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これは昨年見た展覧会。いずれ記事を書かなければと思いながら、なかなか実現できなかったのは、既にほかの文化イヴェントで手一杯であることもあるが、この展覧会だけは、私ごときが推奨しようが何をしようが、そもそも大混雑に決まっているからであった。期間は 4ヶ月もあったし、年末をまたぐ会期であったので、予想通り多くの人々が会場を訪れたことであろう。ま、いずれ記事にしようと思っていたその展覧会も、既に 3週間ほど前、2/3 (日) に終了してしまった。だが実はこの展覧会、大阪では現在開催中。出展数が東京よりも少し減っているようではあるが、それでも実に貴重な機会であることは間違いないだろう。いやそれどころか、東京では展示されず、大阪だけで展示されるフェルメール作品もあるようだ。大阪での会期は 5/12 (日) までだから、まだしばらくある。この記事が、これから大阪でこの展覧会を楽しもうと思っている方にとって、少しでも参考になればよいと思う。

ヨハネス・フェルメール (1632 - 1675) は、オランダのデルフトに生まれ、一生その地にとどまった画家。死後は忘れられた存在になっていたようだが、19世紀半ばにまずフランスで再評価が始まり、今日では、日本を含む世界中に、熱烈な愛好者が多くいる、西洋美術史上最大のビッグネームのひとつになっている。現存する彼の作品は、わずかに 30数点のみ。数がはっきりしないのは、研究者でも真作であるか否かについて意見の分かれる作品が、幾つかあるからだ。だが、この展覧会においてはどうやら、現存するフェルメール作品は 35点としているようだ。なぜなら、会場ではこのような缶バッジを売っていたからである。
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これは何を意味するかというと、フェルメールの現存作品 35点のうち、今回は、実に 8点、いや 9点もの作品が来日するということを意味している。ではなぜ、「8点ではなく 9点」なのかというと、もともと 8点で予定していたものが、会期間近になってからもう 1点増えたからである。これは確かに日本においては前代未聞の事態。大混雑間違いなしだ。それゆえ主催者は一計を案じた。それは、日時指定制である。事前にインターネットで日時を指定し、その時間帯に現地を訪れると、(それでも列にはなっているし会場は混雑しているのだが)、何時間も待たずとも会場に入ることができたのである。料金は少々高かったが、この歴史的美術展を見るためなら、通常の展覧会より 1,000円くらい高くとも、文句は言うまい。また、会場設営においても一工夫あったのだが、それは、この美術館の通常の入り口を使用せず、建物に向かって右側に特別の入り口を設営。そこから入って行くと、フェルメール以外の画家の作品 39点 (すべてフェルメールと同じ 17世紀オランダ絵画) をまず見て、そして最後に大きな展示室に入ると、照明を落としたその場所に、ずらりとフェルメールが並んでいる、という仕掛けである。これはなかなかよくできていた。さて、そのフェルメールの真作の数に少し戻ると、上記の通り 35点という説が有力のようであるが、今回の展覧会の図録を見てみると、そこには 37点が掲載されている。実はそれは、Wiki で「フェルメールの作品」という項目に載っている 37点と全く同じなのであるが、そのうちの 2点、国立西洋美術館寄託の「聖プラクセディス」と、ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵の「フルートを持つ娘」が、フェルメール作であるか否か、専門家によっても意見が分かれるとある。因みに上記 Wiki では、この 2点に加え、やはりワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵の「赤い帽子の娘」と、個人蔵の「ヴァージナルの前に座る若い女」の 2点も、疑義を呈する専門家もいるとある。これは、実際に作品の写真を見てみると、結構納得のいく説明であると思う。

ところで、「フェルメール展」と題された展覧会で、フェルメール作品が 8点もしくは 9点 (いや、正確にはそのうち 2点は展示期間が限られていて、それらは重なっていなかったので、常に展示されていたのは 8点、年末年始のある期間は 7点であった) であるのに対し、それ以外の画家たちの作品が 39点もあるとは、一体どういうことか。そう思った人も多かったかもしれない。だが、実際にすべての作品を見てみて思うことには、これら 39点があってよかった。もしフェルメール作品だけだったら、会場に人が溢れ返って、もう作品鑑賞どころではなかったろうからだ (笑)。いや、私は何も、この 39点の内容を軽んじているわけでは決してない。我々にあまりなじみのない画家が多かったことは事実だが、それでも、フランス・ハルスやピーテル・デ・ホーホやヤン・ステーンという、それなりに名の知れた画家の作品もあったし、以前私が「フェルメールとレンブラント 17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち」展の記事 (2016年 2月 7日付) で、気になる作品として紹介した、ピーテル・サーンレダムとかエマニュエル・デ・ウィッテによる、教会の中をシュールに描いたものとの再会もあった。そして何より、人々はフェルメール、フェルメールと言うけれど、彼の描いている題材が、何もすべて彼の独創によるものではなく、ほかの画家たちの中にも、似たようなスタイルで作品を描いて人たちがいたということが、改めて理解できたのであった。つまり、天才フェルメールですらも、時代の子であったということである。

と、ここまで書いておきながら逆説的なことを言ってしまうが、私が改めて再認識したのは、フェルメールの芸術は、彼が時代の子であれなんであれ、まさに誰にも似ていないということだ。彼の作品には、教訓的なテーマがあったり、何やら秘密めいた室内での行動が描かれていることが多いが、それをもって、「この人は今これこれをしているところだろう」「きっとこの手紙にはこんなことが書いてあるに違いない」「この男の下心、見え見え」などと思う必要が、さてどのくらいあるだろう。よくテレビではフェルメール作品についてそのようなことが語られているし、会場で借りたイヤホンガイド (私は普段は滅多に使わないのだが) において、石原さとみもそのように語っていた。だが、正直私にとっては、いかに石原さとみが語ってくれようとも、そんなことはどうでもよくて、この稀代の天才が、世界をいかに自分の手で構築したか、それだけに興味がある。ここにあるのは日常ではなく、それを超えた世界なのであると、私は思う。その意味で彼と同種の天才は、小津安二郎ではないか。押し合いへし合いの中でフェルメール作品を凝視しながら、私はそんなことを考えていた。もちろん、絵画の見方は人それぞれであるから面白い。全く違う考えの人がいる方が、むしろ普通であろう。だがひとつ言えるのは、フェルメールなり、ほかの誰でもいい、画家が日常をわざわざ絵画作品に描くということは、その画家に、眼前の日常とは違う世界を作り出すという欲求があるからではないだろうか。そう思うと、「リアルだ」とか「上手に描いている」「こんなシーン、あるある」というような日常的感覚ではなく、何かそれを超えたもの、いわば芸術としての格の高さのようなものが、見えてくるように思うのである。フェルメールとは、そうしたことを教えてくれる画家だと、私は思う。ということで、以下、個々の作品についてはいちいち語ることをせず、今回の展覧会に展示されていた 9点を、ただご紹介する。展覧会の図録の番号順とするが、どうやらこれは、推定制作年代順になっているようだ。

まず、「マルタとマリアの家のキリスト」(1654 - 1655年頃作)。スコットランド・ナショナル・ギャラリー所蔵。
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「取り持ち女」(1656年作)。ドレスデン国立古典絵画館所蔵で、これが最後に追加出品が決まった作品。
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有名な「牛乳を注ぐ女」(1658 - 1660年頃作)。アムステルダム国立美術館所蔵。
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「ワイングラス」(1661 - 1662年頃作)。ベルリン国立美術館所蔵。
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「リュートを調弦する女」(1662 - 1663年頃作)。メトロポリタン美術館所蔵。
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これも有名な「真珠の首飾りの女」(1662 - 1665年頃作)。ベルリン国立絵画館所蔵。
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「手紙を書く女」(1665年頃作)。ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵。
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「赤い帽子の娘」(1665 - 1666年頃)。ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵。但し、上記の通り、一部の専門家はフェルメールの真作であることに疑義を呈していて、実際私もこの作品を初めて見たとき、何か違和感を感じたものだ。だが本展では、真作と認めている。
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「手紙を書く婦人と召使い」(1670 - 1671年頃作)。アイルランド・ナショナル・ギャラリー所蔵。
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尚、大阪展でだけ展示されるのは、この「恋文」(1669 - 1670年頃作)。アムステルダム国立美術館所蔵。
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さてこのように、もう二度とあるか否か分からない、8点ものフェルメール作品を同時に鑑賞できる機会であり、大混雑の中でも、大変に楽しむことができたのである。

最後に余談を 2つ。実は私は、今回の展覧会を凌ぐ数のフェルメール作品を集めた展覧会に、行ったことがあるのである!! いや、正確に言おう。そのような展覧会が開催されている場所まで辿り着いたが、なんとも残念なことに、展覧会に入ることができなかった。この話は以前どこかの記事に書いたような気もするが、面白いので構わずに書いてしまうと、その時に集結したフェルメール作品は、なんと 18点 (但し、上で触れた、疑わしき作品も含む)!! 確かこの展覧会は世界数都市で開かれたはずだが、私が訪れたのは、ワシントン・ナショナル・ギャラリーで、1996年 2月11日のこと。私はこのとき、真冬のニューヨークに 1ヶ月ほど張り付き出張であったのだが、なかなかビジネスの進展が見られない状況に疲れ果て、現地の上司に許可を取り、週末の気分転換として、ワシントン D.C. を訪れることとしたのであった。当時はインターネットはなかったが、確か芸術新潮誌を見て、事前にこの展覧会についての知識があったはず。折しも会期の最終日の日曜日。この機会を逃してなるものかと、朝いちばんにニューヨークから飛行機に乗って出掛けて行ったのだが、開館直後頃の時間帯に現地に着いて、驚いた。異常なほどの長蛇の列であったのだ。なんと、ナショナル・ギャラリーの建物の中から外にはみ出しているどころか、あの広大な建物の周りをぐるりと回っている。どこが最後尾かと思って延々と歩いて行くと、建物の 3/4 くらいまで行ったあたりだろうか、何やら立て札を持った係員が立っている。見ると、「ここから先は今日の入場は保証できません」とあるではないか!! いやいや最終日だから、今日がなければ明日もないんだよ!! と思ったが (笑)、驚くべきことに、その立て札の先にも、まだ延々と人、人、人が並んでいるのである。フェルメール人気をなめていたと意気消沈した私は、入場を諦めてカフェでコーヒーを飲んでいると、ひとりの初老の男性に話しかけられた。日本から来たのに見られなくて残念だと言うと、「オレは時間制のチケットを持っているから、ついて来い。一緒に入ろう」と親切な言葉をかけてくれ、喜び勇んだ私は、その人とともに、別の列に 30分ほど並び、さて入ろうとすると、事情を説明するその男性に対して受付女性は、「あなたをここで入れると、外で待っている何百人に対して説明がつかなくなってしまう」と、毅然とした態度で応対。私はあえなく撃沈し、入り口から見える数枚のフェルメール作品を覗き見て、男性に丁重に礼を言い、その場を立ち去ったのであった。因みに展覧会の図録も売り切れであったが、金を払っておけば海外でも送るというので、申し込みをし、数ヶ月後に無事図録が届いた。なので、23年経った今でも、その時の出展作数を確認できるのである。これは、その展覧会のチラシから。それにしても 18点は、もう実現不可能ではないだろうか。
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最後の話題は、フェルメールの贋作について。私の手元にあって、最初の方を少し読んだまま 2年ほど放ってある (笑)、こんな本をご紹介したい。
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これは、1920 - 30年代に美術市場でフェルメール人気とその作品の値段が急上昇した頃、彼の贋作を描いて大儲けした男の話。その贋作者の名は、ハン・ファン・メーレヘン。フェルメールの生地デルフトの大学の建築学科を卒業したが、本来なりたかった画家としては成功せず、自分を認めないオランダ美術界への復讐として、数々の贋作制作に手を染める。特にフェルメールは当時あまり研究も進んでいなかったのをよいことに、没落した貴族の家から出た作品として、その贋作を売り捌いた。ところが当時の研究家たちはそれを真作として認め、美術館が高値で買い取る例もあったという。上の表紙にある作品は、やはり彼によるフェルメールの贋作である。遠目には、なかなか雰囲気があって面白いではないか。あるいは、有名な例として、ロッテルダムのボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館 (私も行ったことがある) に所蔵される贋作、「エマオの朝食」(1936年作) がある。
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この作品、フェルメール初期の珍しい宗教画と聞けば、うーん、ちょっと妙だけど、そう言われてみればそうかも、と思ってしまいそうだ。この美術館では、今でも贋作への戒めとしてこの作品 (?) を展示している。フェルメールほどの画格の画家は、西洋絵画史上にもそうそういるものではない。だが、「らしい」作品には、専門家ですら騙されてしまうことがあるわけで、人間の目は、何か事情があれば (その事情とは、金なのか、新発見によって得られる名声なのか、ただの思い込みなのか、いろいろあろうが) 簡単に曇ってしまうものだのだなぁと思う。贋作という行為はもちろん犯罪だから支持はできないが、このメーレヘンのような画家が、一体どのような思いで贋作を描いたのか、そのことには大変興味がある。フェルメール展体験の補足として、興味のある方はお読みになってみてはいかがであろう。

by yokohama7474 | 2019-02-25 23:47 | 美術・旅行 | Comments(2)

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一週間を置いて鑑賞したオペラが、たまたま 2本続けて日本人の作品である。こういう事態はもちろん、例によって東京ならではと思うのだが、面白いのは、前回の西村朗の「紫苑物語」が新作であったのに対し、こちらの方は、既に初演から 40年以上を経ている作品。三島由紀夫の有名な小説を原作とし、ベルリン・ドイツ・オペラの委嘱によって書かれた (よって歌詞がドイツ語の)、「金閣寺」である。この作品については、以前、2015年12月 6日の記事で別の演奏を採り上げた。それは、下野竜也が神奈川フィルを指揮し、神奈川県民ホールのオープン 40周年を記念する上演であった。それから 3年少し経ってまた新たな「金閣寺」の上演がなされるとは、大変に意義あることだろう。今回の上演は、東京二期会によるもの。ワーグナーやシュトラウスやイタリア・オペラだけでなく、東京二期会がこのような日本人作品を採り上げるとは、素晴らしいことではないか。しかも今回は、フランス国立ラン歌劇場との共同制作であるという。この「ラン」という名前にはなじみがないが、フランス語の綴りは "Rhin"。実はこれ、ライン川のことらしい。ライン川というと我々日本人のほとんどは、ドイツの川でしょうと思うだろうが、このラン歌劇場の所在地は、ストラスブール。そう、あの、ドイツとフランスが取り合った、フランスのアルザス地方の都市である。そしてこのストラスブール、実はライン川沿いなのである。ドイツにもラインの名を冠したオペラハウスがあるが、それはデュッセルドルフのライン・ドイツ・オペラ。やはりこの大河は、ドイツでもフランスでも、人々に親しまれているということだろう。ともあれそのラン歌劇場 (と、同じアルザスのミュルーズという都市) で、このプロダクションは既に昨年 3月・4月に上演済。それは、日本とフランスの文化交流をテーマとする第 1回アースモンド・フェスティヴァルの一環であったという。私もこのフェスティヴァルについては全く知識がなかったが、パリではなく地方でこのような試みがなされる点、非常に興味深い。調べてみるとこのオペラハウスは、1972年に、それまでの組織が統廃合して、フランスの指揮者アラン・ロンバールを音楽監督として迎えて発足したらしい。ロンバールと言えばストラスブール・フィルの音楽監督であった人だから、そのオケがこのオペラハウスのピットに入るということだろうか。これがそのラン歌劇場の内部。おぉー、立派ではないか。行ってみたい・・・。
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さて、黛の「金閣寺」、私が実演に接するのはこれが 3度目であるが、決して誰もが楽しめる明るい内容ではなく、実に陰鬱であり内省的であるので、いかに人気演出家宮本亜門が手掛けると言っても、さすがに満席ではない。だが、会場である東京文化会館で客席を見渡すと、1階席中央はほぼ埋まっていて、かなりの入りであったと評価できるだろう。ダブルキャストによって、2/22 (金)、23 (土)、24 (日) の 3公演が行われたが、私が鑑賞したのはその最終日。3幕から成るオペラであるが、前半に 1幕と2幕で、上演が約 60分。25分の休憩を挟んで、3幕が約 35分。14時開演で、カーテンコール終了は 16時10分頃であった。

この上演、一言で言ってしまうと、大変充実したものであったと思う。主役の溝口は二期会を代表するバリトンの宮本益光であったが、期待通りの素晴らしい出来で、この屈折した人物の内面を、巧みな歌と演技で赤裸々に表現していた。まず彼に拍手を送りたい。その他、腰越満美や嘉目真木子というおなじみの女性陣に加え、数多い登場人物を歌う二期会の歌手たちは、それぞれの役柄をうまく表現していたものと思う。そして、ギリシャ悲劇のコロスの役割を担い、滔々と読経する時間も結構長い、この作品において非常に重要な合唱団も、大変迫力のある出来であったと思う。そして、私が今回、主役の宮本と並んで特に称賛したいのは、指揮者のマキシム・パスカルである。1985年生まれ、未だ 33歳という若さである。
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彼は、ネスレをスポンサーとするザルツブルク音楽祭ヤング・コンダクター・アウォードを 2014年に受けているという。これは、翌 2015年には、イタリアのロレンツォ・ヴィオッティが受賞した賞であり、最近の若手の登竜門になっているようだ。このパスカルは、フランス国内のオケを既に多く振っているのに加え、ミュンヘン・フィルやグスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラにも登場している。また、オペラにおいても、ミラノ・スカラ座、パリ・オペラ座には既に度々登場しており、加えて、サルヴァトーレ・シャリーノの新作オペラをベルリン州立歌劇場で指揮したり、あのシュトックハウゼンの超大作「光」のツィクルスも、パリなどで始めているという。今回は東京交響楽団を指揮しての演奏であったが、指揮棒を使わず、冒頭の暗い沼の奥から立ち込めてくるような音楽を、なんと確信をもって指揮していたことか。その時点で既に、彼の非凡さを感じることができたが、全体を通して、細部に気を配りながら、大きな流れを作り出すことに成功していたと思う。東京二期会のサイトには、今回の上演に関する彼の言葉が掲載されているが、それによると、このオファーを受けたとき、黛の音楽は知らなかったという。だが、子供の頃 (!) に三島の原作小説を読んだことがあったので、二つ返事で引き受けたのだそうである。そしてこのオペラには、ヨーロッパ的ななじみのある部分もあるが、細部を見て行くと、表現手法の中に日本独自の文化に由来するものがあると気づいたとのこと。このような言葉が説得力を持って響く若手指揮者であるから、今後の活躍はまず、間違いないだろう。

そして、宮本亜門である。もともとミュージカルの演出家であり、テレビでもおなじみの顔であるが、今や彼の活動の中に、オペラ演出はしっかり入っている。私も以前、やはり二期会の「ドン・ジョヴァンニ」の演出を楽しんだことがある。これは昨年 3月、このプロダクションが上演されたフランス国立ラン歌劇場の前での写真。
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今回の宮本の演出においては、舞台は左右、そして多くの場合は奥も、つまりは三方が閉ざされていることが多い。これはいわば、溝口の閉ざされた内面か、あるいは脳の中であろうか。溝口を歌う宮本益光は、右手が不自由という (原作とは異なりオペラの中での) 設定に従って、右手をずっと曲げたままの歌唱であったが、特徴的だったのは、その歌を歌う溝口以外に、若い溝口役の少年俳優がいて、数々の回想シーン (その多くは陰鬱で辛いものなのだが) では、その少年が主に演技をする。だが後半、金閣寺に火をつけるクライマックスに向かう過程で、徐々に「歌手」= 大人の溝口が自ら演技をするようになる。これによって、「過去と現在、二人の溝口の闇を対比させています」と宮本亜門は語る。面白いと思ったのは、それら閉ざされた壁面が、ある場合にはプロジェクションマッピングのスクリーンとなり、またあるときには、左右の壁からスライド式に様々なセット (誰かの家であったり、寺の一部屋であったり、格子戸であったり) が出て来る。これもまた、溝口の記憶を辿っているように思われる。ある場面が終わるとそのセットは壁に収納され、また別の記憶に応じて、別のシーンが壁から飛び出てくるというわけである。この作品では非常に多くの場面があって、舞台転換は大きな課題になるが、この演出ではその点、非常にすっきりとクリアに整理されていて、好感が持てた。
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さて、このような黛の「金閣寺」、上演自体は大変楽しんだのだが、これを鑑賞している間に、三島由紀夫の生き様や、あるいは昭和という時代に思いを馳せていたことを、将来この記事を読み返すときのために、ここに記しておこう。私がこの上演を見た 2019年 2月24日は、ちょうど天皇陛下即位 30周年の日。あと数ヶ月で終わってしまう平成という時代のことを、考えないわけにはいかない。だがその場合にはどうしても、その前に半世紀以上続いた、昭和という時代から考え始める必要がある。このオペラの原作小説の執筆も、そのオペラ化も、あるいはその前に起きた原作者三島の死も、すべて昭和の出来事。昭和という時代は、このオペラが書かれた 1970年代には、畢竟、戦争に向かって突き進み、それに敗れて挫折しながらも、その後の努力で経済はとにかく復興したという、そういう時代であったわけである (バブル崩壊とか、東日本大震災は、昭和の人たちは知らない)。今回の演出においては、戦争というテーマも臆せずに描いていたので、余計にそのことを考えることとなった。昭和も終わり、平成も終わって行く中、これから始まる新しい時代に、我々はいかに生きて行くべきなのだろうか。奇しくもこの上演を見た日、三島と親交があり、日本という国について知り尽くしていたドナルド・キーンも、96歳で亡くなってしまった。それもやはり、ひとつの時代の終わりという淋しさを抱かせる出来事である。そしてオペラ「金閣寺」のテーマは、溝口という男の屈折した心情や、耽美的な美意識という個人的な問題から離れて、日本という国における昭和という時代への郷愁と嫌悪感を、ふたつながら含んでいるような気がする。今回のような上演を通じて、私たちはこれからも、昭和という時代と折に触れ対峙して行くことだろう。そうそう、三島由紀夫という人は、昭和元年 (1925年) 生まれなので、彼の年齢は、ちょうど昭和の年と同じであった。つまり彼は、昭和元年には 0歳であり、昭和 45年 (1970年)、45歳でこの世を去ったわけである。黛敏郎は彼より 4歳下であるが、若き日にパリで知り合ってから親しい友人であったという、この 2人の昭和の笑顔。このような小説家と作曲家の関係を、新しい時代に我々は持てるであろうか。
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by yokohama7474 | 2019-02-25 00:40 | 音楽 (Live) | Comments(2)

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前項に引き続き、どうやら興行成績があまり芳しくないらしい映画をご紹介しよう。監督は、衝撃の出世作「シックス・センス」以来、一風変わった設定の映画を世に問うてきている、インド系米国人の M・ナイト・シャマラン。主演は、上のチラシで見る通り、その「シックス・センス」や、シャマランによるその次の作品であった「アンブレイカブル」に出ていたブルース・ウィルス、「X-MEN」シリーズでも存在感を持ち、シャマランの前作「スプリット」では、難しい多重人格の人物を熱演したジェームズ・マカヴォイ、そして、今やハリウッドを代表する曲者黒人俳優であるサミュエル・L・ジャクソン。この顔ぶれが揃えば、ヒット間違いなし!! と思いきや、どうもそういうことではないらしい。ひとつ象徴的であるのは、この映画、いわゆるプログラム冊子 (パンフレットという言葉は、どういうわけか私はあまり好きではない) というものが作られていないのである。まぁこのプログラム冊子という習慣は、世界広しと言えども、日本にしかないのではないかと思われるのだが (調べたわけではないが、海外で映画を見てもそんなものにお目にかかったことがない)、それが作られないということは、配給側の事前の弱腰ぶりを推し量ることができるというものだ。それとも、何か理由があるのだろうか。そもそもこれは、一体どのような映画であるのか。

この映画、上のチラシにある通り、2000年制作の「アンブレイカブル」の続編ということである。いやそれだけではなくて、前作「スプリット」(2016年) の続編でもある。なので、この 2編のいずれかを見ていない観客にとっては、ストーリー展開に無理がありすぎて、チンプンカンプンであろう。だがその一方で、それらを一度見てさえいれば、細部に関する記憶が曖昧であっても、さほど困ることはない。この映画で引き継がれるそれら過去の映画の内容は、ほんのエッセンスのみであるからだ。私の場合も、比較的最近見た「スプリット」はともかく、「アンブレイカブル」については、日本公開から 18年を経ていて、その間一度も見直したことはないので、さすがに概要しか覚えていなかったが、それで充分であった。もちろん、ブルース・ウィルスとサミュエル・L・ジャクソンがどのような役柄であったかという点だけは覚えていなくてはならないが。これがその「アンブレイカブル」からのショット。
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一方、「スプリット」の方については、ジェームズ・マカヴォイが演じているのが多重人格者であること、そして、その作品で囚われの身となるこの女性の顔だけ判別できればよいだろう。アニャ・テーラー=ジョイという若い女優だが、いわゆる整った顔立ちというものとは少し違っていて、一度見たらなかなか忘れない顔である。このブログでは「スプリット」のほかに「ウィッチ」という映画についても記事を書いたが、実は制作の順番は日本公開と逆で、「ウィッチ」(2015年) は彼女の映画デビュー作であったようだ。
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さて、そのような過去の作品を引き継いだこの作品、出来はどうかというと、私としては、残念ながらかなり期待外れと申し上げるしかない。サラ・ポールソンという女優 (「オーシャンズ 8」にも出演していた) が演じる精神科医が、主役 3人はそれぞれ、何らかの精神障害によって自分をスーパーヒーローだと信じているのであるという説に基づき、彼らを施設に収容し、実験だか治療だか分析だか分からないことを行う。
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予告編を見たときは、そのあたりの雰囲気はなかなかよいかなと思ったものだが、実際に見てみると、まぁ若干の意外性を持つ展開とは言えるかもしれないが、終盤になって「いや実は」ということが説明されても、そんなに驚かない。また、登場人物の中には、動かぬ証拠を見せられることもなく、誰かが話すことを真実だと思ってうろたえる (?) 人がいるが、いやいや、その話が真実だと、どうやって信じようというのか (笑)。シャマランの映画は、終盤のどんでん返しにいつも特徴があるのだが、残念なことに、何をやっても「シックス・センス」を超えることができないと、私は思っている。これは、キャリアの初期にひとつのピークを築いたアーティストの一例に入ると言ってもよいだろう。ただ、それでも一時期は「エアベンダー」という、一体何が言いたいのか分からない映画を作ってしまった (連作になる予定であったが、この 1作で止まってしまっているようだ) 彼にしては、昔の作品世界に戻ろうという姿勢を見せることは自体、好ましい試みだという気はする。未だ 48歳であるから、これからも様々な試みを見せて欲しいと思う。これが本作について語る最近のシャマラン。尚、ヒッチコックばりに自作にチラリと出演する習慣は、今回も続いている。
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そもそもここで題材となっている「スーパーヒーロー」とは何だろう。もちろん、常人にはない特殊能力の持ち主である (ヒーローというからには善玉が前提とは思うが、ここではその前提は外されている)。スーパーヒーローにはアメリカン・コミックに始まる長い歴史があり、そこから生まれたキャラクターたちは、スクリーン上で縦横無尽に活躍してきた。実際のところ、既にハリウッド映画は極限までスーパーヒーローを描き尽していて、観客は、いかなる超常的な能力の設定 (敵・味方とも) にもなかなか驚かないし、その種のスーパーヒーローが束になって出て来て、世界が崩壊の危機に瀕したり、スーパーヒーロー同士が戦ったり、なかには死んでしまうスーパーヒーローもいて、もうなんでもありだ。そんな中、この映画に出て来る自称「スーパーヒーロー」の能力は、まぁなんと慎ましやかであることよ (笑)。ジェームズ・マカヴォイ演じる多重人格者の中で最強の、この「ビースト」と呼ばれるキャラクターは、ムキムキ筋肉を見せ、その名の通り派手に吼えまくるが、彼のスーパーパワーは、ちょっと天井を這ったり、せいぜい車をひっくり返すことくらいで、意外と大したことないのである (笑)。このあたりも、設定が地味だと思わせる要因であり、映像においてもかなり手作り感満載であって、昨今の映画で百花繚乱の、見る者を圧倒する迫力からは程遠い。
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恐らくシャマランの意図は、大げさで荒唐無稽なスーパーヒーロー物と異なり、人間特有の複雑さを持っているキャラクターを地味に描くことで、世界の終わりではなく、何か人間について語りたいことがあるように見受けられる。だが、もしそうなら、このように過去の作品を組み合わせて無理やりそれらを結合する必要もないわけで、単発作品を地道に作っていく方がよくはないだろうか。それから、ストーリー展開上で私がどうしても違和感があったのは、上記のビーストを含む多くの人格を持つ恐ろしい誘拐犯 (本来のキャラクターはケヴィン) に対して、前作で囚われの身の被害者として、多大なる恐怖を味わったはずのケイシーという女性が、その恐怖を過去のものとして、本作ではあたかもケヴィンの母親のように、優しい理解をもって接するという設定。うーん、これは今どき流行らない、男の勝手な妄想のような気がして、正直、なんともうんざりしたものである。
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このような具合で、私としては沢山のハテナマークを持って見ることになった映画であった。上記の通り、日本での興行成績は振るわなかったようだが、そのようなことが続いてしまうと、この監督が新作を撮れなくなってしまう恐れもあるものと思う。それはやはり惜しいことである。私としてはこの監督の次回作への期待がなくなったわけではないので、まずは頑張って次を撮ってもらい、日本公開の際には、できればプログラム冊子くらい、薄くてもよいので作って欲しいものだと思う。

by yokohama7474 | 2019-02-23 23:40 | 映画 | Comments(0)

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今を時めく名優ヒュー・ジャックマンの新作。前作「グレイテスト・ショーマン」の大ヒットも記憶に新しい彼の主演作であるから、これもまた大ヒット間違いなし。・・・と思いきや、2月 1日 (金) に公開されてちょうど 3週間になる今、調べてみると、もう東京でも数館で 1日 1回だけ上映されているような有様で、これはもううほぼ上映終了状態と言ってよいだろう。その題名にもかかわらず、興行面では残念ながらフロントランナーにはなっていない状況である。私の場合は、世の中でヒットするか否かと、自分が見たいか否かとはほとんど関係がなく、ただ見たいと思った映画を頑張って見るようにしているのだが、その内容が、声を大にしてその価値を唱えたい場合もあれば、残念な出来栄えに寡黙になってしまう場合もある。この映画の場合、大変遺憾ながら、後者に分類せざるを得ないかなというのが私の率直な感想である。繰り返しだが、ヒットしていないから内容が悪いと言う気は毛頭ない。そうではなくて、実際に鑑賞してみて、あぁ、これでは見る人の共感を得られないだろうなぁと思うわけである。以下、その根拠をかいつまんで書いてみよう。

さて、上のチラシにある宣伝文句が、この映画のストーリーをすべて語っている。実話に基づく物語であるが、1988年のアメリカ合衆国選挙 (つまりは、共和党のジョージ・ブッシュ父が当選した選挙) において、コロラド州選出の前民主党上院議員、ゲイリー・ハートという人物が、途中まで選挙戦をリードするフロントランナーであった(つまり、アル・ゴアやマイケル・デュカキスをリードしていたということ) ところ、ある報道によってその選挙活動が断たれてしまう。そんな物語である。なるほど。それは一体どんな報道であったのか。巨額の金銭スキャンダルか、あるいは犯罪歴などの悪質な経歴詐称、あるいはまさか、他国政府の支援を受けて、不正に選挙戦を有利に進めたのではあるまいな???? そんなことであれば、許してはおけないし、大統領にしてもいけない!! だが、このような選挙事務所員への爽やかな対応シーンを見ると、とてもそんな人には思われない。
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上記の通り、この映画の流れにおいては、メディアによる報道が大きな鍵を握っている。このブログでも過去に、メディアの在り方をテーマとした実話に基づく優れた映画を何本か紹介して来た。「ペンタゴン・ペーパーズ / 最高機密文書」や「スポットライト 世紀のスクープ」である。それらに共通していたのは、浮かび上がった政府の嘘や聖職者たちの罪という、社会を揺るがす不祥事と、それを報道するメディアの責任、またその一方で考慮せざるを得ない世間一般や権力者たちの反発、さらには国益と言った要素が絡み合い、実に衝撃的なサスペンスを作り出すという構成であった。翻ってこの作品はどうか。確かに、メディアの人々の様々な苦悩や正義感や、ある場合には大衆へのアピール度への執着などが描かれている。だが、この映画が上記 2作品と決定的に異なるのは、ここでメディアが噛みつくのは、決して社会の巨悪ではないという点だ。このハート上院議員のプライヴェートなことなのである。その内容は、漢字二文字で表される。不倫である。ある地方紙に若い女性との不倫をスクープされたハートは、選挙スタッフの協力を得ながら、最初は堂々とその危機を乗り越えようとするのだが、いくつかのきっかけによって、遂には選挙戦からの脱落に至ってしまう。大勢の聴衆の前で、このように動揺しながらも、なんとか難局に立ち向かうゲイリー・ハート。
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だがまず、一風変わっているのは、普通このような題材なら、この前途洋々たる上院議員が、いかなる理由で思慮のない行動に走ったのか、もっと細部を描くはずだ。例えばこの男は実は人品の卑しい男で、大統領になる資格などなかったのだ、というトーンか、あるいは、実際には能力もヴィジョンもある有能な指導者だったが、人間的な弱さに負けてしまったのだ、というトーンとかが出て来るだろう。この映画のトーンはどちらかというと後者かもしれないが、あまり明確ではない。そもそも、不倫相手とクルーザーで知り合う場面がちょっとだけ描かれているものの、その 2人の会話はその後は (記者が張り込みで取材するシーンの遠目のショットを除けば) 登場しなかったと記憶する。一方、見ている方は、昔の J・F・ケネディ (だけでなくその弟のロバートも。もっとも彼は大統領になる前に殺されてしまったが) の女性好きの逸話や、私の世代ではリアルタイムで興味を持って見ていたクリントンの「不適切な関係」などを知っている。なので、この大統領候補の不倫自体には、さほど衝撃はない。いやそれどころか、これだけルックスもよく誠実で、地位もあり、リーダーの素質があれば、まぁ女性には当然もてるだろうし、米国ではそんなこともあるだろうよ、くらいに思ってしまっても不思議はないのである。いや、今日びそんな言い方をすると女性蔑視とのそしりを受けるかもしれないが、そういう意図ではなく、きっと当時の (今も?) 米国のセレブたちには、このようなことが日常茶飯事として起こっていただろうと、多くの観客が思うだろうということを、指摘しているのである (さらに言えば、ここでは女性も、ただ受身ではなく、しっかりと意思を持った存在として描かれている)。だから、語弊を恐れずに言えば、「たかが不倫」で大統領レースを諦めるというこの映画のメッセージが一体どこにあるのか、私には皆目分からなくなってしまった。それは端的に言えば、誰かに感情移入する作り方は周到に避けられている、ということかもしれないが、そんな映画、面白いと思う人が何人いるだろうか。こういうネタにマスコミがたかってくるのは、洋の東西を問わない点は確かであるが。
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ただ、面白いシーンがなかったわけではない。ジャーナリストとしてハートに目をかけられるワシントン・ポスト紙の A.J. パーカーという記者 (演じるのはマムドゥ・アチーという俳優) が、ハートの考え方から大きな刺激を受けるにもかかわらず、記者会見でハートに対し、正面から極めてシビアな質問 ("Yes, or No?") をぶつけるというシーン。ここには、ハートが見込んだ若い才能が、そのハートに対して、尊敬の念があるからこそ牙を剥くという情景を見ることができた。ジャーナリストとしてこんなことをするのがベストか否かは置いておいても、その決意には、教えられるものがある。私も今後は、議論で誰かを責め立てるときには、"Yes, or No???" と、決然と迫ろうと思います (笑)。

主役のヒュー・ジャックマンは、あえて言えばそんな中途半端な映画において、ゲイリー・ハートという人物を熱演していることは確かだろう。だがいかんせん、この展開では、この熱演が活きて来ない。ほかの役者では、選挙スタッフのひとりを演じる J. K. シモンズが、いつもの通り彼らしくて、安心して見ていられる。
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だがその他は、うーん、ハートの妻役も娘役も愛人役も、残念ながらあまり印象には残らなかった。監督はジェイソン・ライトマンという 1977年生まれのカナダ人で、父は「ゴーストバスターズ」で知られるアイヴァン・ライトマン。もともとインディーズ系の出身で、「JUNO / ジュノ」という作品でアカデミー賞の 4部門にノミネートされ、脚本賞を受賞している。また、「とらわれて夏」などの作品も監督している人。きっと手腕のある監督なのだろうが、この作品の場合には、狙いが少し外れてしまったのかもしれない。
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さて、上で私は、この映画のメッセージがどこにあるのか、皆目分からないと書いたが、そうは言いながらも、考えることがないではない。それは、もしこの 1988年の大統領選でこの人が勝利し、民主党政権ができていたら、その後の米国の歴史は変わっていたかもしれない、ということだ。ジョージ・ブッシュ父はほかでもない、あのサダム・フセインを相手に湾岸戦争を始めた人。これがなければ、息子ジョージ・ブッシュ政権下でのイラク戦争も、どうなっていたか分からない。その意味で、20世紀最後の 10年に、米国は重要な選択をしたと考えてもよいだろう。歴史にたら・ればは禁物とは言え、マイアミの地方紙による、政治家にとってさほど珍しくもない不倫報道が、ゲイリー・ハートを葬り去らなかったら・・・ということを考えてしまう。ここで淡々と描かれている騒動が、実は米国の運命を大きく左右した、ということを考えてみてもよいかもしれない。ただ実は、実際のゲイリー・ハートは大統領選からドロップアウトしたあとも、国際関係分野で活躍し、現在も 82歳で存命だ。若い頃はこんな感じ。さすがにヒュー・ジャックマンほどではないにせよ、なかなかにダンディである。不倫騒動から 30年。実名入りでこんな映画が出来て、ご本人は一体どう思っているだろうか。
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そんなわけで、映画としての出来は決してよいとは思わないが、米国の過去数十年や現在の政治情勢について、あれこれ考えるきっかけにはなったとは言えるだろう。

by yokohama7474 | 2019-02-22 01:58 | 映画 | Comments(0)

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NHK 交響楽団 (通称「N 響」) とその首席指揮者、パーヴォ・ヤルヴィによる定期公演の 3演目め。それぞれに相変わらず凝ったプログラムであり、このようにいかなる曲も器用にこなす指揮者とオケのコンビは、間違いなく東京の音楽界の中心の一角をなしているが、今回もまた、大変に面白い内容。オール・ストラヴィンスキー・プログラムである。
 幻想曲「花火」作品 4
 幻想的スケルツォ作品 3
 ロシア風スケルツォ
 葬送の歌作品 5
 バレエ音楽「春の祭典」

実は、ヤルヴィと N 響が進めているストラヴィンスキー・ツィクルスの前回の演奏会は、2018年 5月。このブログでも、5月26日付の記事でそれを採り上げた。その際には 3曲すべて、いわゆる新古典主義というスタイルで書かれた曲であったが、今回はまた異なる趣向だ。まず、後半に置かれた「春の祭典」、これは誰もが知る、イーゴリ・ストラヴィンスキー (1882 - 1971) による生涯ベストの傑作。だが前半に置かれた 4曲は、いずれも小品ばかり。そして、ご覧になる通り、作品 3、4、5という初期の作品が含まれている。さてここで、一般の音楽ファンの方はあれれ、と思うかもしれない。ストラヴィンスキーの代表作である 3大バレエをはじめ、彼の作品に、作品番号ってついていましたっけ。そう、実は作曲者自身が、交響曲第 1番 (1905 - 07年作) に作品 1をつけてから、作品 9 (「ヴェルレーヌの 2つの詩」、1910年作) までは、8番がなぜか欠番であるものの、作品番号を振っていた。そして、この 1910年という作品 9が書かれた年が意味深だ。この年パリで、出世作「火の鳥」が初演され、その作品にはもはや、作品番号はついていないのである。その後、1911年に「ペトルーシュカ」、1913年に「春の祭典」と、衝撃のバレエ作品を次々に世に出すことで、彼は歴史に名を残す作曲家となったわけであるが、いずれも作品番号はつけられていない。そして、1914年の第一次世界大戦勃発時からスイスに居を定め、1917年のロシア革命によって、完全に故国との縁を切ってしまうのである。今回のヤルヴィと N 響の演奏会では、そのような初期の作曲家の活動に思いを馳せることができるが、いやいや、このプログラムの功名な意図は、それだけではない。最初の 4曲、演奏時間が順に、4分、12分、4分、12分という具合にきれいな反復になっている。そして、1曲目と 2曲目が「幻想」の反復、2曲目と 3曲目は「スケルツォ」の反復。そして 4曲目の「葬送の歌」については、2017年 5月19日のエサ=ペッカ・サロネン指揮フィルハーモニア管弦楽団の演奏会の記事において、日本初演の様子をレポートしたが、これはもともとストラヴィンスキーが師匠であるリムスキー=コルサコフの死を悼んで 1908年に書いたものだが、その後楽譜が紛失してしまい、2015年にサンクトペテルブルク音楽院の改修工事の際に偶然発見され、ヴァレリー・ゲルギエフとマリインスキー劇場管弦楽団によって蘇演が行われた。なので、未だ大変に珍しい曲なのだ。この凝りよう、さすがヤルヴィのプログラミングである。
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さて、演奏について書く前に、ひとつ保留しておきたい。私は基本的にステージ全体が見渡せる席が好みで、視覚面から来る情報も、私にとっては音楽を味わう際の重要な要素になっている。しかるに今回は、チケットの入手が直前になってしまった関係で、1階席の前の方での鑑賞となってしまった。この席では、視覚情報は、指揮者の指揮ぶりを除けば極めて限定されてしまうし、例えば個々の管楽器がどのような粒立ちで鳴っているのか聴き取りづらいこともある上、近くにいる弦楽器に不揃いが出てしまうと、やたら耳についてしまうという問題がある。なので、私としては、ちょっといつもと勝手が違う環境での鑑賞であったことを申し上げたい。

まずヤルヴィは、最初の 4曲を、できるだけ連続して演奏したいという意図があったようだ。というのも、1曲目が終って拍手を受けると、ステージ袖に戻ることもなく、指揮台に立ったまま、譜面台のスコアを取り換えてすぐに 2曲目に入ったし、2曲目の終わりには一旦袖に下がったものの、すぐに再登場した。そして、3曲目と 4曲目の間には、袖に戻ることはなかった。この 4曲、解説を見てみると、全く同じ楽器編成ではないものの、かなり似ているので、楽員たちも皆ステージに残り (いや、見えなかったけれど、多分。笑)、曲間のチューニングもなかった。また、弦楽器の編成は、前回のストラヴィンスキー・プログラムと同じく、いつものヴァイオリン左右対抗配置は取らず、指揮者のすぐ右手にはチェロが陣取っていた。なお、この 4曲のうち、3曲は上述の通り若い日の作品番号付の曲だが、作品番号のないロシア風スケルツォだけは、1944年、米国で書かれた新古典主義の作品だ。この 4曲、ヤルヴィと N 響であるから、極端な表情づけを避けて、都会的にすっきりした演奏ではあった。ただその一方で、木管にもっと鋭く切り込みをして欲しい箇所がいくつかあり、それが、上に書いた通り、私の今回の席ではたまたまそのように聴こえたのか、あるいは、もっと違った事情があったのだろうか。ともあれ初期の作品には、師匠であるリムスキー=コルサコフの影響もある一方で、やはり後年の三大バレエの萌芽を思わせるような箇所もあって面白い。なんでも、作品 3の幻想的スケルツォと、作品 4の幻想曲「花火」は、1909年に同じ演奏会で初演されているらしく、その場にあのディアギレフがいて、これらの曲を聴いてストラヴィンスキーの才能を見込んだという説もあるようだ。事実であるか否か、確認は取れていないようだが、話としてはよくできている。これが、パリでストラヴィンスキーを世に出した、興行師セルゲイ・ディアギレフ。
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さて後半は期待の「春の祭典」である。冒頭のファゴットが意外なことに長く延ばされて、これは土俗的な側面を強調する演奏かと思ったのだが、実はその後に出て来る弦楽器のアタックはそれほど暴力的ではなく、全体を通して、狂乱の「ハルサイ」というイメージとは、少し違っていたと思う。ここでもまた、ちょっと木管あたりの鋭さとか、楽器間の絶妙の呼吸というものが、どうも今ひとつに聴こえてしまったのは、いかなることか。もちろん、いつもの通り長い腕でオケをリードするヤルヴィの様子には、自信と確信が見て取れたのだが、この曲が持っている野性味を表現するには、音の線を揃えるよりも、むしろ少しかき乱した方がよいのではないだろうか。N 響としてもこの曲は、デュトワをはじめ、何人もの指揮者と演奏してきたものであり、既に慣れているレパートリーかと思うので、技術的な安定感は、ごく一部の箇所を除いては感じることはできたのだが、どうしてもこの演奏!! というだけの強い個性という点では、若干課題が残るような気がした。もちろん、違う席で聴いていた人は、違う聴き方をしたかもしれないし、決めつけるつもりは毛頭ないのだが、このコンビならもっとできるのでは、というのが私の正直な感想である。今試みに、手元にあるパーヴォ・ヤルヴィとシンシナティ交響楽団の「春の祭典」の CD (2004年録音) を聴いてみると、冒頭のファゴットは今回ほど引き伸ばされていないし、概して今回よりも重量感のある音で鳴っているように聴こえるような気がする。その一方で、やはり狂乱というイメージとは少し違う、制御された音響とも言えるかもしれない。都会性と土俗性のはざまにおいて、この曲の解釈は様々に変わりうるし、またパーヴォのこの曲を聴く日がいつか来るだろうから、また楽しみにしたいと思う。
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ところで、N 響の来シーズン (2019年 9月から) のプログラムが先月発表になっている (それ以前は指揮者名のみ発表されていた)。既に N 響のサイトでもその詳細を見ることができるが、初登場のケント・ナガノがマーラー 9番を振ったり、ブロムシュテットがマックス・レーガーのピアノ協奏曲 (ソロはピーター・ゼルキン) やモーツァルトの大ミサを採り上げたり、スラットキンによるコープランド・プロあり、エッシェンバッハによる「復活」あり、ルイージによる「英雄の生涯」あり、ソヒエフによるチャイコフスキー 4番あり。加えてヤルヴィは、マーラー 5番、ブルックナー 7番、アルプス交響曲や、オール・ポーランド・プログラムやシベリウス 6番・7番なども採り上げるし、新作の日本初演もある。なんとも賑やかな内容になっているのである。頑張ってできるだけ聴きに行きたいと思う。

by yokohama7474 | 2019-02-21 00:38 | 音楽 (Live) | Comments(0)

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このブログでは、既に終わった展覧会の記事を書いて、ご覧になる方をイラッとさせている (もしくは記事そのものを読んで頂けない) 場合が多いと認識しているので、今回は、たまには会期中の展覧会をご紹介したい。とは言っても、そもそもこの展覧会の会期は 1ヶ月と少し。まだ残り期間があるとは言っても、今週末まで。残る期間はほんの数日だ。だが、このブログで私ごときが何を書こうとも、この展覧会の混雑具合には全く影響ないだろう。というのも、この展覧会は既に連日大混雑であるからだ。ただ、もしご存じない方がおられるといけないので書いておくと、これは美術ではなく、書の展覧会。私としても、書の展覧会に出掛けることはあまりなく、今すぐに思い出せるのは、中学生の頃に同じ東京国立博物館で見た「日本の書」という大規模な展覧会。それからもちろん、空海の国宝「風信帖」などは何度か見たことがあるし、あるいは身内に書家がいるので、その会の発表会には足を運んだこともある。だが、このような歴史的名品が揃う書の展覧会は、私としてはかなり珍しい体験なのである。

そもそも私は泣く子も黙る悪筆で、特に書道ともなると、よしんば筆ペンであっても、それはもう、見るに耐えない字しか書くことができない (笑)。小学生の頃の習字の授業では、墨を硯で擦って、残った墨が斜めになると心が歪んでいる証拠だと聞いて、わざと斜めに墨を擦っていたような (そして墨をズボンにボトリとこぼしていた) ひねくれ者である。そんな私でも、中国の伝説的な書家として、王羲之 (おうぎし) と顔真卿 (がんしんけい) の名前くらいは、高校時代の世界史の教科書で習って知っている。なので、この展覧会に興味を持って出掛けて行ったのであるが、実はこの展覧会、顔真卿の展覧会では全くなく、さらに広く深く、中国の書の歴史から日本の書までを広範に網羅し、実に多くの名品をずらりと揃えた、ちょっとないほど充実した、驚きの内容の展覧会なのである。ただ、この展覧会を「中国の書の歴史」とか、「書 - 波濤を超えて」とか、「愛と哀しみと青春の書」とかにするよりも、ズバリ、教科書に載っている顔真卿の名前を使う方が効果的である、という判断がなされたものと思う。そして、どの展示物も紹介する前にまず書いてしまうが、この展覧会が大混雑する理由は、上に掲げたポスターにもその写真が載っている、何やら書き間違いを訂正した作品、「祭姪文稿」(さいてつぶんこう) である。これは、台湾の故宮博物院所蔵の名だたる名品のひとつで、唐時代の末期、いわゆる安史の乱で戦死した甥を悼んで顔真卿が書いた草稿である。そこにはなりふり構わぬ哀しみが迸っていて、実に感動的。これを見るために人々はこの展覧会に押し寄せるのだ。但し、私がこの展覧会に行ったときには、開館後さほど時間を経ずして入場したはずだが、この「祭姪文稿」の展示場所に辿り着いたときには、既に 90分待ちという状況であったので、今回は残念ながら実物を見るのは諦めた。私は以前、台北の故宮博物院現地で、この書と対面しているはずであるし (恥ずかしながら記憶は不明瞭だが)、いずれまた現地を再訪する機会を持ちたいと思う。「祭姪文稿」についてはまた後で簡単に触れるとしよう。

さて、ここで私たちが見るのは、一言でまとめてしまえば、漢字の歴史である。漢字は、世界四大文明のひとつである黄河文明において成立したとされ、その時代に使われた文字として現在でも残る唯一の文字である。この展覧会で見ることのできる最初の展示物は、紀元前 13世紀、殷時代の甲骨文である。殷墟から出土した現存最古の漢字資料である由。文字通り牛革に書かれているもので、その拓本で見ると形もはっきり分かる。
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これは紀元前 10世紀、西周時代の青銅器。展示品名が難しすぎて PC で漢字変換できないので、それは諦めることとするが、ある家に嫁いできた女性が姑のために作った青銅器であるという。上の展示品とこれは、台東区立書道博物館の所蔵になり、この展覧会ではほかにも多くこの博物館から出品されていた。これほど由緒正しい名品を多く所蔵しているとは知らなかった。
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さてこれは、後漢時代、西暦 66年のもので、「開通褒斜道刻石」(かいつうほうやどうこくせき)。東京国立博物館所蔵。褒斜道という要路の修理開通を記念した銘文の拓本であるとのこと。いやしかしこれ、モダンアートと言っても通用すると思いませんか。
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次も後漢時代、153年のもので、「乙瑛碑」(いつえいひ)。魯の国の前大臣である乙瑛という人が、孔子廟内の器物を管理する役人を採用したことを述べる石碑の拓本。えっ、魯という国は、確か孔子の生まれた国ではないか。ではこれは、孔子の時代のすぐ後のものか!! と思って調べてみると、孔子が亡くなったのは紀元前 479年とのことなので、何のことはない、この石碑はそれから 600年以上経てからのもの。それにしても、この写真の左から 3行目に「孔子廟」とあるのを見ると、何やら興奮する。因みにこの書体は隷書という。この書体なら、ひとつひとつの漢字は今でも読める。
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これはあの王羲之の書の拓本。4世紀、東晋時代のもので、「十七帖 - 上野本」と呼ばれる。確かに冒頭に「十七」と見える。上野本と呼ばれるのは、朝日新聞社社主であった上野理一という人が所蔵していたかららしい (現在は京都国立博物館所蔵)。王羲之は数々の書体を使い分けたとのことだが、この字には得も言われぬ気品が漂っていることは、悪筆の私でも感じることができるのである。さすが書聖。
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これも王羲之で、「定部蘭亭序 - 犬養本」。353年という年代が分かっているが、それは冒頭の「永和 9年」らしい。ここでの犬養とは、あの犬養毅のことで、この拓本は 11世紀半ばに発見され、以来中国歴代の収集家の手を経て、彼の所蔵になったものという。同じ王羲之でも、これはかっちりとした楷書である。4世紀のものとは信じられない。
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さてこれは、拓本ではなく自筆である。所有者の記載はないが、国宝。実に、7世紀、隋の時代のもので、智永という僧侶による「真草千字分」。梁の武帝は、王羲之の筆跡から重複しない一千字を選び、それを並び替えて韻文を作らせたという。その作業に当たって一日で事を成し遂げた周興嗣という人は、その一日で、髭も髪も真っ白になったという。その千字文を、隋の時代に楷書と草書で書写したものがこの作品。それにしても、考えてみれば、こんな古代に既に、同じ字を幾通りもの書体で表すことのできた漢字とは、なんという特殊な文字であろうか。
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これは唐時代の虞世南という人の手になる「孔子廟堂碑 - 唐拓孤本」(628 - 630年)。長安に造営された孔子廟の完成を記念する碑の拓本である。実は今回の展覧会のひとつのウリは、「李氏の四宝」という、清の李宗瀚という人が集めたお宝の集結であるが、これはそのひとつ。
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この展覧会には、ごくわずかだが絵画作品も展示されている。見事だと思ったのでここに掲げておきたいのは、14世紀、元時代の郭忠恕 (かくちゅうじょ) の「明皇避暑宮図」。明皇とは玄宗皇帝のことらしい。玄宗が楊貴妃とともに遊んだのは、このような場所だったのか。私が興味深く思ったのは、このような夢想の中の建物を、あたかも見て来たかのように精緻に描く感性である。
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隋・唐の時代に活躍した書家、欧陽詢 (おうようじゅん、557 - 641) は、書の歴史において大きな功績を残した人らしい。これは 631年に書かれた「九成宮醴泉銘 (きゅうせいきゅうれいせんめい)- 官拓本」。 九成宮とは、隋の文帝が造営した宮殿を、唐の太宗が修復して与えた名前。避暑のための宮殿であったらしく、杖で地面をつつくと甘い水が湧き出てきたので、それを醴泉 (れいせん) と称し、太宗が記念碑の建立を命じたとのこと。欧陽詢は楷書で知られたらしいが、この 76歳のときの書は、「楷書の極則」と呼ばれているという。確かに、凛とした字である。
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次も有名な書家で、褚遂良 (ちょすいりょう、596 - 658) の「孟法師碑 - 唐拓孤本」(642年)。唐の太宗が王羲之に入れあげ、様々な彼の書を収集した際に、その真贋を見極めたのがこの人だという。
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これも同じ褚遂良の「雁塔聖教序」(653年)。長安に今も残る大雁塔内に建立された石碑の拓本だが、この冒頭部分には、あの三蔵法師の名がある。そう、「西遊記」で有名なあの玄奘三蔵が、インドから仏典を持ち帰ってきたことを記念する石碑なのである。恐るべし、歴史の生き証人!!
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これはその褚遂良が王羲之を書写した「黄絹本蘭亭序」。拓本ではなく直筆であるだけに、極めて貴重である。これも台北の故宮博物院に寄託されているもの。後でも見るが、今回は故宮博物院から、数々の名品が来ているのである。
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さあこれは珍しい。あの悪名高い (と我々は習う) 女帝、則天武后の書である。699年に建立された「昇仙太子碑」。周の霊王の王子であった晋という人が、鶴に乗って昇天したという逸話に基づき、その晋の廟を改築してこの碑を建てたらしい。王羲之に倣った字体とのことだが、堂々としていて鷹揚な印象を受ける。実際にはどのような人だったのだろうか。
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これもすごい。あの唐の玄宗の筆になる「紀泰山銘」(726年)。
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これだけではどのくらいの規模か分からないが、実は会場ではこの作品だけ、写真を撮ってよいようになっている。その長さ (碑の高さ) 13m。実はこの石碑は、泰山 (道教の聖地であり、世界遺産に登録されている) に現存しているらしい。以下は、私が会場でスマホ撮影した写真。
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このあと、日本にある唐時代の書がいくつも展示されていて、国宝また国宝なのだが、私好みの変化球で次に進もう (笑)。これも唐時代、9世紀の作品で、「説文口部残巻」。見ての通り、漢字辞典である。面白すぎる。
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さて、ここでようやく顔真卿 (709 - 785) の登場だ。これは「王琳墓誌 - 天宝本」(742年)。顔真卿にとっては友人の母にあたる王琳という人の墓に寄せられたもので、この墓誌は 2003年に出土したという。顔真卿 33歳、現在発見されている中で最も若いときの筆であるらしい。しかしそれにしても、なんという折り目正しい楷書体だろうか。惚れ惚れするとはこのことだろう。
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せっかくなので、ここからいくつか顔真卿作品をご紹介する。これは「千福寺多宝塔碑」(752年)。素晴らしい字であるが、会場で説明されていたことをここで記憶に従って述べると、右手に筆を持つ人は、字を書くときにどうしても右上がりになってしまう。顔真卿はそれを是正し、字の横線が水平になるように書いた。その結果、字はきっちり四角の範囲に収まり、整然とした印象となる上、同じスペースに多くの字数を入れることが可能になった。そして彼の書体が、今日ポピュラーな明朝体のもとになった、ということらしい。
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さてここで、本展覧会の目玉でありながら、上で書いた通り、私が実物に相対することが叶わなかった「祭姪文稿」(758年) から。上にも書いた通り、殺された甥への追悼文の草稿であり、ここで見る顔真卿の字は、上の 2作品に見るような明朝体のお手本とは、随分と違っていて、そこには人間の感情が迸っている。書き直しも実に生々しい。
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そしてこの部分、「嗚呼哀哉」(ああ、かなしいかな)。胸が張り裂けそうな哀しみが、文字として永遠に紙の上に残っている。
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これは「臧懐恪碑」(ぞうかいかくひ、768 - 770年頃)。唐時代の将軍の功績を称えた碑であるらしい。60代前半の顔真卿の書には、なんとも言えない清冽さがある。
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これは 771年の「大唐中興頌」。安史の乱を乗り切った唐王朝を称えるべく、岩に彫られたものらしい。顔真卿は忠臣として知られ、書をたしなむのみならず、官僚でもあり軍人でもあって、大変立派な人であったようだ (最後は奸計によって戦乱地方に派遣され、戦死したとか。但し 77歳は当時としてはかなり長生きであったろうが)。そのような人柄を忍ばせる字である。
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これは 780年に書かれた顔真卿の「自書告身帖」。官僚としての配置換えの辞令を、自分で書いているらしい。確かに真ん中あたりに「顔真卿」とあって、そのあとに「立徳」であるので、自分で自分を推薦しているのであろうか。興味深い。
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さて次は張旭 (ちょうきょく、7 - 8世紀) の書から、「肚痛帖 (とつうちょう)」。顔真卿の師にあたり、草書の聖人と呼ばれているが、酒に酔うと大声を上げて走り回り、髪を墨に濡らして書くなど、奇行が多かったという。この文には、急な腹痛に襲われたときに大黄湯 (だいおうとう) なる薬を服用したら治ったということが書いてあるらしい。うーん、変わっている (笑)。
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もっと変わった書家がいる。その名は懐素 (かいそ、8世紀後半)。顔真卿とも知り合いで、草書の神髄を彼から学んだという。また、その書は李白にも絶賛されたらしい。だが彼も、酒を飲んでは寺院の壁や塀、食器や着物などに手当たり次第に書いたので、現存作品が少ないようだ。そんな中、これも台北の故宮博物院から今回やってきた「自叙帖」(777年) は大変貴重であり、これはもう破天荒な作品である。私としては今回の出品物の中で最も面白いと思ったのがこれである。これは自らの経歴を述べるところから始まる。確かに狂草という感じだが、しかし達筆だ。
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このあたりでかなり興に乗ってきている。素晴らしい筆の運び。
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ところが最後の方では、「人は誉めてくれるけど、いやいやそんな。そんなそんな。そんなー!!!!」ってな具合で、謙遜なのだか自負なのだか分からないが、とにかく感情が炸裂してしまう。面白過ぎる。
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さて、これでもかなり端折りながら中国歴代の名筆をご紹介してきたわけだが、この展覧会で意義深いのは、日本の書の名品もずらりと並んでいることである。最後にいくつか日本の作品をご紹介したい。これはなんと飛鳥時代の国宝、「金剛場陀羅尼教巻第一」(686年)。日本で書写された最古の経典。中国の一流書家たちに比べると癖があるが、極めて貴重な遺品であることは間違いない。
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これはなんと、伝聖武天皇筆、「賢愚教残決」。もちろん国宝である。
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これは最澄の「久隔帖」(813年)。これまた国宝。最澄が残した唯一の書状である由。当時空海のもとで修業中であった泰範という自らの弟子にあてたもので、空海への質問が書いてあるらしい。日本の密教の両巨頭の交流を示す貴重な資料である。
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一方の空海は、言わずと知れた三筆のひとりと称えられる書の大家。これは「崔子玉座右銘」。重要文化財である。後漢の人、崔子玉という人の座右銘を写したもの。さすが、達筆ですなぁ。
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これも三筆のひとり、嵯峨天皇筆と伝わる「李嶠雑詠断簡」(りきょうだつえいだんかん)。国宝。初唐の政治家・詩人の詩を書写したもので、欧陽詢の字体に酷似しているそうだ。
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ついでに三筆のもうひとり、橘逸勢筆と伝わる「伊都内親王願文」(833年)。実は橘逸勢の真筆と確認できる遺品はひとつもないそうであるが、この書の場合、王羲之の字体に似ているところもあり、相当な技術をもって鍛錬された手ということで、逸勢の筆と目されてきたとのこと。
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そのほかにも、日本における王羲之や顔真卿の影響が伺われるような作品も展示されているが、かなり長い記事になってしまったので、このあたりでやめておこう。ひとつ思ったのは、日本の古い書というと、まずは経典が中心というイメージであるが、中国の場合、拓本として残っているものに、もちろん仏教寺院のものもあるとはいえ、あるいは道教であったり、または宗教と関係のない個人の業績を称えるものであったり、必ずしも宗教色の強くないものが多い。日本は中国と韓国から仏教文化を取り入れたわけであるが、その受容自体は、古代からして少し違っていたように思う。東アジアの文化は、単一なようでいて実はそうではない。ただ、漢字を取り入れた我が国においては、書というものが重要になり、そのお手本を中国の古い時代に求めたということは、何か大変に歴史のロマン溢れることのように思われる。なので、たとえ「祭姪文稿」の実物を見られなくても、この展覧会には、ほかにお宝がぎっしりである。残る 5日間の会期で、ひとりでも多くの方に、是非アジアのロマンに触れて頂きたい。

by yokohama7474 | 2019-02-20 01:46 | 美術・旅行 | Comments(2)

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東京・初台にある新国立劇場では、昨年 9月に始まった今シーンから、大野和士をオペラ部門の芸術監督に頂いているが、今回ようやく、就任後初めてその大野がこの劇場のピットに入る。しかも演目はヴェルディでもワーグナーでもなく、日本人による日本語オペラの新作。大野自身の企画による新国立劇場の委嘱作であり、これが世界初演である。今シーズンの新国立劇場の演目においても、一、二を争う話題の上演であることは間違いないだろう。私が見ることができたのは、合計 4回中最初の公演であり、つまり、初めてこの作品が世に出るのに立ち会ったことになる。

そもそも日本においても、山田耕筰以来数々のオペラが書かれており、その蓄積は既にかなりのものであると言えるだろう。だが、日本語のオペラのひとつの課題は、いかにして言葉を音楽に乗せるかという点にあるだろう。日本ならではの詩歌は五・七・五の俳句や、その後に七・七と続ける短歌が一般的であり、これであれば日本語は美しく響くことは誰でも知っている。あるいは演劇という点においては、能や歌舞伎における日本語は、耳で聴いているだけでは聴き取りにくいものの、台詞を目にすると、古い日本語特有の抑揚や、感情の込め方が理解できる。だが、西洋音楽の中でも、イタリアという流麗な言語を持つ国にその発祥を持つオペラという分野では、どうだろう。なかなか日本語では成果を挙げにくいというのが実情であろう。日本語の問題ゆえに、ドイツ語で書かれた黛敏郎や細川俊夫のオペラなどは、むしろ親しみやすいと感じてしまう面もある。その歌詞という課題の克服のため、これまでにも、一柳慧の作品に大岡信、三枝成彰の作品に島田雅彦、というように、文学者がオペラの台本を手掛ける例はいくつもあったが、なるほどと思う部分と、やっぱりどうもなぁと思う部分が常にあったと思う。今回の台本は詩人の佐々木幹郎であるが、さてその成果たるやいかに。実はこのオペラ、台本、作曲、指揮、演出がチームで作り上げていったものであるらしく、またそこに加えて、監修者がいるという構成だ。現代においてオペラを世に問うということは、極めて難易度が高いことであろうから、各分野で高い能力を持つ人たちが議論をして知恵を出し合うというのは意義あることだ。これはその 5人によるトークイヴェントの様子。
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この作品、「紫苑物語」というのだが、「紫苑」は「しおん」と読む。これはキク科の植物の名前で、英名は Aster である (この作品のチラシに記載ある英語タイトルは "Asters")。ま、私は植物には滅法弱い人間なので、こんな植物だと言われれば、ふむふむそうですか、と返すしかないのだが (笑)。ちょっと文学的には、真っ赤な血の色を中和しそうな青であるが、それについてはまた後で。
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この「紫苑物語」は石川淳 (1899 - 1987) の小説が原作である。この無頼派の作家は、同じ範疇 (その呼称がどの程度妥当なものであるかは別として) で呼ばれる坂口安吾とか太宰治に比べると、私にとっては、名前はともかくその作品にはあまりなじみはないし、一般的にも、最近あまり読まれなくなっているのではないか。プログラム冊子に載っている、本公演の監修者である音楽評論家の長木誠司の文章によると、今回の題材探しにおいて、未だ誰もオペラ化したことのない作家が好ましいと思った由。また、せっかく日本で作るからには、ヨーロッパの文脈と異なる作家が好ましく、その点石川淳は「豊潤にして破綻のきわみ、高雅にして俗っぽい、密にして韜晦的、釈然としながらときにえらく飛躍する」そうだ。長木はその文学を、「得体が知れない」とすら表現する。
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もうひとり、演出家が重要だ。笈田ヨシ。実に現在 85歳という高齢だが、あのフランスの大演出家ピーター・ブルック (こちらはもうすぐ 94歳) の劇団で長く活躍してきた人。演劇に興味のない人でも、マーティン・スコセッシ監督の「沈黙 - サイレンス」での演技を見て知っている人も多いだろう。役者であるだけではなく、近年は演出家として活躍しているようである。小柄ながら凄まじい存在感を持つ人だ。
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面白いのは、日本における日本語オペラの上演で、歌手も皆日本人なら、指揮者も日本人、オケも東京のオケ (東京都交響楽団、通称「都響」)、演出も日本人であるのに、恐らくは演出家が選択したであろう美術、衣裳、照明は、すべて外国からの招聘だ。日本の舞台運営には、想像するに、様々なしがらみがありそうなものだが、このような思い切った外国人の選択は、作品の今後の国際的な評価のためには重要だと思う。

さて、西村朗については何を語ろうか。以前もどこかの記事で彼の名に触れたことがあると思うが、アジア的雰囲気を持つ作品 (巨大な管弦楽作品を含む) を数多く世に送り出していて、現代日本を代表する作曲家のひとりである。現在 65歳。大阪人らしく喋りも上手で、以前は NHK で「N 響アワー」の司会を務めていたこともあった。過去に室内オペラの作曲はしているが、このような大規模なオペラは初めてであるようで、「自分のこれまでの集大成にしたい」と語る。
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この作品は 2幕 (1幕は 5場、2幕は 7場) からなり、それぞれ 1時間内外の演奏時間である。今回は 25分の休憩が一度あったので、14時に開演、カーテンコール終了は 16時40分頃であったろうか。ただ内容が非常に濃いので、長く感じる。だがそれは退屈という意味ではなくて、性急過ぎない展開のストーリー性もあるので、多くの人々が楽しんで見ることができたであろう。但しこの「楽しんで」という表現には、若干の語弊があって、内容自体は決して明るく楽しいものではない。設定された時代は特定されていないが、平安時代であろうか、代々勅撰和歌集の選者となる家系に生まれた主人公、宗頼が、歌の道を捨てて弓矢を操るようになる。名門の家から来た嫁は素行に問題あり、そこに取り入る狡猾な部下などもいるが、宗頼は野で見つけた謎の女性に入れあげ、また、自らに弓矢を手ほどきした叔父を殺し、山の向こうの世界を目指す。そこで彼はひとりの男と出会い、その男と自分の共通点と相違点を認識し、最後に仏頭に矢を射るという冒瀆的な行為を行って、世界は破滅する。そんなストーリーなのだが、主人公宗頼が弓で人を殺めるたびに、その場に紫苑を植えて行くという点が、題名の由来である。なるほど、血の赤を中和する青であろうか。大野の言葉を借りると、「このオペラは、ある若者がなかなか見出せない自らの人生の意義を、いろいろな形で問い続ける旅の物語」である。

西村の音楽は概して観念的な要素は少なく、強い表現力を持ちながらも、耳には比較的入ってきやすいものとの印象があるが、今回の音楽も、まず冒頭の前奏曲の弦楽合奏が、大野の指揮する都響の音のクオリティも貢献して、すんなりと聴き手の耳に入ってくる。その後も、ドラマの内容に大きな曲折があるので、音楽の表情も千変万化であり、もちろん音同士が激しく錯綜する部分もあるが、オペラとして歌われることをきっちりと想定した音響 (妙な言い方だが、世の中には、どう聴いても歌われることを想定していないとしか思われない現代オペラもあるものだから。笑) が支配的であったと思う。全曲を通していくつかのライトモティーフ (示導動機) が使われているようだが、一度耳にしただけでは、なかなかそこまではフォローしにくいものの、音とドラマの連関は明らかであろう。また、上で触れた歌詞についてであるが、擬態語、擬声語や、適度に文語体を交えた方法が採られ、音楽がうまくそれを捉えている場面も多々あったと思う。但し、この作品では (日本のオペラでは珍しいという) 四重唱もあり、歌詞を耳で聴きとることはまず不可能だ。そのため、舞台両横に日本語字幕と、それから、これも素晴らしいと思ったのだが、英語字幕が出ていた。特筆すべきは、合唱団 (三澤洋史指導) がいくつもの場面で大きな役割を果たしており、これは練習も相当に大変であったろう。最初の場面は「婚礼の儀」で、そこでの盛り上がりがすごい。西村言うところの「ケチャ的な鋭い掛け声」もある。もちろんケチャとは、西村の創作活動に大きな影響を与えているであろうバリ島の踊りの中で、男たちが叫びながら踊る群舞のことである。歌手陣も相当に重労働で、ほぼ出ずっぱりの宗頼 (髙田智宏) はもちろん、コロラトゥーラを聴かせる千草 (白木あい)、出番は短いながらファルセットも出す平太 (大沼徹)、また、叔父である弓麻呂 (河野克典)、部下である藤内 (村上敏明)、いずれも渦巻く音響の中での感情表現と、動きの多い演技は立派であった。だがその中でも、妻うつろ姫を歌った清水華澄 (このブログでは既におなじみの歌手である) の、まさに体を張った歌唱は、一頭地抜きんでていたと言ってもよいのではないだろうか。

演出もまた隅々にまで神経の行き届いたもので、それでいて思わせぶりなところは皆無。舞台セットについての笈田自身の言葉によると、第 1幕は現実的で暴力的なので、血をイメージする赤。第 2幕は見えないものへのあこがれと探求でブルーとのこと。
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舞台奥の中央と左右には巨大な鏡があって、時折動いては客席自体を反射する。また、床に投影されるプロジェクトマッピングを正面の鏡が反射して、図や絵が出るところなども、なかなか効果的。加えて、何人かの黒子が時折舞台に登場しては、装置を動かしたり、また矢が飛んだように見せるための手助けをしたり。実に忙しい舞台だが、様々な動きが、うまく捌かれていた。もちろん、音楽をリードする大野の手腕あってこその、演出の冴えであったと思う。
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このように濃厚な物語と多弁な音楽は、初回公演において多くの聴衆に受け入れられたようだ。私も今思い出してみて、これはなかなかに面白い体験だったと思っている。だがその一方で、この時代になぜ石川淳、なぜ「紫苑物語」、という素朴な疑問には、未だ明確な答えを見出せずにいるのも事実。舞台芸術が、何も時代の持つリアルな問題を反映する必要があるわけではないが、例えば、妻うつろ姫の内面は一切描かれず、また卑劣な部下、藤内も今ひとつ悪者になっておらず (つまり、ヤーゴではないということ)、千草の存在感も、あまり大きくはない。その一方で、モブシーンはかなり長く執拗だし、性的なシーンやそこでの歌詞も、結構過激である。私としては、そのあたりの必然性には少しクエスチョンマークが残ったと正直に書いておこう。とはいえ、私の読んでいない石川淳の原作にある「得体の知れない」要素が関係しているかもしれないし、何より、大野と新国立劇場による日本人作曲家委嘱シリーズの第 1弾として、これはなかなかに充実の公演であった。これからまだ、2/20 (水)、23 (土)、24 (日) と 3公演があり、特に 20日と 23日には、終演後に西村と大野によるサイン会が予定されているので、行かれる方は楽しみにされてよいと思う。

by yokohama7474 | 2019-02-17 23:01 | 音楽 (Live) | Comments(2)

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首席指揮者パーヴォ・ヤルヴィが指揮する今月の NHK 交響楽団 (通称「N 響」) の定期公演のうち、これは 2つめのプログラム。このコンビの意欲的な取組は実に瞠目すべきものがあるが、今回のプログラムはロシア音楽である。
 ラフマニノフ : ピアノ協奏曲第 2番ハ短調作品18 (ピアノ : アレクサンダー・ガヴリリュク)
 プロコフィエフ : 交響曲第 6番変ホ短調作品111

いずれもロシアを代表する作曲家であるが、ラフマニノフの方は、作曲家の全創作の頂点をなすと言ってもよい若き日の名作。一方のプロコフィエフの方は、珍しい作品では決してないものの、それほど演奏されない円熟期の作品。その対照の妙も、いかにもプログラム巧者のパーヴォらしい。
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今回のラフマニノフのコンチェルトは当初、ジョージア出身の女流ピアニスト、今人気絶頂のカティア・ブニアティシヴィリが予定されていた。ところが 2月に入ってから発表されたことには、彼女は残念ながら健康上の理由で来日中止。急遽ピンチヒッターに立ったのは、1984年ウクライナ生まれのアレクサンダー・ガヴリリュクである。
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彼はいくつもの国際コンクールの優勝歴を誇るが、そのうちのひとつが 2000年の浜松国際コンクールである。以来頻繁に日本を訪れていて、N 響との共演は 2011年、2015年、2016年に続く 4回目である由。昨年 9月には、東京交響楽団をバックに、一晩でロシアの代表的なピアノ協奏曲を 3曲 (チャイコフスキー 1番、プロコフィエフ 3番と、今回も演奏するラフマニノフ 2番) を弾くという離れ業もやってのけている。ブニアティシヴィリの代役として不足はないだろう。そして今回のラフマニノフの演奏、ある意味では模範的とも言える演奏であったと思う。だが、ともすると感傷に流れがちなこの曲に、しっかりとした流れを与えることで、過度な感傷を避けることに成功していた。彼のピアノは決して粒立ちが絶妙という感じでもないように思うのだが、曲の個性を自らのものとしているゆえに、感傷に走る必要もないということだろうか。ヤルヴィと N 響の伴奏も、実に手慣れたものであり、安定感抜群であった。そしてガヴリリュクがアンコールとして弾いたのは、同じラフマニノフの有名な「ヴォカリーズ」であったが、会場の表記によるとこれはゾルターン・コチシュによる編曲。ここでもガヴリリュクは、淡々と美しいメロディを紡ぎ出して見事であった。ところでこのコチシュ、もともと「ハンガリー三羽烏」のひとりと呼ばれて、未だ 20代であった 1970年代から活躍した人。近年は指揮者としての活動も行っていたが、2016年に惜しくも 64歳の若さで亡くなった。今調べてみると、この自ら編曲した「ヴォカリーズ」を 1984年に録音している。ラフマニノフのピアノ協奏曲全集に付随するもののようで、今回の演奏会と同じ 2番のコンチェルトと組み合わせた盤もある。若いなぁ。
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そしてメインのプロコフィエフ 6番は、彼の代表作のひとつである第 5交響曲が第二次大戦末期に書かれたのに続き、終戦をまたぐ格好で、1945年から 1947年にかけて書かれている。3楽章からなる 40分ほどの曲であるが、曲の雰囲気は決して明るく楽しいものではなく (終楽章は駆け回る音楽なので、これを明るいと言ってもよいかもしれないが、決して一筋縄にはいかない)、前作 5番の人気には遥かに及ばない。私がこの曲を初めて耳にしたのは、1980年代だと思うが、エフゲニ・ムラヴィンスキーと当時のレニングラード・フィルによるライヴ演奏の FM 放送であった。当時は知らなかったのだが、実はムラヴィンスキーは、この曲の初演者なのである。ムラヴィンスキーと言えば、ショスタコーヴィチの交響曲の多くを初演したことで知られるが、プロコフィエフ作品を採り上げることは、決して多くなかったはずである。しかもバリバリの共産党員であった彼は、ショスタコーヴィチのシンフォニーにおいても、国の方針に鑑みて問題作とみなされそうなものはうまく避けていたように思われるのだが、このプロコフィエフ 6番はどうだろう。音響的には決して体制から支持されそうには思えない。実際、1948年の「ジダーノフ批判」で、この曲は形式主義的として非難されている。その批判はスターリン死後の 1958年に事実上撤回されたため、その後もムラヴィンスキーは折に触れこの曲を指揮した。だが、現在に至るもこの曲の演奏頻度はあまり高くないのが実情である。しかしながら、ここ東京では、先月もこの交響曲が、大野和士と東京都交響楽団によって演奏されている (残念ながら私は聴けなかったが)。例によって、そんなことは世界にもなかなかない、東京ならではの現象と言ってもよいだろう。これは 1940年、ということは未だ独ソ戦も始まっていない頃に撮られた写真で、左からプロコフィエフ、ショスタコーヴィチ、そしてハチャトゥリアン。
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今回のヤルヴィと N 響の演奏は、期待通り、非常に見通しのよい充実した演奏であったと思う。この曲には晦渋な要素がついて回り、第 1楽章では威圧的な雰囲気もある一方で、音楽は持続的な盛り上がりを見せることがない。第 2楽章で歌われるのは、歌劇「戦争と平和」の「ナターシャとアンドレイの愛の主題」に類似するテーマであるそうだが、例えば 5番の緩徐楽章のような緊張感に満ちた美しさはない。そして、スケルツォを欠いているこの交響曲、終楽章のはしゃぎぶりにスケルツォ的な要素を兼ねているのかもしれないが、ここでも音響の統一感はあまり感じられない。このような曲でありながら、しかしヤルヴィと N 響は、まるで手慣れた曲であるかのように楽々と先へと進んで行くのである。いつものことながら、ヤルヴィの指揮の美点は、楽員たちの力をうまく束ねて解き放つ点にある。およそ不得意というレパートリーのない彼のことだから、この曲でも大変に力感に満ちた指揮ぶりで、実に安心感を持って聴いていることができた。上質な音楽体験である。

ところでプロコフィエフという作曲家、有名な曲とそうでない曲がかなり極端に分かれているように思う。ロシア革命の際に国を出て、日本にも滞在したのは有名な話だが、1935年に祖国ソ連に還り、1953年の死 (奇しくもスターリンの死と同じ日!!) まで留まった。初期のアヴァンギャルドな作風 (極端な例はやはり「炎の天使」か) から、帰国後に書いた革命賛辞のカンタータ類、エイゼンシュテインの作品に作曲した映画音楽、絶対的な名作バレエ「ロメオとジュリエット」と、それに次ぐ「シンデレラ」、一連の先鋭的なピアノ曲に、各種協奏曲、室内楽曲、あの大小説を原作とする大作オペラ「戦争と平和」まで、実に様々だ。交響曲でも、若き日の人気作、第 1番「古典交響曲」のあと、名作 5番までは傑作とは評価されておらず、4番などは、改訂して別の作品番号を与えられたリしているし、最後の 7番でも、異なるエンディングの版があるなど、かなりとっつきにくさがあることは事実。なので、もう一度この 6番などをじっくり聴くことで、この作曲家のまだまだ未知な部分への足掛かりとなるような気がするのである。それから、これは全くの余談だが、彼の孫はガブリエル・プロコフィエフと言って、1975年ロンドン生まれの作曲家なのである。私は弦楽四重奏曲を聴いたことがあるが、ミニマル風の面白い曲である。例えばこの CD。これを聴いたからと言って、彼の偉大なる祖父の音楽の深淵への理解が深まるわけではないにせよ、何かそこに流れるものがあるのではないかと考えるのも、結構楽しいことである。
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by yokohama7474 | 2019-02-17 00:49 | 音楽 (Live) | Comments(5)

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欧米の主要美術館には、それぞれに夥しい数の絵画が展示されているが、その中で、どの美術館に行っても出会う名前というものがある。別に統計を見たわけではないのだが、私の独断では、やはりピーテル・パウル・ルーベンス (1577 - 1640) こそが、まさにそのような画家の筆頭であろうと思う。しかも、驚くような規模の大作が多く、一体いかにしてこれだけの夥しい作品群を、これだけの水準を保ったまま世に出すことができたのか、不思議に思われる。それはもちろん、彼が工房を率いていたからだが、それにしても、ほかにここまでの数と質を達成した画家はいないわけだから、やはりこの画家ならではの要領というか、配下の画家たちをうまく使いこなす独自の才能があったのであろう。私の場合はどちらかというと、一点一点に心血を注ぐタイプの画家、あるいはどこかに暗い影の差すタイプの画家の方が好きなので、ルーベンスより一世代下のレンブラント・ファン・レイン (1606 - 1669) の方が、好みである。いやもちろん、レンブラントとても工房を率いていたし、アムステルダムに残る彼のアトリエでは、絵画販売をビジネスとしてうまく取り仕切っていた様子を伺うことができる。一方のルーベンスの場合は、ゆかりの地であるアントウェルペンを私が訪れたときには、たまたま祝日であったためにその旧居や墓所の見学ができなかった (以前のこのブログでの旅行記ご参照) こともあって、その活動の実態についてのイメージが不足していることは否めない。だがやはり、レンブラントとルーベンスを比較してみると、ふくよかでドラマティックなルーベンスよりも、陰影の濃いレンブラントの方が、依然として私の好みである。ただ改めてこの 2人の生没年を見ていると、生年は 29年異なり、没年もまた 29年差、ということは、ほぼ同じ長さの人生を生きたことになる (ルーベンスは満 62歳で、レンブラントは満 63歳で死去)。それからもうひとつの顕著な違いは、ルーベンスがスペイン・ハプスブルク家から外交官の役目を負わされて、英国にも赴いているのに対し、レンブラントの場合は、王室との関係はあまりなかったように思われることだ。このルーベンス展のコピーのひとつに、「王の画家で、画家の王」というものがあったが、ルーベンスには王室のために働いた期間があったということ、改めて理解することとなった。そしてまたそこに、現在のベルギー (当時は独立前) で活躍したルーベンスと、プロテスタントの独立国であったオランダの画家レンブラントとの違いを見ることも可能であろう。

さてこの展覧会は、そんなルーベンスの画業に関するものであり、昨年 10月16日から今年の 1月20日まで、上野の国立近代美術館で開かれていたもの。折しも越年の時期の上野では、ほかにもフェルメール展やムンク展という大人気の展覧会が開かれていて、それらの記事も追々アップ予定ではあるが、このルーベンス展、もしかすると若干その 2つの展覧会の影に隠れてしまったかもしれない。私が訪れたときにはほとんど混雑していなかった。上記の通り、私は特にルーベンスに入れあげているというほどでもない人間ではあるものの、それでもこの展覧会を大変に楽しんだし、新たな発見が多々あったので、もし集客がもうひとつであったのなら、もったいないことだ。既に終了した展覧会ではあるものの、この画家についての理解を再度深めるためにも、簡単にその印象を綴ってみたい。

まず主催者のコメントが面白い。そうそう、展覧会に行くと必ず最初に主催者や、場合によっては出展者からのコメントが掲載されているが、私は必ずそれを読むようにしている。そこには展覧会の趣旨や背景が記されていることが多いからだ。今回の場合は、「本展は、ルーベンスをいわばイタリアの画家として紹介する試みです」とある。つまり、若い頃 (1600年から 8年間) この画家はイタリアに暮らしていて、ヴェネツィア、マントヴァ、ローマ等で画家修業を積んだことが、ルーベンスの表現方法の確立に大きな影響を与えているのである。私もあまりそのあたりの知識がなかったが、実はこの 17世紀初頭、ローマで活躍した天才画家がいる。その名はカラヴァッジョ (1571 - 1610)。こちらは私が深く愛好する画家であるが、なるほど、ルーベンスより 7つ年上、当時 30代前半であった彼が衝撃的な作品の数々を制作したのは、1600年から 1606年の間、ローマにおいてであった。そして彼は 1606年に殺人を犯してしまい、ローマを逃げ出したのであるが、ルーベンスはまさに、カラヴァッジョが活躍した時代のローマにいたことになる。実際、マントヴァ公の指示でカラヴァッジョの「聖母の死」(現在ルーヴル美術館所蔵) を買い付けていたり、後年になって「キリストの埋葬」(現在ヴァチカン美術館所蔵) の模写も手掛けている。

さてそんなルーベンス、ある偉大なる古代彫刻を素描に描いている。「『ラオコーン群像』の模写素描」(1601 - 02年作)。ミケランジェロも発掘に立ち会って衝撃を受けたというこの古代ギリシャ彫刻「ラオコーン群像」が発掘されたのは 1506年。それから 100年近く経って、ルーベンスも恐らくは食い入るように眺めて、この超絶的作品を模写したものであろう。
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これは「アグリッピナとゲルマニクス」(1614年頃作)。既にイタリアから引き上げたあとの時期の作品だが、このように真横からの肖像を重ねて描く手法は、古代のコインなどによく見られる。擬古典的な構図でありながら、その肌の色合いや金髪の様子は、これはバロックの感覚である。
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これは「毛皮を着た若い女性像」(1629 - 30年頃作)。現在ウィーン美術史美術館に所蔵されるティツィアーノの作品の、忠実な模写である。ヴェネツィアの娼婦を描いている。ティツィアーノはルーベンスが生涯で最も影響を受けた画家であったらしいが、だがやはりこの作品、構図はともかくその肌の色合いは、ティツィアーノのくすんだものではなく、ルーベンスの明るさを持っていると思う。
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これは「キリスト哀悼」(1601 - 02年作)。年代が示す通り、イタリア滞在時の作品で、来歴は不明であるが、ルーベンスがイタリアで 3番目に制作した公的作品の可能性があるらしい。ここには未だ後年のダイナミックな工房作ほどの様式化はなく、真摯にイタリア美術を習って感動的な宗教画を描こうという若い画家の熱意が見て取れる。逆に言うと、このような孤独な鍛錬を若い頃に重ねたからこそ、後年のダイナミックな作品群が可能になったということだろうか。
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これも同じく「キリスト哀悼」(1612年頃作)。上の作品から 10年の間に、表現がいかに劇的となったかが分かろうというものだ。キリストの右足は正面から描かれていて、遠近法が大きな効果を上げている。
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次は「天使に治療される聖セバスティアヌス」(1601- 1603年頃作)。聖セバスティアヌスを描いた作品は数多いが、このように大小の天使が矢による傷を癒している構図は、あまり見たことがない。それにしても、素晴らしい人体表現ではないか。
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そして、これぞルーベンスの工房による大作と呼びたい、「聖アンデレの殉教」(1638 - 1639年作)。師であるオットー・ファン・フェーンの同主題の作品を下敷きにしているらしいが、こんなに劇的な情景を作り出すのはルーベンス独自の才能であろう。上空には稲光と天使たち、磔刑台の下には心配そうに見守る人々。そしてその間では、様々な人物の手の表情が、右から左から交錯する。
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さてこれは可愛らしい。「クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像」(1615 - 16年頃作)。以前、リヒテンシュタイン侯爵家のコレクションの展覧会が日本で開かれたとき、この絵がポスターにあしらわれていた。自身の長女を描いているが、当時 5歳。だがこのクララ・セレーナちゃんは、12歳でこの世を去ったという。ここには、チコちゃんではないが (笑)、「永遠の 5歳」がカンヴァスに刻み付けられているのである。
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これは「聖ウルスラの殉教」(1605年頃作)。これもドラマティックな作品だが、群像の一部は、完全には描かれていない。実はこの作品、マントヴァの聖ウルスラ修道院から依頼された作品の下絵であるらしいが、実際にはその作品は実現に至らなかったと考えられている。だがそれにしてもこの作品、ヴェネツィアのティントレットのドラマティックな構図 (サン・ロッコ同信会館を訪れたときの感動!!) を思い出させるものだ。やはりルーベンスのイタリアでの修業時代ならではの作品と言えるだろう。
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これは展覧会のポスターにも使われている「パエトンの墜落」(1604 - 05年頃作、おそらく 1606 - 08年頃に再制作)。写真で見ると大作であるかのように思われるが、実際には、98cm × 131cm の小さな作品。うーん、これもまたティントレットを思わせる劇的な構図だが、構図研究用の習作であったとも考えられているという。このような鍛錬があったからこそ、後年の工房による劇的な大作の数々が可能になったことが分かるのである。
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そして女性ヌードを描いた作品から、「バラの棘に傷つくヴィーナス」(1608 - 10年作)。この主題は決して珍しいものではないが、立ったヴィーナスがこんなに体をひねったポーズを取っているのは珍しいのではないか。そしてこの肉付きのよさは、後年のルーベンスにもよく見かけるものである。
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最後にご紹介するのは、「マルスとレア・シルウィア」(1616 - 17年作)。ウェスタ神殿の火を守る巫女レア・シルウィアに迫る軍神マルス。色彩も鮮やかで、ルーベンスらしいドラマティックな作品。ただ、全体的に少しひしゃげて見えるのは、もしかすると、高いところに架かったものを下から見上げるようになっているのかもしれない。
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今改めて本展の図録を見返すと、これだけ多くのルーベンス作品と、その周辺の作品や、彼に霊感を与えた古代の彫像などを取り揃えた展覧会は、ちょっとないのではないかと思われる。これを見て、冒頭に書いたような私のルーベンスへの偏見は、かなり是正された。工房制作を可能にした細部のある種の定型化は、若き日に独りで修業したイタリア時代が基礎としてあったということだろう。今後のルーベンス作品の鑑賞のために、実に貴重な機会となる展覧会であった。

by yokohama7474 | 2019-02-16 22:36 | 美術・旅行 | Comments(0)

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クルレンツィス・ショック未だ覚めやらぬ東京であるが、彼らが去ったあとも東京では、容赦なく音楽イヴェントが続くのである。外来に負けじと、東京の各オケの活動が相変わらず活発で、この演奏会などは、この街の音楽界の水準を示す恰好のものであったと思う。名指揮者チョン・ミョンフンと、彼が名誉音楽監督を務める東京フィルハーモニー交響楽団 (通称「東フィル」) の演奏会で、曲目はただ 1曲。
 マーラー : 交響曲第 9番ニ長調

マーラーが最後に完成したこの 80分の大作は、多大なるエネルギーと Emotion を必要とする曲であるので、演奏する方にも相当な覚悟が必要な曲であろう。今回、チョンと東フィルはこの大曲を 3つの会場で演奏するが、私が聴いたのはその初回。エネルギッシュで Emotional な音楽は、この人の最も得意とするところ。2006年にも東フィルで、このマーラー 9番を採り上げているようだ。
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さて今回の演奏、ちょっと風変わりな表現を使ってみると、東京におけるマーラー演奏は既に特別なものではなく、ロマン派の最後のあだ花であるこの 9番ですらも、生きるか死ぬかの覚悟で聴かずとも、音楽の本質をしっかりと受け止めることができる、という印象を受けた。これはチョンと東フィルの演奏に不満があったということでは決してなく、素晴らしい演奏であったと思うのだが、それは何か特別なものというよりも、東京を代表するコンビのひとつである彼らなら、当然達成できるだろうというレヴェルであり、聴衆は涙せずとも、冷静にその音のドラマを楽しむことができたように思う。私はいつものように弦楽器の数など数えていて、あれっ、また変わった編成になっているな、と思ったのであるが、次の瞬間には、そんなことがどうでもよくなってしまった。今ここで鳴っている音にこそ耳を傾けたい。そう思ったのである。

この曲は全 4楽章でできていて、最初の第 1楽章と、最後の第 4楽章に究極のドラマ性があって感動的である一方、中間の第 2楽章と第 3楽章は、それぞれ皮肉なユーモアを含んだ、速めのテンポが主体をなす音楽。いわばサンドウィッチ構造だが、今回のチョンの解釈を私なりに整理してみると、第 1楽章では過度に感情的になり過ぎずにしっかりと音の流れを作っておいて、中間 2楽章では通常よりも速めに走り抜き、そのゴールである第 3楽章の最後で、くさびをガァーンと打ち込む。そして終楽章に入って、すべての感情を解き放つ。そんな音響設計に聴こえた。演奏者たちは真摯にこの曲に取り組んでいるので、全体を通して恣意性を感じさせることはほとんどないのに、第 3楽章の最後においてだけ、まるで世界の終わりのようにテンポが崩れて、絶望的な叫びが響いたのだ。つまりは、その先に来る終楽章においては、既に世界は終わっていて、オケが絞り出す纏綿たる哀しみの波の間から、そこには諦めが徐々に満ちてくる。世界が終わっていても独り歌い続けるマーラーは、彼がこよなく愛するこの世界から、既にあちらの世界に旅立ってしまっているようである。だが、我々はそのようなドラマの成り行きは既に知っている。だから、泣くぞと思ってハンカチを携えてこの曲を聴いて、オヨヨと涙するのではなく、オケの上出来な部分と課題の残った部分を冷静に聴き取りながら、音楽そのものに感動することができるのである。今回の演奏はどうやらライヴ収録していたようだから、いずれメディアで聴くことができるかもしれない。なお、チョンは既に、かつての手兵ソウル・フィルと 2015年にこの曲を録音している。
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このマーラー 9番、来月にはまた全く異なる来日組の指揮者とオケのコンビで、演奏されることになる (詳細は、そのコンサートの記事を書ければそのときに)。これもまた、演奏家の対比としてはかなり極端であるが、様々な演奏を通じて、私たち東京の聴衆の経験値は、さらに上がっていくのである。そしてチョンが次に東フィルの指揮台に還ってくるのは次のシーズンで、今年 7月。実はこのオーケストラは、2020年から、シーズンを 1月から 12月に変更するらしく、次のシーズンの定期公演は 4月に始まり、各シリーズとも 5公演しかないという、つなぎ期間になる。欧米の場合は通常 9月から、そして日本は、多くのオケが 4月から、一部は欧米と同じ 9月からというシーズン設定になっているが、1月からというのはかなり珍しいのではないか。その意図は奈辺にありや、ちょっと分かりかねるので、楽団にはいずれかの時点で理由を発表して欲しいものだと思う。だが、それもオケの個性であれば、ほかと異なることは大いに結構だ。例えばコンサート会場の入り口で今後の演奏会の膨大なチラシを配るといった習慣にも、このオケは距離を置いている。そのこと自体が直接に音楽に影響することは、実際にはないかもしれないが、それぞれのオケがユニークな方向性を持って活動してくれることを、東京のファンは歓迎するものと思うのである。

by yokohama7474 | 2019-02-16 02:02 | 音楽 (Live) | Comments(2)