生誕150年 黒田清輝 日本近代絵画の巨匠 東京国立博物館

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以前書いた若冲展の記事で、GW 中に最初に同展をトライした際にあまりの混雑のために諦めて、この黒田清輝展と、アフガンの黄金展を東京国立博物館で見たことに触れた。報道によるとその後も若冲展の混雑ぶりは悪化の一途を辿っているとのことで、最近では実に 320分待ち (!!) ということもあるらしい。なんとも凄まじいことになっているが、その若冲展も残すところあと 2日間。合計で一体何万人があの展覧会に足を運ぶことになるのだろう。

その一方、この黒田清輝展は既に会期が終了してしまった展覧会であって、ご覧頂く方の役にはあまり立たないかもしれないが、内容は大変に素晴らしくまた意義深い展覧会であったので、忘れることのないよう、自分としてもここに記事を書いておきたい。昨年 9月 3日の記事で上野について書いたときに、現在では東京国立博物館の付属施設となっている黒田記念館をご紹介した。この黒田記念館は現在改修中であり、今回の展覧会は、その改修時期を利用して黒田記念館所蔵の作品も多く並べるという目的もあるのかもしれない。
http://culturemk.exblog.jp/23628176

上のポスターに、「教科書で見た。でもそれだけじゃない」というコピーが掲載されているが、このポスターにあしらわれている 2点、「読書」と「湖畔」、時に重要文化財に指定されている後者は、近代日本を代表する洋画として必ず美術の教科書に載っている。少し記憶のよい人なら、黒田の作風が「外光派」と呼ばれたなどという知識もあるだろう。これが私が訪れた GW 中の朝の景色だが、なんという偶然か。外光派の作品のポスターが、外光を誇示するかのような木洩れ日を浴びているではないか!! これを見ることができるのは朝の時間帯だけであり、展覧会を見たあとには既に太陽の角度が変わっていて、全く情緒のない、ただのポスターになっていた。満員だった若冲展のおかげで、貴重なショットを撮ることができました (笑)。
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さて、黒田清輝 (1866 - 1924) は鹿児島出身。本名は「きよてる」だが画家としては「せいき」と名乗ったらしい。幼時から絵の心得は多少あったようだが、18歳で法律を学ぶためにフランスに渡り、そこで絵画を志すことを決めたという。彼の生年 1866年は大政奉還の前年。なので彼はまさに明治の第一世代として西洋文化に貪欲に取り組んだわけであるが、この展覧会でその画業を回顧して行くと、日本の近代化の黎明期に早くも西洋美術の中心地であるパリで認められた日本人がいたことに驚き、また、それゆえに時代の激動 (政治、経済のみならず芸術面での潮流も含め) の中で様々な苦労を余儀なくされたことにも思い至ることとなった。もちろん、画家として、後には貴族院議員として尊敬された人であり、様々な人々に慕われ尊敬されたであろうし、画家としての表現意欲は終生衰えなかったとも思われる。いずれにせよ、いくつか模範的な作品があるということだけで有名で、彼の業績全体がその価値にふさわしいほど知られていないとすると、今回の展覧会の意義は非常に大きいものだと思うのだ。

上述のように黒田は、渡仏してから絵画の道に本格的に目覚めたようで、この展覧会でも、養父にあてて画家としてやっていく決意を述べた書簡が展示されていた。彼の場合、育ちがよくて見かけにも鷹揚さがあるせいか、異国でかの地の芸術に身を投じるという緊張感はもちろん感じられても、必要以上に悲壮な雰囲気はないように思う。やはり新たなことを学ぶには、柔軟性がある人の方が適性があるということではないでしょうかね。これが渡欧から 5年後、1889年の自画像。多少の不安はあれど、基本的には自信に満ちているような。
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実はこの構図や半逆光の描き方には、レンブラントの影響が指摘されている。これは前年、1888年に黒田が模写したレンブラントの「トゥルプ博士の解剖講義」。ハーグのマウリッツハウス美術館の所蔵である。古いカトリックの絵画を学ぶよりも、実証主義的なプロテスタント地域の絵画を学ぶことに興味があったのかもしれない。
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黒田が滞在した頃、1880年代から 90年代のパリと言えば、ロマン主義と新古典主義の並立から、象徴主義や印象派が生まれつつある頃。フランス独特の、保守性を重んじるアカデミック絵画と実験的な前衛性とのせめぎあいの時代と言ってよいだろう。世紀をまたぐと、主としてフランス人以外の人たちが活躍したエコール・ド・パリの時代になるわけだが、それに先立つ数十年前だから、東洋人が活躍することのハードルは想像以上に高かったのではないか。しかし彼は画家ラファエル・コランに弟子入りして、貪欲に西洋絵画を吸収して行く。緻密なデッサンから、このような人物像を描いたり、アトリエの情景を描いている。これらは室内で描かれているので「外光派」となる前夜の習作たちだが、構成力とか色彩の自在さは、何やら日本人離れしていないだろうか。
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そして、戸外に出て描いたこの 1891年作の「落葉」はどうだ。空気を描こうとする画家の清新の気が伝わってくる。そして黒田はこの年、ついに「読書」でサロン初入選を果たすのだ。
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実は「読書」のモデルになったのは当時黒田が恋仲となった肉屋の娘、マリア・ビヨーという女性。「読書」の翌年、1892年に描かれたこの「婦人像 (厨房)」もやはりマリアがモデルになっている。どこか憂愁をたたえた表情であるが、この異国の男性のことをどんなふうに見ていたのだろう。
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これは仲間 (日本人画家の久米桂一郎を含む) とともに撮られた、その頃の黒田の写真。裕福な生まれということもあるのか、その後の時代の、例えば佐伯祐三のような命を削る異国生活の様子に比べると、何かのびのびしているように見える。それゆえにこれほど早く西洋絵画の技術を自家薬籠中のものとできたとも言えるのではないだろうか。もちろん、才能、努力、巡り合わせ、いろんな要素が噛み合って画家の個性が作られて行くわけだが。
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そして黒田は 1893年に帰国。日本で美術教育活動に身を投じる。だが、いかにパリでサロンに入選するという実績を残したとはいえ、当時弱冠 28歳。まだまだ若手というべき年齢である。私はこの展覧会を見ていて、若くして西洋絵画の先駆者としての宿命を負った黒田の意気込みと苦労に思いを馳せてみた。美術にも流行り廃りがあり、黒田の生きた時代にはフォーヴィズムもキュービズムも既に生まれていたわけで、日本で最先端ともてはやされても、決して世界の最先端でないことは本人がよく分かっていたことだろう。また、例えば彼が終生日本でトラブルに巻き込まれた裸体画というジャンルも、日本の伝統と西洋の伝統との違いによるものだけに、笑うに笑えない落胆を味わったことだろう。だが、このあと見るように、彼はやはり画家として非常に自由で幸福であったとも、一方で言えると思う。

彼が帰国して間もない頃に手掛けた「舞妓」。水の上という想定において似て非なる題材の「湖畔」と並んで重要文化財に指定されている名品だ。印象派に強い影響を与えた日本の画家が、その印象派の本場から帰ってきて、まるで逆ジャポニズムのように手掛けた作品である。題材がどうのというより、この鮮やかな色彩に魅せられるではないか。日本の洋画家に多い「デロリ」感をほとんど感じさせない点に、黒田の非凡さを感じるが、いかがであろうか。
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これは1896年の「大磯鴫立庵 (しぎたつあん)」。この鴫立庵とは、もちろん西行の歌に因むものであるが、実はこの西行の有名な歌が読まれたのは神奈川県の大磯あたりと言われており、1664 (寛文 4) 年に西行を偲んで建てられた庵 (俳諧道場) であるらしい。今調べてみたら、おぉなんと、現存するではないか。私は俳句など詠めるわけもなく、せいぜいがサラリーマン川柳どまりであるが (笑)、一度ここを見に行ってみたいものだ。と、例によって脱線しておりますが、この絵はまるでフォーヴィズム。いやー、萬鉄五郎の作品かと思ってしまいました。でもよく見ると、上の舞妓の着物の柄が少し進化したような具合で、黒田の画家としての飽くなき挑戦心をひしひしと感じる。
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この「昼寝」(1894年) もその流れにあり、一層高まる表現意欲を感じる。ここまで来ると、上の舞妓さんの顔と着物の色彩がそれぞれ入れ替わったようだ (笑)。明らかに滞欧時代の作品から先へ進んでいる。
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実は同じような題材で後年、1903年に黒田が描いたのがこの作品、「野辺」である。これが同じ画家の作品と思われるであろうか。なんとも実在感のある艶めかしいヌードである。
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実はこの展覧会には彼の師匠であったコランや、彼が心酔したミレーやピュヴィス・ド・シャヴァンヌなどの作品も展示されているのだが、コランの「フロレアル (花月)」(1886年) と比較すると、もちろん画家としての資質や文化的背景の違いを否定することはできないにせよ、明らかな影響関係が感じられる。黒田は、色彩の冒険を経て、師の作風へのノスタルジーに戻って行ったのかもしれない。
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一方、それに数年先立つ 1899年に、黒田のもうひとつの代表作が生まれている。これも重要文化財に指定されている三幅絵、「智・感・情」である。
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これは不思議な絵であり、また、「湖畔」「読書」で知られる外光派としての黒田清輝とは全く異なる雰囲気の作品である。私は初めてこの絵を知った学生時代に、加山又造の作品かと思ったくらいである。とても 19世紀末、明治の世の作品とは思えないモダンさがある。専門家の間でもこの絵が何を表しているのか定説はないと聞いた。だが、この当時の日本人としてはありえないようなプロポーションに、近代人としての日本人の顔が乗り、それぞれに全く異なるポーズを取っている点、誰しも神秘性を感じるであろう。日本でヌード展示がわいせつか否かという話題を巡ってスキャンダルに巻き込まれた黒田が、精神性の高いヌードを描いて総決算としたと考えたくなる。

その一方で、彼の生きた時代との直接のかかわりあいを示すスケッチブックが展示されていたのも興味深い。1894年、彼は従軍画家として中国に赴いている。そう、日清戦争だ。およそ戦争との関わりを感じさせない黒田でも、そのようなことに身を投じたという点、平和な時代に生きる我々には想像しがたいが、こんな丸焦げの死体などもスケッチしているのだ。ちなみに黒田に現地取材を依頼したのは日本の新聞社ではなくフランスの新聞社であったようである。いずれにせよ、時代の激動をこの静かなスケッチから知ることができる。
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黒田はまた、国を代表する画家として、国家的な事業にも参画している。1914年に完成した東京駅の帝室用玄関の壁画を描いているのだ。第二次大戦で焼失してしまい、今は残された数枚のモノクロ写真から当時を忍ぶしかないが、以下は日本の産業を描いた場面で、上が「運輸及造船」、下が「水難救助・漁業」である。これはまた、モダニストとしての黒田の一面を示す貴重な例ではないか。
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言うまでもなく黒田が滞在していた頃のパリでは、ピュヴィス・ド・シャヴァンヌがパンテオン等の壁画を描いて盛名を誇っていた (私も大好きな画家で、昨年 6月のパリの記事でも少しそれを紹介した)。この展覧会でも、「聖ジュヌヴィエーヴの幼少期」(1875年頃) という作品が展示されていた。神話的風景を描いたピュヴィス・ド・シャヴァンヌとは随分異なる壁画を黒田は描いたことになる。
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黒田は、教育活動に加えてこのような国家的事業への参画を行い、帝国美術院院長を務め、1920年には貴族院議員に就任するなど、公務が多忙となって、後年は大きな作品を描くことができない環境になったようだ。最終的には 58歳の誕生日を迎えずして亡くなってしまったのだが、激務が命を縮めたという事情もあるのかもしれない。そんな黒田の晩年の小さな作品たちがいろいろと展示されていて興味深かったが、特に私が面白いと思って見入ってしまったのは、6点並んだ雲のシリーズだ。大きさは 26cm × 34.5cm で、1914年から 1921年にかけて描かれている。朝に夕に、時間があるときに空を眺めて、さささっと筆を走らせたものであろうか。千変万化する雲の表情に、黒田は何を思ったのであろうか。
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あるいは、この「案山子」(1920年) の佇まいはどうだろう。実は案山子を描いた大作を本人はもくろんでいたらしいのだが、それは果たすことができなかった。でもこの案山子、やはり悲壮感を感じさせることなく、飄々としながらなんとも味わい深いものだと思う。
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そして、これが絶筆の「梅林」(1924年)。前年に狭心症の発作を起こして療養していた黒田が、病室の窓から見える梅を描いていたものであるらしい。体力の限界を示す荒いタッチではあるが、生きようとする意志は最後まであったように思われる。それゆえにこそ、黒田が命を絞って描いた梅の絵に、静かに心を揺さぶられる。
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このように、まさに「教科書で見た。でも、それだけじゃない」画家、黒田清輝の充実した画家人生とじっくり向かい合うことができる貴重な機会であった。そして、画家の生涯の最後まで来て振り返ってみるとき、去年 9月の上野の記事でもご紹介した、この素晴らしい作品が瞼の裏に浮かび上がって来る。1892年作の「赤髪の少女」。異国の青年画家が描いたこのフランスの少女の後ろ姿は、永遠にその美しい背中を向けたまま、なんとも言えない詩情をたたえて我々に語り掛ける。きっと黒田は天国で、若き日を思い出してこの少女の正面をキャンパスに描いているのではないだろうか。
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# by yokohama7474 | 2016-05-22 23:56 | 美術・旅行 | Comments(0)  

佐渡裕指揮 ウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団 (ヴァイオリン : レイ・チェン) 2016年 5月22日 ミューザ川崎シンフォニーホール

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人気指揮者 佐渡 裕は、昨年 9月にウィーンに本拠を持つトーンキュンストラー管弦楽団の音楽監督に就任した。1年も経たないうちに日本に「凱旋公演」を行うことができるというのはさすがである。上のチラシの通り、日本人が大好きな「ウィーン」を前面に立てた広告宣伝であるが、音楽の街ウィーンには、世界に冠絶したウィーン・フィルがあって、ウィーン交響楽団があって、さらには 1969年に設立されたウィーン放送交響楽団 (もとオーストリア放送交響楽団) があり、そして最後にこのトーンキュンストラー管弦楽団が来る。もちろん、ウィーン・フィル以外の順位は人によって違うと思うし、私自身も上記の順番に 100% 賛成というわけではない。だが、音楽ファン一般の評価はこの順番であろうと思うのだ。

そもそも名前が、「トーンキュンストラー」などというよく分からないものなので損をしている。「トーン」は「音」。「キュンストラー」は「芸術家」。つまりは「音の芸術家」という意味だ。なんとも分かりやすいではないか。私の世代では、N 響にもよくやって来た指揮者、ハインツ・ワルベルクが音楽監督であったというイメージがあるかもしれない。その後も、ファビオ・ルイジやクリスティアン・ヤルヴィ (父親のネーメ・ヤルヴィとともにちょうど来日中のはず) らが音楽監督を務めている。1907年設立なので、既に 110年近い歴史があるのだ。だが、残念ながらレコーディング・メディアではその演奏に親しめる機会は非常に限られていた。ある意味、「名のみ高い」という感じのオケだ。そう言えば、佐渡が以前に主席指揮者を務めたパリのコンセール・ラムルー管弦楽団も、似たようなイメージのオケである。佐渡の持つエネルギーが、この老舗オケに新たな活力を与えることができれば、こんなに素晴らしいことはない。本拠地であるウィーン楽友協会でのオケの写真は以下の通り。おっとこれは「トーンキュンストラー」の綴りの最初の「T」の字を一文字で作っているようだ。
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今回の佐渡の凱旋ツアー、スケジュールを見てみると大変過密だ。5月13日から 29日の間の 17日間に 14公演。しかも、福井に始まり、富山、新潟、長岡、名古屋、川崎、東京、もう一回東京、浜松、また名古屋、大津、大阪、西宮と、大変な強行軍だ。今回の川崎は 7回目の公演と、ちょうど折り返し地点である。会場を入るとそこには、なんとジャズピアニストの山下 洋輔からの花輪が。
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今回の日本ツアーは 2種類のプログラムからなっているが、今回は以下の通り。
 ベートーヴェン : ヴァイオリン協奏曲二長調作品61 (ヴァイオリン : レイ・チェン)
 リヒャルト・シュトラウス : 交響詩「英雄の生涯」作品40

演奏開始前に指揮者がマイク片手に舞台に出てきて、自分とウィーンとのかかわりについて話をした。その内容は、このブログでも今年 3月 7日の記事として書いた、東京フィルのリハーサルの際に聞いた内容とほぼ同じ。バーンスタインの弟子になってニューヨークで指揮者修行ができるかと思いきや、そのバーンスタインの指示で片道切符を持ってウィーンに移ったとのこと。これが若い頃のマエストロ佐渡。あまり変わらないようでいて、やはり若いですな。
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さて今回の演奏会、実に素晴らしいものとなった。このオケを生で初めて聴いたが、佐渡の開放的な音楽性との相性はかなりよいように思われる。まず最初の曲、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲は、成功していない演奏では、妙に静かな感じになるものだが、今回は最初から最後まで大変雄弁な演奏になった。その主役はヴァイオリニストのレイ・チェン。1989年台湾生まれだから、今年未だ 27歳だ。
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15歳でカーティス音楽院入学。2008年にメニューイン・コンクールで優勝したのち、2009年には難関エリーザベト王妃コンクールに史上最年少で優勝と、輝かしいキャリアだ。そして実際その音を聴いてみると、クリアかつ力強いもので、いささかも弛緩する瞬間がない。とにかく 45分を超える全曲を雄弁に語り続ける演奏で、なんとも素晴らしい。このヴァイオリニスト、これからが楽しみである。オケの方は正直、冒頭のティンパニの後に続く木管には多少課題を感じたものの、弦楽器は最初から深い音を奏でて、それからあとの音楽的情景を決定したと思う。これは素晴らしく力のあるオケであり、ソリスト、指揮者とともに輝かしい音楽を奏でたのだ。

後半の R・シュトラウスの「英雄の生涯」も、パワー全開の素晴らしい演奏。最初の弦のうねりからして気合充分で、この絢爛豪華、光彩陸離たる交響詩へのワクワクするような旅立ちであった。音楽は終始一貫して輝かしく、何か大きなものを描写するようなこの曲の神髄を堪能することができた。コンサートマスターの女性、リーケ・デ・ヴィンケルのソロ・ヴァイオリンも、オケそのものとの演奏同じく、気合みなぎるもの。何度か、気合が入りすぎて技術的におっと危ないという箇所もあったが (笑)、全体の中では些細なこと。これだけ高いモチベーションを持って演奏すれば、これからも個々の演奏の質はさらに上がって行くものと思う。その意味で、佐渡の持ち味とよくあったオケであり、今後の活動の成果に本当に期待が高まる。
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アンコールは 2曲。最初がヨハン・シュトラウスの「ピツィカート・ポルカ」だ。言うまでもなく、純然たるウィーンの音楽。ここで佐渡は指揮台に立たず、オケの中に入らんばかりの近い位置で、指揮棒を持たずに指揮をした。オケの反応は素晴らしく、自在なテンポ設定によくついて行っていた。ただ、佐渡が半分客席の方に体を傾けて指揮すると、何を勘違いしたのか、一部の聴衆が手拍子を始め、マエストロもびっくりした表情を浮かべていた (笑)。だが、この客席との一体感が佐渡の真骨頂であり、大変にほほえましい情景であったと言えるだろう。そして 2曲目のアンコールは、リヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」の演奏会用組曲のクライマックスであるワルツ。なるほど、ウィーンと、今日の演奏会のメイン曲目の作曲家である R・シュトラウスを組み合わせるとそうなるわけだ (それから、最近発売されたこのコンビでの初録音 CD が、「英雄の生涯」とこの「ばらの騎士」組曲なのだ)。このノリのよい演奏を聴きながら私は、佐渡の師匠であるバーンスタインが果たして「英雄の生涯」を録音していたか否かを考えていた。うーん、バーンスタインの「英雄の生涯」とは、聞いたことがないな。そもそもヨーロッパでの彼の R・シュトラウス録音は、フランス国立管との「サロメ」の 7つのヴェールの踊りくらいではないか。あ、もちろん、ウィーンで録音した「ばらの騎士」全曲は素晴らしい名盤だが・・・。そして帰宅して調べたところ、やはりバーンスタインによる「英雄の生涯」の録音はなく、ニューヨーク・フィルと行った R・シュトラウス録音も、「ツァラトゥストラ」「ドン・ファン」「ティル」「ドン・キホーテ」しかない。そうすると今日の佐渡の演奏は、もしウィーンでバーンスタインが「英雄の生涯」を指揮していたら・・・という想像を満たすものではなかったか。

そんな充実感満点のコンサートであったが、演奏終了後、階段を下りてロビーに出ると、既に指揮者はそこにいて、熊本地震の募金集めを行っていた。箱を持って立っているマエストロの前に聴衆の列ができて、順番にお金を入れてどんどん進んで行くというもの。このような感じで、聴衆とのスキンシップが図られた。
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指揮者とはひとりでは音を出さない音楽家。ゆえに、共演するオーケストラとのめぐり合わせが重要になってくる。そのめぐり合わせのご縁まで含めて指揮者の能力だとすると、マエストロ佐渡は今後いよいよその能力を発揮することであろう。

# by yokohama7474 | 2016-05-21 22:37 | 音楽 (Live) | Comments(2)  

アイ アム ア ヒーロー (佐藤信介監督)

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以前このブログの記事でも何度か触れた通り、私はゾンビ映画ファンである。それは、遠くはジョージ・A・ロメロの感動の名作、未だに思い出すのも恐ろしく切ない "Dawn of the Dead" (日本公開名はその名もずばり「ゾンビ」) から、ブラピ主演の「ワールド・ウォーX」、そして今なら触れてもよいだろう「メイズ・ランナー2」、あるいは、いかにマイナーであろうと世界がひれ伏すべき傑作 (?)、「ゾンビ大陸アフリカン」まで。ゾンビ映画の鉄則は、原因不明の病原菌によって死者が動き出すこと、ゾンビによってひとたび噛まれようものなら、自らも命を落としてしまい、ゾンビとして蘇生すること。そのゾンビを倒すには、頭部を完全に破壊する必要あること。うーむ、こうやって書いていても、ゾンビ映画の持つ独特の絶望感に胸がうずく。それはそうだろう。つい先刻まで、仲間として勇気と知恵をもってともに命を懸けていた者が一旦ゾンビになるや、話しても通じない、ただの低能殺人マシンに成り下がってしまうのだから。おー、本当に怖いぞこれは。

そしてこの映画。これまでの日本映画でここまで仮借ないゾンビ映画があっただろうか。あらゆる意味で、見ていて座席でポンと膝を打つ、いわば句読点のしっかりした (?) ゾンビ映画。その登場を純粋に喜びたい。原作のマンガは読んだことがないが、本作は映画として立派に完結しており、次回作をにおわせて終わる点は致し方ないか (「進撃の巨人」と同じく、なにせ未だ連載中だから) と思いつつ、もしそうならこの水準を落とさないようにご留意願いたい。但しここでは「ゾンビ」という言葉は使われず、「ZQN = ゾキュン」という用語が使われている。これが原作のゾキュンの皆様。
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ここで使われているコネタについて触れるときりがない。だが、あえていくつかのシーンを思い出してみよう。主演の大泉洋が、自分の職場であるマンガの制作現場で見る光景。その前に恐ろしい経験をした彼がそこにたどり着いたとき、それに先立つ同じ場所でのシーンと同様、テレビがニュースを伝えている。いつもと同じ、ごくありふれた日常風景。だが、それが一気に非日常の世界へ転がり落ちる恐怖。塚地 武雅 (つかじ むが) 演じるところの職場の先輩の屈折したリアリティはどうだ。真面目に懸命に身を守っていたはずなのに、いつの間にか、完全にそれ以上の快楽を覚えるようになっている。そして自分自身を結論づけるのが早いこと (笑)。これこれ、こういう人、いますよね。
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それから、いよいよパンデミックが起こって街でゾキュンがあふれ返るシーンのリアルさ。このシーンが面白いのは、ゾンビの列がぐにょぐにょ歩いて来るのではなく、横から斜めから飛びかかってきて、誰が人間なのかゾンビなのか分からない点。道はまだまだ空いているスペースが多いのだが、いつ攻められて噛みつかれるか、分かったものではないのだ。この瞬間に倒されるのがたまたま他人であっても、次の瞬間は自分かもしれない。こんなリアルな恐怖はそうそうないだろう。
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そうして主人公が知り合う女子高校生を演じるのが、今や若手女優としては飛ぶ鳥を落とす勢いの有村架純だ。彼女としては異例の役柄だと思うが、いやー、これは大抜擢だと思う。壊れそうでいて実は強そうなこのキャラクターを自然な演技で通した彼女は、なかなかの大物であると思う。上のポスターで使われている、長澤まさみ (彼女もがんばっていて素晴らしい!!) とのこの写真。
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それから、この写真。いずれも映画本編では正確にはちょっと違う様子の映像になるのだが、ネット上で画像検索しても、映画そのままの写真はほとんど出てこない。であれば、ここで彼女の役柄がどうのこうのと言うのはやめよう。でも、ええっと、猫とはどういう関係???

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有村の大物ぶりが表れた発言がプログラムのインタビューに載っている。撮影は 2年前とのことで、当時を振り返って述べているのだが、素晴らしく率直な言葉ではないか!!

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ある意味、あの時期しかない顔つきだったり、表現だったりがこの映画のときにはあったと思います。でもそれはあくまで、自分の中で感じていることであって、観る方にしてみたら「下手だな」と思われるかもしれませんが。
UNQUOTE

そしてなんと言っても、主演の大泉洋がとてもよい。主人公のキャラクターを巧まずして演じており、救いのない内容でありながら、何度もとハハハと笑わざるを得ないシーンが生きているのは、ひとえに大泉の演技によるものだと思う。ユー アー ア ヒーローですよ本当に。

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主人公たちが立てこもるのはアウトレットである。なるほど、そもそも、映画「ゾンビ」の舞台はショッピングモールであったので、句読点のしっかりしたゾンビ映画でのこの場所の選択には、大いに納得だ。常日頃は多くの人であふれ、平和な雰囲気に満たされた場所であるべきアウトレットが、寂れ荒れ果て、ゾンビの巣窟になっている。でもどこかに人間が生き抜くための食糧が備蓄されている。これぞゾンビ映画でしょう。あ、それからロレックスを使ったネタも面白く、声をあげて笑ってしまいました。

主人公たちが危機に陥り、この男が宙に舞う場面で鳴り響くのは、ヨハン・シュトラウスのワルツ「春の声」だ。
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うーん、いいぞいいぞこのシーン。深刻な場面に能天気な音楽。これぞ黒澤明が生み出した、極めて効果的な悲劇性の表現である。拍手拍手。

この映画には多くの韓国スタッフ (とエキストラ?) の貢献があったようだ。ZQN との戦いの舞台となる場所は、韓国で閉鎖した実際のアウトレットでロケしたという。なるほど。私も、「JSA」「シュリ」以降、数々の韓国映画の素晴らしさに、まさに瞠目して来た人間であるが、最近の動向はよく分からない。でもこの映画の成功には欠かせない要素を担ったということであろう。そうなると、韓国版ゾンビ映画も見たくなりますなぁ。

もちろん人にはそれぞれ好みがあるし、どう転んでもこの映画は文部省特選にはならないだろうが (笑)、私としては、見どころ満載、見ごたえ充分の映画を堪能したと、手放しで絶賛しておきたい。この映画を撮った佐藤信介監督は 1970年広島出身で、これまで「GANTZ」シリーズ、「図書館戦争」シリーズや「万能鑑定士 Q モナリザの瞳」などを撮っている。次回作は、予告編と本屋に積んであった原作を見て、私も面白そうだと思った「デスノート Light up the NEW World」。公開は今年 10月とまだ先だが、ちょっと期待してしまいます。こんな真面目そうな方だ。
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願わくば、明日の朝起きたら世界で感染症が蔓延していて、この人の新作を見られないということがありませんように。う、うわー、く、来るなー。
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# by yokohama7474 | 2016-05-17 00:46 | 映画 | Comments(0)  

若冲展 東京都美術館

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今年の日本の美術展中、最大の話題であるのみならず、これまでに日本で開かれてきた数えきれない美術展の中でも、かなり上位に位置するであろう展覧会だ。伊藤若冲 (1716 - 1800) の生誕 300年を記念して東京、上野の東京都美術館で開かれているこの展覧会、なにせ会期が約 1ヶ月、おまけに地方巡回なしということで、大変な大混雑となっている。これから行かれる方のために参考情報として書いておくと、とある GW 中の一日、朝 9時30分開館の前に現地に行こうと思い、9時前に到着したときに見たのはこんな光景。
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最初は、隣の上野動物園に並ぶ人の列かと思ったが、係の人がしきりと若冲展若冲展と言っている。現地をご存じの方はお分かりの通り、これは美術館自体の門の前。未だ開館どころか開門の前から長蛇の列だ。しかも、チケットを既に持っている人の列の方が、その場で買う人の列よりも長い。私と家人はそこで決断した。今日はやめて、また出直そう。・・・ということで、近くの東京国立博物館 (東博) で開催中の黒田清輝展と、アフガンの黄金展を見たのである。いやもちろん、言い訳するわけではないが、これらの展覧会ももともと見たかったのだ。実際、我々と同じように若冲展に入るのをあきらめて流れてきた人たちが多くて、東博としてはその恩恵にあずかったと皮肉を言うのも大人げない話だが (笑)、東博の係員までが、「こちらは若冲展の会場ではないので、お気を付け下さい」と列に声をかけていたのが面白かった。若冲展、恐るべし。因みにこの 2つの展覧会の記事も、追って書きますのでお楽しみに。

その数日後、今度は午前中雨の予報。これは人出が少なかろうと勢い込んで、同じような時間帯に会場に辿り着くと、なんのことはない、同じような長さの列ができていて、しかも天気予報に反して、朝からピーカンの晴天だ (笑)。だがやむなし、前回購入済であったチケットを握りしめ、今回は意を決して長い列に並んだのであった。あぁ、それにしても若冲はつくづく罪な人だ。ジリジリと暑くなりつつある晴天下で並んでいる 30分以上の間に、親子で家族で恋人で、何やら口論を始める人たちがいる。チケットをどっちが持っただの、荷物をロッカーに入れるだの入れないだの、まあそれはこの混雑、ケンカしたくもなりますわな。これは門を入ってから美術館の入口に至るまでの列の様子。ほら、あそこのカップルがケンカしているの、分かりますか (いやいや、してないって)。
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そして、結局入場前の待ち時間は 30分程度であったろうか、若冲の迫真の美と、気の抜けた柔らかさの双方を堪能して出て来ると、このような表示が。
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うーん、そうするとやはり、朝いちで並んだのは正解だったということになる。もちろん、平日や夕方の混雑具合は分からないが・・・。

そんな罪な人、若冲とは一体誰なのか。江戸時代中期、京都の青物問屋に生まれ、商人として裕福に暮らしていたが、40歳のときに家督を弟に譲り、絵を描き始めた。つまり、ちゃんとした絵師のもとで修業を積んだわけでは、どうやらないらしい。また、優秀な弟子を大勢育てたというわけでもなく (一応、伊藤若演という、息子とも言われる弟子がいたようではあるが・・・)、そもそも妻帯もしなかったようで、動植物をつぶさに観察しては絵を描く、天涯孤独の変わり者であったのだろう。その意味で、江戸絵画における大御所と見られてきた円山応挙や由緒正しい狩野派とは全く違うわけだ。また、琳派を生み出した尾形光琳も商人であったが、その華麗な作風は早くから日本美のひとつの典型と見られてきた。その意味で若冲は日本絵画史の異端であって、しかもせいぜいここ 15年くらいの間に急速に支持者を増やしたと言える。今回のこの混雑も、NHK が BS も含めて数年前に作成した若冲についての番組を、これでもかこれでもかと再放送したことや、びっくりするほど様々に出版されている彼の画集の賑やかさによるところもあるのだろう。

若冲の生きた時代のイメージを持つのにちょうどよい情報がある。彼が生まれたちょうど今から 300年前、1716年はまた、尾形光琳の没年である。そしてまた、与謝蕪村が生まれたのもこの年だ (昨年サントリー美術館で開かれた「若冲と蕪村」展は、この同い年の画家を比較する興味深い展覧会であった)。江戸絵画の代表のように長らく見られている (いた?) 円山応挙は 17歳年下。若冲と同じく奇想の画家として知られる曽我蕭白は 14歳年下だ。葛飾北斎となるとはるか 44歳下ということになる。若冲が生きたのは、江戸幕府開幕から 100年を経て、幕藩体制の強固な基盤は既に築かれ、天下泰平元禄の世を過ぎ、8代将軍徳川吉宗による享保の改革が行われた時代。

今私の手元に、たまたま一冊の本がある。野間清六という美術史家 (1902 - 1966) が昭和 28年 (1953年) に著した「日本の絵画」という、シミだらけの古い本である。裏の方に鉛筆で「初版」と書き込みがあるが、いつどこで買ったものか記憶がない。ただ、野間の名前は聞いたことがあったし、終戦間もない日本で自分たちの歴史を振り返るような内容なら面白いかと思って、きっとネットオークションで適当に何かほかの古本とまとめて買ったのであろう。それをパラパラと見てみると、口絵写真 (もちろん白黒だ) には、玉虫厨子の捨身飼虎図や正倉院御物、また仏画などのほか、先に私も記事で取り上げた信貴山縁起絵巻や鳥獣戯画、雪舟、等伯、光琳、大雅、応挙、そのあとは明治に入り、狩野芳崖や橋本雅邦、菱田春草から、大観、栖鳳、古径、そして最後が安田靫彦だ!! つい最近展覧会を取り上げたばかりの靫彦は当時 44歳。既にして画壇で大きな存在であったのだろう。しかし、この本を振ろうが叩こうがひっくり返そうが、若冲のジャの字も出てこない。今日、これほど異常なまでの大人気を誇る画家が、当時は歴史上の存在としてもほとんど認識されていなかったのだろう。これは、現在知られる唯一の若冲の肖像画。死後まもなく描かれたものかと思いきや、明治になってから、言い伝えられている彼の風貌をもとに描かれたもの。そのようなことからも、死後長く忘れられた画家であったことが分かる。
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昨今あふれ返る若冲の画集を私も何冊か持っているが、世の中の一致した評価では、若冲の名が一般に知れ渡ったのは、2000年に京都国立博物館で開かれた大規模な若冲展であるとのこと。私は残念ながらそれには行っていないが、記憶を頼りに手元の展覧会の図録を探すと、1997年に静岡県立美術館で開かれた「異彩の江戸美術・仮想の楽園」と題された展覧会のものが出てきた。今では有名になったが、このような巨象の姿を何やらモザイク状に表したこの作品のポスターをどこかで目にして、その異様さに打たれ、どうしても見たくなって静岡まで車を飛ばして見に行ったのだ。若冲作品だけでも 20点以上展示されていたが、会場はガラガラであった。
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この展覧会では、この静岡県立美術館自身が所有している作品と、それに類似したプライス・コレクションの作品とが並置されていた。上記はプライス・コレクションのもので、静岡県立美術館のものは以下の通り (今回の東京都美術館での展覧会には出品されていません)。似ているけれど、動物の柄や姿勢や表情に、ちょっと違うところもある。
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このように私自身としては、2000年の京博での展覧会より以前に、まとまった数の代表的な若冲作品を見る機会があったのであるが、やはり本格的にこの画家について興味を持ったのは、辻 惟雄 (のぶお) の有名な「奇想の系譜」を文庫版で読んでからだ。この本の初版は 1970年出版であるが、私が持っているのは 2004年発行の、ちくま学芸文庫。だが、これを読んだときには私の興味はむしろ岩佐又兵衛や曽我蕭白にあって、若冲が目的で読んだわけではなかった。そうなのだ。若冲がいかにすごい画家であるかを知るのは、少しのちになって、御物である「動植綵絵」を知ることによってなのである。上記の静岡県立美術館での展覧会にも動植綵絵のシリーズから数点は出品されていたが、今回の東京都美術館での展覧会の最大のポイントは、この動植綵絵全 30幅と、そして本来一具であった釈迦三尊画像が一堂に会していることである。この動植綵絵、若冲が家業の青物問屋の家督を弟に譲って引退してから数年後から約 10年に亘って書き続けられたもので、動物や植物を様々な構図で描いており、まさに極限の芸術だ。使っている絵具の質がよいため、今でも驚くほど鮮烈な色彩が維持されている。これは若冲が自発的に描いて京都の相国寺に寄進したものらしく、釈迦のまなざしのもとにある、生きとし生けるものの命を描いたものだ。動植綵絵 30幅は、明治の廃仏毀釈の嵐を乗り越えるため、相国寺から皇室が買い上げたために散逸を免れた。これは本当に意義深いことである。また、釈迦三尊画像は相国寺に残ったが、今回はこれらすべてが一堂に会する貴重な機会なのだ。釈迦三尊は、このように中国風の表現。
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そして以下は、展覧会の図録から撮影したものであるが、動植綵絵自体の素晴らしさは、まず実物を見ること、そしてあまたある出版物で細部を見ること、等々によって実感できるので、ここではただ、贅言を避けて写真を羅列するにとどめよう。ざっと数えてみたところ、30幅のうち鶏が 8幅と多いのは、彼が自宅でじっと観察する機会が最も多かったのが鶏だということだろうか (?)。本当に信じられない観察眼であり、信じられない技法である。そのあたりについては、NHK の番組の数々で詳しく紹介されていた。
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繰り返しだが、見ているうちに、様々に息づく命に圧倒され、世界に満ちているこれらの動植物の命が、本当に尊いものに思われてくる。従って、この展覧会の大きな意義はまず第一に、この動植綵絵すべてが揃っていることだとは言えようが、出品数全 80点もの中には、ほかにも興味深いものが沢山ある。絢爛たる極彩色の作品だけでなく、とぼけた味わいの水墨画や、スタイリッシュなデザインなど、この画家のアイデアとそれを実現する技術の幅の広さには、つくづく脱帽である。例えばこれなど、どうだろう。三十六歌仙図屏風 (全12幅のうち 3幅) だが、まるで現代の (昭和の時代の?) マンガのようではないか。右端の人物は口に筆をくわえて、掛け軸に文字を書いている。これ、黒鉄ヒロシとか、あるいは手塚治虫みたいではないですか。あ、手塚治虫のマンガでは、口にくわえてはいないものの、この絵の筆のような蝋燭が頭の後ろに立つことがあるでしょう。あれです。
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これは「玄圃瑶華 (げんぽようか)」という版画であるが、このモノクロの美学は、まるでビアズレーのよう。もちろん、19世紀末には日本の版画は大量にヨーロッパに入っていたので、ジャポニズムの一形態とは言えるだろう。でも、もし、当時誰も見向きもしなかった若冲からビアズレーが影響を受けたとすると、こんなに面白いことはない。
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それからこれも面白い。石灯籠図屏風であるが、その点描は、はるか 100年ほどあとの新印象主義の点描を思わせる。
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そしてこれは伏見人形図。これはさしづめ、コロンビアのフェルナンド・ボテロの作品かと見まがうくらいだ。
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このように、動植綵絵という空前絶後の傑作とともに、若冲の驚くほど多彩な作品の数々を堪能できる機会であるので、会社の有給休暇を取るなり、残された最後の週末に開館前に並ぶなり、美術の好きな人なら、あらゆる手段でこの展覧会にお出かけ頂きたい。会期は 5月 24日まで。あと一週間です。い、急げー!! って言っているようにはとても思えないね、この象さんは。
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# by yokohama7474 | 2016-05-16 00:43 | 美術・旅行 | Comments(0)  

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話は変わりますが (笑)、日本最古の金剛力士像は法隆寺中門にあります。先日願掛けしておいたので、このブログのルールに反する人は、この仁王様が黙っておられませんぞ!!
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# by yokohama7474 | 2016-05-16 00:11 | その他 | Comments(2)