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さて、このブログではもう何度も書いてきたことであるが、マーラーの超大作、交響曲第 8番変ホ長調は、世界のどんな大都市でも、せいぜい数年に一度演奏されればよいといったところ。欧米の音楽ファンには、この曲の実演を聴いたことがないという人も多いのではないだろうか。それは、「千人の交響曲」というニックネームで分かる通り、異常なほどの大編成を必要とするため、よほど寛大なスポンサーを持たない限り、そもそも経済的に成り立たないことが最大の原因であろう。だが、そんなマーラー 8番を、ほぼ毎年、あるいは 1年のうちでも数回、聴くことができるというのが東京だ。このブログでも、井上道義指揮、読売日本交響楽団の演奏を記事にしてから僅か 3ヶ月半で、またこの曲の演奏である。イタリアの俊英、アンドレア・バッティストーニと、彼が首席指揮者を務める東京フィルハーモニー交響楽団 (通称「東フィル」) のコンビによる演奏だ。会場は新宿文化センター。新宿区の施設で、バッティストーニと東フィルは過去に、このブログでもご紹介したヴェルディのレクイエムや、私は聴けなかったが、オルフのカルミナ・ブラーナなどをこのホールで演奏している。チラシを見ると「フレッシュ名曲コンサート」とあるが、調べてみるとこれは、東京文化会館 (= 東京都) が、都内の市町村と共催しているコンサートシリーズのことらしい。ということはつまり、東京都や新宿区がこのコンサートに資金援助しているということだろう。なるほど、そのような事情によって、この超大曲の演奏が可能になっているわけである。地方自治体の文化行政にも様々あるが、これは大変意義深いものであると思う。

バッティストーニは年末の東急ジルヴェスターコンサートで東フィルを指揮して、「アイーダ」の大行進曲で年越しを迎えた。私は録画を自宅で鑑賞したが、カウントダウンに向けた突進によって、少し早く終わりそうになってしまい、最後の和音をぐいーっと伸ばしていた。オケの人たちは苦しかっただろう (笑)。その後のインタビューで「わざとです」と言っていたが、まぁ何事も、完璧でない方が返って面白い。そんなライヴな感覚をいつも聴かせてくれるのが、この指揮者なのである。東フィルではロシア音楽とイタリア音楽を採り上げる機会が多く、マーラーの交響曲を指揮した機会は、過去に 1番「巨人」があったように思うが、それだけではないだろうか。この、マーラーとしても最も規模が大きく複雑な曲に挑むには、やはりそれなりの覚悟がいるだろう。
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今回の演奏のひとつの特徴は、合唱団が地元新宿のアマチュアメンバーから成っていること。合唱団は新宿文化センター合唱団となっているが、これは 1982年に第九を歌うために結成され、それ以来定期的に一般公募によってメンバーを募って、数々の演奏を行ってきた由。2年前にこのブログで採り上げたヴェルディのレクイエムでも同じ合唱団が歌っていた (指導は山神健志という指揮者)。それから児童合唱は 4団体合同で、そのうち 2つは新宿区の小学校の合唱団である。今回ステージを見ると、奥のひな壇にかなりの密度で合唱団が陣取っていたが、真ん中に児童合唱、それをコの字形に取り囲むようにして大人の合唱団が位置していた。ステージの大きさの制限によるものか、児童合唱は時々座っていたが、大人の合唱団は 80分の演奏中、なんと立ちっぱなしである。見たところご年配の方もおられるのでちょっと心配したが、音楽への情熱によって、どなたも最後まで立ったまま朗々と歌い切った。ざっと目で見て、300名ほどの規模かと思ったのであるが、プログラム冊子に掲載されている新宿文化センター合唱団のメンバーは、総勢 314名。内訳は、ソプラノ 117、アルト 104、テノール 41、バス 52。大変な人数であり、客席には合唱団員の家族・友人の方々も多くおられたことだろう。尚、大人の合唱団は譜面を見ながらの歌唱であったが、児童合唱は暗譜であった。

さてこの演奏、どのように表現しようか。曲の内容にふさわしい高い燃焼度が、クライマックスではすべての奏者の思いをひとつにしていたことに、私は大変感動した。その一方で、ホールの響きの特性によるものか、あるは 1階真ん中あたりという私の席の関係か、これだけの規模の合唱団の声が、今一つ強烈に迫ってくるという感じがしなかった点は、いかにも残念であった。オーケストラも、やはり残響の少ないこのホールでは若干のハンディを強いられたと思うし、時折技術的な課題も感じさせた。それから、最近のホールと違ってこの開館 40周年を迎えるホールでは、バンダ (別動隊) が陣取る場所が限られてしまい、今回の 2階席での演奏では、残念ながらホール全体を揺り動かすほどの音響にはならなかった。だが、どうだろう。そのような事情は様々あれども、「わが街新宿」で、この超大曲が鳴り響くこと、それ自体の意味を考えると、音楽の持つ社会的な使命や、またそれを楽しもうと思う人々の文化的欲求という点で、細かいことは一切気にならなくなる。少なくとも、この演奏に参加した人たちは全員、この日のことを一生忘れないと思うし、それが人々の生きる糧となることは、間違いないだろう。こんなに素晴らしい体験は、そうそうあるものではない。バッティストーニの指揮自体は、いつものように情熱的なもので、独特の霊感でオケを強くリードしていた。この曲は、その構えの大きさの割には繊細な部分も多くあり、彼の指揮はそのような細部においても、常に生気に満ちたものであった。そして美しい箇所は、本当に美しく演奏されていた。また何年かすれば、さらに深い呼吸の演奏になって行くだろうと思うけれども、バッティストーニと東フィルのコンビは、既にお互いをよく分かっていることは、聴いていて明らかだ。マーラー自身によるミュンヘンでの初演以来 109年を経て、この極東の地でこんな演奏が展開されているとは、作曲者が知ったら驚くだろう。これが初演の際の様子。
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歌手について少し書いておきたい。舞台上に並ぶ 7名のソリスト (ソプラノ 2、メゾソプラノ 2、テノール、バリトン、バス各 1) は、合唱団の前ではなく、ステージ前方、指揮者のすぐ前に陣取った。いずれも二期会の歌手たちで、テノールの福井敬とバスのジョン・ハオは、つい一週間前にロレンツォ・ヴィオッティ指揮の東京交響楽団によりヴェルディのレクイエムで聴いたばかり。今回も福井は出色の出来で、第 2部のクライマックスに導く歌唱は見事であった。バリトンの青山貴も安定した出来。また女声陣も、ソプラノの木下美穂子やメゾの中島郁子、小林由佳、また栄光の聖母 (ステージに向かって左手の壁の 2階部分のスタッフルーム? のガラスが外されていて、そこから登場) を歌った安井陽子もよかったが、若手の今井実希が、実績ある歌手たちの中でも臆せず伸び伸び歌っていたのが、清々しいと思った。

新宿文化センターでは近年、クラシックのコンサートはあまり開かれて来なかったと記憶しているが、最近では演奏機会が増えているのは、新宿区の方針であるのだろうか。そうであればこのホールも、少し改修した方がよくはないだろうか。開館から 40年を経て、カーペットや階段の滑り止めに痛みが見えるし、いつも売店が閉まっていて淋しい。バリアフリーという概念のない時代の建物だから、トイレに行くのに階段を下りる必要がある点もいささか不便である。そしてなにより、音響。様々なホールで、床の高さを変えたり、反響板を設置したりという努力と工夫によって、音質改善がなされている。なかなかお金のかかることではあるが、このホールがよりよい音楽の場となるためには、できればそのようなことがあった方がよいと思うのだが、いかがであろうか。

by yokohama7474 | 2019-01-20 01:18 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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世界で大人気の「ハリー・ポッター」シリーズ 8作に続いて始まった「ファンタスティック・ビースト」シリーズの第 2作である。前作「ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅」は、2017年 1月 4日の記事で採り上げた。この 2作、「ハリー・ポッター」シリーズの原作者である J・K・ローリングが、原作はもちろん、脚本まで手掛けているので、「ハリー・ポッター」シリーズから続く正式なシリーズと位置付けることができる。ここでは魔法使いたちと人間たちの人知れぬ確執が描かれていて、実はその内容は、全く子供向きではない。このことは意外と認識されていないのではないだろうか。いや、私の思うところ、「ハリー・ポッター」シリーズも決して隅から隅まで子供向きということではなく、何やら禍々しいものたちとの対決は、子供にはなかなか分からないものだと思う。前作と同じ 11月23日に封切になったこの映画、明らかに正月の家族向けであったと思うのだが、これを家族で見た人たちは一体どう思ったのか、大変に興味がある (笑)。今確認したところ、封切から 2ヶ月近く経った今でも、かなりの数の劇場で未だ上映中である。

さて、前作についての自分の記事内容を、例によってすっかり忘れていたので、今回読み返したところ、おっ、なかなかいいことを書いている。つまり、前回少しだけ出演していたが、映画の宣伝には名前が出ていなかったある役者が、「次回作から堂々と登場してくるのではなかろうか」と書いたところ、まさにその通りとなっている。その役者とはこの人だ。
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もちろん、現代最高の俳優のひとりでありながら、どうやらコスプレ系の作品がお好みであるらしい (笑)、ジョニー・デップ。彼が演じる魔術師ゲラート・グリンデンヴァルドが今回の主役であり、原題は彼の名を引いて、「グリンデンヴァルドの罪の数々」というものである。例によって邦題は「黒い魔術使いの誕生」という、説明的なものになってしまっているが、まぁ確かに、原題の直訳では意味が分かりにくいのも確か。このあたりは日本の観客の指向や、また日本語の特性もあって、説明的な邦題でもやむなしということか。ここでの彼は、人間界におけるレクター博士さながらに、異常なほど厳重な警備が必要な、強い魔術の持ち主。しかも題名の通り、その魔術の用途が世の役に立つものではなく、邪悪なものなのである。

主役のニュートを演じるエディ・レッドメインをはじめ、前作から引き続いての登場となる役者たちが多い。だが私としては、その中には「絶対この人を紹介したい」という人は、正直なところ、あまりいない。唯一この人を除いては。
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このジュード・ローが演じるのは、あのホグワーツ魔法学校の校長であるダンブルドアの (比較的) 若い頃。劇中ではこのダンブルドアとグリンデンヴァルドは古くからの友人という設定で、いわば白魔術と黒魔術を、それぞれに体現するような存在である。実生活で見ると、ジョニー・デップが 1963年生まれ、ジュード・ローが 1972年生まれと、この 2人の年齢は少し開いている。この映画において、この 2人が直接絡むシーンは、幻想シーンを除いてはなかったような気がするのだが、見る者にとってはやはり、このような一流俳優が出演しているだけで嬉しくなってくるのである。あ、それからもうひとりをご紹介したい。
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これは実に齢 600歳を数える魔法使いで、ダンブルドアの友人であるニコラス・フラメル。フランス語読みのニコラ・フラメルと言えば、いわゆる賢者の石の製造に成功したと言われる錬金術師であるが、その年齢設定に鑑みても、これはその錬金術師ニコラ・フラメルその人が、20世紀まで生き永らえた姿であるということだろう。私が強調したいのは、これを演じているのはブロンティス・ホドロフスキーであること。このブログでは近作「エンドレス・ポエトリー」でその健在ぶりをご紹介したカルト映画監督、アレハンドロ・ホドロフスキーの息子である。私にとっては、1970年、彼が 8歳のときの父の代表作「エル・トポ」における少年役として記憶しているので、この役とは随分にタイムラグがある (笑)。この裸の後ろ姿。時の流れを感じる。
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上述の通りこの映画、とても子供向きではなく、かなり深刻な内容になっている。つまり、強大なパワーを持った黒い魔法使いグリンデンヴァルドが、人間界を亡きものにしようとしているというストーリー。そのテーマの重さゆえであろうか。ここに登場する不思議な動物たちの様子に癒されることとなる。以下、ニフラーとボウトラックル。
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今回登場する魔法動物たちの中には、東洋のものもいる。これは中国の怪獣、ズーウー。そして、日本の河童も、「カッパ」として出て来る。このあたりは、作り手側が今後の設定を見据えて、東洋のイメージを作り出しているのだろうか。
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上にも書いた通り、ここでの物語はファンタジーではなく、現実世界でのもの。この映画の設定である 1927年から数年してドイツに実際に登場する、グリンデンヴァルド並の強烈なアジテーター=独裁者のイメージも出て来る。これは何を意味しているのだろうか。原作者 J・K・ローリングが描こうとしているのは、もしかすると、異なるものたちの調和を重んじる精神が薄れ、集団ごとの利益を考える傾向に向かっている現代社会の暗喩であるのかもしれない。魔法使いたちがどんな能力を持っているのか、正直なところ私にはあまり分からないのであるが (笑)、小さくて多様な命とつながりを持つ主人公ニュートは、もしかすると、現代が必要としている救世主なのかもしれない。
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因みにこの作品の監督デヴィッド・イェーツは、「ハリー・ポッター」シリーズの後半 4作と、この「ファンタスティック・ビースト」シリーズ 2作を続けて監督している。人気シリーズの場合には、監督がコロコロ替わることも多いので、このようにひとりの監督が連続で続けることは、歓迎すべきことであると思う。演出上何か奇抜な点があるわけではないが、手堅くまとめている。この作品の終結部は、次の作品に向けて開かれたもの。全部で 5作となるこのシリーズ、残り 3作も私は見ることになるだろう。

by yokohama7474 | 2019-01-19 23:12 | 映画 | Comments(0)

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読売日本交響楽団 (通称「読響」) の定期公演のポスターは、いつもなかなかにしゃれているのであるが、今回のものは少なからず驚くようなものである。なんと真ん中に写っているのは、女性の裸体ではないか!! 全体がモノトーン、かつ左側がストライプになっていることで、あまり生々しいものではないが、それでもやはり、クラシックコンサートのチラシにヌードとは、かなり思い切ったことをやるものである。だがそれには理由があって、この演奏会には何やら官能的な、と言って悪ければ、人を法悦境に誘うようなタイプの音楽ばかりであったからだ。まぁ、上にある「これは私たちだけが許された恍惚の世界」というコピーには、正直私は共感できないが (読響のチラシはいつもそうで、デザインのスタイリッシュさに比べて、コピーの説得力はもうひとつだと私は思っている)、法悦とか恍惚というものをテーマにしていることは、伝わるかもしれない。もし今回の曲目のイメージを表現しろと言われれば、私ならこの彫像を挙げる。
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もちろんこれは、バロックの天才彫刻家、ジャン・ロレンツィ・ベルニーニの大傑作、「聖テレジアの法悦」。ローマで美術探訪をする人たちは皆、なかなかほかの土地では見ることのできないこの彫刻家の驚くべき作品の数々に、まさに法悦境に連れ去られるわけだが (笑)、例えばこの作品、れっきとした宗教作品でありながら、英語で言うと Sensual な表現になっていて、実際のところ、不謹慎すれすれであると思う。今回の山田と読響の演奏会の場合には、不謹慎というわけでは決してないのだが、極めて冒険的であるとは言えるだろう。こんな内容であった。
 諸井三郎 : 交響的断章
 藤倉大 : ピアノ協奏曲第 3番「インパルス」(ピアノ : 小菅優、日本初演)
 ワーグナー : 舞台神聖祝典劇「パルシファル」第 1幕への前奏曲
 スクリャービン : 交響曲第 4番「法悦の詩」作品54

今回山田はプログラム冊子にコメントを寄せているが、そこにはこのオケの首席客演指揮者としての思いが述べられていて、そして「1月の三つのプログラムは、読響との新しい一歩を踏み出すべく、それぞれに大きな特徴を持つように選曲させて頂きました」とある。その三つのプログラムのうちのひとつはこのブログでもご紹介し、その記事の中で、私が聴けなかった、残るひとつのプログラムもご紹介した。確かにそれぞれに個性豊かな選曲であるが、それにしても今回は思い切っている。心配された (いや、私が勝手に心配していた) 聴衆の入りも、8割弱であろうか、まずますであり、これは指揮者もオケも張り切る材料になっただろう。

最初の作品の作曲者、諸井三郎 (1903 - 1977) は、日本の現代音楽のパイオニアのひとりである。ドイツに学んでいて、同世代でフランスに学んだ池内 (いけのうち) 友次郎とは対照的なキャリアでありながら、この 2人は同様に、多くの門人たちを育てたことでも知られている。この諸井の場合、息子の諸井誠がやはり作曲家であり、一時期は音楽評論家として盛んに活動していたこともあってなじみがあり、私などは、諸井三郎という作曲家のことを「諸井誠の父」として最初は認識していたものである。近年盛んに演奏されているとはとても言い難い諸井三郎の作品を、定期演奏会の最初に持って来る山田の勇気には、拍手を送りたい。この「交響的断章」、私は確か以前に録音で聴いた記憶があったので、手元の CD を調べると、やはりあった。
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これは 1978年に行われた諸井の追悼コンサートのライヴ録音で、指揮をしているのは、日本音楽史上において山田和樹に先立つもうひとりの、というより、本家本元の「ヤマカズ」、山田一雄である。本作のほかに、遺作となったピアノ協奏曲第 2番 (ソロは園田高弘) と交響曲第 3番が収録されている。この 15分足らずの「交響的断章」、久しぶりにこの CD で聴き返してみて連想したのは、セザール・フランクの音楽である。ベルギー生まれのこの作曲家は、いわゆるきらきらしいフランス風よりも、中音部が充実したドイツ風に近い作風で知られているし、同じ主題が何度も還ってくる、いわゆる循環主題の手法が特徴的。その意味でこの「交響的断章」、フランク的 (またそこにはある種の宗教性もある) と言えるように思うが、今回の実演ではむしろ、細部まで目の行き届いた音響設計が印象的で、特にフランク的とは思わなかった。 諸井は音楽の専門教育を受けておらず、東京大学文学部の卒業 (学科は、ざっと調べても情報がないが)。同世代で東大に在籍した河上徹太郎、三好達治、今日出海、小林秀雄や、小林を介して中原中也といった錚々たるメンバーと親交を持っていたという。学生時代に仲間たちとともに音楽グループ「スルヤの会」(スルヤとはインドの太陽神らしい) を結成し、この「交響的断章」も、1928年 (作曲者 25歳のとき) のスルヤ第 3回演奏会で初演されたと考えられているという。実は、プログラム冊子にはそれほど多くの情報はないが、上記 CD に例によって (?) 情熱的な解説を寄せている片山杜秀によると、この 1928年のスルヤ演奏会は、実は昭和天皇の即位の大礼の前日であったらしい。もしかすると山田は、そのような背景もあって、新天皇即位の今年、この曲を演奏する意味を感じて、採り上げたものかもしれない。実に意欲的である。

そして 2曲目は、同じ日本人作曲家の作品とは言っても、上記の諸井の作品から 90年を経た昨年、世界初演され、今回が日本初演となった、藤倉大のピアノ協奏曲 3番「インパルス」である。藤倉については過去にもこのブログで何度か言及してきているが、1977年生まれだから山田より 2歳上の同世代。世界で活躍し、今や日本を代表する作曲家である。これは 2016年に藤倉の合唱曲を初演した山田和樹との写真。
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この新作ピアノ協奏曲は、読響とモンテカルロ・フィル、スイス・ロマンド管との共同委嘱であるという。言うまでもなくこれらの 3つのオケはすべて、山田がポストを持っているところばかりであり、要するに山田和樹委嘱と言ってもよいものであろう。昨年 10月、モンテカルロで初演され、今回の読響との演奏を経て、来年にはスイス・ロマンド管で演奏されるという。ピアノは、これもまた日本を代表するピアニストのひとり、小菅優。古典から現代ものまでなんでもできる人で、私は先日川崎でのモーツァルトのコンチェルトの弾き振りを聴き逃したので、今回の演奏会を楽しみにしていたのである。
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25分ほどのこの曲、「インパルス」という副題がついている。この言葉はもちろん「衝動」という意味だが、藤倉が意図したインパルスとは、「体内の細胞レベルで繰り返される電気信号」であり、「音楽は常にインパルシヴ (衝動的) に動き始める」とのこと。実際に聴いてみると、確かにピアノから発される音がオケに伝わって反応が起こり、それがかたちを変えて続いて行くような音楽である。耳にはかなり心地よく、ミニマル風に響くところもあって、多くの人々に受け入れられやすいだろう。小菅のピアノは期待通りタッチの澄んだもので、強い集中力で、オケとのインパルスのやりとりを十全に表現したと思う。途中にかなり長いカデンツァもあり、演奏は難しいと思うのであるが、全曲を通して独特の美学で貫かれているので、曲に共感すれば、技術面を超えたメッセージが沸きあがってくるものであろう。演奏後は作曲者もステージに上がり、嬉しそうに見えた。アンコールとして小菅が聴衆に告げたのは、「藤倉大さんが昨年作曲された、『ウェイヴス』という作品です」とのこと。これも澄んだ音楽で、なかなかの佳曲であると思った。YouTubeには小菅の弾くこの曲の映像があるが、そこにはなんと、ポール・クロスリーという人のコメントがあって、「ダイのピアノ曲全曲の録音が必要だ (原文は過去形だが、タイポ?)。実に素晴らしい!!」とある。クロスリーはフランス近代ものなどで知られる名ピアニストで、もしこれが本人のコメントなら、是非録音をお願いしたいものだ。

このような日本の作品 2曲が演奏された前半に対し、後半では、ワーグナーとスクリャービンという、いずれも、魔術的な作曲家の作品が演奏された。最初の「パルシファル」前奏曲は、曲の神秘性を着実な歩みで音にしていて、見事であった。この作品の冒頭の弦楽器は、中音域が充実していて、チェロが入っているのは分かるのだが、それと合わせているのはヴィオラかと思いきや、実は、第 1ヴァイオリンと第 2ヴァイオリンの奏者のうちの半数なのである!! 実に繊細な音響設計であることを、改めて認識した。静謐な宗教性と、忘我の陶酔の世界を併せ持つこの作品は、今回の演奏会にふわさしい。

最後の「法悦の詩」は、スクリャービンの交響曲の中では最も知名度の高い作品だが、巨大管弦楽にオルガンまでが加わり、実に目くるめく音響がうねり続ける 20分ほどの曲。山田と読響の演奏は、音楽の進み方の見通しもよく、最後の大音響 (そのまま終わらずに一度切れるあたりが変化球だが) も圧倒的であった。ただ欲を言うならば、さらにさらに深い陰影があればよかったという気もする。読響はもちろん大変レヴェルの高いオケであるが、さらに凄みのある音も、きっと出せるように思うのである。

このように振り返ってみると、陶酔と覚醒が繰り返しせめぎあう、なんと大胆な選曲だったのだろうと改めて思う。日本の音楽界は、このような意欲的な取り組みによって、さらに多様性が増して行くことは間違いないだろうし、その道を切り拓いていく中のひとりが、山田和樹という指揮者であることもまた、間違いないと思うのである。
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by yokohama7474 | 2019-01-19 14:39 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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このブログでは過去の演奏を何度も激賞してきた北オセチア出身の名指揮者、トゥガン・ソヒエフが、NHK 交響楽団 (通称「N 響」) の指揮台に還ってきた。この指揮者がこのところ毎年 N 響を指揮するのを鑑賞できることは、東京の聴衆の持つ特権であるとすら言ってもよいと思う。ソヒエフは 1977年生まれの 41歳。長らくフランスのトゥールーズ・キャピトル管の音楽監督を務めているほか、現在はモスクワのボリショイ劇場の音楽監督でもある。
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私は昨年 (2018年) 彼がトゥールーズ・キャピタル管と来日した際、3月15日の演奏会について記事を書き (記事の日付は 2018年 3月16日)、そこには、終演後のパーティーで私が厚かましくもソヒエフに単独突撃インタビューを行ったことを書いたので、ご興味おありの場合は是非ご覧頂きたいのだが、ひとつだけそこから引用しておきたい。N 響についての印象を尋ねてみたのである。

QUOTE
私「NHK 交響楽団はどうですか」
ソヒエフ「(真剣な顔つきになって) NHK の素晴らしいところは、過去の楽団の歴史をそこに残しているところです」
私「それは、例えばドイツ音楽の伝統があって、そこにフランスの味が加わり、そしてさらにグローバルになっているということですか?」
ソヒエフ「(うなずいて) その通りなんです。実はそのような、楽団の歴史が音に残っているような例は、ヨーロッパでは減っています。N 響はその点、技術が高いだけではなく、自らの伝統に敏感である点、素晴らしいと思うのです」
UNQUOTE

うーん、なんと示唆に富んだ言葉であろうか。まさに今世界の最前線で活躍しているマエストロが言うのだから、重みのある言葉であり、我々東京の聴衆こそ、その言葉に耳を傾けるべきだと思うのである。そんなソヒエフが今回指揮したのは、以下のような曲目であった。
 フォーレ : 組曲「ペレアスとメリザンド」組曲
 ブリテン : シンプル・シンフォニー作品 4
 リムスキー=コルサコフ : 交響組曲「シェエラザード」

もともとソヒエフのこれまでのレパートリーの中心は、なんと言ってもフランス音楽とロシア音楽。その点今回も、最初がフランス音楽で最後がロシア音楽。だが真ん中のブリテンは英国音楽で、ここに少しひねりがあるとも言えようが、順番に感想を書いて行こう。まず最初のフォーレの「ペレアスとメリザンド」。これは有名な「シチリア舞曲」を含む、なんとも美しい音楽 4曲から成っているのであるが、今回指揮棒を持たずに指揮をした (これは 3曲ともそうであった) ソヒエフの、まさに魔術的手腕が聴き物であった。彼の指揮を見ながら、響いて来る音に耳を澄ませると、音楽においては呼吸がいかに大切かという当たり前のことを、改めて実感することになる。その身振りに応じて実にしなやかに音がうねり、また伸びて行く。これはまた、指揮者とオケの意思疎通が相当にうまく言っていないと、不可能なことではないだろうか。N 響の奏でる音の密度も濃く、表情が千変万化するので、ほんの 20分くらいの曲が、その倍くらいあるように錯覚するほど、聴きごたえのある演奏であった。

表情の千変万化と言えば、次のベンジャミン・ブリテンのシンプル・シンフォニーもそうである。これは、4という若い作品番号が示す通り、1934年、音楽大学卒業の前に書かれた弦楽合奏用の曲で、実はその素材は、9歳から 12歳までの頃に書かれたピアノ曲や歌曲などであるらしい。これが少年時代のブリテン。利発さに加え、ちょっと斜に構えた様子を見て取りたくなりませんか (笑)。
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このシンプル・シンフォニーという曲、いわばクラシック音楽の入門曲のひとつのようでありながら、実際には、実演で耳にすることはあまり多くないと思う。私も今回、録音/実演を通じて、かなり久しぶりに耳にした。この曲は、シンプルと名付けられている通り、実際にシンプルに響くとも言えるのだが、例えばプロコフィエフの「古典交響曲」に比べると、全体を通して一貫したトーンというものがあまりなく、実はそれほど「単純」な曲ではない。ブリテン後年の作品の数々を知っていると、一見古典的でありそうで、実は複雑な要素を持っているこの曲には、既にしてこの作曲家の持ち味が充分に表れていることが理解できる。それがゆえに、この曲をもったいぶって指揮する指揮者はあまりいないだろうし (笑)、飽くまでシンプルに響かせながら、様々に変わる表情をうまく聴かせる必要がある。そのように思うと今回のソヒエフと N 響の演奏は、実にあっけに取られるほど、素晴らしいものだったのではないだろうか。ここでは弦楽器だけであることもあってか、ソヒエフの身振りがストレートに音になっているのが随所に感じられ、やはり音楽の「呼吸」に感動を覚える演奏であった。プログラム最初のフランス音楽と、最後のロシア音楽、しかもいずれも 19世紀に書かれた音楽の間に、20世紀英国の作品が入ることで、演奏会の陰影が深くなったと思う。同じ英国音楽でも、もしこれが同じブリテンの「青少年のための管弦楽入門」なら、ちょっと華やかすぎて後半の「シェラザード」がかすんだかもしれないし、かといってエルガーの「エニグマ変奏曲」でも、やはりちょっと重すぎる。絶妙の選択であったと思う。

そして最後の「シェエラザード」。先日の山田和樹と読響の同曲の演奏 (それは素晴らしいものであったわけだが) を思い出すと、音楽の表情だけ取れば、今回の方が相当に濃厚だ。だが、ソヒエフの持ち味は、濃厚だからと言って鈍重になるわけではない点である。あえて言ってしまえば、そんなソヒエフの演奏は、ロシア圏出身の指揮者でありながら、いわゆるロシア的な演奏ということにはならず、音楽の持ち味を素直に引き出していると表現すべきもの。それにしてもやはり、彼の両手には魔法が籠っているようで、冒頭のアラブの王の重々しいテーマには、何か風がぐわーっと吹いてくるような感じがあったし (つまり、ここでもキーは「呼吸」である)、その後始まる航海の情景は、まさに海がうねっているような、ダイナミズムときらきらしい美感が両立するような、素晴らしいものであった。つまり、ここでソヒエフが N 響から引き出した音には、最初から最後まで、かなり理性的な統御があるのであり、大音量で暴力的に聴衆を圧倒しようという意図は、全く見受けられなかった。それゆえ、第 2楽章の揺蕩いには落ち着きがあったし、第 3楽章の抒情は、隅々まで神経の行き届いた見事な彫琢がなされていて、そして終楽章の祭や船の難破のシーンにしても、熱狂に我を忘れるということにはならず、ましてや、いわゆるロシア風の野性的咆哮ということでもない、音楽としての美しさが常に感じられた。そのような音楽作りには、おなじみのコンサートマスター、篠崎史紀のヴァイオリンがぴったりで、濃厚な表情と美感の両立が、そこには聴かれたと思うのである。期待通り、聴きごたえ充分の演奏であった。

ところで、よく知られている通り、「シェエラザード」の作曲者、ニコライ・リムスキー=コルサコフは、もともと軍人の家に生まれ、若い頃は海軍の士官候補生であった。これがその頃の写真。髭を蓄えてはいるものの、1866年の撮影だから、弱冠 22歳。代表作「シェエラザード」作曲の 22年前である。
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彼の海軍での経験が、この「シェエラザード」の海の描写に表れているという解説をよく聞くが、しかし、同じ海軍にいても、こんな音楽を書いた人は彼ひとりであろうし、また一方で、ただ海軍の経験があればこんな曲を書けたわけではあるまい。さらに言うとこの作曲家は、別に海の音楽ばかりを書いたわけではないのである (笑)。ここで私が思い出すのは、この R=コルサコフの生きた時代に描かれたロシア絵画の数々。そう、これも先般記事を書いたが、現在 Bunkamura ザ・ミュージアムで開催されている「ロマンティック・ロシア」展に展示されているような絵画の感性である。ロシアでは、これらの絵画や R=コルサコフの作品を特徴づける写実やドラマ性を伴う芸術活動の後、芸術は過激に前衛化するし、社会主義革命が起こるわけである。そのようなコンテクストで、この「シェエラザード」を改めて聴いてみると、爛熟した時代性が感じられるのである。そして、これもよく知られたことながら、「春の祭典」で音楽史に衝撃を与えたストラヴィンスキーは、この R=コルサコフの弟子なのである!! そうそう、「ロマンティック・ロシア」展の記事に触れたけれども写真をお見せできなかった (同展覧会には出展されていない)、アイヴァゾフスキーという画家の「第九の怒涛」という作品をご紹介したい。描かれたのは 1848年。R=コルサコフ 4歳の頃であるが、どうだろう、「シェエラザード」に通じる要素がありはしないだろうか。
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さて、ソヒエフは来週、もうひとつのプログラムで N 響定期公演を指揮し、次にはまた、今年 10月に N 響の指揮台に還ってくる。是非共演を重ねて、取り上げるレパートリーも広げて行って欲しいものである。

by yokohama7474 | 2019-01-18 00:47 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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重要文化財である東京駅の駅舎の一部を利用した美術館、東京ステーションギャラリーについては、その企画力の高さを、過去に何度もこのブログで称賛して来た。つい先頃も、知られざる江戸時代の画家、横山華山の展覧会をご紹介したばかりだが、その次に開かれているこの展覧会も、その内容のユニークさにかけては優るとも劣らないもの。会期は 1/20 (日) までと、既に残り僅かとなってしまってはいるが、もしこの記事で興味を持たれた場合には、是非現地に足を運んでみて頂きたいと思う。

吉村芳生 (よしお、1950 - 2013) の名前は一般にはあまり知られておらず、かく申す私も知らなかった。山口県の出身で、2007年に森美術館で開かれた「六本木クロッシング 2007」(3年に一度開かれている現代美術の展覧会。2007年に開かれたということは、今年 2019年にも「六本木クロッシング」は開かれるわけだ) で注目されたが、病を得て 2013年に死去してしまったという。このブログでも、頻度は多くないが、時折現代美術をご紹介することがある。私自身は古今東西、どんな美術作品でも興味があるので、自分の知らない作家の作品に触れることは、本当に大きな喜びなのである。だがそもそも、現代美術なるものをいかに評価すべきかについての自分なりの問題意識は常に存在していて、どんな現代アートも面白いという感覚は全くないどころか、むしろ批判的に見てしまうことが多い。だがこの吉村芳生の作品には、そんな私でも大いに感銘を受けるだけの内容が存在している。以下、この展覧会の概要の紹介を通じて、そのあたりの感覚を述べてみたい。展覧会の副題に「超絶技巧を超えて」とあるが、その意味が少しでも伝わればよいと思う。尚、以下の写真は、最後の 1枚を除き、いつもの通り図録から撮影しているのであるが、この展覧会の展示方法自体に興味のある方は、是非「美術手帖」のサイトをご覧頂きたい。多くの会場風景が写真で紹介されていて、大変に分かりやすい。

さてこの吉村、どのような顔であったかは、展覧会入ってすぐのこれを見れば分かる。
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これは「365日の自画像」という作品で、1981年 7月24日から 1982年 7月 23日までの、文字通り 365日の間、毎日自分の顔のポートレートを撮影したもの。あ、いや。違うのだ。近くに寄ってみて初めて分かることには、これは写真ではなく、写真をもとに描いた、鉛筆画なのである!! 1年間に過ぎていった時間を描くのに、9年 (リアルタイムの 1981年に始めて 1990年まで) かかったという。うーむなるほど。これは超絶技巧である。そして顕著であるのは、この 365枚、描かれている画家の顔には、あまり豊かな表情はない。この点をまず覚えておこう。
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そして会場で次に目にするのは、このような長い紙。
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これは 1977年の「ドローイング」という作品。全長 17mの紙に、延々と金網の模様が描かれている。これは、ケント紙と金網を重ねて銅版画のプレス機にかけ、紙に写ったデコボコの痕跡に鉛筆で立体の陰影を描いているもの。網目の数は実に 18,000個。70日間の作業であったという。これは一種のミニマルアートのようだが、上でご紹介した自画像の連続と同じく、ただ同じように続く時間や形態を淡々と描くことで、禅の修行にも似た境地に達するようなことが、あったのではないだろうか。異様なまでの根気が必要な作業で、なかなかできることではないと思う。その淡々としたモノクロームの長い時間が、画家吉村の才能の開花に大きな意味があったことは、追って分かってくることになる。いやしかし、この細部はまさに驚嘆すべきテクニックである。
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吉村はまた、何気ない風景の写真を、升目を使って拡大して鉛筆で描く「ドローイング写真」というシリーズも手掛けている。こんな感じ (1978年作「A Street Scene No.16」) だが、近づいて眺めてみると、小さな升目のひとつひとつの陰影を描いていて、それが集まって図柄を成していることが分かる。これは、完成作を見て「なるほど」と思うのは簡単だが、無から作り出すことは、ちょっと想像できないほど難しいことではないか。
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同様のシリーズから、「ROAD No.10」(1978年作) と「Fly」(1979年作)。前者はエッチング、後者はフィルムにインクと、異なる技法による作品であるが、吉村の目指したイメージのために、複数の技法が試されたことに、創作にかける彼の執念を感じる。
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さて、吉村のモノクロの世界はもう少し続く。例えばこれは、「友達シリーズ」(1981年作)。その名の通り友人たちを描いた鉛筆画であるが、最初の自画像シリーズ同様、写真そのものかのように見える。スーパーリアリズムである。
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そして、吉村のその後の活動にも直接つながる作品がこれだ。
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ん? 英字新聞か??? それはそうなのであるが、これは「ドローイング 新聞 ジャパンタイムズ」というれっきとした作品 (1979 - 80年作)。吉村は若い頃、郷里の山口県で広告代理店のデザイナーとして働いていたが、26歳で上京、版画を学びながらスタイルを模索していたという。その頃、たまたま手元の新聞が、未だインクが乾ききっていない状態であったのを見て、その紙面に薄いアルミ板を当ててプレス機で圧着。それを原版として紙を当て、再度プレスをかけ、紙に転写された薄いインクを頼りに、紙面の文章や写真を、鉛筆を使った手書きで写し始めたという。上の作品はその手法で、1979年11月 8日から 21日間分のジャパンタイムズの一面を、2年がかりで描いたものである。細部をアップで見ると、確かに手で書いてある。気の遠くなるような作業ではないか。
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これは 1984年作の「ジーンズ」。やはり写真を引き伸ばし、細かい升目に分けて、それぞれの升の色の濃さを数字でまず表し、その色を置いていったもの。これもまた、実に気の遠くなる作業である。会場には、この作品の制作過程が分かる、細かい升目の番号を示した紙が置かれていた。
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吉村は 1980年に以下のような言葉を残している。

QUOTE
私の作品は
誰にでも出来る単純作業である。
・・・私は小手先で描く。
上っ面だけを写す。
自分の手を、目を
ただ機械のように動かす。
あとはえんえんと
作業が続くだけである。
UNQUOTE

この言葉をどう捉えよう。もちろん、ある意味では文字通りに捉えてもよいのだろうが、私はここに、彼の秘めたる画家としての情熱と矜持を見る。淡々とした作業の奥に何かが見えてくるのを、彼はずっと待っていたのではないだろうか。例えばこの 1987年作の「徳地・冬の幻影」という作品は、色鉛筆で描かれているが、それは飽くまで白黒の世界。「徳地」とは、当時彼が住んでいた山口市内の地名であるという。
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ところがこの作品、吉村としては極めて珍しく、ただ見える風景を再現したものではない。細部をよく見ると、森の精霊のようなものが、そこここに描かれているのである。まるで「もののけ姫」のこだまのようであるが、吉村にはこのようなものが見えたのであろうか。
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そして吉村は、2000年代、つまり年齢的には 50代に入って、新たな境地に達する。恐ろしいまでに鮮やかな色彩の世界である。描いたのはもっぱら植物であるのだが、そこには、目に見える精霊は登場しない。だが、それらの作品は、見る人をしてその場に凍り付かせるほどの強烈な存在感がある。これは 2004年作の「コスモス」。これが色鉛筆によって描かれているなんて、どうやって信じられようか。全体と、一部のアップである。
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これも「コスモス」(2005年作) の全体とアップである。鳥肌立ちませんか。
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「タンポポ」(2004年作)。しつこいようだが写真ではない。色鉛筆で描かれている。
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このような作品群を見ていると、上でも述べた通り、この画家がモノクロの世界に潜んで淡々と作業に勤しんでいたのは、いつか来るこのような色彩の乱舞に備えてのことだったのだと思われてくる。そして 60代に入り、晩年に差し掛かる頃に吉村はさらにその画題を推し進め、いわば「神の宿る風景」のようなものを描き出した。この「未知なる世界からの視点」(2010年作) は、山口県の川べりを描いているが、その題名は、初期の頃の無機質な響きとは全く異なる、意味深いものである。全長 10.22m という、彼の最大の作品である。
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興味深いのは、吉村は、川辺の花やそれを写す水面を色鉛筆で精緻に描き、そして最後に上下を逆転させて完成としたという。つまり、最初は水面に反射しているという状態で描かれた花は、結果的には反転して、川辺で見える花そのものに変わってしまったことになる。以下、少し分かりにくいかもしれないが、一部のアップを、完成版と、それを試みに上下さかさまにしたもので見てみたい。確かに下の方 (つまり、もともと予定されていた方) が、花の黄色が鮮やかでリアルなのだが、多分吉村は、題名の通り、リアルなものよりも「未知の世界」を描きたいと考えて、上下を逆さまにしてしまったのだろう。
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これは「世界の輝く生命に捧ぐ」(2011 - 13年作)。やはり色鉛筆で描かれた大変な労作であるが、制作年で分かる通り、東日本大震災に触発されたものである。花のひとつひとつが亡くなった人の魂だと思って描いたという。間近で見ると、その精緻さはまさに神業であり、そして、そこから感じられる圧倒的な花の存在感に、身震いするほどだ。まさに展覧会の副題の通り、超絶技巧を超えて吉村が見ていたものを想像することができる。彼は実際に、命を削って創作活動を行ったのであると思う。
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展覧会には彼の遺作も展示されている。2013年作の「コスモス」。右端が白いまま残されている。この部分、ご覧のように下書きは一切なく、ただの余白である。だがよく見ると、鉛筆で薄く、升目が書き込まれている。作品全体の下絵を描くのではなく、ひと升ひと升、緻密に埋めて行くという制作方法であったことが分かる。
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さて、展覧会の最後には、新聞紙と自画像という、彼の以前の画業を思わせる夥しい数の作品が展示されている。
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これらは、実際の新聞紙の一面を拡大コピーし、それを転写して、紙面を自らの手で再現。そこに鉛筆やペンで自らの顔を描き込んだもの。この顔は、一面の記事を読んだあとに自ら撮影した写真がもとになっているとのことだ。つまり、それぞれの吉村の顔は、その時々の社会の動きに対するヴィヴィッドな反応を表していると言える。以下はすべて 2008年の出来事。
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2009年には元旦から近所のコンビニエンスストアで新聞を購入 (様々な全国紙もあり、地方紙もあり)、その一面に、やはり毎日、自らの顔を描いて行った。1月2日だけは休刊日であったので、364枚のシリーズになったらしい。つまりここでは紙面自体は本物の新聞を使っているわけである。だがそれにしても、これらの自画像の表情豊かなことはどうだろう。冒頭でご紹介した 1981年から 82年のシリーズに比べると、その点の違いが顕著である。超絶技巧の向こうに何かが見えてきた画家には、やはり人間の千差万別の表情が大きな意味を持ってきたということだろうか。
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吉村は 2011年12月から 1年間、パリに滞在したそうだが、そのときにも、パリの新聞紙の上に自画像を描き続けた。慣れない環境がつらかったらしく、ここではまた表情のヴァラエティは減っているが、世界のどこにいても自分と向き合うという画家の姿勢が伺われよう。1年間の滞在で 1,000作を仕上げたという。
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さて、このような内容の展覧会、ちょっとなかなかないと思うので、もし未だご覧になっていない方は、残りの会期中に足を運ばれることをお薦めしたい。解説によると、吉村は恐らく世界で最も多くの自画像を描いた画家だろうとのことだが、確かにこの人の顔には、なんとも言えない味がある。これは、2010年に山口県立美術館で開かれた展覧会の写真だが、当時 60歳、残された命は僅か 3年であったわけであるが、とてもそのようには見えず、充実した自らの画業への自負がにじみ出ていると思う。また、あのような精密な作業を行う神経質さはあまり感じさせず、むしろ人間らしさを感じさせる表情である。因みに画家がその前に立っているこの作品、今回の図録と照らし合わせてみると、多分 2008年作の「コスモス」(出展 No. 56) であろうと思われる。
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63歳での死は早すぎ、本当に惜しいことであったが、せめてこのような機会に、現代美術の在り方に一石を投じるこの画家の渾身の画業に思いを馳せてみたい。

by yokohama7474 | 2019-01-14 23:05 | 美術・旅行 | Comments(0)

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このブログでその演奏会を何度も採り上げてきている指揮者、山田和樹は今月、読売日本交響楽団 (通称「読響」) で 3種類のプログラムによる 4回の演奏会を指揮する。かつてこのブログでは、このマエストロ山田についての否定的なコメントが何度か書き込まれたことがあるし、また、とある全く別の演奏家のコンサートの休憩時間に、聴衆 2人が、彼が日本フィルと行ったマーラー・シリーズの悪口を言い合っているのを聞いたこともある。もちろん音楽は、聴く人それぞれの感想があるべきなので、演奏家の悪口を言うこと自体は誰にも止める権利はない。だが、もしその悪口が無知に基づくものであればどうなるか。その場合は、本当なら見えているべきものが見えていないということになり、これはなんとももったいないことだと思うのである。私にとって山田和樹は、その童顔にも似合わない硬骨漢であり、音楽への情熱に溢れ、その情熱を演奏に反映することで、聴衆を啓蒙する、そんな指揮者なのである。
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山田は現在、この読響の首席客演指揮者。それゆえ、プログラムも自ら選択できる立場であろう。今回の 3回の演奏会、順を追ってその内容がハードになると言ってしまうと、1回目 (私は聴けなかったが) の曲目、サン・サーンス 3番、ラロのチェロ協奏曲、そしてレスピーギの「ローマの祭」という内容はハードではないのかという話になってしまうが、それでもやはり、今回私が聴くことができた 2回目のコンサートの曲目は、それ以上にハードだと言っても間違いではないように思う。
 ラヴェル : 優雅で感傷的なワルツ
 ラヴェル : ピアノ協奏曲ト長調 (ピアノ : ホアキン・アチュカロ)
 リムスキー=コルサコフ : 交響組曲「シェエラザード」作品35

ここで、年が明けてからの音楽の記事で何度か書いてきた謎かけへの答えを記しておこう。今年の年頭に東京で頻繁に演奏されるのは、ロシアの作曲家 R=コルサコフの「シェエラザード」なのである。今回の山田 / 読響以外にも、トゥガン・ソヒエフ / N 響、アンドレア・バッティストーニ / 東フィルによっても今月演奏され、そしてとどめのように、月をまたいだ 2月 3日には、リッカルド・ムーティ指揮のシカゴ響によっても演奏される。この曲はアラビアンナイトを題材とした華麗な曲であり、上のポスターにある通り、まさに絢爛豪華な音楽絵巻。年初に演奏頻度が高いのは、たまたまなのかもしれないが、それでは面白くないので、終楽章に海の描写が出て来るので、新たな航海を始める新年にふさわしい、とこじつけておきますか (笑)。これは、この曲の超名演として知られる、キリル・コンドラシン指揮、アムステルダム・コンセルトヘボウ管による録音のジャケットから。曲の雰囲気をよく表している。
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さてこの演奏会、前半にはラヴェルの 2曲が演奏された。最初は「優雅 (今回の演奏会では「高雅」とあるが、それは日本語として特殊だと思う) で感傷的なワルツ」。8曲のワルツからなる 15分ほどの曲であるが、題名の通り優雅に鳴る必要があるし、その一方で、様々な曲調の中に、そこはかとない退廃も聴き取りたい。その意味でかなりの難曲だと思うのだが、童顔の山田は極めて的確にオケを操り、大変に洒落た演奏であったと思う。何気ないふりをしてこれを達成してしまうのは、かなりの手腕であると言わねばなるまい。

2曲目のラヴェルのピアノ・コンチェルトにはお楽しみがある。それは、ソリストが、1932年生まれ、現在実に 86歳のスペインのピアニスト、ホアキン・アチュカロであることだ。
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スペインのピアニストというと、かつてアリシア・デ・ラローチャという女流がいたが、彼女はスペイン物も多く弾いたが、その活動は実にグローバルであった。それに比べるとアチュカロの場合、私のイメージでは、さながらスペインの人間国宝といった感じであろうか。いや、もちろん、このアチュカロもこれまで、コリン・デイヴィス、アバド、メータ、小澤、シャイー、ラトルらと共演した実績のある国際的なピアニストであるのだが、よい意味でのスペインらしさ (構築的なドイツでもなく、感性に依存するフランスでもなく、ヨーロッパの端で異文化にさらされてきた土地の個性) のようなものが、彼の長年の活動を支えてきたのではないだろうか。この読響とは、1990、2016年に続く 3度目の共演であるそうだが、今回の曲目は、精緻なガラス細工のようであり、またジャズのイディオムを盛り込んだラヴェルのコンチェルト。フランス音楽であると同時に、また世界の名曲である。高齢ゆえに、指が回るだろうかなどと考えていたのだが、ステージに登場したピアニストの姿はなかなかにダンディで、その年齢を感じさせないような活力に満ちている。そして、鞭の一撃で始まったコンチェルトは、やはりテンポは若干遅めで、若手ピアニストのような指の回転はない。だが私は聴いているうちに思ったのだ。第 2主題が出て来てからの抒情的な部分が、本当に美しい。そこには、さながら彼が重ねてきた人生が反映されているように思われる。ということは、あの超絶的に美しい第 2楽章こそが、聴きどころではないのか。そしてその予想は当たったと思う。心に沁みる第 2楽章。この楽章では冒頭から延々とピアノ・ソロが続くのであるが、音がきれいとか正確という次元を超えた、孤独を感じながらも前を向く、そんな音楽を聴くことができた。そして、演奏開始時から不振に思ったのは、ピアノの左隣、ということは指揮者にとってもすぐ左隣なのだが、その場所に椅子と譜面台が置いてある。はて、譜めくりもいないし、一体何だろう。答えは、第 2楽章後半で、これもまた心に沁みるソロを聴かせるイングリッシュ・ホルンが、その場所で演奏されたのだ。奏者 (北村貴子という若い女性) は、第 2楽章開始前にその位置まで移動し、終わったら、またもとの場所に帰って第 3楽章を演奏した (よって、第 2楽章と第 3楽章は続けては演奏されなかった)。これには本当に感動したし、北村の演奏時の表情も、実にいいものであった。奏者にとっても忘れられない経験になっただろう。その後アチュカロはアンコールを 2曲披露したのだが、まずは客席に向かって、「ドビュッシー、月の光」とフランス語で語り掛け、その美しい名曲を演奏した。これはラヴェルの第 2楽章と共通点のある、穏やかでありながらきらきらしい音でできている音楽。そうして、アチュカロの年齢に慮ってか、オケが退場しようかとしたとき、アチュカロはやおらピアノに向かい、ショパンの前奏曲第 16番変ロ短調を弾き出した。これは大変激烈な音楽であるのだが、ここでは、全く年齢を感じさせない炎を聴くことができて、驚いた。このアチュカロは、1/21 (月) に東京文化会館で開くリサイタルで、そのショパンの 24の前奏曲全曲を弾く。それは多分、大変素晴らしい演奏会になるだろう。

そしてメインの「シェエラザード」は、実に堂々たる演奏で、山田と読響の相性のよさを聴き取ることができた。印象的であったのは、実に抒情的な第 3楽章。ここでは通常よりも遅めのテンポが取られ、しかも音楽はたっぷりとタメを作る。静かな場面でクラリネットが弱音でありながら目まぐるしく動く箇所などは、ちょっと聴いたことのないような緊張感と抒情感の両立が聴かれた。今回、コンサートマスターとしてソロを弾いたのは小森谷巧であったが、華麗な技巧をひけらかすタイプの演奏ではなく、どちらかというと淡々とした鳴り方で、賢い王妃シェラザードの話しぶりを表現した。これは実に個性的であったと思う。荒れ狂う第 4楽章でも山田のリードは危なげなく、新年早々、荒波を超えてカタルシスに至る過程 (?) を体験できたので、今年も頑張って暮らせそうだ (笑)。

ステージ上を見ていると、どうやらアンコールがあるらしいので何だろうと思うと、私が聴いたことのない、ちょっとおセンチなほどの抒情的な小品であった。これは、ヴァージャ・アザラシヴィリ (1936年生まれ) の「ノクターン」という曲。この作曲家の生まれは、かつてグルジアと呼ばれていたジョージア共和国。そのことは名前から分かるのだが、なぜなら、同国出身のヴァイオリンのリサ・バティアシヴィリや、ピアノのカティア・ブニアティシヴィリと共通する響きであるからだ (もっとも私は、この二人の苗字をどうしても覚えられないのだが。笑)。帰宅して調べたところ、このアザラシヴィリの「無言歌」という曲が、山田が指揮者を志すきっかけになったということだ。この作曲家の作品を聴ける機会は多くないが、昨年 2月に山田は手兵である横浜シンフォニエッタと、彼の作品による演奏会を開いた由。寡聞にして、知りませんでした・・・。このような大柄の作曲家である。
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これだけ多彩な演目をこなすだけでも大変だと思うのだが、本当に山田の活動からは目を離せない。そして、読響との次のコンサートはまた、さらに驚愕の内容なのである。もしそれに行くことができれば、またレポートしてみたいと思う。

by yokohama7474 | 2019-01-14 00:49 | 音楽 (Live) | Comments(4)

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東京交響楽団 (通称「東響」) が、本年初の定期演奏会で採り上げるのは、イタリアの偉大なるオペラ作曲家、ジュゼッペ・ヴェルディの名曲、レクイエムである。レクイエムとは当然、死者のためのミサ曲のこと。おめでたいはずの新年早々の演奏会で、死者のためのミサ曲とは、あまり聞いたことはないように思うが、この曲は、レクイエムとはいうものの、まるでオペラのようなドラマティックな音楽に満ちている。その意味では、決してしんねりむっつりした曲目ではないゆえ、前向きに生きて行こうという思いを鼓舞する面もあるとも言える。と、一応こじつけてはみるものの (笑)、選曲としてはかなり大胆であるとは言えるだろう。そんな東響の定期を今回指揮するのは、この指揮者である。
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髭を蓄えてはいるものの、明らかに未だ若いこの指揮者の名前は、ロレンツォ・ヴィオッティ。1990年生まれというから、現在弱冠 28歳。この指揮者に関しては、東京フィルとの共演の様子を、2018年 7月20日の記事に書いた。オペラ指揮者として活躍していたところを急逝したマルチェッロ・ヴィオッティを父として持ち、この東響の指揮台には今回が 3度目の登場である。未だ 20代とは言え、世界で大活躍を始めているこのような俊英指揮者を、いながらにして聴くことのできる我々東京の聴衆は、実に恵まれていると思う。

さて、今回のヴェルディのレクイエムの演奏は、前回のヴィオッティの東フィルとの共演において、実に丁寧に曲想を描き出す手腕を体験した者としては、大変期待の募るものであったのだが、その期待は充分に満たされたと思う。私の印象を簡潔にまとめると、ドラマテッィクな部分を力強く描き出すと同時に、曲の中に様々に織り込まれた音楽の起伏を、強い説得力を持って表現した、というものになるだろうか。今回の演奏では、合唱団 (いつもの東響コーラス) は新年から黒づくめの衣装で、サントリーホールのステージ奥にずらりと 4列に並び、全員暗譜。4人の独唱者は、舞台の最も前、指揮者よりもさらに前に陣取っての歌唱であった。合唱団のために P ブロックを使わずに、これだけの規模の合唱曲を演奏すると、さすがにステージがちょっと窮屈ではあったものの、ヴィオッティが若さに似ず、オケを煽り過ぎることはないので、スペースの狭さが逆に、奏者が一丸となるのを助けたという印象である。この曲の冒頭は、静寂の中からまず低弦が歌い始め、合唱が漂う霧のように「レクイエム」という言葉を発するのであるが、実演で聴くには、やはり完全な静寂が必要である。今回の演奏では、あろうことか、音楽が始まろうかというところで、2階の右側 (RB あたり?) の客席で、誰かが走って出て行く足音が聞こえた。指揮棒を構えていたヴィオッティは、それを聞いて一旦指揮棒を下ろしてしばらく静止し、足音が止んでから音楽を始めたのであった。この呼吸からして、なんとも絶妙。そして、客席を見渡した私は、あることに気がついた。この曲における最もドラマテッィクな「怒りの日」では、金管のバンダ (別動隊) がホール客席の左右に陣取り、最後の審判の壮絶な光景を音で描くのであるが、普通なら見えるはずのバンダ用の譜面台が、客席のどこにもない。どうなるのか思っていたところ、その箇所に辿り着くと、最初のトランペットは、姿は見えないのに、左右それぞれから、弱々しく響いてきた。おや、これはホール内の左右の通路での演奏か? と思ったら、その後ファンファーレが高らかに鳴り響く箇所では、左右の扉 (RB / LB) がさっと開かれて、その向こうに楽員の姿が見えるが、飽くまで廊下での演奏である。そうして、ホール全体が鳴り響くこの曲独特の恐ろしい音楽が奏されたあと、左右の扉はゆっくりと閉められた。つまり、奏者は一貫して客席の外で演奏し、客席内にその姿を現わすことなく、音響だけは極めて鮮烈に構成されたのである。このような演出は初めて体験したが、なかなかに効果的であった。

このヴィオッティ、譜面を見ながらの指揮であったのだが、実は、ほとんど譜面を見ていなかった。ある時など、左手で譜面をめくろうとして、それをやめてしまったほどだ。しばらく音楽が進んだり、ある場合には曲間のときもあったと思うが、パラパラとまとめてページを繰るが、その後もやはり譜面を見ている気配はない。その場で鳴っている音をよく聴きながら、明確な身体表現で音楽を作って行くようなタイプであると思うので、譜面を見ることに囚われない方法は、大変に興味深い。彼がリードするオーケストラは、本当にこの曲の持ち味の細部に至るまで、よく表現しきっていたと思うし、合唱団もまた、大変立派であったと思う。ソリストは二期会所属の歌手たちで、ソプラノが森谷真理、メゾソプラノが清水華澄、テノールが福井敬、そしてバスは、予定されていたリアン・リから、急遽ジョン・ハオに変更された。それぞれに実力のある人たちなので、素晴らしい表現を聴くことになったが、ただ、ジョン・ハオは、前半は若干安定度を欠く面もあったように聴こえ、ちょっと気の毒に感じた。メゾの清水は、体を斜めにしてほかのソリストを呼吸を合わせたり、指揮者に視線を送ったりと、かなりの気遣い。テノールの福井は、長年第一人者として活躍して来ているだけあって、深みのある歌唱。ソプラノの森谷は、かつてメトロポリタン・オペラで夜の女王を歌ったことがあるとご紹介した記憶があるが、宗教曲にしては大きな身振りで、深い感情を込めて歌っていた。全体を通して素晴らしい出来であったと思う。イタリアを遠く離れた日本でこんな演奏がなされていることを知ったら、作曲者ヴェルディも喜ぶのではないか。
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さて、今回私は、上記のバンダ以外にももうひとつ、大変珍しいシーンを目撃した。それは、「ラクリモサ」に入る前に「怒りの日」の強烈な主題が返ってくるところで、大太鼓がドンドン鳴っていたのだが、最後の一撃で、何か「ドスッ」という異音がした。見ると、なんと太鼓に張った革が、破れているではないか!! どうなるかと思って見ていると、袖からスタッフが現れ、慌てず騒がず、太鼓を抱えて持って行った。そして、奏者が金属の台を入れ替えているうちに、スタッフが別の大太鼓を持って戻ってきて、それをステージに設置したのである!! その間音楽は継続していたが、ちょうど大太鼓の入る箇所がなかったようで、しばらく経った次の出番から、新しい太鼓が叩かれることとなった。大太鼓奏者は、その後ネジを一通り締めたり、楽器の状態をチェックするのになかなか大変であったようだが、特に不都合もなく演奏は続けられた。ステージ裏には、このような予備の楽器が置いてあるのであろうか。トラブルに遭遇したときに、慌てず騒がず対処する。これは人生において大事なことだと思いますよ (笑)。ヴィオッティも、演奏終了後、袖に戻るときに、大太鼓奏者の肩をポンと叩き、その労をねぎらっていた。大太鼓は、この曲においては大事ですからね。
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さて、今回のプログラム冊子に、音楽評論家がヴィオッティの指揮するヴェルディのレクイエムへの期待を書いているのだが、そこには、この極めて劇的でオペラ風の宗教曲であるレクイエムを、作曲者自身は実は、オペラ風には演奏して欲しくなかったと発言している、とある。そして、偉大なオペラ指揮者を父に持ちながら、父とは異なる方法で音楽をしているこのヴィオッティの指揮は、イタリアの伝統によるオペラティックなレクイエムの演奏とは、違ったものになるだろうと書いてある。今回演奏を聴いてみて私の思うところは、ヴィオッティらしい緻密な音響設計は聴かれたし、それは、必ずしもイタリアの伝統に縛られたものではなかったかもしれない。だが、オペラ的かと訊かれれば、やはりこの曲はオペラ的であって (上記のヴェルディ発言の真意は、私なりに考えるところはあるものの)、その持ち味を活かすべく、オペラ的 = 人間的な感情が、随所に込められた演奏であったと思う。正直なところ、プログラム冊子に演奏家自身のインタビューを掲載するならともかく、評論家が「こういう演奏になるだろう」と書いてしまうのは、聴き手に先入観を与えてしまうという点で、あまり好ましいことではないのではないだろうか。聴き手それぞれが自由に楽しむのが、音楽のよいところ。あまり解説に囚われない、自由な聴き方を心掛けたいものである。

by yokohama7474 | 2019-01-13 02:10 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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今月の NHK 交響楽団 (通称「N 響」) の定期演奏会には、世界的に見ても大変な有望株である 2人の 40代指揮者が立つ。2人とも、未だ世間一般には名前が知られていないかもしれないが、せめてこのブログでは、このような指揮者が東京でその指揮姿を披露してくれることがいかに大きな意義のあることか、まずは強調したいと思う。それから、今年に入って初めて書いた音楽の記事 (ピエタリ・シンキネン指揮プラハ響) に少し触れた通り、年初の東京のクラシック音楽シーンでは、ドヴォルザークの「新世界」を聴く機会が多いと思っていたが、今年の場合は決してそうではなく、ある特定の 1曲 (これはそのうちご紹介するのでお楽しみに) を除いては、明るい色彩のフランス音楽、イタリア音楽が多く、それから、なぜかチェロ協奏曲が演奏される機会が多い (笑)。そんなわけで今年の幕開けらしさを持つこの演奏会、指揮者も曲目も、私としては必聴のものであったのだ。今回登場した指揮者は、1971年フランス生まれの、ステファヌ・ドゥネーヴ。
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このブログでは過去に 2度、この指揮者の演奏を採り上げている。一度は彼が N 響定期にデビューした 2015年 6月 7日の演奏会。もう一度は、手兵ブリュッセル・フィルを率いた 2017年 6月11日の演奏会。この指揮者についての過去の私の経験は、上記演奏会の記事をご参照頂きたいのだが、一言で言うと、音楽の動きに即して、そこにあるべきたおやかな音が鳴っている点こそが素晴らしいと思うのである。こんな指揮者を招聘できる N 響はさすがであるが、またその曲目もさすがである。
 ルーセル : バレエ組曲「バッカスとアリアーヌ」第 2組曲
 サン・サーンス : チェロ協奏曲第 1番イ短調作品33 (チェロ : ゴーティエ・カプソン)
 ベルリオーズ : 序曲「ローマの謝肉祭」作品 9
 レスピーギ : 交響詩「ローマの松」

うーん。素晴らしい。私の場合は、サン・サーンスの協奏曲はそうでもないが、ほかの 3曲は大好物。そう言えばドゥネーヴと N 響は今回、定期演奏会以外にもオーチャードホール定期で一度演奏会を開いている。その日程はちょうど、インキネンとプラハ響と同じ日であったので、泣く泣く諦めざるを得なかったのであるが、そちらの曲目も私の大好物ばかりであったのである。だが、死んだ子の年を数えても仕方あるまい。今回の演奏について徒然に語って行こう。まず 1曲目のルーセルであるが、2015年 6月に N 響定期にデビューしたドゥネーヴは、その時にもルーセルの代表作、交響曲第 3番を演奏していた。今回の「バッカスとアリアーヌ」第 2組曲は、その交響曲 3番と並んで、この作曲家の代表作である。私が深く尊敬する往年の大指揮者シャルル・ミュンシュの十八番のひとつであり、また、あのノーブルなイメージのアンドレ・クリュイタンスが鬼気迫る表情でこの曲の終結部を指揮している映像も、鮮烈に覚えている。それはもう、強烈な音楽なのであるが、今回のプログラム冊子で知ったことには、この「バッカスとアリアーヌ」第 2組曲の初演 (1934年) の際の指揮者は、なんと、ミュンシュとはまた異なるイメージのフランスの指揮者であり、だが、ともに同国を代表し、米国ではいずれもボストン響を率いたことのある、ピエール・モントゥーなのである。そんなルーセルの曲、ドゥネーヴの指揮に大いに期待したのであるが、聴いた印象は正直なところ、ちょっと真面目過ぎるかなぁというもの。そもそもこの指揮者、何度か聴いて分かってきたことには、鋭く突き進む音楽の横の線よりも、その瞬間瞬間で鳴る縦の線の方に、より特性があると思う。つまり、最後は狂乱で終わるこの曲も、過度な熱狂よりは、ひたすら美しい瞬間を求めて演奏されていたのではないか。N 響の個々のセクションの充実ぶりには疑いはないものの、全体として、クライマックスに向けて盛り上がって行く様子の表現には、少し課題が残ったように思う。これが、指揮者ドゥヌーヴと同郷の作曲家、アルベール・ルーセル (1869 - 1937) の肖像。
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そして 2曲目は、これもフランスの名チェリスト、ゴーティエ・カプソンをソロに迎えての、サン・サーンスのチェロ協奏曲 1番。これはチェロ協奏曲としては屈指の名作のひとつだと言われている。そして、ソロを弾くカプソンは、名ヴァイオリニストルノー・カプソンの弟。実はドゥネーヴは、前回の N 響との演奏会では、そのルノー・カプソンをソロとして、ラロのスペイン交響曲を演奏していた。N 響で兄弟それぞれと共演とは面白い。これがカプソン兄弟で、弟ゴーティエは、もちろん写真左側。
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このゴーティエ・カプソンのチェロは、決して重すぎないのだが、なんとも懐深い音が鳴る。これは大変な美音である。サン・サーンスの夥しい作品の中でも名曲として知られるチェロ協奏曲 1番が、その持ち味そのままに、ドラマティックかつ抒情的に演奏された。そしてアンコールには、カプソンが客席に向かって英語で喋ったことには、「ちょっとしたサプライズがあります。マエストロがピアノを弾いて、サン・サーンスの『白鳥』を演奏します」とのこと。そしてドゥネーヴがピアノ伴奏を務めたのであるが、なぜにオーケストラコンサートにおいてピアノがステージにあったかというと、それは後半の「ローマの松」でピアノが使われているからだ。なるほどドゥネーヴのピアノは、その指揮と共通点があって、実に繊細で美麗である。そして、指揮者が客席を指さして愉快そうな様子であったので、何かと思ったら、1階席の前の方で、小さなフランス国旗を振っている方がおられたのである。素晴らしい国際親善だ (笑)。

そんな前半を終え、後半の曲目 2曲は、いずれもローマに関するもの。新年にふさわしく華やかな曲目である。ステージを見てひとつ気づいたことには、1844年に初演されたベルリオーズの曲と、1924年に初演されたレスピーギの曲の間には 80年の時差があるわけだが、オーケストラの編成を比べると、チューバ、コントラファゴット、ピッコロといった、低音と高音だけしか違いがない。そう思うと、ベルリオーズの音響設計の近代性に思い至る。あ、もちろんレスピーギの方は、ハープ、ピアノ、チェレスタにオルガン、いくつかのユニークが打楽器等が加わるのだが、それにしてもオケ本体の楽器編成にそれほど違いがないとは驚きだ。今回のドゥネーヴの演奏は、勢いに任せるのではなく、場面場面の音響を鮮やかに描いて行くもの。途中、イングリッシュホルンの印象的な旋律もあれば、ヴィオラが朗々と歌うところなどもあり、いずれも見事であったが、終演後ドゥネーヴが、イングリッシュホルンは当然として、ヴィオラまで起立させたのは、実に我が意を得たりという感じであった。

そして最後の「ローマの松」である。これもまた、決して爆裂系ではないドゥネーヴの指揮ぶりの個性がよく表れた名演であったと思う。実に丁寧な演奏である。音響設計で特筆すべき点が何点かあるのだが、まずひとつめは、第 3曲「ジャニコロの松」に登場する鳥の声である。これは録音したものを演奏会場で流すようにできていて、音楽において録音を用いる例の最初のもののひとつであるようだが、通常は会場のスピーカーを通して流れる鳥の声、今回は (会場にその旨の貼り紙がしてあったが) 指揮者の強い希望によって、蓄音機で流された。ということは、ここで使われた SP レコードは、作曲者が使用したものと同じということなのだろうか。蓄音機には大きなラッパがついていて、その操作にはそれ専門の楽員 (全曲で、担当するのは唯一この蓄音機が響く箇所のみ) が当たっていた。これはイメージ。
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もうひとつユニークであったのは、終曲「アッピア街道の松」の、誰しもが鳥肌立つような異様な盛り上がりにおける、バンダ (別動隊) である。普通これは、例えばヴェルディのレクイエムのように (と書くのは、実は次の記事の予告編であるのだが)、ホールの客席内の左右から鳴り響くのであるが、今回、ホール横の上手側のオルガンが設置されているあたりにいくつか譜面台がおいてあるので、その場所にバンダが陣取ることは分かる。だが、その反対側、下手側には、中空にバルコニーが設置されていて、そこにライトが当たっているので、きっと奏者が登場するはずと思ってじっと見ていても、そこには白いカーテンが閉ざされているばかり。「アッピア街道の松」が始まったときに上手側からは、トランペットとトロンボーンが各 2人ずつ登場したにも関わらず、一方の下手側はと言うと、カーテンが半開きにはなったものの、依然としてその奥は見えない。だが、その左右のバンダのうち、最初に音が聴こえたのは下手側、カーテンの奥である。姿は見えないが、何か遠くからトランペットが響いてくる。おっとなるほど、この箇所が表している情景は、ローマ軍の行進である。つまり、最初は弱音で遠くからの響きを模ているのであり、その瞬間には奏者たちは姿を見せていないのである。そうしているうちに音楽は大いに盛り上がって、ついに下手側バルコニーのカーテンがざっと全開となり、譜面台とともに現れたのは、トランペット奏者 2名。そういう演出だったのか。そうして、実に丁寧に演出された巨大なクライマックスが、この巨大ホールに響き渡り、古代ローマの情景が鮮やかに表現されたのであった。上に書いた通り、ドゥネーヴは決して乱暴に音量を上げるようなことをしない指揮者であり、今回の「ローマの松」では、そのような彼の美観が大いに感じられたのであった。今回の演奏会が、ドゥネーヴと N 響の 3回の共演の最後。演奏終了後には、楽員を代表して、打楽器奏者、黒田英実 (今回はいつもにも増して多忙な演奏であったと思うのだが 笑) から、花束が贈呈された。
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これまで聴いてきたドゥネーヴの演奏はフランス物が多いのであるが、この人、マーラーなども面白いのではないだろうか。是非 N 響さんには、またこの指揮者の招聘をお願いしたいものである。

by yokohama7474 | 2019-01-13 00:36 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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東京都交響楽団 (通称「都響」) の今月の定期演奏会は、音楽監督の大野和志の指揮で、2種類のプログラムが 1度ずつ開かれる。このオケのスケジュールを見ると、東京のほかのメジャーオケよりも全般的に演奏会の回数が少ないように思われるが、それは取りも直さず、一回一回の演奏会が大事だということであろう。来月には、大野がオペラ部門の芸術監督として初お目見えする新国立劇場で新作上演があって、そこでの演奏も都響だから、当然その準備も既に始まっている中での、今月の定期公演であろう。年明け早々とは言いながら、その 2度とも、かなり力の入った選曲である。今回のプログラムは以下の通り。
 シェーンベルク : ヴァイオリン協奏曲作品36 (ヴァイオリン : パトリツィア・コパチンスカヤ)
 ブルックナー : 交響曲第 6番イ長調 (ノヴァーク版)

これは、ウィンナ・ワルツや「新世界」とは異なって、新年に誰もが絶対聴きたいと思う曲目ではないと思うが (笑)、さすがは大野と都響、また、もちろんソリストへの期待もあってだろう。会場のサントリーホールはほぼ満員である。このコンビを強く支持して来た者としては、大変に嬉しい状況である。そんなわけで、まずはシェーンベルクのヴァイオリン協奏曲。私がこの曲を実演で聴くのは何年ぶりだろう。ちょっと思い出せないが、それだけなかなか演奏される機会の少ない曲である。内容もかなりハードであるから、奏者を選ぶ曲でもあるのだが、今回のソロは、モルドヴァ共和国出身の女流、パトリツィア・コパチンスカヤであるから、確かに期待できる。
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私がこの人を聴くのは、随分以前にリゲティだったかを、クリスティアン・アルミンク指揮の新日本フィルで聴いて以来 (今調べるとそれは 2010年のこと) だと思う。その頃よりも現在の方が、その野性的とも言える演奏で、日本での知名度は上がっているだろうか。上の写真に見る通り、彼女はステージで靴を履かずに裸足で演奏するのである。もちろん、裸足であるという話題だけでは世界的な活躍などできるわけもない。やはりこの人のヴァオイリンの表現力こそが、世界の聴衆を魅了しているわけである。実は彼女、ちょうど 1ヶ月ほど先にも日本で話題の公演に出演することは、音楽ファンなら誰しも知るところであるので、詳細は割愛するが、そちらの曲目は天下の名曲、チャイコフスキーのコンチェルト。それとはまさに好対照であるシェーンベルクのコンチェルトを、しかも大野 / 都響で今回採り上げるとは、なんとも意欲的と評価できる。このシェーンベルクのコンチェルトは、作曲者が米国に亡命した後、1934年に書き始めたもの。この作曲家はウィーン生まれのユダヤ人で、ウィーン世紀末文化をその根っこに持っているわけだが、その後、世の中で「現代音楽」と呼ばれることとなるタイプの音楽は、実質的にはこの人から始まると言えば、乱暴かもしれないがさほど外れてはいないはず。厳密なルールを持つ十二音技法という新たな音楽を生み出した人だが、その厳密なルールは、いかんせん、ただ耳で聴いているだけではさっぱり分からないものであるゆえ、音楽における感情と形式、あるいは表現力と美感という対立項 (本来対立する必要のなかったものだが) を作り出してしまった点には、功罪はあるだろう。正直なところ、このヴァイオリン協奏曲にしても、誰もが感動する名曲とは、とても言えないと思う。その点、弟子であるアルバン・ベルクのヴァイオリン協奏曲 (こちらも決してなじみやすい曲想が全曲続くわけではないが) との違いがあるだろう。興味深いことに、そのベルクのコンチェルトとこのシェーンベルクのコンチェルトを初演したのは、実は同じヴァイオリニストで、ルイス・クラスナーというウクライナ出身の人。晩年はニューイングランド音楽院で教鞭を取り、1995年に 91歳でボストンで没している。
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因みに、シェーンベルクのコンチェルトは上記の通り 1934年に書き始められているが、完成は 1936年。初演はさらに 4年後の 1940年。伴奏はレオポルド・ストコフスキー指揮のフィラデルフィア管弦楽団であった。一方のベルクのコンチェルトは、作曲者が急逝した 1935年に遺作として完成。初演は翌 1936年、バルセロナにて、ヘルマン・シェルヘン指揮の伴奏で行われている。つまりこの師弟は、たまたま同じ時期にヴァイオリン協奏曲を作曲していて、それらを同じヴァイオリニストが初演したわけであるが、後から書き始められた弟子の作品が (作曲者の死後)、先に初演されたということになる。このあたりにもこの 2曲のポピュラリティの違いが、端的に表れているようにも思われる。だがこのシェーンベルクのコンチェルト、今回のコパチンスカヤの演奏を聴くと、やはり CD で聴いているよりも曲想の移り変わりを実感できて、大変興味深かった。もちろん、口ずさめる箇所はやはりないのであるが (笑)、その抽象的な「音」から、聴き手は自由にイマジネーションを膨らませることはできるだろう。裸足で繰り出すコパチンスカヤの千変万化のヴァイオリンに負けじと、明確な音像を作り出す大野の伴奏も見事。35分間の音の抽象画、かなり高度な音楽的イヴェントを体験できたものと思う。その充実感によって、アンコールがなくとも充分であった。

後半、私服に着替え、ちゃんと靴も履いて客席に座ったコパチンスカヤを聴衆のひとりとして迎えて、ブルックナー 6番が演奏された。この曲は、4番・5番という個性的な作品と、7番以降の至高の作品群との間に書かれているわけで、ブルックナーの交響曲としてはあまり人気のない方であるが、この作曲者らしくドラマティックな要素は強く、やはり名曲であると私は思っている。全曲暗譜で指揮した大野は、いつもの通り充分にメリハリをつけたリードぶりであったとは思うものの、ただ私自身のコンディションの問題もあってか、残念ながら私は、あまり今回の演奏に乗ることはできなかった。冒頭のひきつるようなテンポは若干早めで、そこから低弦が唸るあたりの導入はなかなかであったが、第 1楽章全体を通して、都響にしては音の緊密度に少し課題があったような気がした。第 1楽章と第 2楽章との間で大野が指揮台から、「もっと力を込めて」とも解釈できそうな仕草をオケに見せていたが、第 2楽章アダージョの、特に後半は、ぐいっと伸びる音が聴かれて、充実感を感じることができた。だが、第 3楽章スケルツォはさらに推進力があってもよかったし、終楽章も、炸裂する音のドラマという点では、もう一歩踏み込んで欲しいようにも思われた。力演であったとは思いながら、昨年後半に立て続けに聴いた世界のトップオケの音が未だに耳に残っていると、都響ならそのような音に迫る高次元の音楽を展開してもらいたいという期待がある。今回はたまたま、私個人の感想としては、課題も残る演奏だと思ったにせよ、その意欲的な試みには大いなる敬意を表したいし、今後もこのコンビへの期待は続くのである。
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2015年 4月に始まったこのコンビ、当初の 5年契約が昨年 11月に延長されて、2023年 3月までの任期となった。つまりは、東京オリンピック・パラリンピック開催時期をカバーするわけで、その国際的大イヴェントにおいて、音楽面において東京都を代表するのは、この大野と都響になるということだろう。もちろん、ほかの東京のメジャーオケのそれぞれも、今からオリンピックまでの間にシェフが替わるところは、ないかもしれない(既に発表されている読響を除き)。その意味では、まさにそれぞれのオケの活動から目を離せない状況は、しばらく続くということだろう。そうそう、大野と都響は、4月の「東京・春・音楽祭」では超大曲を演奏するが、その超大曲は、そのちょうど 1ヶ月前にも、ほかのオケが演奏することになる。そのあたり、またこのブログでご報告できればと思うが、いやそれにしても、そんな街、世界に東京しかありませんよ!!

by yokohama7474 | 2019-01-11 00:22 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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前項に続いて、音楽関係の映画である。ジャンルはちょっと違うと言ってよいのだろうか (?)。クイーンが「ボヘミアン・ラプソディ」にオペラ調の奇妙な音楽を盛り込んでいた 1975年、この映画の主役の不世出のオペラ歌手は、そのキャリアをほぼ終えようとしていた。ギリシャ系米国人、クラシック音楽に興味のない人でもその名を知らない人は多くないであろう (と期待したい)、マリア・カラス (1923 - 1977) である。私はこの映画のチラシを見たとき、「なんだ、またマリア・カラスか。本も読んだことあるし、もうよく知ってるよ」と思ったのであるが、宣伝文句を見てみると、何やら未公開映像や初公開の手紙などが含まれているという。全国で大々的に公開というわけではないようだが、ここで断言してしまおう。この映画は、オペラ・ファンはもちろんのこと、20世紀における偶像について何かを知りたい人にとっては、必見と言ってもよい作品であると思う。私の近所のシネコンでは、今週上映が終了となるようだが、都内ではなんとか細々と、まだしばらく上映が続きそうな気配である。だが、悪いことは言わない。これは実に驚くべき映画であり、「なんだまたマリア・カラスか」と思う人ほど、やはり見ておいた方がよい。
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この映画の何がすごいかというと、それはもうシンプルで、本人のインタビューや当時の映像がふんだんに使われていて、我々誰もが持っているこの歌手のイメージとぴったり合う点と、かなり意外に思われる点との双方があるということだ。一体どんなマリア・カラス・マニアが監督したのかと思いきや、サンクトペテルブルクで生まれ、フランスで育ったトム・ヴォルフという新鋭の手によるもの。2006年に映画制作を始めたばかりの 30代であり、長編映画はこれまで撮ったことがあるのかどうか。そして驚くべきは、彼が録音でカラスの歌声を聴いたのは、なんとつい最近、2013年のことであるという。それは映像による「ルチア」の「狂乱の場」であったそうだが、その「いつ切れてもおかしくない糸のような」歌声に涙したとのこと。そして 3年に亘ってカラスを探求するプロジェクトを敢行。カラスの近親者や仕事相手にも会いに行き、60時間以上のインタビューを実施。その成果がこの映画であり、3冊の書籍であり、2017年 9月にパリで開かれた展覧会であるという。
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ここでひとつ確認しておきたい。世界中に音楽評論家や音楽学者は山ほどいて、その中にはマリア・カラスを専門的に研究している人たちもいるだろう。だがそのような人たちの誰ひとりとして、この映画にあるような密度濃い情報を得ることはできなかったわけで、ほんの数年前にカラスの魅力に気づいた人によって、これだけの新情報が世に中にもたらされたわけである。やはり世の中、専門家だけがすべて正しく意義深いことをするわけではない。フレッシュな視点と、そして何より行動力。それらによって新しい価値が生み出されるわけである。これは私たちの普段の生活にとっても、大変に勇気づけられる事柄ではないか。

ここではカラスの生い立ちから修業時代、オペラ界で頭角を現して行く過程、そうして実業家メネギーニとの結婚、海運王オナシスとの恋愛、そのオナシスとジャクリーン・ケネディとの結婚の衝撃、そして晩年の教育活動やジュゼッペ・ディ・ステファノとのツアーなど、オペラファンなら誰でも知っているカラスの生涯が、当時の映像や本人の証言によって綴られる。その多くが初めて見たり聴いたりするものなのであるが、それにしてもこのカラスという人、極めて実直で、嘘をつけない人である。自らを美化することもないが、卑下することもない。あるテレビ番組では、自分が音楽界の「レジェンド」であることを口にするのだが、そこには、誇りはあれど驕りはない。そして、そうだと知識では知っていたが、いかにオナシスのことを愛していたかということが、ひしひしと感じられ、それは大変に切ないのである。特に、今回が初公開だというオナシスへのラヴレターは、ちょっと気恥しくなるような内容であるのだが、これこそ、飾ることのないカラスの真実の声であると思われるのである。それから本作の題名であるが、原題は "Maria as Callas"。彼女の本名は、マリア・アンナ・ソフィア・チェチーリア・カゲロプーロス。劇中で彼女は、「2人のマリアがいるのです」と語っているが、それは舞台に立つマリア・カラスと、生身の人間としてのマリア・カゲロプーロスである。本作の題名は、「マリア・カラスとしての生身のマリア」という意味であろうから、実に映画の内容をよく表すものになっている。これはテレビで率直にインタビューに答えるカラス。
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ここには、様々な舞台の映像の断片も出て来るのだが、それは客席の誰かが 8mmカメラ等で撮影したものであろう。カラスの舞台の全曲版の映像というものは、私の知る限りはないものであり、ここでの雑な映像ではなんとも物足りないことは否めないが、そうであっても、実在したこの歌手の実際の舞台姿を、断片であっても見られるというのは、何物にも代え難い。それを思うと私の涙腺は、結構やばい状態になってしまったのである (笑)。それから、これまでモノクロで知られていたパリ・オペラ座での「カスタ・ディーヴァ」(ベッリーニの「ノルマ」から「清らかな女神よ」) は、ここでは色付の映像で登場。精妙なカラスの歌をじっくりと聴いて、そして見ることができる。ただ、以前から気になっているここでの合唱のトホホな出来は、映像に色がついても改善していませんでした (笑)。途中カラスが合唱を遮らんばかりに右手を上げるシーンがあって、やはり率直な人だったのだと納得。それから、フランスで読まれる彼女の手紙は、フランスの名女優ファニー・アルダンが朗読している。私にとってはあのトリュフォーの遺作「日曜日が待ち遠しい!」でその名を知った役者さんだが、なんといっても 2003年にマリア・カラスを演じた「永遠のマリア・カラス」を思い出す。これがその映画でファニー・アルダン演じるマリア・カラス。
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またここには、何人もの世界のセレブたちが登場していて興味深い。若き日のエリザベス女王や、確か 2度姿を見せるジャン・コクトー。また、私は気づかなかったが、ブリジット・バルドーやカトリーヌ・ドヌーヴ。面白いのは、モナコのグレース王妃に宛てた手紙が朗読されることだ。実はこの 2人、仲がよかったという。そして、指揮者としてはカルロ・マリア・ジュリーニがほんの一瞬 (演奏風景ではなく楽屋で話しているところだが) 登場するほか、「トスカ」や「カルメン」でカラスと録音を残しているジョルジュ・プレートルが伴奏をつけるところを見ることができる。そして、メトロポリタン歌劇場の名支配人ルドルフ・ビングとの確執も生々しく記録されていて、興味は尽きない。あと、一時期は恋仲にあったとされる映画監督ピエル・パオロ・パゾリーニとの「王女メディア」の撮影風景も面白い。特にこのパゾリーニという人の悲惨な最期 (1975年) を知っていると、様々な思いが去来するのである。
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この映画を見て、カラスの芸術がすべて分かったような気になるのはよくないが、それでも、なぜに彼女の歌が人々の心を打ち続けるかについて、大いなるヒントを得ることができるゆえに、本当に多くの人たちに見て欲しい映画である。繰り返しだが、あの率直さが彼女の比類ない闘争心を駆り立て、また一方では深い愛情を育んだということなのだと思う。持って生まれた運命という要素もあるだろうが、壮絶な努力をして世界に認められ、だがその率直さゆえに敵を作り、愛を求め、自らの内面と向き合うことになった、そんな人生であったと思う。さて私の手元には、何年も前に購入した、EMI (この名門レーベルも今はなく、ワーナーに吸収されたが) のカラスのスタジオ録音全集 69枚組がある。もちろん、これまでにほんの数枚しか聴いていないのだが、やはりこれは頑張って聴かねばならない、と自らを鼓舞しております。
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by yokohama7474 | 2019-01-09 00:15 | 映画 | Comments(2)