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文化に興味を持つと、自然な流れで、歴史にも興味が出て来るものである。というのも、連綿と続いてきた人間の営みの結晶が文化であるならば、その文化を生み出した歴史的背景を知ることで、理解が深まり、そのことによってまた一層、文化への興味が増すからである。なので、私もこれまで、硬軟取り混ぜて、歴史に関するあれこれの書物を読んできたものである。だが、私はもちろん歴史の専門家ではないし、あまり小難しい書物を読む根気も時間もないので、書店 (最近では数は減ってしまったが、それでも大型書店で書物との偶然の出会いを持つことは未だ可能である) で目についた面白そうな歴史についての本を、興味の赴くままに購入するというのが、せいぜいである。あるいは、時には古本屋で、それまで存在を知らなかった同種の本との出会いを持つというのも、学生時代から今に至るも変わらぬ、私の大きな喜びなのである。ここでご紹介するのは、2016年に発行された比較的新しい本である。

私がこの本に興味を持った理由はふたつ。まずひとつは、この関裕二 (1959年生まれ) という著者。私は過去にも、この人の書物を何冊か読んでいる。それについてはあとでまた触れるとして、もうひとつの理由を書いておくと、表紙や帯に踊るコピーを見る限り、この本は、どうしても西日本中心に考えられがちな日本の古代史において、東日本にスポットを当てているようであること。たまたま自分が東京に暮らしていて、東京の文化イヴェントに日々触れる中で、東日本にある歴史的な場所の探訪も、私の大きな興味の対象である。それゆえ、古代における東日本の位置づけには、最近ちょっと敏感なのである。だが、どうだろう。一般的に言って、日本の古代史の舞台はもっぱら近畿か北九州、あるいは出雲といった西日本というイメージがあることは確かである。もちろん、ヤマト政権は現在の奈良県にあったわけだし、邪馬台国だって、伝統的に近畿説か北九州説のいずれかと相場が決まっている。だが、関東をはじめ東日本には、実は大変多くの古墳があって、古代において既に大きな勢力があったことを示している。そして、これは以前も書いたことがあるが (2017年 3月 4日の、東京国立博物館における春日大社の展覧会の記事において)、藤原氏の氏神として大変に古い歴史を誇るあの春日大社の祭神は、なんと、現在の茨城県にある鹿島から、奈良の地に降り立ったというのである。これはつまり、奈良よりも茨城の方が、歴史が古いということを意味しているのでは? なんと意外なことだろう。そもそも茨城県が日本史に出て来るのは、あの平将門が 940年に反乱を起こすのが最初ではなかったのか。これは国貞描くところの将門。
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さて、この関裕二の「闇に葬られた古代史」も、まさに将門のことから話は始まる。なぜに将門は乱を起こし、そしてその祟りが今でも恐れられているのか、といった点から、古代の歴史において「東」は、「西」に対する恨みがあるのだと、著者は話を進めて行く。その内容をここで要約するのは容易ではないし、それこそこのブログがいつも避けているネタバレになってしまうので (笑)、それはしないこととするが、要するに、「東」はヤマト政権確立に貢献があったが、何らかの事情でその存在を歴史から抹殺されてしまった。それゆえに将門に象徴される「東」の復讐を「西」は非常に恐れたのである、というのが関の主張である。本書の中においては、邪馬台国ではないかという説もあながち信憑性がないではない纏向遺跡の発掘における発見や、以前は明確であった縄文時代と弥生時代の区別が曖昧になってきていること、あるいは日本人の祖先を探る DNA 調査など、最近の研究成果も取り入れられていて、その点はなかなか面白い。そもそも日本の古代史には謎が多すぎて、最近でこそ上記のような研究が進んできたとはいえ、やはり古代史の闇は依然として深いと思うのである。それゆえ、様々な仮説が (たとえそれが荒唐無稽なものであっても) 成り立つ余地があるのではないか。よく日本の歴史学は文献偏重であり、書かれていることを妄信していて、イマジネーションを欠いているという批判を耳にするが、確かに伝統的な歴史研究は、「古事記」「日本書紀」等の書物に書いてあることをまず正として行われてきた、というイメージがある。関裕二という人はその点、独学で歴史を学んだ人だけあって、非常に豊かなイマジネーションを駆使して、自由な発想で古代史の闇に斬り込んでいる印象だ。実はこの人の著作は、1991年の「聖徳太子は蘇我入鹿である」というデビュー作以来、大変に多い。実は私もそのデビュー作を、発表後 10年以上を経てから、その題名のインパクト (笑) におおっと思って、買ってしまった口なのだが、古代史についての著作ばかりこれだけ多く執筆しているということは、結構な数の読者に支持されているということだろう。それにしても、聖徳太子の正体やいかにいう疑問は、確かに古代史における大きな検討ポイントではあるだろう。
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ネット上でこの著者の名前を検索すると、かなり否定的なトーンの言説も多く目にすることになる。だが私が面白いと思うのは、きっと専門の歴史学者からは相手にされないであろう大胆な仮説を、これだけ手を変え品を変えて世に問うという度胸である。もちろん学問の世界になれば、仮説の論拠にはかなりの厳密性が求められるので、我々が文庫や新書で気楽に読む本とは、それは別次元の厳しい目にさらされるであろう。だがその一方で、我々一般人にとっては、古代史の闇が深ければ深いほど、この関裕二のように、平易な言葉で面白い仮説を立ててくれる人の本に興味を抱くことになるのである。いやもちろん、その私とて、例えばこの本を読んでいて、すべて納得、目から鱗、全部信じます!! ということには正直ならないが、それでも、「なるほど、そういうことがあったら面白いなぁ。意外とそれが真相かも」と感じる瞬間が沢山ある。だからこそ私は、この人の本を何冊も読んでいるのである。専門の歴史家の方々は、彼の説を荒唐無稽と否定する、あるいは無視するのではなく、是非、古代史の闇を取り払って真実を明らかにすることで、本格的な学問の意義を主張して頂きたい。

そういえば、日本有数のパワースポットとして有名な将門の首塚は大手町にあるが、隣接する三井物産本社のビルが現在建て替え中である。首塚はどうなっているのだろうと思って調べてみると、やはりこの地区の再開発の対象外となっている。つまりは、そのまま維持されるということであろう。というわけで、これは芳年描くところの将門。「東」を代表する荒ぶる魂は、神田明神の祭神でもある。これからも東京を守護してくれるであろうか。
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# by yokohama7474 | 2019-03-18 21:46 | 書物

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さて、しばらくぶりに、既に終了してしまった展覧会の記事である。年を越えて、去る 1月20日 (日) まで上野の東京都美術館で開催されていた「ムンク展」。この展覧会は大変な人気で、私がわざわざこのブログで紹介せずとも、美術に関心のある人たちのみならず、幅広い層の人たちが会場に足を運んだことであろう。なにせムンクの「叫び」と言えば、知らない人がいないほど有名だ。上のポスターにある通り、その「叫び」(いくつかある同名・同テーマの作品のうちのひとつ) が来日するとあれば、大人気も無理はない。ノルウェーのオスロにあるムンク美術館がちょうど現在、新たな施設への移転を進めていることから、「叫び」を含むこの展覧会の出品作品 (油彩画 60点、版画など 40点の、合計約 100点) のほとんどは、そのムンク美術館からまとまって来日したわけである。この画家の内面に迫るという意味において、これはなかなかに貴重な機会であったことは確かだろう。

エドヴァルド・ムンク (1863 - 1944) は、一般的な分類では、象徴主義とか表現主義の画家とされることも多い。そのような分類は、画家のタイプを知るという点で意味はあるが、だが、私としてはムンクはやはり、世紀末の画家であると表現したい。もちろん、第二次大戦中まで生き永らえた彼には、いわゆる 19世紀末の文化の爛熟期からも長くこの世にいたわけであるが、近代社会の発展の中で傷ついた自我をさらけ出し、人間の生と死の真実を見つめたこの画家の感性は、やはり世紀末に培われたものであると思うのである。彼は生涯に亘って多くの自画像を描き、この展覧会にもそのうちのいくつかが並んでいたので、少し見てみよう。1895年に制作されたこのリトグラフの「自画像」においては、下部に白骨化した腕が描かれており、32歳にして早くも、死の影を背負った自分を描いているわけである。
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この「地獄の自画像」(1903年作) は、さらに強烈に、不吉なものを背負う自分を描いている。この頃のムンクは、精神的にかなり疲弊した状態であったらしい。ただ、その精神の疲弊を、このような芸術作品として表現できる点に、彼の偉大なる才能がある。それにしても、地獄の自画像とは・・・。
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この「スペイン風邪の後の自画像」(1919年作) は、色使いこそ強烈さはないものの、当時人々に恐れられた (例えばエゴン・シーレはその病で命を落とした) スペイン風邪の不気味な広がりを感じさせる。だが実際には、ムンクがスペイン風邪にかかった否かは、はっきりしていないそうだ。
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次の「家壁の前の自画像」(1926年作) は、いわゆる表現主義調の作品だが、画家は一体何を表現したかったのか。手前の植物も緑なら、頭が溶け込んでいるようにも見える背景にも緑色が漂っている。ここには直接の死への思いはあまり感じられないが、自分の存在そのものの危うさを感じることは、できるように思う。だが、この色調の明るさに、救われる思いもするのである。
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さて、ムンクという人は、幼くして母や姉という家族の何人かを失っていて、それが彼の死生観に影響を与えたことは大いに考えられる。この「死と春」(1893年作) は、モデルは特定する必要のない作品のようで、ただ横たわる女性の亡骸と、それを柔らかく包む春の日差しがテーマである。その対照に、一種の穏やかな諦観を感じることができる。彼の描く題材には陰鬱なものが多い一方で、「叫び」もそうだが、どこかに諧謔的なユーモアも潜んでいることがあると思う。この作品にもそのような感性を感じる。
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この「死せる母とその子」(1901年作) も、物言わぬ横たわる女性は、上とは左右反対であるが、その姿はよく似ている。ただここでは、子供の様子がただならぬ雰囲気である。極度の哀しみであるはずだが、奇妙なユーモアすらも感じさせる点、やはり「叫び」と共通する感性もあるように思う。
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この「病める子」(1894年作) は、いくつかのパターンがあり、油彩画もあるが、有名なテーマである。ここには明らかに姉ソフィエ (15歳で結核で死亡) の影があるだろう。ユーモアは感じられないが、痛切な哀しみというより、何か神秘的なものを感じさせるように思う。下の方は野の風景なのだろうか、未完成に見える。
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これは面白い。「クリスチャニアのボヘミアンたち II」(1895年作)。クリスチャニアとは、現在のオスロのこと。ムンクはこの街でいわゆるボヘミアンとしての生活を送り、画家や作家たちの溜まり場に顔を出していたらしい。この絵の左手前がムンクの自画像だが、これはまたなんと表情のない、仮面のような描き方か。それに比べると、右側の卵型の顔 (笑) をした人物の強烈な存在感はどうだろう。それ以外にも、ここで集まっているのは、一癖も二癖もありそうな人ばっかりですなぁ。
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上の作品などを見ていると、ボヘミアン・ムンクは何やら自分の殻に閉じこもって、他人との干渉を持たなかったようにも思いたくなるが、実はそうでもなく、様々な文化人とつきあいがあったようだ。面白いのは、この時代を代表する感性であったフランスの象徴派詩人、ステファヌ・マラルメとも、パリで面識を持っている。このマラルメの肖像画 (1897年作) は、いかにもムンクのリトグラフ作品らしい陰鬱さと、詩人の透徹した知性をともに感じさせる。
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これは「グラン・カフェのヘンリック・イプセン」(1902年作)。ムンクは、自国ノルウェーの先輩芸術家であるイプセンの戯曲に大きな影響を受けていたらしく、ここではカフェに座っているところを描いているようだが、何やら宙に浮かんだ霊体のようにも見える。そういえばムンクは、隣国スウェーデン出身のやはり劇作家で、心霊研究でも有名なストリンドベリとも親交があったようだ。
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ここからは油彩画を見て行きたい。これは「夏の夜、渚のインゲル」(1889年作)。妹を描いたものであるらしいが、初期の作品ゆえに、未だムンクらしさは完成していない。だがそれにもかかわらず、海辺に佇む人物、そして海自体、その後この画家が繰り返し描くことになるテーマである点は、興味深い。
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これも類似のテーマであるが、この「メランコリー」(1894 - 96年作) は、上の作品から数年にして、既にムンクの個性が横溢している。画面手前でメランコリーに沈む人物の内面を、浜辺と海が心象風景として表しているようだ。
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この奇妙な作品は「幻影」(1892年作) と題されている。水中から首を出す人物と、その背後に浮かぶ数羽の白鳥が描かれていて、自作のテキストにこの絵を思わせるものがあるようだ。だが私が興味を覚えるのは、「サロメ」をはじめとして、頭部切断 / 球形の喪失に象徴される世紀末文化のコンテクストから、この絵を見ることができるという点だ。そもそも水面とは、ある世界と別の世界の境界線である。その境界線を越えて突き出された頭が訴えたいことは、一体何であろうか。
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この「夏の夜、人魚」(1893年作) になると、一層ムンク的だ。彼の作品に繰り返し登場する女性への恐怖が、ここには表れてはいないだろうか。その魔性のものは、世界の境界線を、もはや顔だけではなく体全体で越え、何やらこちらを見つめている。そして画面奥には、これもこの画家独特の表現で、水面に映る月が描かれている。
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これは「星空の下で」(1900 - 05年作)。ここで女はついに男を捕まえてしまうが、その顔は死霊のようで、ただ唇だけが異様に赤い。ただ私には、この世紀末絵画に、どこか人間的な温かみも感じてしまう。ゾッとするような題材を扱いながらも、彼の作品は、絶望だけに満たされてはいないことが多い。そのあたりが万人に愛される秘密ではないだろうか。
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そして、今回の目玉、「叫び」(1910年? 作) である。現存しているムンクの「叫び」は 5点あり、最初のものは 1893年の油彩画。その後、2点のパステル画、1点のリトグラフを経て、最後に描かれたのが、ムンク美術館所蔵のこの作品である。技法は、テンペラと油彩の混合であるようだ。ところで私は、この絵ではなくて、オスロ国立美術館所蔵の「叫び」(1893年の油彩画) が盗まれ、その後奪回されたという事件は明確に記憶にあるのだが、調べてみると、この 1910年頃の作品も、一度ムンク美術館から盗まれている。発見された際には損傷があったので、その後修復が必要であったという。この極めて有名な作品、まさにこの人物の通り、叫びを上げたくなるような災難に遭っているわけである (笑)。やはりこれは、卓越した人間心理の表現であることは間違いなく、ただ単に精神の安定を欠いているといった陰惨な作風ではなくて、やはり人間的な諧謔味もそこにあるからこそ、人々に訴えかけるのであろうと思う。
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この作品は、「叫び」とは似て非なるもの。「絶望」(1894年作)。つまりは、最初の「叫び」の翌年の作品であるが、これは面白い。というのも、背景はほとんど同じであるのに、前景の人物だけが違っているからだ。この人物にはちゃんと目鼻があり (笑)、流れてとろける背景とは無関係であるかのように、目を伏せている。「叫び」では、もちろん叫んでいるのは前景の人物であり、むしろ、彼の叫びによってこそ、自身の身体も、あるいは背景も、ぐにゃりと歪んでしまったように見える。一方この「絶望」は、上で見た「メランコリー」と同種の発想でできていて、叫びを発することなく、崩壊する世界の中に身を置いている。美術好きにとっては常識であるが、この「メランコリー」という主題は、デューラーに代表されるように、西洋美術史においては伝統的なテーマであるわけで、極めて独創的な「叫び」に続いてこのような作品を描いたムンクは、表現方法の試行錯誤をしながらも、結構したたかなところがある画家ではないかと思うのである。
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さて、ここからはいくつか、ムンクの画業について回ったテーマのひとつ、女性の魔性を扱った作品を見てみよう。彼にまつわる有名な逸話として、結婚を迫る恋人がピストルを持ち出し、もみ合ううちにピストルが暴発して左手中指の一部を失ったという話がある。そのせいか彼は生涯独身を貫き、女性の魔性を描き続けた、と言われている。だが、そのピストル暴発事件のときムンクは既に 39歳 (1902年)。さほど若い頃の話ではない。なので、その逸話に必要以上に囚われる必要もないように思うが、いかがであろうか。この「月明かり、浜辺の接吻」は 1914年の作。接吻する男女の顔が一体化しているのは、背景の水面に映る月 (いつも思うのだが、観光案内のマーク、"i" に似ている。笑) と同様、彼の常套手段である。ここには陰鬱な退廃は見られない。
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ところがこの作品の退廃には、恐ろしいものがある。有名な「吸血鬼」(1916 - 18年作) で、いくつもの同じ構図の作品がある。画家としてのムンクの、鮮烈なイメージを作り出す力に驚嘆する。ここに描かれた男の、無個性と無力ぶり。
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退廃といえば、やはりこの作品だろう。「マドンナ」(1895 / 1902年作)。恍惚のマドンナの周りに、精子と胎児が見える。画家自身の言葉によると、このマドンナには地上のすべての美と苦痛が表れているが、それは、彼女に死が迫っていて、一本の鎖が、過去の何千世代と将来の何千世代を結びつけるからだそうである。うーん、詩情のある説明ではあるが、この作品のヴィジュアルには、そんな言葉が吹っ飛んでしまうインパクトがある。ただ、よく見ると胎児の顔に、退廃を越えたユーモアがあるようにも思われ、そこにこの画家の個性が表れているとも言えようか。
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これは「目の中の目」(1899 - 1900年作)。題名の通り、向かい合う見つめ合う男女であるが、男の顔は真っ白で、口がなく、目にも何か恐怖が浮かんでいるように見える。一方の女の方は、やはり表情は分からないが、その髪が男に向かって伸びて行っているようだ。少なくともこれは、愛の賛歌ではないだろう (笑)。
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こうなってくるともう少し分かりやすい。1896年作の「別離」。かわいそうに、血まみれの右手を心臓に当てるこの男性は、このエクトプラズムのようになってしまった女性に、騙されたのだろうか。ところでこの男性、上で見た「メランコリー」に登場する人物と同一であるようにも見える。世界苦は失恋から?
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次の絵になると、ちょっと残虐性を帯びてくる。1907年作の「マラーの死」。ここで殺されているのはもちろん、ダントン、ロビスピエールと並んで知られるフランス革命時の革命家、ジャン=ポール・マラーであり、もちろん西洋美術史においては、新古典主義の巨匠ダヴィッドの作品によってよく知られるテーマである。この作品では、入浴中のマラーを刺殺した犯人の女性 (シャルロット・コルデー) が立ち尽くしている。ここでのマラーは、ムンク自身を象徴するとも考えられているらしい。
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これもムンクの代表作のひとつ、「生命のダンス」(1925年作)。描かれた人物たちにはそれぞれ意味があるらしいが、それはそれとして、地面の緑と補色関係にある真っ赤なドレスを着た女性が中心にいて、何やら生霊と死霊が緩やかに交流しているような、そんなイメージである。ところで、昔コリン・デイヴィスとボストン交響楽団によるシベリウスの交響曲のレコードのシリーズでは、ジャケットにムンクの作品を使っていたが、この「生命のダンス」は、交響曲第 4番のジャケットであったことをはっきり覚えている。あの陰鬱なシンフォニーに相応しいイメージだと思ったものだ。
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だがここでも、ただ退廃だけでないムンクの感性を、細部に読み取りたい。右端の青いドレスの女性の左手で踊る男女。その男の顔はどうだろう。この場合はどう考えても、吸血鬼は女ではなく、男ではないか (笑)。一目見たら忘れない顔である。
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ムンクはまた、肖像画も多く描いている。これは誰あろう、フリードリヒ・ニーチェ (1906年作)。縦 201cm、横 130cmの大作で、ニーチェの妹の委嘱により、この哲学者の没後に、写真をもとに描かれたものであるらしい。ちょうど「叫び」を反転させたような背景とも言えるが、顔をしかめながら立っているニーチェには、叫ぶことなく世界の様相を察知する知性があるものと解される。
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この画家が意外にしたたかだと思うのは、このような背景の使いまわしからヴァリエーションを生み出していることである。その一方で、時に驚くほどパターン化から遠い作品も描く。この「疾駆する馬」(1910 - 12年作) は、私が実物を初めて見たのは今から 30年以上前だが、自分の中では「世紀末の画家」という整理をつけていたムンクに、こんな躍動的な作品があると知って、驚いたものだ。解説によるとムンクは、写真や映画といった当時の新しいメディアに興味を持っていたとのこと。意外と言えば意外である。
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この「太陽」(1910 - 13年作) も近い時代の作品であるが、実にダイナミックな自然の描き方である。クリスチャニア大学 (現オスロ大学) の講堂の装飾画としてもともと注文を受けたものらしい。さて、クラシック音楽ファンとしては、これも見覚えのある絵である。そう、小澤征爾指揮ボストン交響楽団によるシェーンベルクの「グレの歌」のジャケットだ。たまたま最近の記事で、この「グレの歌」について書いた中に、この小澤盤についても触れたばかりだが、実は、手元にその CD を持ってきて比べてみると、ちょっと違う。奇異に思って調べてみると、そのジャケットに使われているのは、同じムンクの「フィヨルドに昇る太陽」という作品で、そちらは実際に現在でもオスロ大学の壁面を飾っているという。うーん、現地に行ってみたい。
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この作品は「星月夜」(1922 - 24年作)。ファン・ゴッホの作品と同じく、英題では "Starry Night" である。オスロ郊外のムンクの自宅から見た風景らしい。イプセンの戯曲と関係があるらしく、画面手前右側に見えるシルエットは、雪の中で死亡する登場人物になぞらえた自身の像であるとのこと。大自然の営みを雄大に描いた上の「太陽」とは異なり、やはり夜の光景ともなると、どうしても自分自身と向き合うという感性が、この画家の中にムクムクと沸き起こるのであろうか。
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さてこれは最晩年の作品、「自画像、時計とベッドの間」(1940 - 43年作)。老境に至っても鮮やかな色使いを続けていたムンクであるが、だがやはり、そこには画業を全うしたという達観が見られないだろうか。ただ、亡くなったのは 1944年と、戦時中であり、ナチスは彼の作品に退廃芸術のレッテルを貼っていたこともあって、心穏やかな老年であったということではないかもしれない。それでも私は、この画家の中に政治的な興味があったとは思われないし、生と死を見つめ、自らの内面と向かい合いながらも、一方では画家としての処世術も身に着けた彼としては、もはや世界苦を叫ぶ必要もなく、ただ柱時計と競い合うかのようにしっかりと立ってみせることが、後世へのメッセージであったのではないだろうか。
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不幸な少年時代を送りながら、30にして代表作を制作。その後半世紀を生き延びるうちに、世紀末は遠い過去となってしまった。だから、冒頭に書いたように、この画家を「世紀末の画家」として片づけてしまうことは、本当はよくないのかもしれない。だが、やはりなんといっても「叫び」は世紀末芸術。30歳でその作品を生み出したからこそ、その後のムンクの画業があったのだと思う。知れば知るほどに面白いこの画家、オスロのムンク美術館が再オープンしたら、また現地でじっくり作品と対峙してみたいものだと思っている。

# by yokohama7474 | 2019-03-17 18:20 | 美術・旅行

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日本フィルハーモニー交響楽団 (通称「日フィル」) の今月の定期には、ドイツ人指揮者アレクサンダー・リープライヒが登場する。日フィルとは初共演で、私自身もこの指揮者についてあまりイメージがないが、調べてみると、既に NHK 響や読売日本響、また紀尾井シンフォニエッタ (現・紀尾井ホール室内管) を指揮したこともあるほか、大阪フィルや京都市響とも共演経験がある。1968年レーゲンスブルク生まれというから、既に 50歳ということで、決して若手と言える年齢ではないが、その経歴を見ると、かつてはミュンヘン室内管の首席指揮者を 10年間務めており、現在はポーランド国立放送響の首席指揮者であり、また昨年からはプラハ放送響の首席も兼任している。また、ウォルフガンク・サヴァリッシュが創設したリヒャルト・シュトラス音楽祭 (開催地はシュトラウスが暮らしたガルミッシュ = パルテンキルヒェン) の第 3代音楽監督も務めており、これまでに指揮したオケは、コンセルトヘボウやバイエルン放送響、ミュンヘン・フィル、BBC 響、ドレスデン・フィルなど。既にレコーディングも幾つかあり、着実にその活動を広げているという印象だ。また、師事した指揮者として、クラウディオ・アバドと、先日惜しくも 91歳で亡くなった鬼才ミヒャエル・ギーレンの名が見える。これはプラハでの指揮姿であるが、今回の演奏会でも、同様の丈の長いジャケットに細いネクタイで登場した。
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未知の指揮者の演奏に触れることは、音楽ファンにとって大きな喜びである。案の定、客席はかなり空席の目立つ状況ではあったが、これはなかなかに爽快な演奏会となった。まず、曲目が面白い。
 ロッシーニ : 歌劇「泥棒かささぎ」序曲
 ルトスワフスキ : 交響曲第 3番
 ベートーヴェン : 交響曲第 8番ヘ長調作品93

コンサートのチラシには、「古典・ロマン・現代」とあるが、それではベートーヴェンはロマン派かという話になって、多少違和感がある。彼は飽くまで古典派の時代にあって、誰も想像すらしなかった破天荒な試みによってロマン派への道を切り拓いたのであって、ロマン派の作曲家に分類してしまうのはいかがなものか。ただ、真ん中のルトスワフスキは、現在ポーランドで重要なポジションにある指揮者の採り上げるレパートリーとしての興味を引くものであり、これによってコンサート全体が非常にユニークな色合いを帯びている。なので、ここではルトスワフスキがコンサートの中心であることは確かだろう。聴いてみて思ったことには、このコンサート、その複雑な音響のルトスワフスキを挟んで、イタリアとドイツの愉悦感溢れる音楽を配することによって、ある種の中和作用がもたらされていたように思う。

最初のロッシーニと最後のベートーヴェンは、弦楽器の編成が、第 1ヴァイオリン 12 : 第 2ヴァイオリン 10 : ヴィオラ 8 : チェロ 7 : コントラバス 5というもの。リープライヒはすべてきっちりと譜面を見ながら、指揮棒を持って指揮をし、ヴァイオリン左右対抗配置も取らず、弦楽器奏者にはヴィブラートをかけさせての演奏であったが、その指揮姿は颯爽としており、音楽の疾走感を巧みに引き出しつつ、要所要所で微妙な表情づけも怠らない。非常に誠実な音楽を聴かせる人だと思った。このような音楽を聴いていると、演奏には呼吸が大変に重要なのだということを、改めて実感する。ロッシーニの軽妙洒脱なクレッシェンドと、ベートーヴェンの逞しい推進力とは、全く別物でありながら、やはり、奏者同士がお互いを聴き合って呼吸を合わせて行くことが、音楽の極意なのであると知る。特にベートーヴェン 8番は、よく古典的な作品と言われるが、私としては、これはやはり堂々たる大シンフォニーの要素を持つ、しかし、ベートーヴェンとしては異例なほどの遊び心のある、充分に「ロマン性」溢れる作品であると思っている。なので、今回のように、水際立ったアンサンブルに依拠しながら、奇抜なことは何もせずとも、音楽を聴く喜びを感じさせる演奏に触れると、「いやぁ、いい曲だなぁ」という素朴な感想を抱くことになる。実はこれは、意外と貴重な経験ではないだろうか。

そして、真ん中に置かれたルトスワフスキの交響曲第 3番である。この曲は、昨年 9月 6日のアントニ・ヴィト指揮東京都交響楽団の演奏会でも聴いていて、その演奏会の記事にも、私のこの曲との出会いを書いたが、既に 30年以上前、作曲者自身が指揮するベルリン・フィルの録音で聴いたのが最初であった。作曲者のヴィトルト・ルトスワフスキ (1913 - 1994) は、20世紀ポーランドを代表する作曲家であり、この交響曲 3番は、彼の代表作のひとつに数えられる。
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この曲は、シカゴ交響楽団の委嘱を受けて 1972年から作曲されたが、途中で挫折しかかるようなこともあり、結局初演は 1983年にまでずれ込んでしまったという経緯を持つ。かなりの艱難辛苦を経て生み出された曲ということになる。切れ目なく演奏される 2楽章からなる 30分強のシンフォニーだが、全曲を通して、ベートーヴェン 5番風の「ダダダダン」という音型が出て来て、それがまた、曲想が変化するきっかけにもなっている。私はこの作曲家に対して、特に強い思い入れがあるというわけでもないが、ただ、これまでに結構な数の CD を聴いてきている。この作曲家の活動は、東西冷戦の枠組が明確であった時代をすっぽりカバーしており、その創作活動はなかなかに複雑なものにならざるを得なかったであろう。ポーランドの首都ワルシャワでは、1956年以降「ワルシャワの秋」という現代音楽専門の音楽祭が開かれており、その音楽祭の一環としてルトスワフスキは一時期、自身の名を冠した作曲コンクールの審査委員長も務めていた。世界の秩序を決めている政治体制、ショパンを筆頭とした自国の音楽文化の遺産、大国の間で国土を蹂躙されてきた悲劇的な国の歴史、そして、第二次世界大戦後の前衛音楽の世界的な流行とその後の保守化。このような様々な環境の要素が、彼の生涯の中で少しずつ変化して行ったわけである。この曲が、1970年代から 80年代にかけて生みの苦しみを経験したのも、そのような事情と関係しているかもしれない。だが我々は、そんなことを一旦忘れて、この曲に坦懐に耳を傾けてみよう。これは、「泥棒かささぎ」序曲やベートーヴェン 8番のような、楽しくてついその旋律を口ずさむような曲ではないが (笑)、しかしそれでも、あたかも不気味な存在が世界を跋扈するような様子とともに、時には諧謔的であったり、結構愉悦的な要素もそこには聴き取ることができるように思われる。ここでは、一定の時間内、奏者が自由なリズムで音を奏するという「管理された偶然性」という手法が使われているが、そこにおけるガサガサした音響と、通常のハーモニーとの対比は極めて鮮やかで、ちょっと大げさに言ってしまえば、世界の多様性が、そこには厳然と立ち現れるという印象だ。リープライヒの指揮ぶりはここでも、基本的にロッシーニやベートーヴェンに対するものと変わらない。丁寧にスコアを追いながら、楽員に任せるところは任せ、引き締めるところは引き締める。彼の手腕によって日フィルは、その持てる能力を充分に発揮したと言えるであろう。実に密度の濃い 30分であった。

このように、全体を聴いてみて、実に爽快感のある演奏会であった。同じプログラムでの演奏会は、今日 3/16 (土) も、14時からサントリーホールで開かれるので、ご興味おありの方は、是非足を運んでみられてはいかがだろう。なおこのリープライヒ、来シーズンの日フィルの定期公演にも再登場が予定されているが、それは今年 12月で、再びルトスワフスキの、これもかなり有名な作品、管弦楽のための「書」と、R・シュトラウスの「英雄の生涯」を含むプログラム。これも面白そうだ。それまでに、彼がミュンヘン室内管と演奏したモーツァルトのレクイエムや、メンデルスゾーン「イタリア」、細川俊夫作品集などの CD を、聴いてみたいと思っている。ここでは、モーツァルトのレクイエムのジャケットを掲げておこう。
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# by yokohama7474 | 2019-03-16 09:51 | 音楽 (Live)

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アルノルト・シェーンベルク (1874 - 1951) の超大作「グレの歌」を聴きに行って、ホール入り口でもらったチラシの束を覗く。そうすると、最初が別の演奏による「グレの歌」のチラシ、2枚目も、これまた違った演奏による「グレの歌」のチラシである。一体、これってどういうことだろう。西洋音楽史において、マーラー 8番と並んで破格の大編成を必要とするために、世界のどんな街でも、普通、まあ多くても数年に一度演奏されればよい方のこの曲 (世界の大都市でも、未だ演奏されたことがない場所も結構あるのでは?) を、今年の東京ではなんと、3回も聴くことができるのである!! 因みにほかの 2回とは、4月の大野和士指揮東京都交響楽団と、10月のジョナサン・ノット指揮東京交響楽団によるものだが、今回私が出掛けたのは、読売日本交響楽団 (通称「読響」) とその常任指揮者シルヴァン・カンブルランによるもの。いずれも現在の東京音楽界における顔であり、お互いにしのぎを削っている演奏家たちである。

カンブルランと読響の演奏については、このブログでも過去に沢山採り上げてきた。現在 70歳のフランス人指揮者カンブルランは、2010年からこの読響の常任指揮者を務めてきたが、この 3月までのシーズン終了とともに、その地位から勇退する。それゆえ今月の彼らの演奏会は、この実り多き 9年間の総決算ということになるのである。
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今回彼らが組んだプログラムは 4種類であるが、現代音楽を含め、フランス物のレパートリーが多くを占める中で、この日だけはちょっと特別な内容なのである。上記の通り、その異常なまでに巨大な編成によって、なかなか演奏されることのない「グレの歌」、作曲者はオーストリア生まれのユダヤ人であるが、十二音技法を生み出し、20世紀におけるいわゆる現代音楽の元祖となったシェーンベルクがここで描いた巨大な音響世界は、実は後期ロマン派の衣装をまとっている。まさに時代のはざまに生まれた特殊作品だと言ってもよいだろう。このような曲の選択は、楽団にとっては大きなチャレンジのはずだが、数々の先鋭的なプログラムで聴衆を刺激してきたカンブルランと読響の活動における一区切りとしては、ふさわしい選択だとも言えるだろう。そして会場にはこのような写真が展示されている。今から 52年前の 1967年に、当時の常任指揮者、若杉弘のもとでこの曲を日本初演したのは、ほかならぬこの読響であったのだ。
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若杉については過去の記事でも何度かその名前を出しているが、果敢に日本のオケのレパートリーを拡充した指揮者であり、私も若い頃から随分と彼の活動の恩恵にあずかったものである。1995年に彼が N 響を指揮した「グレの歌」は、私が初めてこの曲の実演に接した機会であり (その前、1987年に彼が藝大オケでこの曲採り上げた際には、チケットが売り切れで涙を呑んだ)、その思い出は鮮烈だ。今では Youtube でこの演奏も全曲視聴できるとは、なんと便利な時代になったことか。そもそもこの「グレの歌」と言う曲、なかなか演奏できないこともあって、決してポピュラー名曲ではない。私の場合は、1980年代前半、高校時代に小澤征爾指揮ボストン響のアナログレコードで最初に接し、その後は、ストコフスキーとフィラデルフィア管による世界初録音 (1932年!!) やブーレーズの録音を聴いていたが、世界的名声のある指揮者たちが続々と録音するという状況ではなかった。もちろん 1990年代以降、アバド、ヤンソンス、ラトル、シノポリ、シャイーらの録音も出たし、レヴァインと MET オーケストラは、なんと来日公演で採り上げたりもした (私は聴いていない)。だが、例えばカラヤンも 1960年代には実演で採り上げたのに、私の知る限り録音は残っていないし、やはり歴史的に見てメジャーな指揮者たちが軒並み手掛けてきたということではないゆえ、どうしても特殊作品というイメージがついて回る (クーベリックが 1960年代に録音していたことは、比較的最近まで知らなかった)。そう、今回カンブルランと読響が演奏したのは、そのような曲なのである。

少し曲の内容について書いてみたい。この曲は、デンマークの作家・詩人であるイェンス・ペーター・ヤコブセン (1847 - 1885) の詩に基づくもの。その内容自体は古くから伝わる伝説であるようだが、12世紀デンマークに実在したヴァルデマルという王が、グレ城の侍従の娘であるトーヴェという若い娘と恋に落ちるが、それを嫉妬した妃によってトーヴェは毒殺されてしまう。荒ぶるヴァルデマルは、神を呪うが、その罰で命を落とし、それでもなお、亡霊となった兵士軍団とともにグレの地で狩をして駆け巡る。だが最後には太陽が昇り、救済が暗示されて終わるというもの。作曲は 1900年から始まり、中断を挟んで 1913年に完成しているが、その間にシェーンベルクの作風が変わってしまったので (= 前衛化したので)、前半の究極の後期ロマン派風のスタイルに比し、後半には語りの使用など、その後のこの作曲家のスタイルにつながる要素が見られる。音響的には、ワーグナーやシュトラウスを思わせる箇所もあるが、それらの作曲家ほど手練手管を感じさせないゆえに、誰もが親しみやすい曲にはなっていない。何に似ているかと言われれば、私なら、やはりシェーンベルクの初期の作品、交響詩「ペレアスとメリザンド」を挙げたい。なんのことはない、この「グレの歌」と「ペレアス」は、この元祖現代音楽作曲家が大オーケストラを使って書いた濃厚なる後期ロマン派的作品として、ほかに例を見ないものなのである (「浄夜」もロマン的だが、弦楽器のための曲である)。この濃厚な音響が、シェーンベルクという作曲家の奥底で鳴っていた響きなのであろう。これは、作曲者自身による自画像。彼の絵画の師であったリヒャルト・ゲルストルのことなど書き出すときりがないのでやめておくが、「グレの歌」のストーリーとは異なるものの、少なくとも若い頃のシェーンベルクの人生においては、それと通底する極めてドロドロした要素もある、とだけ言っておこう。
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さて、今回のカンブルランと読響の演奏、その輝かしくもまた繊細な表現は、まさにこのコンビの 9年間の蜜月を反映した素晴らしいものであったと言ってよいであろう。この曲は、夕焼けに始まり日の出に終わるのであるが、冒頭は繊細で、これから始まる過剰なまでの感情の奔流を奥底に潜ませたようなキラキラした音響。その一方で終結部は、これはもう光に満ちた輝く空気感を醸し出し、浄化を強く印象づけるもの。この両端部に、この曲のエッセンスがあると思うだが、冒頭部分を注意深く見ていると、第 1・第 2ヴァイオリンのかすかな音がどこから出ているかというと、後列の奏者たちの一部であった。人数さえ指定すれば、別に前列の奏者が弾いてもよいと思うのだが (笑)、そうでないあたりの変化球ぶりに、作曲者のこだわりが見える。また終結部では、そのような複雑なこだわりを一切忘れて、ただ輝かしく力を解き放つことで、ホール全体を揺り動かすような音響が生じていた。この曲の構成はかなりユニークで、長さとしては第 1部だけで 1時間ほどあり、5分ほどの短い第 2部を挟んで、45分ほどの第 3部となる。第 1部では、ヴァルデマル王とトーヴェが交互に歌い、トリスタン的な陶酔の世界が展開するが、最後には森鳩がトーヴェの死を歌う。第 2部は神を呪うヴァルデマル王、第 3部は、王と死霊軍団の狩を中心に、農夫が出てきたり、道化師が出てきたり、語り手が出てくるという趣向。延々と描かれる音響には、かなりの表現の幅が必要であるし、集中力も不可欠。今回のカンブルランと読響は、技術的にも完璧であり、強い集中力が持続していて、決してとっつきやすくないこの曲に、明快な道筋を作り出していたと思う。ただひとつ不思議であったのは、休憩の入る箇所。通常、CD でも実演でも、第 1部で森鳩の歌が不吉な感じで終わったところで一旦切れることがほとんどであると思うが、今回は、短い第 2部まで通して演奏してから休憩に入り、後半は第 3部のみであった。この意図は何であろうか。第 3部において描かれる荒々しい狩の情景から、農夫と道化師と語り手が出て来るという目まぐるしさにスポットを当てることで、この第 3部の持つ音楽的多様性 (= 後期ロマン派的にとどまらない、その後のシェーンベルクの作風へのつなぎとしてのこの曲の持ち味) を強調したかったということか、とも推測しうると思う。

また、歌手たちも万全で、ワーグナー歌いとして有名なロバート・ディーン・スミスのヴァルデマル王 (唯一暗譜での歌唱) は、ただ輝かしいだけの声ではなく、彼の加齢がいい感じにこの王の執念を表していたし、一方のトーヴェは、2015年のカンブルラン / 読響による「トリスタンとイゾルデ」でトリスタンを歌ったレイチェル・ニコルズであり、やはり曲想に合った声のコントロールが素晴らしい。森鳩のクラウディア・マーンケ、農夫と語りのディートリヒ・ヘンシェル、道化師クラウスのユルゲン・ザッヒャーらはいずれも世界的キャリアを持っていることを納得させる出来であり、それからまた、新国立歌劇場合唱団の熱演も圧巻であった。

カンブルランと読響のコンビが東京の音楽界に果たした貢献を思うと、このコンビでの数々の録音は、広く海外に紹介されるべきだと思う。今回の「グレの歌」も録音・録画されていたので、今後人々の耳目に触れる機会も増えて行けばよいと思う。

ところで、この記事を書くために、1995年の若杉 / N 響の演奏会のプログラム冊子を引っ張り出してきて見ていたら、若杉のインタビューが掲載されていて、そこに「以前、コペンハーゲンの放送局の音楽部長さんが、グレ城に連れていってくださったことがあるんです」とあるのを発見。コペンハーゲンから車で向かったとのことだが、現地では、「ウィットに富んだ音楽部長さんが、近くの岸辺から見える湖の中洲を指さして、『山鳩はあの中洲からこちらに飛んできて、お城での悲劇を報告したんだよ』と。その瞬間、僕のなかでパーッと、目の前の風景が音楽のイメージと重なり合いました」とある。こうして書き写していても、あの柔らかい若杉さんの口調が思い出されて懐かしいが、それはともかく、調べてみると、確かに中世の城の廃墟として、グレ城跡は未だに存在しているらしい。廃墟とはいえ、後世の文学作品・音楽作品によって、その土地の持つ不思議な力を感じることができる場所であるのだろう。一度行ってみたいものだ。
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# by yokohama7474 | 2019-03-15 12:01 | 音楽 (Live)

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CG によって映像表現の幅が恐ろしく広がったこういう時代になってくると、新作映画を作るにあたっても、なかなか悩みが多いものと思う。つまり、凝った CG を使うには膨大なコストもかかるわけであり、巨額の資金をかけて映画を作ってみた結果、既にどこかで見た映像と同じだと思われたり、あるいはただ技術だけを見せていてドラマがないと思われたりする結果に堕することは、決して許されないわけである。その点、いっそ前回の記事でご紹介した「THE GUILTY ギルティ」のような、CG を一切使うことなく観客の想像力を刺激する映画など、稀有なるアイデアの勝利であって、昨今なかなかお目にかかることはないタイプの作品であろうと思う。一方、ここでご紹介するのは、まさに最先端の CG を駆使した SF もので、それとは全く対照的。予告編でそのあらすじは明らかであったが、要するにサイボーグ物である。少女の姿をしたサイボーグが、何やら悪い奴をバッタバッタとなぎ倒す。うーん、ストーリーとしては、それだけでは際立って個性的とは思われない。だが、見てみると、なんのなんの、いくつかの点において、ちょっとこれまでにはなかったほどの斬新な出来と言ってよいと思う。この画像は、チラシのコピーにある「天使が戦士に覚醒める」きっかけになるシーン。
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上の写真で分かる通り、この主人公のアリータは、目が異常に大きい。それゆえ、顔はすべて CG を施されているのであるが、そしてもちろん、見せ場におけるアクロバティックな動きの多くも当然に CG なのであるが、ただ、基本的な動きは人間が演じていて、その表情の多彩なことや動きのリアルなことは、驚くばかり。いや、その点においてだけなら、これまでに見てきたあれこれの映画でも、驚くものはあった。だが今回は、なぜだろう、このアリータという少女に対して、見ている者が強く感情移入できるように、巧みに作られていると思うのである。この少女は、スクラップとして捨てられていたものを科学者に拾われ、脳の部分 (?) が生きていたことから、新たに身体を与えられる。だが、彼女は徐々にその特殊な戦闘能力に目覚め、そして真の自分が誰であるかを思い出す、という内容なのであるが、そのストーリーの曲折にかなりの工夫があって、ただの自分探しということではない、何か切羽詰まったものが随所に見られる一方で、育ての親への遠慮とか、初めて知った愛とか、そんな、字にしてしまうと気恥しいような (笑) 感情の描写も、実に嫌味がないのである。実際、彼女が強い相手に立ち向かって、一旦大きな危機を迎えるシーンでは、私は鳥肌が立った。その後に育ての親が施す、彼女の再生方法は当然読めたのであるが、それにしても、ここまで強烈な描き方をするのか!! という印象であった。その危機は、このシーンのあと訪れるのだが。
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そうそう、強烈と言えば、ここでネタバレはできないものの、大詰めでアリータと恋人のヒューゴが絶体絶命のピンチに立たされるときの起死回生の脱出手段、これもすごい。大げさに言えば、人間存在とは一体何かと考えさせるようなところがある。つまり、心と体とが切り離せるなら、人間とサイボーグの差なんてないのではないか、と思われるのだ。この感覚、さらに考えを進めて行けば、人が生きていることのリアリティはどこにあるのか、という話にもつながっていて、さらには、仮想社会や再生医療といった最先端のテーマにも関係してくると思うのだ。見ていない人にはさっぱり分からないだろうが (笑)、私がそのような感覚に囚われたのも、冒頭から一貫してこのアリータというキャラクターの存在のリアリティが刷り込まれていたからだろうと思う。これこそが、この映画の際立った個性である。

とまぁ、ちょっと話は大げさになってしまったが、そのような Emotional な部分だけでなく、この映画のビジュアルには、それだけでも刺激的なものがある。異星人との間の戦争で壊滅的な破壊を被った地球はこんな感じ。終末感は感じさせるが、だがその一方で、これは現在でも我々が世界のどこかで見かけてもおかしくない光景とも思われる。
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また、アリータの敵たちのキャラクターも、それはそれは濃いこと。モーターボールというスポーツ (なのかな?) では、こんな恐ろしい連中に混じって疾走するアリータが、それはもう完膚なきまでに奴らを叩き潰す。それは凄まじい。
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役者陣も充実している。主役アリータを演じたのはローサ・サラザール。「メイズ・ランナー」シリーズで見たときには、あまり美形ではないし、このアリータ役はどうかなと正直思っていたのだが、上で私が称賛したアリータのリアリティの高さは、当然彼女こそが最大の貢献者であろう。
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ほかには、「育ての親」役のクリストフ・ヴァルツ、その元妻役のジェニファー・コネリーもよかったが、何気にこの人なんてどうだろう。
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おぉっ、このあからさまに怪しい人物は、先のアカデミー賞で作品賞を取った「グリーンブック」の出演者で、また、その作品でアカデミー助演男優賞も獲得した、マハーシャラ・アリではないか。ここではまた、なんと違った役柄を演じていることか。

そうそう、肝心なことを忘れていた。この映画は、もともとあのジェームズ・キャメロンが映画化権を獲得し、最終的には製作と脚本に参加したもの。監督は、「デスペラード」や「フロム・ダスク・ティル・ドーン」の頃の勢いからすると、最近はあまりぱっとしない印象もあったロバート・ロドリゲス。久々に面白い映画を撮ってくれたのではないだろうか。これは、本作の撮影現場におけるキャメロンとロドリゲス。
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そして最後に。上でジェームズ・キャメロンがこの作品の映画化権を獲得したと書いたが、もともと原作は、日本の漫画なのである。木城 (きしろ) ゆきとの「銃夢」(ガンム) という作品。例によって私は最近の漫画には全く縁がないもので、この作品についても知識はゼロなのだが、こんな大作映画の原作とは、大したものである。映画の世界とはまた違った面白さがあることだろう。
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# by yokohama7474 | 2019-03-13 21:58 | 映画