イーデン・フィルポッツ著 溺死人

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いわゆる古典的な推理小説の名作の中に、「赤毛のレドメイン家」という作品がある。私は子供の頃、古今の推理小説 (という言葉自体、今では死語になってしまったが、この場合はやはり、「ミステリー」などというよそよそしい呼び方はそぐわない) についての本をそれなりに読んでおり、その中でこの作品の名を知ったのである。特に、江戸川乱歩が激賞しているとのことで、興味を惹かれたのであった。ところが、今に至るもその「赤毛のレドメイン家」を読んだことがない。にもかかわらず、ある日書店でこの本が陳列されており、「『赤毛のレドメイン家』のフィルポッツが贈る長編推理小説」とあるのを見て、迷わず購入したのだ。帯にはデカデカと「名著復活 入手困難だった名作をお届けします」とあって、これがまた好奇心を激しく刺激。東京創元社復刊フェアに乗ってみようと思ったわけである。実は同じシリーズの復刊で、アーネスト・ブラマ作の「マックス・カラドスの事件簿」は既にこのブログでも採り上げた。さすが創元推理文庫。食指をそそる復刊だ。

イーデン・フィルポッツ (1862 - 1960、長生きだ!!) は英国人で、これは 1931年の作品。とある海岸で発見された溺死体が失踪したバンジョー弾きの格好をしていたところから物語は始まる。その謎に、警察署長のニュートン・フォーブズの友人である医師のメレディス (苗字の記載はない) が迫るというストーリー。作品はメレディスの一人称で語られる。冒頭部分については、実は上の描写は正しくなく、メレディスとその友人の刑務所長とが犯罪論をかわすシーンから始まっていて、その後物語の展開に入って行くのである。そして読者は、メレディスが正規の捜査権限を一切持たないままに、事件の謎に迫って行く過程を辿ることになる。真相は最後の 30ページ以降で明らかになるが、まあそれなりになるほどという感じではあるものの、うーん、驚いてひっくり返るというほどのものでもない。その一方、冒頭に出てきた犯罪論の続きが物語の合間合間に何度も延々と出てきて、正直なところ、ストーリーの流れをその度に分断し、鬱陶しいことこの上ない。当時の英国では、このようなペースで時間が流れていたのであろうか。約 300ページの本で、それほど分厚いわけではないものの、そのストーリー展開の遅さに、現代人である私は終始イライラし、時には 1ページを読む間に、残りの何百ページのことを考えて憂鬱になったこともある。そんなわけで、読み始めてから読む終わるまで、結局数ヶ月を要してしまった。通勤のカバンの中には大概入っていたし、出張にも携えて行ったが、実際に手に取って読む気になかなかなれず、なんとも遅々たる歩みであったわけだ。

そんなわけで、残念ながら推薦に値する作品とは思えず、読み終えたときの解放感のみがせめてもの救い (?) となってしまった。この本の解説によると、フィルポッツの名前は、上記の「赤毛のレドメイン家」によって日本では知られているものの、米国や、あるいは本国英国でも、現在ではほとんどその名を見ることはないという。だが、彼は十代の頃のアガサ・クリスティの隣に住んでいて、彼女の書いた小説について適切に助言を行ったらしい。なので、きっと頭のよい人で、小説のプロット作りにはそれなりのものがあったのだろうが、いかなる理由でか、余分な要素を沢山小説に盛り込んで、その小説自体を台無しにしてしまった・・・??? 残念なことだ。かくなる上は、名作と評判高い「赤毛のレドメイン家」を読んで、その真価に迫ることにしたい。尚、この作品を絶賛した江戸川乱歩は、その翻案を書いたという。その作品は「緑衣の鬼」だ。おー、子供の頃全巻読んだポプラ社の少年探偵団シリーズにも入っていた、あれだ。
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ただ、便利な時代になったもので、このシリーズでもこのあたり (第 34巻) になると、乱歩のオリジナルではなく、別の作家が子供用に書き直したものであったことが分かる。もちろん私は、大人用の版でもこの作品を読んでいるが、内容はよく覚えていない。「赤毛のレドメイン家」と併せて、このブログでまた感想を書ける日がくるかもしれない。

# by yokohama7474 | 2016-03-26 00:53 | 書物 | Comments(0)  

山田和樹指揮 横浜シンフォニエッタ / コーロ・ヌオーヴォ 2016年 3月21日 東京藝術大学奏楽堂

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この演奏会、上のポスターで見る通り、コーロ・ヌオーヴォという合唱団の演奏会である。団体名は「新しい合唱団」とでもいう意味だろうか。1974年に設立されたアマチュア合唱団だ。恥ずかしながら、これまでこの団体を聴いたことがない。だが、チラシを見て私の目がキラリ。それはもちろん、あの若手のホープ、山田和樹が指揮をするからだ。気を付けていないと見過ごしてしまうような地味なチラシ。本拠をベルリンに置き、内外の大オケを振る多忙な毎日を送っている彼が、日本でアマチュア合唱団と共演するとは、なんとも素晴らしいことではないか。これは聴きに行かねば。
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まず、今回の会場だが、東京藝術大学奏楽堂とある。わざわざ「大学構内」と注記されているのには理由があって、上野にある奏楽堂と言えば、この日本最古のホールとして重要文化財に指定されているあの建物を思い出すからだ。だがその奏楽堂は、現在補修工事で閉鎖中。
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写真を撮っていると、初老のご婦人が寄ってきて、「あのぅ、奏楽堂はどこですかね」と訊いてこられる。実は私はまだ、芸大の構内にあるという奏楽堂には行ったことがないのだ。だが、知ったかぶりをして、「あ、大学構内なので、この先を右ですよ」などとお教えし、自分もいそいそとそちらに急ぐ (追い抜かないように苦労しました 笑)。すると、見えてきました。今の奏楽堂が。大きな木の向うに見える、大変立派な建物である。未だ開場時刻前だというのに、数百人の列ができているではないか!! 今回の演奏会は全席自由席なので、少しでも早く乗り込んでよい席をゲットしようという人々の列であろうか。
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中に入ってみると、何やらヨーロッパの教会のような石と木の匂い。掲げられている表示によると、1998年竣工、収容人員 1,100名とある。大変落ち着いた雰囲気であり、ステージ奥に据え付けられたパイプオルガンの巨大さにびっくり!! ステージも広く、なかなか素晴らしいホールである。
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さて、今回のプログラム冊子には、この合唱団コーロ・ヌオーヴォの、今回を含めて 57回の全演奏会の曲目、指揮者、会場が記載されている。創設時から常任指揮者であった佐藤功太郎 (2006年に死去) が大半を指揮しており、会場は石橋メモリアルホールが多い。山田和樹は今回初の登場となるが、面白いのは今回のオケである。横浜シンフォニエッタ。山田が芸大在学中の 1998年、学内で結成した TOMATO フィルハーモニー (うーむ、どういういわれなのだろう。テニスサークルまがいの名前だ) が改称したもので、現在では横浜に本拠地を置くプロのオーケストラである。山田にとっては、気心の知れた仲間ということになろうか。世界で活躍するようになっても、昔の仲間との演奏を忘れないあたりが、妙な背伸びのない彼らしくて、好感が持てるではないか。そして今回の曲目はこれだ。

 メンデルスゾーン : オラトリオ「聖パウロ」

メンデスルゾーンは 2曲の大曲オラトリオを書いていて、ひとつはこの「聖パウロ」、もうひとつは「エリア」である。後者の方が有名で、日本ではサヴァリッシュが N 響で、記憶にある限りでは 2度特別な機会に演奏し、録音もなされたので、少しは知られているであろう。一方の前者は、2時間 15分を要する全曲が演奏されることはかなり少なく、私も随分以前に、秋山和慶指揮の 1回だけしか生で聴いた記憶がない。だがこれはメンデルスゾーンらしい、本当に素晴らしい曲なのだ。以前は輸入盤を聴いて予習をしたものだが、幸い今では対訳付の国内盤 CD も、クルト・マズアとライプツィヒ・ゲヴァントハウス管のものが再発されていて、今回はその CD で改めて曲の予習をして行った。キリストの生涯を辿る受難曲よりも若干話は分かりにくいものの、音楽の平明さには、本当に心が洗われる思いがする。昨日書いた、大田区にある蓮花寺に関する記事に、実は「予告」(?) としてパウロの話を潜ませておいたが、彼はキリスト教初期の聖人。但し、ユダヤ人で、もともとキリスト教を攻撃する立場にいたところ、ある日キリストの声を聞いて、馬から落ちて落馬して (あ、同じでした 笑)、改心して敬虔なキリスト者となり、最後は殉教するという激動の生涯を送った人。有名なカラヴァッジョの「パウロの改心」で、イメージを持って頂こう。私はこの絵を見にローマの教会を訪れたが、昼休みで扉が閉まっていて、イライラしながら午後に教会に戻り、入ったら暗くてさらにイライラし、そして小銭を機械に入れて照明が灯り、この絵が浮き上がったときの衝撃は、一生忘れないだろう。パウロさながら、閃光に目がくらんだような気がしたものだ。尚、これは祭壇画なので、修復等の特別な理由がない限り、実物を見るには現地に赴くしかない。国立西洋美術館のカラヴァッジョ展に行っても、残念ながらこれを見ることはかないません。
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繰り返しになるが、このメンデルスゾーンの「聖パウロ」は、音楽の流れは非常に平明で、本当に美しい。でも、その美しい曲を美しく演奏することは、並大抵のことではないだろう。今回の演奏では、ホールの響きも大変に美しく、オケが合唱の歌う音楽にぴったりと寄り添って、最初から最後まで、実にスムーズかつ、繰り返しで恐縮ながら、本当に美しかった!! パウロがキリストの声を聞く場面では、多少おどろおどろしい音響にはなるものの、その底には何やら一貫した神々しさがある。実際、山田が指揮棒をビリビリ震わせると、弦が敏感に反応して、多少キッチュな雰囲気を出したかと思うと、その後の合唱の広がりには、いかな聖者であっても人間であることを思わせる鷹揚さがあったのだ。人間の視点と神の視点が無理なく入れ替わるさまに、大変高度な音楽性を感じることができた。メンデスルゾーンの葬式でも歌われたという第 16曲コラール「目覚めよと我らに呼ばわる物見らの声」。メンデスルゾーンがロンドンを訪問した際、当時 23歳の新郎新婦であったヴィクトリア女王とアルバート公が、作曲者自身のオルガン伴奏で歌ったという第 40曲「死に至るまで忠実であれ」。素晴らしい曲ではないか。

そもそも音楽を聴いて、「ああ素晴らしい曲だ」と聴衆が思うなら、その演奏は成功しているということだと思う。山田は、合唱団の人が持っているような分厚くて青い色のスコアを抱えて舞台に登場。それをめくりながらの指揮ではあったものの、ほとんど見ている気配はなく、完全に曲の細部まで自家薬籠中のものにしているように思われた。圧巻の指揮力であったと言ってよいだろう。よく考えてみると、彼が日本で持つ数々のタイトルのうちのひとつは、東京混声合唱団の音楽監督であって、合唱指揮には既に充分な経験があるのである。そして、今回初めて知ったことには、この横浜シンフォニエッタのコンサートマスターが、実はこのコーロ・ヌオーヴォの合唱指揮者を兼ねているのだ。長岡 聡季 (さとき)。
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山田の指揮に加え、今回の彼の貢献は絶大であった。合唱団の歌にオケがぴったり寄り添って行くのも道理である。合唱指揮者がコンマス、つまりオケのリーダーなのであるから!! 横浜シンフォニエッタ以外にも、神奈川フィルや群馬交響楽団 (ともにこのブログでも採り上げた団体だ) で客演コンサートマスターを務めることもある一方、いわゆる古楽のオケ、バッハ・コレギウム・ジャパンやオーケストラ・リベラクラシカなどでも演奏歴があるという。これから注目することとしよう。

独唱陣も、パウロを演じた日本を代表するバス小森輝彦や、テノールの松原友、アルトの志村美土里、そしてソプラノの山田英津子はいずれも素晴らしかった。特に山田さんは、このような方。
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そもそもキリスト教のオラトリオを聴くのに、容姿がどうのという下世話なことは言ってはなりませぬ。と思いながらも、神に許しを乞いながら (?)、帰宅してからどのような人か調べてみると、なんとなんと、あの往年の大指揮者、山田一雄の長女だそうだ!! 日本の洋楽の黎明期から意欲的な演奏活動を繰り広げ、今でも絶大な人気を持つ情熱型の指揮者で、私も大ファンである。そう、20世紀において「ヤマカズ」と呼ばれたのは彼であった。21世紀の今、同じあだ名は山田和樹に受け継がれている。ここでも、日本における洋楽演奏の歴史が確実に流れているのである。
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そんなわけで、様々な発見に満ちた充実の演奏会を満喫した。私は思うのであるが、ライプツィヒであれどこであれ、ドイツの人たちにこの演奏を聴いてもらいたい。きっと驚愕するのではないか。オケも合唱も指揮者も全員、ヨーロッパから遠く離れた日本の音楽家たちであり、聴衆も恐らくほぼ全員日本人。そこで鳴っているドイツの音楽が、どれだけ真実に満ちているか。このような演奏は、普遍性を持つ音楽の力がいかなるものであるかを、改めて私たちに教えてくれるのである。

# by yokohama7474 | 2016-03-21 23:35 | 音楽 (Live) | Comments(0)  

レオナルド・ダ・ヴィンチ 天才の挑戦 江戸東京博物館

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別項のコンサートや展覧会と並んで、これも日伊国交樹立 150年を祝う行事の一環として開かれている展覧会だ。誰もが知るレオナルド・ダ・ヴィンチの数少ないオリジナル絵画作品を日本にいながらにして見ることは、もちろんそうそうあるものではないゆえ、貴重な機会と言うことはできる。だが、行く前からなんとなくそんな予感はしていたのだが、この展覧会は一点豪華主義で、ポスターになっている、スコットランドのエディンバラにある Scotish National Gallarey に委託されている「糸巻きの聖母」だけが目玉作品で、ほかにはダ・ヴィンチのデッサンの断片や手稿、後世の画家の模写などなどが並んでいるのみだ。その意味で、同じ日伊国交樹立150年を記念して東京都美術館で開かれているボッティチェリ展の圧倒的な厚みとは、残念ながらかなり異なる内容になってしまっている。

午後の早い時刻に会場の江戸東京博物館に到着すると、入場券の購入に 20分待ち。さらには、この「糸巻きの聖母」を間近に見るためには、会場内で 1時間ほど並ぶ必要があるという。これは小さい作品なので、確かに間近でつぶさに眺めることができればそれに越したことはないが、数m の距離でよければ、列の横から見ることができるので、それをもってよしとした。実際、その距離を隔てて見ても、周りに展示されている後世の画家によるダ・ヴィンチの模写とは、もうまるでモノが違うことは一目瞭然。その神韻縹渺たる作品のオーラを感じられれば、それだけで会場に足を運んだ甲斐があるというものだ。

ダ・ヴィンチが生涯何を求めてどのような行動を取ったかについては、大変な量の書物を日本語で読むことができ、解剖図や機械の設計図、また、謎めいた鏡文字などについても、その気になれば様々な解説を目にすることができる。なので、それはそれとして、別途勉強の機会を見つけようではないか。

# by yokohama7474 | 2016-03-21 11:09 | 美術・旅行 | Comments(2)  

ジョルジョ・モランディ 終わりなき変奏 東京ステーションギャラリー

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もう随分以前のことになる。バブルの頃だったかと思う。ある画商が、これから人気が出て値段の上がる画家として、ジョルジョ・モランディ (1890 - 1964) を挙げていた。私がこの画家を知ったのはその発言によってであった。一言で要約すれば、二度の世界大戦を経験した激動の時代に生きていながら、ひたすら瓶や容器などの物言わぬ静物を描き続けた人。その執拗な繰り返しに、何やらただならぬ雰囲気がある。
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彼はイタリア人。ボローニャを故郷とし、その 74年の生涯で故郷を離れたことがなかったという。普通画家なら、せめてイタリア国内のあれこれの美術を研究し、研鑽を積むものではないか。いやもちろんモランディとても、過去の巨匠を研究するため、ローマやヴェネツィアやフィレンツェやミラノを訪れてはいる。だが、彼はそれらの土地に居を構えたことはないし、時代の潮流には徹頭徹尾無関心で、自分のスタイルを異常なまでに貫いたのであった。ただセザンヌのことは大変尊敬していたらしい。そうだ。私はセザンヌを近代絵画の神と崇める人間であり、このモランディには並々ならぬ興味を抱いてきた一因はそこにある。なので、この展覧会は大変楽しみであった。今年は日伊国交樹立 150年だが、このモランディ展はそれとは関係ない模様。うーん、ここでも国と国の関係などという些事 (?) に興味のないモランディらしい取扱いだ (笑)。

この展覧会で最も早い時期の作品は、1919年。モランディ 29歳だ。この年号を見て思うのは、第一次大戦終了直後ということ。人類が経験した前代未聞の大惨事。さぞや若い画家の魂に深い傷跡を残したことであろう。
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えっ、これ? なんともきっちりした静物画で、世界の悲劇とここまで無縁でよいのだろうか (笑)。これは、確かにセザンヌの影響が見て取れるが、もう少し線がきっちりとしており、対象物とのある種の距離において、既にモランディの個性の刻印がはっきり捺されている。結局初期の頃から、彼の静物画探索は始まっていたのである。だが面白いのは真ん中にあるガラスの瓶だ。この後モランティが試行錯誤を続けて行くうちに、このような瓶そのものの色は失われて行き、白なら白に塗りつぶされることになるのだ。
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1930年代から 1950年代にかけて、同じような構図の作品をいくつも描いているが、この長い首の白い瓶は、もともと透明なガラスの瓶であるが、画家が乳白色の顔料を満たして色をつけたらしい。透明を避け、ただモノとモノの関係性にのみ心を砕いて、彼の静物画制作は続いて行った。それにしてもこの静謐さはどうだろう。何の変哲もないものであるが、でもそこには何かがあるのを感じる。いわば、神が宿ると言ってもよい作品群であろうと思う。描く対象の配列は異なれど、必ず影は左から右に向かって描かれているのも、何やら不思議な不変の節理を思わせる。
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もう少し複雑な構図 (?) のものもある。やはりここでも、モノがそこにある実在感とでもいうものが漂っている。ここには何らの人間的な要素や比喩の入り込む隙もない。明らかにセザンヌの静物画とは異なる領域である。セザンヌの場合、世界を再構築するような達観した視線があるが、モランディの場合は、ただ忍耐強く、瓶や容器の並び方から日常とは違う世界を見ているように思われる。
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彼は、かたちの面白さを追求していたのであろうか。このようなデッサンを見ると、隙間なく接した容器たちが、ひとつの塊のように思われる。ということは、上で見た静物画とは、少し趣を異にしていると言えるであろう。まぁ、多様性があるとまでは言えないが (笑)。
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それから面白かったのは、このような、隙間を遊びの要素としてしまう試みだ。ふと気づくと、制作年は 1950年代から 60年代。おっと、知らない間に第二次世界大戦も終わってしまっているではないか。
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このような長い瓶を描いた作品もある。瓶にこだわった映画監督には小津安二郎がいるが、彼の芸術はモランディの美学に通じるところがあるように思う。もちろん、小津がモランディを知っていたとはとても思えず、共通するメンタリティの芸術家であるというだけなのであるが。
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さて、今回の展覧会で興味深かったのは、モランディの手になる風景画である。1920年代から 60年代までに亘る期間の作品がいくつか展示されている。なるほどここでも、「世界は円錐、円筒、球に還元される」と唱えたセザンヌの影響があるように思われる。だが、静物画と同様、あたかも自らが神であるがごとく世界を再構築したセザンヌとは異なり、モランディの場合は、じっと飽くことなく世界を見て、そのありように思いを馳せているようだ。換言すれば、彼の風景画は、大きな静物画と呼んでもよいのではないだろうか。うーんでも、やっぱり素晴らしいなぁ。できるものなら一点くらい自分の手元に置いて、飽かず眺めていたい。
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もうひとつ特殊分野がある。花の絵である。これらはモランディが知人に贈ることを目的として描いたものであるらしく、禁欲的に静物画を描き続けた画家の、意外な一面を見せてくれる。心なしか、静物画を描くときよりは少しリラックスしたようにも見えるが、いかがであろうか。それにしても、こんな絵をもらった人は嬉しかっただろうなぁ。
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情報に溢れ、知らないところでストレスを溜めてしまいがちな現代の我々には、時にはモランディの作品のように上質な静謐さに触れることが必要なのだと思う。実は冒頭に掲げたポスターに使われている作品は 1955年作の静物画であるが、これはあの故ルチアーノ・パヴァロッティのコレクションであるそうだ。現在ではボローニャのモランディ美術館に寄託されているらしい。あの黄金の声の持ち主が、この絵を見て心の平安を感じたと想像してみるのも楽しいことだ。まさか、画商の推薦で、投機目的で購入したわけではない、と信じたい(笑)。
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# by yokohama7474 | 2016-03-21 10:41 | 美術・旅行 | Comments(2)  

大友直人指揮 群馬交響楽団 2016年 3月20日 すみだトリフォニーホール

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群馬交響楽団 (通称「群響」) は、古くから日本の地方オケの雄だ。「ここに泉あり」という映画 (1955年) でも採り上げられた。だが、昨今の東京のオケの充実ぶりのため、なかなかその演奏に接する機会を見つけるのが難しい状況である。私が過去にこのオケを聴いたのは、草津音楽祭の演奏会と、あとは小澤征爾が指揮する演奏会を群馬県館林市に聴きに行ったときだけである。ところが今回、上記のチラシを見て、何かピンと来たのである。東京公演だから群馬まで出かける必要がない。実は、今の音楽監督が大友直人であることすら知らなかったが、注目すべきはその曲目だ。

 ドビュッシー : 牧神の午後への前奏曲
 メシアン : トゥーランガリラ交響曲 (ピアノ : 児玉桃、オンドマルトノ : 原田節)

近代音楽の目覚めを告げる「牧神」と、20世紀を代表する破天荒な交響曲。このフランス音楽の組み合わせは、相当自信がないとできないであろう。指揮の大友直人は 1958年生まれなので、今年 58歳。永遠の音楽青年のような風貌だが、むしろその爽やかさで損をしているのではないだろうか。なかなかの指揮者であると思う。
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ステージに現れた群響の面々。最初に客席の方を向いて整列するので、自然と拍手が起こる。在京のオケの演奏会では、ステージにオケの面々が現れても普通拍手はないので、これはなかなかの有効手段である (笑)。そして、楽員の中には何人も外人がいることに気付く。女性もいる。この外人率は、東京のオケよりもむしろ多い方ではないか。そして始まった「牧神」。最初のフルート・ソロを吹くのは白髪の外人だ。楽員表を見ると、パヴェル・フォルティンとある。ロシア系であろうか。宙を漂う旋律。そして、管も弦も、抜群のニュアンスを持って鳴るのを聴いたとき、私の心は幸福に満たされた。これは東京のトップオケにも負けない演奏能力ではないか。いや、忙しいスケジュールを送っている東京のオケよりも、もしかすると新鮮な思いで音楽を奏でているのではないか。素晴らしい演奏であった。

演奏時間 10分の「牧神」の後、15分間の休憩があり、いよいよ 80分を要する大作、トゥーランガリラ交響曲だ。作曲者はフランス 20世紀を代表するオリヴィエ・メシアン (1908 - 1992)。これは若い頃の肖像だ。
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この曲はインド音楽やガムランを引用した、なんとも怪しげな音響の渦巻く問題作。この演奏会でプレトークを行った音楽評論家の渡辺 和彦によると、そのテーマはズバリ、「エロス」だそうである。まぁそれはそうなんだけど、会場の聴衆の中には大勢の老人もいる。果たしてそんなエロス大作に皆耐えられるのだろうか (笑)。この曲にはピアノと、それからオンド・マルトノという電子楽器が入るが、その二人のソリストがまた一流だ。まずはピアノの児玉桃。パリ在住であり、メシアンを得意とするピアニストだ。
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それから、オンド・マルトノ。この楽器を知らない方もおられようが、マルトノという人が 20世紀に入ってから考案した、なんともレトロな電子楽器である。
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日本にはこの楽器の世界での第一人者がいる。原田 節 (たかし)。慶応の経済という難関を卒業したあと、パリ国立高等音楽院のオンド・マルトノ科 (そんなものがあるのか!!) を首席で卒業している。国内でこのトゥーランガリラ交響曲が演奏されるとき、彼以外がオンド・マルトノを演奏したことは果たしてあるのだろうか。
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そんなわけで、役者は揃った。群馬交響楽団の普段の鍛錬が試されるときだ。おっとこのユルキャラはなんだ (笑)。今回の写真ではありません。
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冒頭の激しい音形が鳴り響いたとき、早くも演奏の成功を確信した。この嵐のような交響曲には、整然と響かせようという意図は不要で、ひたすら怪しく激しく、熱狂的であるべきだ。今回の大友と群響の演奏は、個々の管楽器の活躍から、ボウイングがバラバラになる箇所での弦楽器の仕組まれた危うさに至るまで、ユルキャラが出る幕もない凄まじい音響が現出した。マエストロ大友はマイルドな顔をして、実にえぐい音を出す。80分間の音の渦に、エロスの饗宴に、聴衆は圧倒されるばかり。もっとも、この曲を聴いたことのない人たちも沢山いたようで、私の前の列では、エロスとは縁もゆかりもなさそうな 3名の年配の方々が、演奏開始早々夢の世界に落ち、演奏中、終始船を漕いでおられたのであった (笑)。また私の隣では、母娘とおぼしきお二人が、時々気持ちよさそうにいびきなどかいておられた。

いやしかし、この演奏は本当に素晴らしいものであった。圧巻は児玉桃のピアノだ。この曲の演奏では、ピアノが正面に構えることは稀ではないかと思うが、今回はソリストとして、ピアノとオンド・マルトノが指揮台の前で向かい合っての演奏。児玉の全身全霊での凄まじい演奏からは、何やら稲妻が見えるようだ。演奏終了後に立ち上がった彼女は、その場でふらつくほどの疲労困憊ぶり。優れたピアニストであることは知っていたが、このような演奏に立ち会うことができた以上、これからも期待大だ。あ、もちろんオンド・マルトノの原田さんも素晴らしかった。・・・でも、この楽器に上手い下手があるのかどうか、判然としないが (笑)。ともあれ、首都東京で大成功を収めた大友と群響。これからも期待したい。

さてこのトゥーランガリラ交響曲であるが、1949年のボストン交響楽団による世界初演は、実はバーンスタインが指揮しているのだ。この時の演奏は、全曲の録音はないのかもしれないが、リハーサルシーンなら CD 化されている。本当に貴重な記録である。
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そして日本初演は 1962年、小澤征爾指揮 NHK 交響楽団による作曲者臨席でのもので、これは今や伝説となっている。この演奏も全曲の録音があるのか否か知らないが、少なくとも一般市場に出回った録音は、未だアナログ時代に N 響のアンソロジーの中で一部の楽章があっただけだ。今回のプレトークで興味深かったのは、この日本初演に参加したトランペット奏者が、今回の演奏にも参加していたということ。相当なベテランだ。こうして日本にも西洋音楽の歴史が脈々と受け継がれて行く。ではここで、とっておきのサインを披露しよう。
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1986年 3月、小澤征爾と新日本フィルが、メシアン畢生の大作オペラ「アッシジの聖フランシスコ」からの 3景を日本初演した際に、会場にいた作曲者に私がもらったサインである。このときの演奏はまさに何か神がかり的なもので、私の長年に亘るコンサート歴でも 3本の指に入る超絶感動体験であった。当時、無遠慮な若造にこのようなきっちりしたサインをくれたメシアンの人柄が偲ばれる。

最後にもうひとつ。今回の演奏会、客席には指揮者の井上道義の姿があった。先般も彼のブルックナーに感動したばかりだが、彼を見てはっと思い出したことには、私がこのトゥーランガリラ交響曲を何度も何度も聴いて、曲に親しんだのは、私にとっては学生時代、井上が新日本フィルの音楽監督であった頃に演奏したこの曲を FM でエアチェックしたカセットテープであったのだ。その後、当時の彼のもうひとつの手兵、ニュージーランド交響楽団を指揮した同じ曲の演奏もエアチェックしたものだ。彼は既に音楽監督を務める大阪フィルでこの曲を演奏しているようだが、そのエロスの発散には、きっと生命力あふれるものであっただろう。井上と大友の間に交友関係があるのか否か知らないが、東京だけでなく地方でも気を吐く二人のマエストロには、今後とも期待しよう。

# by yokohama7474 | 2016-03-21 00:05 | 音楽 (Live) | Comments(0)