ先にご紹介すべきはこの三尊像であろう。
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これは、上醍醐にある薬師堂の本尊、国宝薬師三尊である。上記の通り、私は上醍醐に行ったことはないし、よしんば辿り着いたとしても、普段その場所で見ることは叶わないのである。・・・と言いながら私は知っている。この三尊像はしばらく前から下醍醐の霊宝館に移されていることを。確か、必死の思いで山道で仏像を運ぶ人たちの苦労を、ドキュメンタリーで見た記憶もある。正直、一見して超絶的な像とは思われないが、そこはやはり国宝。よく見るとその堂々たる体躯は、平安時代初期の特徴を備えている。この方々がもともとおられた薬師堂も国宝なので、その写真をお見せしよう。
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このブログをご覧の方で、もしかすると密教をご存じない方もおられるかもしれないが、簡単に言うと、奈良時代の鎮護国家の仏教から、徐々に個人としての願望成就を目指す流れ (呪術的な要素を含め) として、平安時代初期、空海が中国からもたらして、日本で普及した仏教の一派である。この醍醐寺が開創されたのは 874年。そしてこの本尊は、その名も「醍醐」天皇の発願によって作られたもの。いやー、古い話ですなぁ。そうして、密教特有のこの仏像、展覧会のポスターにもなっている如意輪観音 (重要文化財) が、この展覧会を訪れる人々を魅了する。よくご覧頂きたいのだが、光背の上と下の部分は斜めになっていて、この仏像を 360度のぐるりから見ることのできるこの展覧会では、その微妙にずれた光背を見事に作る 1000年前の職人技を実感することができるのだ。
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そしてこれも、いかにも密教の荒くれ仏たち。平安時代の重要文化財、五大明王である。これらはいずれも、キッチュなまでに素朴なものであるが、やはりこれら一具が揃って今日にまで伝わっていること自体が素晴らしい。
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これも醍醐寺を代表する仏像のひとつ。国宝の虚空蔵菩薩立像である。醍醐寺に伝わる仏像で最も古いものであるという。像高わずか 51.5cmと小ぶりだが、いわゆる檀像彫刻で、硬い木材 (カヤ) を使用している。その衣の表現には、まぎれもない超絶技巧を見ることができる。
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この記事における醍醐寺の仏像シリーズの最後は、この重要文化財の不動明王坐像。あの快慶の手になる、美麗な作品である。
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さて、ここまででも既に密教のめくるめく神秘的な世界を垣間見ることができると思うのだが、この醍醐寺には、数々の実に素晴らしい仏画があって、それらを見ていると本当にクラクラしてくるのである。この、鎌倉時代に描かれた国宝五大尊像はいかがであろう。実に強烈。凄まじい。
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こちらは、重要文化財の大元帥法 (たいげんほう) 本尊像。36本の腕を持ち、本当にチベットあたりからそのまま到来したような雰囲気の仏である。因みに大元帥明王の彫刻としては、秋篠寺の秘仏が知られるが、私は未だに見たことがない。凄まじい仏の姿は、何か怖くなるほどだ。
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そしてこの超絶的な作品は、重要文化財の五秘密像。ここで描かれているのは、金剛薩捶菩薩を中心とする五菩薩である。いやそれにしてもこの五体、近い近い!!
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さらに仏画の逸品が続く。これは国宝の訶梨帝母 (かりていも) 像。鬼子母神ともいい、子供を取って食う悪鬼であったが、釈迦に自分の子供を隠されて、前非を悔いて善神になったという。この異常なまでの大きなモデリングは、一度見たら忘れることができないもの。
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お次もやはり国宝の、閻魔天像。平安時代の作なので、我々がよく知っている閻魔様のイメージとは異なる古様である。いやしかし、なんと神秘的なお姿であることだろう。
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こちらもまたまた国宝、文殊渡海図。鎌倉時代の作である。痺れます。
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さて、醍醐寺の所蔵する国宝の絵巻物で、大変有名なものがある。私も過去に何度か展覧会でお目にかかったことのある、絵因果経。なんと奈良時代の作品で、前世からの釈迦の生涯を描いたもの。この保存状態のよさもさることながら、1200年前の先人たちの巧まぬユーモアの感覚に脱帽だ。
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醍醐寺はまた、古文書の宝庫である。まずは国宝、空海の手になる大日経開題。真言密教を学ぶ若き日の空海の、水茎の跡である。
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そしてさらに国宝三連発。順に、足利尊氏筆の書状、足利義満御教書、織田信長黒印状。歴史が胎動するさまが見える。
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醍醐寺が所蔵する美術工芸品の名品も枚挙に暇がないが、ここでは一点だけ、俵屋宗達の「芦鴨図衝立」をご紹介しておこう。生没年不詳のこの画家の風流を偲ぶことのできる、重要文化財である。
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このように見てくると、醍醐寺の重ねてきた歴史は、なるほど世界遺産にふさわしいものである。また久しぶりに現地を訪れたくなってしまった。このような極めて高いレヴェルであれば、同様の内容の展覧会を何度見ても、よいものです!!

by yokohama7474 | 2018-12-29 01:43 | 美術・旅行 | Comments(0)

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このブログでもいくつもの展覧会をご紹介してきた通り、東京ステーションギャラリーの企画がすごい。この展覧会もそのひとつで、タイトルには何やら「山」の字がふたつ。これは何かと思ったら、画家の名前なのである。その字の通り、ヨコヤマカザンと読む。そんな画家は私も聞いたことがなかったのだが、上に掲げたチラシによると、「見ればわかる」そうである。尚この展覧会、東京での会期は既に終了してしまっているものの、来年 4月から 6 月にかけて仙台で、さらには 7月から 8月にかけて京都で、開かれることが決まっている。なので、もしこの記事を見てこの画家に興味を持たれれば、ちょっと足を伸ばせば実物に触れることができるという点、一応強調させて頂こう。

実はこの画家、私ごときが知らなくても不思議ではない。展覧会の図録においては、あの江戸時代の奇想美術の発見者として名高い辻惟雄 (のぶお) ですら、「横山華山については、まだまだ知られていないと思います。私も実はこれまであまりよく知りませんでした」と発言しているではないか!! なので、未知の画家を紹介するこの展覧会が、いかに貴重であったか、分かろうというものだ。実はこの展覧会は、浮世絵研究家で、北斎研究の第一人者であるらしい永田生慈という人が 20年前からこの華山を研究し始めた成果が実ったということらしいが、その永田氏は惜しくも展覧会開催前、今年 2月に 66歳で逝去。また、横山華山の子孫にあたる横山昭氏 (企業勤務のかたわら学芸員資格を取得し、華山研究を続けていたらしい) も、2015年に 86歳で他界しているという。その意味では、この展覧会の開催に情熱を燃やした人たちと、その遺志を継いだ人たちの努力によってようやく開催されたということであり、関係者の皆さんの地道な努力によって、一般の美術ファンが新たな美の世界に目覚めることには、大きな意味があると確信する。

横山華山 (1781 or 84 - 1837) は、江戸時代後期に活躍した、京都西陣出身の画家である。その横山家は代々機織りを生業としており、父は曽我蕭白 (それこそ辻惟雄が再評価した奇想の画家である) と友人であったという。それゆえ展覧会は、蕭白の画法に学ぶ華山の作品に始まる。これは「蝦蟇仙人図」。カエルを相手に、桃の枝を手にしながら踊る仙人の姿。
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実はこの作品、蕭白の作品を華山が再構築したもの。以下が蕭白作品。ともにユーモラスである点は共通するが、蕭白の方は、かっと開いた左手が実に不自然であるのに対し、華山作品はずっと自然。このあたりがこの 2人の画家としてのメンタリティーの違いであろう。
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また、この作品もちょっと蕭白流。ボストン美術館所蔵になる「寒山拾得」である。蕭白流であると同時に、近代の作品のようにも見える。
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これは大英博物館の所蔵になる「蘭亭曲水図」。伝説的な中国の書家、王羲之が蘭亭という場所で開いた宴会で、酒を入れた盃を蓮の葉に乗せて曲水に流し、その盃が目の前を通り過ぎる前に詩を詠まないと、罰としてその酒を飲まなければならない、という遊びをした、という場面。今ならばパワハラと言われそうな遊びだが (笑)、大胆な俯瞰構図は、現実を超えた迫力がある一方で、四阿などは大変丁寧に描かれているのである。
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この画家の作品には、制作年がはっきりしないものが多いようであるが、この素朴でユーモラスな作品はなんと、華山 9歳の作であるという。言うまでもなく「牛若弁慶図」である。
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華山の生涯について分かっていることはわずかであるらしいが、蕭白に私淑したあと、岸駒 (がんく)、呉春 (ごしゅん) に師事したという記録があるようだ。この 2人については、蕭白の奇想とは異なり、より正統派のイメージである。それに比べると華山の作風には、ユーモラスなものが多いとも思われる。この東京国立博物館所蔵の「群仙図屏風」でも、教訓めいたところは皆無である。
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この「琴棋書画・陸羽煎茶図屏風」も、全体よりも細部を見ることで、華山の人間性を感じることができる。
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これまではほとんど水墨画ばかりご紹介したが、彼の確かな手腕は、色彩豊かな画面でも発揮される。これは珍しく制作年が 1826年と判明している「唐子図屏風」。子供たちの活き活きとした様子は、モダニズムすら感じさせるではないか。
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これは中国の 24人の孝行者を描いた「二十四孝図屏風」の下絵から、「大舜」と「呉猛」。いかなる逸話か知らないが、象を写実的に描いたり、寝ている老人を飄々と描いたり、ストーリー性を感じさせる。
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これも中国を題材としていて、「関羽図」。もちろん三国志である。私が注目したいのは、従者である周倉の、グロテスクな姿。超人的な怪力や俊足が、その姿に託されているのであろう。
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こちらは動きのある「鍾馗図」。これもボストン美術館所蔵。
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華山は様々な依頼に応じて作品を制作したのであろう。おめでたい七福神も沢山描いている。だがこの「蛭子大黒図」は、2人の福の神がまるで、自ら作り出した富を楽しんでいるように見えるではないか。福の神には、その手があったのである (笑)。
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これはさらにユニークでユーモラス。「鼻つまみ図」である。その名の通り、ひとりの僧侶が別の僧侶の鼻をつまんでいる。禅問答や歴史的な逸話にも該当例がないらしい。だがこの「オリャ」「グエッ」という感じの僧たちの表情を見るだけで楽しい。
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以下何点か、華山の描く動物たちを見てみたい。これは「虎図」。毛並の様子やポーズが生々しいが、身近の猫でもモデルにしたのではなかろうか。
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これは「虎図押絵貼屏風」から 2点。虎を実際に見たことがないとすれば、やはりこれらのポーズは猫から来ているのだろう。分かる分かる。
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一転してこれは大変な迫力の水墨画。ハーバード大学付属図書館が所有する「龍虎図屏風」。図録のページをまたいでしまうので、ちょっと寸詰まりの写真だが、その迫力は伝わるだろう。
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こちらは大英博物館所蔵の「三猿図」。見ざる、聞かざる、言わざるだが、猿たちの必死な様子が笑いを誘う。
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これはまたたおやかな「桃錦雉・蕣花猫図 (ももきんけい・しゅんかねこず)」。なんという近代的な感覚だろう。所蔵するのはあの、皇室の墓所であり、優美な楊貴妃観音がおわします、京都の泉涌寺である。
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このような即興性を感じさせる、水彩画風の作品も面白い。「紅葉図」である。
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華山は風景も数々描いているが、これは「花洛一覧図」。1808年に出版され、華山の名を一躍知らしめた刷り物である由。京都全体を俯瞰するが、右手中景に見える巨大な建物は、京都大仏、方広寺の大仏殿だろう。実は当時既にこの大仏殿は焼失していたらしいが、語り継がれた名所を再現しているということになる。
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これは「二見浦富士図」。もちろん、伊勢の二見ヶ浦の夫婦岩の向こうに富士山が顔を出している光景。なるほど、方角的には夫婦岩の向こうに富士山が見えるということはあるわけである。富士の見える位置は、もしかするとこうではないかもしれないが、イメージとしてはなかなか見事。
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ここからは人々の生きる姿を描いた作品をいくつか。これは「四季耕作図屏風」。庶民の暮らしを克明に描いていて、温かい視線が感じられる。
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これは大作「紅花屏風」(1823年作) から。人々の賑やかな声が聞こえてくるようではないか。
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これは「四季漫画風俗図巻」(1806年作) から。ここの「漫画」は、北斎漫画と同様、気楽に描いた図ということであろうが、でもこの表現を見ると、今から 200年以上前にマンガを描いた人がいたと思われてくるほど、時代の制約から自由である。
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こえは大英博物館所蔵の「夕顔棚納涼図」。もちろんあの有名な久隅守景の作品 (国宝) と同じ主題であるが、これまたなんとも楽しそうである。
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それから、これくらいなんでもできる画家なら、この手の作品もありでしょう。「百鬼夜行図」。ユーモラスな筆の運び。
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同じ感性で描かれたこの作品は、ハーバード大学付属図書館所蔵の「牛祭図」。このブログではいくつかの記事で言及した、京都太秦・広隆寺に伝わる奇祭。江戸時代にはこのように行われていたという貴重な資料であろう。
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かと思うと、華山の恐るべき観察眼を如実に示す作品もある。京都国立博物館所蔵になる「天明火災絵巻」から。1788年に京都市中を火の海にした大火事を題材にしているが、この迫力は尋常ではない。災害の最中に描くことはできないから、後日記憶に基づいて作成したものだろうが、ここには何か、鬼気迫る画家魂が感じられる。言ってみれば、芥川龍之介の「地獄変」で描かれているような、あれである。なんという幅広い能力を持った画家だったのだろう。
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そして、実はこの展覧会のメインであったのは、祇園祭を克明に描いた「祇園祭礼図巻」。この展覧会のチラシもこの作品であり、そのカラフルで克明な描写に、おっと目を引かれてしまう。これは上下 2巻、全長 30mの絵巻物であるが、会場ではすべての図を見ることができた。これらの山鉾の中には現存していないものもあるとのことで、歴史的にも貴重な資料である。1835年から、華山が亡くなった 1837年の間、つまり、華山最晩年の集大成ということになる。図柄は、上で見た「天明火災絵巻」と違って概して静かであるが、ここにもやはり、画家の執念を見ることができる。
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この絵巻物の下絵が最近発見されたらしく、展覧会で見ることができた。実に丁寧なものである。
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このように、これまで見たことも聞いたこともなかった横山華山という画家。その画風の広さと、絵描きとしての情熱は、確かにこの展覧会を「見ればわかる」というものだ。仙台や京都での展覧会に足を運んでみられるのも一興であろうと思う。

by yokohama7474 | 2018-12-28 00:51 | 美術・旅行 | Comments(0)

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前項に続き、フランスの作家、アラン・ロブ=グリエが監督した映画。今回渋谷のシアター・イメージフォーラムで特集上映されている 6本のうちの、私にとっての 3本目である。この特集上映も、残すところあと 2日 (12/28 (金) まで)。その間に私が残りの 3本をすべて見るのはもはや不可能であり、せいぜいあと 1本、見ることができるかどうかというところである。前項でも触れた通り、週末や最終回 (18時45分から) の混雑具合は実に侮り難く、私など、狙いをつけた作品を見ようと思ったら、週末の回も平日の最終回も、ともに完売御礼状態で、見ることが叶わなかったのである。因みにこの特集上映、東京での期間終了後は、大阪、仙台、名古屋、京都、神戸、山口で行われるが、いずれも会期は 2週間程度である模様。地方まで見に行くというのは難易度は、なかなか高そうである。なのでやはり、東京でまた是非、アンコール上映をやっては頂けないものだろうか。この街の文化度であれば、まだまだ動員は見込めると思うので。

さてここで私が採り上げる「エデン、その後」という映画は、1970年の作。前項の「嘘をつく男」の次に撮られた作品で、ロブ=グリエ初のカラー作品である。前作同様、チェコスロヴァキアの製作会社が関与し、そこに今度はチュニジアの会社も加わっている。解説によるとこの作品、脚本を全く準備しないまま大部分のシーンを撮影した初の映画であったとのこと。出演している無名の若手俳優たちは、自分がどんな役を演じるのかも知らされず、ただチェコスロヴァキアで 1ヶ月、チュジニア南部のジェルバ島で 1ヶ月の撮影を行うとのみ伝えられて撮影に臨んだという。実際に作品を見てみると、確かにセット (これはブラティスラヴァに作られたもので、ロブ=グリエ映画としては初めてのセットでの撮影であった由) で撮られたシーンと、誰がどう見てもチュニジアで撮られたことが明らかなシーンに二分されていた。これは前者の例。一見してモンドリアンの絵画風のセットである。
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ええっと、一応ストーリーを思い出してみると、エデンという名のカフェ (上の写真のセットがそれである) に若者たちが集まり、生死を賭けたゲームのような不届きなことを様々に試しているが、アフリカからやってきたというデュシャマンという男がそれを掻きまわし、ヴィオレットという名の主役の女性が、残酷な幻覚を見たりしているうちに、話は何やら盗まれた絵を巡る冒険譚に移って行く。その絵は小さいもので、ヴィオレットの叔父が描いたものらしい。そしてなぜか舞台はジェルバ島。ヴィオレットは様々な苦難の末に、自分と同じ格好をした女性に救われ、そして盗まれた叔父の絵を見つけ出す。様々な人が命を落とす (落としたはずが、実はやっぱり生きていた、という人も含めて)。そしてまたエデンには人々が集う。ええっと、こんな感じで大体合っていますかね (笑)。これが、主役ヴィオレットを演じる、カトリーヌ・ジュールダン。
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もちろんフランス映画でショートカットの女性というと、「勝手にしやがれ」のジーン・セバーグを思い出すが、ここでのカトリーヌ・ジュールダンはそれにひけを取らない出来というと言いすぎかもしれないが、少なくとも、主演が彼女だから、ハテナマーク連発の展開でも画面を見ていることができた、とは言えると思う。あとで調べて分かったことには、彼女はアラン・ドロン主演の「サムライ」という映画で、ナイトクラブのクローク役を演じていたという。それはこの映画よりも 3年前。1948年生まれの彼女は当時 19歳。ただその後のキャリアはあまり大したものではなく、2011年に 62歳で亡くなっている。
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例によって解説には、上記のモンドリアン以外にもこの映画に絵画が発想の源泉になった部分があると述べられ、監督自身が (チュニジアに住んでいたことのある) パウル・クレーに触れているし、作中でマルセル・デュシャンの「階段を降りる裸婦 No. 2」(先日のデュシャン展の記事でもご紹介した有名な作品) を再現しているとある。またロブ=グリエ自身は、シェーンベルクの十二音技法を参考にしたとも述べているらしい。だがちょっと待て。そんな情報に踊らされて、この映画の何かを分かったような気になることほど厄介なことはないのではないか。上記のデュシャンの作品の「再現」は、私に言わせれば、「は? もしかしてこれのこと???」と思うほど素朴なものであったし、十二音技法にしても、何やら映画の中の 12のテーマを取り上げて、その配列が云々という説明を聞いても、一向にこの作品への「理解」は深まらないと思う。私の思うところ、技法論やイメージの遊びはともかく、多少風呂敷を広げて言ってしまえば、ここには人間存在の危うさが描かれていると考えたい。登場人物たちによる公序良俗に反する行為も、過ぎてしまえば夢だったかとも思われる。だが確実なのは、犯罪的なことを行ったり本能に身を任せる人々も、エデンのようなカフェで、普通に時間を過ごすこともできるということだ。つらいことも楽しいことも、過ぎてしまえば夢のようであり、また同じことが起こるかもしれないし、人によっては、次の瞬間、もうこの世にいないかもしれない。それは、「分からない」のである。人生は分からない。ことほどさように、この映画も分からない。それでよいのではないだろうか。

だが、視覚とは最も強い人間の感覚である。この映画におけるこのような色合いの映像に目を見張ることもあるだろう。
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空も青いが、この扉の青さはどうだろう。これはいわゆるチュニジアンブルーである。私はたまたまチュニジアには以前 (「アラブの春」より前)、何度も出張で出掛けたことがあるのでよく知っているが、この国ではこの青と白の対比があらゆるところで見られる。そして、主人公の叔父が描いたという絵画も、この青と白をテーマにしたものだった。
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この作品の見事な映像をカメラに収めたのは、前作「嘘をつく男」と同じ、スロヴァキア出身のイゴール・ルター。脚本もない映画で、セットもあればロケもある、なかなかハードな現場であったことは想像に難くない。そうするとロブ=グリエは、キャスト、スタッフに恵まれて、映画制作を行うことができたと考えるべきだろう。そうそう、キャストと言えば、この「謎の女」にも触れておこう。
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これは、前作「嘘をつく男」にも出ていた、アラン・ロブ=グリエの妻、カトリーヌ・ロブ=グリエ。実はこの人、ちょっと変わっていて、SM の世界でその名を知られた人であり、男の偽名でその種の小説も発表しているという!! まぁ、フランスの芸術家にはそのような「持ち味」があっても特に驚くには値しないのかもしれないが、まぁそれにしても、その言動は我々凡庸な一般人の想像を超えている。なんでもこの「エデン、その後」の撮影期間中にロブ=グリエは主演女優のカトリーヌ・ジュールダンと恋に落ちたそうなのだが、アランはそれを妻に秘密にせずに正直に伝え、ロケ中にいそいそと女優の泊まる部屋に向かって行く夫の姿を、妻はむしろ喜んで見ていたそうだ。いやー、そういう話を聞くとなおさら、この映画の解釈云々でしかつめらしいことを語る気が失せますな (笑)。このアランとカトリーヌの夫妻はその後も仲睦まじく過ごしたそうだが、カトリーヌはアランの死後に彼の伝記を書き、実に赤裸々なことを世の中に発表しているらしい (日本では未刊)。これは老年に至った彼ら。なおこのカトリーヌさん、今も健在で、今年 5月、87歳で、22歳年下の・・・女優??? と再婚したとある。世の中、複雑です。
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芸術家の生涯には、スキャンダラスなこともある。ただ我々は、アラン・ロブ=グリエの残した映画から、様々な考えるヒントを得ることで、人生が豊かになることは間違いない。残る彼の映画も、できることなら見てみたいものだと思う。

by yokohama7474 | 2018-12-26 23:42 | 映画 | Comments(0)

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しばらく前に「ヨーロッパ横断特急」(1966年) という作品をご紹介した、フランスの作家 = 映画監督であるアラン・ロブ=グリエの特集上映 6本のうちの 1本。これはロブ=グリエがその「ヨーロッパ横断特急」の次に制作した 1968年の作品である。このロブ=グリエがいかなる人であるかについては、以前の記事に書いているのでここでは繰り返さないが、今彼の作品を見ることには、フランス 60年代という独特の文化的雰囲気を味わうだけでも意味があるし、会場であるシアター・イメージフォーラムの混雑ぶりに鑑みても、今日の観客に訴える要素があるということだろう。
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この「嘘をつく男」という作品は、フランス=イタリア=チェコスロヴァキアの合作である。ここにチェコスロヴァキアという当時の東欧の国の名前があるのは奇異に感じられるのだが、それにはわけがある。それは、ロブ=グリエの最初の監督作品である「不滅の女」を、その国の映画産業の最高責任者が痛く気に入り、国有スタジオの援助のもと、制約なしにロブ=グリエに作品を撮らせようとしたことによるというのである。この映画制作会社はブラティスラヴァ (現在は、チェコ共和国とは別の国であるスロヴァキア共和国の首都) に所在していたので、 この映画も現在のスロヴァキア内で撮影されたという。確かに (今日のそれに比べると著しく短い) タイトルバックを見ていても、チェコ系かスロヴァキア系と思われるスタッフ・キャストの名を多く見ることができた。興味深いのは、この映画で撮影監督を務めたスロヴァキア人のイゴール・ルターはその後ドイツではフォルカー・シュレンドルフの「ブリキの太鼓」、フランスではアンジェイ・ワイダの「ダントン」の撮影を務めているという。そして主演はこの人。前作「ヨーロッパ横断特急」に続いて、ジャン=ルイ・トランティニャンである。
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この決して快活とは言えない役者 (?) が今回演じるのは、題名の通り、嘘をつく男である。ただそれが、自分の保身のためとか、得をするために嘘をついているのか否か、よく分からない。彼自身、正義を助ける英雄であるのか、あるいは英雄を貶めようという下賤な男であるのか、最後まで見ても分からない。ただ、どうやら舞台になっている場所は、どこかの国に占領されていて (これを短絡的にドイツのようだと解釈するのはやめよう)、それに対するレジスタンスがテーマになっているらしいことは分かる。なにせ冒頭のシーンからこの主役のトランティニャンは、上の写真でちょっと見える通り、細いネクタイをきっちり締め、やせ型のスーツの前のボタンを締めて、つまりは、森の中で逃亡するシチュエーションではおよそありえない格好で、必死になって森の中を逃亡するのだ (笑)。そして、あっ、撃たれた!! と思われた男がその後どうなるのかは、ご覧になる方の楽しみにとっておくとして、そこから 90分程度の物語において、男が死んでいては話にならない、とだけ申し上げておこう。この男は自らをジャン・ロバンと称したり、ボリス・ヴァリサと称したりする。だが奇妙なことに、この映画においては、前者の名前の登場人物がもう一人出て来るし、後者に至っては、この主役自身がどうやらその名の墓碑銘を隠したりしている。なので、彼はジャン・ロバンでもボリス・ヴァリサではなく、要するに「嘘をつく男」であるという解釈が、最も自然なものであろうか。だがこのウソつき男、どういうわけか女には目がなくて、館に住む謎の 3人の女性 (それぞれにジャン・ロバンという人物と関係のある人たちだが) とそれぞれに懇ろになる、もしくはなりそうになる。
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私が見るロブ=グリエの映画はこれが 2本目なのであるが、この手の映画との付き合い方に、私なりのコツがある。それは、ストーリーを頭の中で必要以上に整理せず、その場を流れて行く映像と音響の組み合わせを、とにかく受け入れることである。ただそうは言っても、全く何も考えずに見ていると、それはそれで、大事な箇所を見逃してしまうかもしれない。なのでこれは、見る人の感性を大いに刺激する映画であると言えるだろう。ここで感じられるイメージの断片としては、戦争、革命、英雄、裏切り、女、集団と個、人間のもろさ、意外な偶然・・・そういったものである。その断片の組み合わせを変えるだけで、映画のメッセージはがらっと変わってしまうだろう。その危うさを遊ぶ余裕こそが、映画作家としてのロブ=グリエの手腕であり、侮れないところであると思う。決して退屈な映画ではないのだが、本当に真面目な人には、そのストーリーがいい加減に見えてくるかもしれない。文化とは、一筋縄ではいかないイメージの連鎖で遊ぶことでもあるだろうから、やはりこの監督の遊びにうまく付き合いたいものである。この謎めいた館の中に、謎めいた女性が 3人。
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この作品はもともと、ホルヘ・ルイス・ボルヘスの短編で、アイルランド独立の英雄が実は裏切り者であったという内容の「裏切り者と英雄のテーマ」という作品にヒントを得ているという。加えて、プログラム冊子によると、作品のモチーフとして、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」や、プーシキン原作によるムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」、また、ピランデッロの「作者を探す六人の登場人物」やフリッツ・ラング、カフカへのオマージュが指摘されている。なるほどそれらの多くは私ごときの知識でもカバーできるが、正直なところ私には、それらはあまり重要な情報ではない。私がここで見たいのは、あるいは感じたいのは、このロブ=グリエという人の、一般人とは異なる感性である。あ、一般人とは異なると言えば、本作でキーを握る薬剤師を演じるこの女優が気になる。
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何やら目力のあるこの人、名前をカトリーヌ・ロブ=グリエと言って、もちろんアラン・ロブ=グリエの奥さんである。実は彼女はロブ=グリエの映画には大抵出演しているようで、なかなかにユニークな経歴の持ち主であるようだ。それについては、次の記事で触れてみたいと思う。それにしてもロブ=グリエの作品を見ていると、ストーリーがどう転がるのか分からないから、一瞬たりとも油断できないのであるが、それは同時に、ちょっと油断してストーリーが先に進んでも、あまりこだわらずともよい、という意味にもなる。だからこのように、革命の闘士から命を狙われても、鷹揚に笑っていたいものだと思うのである。その手には乗りませんよ、ロブ=グリエさん!!
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by yokohama7474 | 2018-12-26 01:01 | 映画 | Comments(0)

朝倉彫塑館

先日、錦糸町のすみだトリフォニーホールで、アントニ・ヴィット指揮の新日本フィルによる第九を聴いたあと、その次に聴くサントリーホールでのジョナサン・ノット指揮の東京交響楽団のコンサートまでに若干の時間があった。錦糸町という場所柄、上野が近い。その場所で開かれている展覧会に、見たいものが幾つかある。だが、大規模な展覧会を見るには、少し時間も気分もタイトである。そして私は思い出した。ちょうどいい、お気に入りの場所がある。それはここだ。建物の壁は黄色いのではなく、夕陽を反射しているためにそう見えている。私が現地に辿り着いたのは、最終入場時刻である 16時の直前であった。
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台東区立、朝倉彫塑館。JR 日暮里駅近くの小さな施設である。実は私は今でこそ、何食わぬ顔で (?) 東京 23区の最南端の川沿い地区に住んでいるものの、本来の東京での居場所は、都内北東部。だからこの朝倉彫塑館のあるあたりは、若い頃から庭のようなもの。だが私がこの施設を訪れるのは、随分と久しぶりである。多分 20年ぶりくらいではないか。一時期は改装していたと記憶するが、今では台東区の施設となっている。言うまでもないことだが、これは近代日本を代表する彫刻家、朝倉文夫 (1883 - 1964) の旧アトリエ兼住居。国指定の名勝、かつ登録有形文化財なのである。
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私の若い頃は、この朝倉文夫のことを、舞台美術家の朝倉摂の父という表現をよく聞いたものだが、その朝倉摂も 2014年に 91歳で鬼籍に入ってしまっている。その意味では、私の若い頃よりも今の方が、もしかすると朝倉文夫の名前が縁遠いものになってしまっているかもしれない。だが、日本の近代美術に興味のある人なら、彼の代表作「墓守」(1910年作。この朝倉彫塑館所蔵の石膏原型は重要文化財) を知らない人はいないだろう。
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この静かに佇む老人には、彼が背負ってきた人生が見える。実に見事な人間表現である。私が訪れたときには、ちょうどアトリエでこの作品と対面することができた。このアトリエは大変広壮で、3階まで吹き抜けになっており、天井の高さは 8.5mもある。
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上の写真で奥に鎮座する巨像は、日本史でその名を習う、外務大臣小村寿太郎の肖像。そして右端に見えるのは、早稲田大学にもその雄姿を見せる、同大学の創立者である大隈重信像である。実はこのアトリエ、巨像であってもそのまま制作できるよう、床の一部が昇降式 (地下 7m!!) になっている。今回久しぶりに訪問して、その昇降機がどこにあるのか分らなかったので、係の方に尋ねると、小村寿太郎の巨像が置いてあるあたりだという。まぁ確かに、今後その昇降機を使って大彫刻を制作することはないだろうし、昇降機を観覧客に見せる必要もないだろうから、巨像の下になっているのはやむないとも思われるが、それにしてもこの小村寿太郎像は巨大だ。一見してブロンズであり、この大きさなら何トンもあるだろう。と思ってまた係の方に尋ねると、なんと、この小村寿太郎像と大隈重信像は、特殊なプラスティック製である由。この巨大な小村寿太郎像も、重さはわずかに 100kg という。そうであれば、またいつの日か、観覧客が昇降機が動くところを見ることもあるのかもしれない。

この施設では、館内も庭も撮影禁止とのことで、残念ながらその驚くべき遺構をつぶさに紹介することはできないので、歴史的なものや美術に興味のある向きは、是非現地でご覧頂きたいが、アトリエに隣接する住居は和風であり、巨石を幾つも使った庭も見事なら、朝倉の蔵書をそのまま残した、天井まで伸びる巨大な書棚も驚くべきもの (美術関係以外に、科学技術関係の本も多かった)。この場所は、朝倉の死後僅か 3年にして一般公開されたらしいが、本当に芸術家の息吹をそのままに感じられる場所である。ちょうど前項で採り上げた藤田嗣治 (朝倉より 3歳下であるだけの同世代人だ) もそうであったが、朝倉は猫が大好きで、この施設にも沢山の猫の彫刻があって、動物好きとしてはなかなかにたまらん雰囲気である (笑)。これは、「吊るされた猫」(1909年作)。猫ってこんな格好しますよね。
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これはそれより 40年近く後に制作された、「よく獲たり」(1946年作)。上に掲げた朝倉の肖像写真に写っている作品である。きっと作者もお気に入りであったのだろう。
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屋上に出て見ると、そこは撮影禁止の表示がなく、ちょうど暮れて行く時間帯であったので、抒情的な写真を撮ることができた。屋上はこのように庭園となっており、この場所で弟子に対する教育も行っていた朝倉は、園芸を必修科目にしていたという。
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そこに飾られた彫刻たちも、昼と夜の狭間で、神秘的な表情を見せていて、しばし立ち去りがたい思いに駆られてしまった。
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ここで観覧を終え、館外に出て、もう一度入り口あたりの彫刻を見てみる。これは「生誕」という作品 (1946年作)。戦後日本の新たな歩みへの祈願を、誕生釈迦仏のポーズで表したものであるという。
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こちらは 1906年と、随分遡る時代の制作になる「進化」。東京美術学校の卒業制作であるという。ここには何やら辛辣な人間への風刺があるように見える。これもまた朝倉の一面なのであろう。ちょうどこの「進化」と「誕生」の位置関係は、前者の様子を後者がジロジロ見ているというもの。もしかするとここに、朝倉の戦後日本への批判的な視線があるのかもしれない。
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そして、屋上では後ろ姿しか見えなかった男の姿の彫刻を、下から仰ぎ見ることができる。この建物を守っているのだろうか。それとも、人類の行く末を見据えているのだろうか。
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そして私は見逃してはいない。和室から中庭越しに見えた、何かの建物の上に設置された女性の彫刻を。だがその彫刻の近くに寄ることはできないようだ。なのでそこで一計を案じてみた。ちょうどこの朝倉彫塑館に向かって左手に見える細い小路に入って行くと、閉ざされた門越しに、その女性像の後ろ姿を見ることができた。きっと男性像と対になるものだと思うのだが、特にそのような内容の解説を見ることはできなかった。だが、そこにはきっと、何らかの朝倉の意思があるのであろう。
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さて、私としては勝手知ったるなじみのエリアであるので、懐かしさに駆られて、しばしあたりをふらついてみることとした。これは、あの有名な夕焼けだんだんから見る谷中銀座の入り口。外国人を含む多くの人々で賑わっていた。この土地になじみのない人にとっても、なんともノスタルジックな風景であろう。
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次のコンサートに向かう前に、通りかかった煎餅屋で、手焼き煎餅を購入。帰宅してから、私と同じくこの界隈に親しみを持っている家人と分け合って食べたのである。2018年も暮れて行く中、慌ただしさをちょっと忘れる瞬間であった。

by yokohama7474 | 2018-12-25 00:22 | 美術・旅行 | Comments(0)