ピエタリ・インキネン指揮 日本フィル (ピアノ : サリーム・アシュカール) 2018年 6月15日 サントリーホール

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日本フィルハーモニー交響楽団 (通称「日フィル」) とその首席指揮者、フィンランド出身のピエタリ・インキネンの、4月に続く定期演奏会での共演である。今回のプログラムは、上のチラシにある通り、イタリアの「歌」がテーマであるらしい。しばらく前に、ダニエーレ・ルスティオーニ指揮東京都交響楽団の演奏会でも、ドイツ・オーストリア圏の作曲家とイタリアとの関わりがテーマになっていたが、コンセプトとしては少し近いものがある。今回のプログラムは以下の通り。
 シューベルト : イタリア風序曲第 2番ハ長調D.591
 メンデルスゾーン : ピアノ協奏曲第 2番ニ短調作品 40 (ピアノ : サリーム・アシュカール)
 メンデルスゾーン : 交響曲第 4番イ長調作品 90「イタリア」

私はこのブログでこれまで、インキネンが繰り返し取り上げてきているワーグナーやブルックナーの演奏に対し、どうしても迫力不足のきらいがあるという率直な感想を述べてきたが、今回のプログラムを聴いて、この指揮者の素晴らしい才能を実感することができた。前期ロマン派の音楽をこれだけニュアンス豊かに演奏できるのに、あえて分厚い音の後期ロマン派にあえて向かっていることには、何か意図があるのかもしれないと、初めて考えた次第。最初のシューベルトの作品は、決して頻繁に演奏される曲ではないが、私はたまたま先週、イシュトヴァン・ケルテス指揮ウィーン・フィルによるシューベルト全集の CD 4枚組を一気に聴いていて、その中にこの曲が含まれていたので、耳には多少馴染みがあった。これはロッシーニの影響のある演奏会用序曲で、「イタリア風序曲」には第 1番と第 2番があるようだ。今回のインキネンと日フィルの演奏は、冒頭はそれなりに重々しくはあったものの、全体的には流れがよく、目のつんだ音が聴かれる演奏で、素晴らしかった。また、2曲目のメンデルスゾーンのピアノ協奏曲 2番も、さほど演奏頻度は多くないにも関わらず、ピアノのアシュカールともども、なんとも美しい演奏で、惚れ惚れしてしまった。このアシュカールという人、私も今回初めて聴いたのだが、ピュアなタッチが素晴らしく、きっとモーツァルトなどもよいと思う。リッカルド・シャイー指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管 (もちろん、メンデルスゾーン自身が音楽監督であったオケだ) とともに、このメンデルスゾーンのピアノ協奏曲 2曲を録音しているという事実からも、メンデルスゾーンに定評があり、抒情的な音楽性の高さが分かろうというもの。
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因みにこのアシュカール、数々の名オーケストラや名指揮者との共演実績についてはプログラムに記載あるのだが、生年や国籍の記載はない。音楽自体の評価とは全く関係ないが、実演に触れた音楽家のバックグランドについて知りたいと思うのが人情だ。そこで帰宅後調べてみると、1976年生まれ。生地はナザレで、なんとなんと!!「パレスチナ系ユダヤ人」とのこと。我々日本人にはこのあたりの感覚はどうしても鈍くなってしまうのだが、一般的な理解では「パレスチナ」と「ユダヤ」は完全に対立項であり、しかもナザレとは、あのキリストの出身地である。なるほど、対立の構図の中の愛から生まれた音楽家であるがゆえに、我を捨てて純粋に音楽に貢献しようとしているのであろうか。彼の履歴の最後に、戦争地域や途上国の音楽家及び音楽団体をサポートする非営利団体「ミュージック・ファンド」の大使を務めるとあるのは、そういう背景あってのことだったのだ。ドイツにおけるユダヤ人であったメンデルスゾーンの協奏曲のあと、彼の友人であった、こちらは生粋のドイツ人、シューマンの「トロイメライ」を、アンコールとして実に感情豊かに弾いたのも、そう思うと感慨深い。

そして休憩後、メインの「イタリア」は、私も大好きな曲なのだが、インキネンと日フィルが爽快感を持って駆け抜けたことに、本当に心が洗われた気分となった。弦楽器の多彩な表現力はもちろん、ここではフルートをはじめとする木管も極めて重要だし、第 3楽章では、のどかなホルンの二重奏が曲の流れを作り、そして狂乱の第 4楽章に入って行くのだが、そのあたりも大変にニュアンス豊かで素晴らしかった。やはりインキネンにはこのタイプの音楽が似合う。是非今後は、ハイドン、モーツァルトあたりを沢山演奏して欲しい。そこには、音楽の醍醐味がたっぷり詰まっているのだから。
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このインキネン、今回のコンサートで配布された資料によると、もともと 2019年 9月で首席指揮者の任期が切れる契約であったところ、この度 2年延長し、2021年 9月までになったとのこと。もちろんその間に東京オリンピックもあるし、実はこのコンビは来年 4月、このオケとして 13年ぶりのヨーロッパ演奏旅行に出かけるらしい。インキネンの故国フィンランドと日本の国交 100周年、そして、日フィルの創立者で、母親がフィンランド人であった渡邊暁雄の生誕 100年を記念するもので、首都ヘルシンキを含むフィンランドや、ドイツの地方都市、ウィーン、そしてロンドンを含む英国の、合計 10都市での公演で、メインにはシベリウス 2番とチャイコフスキー 4番、その他ラウタヴァーラや武満徹の弦楽のためのレクイエムなどを演奏する。これは是非頑張って欲しいものだ。

さて、終演後にはサイン会があったので参加した。背景に東京タワーをあしらった、なかなかおしゃれな写真をバックに「アリガトウ」を連発し、和やかな雰囲気であった。
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ただ、サインはちょっとシンプルすぎませんかね (笑)。ま、では、これからインキネンと日フィルには、シンプリシティの音楽を期待することとしましょう。
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# by yokohama7474 | 2018-06-16 00:45 | 音楽 (Live) | Comments(2)  

名古屋の古寺 その 2 金龍寺、建中寺、桃厳寺、龍泉寺、甚目寺

前回に引き続き、名古屋の奥深さを実感するような古寺の数々をご紹介したい。尚、前回も今回も、すべての寺院を一日で回っているわけではなく、何日かに分けての訪問であることを申し添えておこう。まず最初は金龍寺。
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相当なお寺好きでも、この寺を知っている人は少ないかもしれない。かく申す私も、東海地方の珍しいスポットを紹介する本で見るまで、全くその存在を知らなかった。上の写真に「大観音」とあるが、一体どのようなお寺なのだろうか。境内は非常に狭く、このようなお堂と、その前に立つ僧侶の肖像彫刻がほぼすべてである。
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実はこの寺は 1940年に創設された、比較的新しい寺院。戦災で焼けてしまったため、場所を移転しているが、この寺を開いた僧侶の名は、近藤堯常。そう、上の彫像の人である。彼は奈良の長谷寺で修業し、1956年に、その長谷寺の本尊をモデルに、巨大な十一面観音を制作した。これは借りてきた写真であるが、その大迫力は実感して頂けるものと思う。高さは実に 7m!!
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この巨大な観音様を前にして、私は痛く感動してしまった。昭和の世にこれだけの巨像を造立することは、並大抵のことではない。古いものではないので、文化財指定はないものの、時間の経過とともに、いずれは文化財という認定を受けることは間違いないだろう。是非多くの方にご縁を持って頂きたいと思う。

さて次は、名古屋屈指の名刹、建中寺である。
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この寺は、天下の徳川御三家のひとつ、尾張徳川家の菩提寺である。このような立派な門に、葵のご紋が。尾張徳川家からは結局将軍は出なかったし、その歴代藩主の墓所は普段は公開していないようだが、その誇りは、この寺に行けば今でも感じることができる。
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興味深いのは、明治に入って、名古屋商工会議所ができたときに、この建中寺にその建物が置かれたのである。その名も徳興殿。1896年の建造で、国の有形登録文化財に指定されている。内部は公開されておらず、現在でもなんらかの公的施設として使われているようだ。名古屋の人たちの、尾張徳川家に対する尊敬の念がよく分かる。
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さて、次にご紹介したかったのは、千種区にある太龍寺というお寺なのであるが、この寺には車のナビでもなかなか辿り着かないし、境内の裏側から入ろうにも、門に鎖がかかっていて、入れない。この寺には、両翼のある城郭風の建物に、五百羅漢が安置されているらしく、是非見たいと思ったのであるが、寺の方針で一切の観光客を排除しているらしい。ネット検索すると幾つかのこの寺に関する記事 (中には、忍び込んで寺の人に怒られたというものもある) にヒットするのだが、これは大変に残念なこと。文化財はその寺だけのものではなく、広く歴史を愛する人たちに公開されるべきというのが私の持論だが、一方で、信仰の場である以上は、物見遊山で有象無象がやって来られても困るという考えも理解はできる。ただ、ここは地元の名古屋市なり千種区が、文化財保存に乗り出すべきではないだろうか。

そんなわけで、大龍寺拝観を果たせなかった私は、通りすがりの面白そうなお寺に詣でることにした。その名は桃厳寺。
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たまたま見つけた表示によると、この寺にも大仏があるという。境内を進んで行くと、このような厳めしい看板があって、ちょっと気持ちが引き締まる。もちろん、仏様との無言の対話をするために、ここまでやってきたのである。
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そして見えてきたのは、このような緑の大仏で、その存在感には圧倒されるものがある。たまたま天気のよい日であったので、大変印象的なショットを何枚も撮ることができた。たまたま通りかかった寺とはいえ、私はここを訪れたことを、一生忘れないと思う。
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そして興味深かったのは、前回の記事でご紹介した織田信長の父、信秀の廟所がここにもあることだ。五輪塔に歴史の重みを感じる。
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さて、次にご紹介するのは、龍泉寺。ここは、名古屋城を鎮守する尾張四観音のひとつ。このような立派な門と多宝塔が見える。この仁王門は重要文化財である。
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実はこの寺にある有名な文化財は、円空仏である。城のような建物が宝物館になっている。小さな千体仏と、高さ 112cmの馬頭観音など、いかにも円空らしい荒々しい彫りの仏像がどっしりとおわします。大変貴重なものである。
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最後にご紹介するのは、甚目寺 (じもくじ) である。実はここも尾張四観音のひとつ。因みに残りの 2ヶ所は、荒子観音と笠寺観音である。前者には私も行ったことがあり、凄まじい数の円空仏で知られていて、それらは毎月第 2土曜日にのみ公開される。それはそれで、実際に見に行くと大変圧巻であるのだが、今回の取材対象に入れることはできなかった。またいつかご縁があればご紹介したい。というわけで、甚目寺である。597年!! の創設と伝えられる、大変に古い名刹。
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大変立派な門構えの寺であり、この南大門も重要文化財である。だがこの寺で有名なのは、なんといっても三重塔である。1623年の建立で、やはり重要文化財なのであるが、高さ28mと、三重塔としては日本有数の高さを誇る。その姿は大変に美しい。
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またこの寺の簡素な東門も、やはり江戸時代初期の建築で、重要文化財である。
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面白かったのは十王堂。鶏が入るので扉を閉めるようにとの注意書きも微笑ましいが、閻魔大王をはじめとする十王たち (と、それから奪衣婆) の存在感が不気味。
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そして真ん中のその閻魔大王と地蔵菩薩の前には、なにやら秤のようなものが。
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これ、よく見ると、測られているのはどうやら、亡くなった人の罪の重さであるようだ。あーあ、地獄行きかな、この人は (笑)。
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これで、2回に亘る名古屋の古寺のご紹介は尾張、じゃないや終わりであるが、それぞれに個性的な寺が多く存在していることを、少しでも認識して頂ければと思う。名古屋は、手羽先やひつまぶしを楽しむだけの場所ではなく、歴史探訪の面白さがぎゅっと詰まった地域なのである。

# by yokohama7474 | 2018-06-15 01:23 | 美術・旅行 | Comments(0)  

名古屋の古寺 その 1 大須観音、七寺、万松寺、栄国寺、興正寺

このブログではこれまでにも何度か、名古屋やその近隣地区の歴史的な場所をご紹介してきた。もちろん名古屋は、戦国から泰平の世に至る時代のいわゆる三英傑を輩出した、そして徳川御三家のひとつが治めた由緒正しい土地であるが、実は、それ以前からの古い歴史を今に伝える場所でもある。これから 2回に分けてご紹介するのは、名古屋の古寺の数々であるが、その中には三英傑、とりわけ信長と家康に関係するものもあるし、そうでないものもある。京都や奈良というメジャーな場所とは一味違った古寺について、一人でも多くの方にその存在を認識して頂ければ幸いである。尚、これらの寺を回ったのは昨年の夏頃であり、写真からは夏の日差しを感じて頂けるものと思う。最初にお目にかけたい写真は、これだ。
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おぉー、マンションに仁王さんの横顔が。実はこれ、あるお寺のいわゆる門前町として賑わっている商店街 (2本並行して走っている) のひとつの場所を表したもの。そのお寺とは、通称大須観音。正式には真福寺宝生院という。
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この大須という地域、なんとも庶民的な雰囲気で、商店街では古着を売る店も多く、また、大道芸人フェスティバルのようなものも開かれる。ある知人の言葉によると、「浅草と秋葉原とサンパウロを足して三で割ったような街」なのである。このうちサンパウロとは、ブラジル料理屋が多いことによる。きっと近隣に住んでいるブラジル人も多いということだろうか。いずれにせよ、昭和の匂いとアキバ系の雰囲気漂う、活気のある街である。だが、そんな街の中にあるこのお寺、実は文化史的観点から見て非常に貴重なお宝を多く所蔵しているのである。そのお宝とは、書物。実に 15,000冊の古書籍を収める真福寺文庫 (大須文庫) は、日本有数の規模と質を誇る。4点の国宝書籍を所蔵するが、中でも南北朝時代の「古事記」は、同書の現存する最古の写本である。これらの書籍は通常は非公開だが、私は幸いなことに、2012年から 2013年にかけて名古屋市博物館で開かれた「大須観音展」で、この「古事記」をはじめとする国宝書籍 4点、重要文化財の仏涅槃図などを見ることができて、実に興味深かったのである。
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実はこの大須観音、もともとは違う場所にあったものが移転されてきたのだ。現在の岐阜県羽島市にあったものを、徳川家康の命によって、1612年に現在地に越してきたという。その理由は、もともとの場所では川の氾濫が多く、貴重な文書類を守ることが困難であったことであるらしい。なるほど家康という人は、街作りにも長けているが、文化財という観念のない当時、古く貴重なものを守るということに意義を見出した人だったのである。現在このように賑わっている大須観音は、家康のおかげで現在まで至宝を維持できたことになる。

さて、この大須地域には、実は戦前にはさらに大きな寺があって、その周りは大変賑わっていたという。その寺の名は、「七寺」(ななつでら)。
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本当の名前は長福寺というらしいのだが、「ななつでら」というこの一風変わった名前で呼ばれるのが普通である。実に 8世紀の創建と言われる古刹で、紀是広という創建者は、7歳で亡くなった我が子を弔うためにこの寺を建てたのでこの名があるという悲しい伝承による。今では知らなければ素通りしてしまうような小さな寺であるが、上記の通り、もともとはかなり大規模な寺院であったところ、戦災でその伽藍のことごとくを失ってしまった。その狭い境内にはこのような露座の仏さまがおわすのであるが、そのお姿は痛々しい。
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だがこの寺には、そんな戦争の惨禍を乗り越えて今に伝えられた貴重な宝物がある。ひとつは、平安時代に書かれた一切経。戦争中疎開されていたので、3,000巻以上が現代に伝えられ、今でも研究者がよくやってくるという。重要文化財である。それから、もうひとつの重要文化財は、かつて本尊阿弥陀如来の左右に控えていた脇侍、観音菩薩と勢至菩薩である。これも平安時代後期のもので、旧国宝。これは借りてきた写真であるが、実に優雅なお姿である。
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堂内には、戦災に遭う前の立派な伽藍と、阿弥陀三尊の写真が掲げられている。これらは、お寺の方の許可を得て撮影することができた。戦争とはいえ、本当に失われたものの尊さを思うのであるが、だが現代の我々としては、観音・勢至の両脇侍が残ったことだけでも奇跡的なことであると思うしかないだろう。
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さて、次に採り上げるのは、やはり大須地域にある万松寺 (ばんしょうじ) というお寺である。ここは織田氏の菩提寺で、信長の父信秀の墓所でもある。これは我々にとって決してなじみのあるエピソードではないが、信長が父の葬儀の際に位牌に抹香を投げつけたという逸話があって、それはこの万松寺 (現在地に移転する前の) が舞台であったらしい。今では昭和の香り漂うアーケードの商店街の中に立つ小寺院であるが、なんとも風情がある。
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ここにはその若き信長の逸話を題材にしたからくり人形があって、ある時期は故障していたようだが、今ではそれも直り、日に何度かパフォーマンスもあるようだ。だがこの日はあいにく、パフォーマンスを見ることはできなかった。
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だがその代わりと言ってはなんだが、最近設置された龍の彫刻が様々な色でライトアップされていて、これはこれでなかなか面白かった。
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さて、この地域ではもうひとつ、仏像好き、あるいは隠れ切支丹に興味のある人なら絶対に見逃せない場所がある。栄国寺である。
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この寺は、そもそも切支丹に寛容であった尾張徳川家が、幕府の禁制に従って隠れ切支丹を処刑した場所に、その菩提を弔うために建てられたもの。そのゆえに、規模は小さいものの、切支丹関連の遺品を集めて、博物館として公開しているのである。切支丹を弔うのに仏教寺院を建造しても、処刑された人たちは浮かばれなかったかもしれないが、それでも、人間としての思いやりがこのような寺として結実したことは尊いことである。この寺の境内には、今でも切支丹を供養する石碑や石仏があって、歴史の悲劇を今日に伝えている。
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切支丹博物館は、本堂の脇にある。案内を乞うと、その博物館を観覧し、本堂内を拝観することができる。遠藤周作も、「男の一生」という作品の取材でこの寺を訪れたことがあるという。
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そして、この寺に安置されている仏像群が興味深い。まずは本尊の阿弥陀如来坐像。鎌倉時代の美しい丈六仏である。
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そしてこれは、いわゆる清凉寺式釈迦如来。胎内に鈴が取り付けられているという。
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極めつけはこちら。
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お姿は少し変わっているが、阿弥陀如来である。実はこの阿弥陀様の胎内には、五臓六腑の模型が入っていて、「五臓阿弥陀仏」と呼ばれているのである。
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これは大変尊い仏様であるのだが、実はこのあたりには、切支丹の処刑に加えて、少し陰惨な歴史がある。それは、すぐ近くの橘公園という場所で、江戸時代に罪人の腑分け、つまりは解剖が行われたのである。もちろん、それは医学の発展に資することであり、五臓阿弥陀もそのような流れの中に位置づけられるのかもしれないが、やはり人の命の儚さを思わせることは否めない。それを知らなければ何の変哲もない公園であるが、時を経て過去に思いを馳せることには、少しは意味があるだろう。
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さて、この記事では最後にもうひとつ、名古屋の名刹をご紹介しよう。八事 (やごと) という場所にある興正寺である。
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この寺は、東海地区唯一の木造五重塔があることで知られる。1808年の建造で、重要文化財。門の奥、正面に立っていて、これはなかなかに絵になる塔である。
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実は、以前、初めて訪れたときにはなかった大仏が、この塔の正面にできているのを見て少々驚いた。まあ、インパクトはありますな。
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この塔に向かって右側にエスカレーターがあり、それを使って少し高台に出て、少し歩くと竹翠亭という建物がある。ここでは庭を愛でながら抹茶を頂くことができ、この日はかなり暑かったので、大変結構なリフレッシュとなった。
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さて、この興正寺はこのようになかなか素晴らしい名刹なのであるが、現実世界はままならない。昨年、この寺が属する真言宗の総本山である高野山から、前住職が罷免されるという事件があったらしい。土地の売却を巡って不正利益を得たという疑いがあったとのこと。私がこの寺を訪れたときには、この広大な境内を持つ興正寺の、道路を挟んだ反対側にプレハブ小屋が立っていて、それが本当の「興正寺」を名乗っていた。もともとはマンションのモデルルームがあった場所に、総本山の高野山が弘法大師の像を運んできて「寺院」としたもの。何やら緊張感があった。
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この問題は訴訟沙汰にもなったが、つい最近、前住職側と高野山側は和解したというニュースを見た。せっかくの歴史ある大寺院である。訪れる人々が心を痛めるような事態は避けて欲しかったので、今はこのような緊張感あるシーンはなくなっていることを祈りたい。だが一方で、人間のやっていることには常に間違いが存在するという意味では、このような光景を目撃することによって、学ぶところがあったとは言える。古寺巡りも、不健全な現実逃避ではなく、常に我々が生きている現代社会の中で、その体験を活かせるものであって欲しいものだ。

# by yokohama7474 | 2018-06-14 01:42 | 美術・旅行 | Comments(0)  

フランソワ=グザヴィエ・ロト指揮 レ・シエクル 2018年 6月12日 東京オペラシティコンサートホール

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すごいコンサートだった。1971年パリ生まれの指揮者フランソワ=グザヴィエ・ロトの指揮するレ・シエクルというオーケストラの演奏会だ。これは、上のチラシにもある通り、このコンビのアジア・ツアーにおいて、ただ一度の日本公演。正直なところ、この指揮者もオーケストラも、道行く人々誰もが知り、口々にその名を唱えているような著名なものではないはず。にも関わらず、このコンサートのチケットは早々に売り切れ。2次マーケットでもかなりの高値で売買されていたのである。以前からこのコンビに注目し、数枚の CD を購入して驚嘆していた私としては、これはなんとしてでも行かねばならぬコンサートであったのだが、期待通り、今年上半期のベストを争う衝撃的なクオリティであった。まずこのレ・シエクルというオケであるが、いわゆるピリオド楽器を使用する団体である。もっと平たく言えば、いわゆる古楽器なのであるが、このオケの特徴は、演奏する曲の時代に使われていた楽器を使用することであり、いわゆるバロック専門の楽団とは全くその趣きを異にする。言ってみれば、1960年代から始まったいわゆる古楽という流れが、21世紀に至って究極の姿に進化したような存在と言えようか。2003年に設立以来、ロトとの演奏会と録音によって活動を展開してきた。因みにこのシエクルという言葉はフランス語で「世紀」の意味。
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一方、指揮者のロトについては、2016年 4月 7日に都響を指揮したベートーヴェンの「英雄」等を聴いて驚愕したのも記憶に新しい。今回自分でその記事を読み返してみて発見したことには、その最後で私は、「今後の彼の来日公演には、万難を排して出かけるつもりである」と書いている。あーよかった。有言実行できて (笑)。
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そしてこの貴重な来日公演、曲目が素晴らしい。
 ドビュッシー : 牧神の午後への前奏曲
 ドビュッシー : バレエ音楽「遊戯」
 ラヴェル : ラ・ヴァルス
 ストラヴィンスキー : バレエ音楽「春の祭典」

これのどこが素晴らしいかというと、まず、4曲とも、ディアギレフ率いるロシア・バレエ団の委嘱によって書かれた、1910年代から 20年代の曲。もっと正確に言うと、「春の祭典」の初演が 1913年であることは音楽史上の常識であるが、実は「遊戯」も同じ年の初演。私がこのことを知っているのは、随分以前にシャルル・デュトワが NHK 交響楽団と、「1913年・パリ」というタイトルの演奏会を開いていて、そこに「春の祭典」はもちろん、「遊戯」も入っていたからだ。この 2曲はともにシャンゼリゼ劇場での初演。一方、実は牧神の午後への前奏曲は、その前年、1912年の初演で、その場所はシャトレ座。「ハルサイ」と「牧神」は、同時代の作品であったのだ。それから、「遊戯」にはモダニズムが現れている一方、ラ・ヴァルスには回顧趣味が込められていて、メインの「春の祭典」になると原初の世界に戻るという、この時代ならではの混淆ぶりが面白い。

このオケの特色は、曲が作曲された時代の楽器を使うことだと述べたが、その意味では、外国のツアーでは、今回のように同じ時代の作品を集めたコンサートでないと効率が悪いだろう。だが、私がこのコンビの生演奏を初めて体験して思ったのは、楽器がどうのこうのという前に、各楽員の高いモチベーションと、それを巧みに誘導する指揮があって初めて、これだけの高い水準の演奏が生まれているということだ。最初の「牧神」では、冒頭のフルートからしてニュアンス抜群であり、曲のどの場面においても官能性が知性とともに揺蕩う感じ。次の「遊戯」では一転してくっきりした音を描き出し、通常はあまり面白いとも思えないこの曲を、大変楽しめるものとしていた。そして、ラ・ヴァルス!! ウィンナ・ワルツへのオマージュという能書きのこの曲に聴かれる華麗なる退廃は、ラヴェルとしても少し異色のものであるが、優雅さから凶暴さへ向かうその音のドラマの迫真性。終結部間近のパウゼが、こんなに恐ろしいと思わせる演奏は、ちょっとないと思う。実はこれはメインの「春の祭典」でも言えたことだが、今回はサントリーホールよりも 2割ほどキャパシティの小さい東京オペラシティコンサートホールを使ったことが、よかったのではないか。比較的ドライな残響によって、休符が本当に効果的であった。今回の演奏会の目玉はもちろん「ハルサイ」であるが、実はこのコンビ、この曲の CD を 2014年に出していて、日本のレコード・アカデミー賞大賞を含め、世界で賞を受賞している。私もそれを大変楽しんだ。
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この演奏の何がすごいかというと、1913年の初演時の響きの再現に努めたことである。この曲の初演は名指揮者ピエール・モントゥーが指揮したが、音楽史上に残る大スキャンダルとなったその初演時の使用楽譜は、既に失われているという。だが、作曲者の自筆譜は現存しており、それを基本として、1922年に最初にこの曲が出版された際のスコア、作曲者と親交のあったアンセルメやマルケヴィチといった指揮者たちの作曲者とのやりとり等を参考にして、初演時のスコアをロトが復元したものであるという。ただ、普段耳慣れているもの (1967年の最終版) と、音楽自体として異なる箇所はほとんどなく、弦楽器のリズムの刻みが弱かったり、休符が加えられていたり、弓で弾く部分がピチカートになっていたりといった程度。そのような曲の違いよりも、私が最も感じたのは、オケの音色の違いであった。特にホルン。なんとも古雅な響きでありながら、それが咆哮することで (2名はワーグナーチューバ持ち替えでもあり)、なんとも粗野な響きに変貌するのである。もちろん、弦楽器はこの曲に相応しいスピード感を持ち、木管は自発性豊か、金管や打楽器も、ここぞという時に炸裂するものだから、もうスリル満点。やはりこれは、ちょっとほかにない「ハルサイ」であり、こんな熱い演奏を生で体験できたことは、実に貴重なことなのであり、この曲が本来持つ始原性のようなものを、改めて実感させてもらった。演奏が終わった瞬間、客席は一瞬あっけに取られたように静まり、そして拍手が爆発した。興味深かったのは、オケの面々も指揮者に何度も称賛の意を表明していたことだ。この指揮者とオケのコンビは、お互いを尊敬しあう理想的な関係にあるのだろう。そしてロトは紙を取り出して、そこに書かれた言葉をたどたどしい日本語で読んだのだが、このホールで演奏出来て嬉しく光栄である。オケのメンバーには、日本人打楽器奏者もいる(場内拍手喝采)、ささやかなアンコールですという趣旨。演奏されたのは、ビゼーの「アルルの女」から弦楽合奏による抒情的なアダージェットであった。こういう曲を演奏しても、このオケは大変巧い。

終演後にはサイン会があった。6月30日発売の、ラヴェルの「マ・メール・ロワ」全曲、「シェエラザード」序曲、「クープランの墓」というラヴェル作品集が、会場先行販売されていたので購入。サインをもらったのである。スペースは充分あるのに、随分小さいサインだなぁ。それから、長い名前なのに、なんと短いサインだろうか (笑)。
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ロトは、アンコール前のスピーチでも分かる通り、大変にサービス精神旺盛な人である。サイン会もこのような和やかな様子で、今回の衝撃の演奏を堪能したファンの方々はみな、長蛇の列をなしながらも、この偉大なる指揮者とのコニュニケーションを楽しんでおられた。
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今回は一度しかなかった東京公演だが、次回以降は是非、複数公演をお願いしたいものである。フランソワ=グザヴィエ・ロト。今後の活躍から目を離せそうにない。

# by yokohama7474 | 2018-06-13 00:33 | 音楽 (Live) | Comments(0)  

くまのもの 隈研吾とささやく物質、かたる物質 東京ステーションギャラリー

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隈 研吾 (くま けんご) は 1951年生まれの、現代日本を代表する建築家である。最近では、2020年の東京オリンピックのための新国立競技場の設計に関わることで、一気に知名度を上げた感がある。この展覧会は、去る GW まで東京ステーションギャラリーで開かれていた彼の回顧展。私が訪れたのは会期終盤だったが、会場はかなりの混雑で、隈人気を伺わせるに充分なものであった。展覧会の題名が一風変わっていて、「くまのもの」とある。このひらがなに独特な印象があるが、「くま」さんが手掛ける「もの」という意味であろうが、「もの」とはつまり物質。この展覧会の副題にある通り、物質がささやいたり、かたったり (ここもひらがなだが、これは「語ったり」であって、「騙ったり」ではないと思う。笑)、そんな対話を楽しむものであろうか。今回の展覧会では、写真は撮影し放題。きっと SNS をやっている人たちにとっては、恰好のヴィジュアルを提供した場所になったのではないか。以下も、すべて私が現場でスマホ撮影した写真を使います。まずは、建築家自身の言葉から。
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なかなか面白い言葉ではあるが、建築にも一通りの興味を持つ私には、以前から気になることがある。それは、現代の建築家は誰も皆、極めて雄弁だということだ。公共性を持つ建築という芸術分野には、その公共性ゆえに、なぜそのような建物を設計したかという説明が、社会に対して義務付けられているという感覚があるのかもしれない。だが、ある建築を見て、「何かよく分からないけど、これって面白い」と思うことも、やはり大切なのではないだろうか。この展覧会においては、隈の過去 30年間に亘る様々な仕事の模型や設計図や、ある場合には素材を見ることで、その建築美学の神髄に迫る試みがなされている。それは取りも直さず、彼の建築を見て、「これって面白い」と改めて思うきっかけになったろうと思う。実はかく言う私も、彼の設計した夥しい数の施設のうち、実際に知っている例はさほど多くない。だが、例えばサントリー美術館と根津美術館がともに彼の設計であると知ると、なるほどなるほど、と思うのである。確かにそこは、スタイリッシュではあっても無機的な空間ではなく、木のイメージがある。木という物質のささやくことやかたることに、耳を澄ますことのできる建築と言えばよいだろうか。そして展覧会の入り口がいきなりこんな感じだと、それは写真を撮るでしょう (笑)。
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木がささやき、かたっていますよ!! 下の写真では、手前に見えるのはスターバックス大宰府天満宮表参道店の模型、奥は梼原 (ゆすはら) 木橋ミュージアムの模型。後者の所在地は高知県であるらしい。
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会場には模型だけでなく、何やらインスタレーションのようなものも展示されている。これはロンドンのロイヤル・アカデミーの依頼によって作られたもので、竹ヒゴを編んで上から吊るしてあるのだが、その竹ヒゴは床下から香料 (畳とヒノキの香り) を吸い込んで、空間をそのような日本的な香りで満たすようになっている。これは、日本人ならではの繊細な美意識を、世界のどこででも再構成してみせる技である。
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そして、話題の新国立競技場の模型もある。先日 NHK の「探検バクモン」で、現在建築中のこの施設を上から見下ろせる喫茶店を紹介していたが、実は私はそこに行ったことがある。確かにそこに行けば、ちゃんと工事が進んでいるのか否かをつぶさに見ることができるのである。2年後、ここで熱狂のスポーツの祭典が行われることを思うと、心躍ることを禁じ得ない。
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展覧会では、隈が様々な素材を使ったユニークな建造物に触れることができるが、これなども本当に面白いものである。鎌倉の名刹、建長寺にある、虫を供養するためのモニュメント。虫好きの養老孟司の発案で、ステンレスを組み合わせた上に、ガラス繊維と現地の砂と接着剤を混ぜて吹き付けてあるそうである。
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これは Water Branch House という名前がついていて、ポリタンクからヒントを得たレゴのようなもの。自由に組み合わせることで、災害時にも強い、外部インフラを必要としない自立システムになるという発想。展覧会では、これを自由に触ってよいことになっていた。ま、触ってもポリタンクなんですけどね (笑)。
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様々な隈の作品を体感したあとに、観客はこのような巨大な樹形図を見ることになる。何やらクラゲのようにも見えるが、これは材質別に彼の設定した建造物の系譜を示したもの。各材質は上部に記載されていて、下部は、今度は各建築の機能で括られている。「包む」「編む」「支えあう」等々。なるほど、物質もかたちによって、様々に関係性を持つのである。
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さて、展覧会の最後の方にはこのような模型が展示されているが、これは一体何だろうか。
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実はこれ、品川と田町の間にこれから建造される新駅の模型。現時点では品川新駅という仮称呼ばれているが、つい先ごろ、JR 東日本が名称募集であるこことを発表した。今月いっぱいが受付期間であるので、ちょっと何か考えてみようかしらん。「くまのもの」駅ではダメだろうなぁ。この駅は 2020年春、ということはつまり東京オリンピック前に暫定開場するらしい。この駅だけでなく、現在丸の内・大手町エリアで進む数多くの再開発事業は、すべてこのタイミングまでに完了予定と聞く。建造物は東京の顔であり、都市の文化度を示すもの。これからの 2年、いかにして我々は新たなランドスケープを作り出すことができるのであろうか。この駅に実際に人々がこのようにやってくるのは、もうすぐなのである。
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この展覧会での展示物は非常に多かったので、ここでご紹介できたのはごく一部である。もし隈研吾のこれまでの業績にご興味をお持ちの向きは、JA (the Japan Architect) という建築雑誌の 109号、題して "Kengo Kuma : a LAB for materials" (英文、日本文併記) が一般書として手に入るので、お薦めである。私も会場でこの雑誌を購入し、パラパラとめくっては、様々な物質のささやきやかたりに、耳を傾けているのである。
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# by yokohama7474 | 2018-06-11 23:39 | 美術・旅行 | Comments(0)